ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -3ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。


前回のチェロの継ネックの話です。
弦楽器の欠陥の一つは弦の力でネックが引っ張られ角度が変わってしまうことです。それに対してネジなどで調整はできません。
ネックが下がるとそのままの駒では弦と指板の隙間(弦高))が大きくなり、抑えるのが大変になります。弦高を正しくするためには駒を低くしないといけませんが、駒が低くなると弓が稼動できる範囲が狭くなり表板の縁にぶつかりやすくなります。

音については一般に駒が低くなると弱々しい音になると考えられます。低くなった状態のものでは売り物として責任を持てません。ネックを正しい角度にしてはじめてその楽器の音が分かるというわけです。
それくらいぼんやりとしたことしか音については分かりません

修理にはいくつかごまかしのような方法があります。指板が薄くなっている楽器なら指板を交換することで駒を高くすることができることがあります。

そのようなごまかしはこのチェロではやり尽くされ継ネックしか直す方法がありません、


継ネックにはこんなに大きな木材が必要です。森林資源としてはとてももったいないですね。しかし使い捨てにして新しいチェロを買うよりも木材は少なくて済みます、

指板の接着面が基準となります、木材を買った段階では切り口の角度があってないのでカンナで削っています。大量の鉋屑が出ています。

同時にペグの穴も埋めなければいけません。精密な加工が必要です、穴がすでに大きくなっていて使える工具のギリギリでした。これ以上穴が大きくなったら合う工具がありません。

新しいネックと継ぎ足すためペグボックスを加工します。ペグの穴の所にも来ています。

両者をピッタリ合わせるのはとても難しい仕事です。
テーパーがついているのであてがってみてピッタリ合うように加工しているうちにどんどん奥に入っていきます。初めの段階ではネックの長さを決められないので木材に余裕が必要なのです。
つまり接着面が合って接着した後にネックの長さを決めて切断するのです。それくらい接着面を合わせるのは難しく、もし足りなくなってしまえば、新たな木材を用意する必要があります。また早々と接着面が合ってしまうとネックが長すぎて正しい長さにできません。

このようにペグボックスの面を加工するのに平らなノミを使います。しかし平ノミではうまくいきません。平ノミというのは裏面が真っ平らになっているものです。このような加工のために私はノミの裏面をわずかにカーブさせたものを複数持っています。外丸ノミとも言いますが、それよりもはるかに平らに近いものもあります。20年以上かけて徐々に改良してきました。ノミの裏面は真っ平らにするように教わりました。そうすることで切れ味がよくなるからです。

しかしそれではどうしてもうまくいかないのです。多くの職人は真っ平らにも刃を研いでいません。そんなレベルの話ではなく切れない刃物でなんとなくぐちゃぐちゃに加工して無理やりくっつけて終わりです。お客さんは音にしか興味が無いですから。


左から順に丸みが少なくなっています。職人が興味があるのはこんなことです。

底の面は木材の繊維に対して逆らう逆目になっているため加工はとても大変です。


継ネックには様々な手法がありますが、今回は特に弦の引っ張る力に強い構造にしました。チェロやコントラバスではこのようにすることが多いです。古い楽器では過去に継ネックがされていると好きなようにはできないことがあります。

完璧さが求められる仕事ですが、不完全で無理やり接着すると、ペグボックスが割れたり、変形したり、外れて来たりします。
それでも音には影響はないかもしれません。ユーザーは音にしか興味がないので完全な接着を行った継ネックで結果的に音が好みではなくなってしまった場合には「下手な職人だ」と思うでしょう。
音が変化するなら前のほうが良かったということもあるかもしれません。現実には元に戻すことはできません。
何十年先を見越してネックの角度を決めます。それも最適ではないかもしれません、数年おきに修理をしなくてもいいようにするためです。

それに対して、継ネックが外れて来ればいくら音が良くてももう一度修理が必要になります。

楽器を売る場合そのような不具合が見つかったり、接着面に隙間があり汚いと修理されていないとみなします。


まだまだ余分な材料が大量にあります。

ネックを合わせるのも至難の業ですが、ネックを加工するのも膨大な労力を必要とする仕事です。

現代の産業なら数十年経ったものは修理などせず、使い捨てにしていることでしょう。

ヘッド部分は個性的でヴィオラ・ダ・ガンバのような雰囲気もあります。スタンダードなストラドモデルではなく何か変わったものを作ろうと考えたのでしょうか?イタリアの職人でもここまで変わったものを作ることは少ないでしょう。値段が高ければ個性的、安ければ邪道とみなされるのです。
この時ただネックを継ぎ足せばいいのではなくあらゆる方向の傾きを考慮しなくてはいけません。

これで音がどうなるかはわかりませんが、正確に仕事をするため、多くの労力を必要とします。

指板がまっすぐに来るように位置を決めると右の方に寄ってしまいました。
これだとネックの端が1~2mm足りなくなってしまいました。後で継ぎ足します。
安価な楽器なのでそのあたりは大雑把です。
しかし安価な楽器だからと言って許されないポイントもあります。接着面が完全についていないといけませんし、最終的にネックの長さが正しくないと音程に影響します。取り付けの角度もそうですが、ネック自体も持った時に違和感があってはいけません。根元の加工が不十分であれば高いポジションが届きにくくなります。
木材の繊維の向きもオリジナルと合わせなければいけません。

それくらい気を使っていますが、音については「全体的にパワーが増すだろう」くらいしかわかりません。


新しい木材とオリジナルの部分との接着面に隙間があってはいけません。
ぴったりくっついています。
外から見える所だけくっついていれば良いというわけではありません、中もちゃんと接着されていれば一つの木材と同じ強度になりますが、もし隙間があれば半分の厚みの木材の強度しかありません。

特に開きやすいのは底面です。ここが開いている楽器が時々あります。それは修理されていないのと同じです。


つまり弦楽器というのは、使っているうちにネックが弦に引っ張られ下がっていき、元気よく音が出なくなっていきます。限界に達したら今回のような修理が必要になります。その時修理が不完全だともう一度修理が必要になるかもしれません。

中古品や古い楽器では多くの楽器でネックの下がりを抱えています。演奏者同士で売り買いする場合には楽器が健康な状態にないかもしれません。日本の弦楽器店でも技能が身についている職人を雇っているお店は多くはないでしょう。それも新作楽器を売りたがる理由の一つです、


弾かなくなった弦楽器を売りたいと持ってきたときに、我々はこれを調べます。安価な量産品ならその時点で買い取りません。新品を仕入れたほうが仕事が少なくて済むからです。余計な人員を雇う余裕はありません。

見た目には何も壊れていないように見えても、買い取ることはできません。
持ち主は「先生に音が良いと言われました」と言うことがあります、しかし別の先生はどう言うかわかりません。

このように客観性が無いため音で値段は決めません。だから値段と音は関係ないのです。

私が20年くらい前に修理したモダンヴァイオリンがあります。これまで試奏してもらっても誰も買うことがありませんでした。名の知れた作者のものです。
音が悪いのでしょうか?

先日ヴァイオリン教授が来てたくさんのヴァイオリンを試してめぼしいものを選んで持って行きました。ヴァイオリン探しを頼まれているのでしょう。
その中で一番気に入ったのがそのヴァイオリンです。20年間だれにも選ばれなかったのに教授が絶賛です。

音というのはそれくらいのものです。意見が分かれるので値段を音で決めることはできません。


今年の初めにはマティアス・ホルンシュタイナーの修理の様子をお伝えしました、これもその教授の持ち物で誰かに販売するのかなと思っていました。もしかしたら読者の人にもチャンスがあるかと思っていましたが、本人が自分の楽器として使っているようです。かつてG・B・ロジェッリやヤコブ・シュタイナーを使っていた人なのでオールド楽器を難なく弾きこなせます。現在シュタイナーは使わずに売りに出していますから、ホルンシュタイナーの音はそれら以上ということですね。

それに対して今回選ばれたのは板の厚いモダンヴァイオリンですから、何が教授に評価されるのかさっぱりわかりません。

私は楽器に評価を下しているわけではありません、試す前から毛嫌いしなければ意外と悪くないかもしれませんよと紹介しているだけです。この世にそんなものあるという知識です。


私が当ブログで言っていることは、巷で言われていることや、師匠や先輩に教わったことが実際の楽器の音では全く当てにならないと気づいたくらいです。弦楽器の世界の知識は皆さんが期待するよりはるかに幼稚なのです。


ですから、ウンチクを知らなければ知らないほど楽器選びでは有利だということです。それ以上のことは分かりません。

専門家なら何でも知っている方が格好良く、分からないことがあるのは格好悪いですね。テレビやYoutubeのコメンテーターや評論家はあたかも何でも知っているかのような顔で人前に出てます。人々にそれが求められているからそんな役を演じているのです。そんなことをしたくないまともな学者や教授はテレビなんて出てきません。

でも格好つけずに恥を忍んで分からないと言っているのです。

継ネックでは膨大な作業が必要になり、費用も大きいです。しかし音については「元気よくなるかも」くらいしかわかりません。

ユーザーが知りたいと思っているようなことは私たちには雲の上の話です。現実は木を削って接着や寸法がぴったり合うように加工することで精一杯です。疲れ果てて週末を迎えています。
それすらコスト削減のためにぐちゃぐちゃに作られ、でたらめな修理が行われてきた楽器がほとんどです。
普段の暮らしの中でも中国製品が多く入ってきていることでしょう。余りの粗悪品に驚くことがありますが、イタリア製であろうとフランス製であろうとドイツ製であろうと弦楽器のほとんどがそうです。

また別の例えではお医者さんは足が悪くて歩けない患者を診ているのに対して、ユーザーが知りたいことは世界一のアスリートについてです。

我々の見ている視点が低すぎて想像もできないでしょう。

弦楽器の9割に偽造ラベルが貼られている業界なのに、業界の知識を信用することがいかに危険かということです。



私の楽器作りは、完全に趣味とまでは言いませんが特殊なものです。私が作るよりも値段が安くて音が良い楽器がたくさんあると紹介しています。謙遜しているのではなく単なる事実です。
そのため年に一本くらい作るだけです、

一つの課題はアンティーク塗装です。
アンティーク塗装は古くから行われ、19世紀にはフランスで行われていましたが、イギリスではそれよりも前から行われていたかもしれません。イギリスの楽器でアンティーク塗装がされていれば「イギリスらしいね」と思います。
生産国であれば新品をガンガン作って輸出します。それに対してイギリスは消費国です、主に輸入していました。ミッテンバルトのオールド楽器も輸入されていましたし、未完成の半加工品を買ってイギリスで仕上げたりもしていたようです。ドイツの影響が強い時代やフランスの影響が強い時代などイギリスの楽器に統一性は無いでしょう。

買う側として商品を愛でるのがイギリスのスタイルでしょう。このように商人が大げさなことを言って尾ひれがついたのが現代の弦楽器市場です。英語くらいしかわからないとそのような情報がイギリスやアメリカから入ってくるわけです。
一方ドイツやイタリアで学んだ職人たちは製造者側の狭い知識を伝えました。


アンティーク塗装は趣味としても歴史のあるものですが、不自然でわざとらしいものが多いです。
私はそれが気になって許せません。
それならアンティーク塗装ではなく新品として作ったほうがましです。アンティーク塗装を嫌う職人がいますが、私もその一人です。
私が特別神経質であって、他の人は職人でも気にならないのでしょう。

例えばオレンジの新品のようなニスの楽器に真っ黒な傷が人為的につけてあります。実際には楽器全体に汚れが付いた時に傷の中に入った汚れは取りきれないので黒くなるのです。そのため古い楽器では全体的に汚れがついていなくてはおかしいです。
年代の設定もあいまいで、オールド楽器なのに100年くらいしか経っていない様子だったりします。

最近の流行の手法はオイルニスに顔料を溶いてベタベタと塗っていく手法です。
ストラディバリはこの顔料だと嘘のうわさが伝わってきます。ニスというよりもほとんど油絵の具です。
最大の問題点はちょっと擦るとすぐに剥げて白い木が出てしまうことです。私は掃除するのはおろか触るのも嫌です。
本当のオールド楽器ではニスがはがれた後、木材がむき出しとなり長年擦られてツルツルになっています。そのような塗りたてホヤホヤの感じではありません。
工業製品として最低限の品質もありません。耐久性の無い現代アートと同じで、実際美術系の画材の知識から来ている手法かもしれません。

また大量生産品では、非常にわざとらしいアンティーク塗装がなされてきました。今回修理しているチェロでもそうです、このため私がオールドチェロと間違えることはありません。
工場のマイスターなどはもしかしたら上手なアンティーク塗装をやっていたかもしれません、しかし従業員は手法だけを教わり、微妙な色加減に無頓着で古い楽器を見た事もないかもしれません。それでどこの産地のものか一目でわかるというわけです。
一つ一つのトリックの手法自体は悪くはないのですが、頭で考えただけで古い楽器をよく観察していないのです。全体として調和していれば本物らしくリアルでなくても雰囲気よく風情があるものもあります。それがセンスの良い上等なものです。
つまり同じ手法でもものによって、センス良く風情のあるものもあれば、わざとらしくてガチャガチャして神経を逆なでるものがあります。

一方現代のハンドメイドの作者はそのような産地に伝わるトリックさえも知りません。新品の楽器に傷をつけて黒くしただけというもっと無様なものです。


さっきの流行の手法でも同じです。意味も分からず手法だけ学んで分かって気になっているのが普通です。職業というのはそういう物でしょう。絵でもイラストや漫画のように絵の描き方を学んで、対象物をよく観察する人はわずかです。動物のイラストでは解剖学的に正しくないです。野生のマダコはハチマキはしていません。

嘘臭いわざとらしいトリックや手法だけが独り歩きしたようなアンティーク塗装の楽器を作ったら私なら自分を許せません。完成度を求めると手間がかかり過ぎてただでさえ中古品の方が安くて音が良いのに物価高の現在ではビジネスにもならないでしょう。それが平気な人がほとんどでユーザーも気にしません、音さえよければ良いのです。ユーザーには全く興味の無いことに頭を使っているのです。

ですからわざとらしいアンティーク塗装でも音が良ければ実用的な楽器としては問題ありません。うちのお店でも特にそれを嫌って購入を避ける人はいません。
自分が作るのは嫌でも人が作ったものについては工業製品として考えます。リアルでなくてもセンスが良ければなお良いです。

アンティーク塗装は邪道など嫌うと音が良い楽器を見逃すことになります

値段で言うとモダン楽器の場合同じ作者のものではアンティーク塗装の楽器の方が高くなることが多く、またオールド楽器を模して作る職人の方が同時代の同じ流派の作者の中で評価が高くなることが多いです。その方が知識があると考えられるからですが・・・本当にオールド楽器を理解しているわけではありません、あくまで言葉で「ストラディバリやガルネリを研究し…」と書けるからです。

作者不明の楽器でも高めの値段が付きやすいでしょう。一つには、それに偽造ラベルを貼れば「化ける」可能性があるからでもあります。

このように何も信用できないのが弦楽器業界ですが、少なくとも業界としてアンティーク塗装は認められているということです。それを知った上でどう考えるかは個人の自由です。

音が良い楽器とそうでない楽器の違いとか、物として良いものと悪いものとの違いとか明確な基準があれば良いですね。
良いものとわかっていれば買う決断に自信が持てるからです。

商業ではそれが求められ、値段や産地、作者名など商人たちはそれに才覚を発揮しいてます。職人でも楽器をトントン叩いてどんな音がすれば良いとか、そんなのが広まっていきます。

しかし弦楽器について正しい知識を知りたいならそのようなものは机上の空論で実際とは違うものです。

自分に自信がない日本人では特にとらわれやすいものです。音を評価する基準も日本特有のものがありそうです。
残念ながら良い楽器と悪い楽器に明確な違いはありません
その人がどう思うかどうかだけです。私が言うのはコストを安くするためにどんな方法で作られたかということです。

一週間で仕事の進展は以下です。





人為的にひっかき傷などはつけていないのに古びた感じが醸し出されて来たでしょう。それが私はアンティーク塗装の基本の上手さだと思います。

敢えて比較写真は載せません。1週間くらいでは写真写りの差の方が大きいからです。
絶対的に見れば雰囲気が出てきていると思います。一週間で100年分は古くなったでしょうか?

方針として質問には答えないのでご了承ください。
こんにちはガリッポです。

前回のお話を整理しましょう。
ヴァイオリンの音が明るいか暗いかは他の要素に比べて特別重要なわけではありません。明るいか暗いかは全く念頭になく楽器を評価する人の方が多いでしょう。
「明るいか暗いかどっちが良いか?」と聞かれると意識することになり、こちらでは暗い方が良いと答える人が多いという話です。聞かれなければ他に優先する要素があるかもしれません。明るいとか暗いというのは音色のことで、それに対して音楽のための道具としての使いやすさなんですが、それを言葉で説明するのが難しいです。

それに対して日本では「良い音=明るい音」と語られることが多いはずです。

日本で明るい音と語られる時には、売り手が売ろうとする楽器のことを「明るい音がする」と何でもかんでも言うかもしれません。

食品のCMでは、「おいしい」と何でもかんでも言いますよね。それと同じで売ろうとしている楽器を「明るい音ですよ」と言うのです。ですから違法でも何でもありません。

私の経験では、現代の楽器、新しい楽器ほど明るい音のものが多く、古いものは暗い音がすることが多いです。

その理由は経年変化と板の厚みが大きな理由だと考えられます。
経年変化により音は暗くなっていきます。
また板の厚みによっても変わります。
同じ楽器で板を削って薄くする改造を行ってもはっきりと結果が分かります。

一方で絶対的には板の厚みがこれくらいだからどんな音になるかは言えません。

板が薄くなれば低い周波数の音が出やすくなると言えると思います。
一方ものすごく板が厚いと明るい音がそれ以上に出にくく暗い音になるかもしれません。
他にも様々な要素があり、同じ厚みで異なる職人やメーカーが作ると違う音になります。

ヴァイオリンを買う人で最も多いのは量産楽器で初心者用と考えられています。
これはコストを安くすることを最重要視して何とか楽器として成立するように作られたものです。
それに対してヴァイオリンの演奏を本気でやろうという人にはハンドメイドの高級品があります。量産品に対して絶対数は少ないものです。

20世紀以降厚めの板の厚さで作ることが広まったので新しいものでは明るい音のものが多くあります。
これを売るために「明るい音ですよ」ということができます。

それよりもよく鳴る楽器があっても「こもった音でしょ」とか板の厚みも測らずに「安易に板を薄くしたものだ」などの理屈でケチをつけることができます。

それに対して古い楽器では暗い音がします。しかし一般にオールド楽器はとても高価なので比較対象にしようとしないでしょう。

古い楽器の音を知らなければ、明るい音の新作楽器もバランスの取れたものと感じるかもしれません。また古い楽器の音が特別暗いのであって、周りの人が持っているのがみな現代の楽器であればその音が普通と感じるかもしれません。オーケストラ単位でも日本は新しいものが多く、ヨーロッパでは古いものが多いです。映像を見ただけでも分かります。

最近の回の話ではG.B.グランチーノは特に暗い音がして、ミッテンヴァルトのクロッツ家のヴァイオリンはそれに対して明るい感じがしました。それとて、オールド楽器の中ではということでした。新作楽器の中では暗い方でしょう。これも同じくらいの値段のイタリアの20世紀の楽器と比べて「こもった音」だとケチをつけることができます。「ほら、イタリアの楽器の方が音が明るいでしょ?」と、しかしもっともっと暗い音のグランチーノのようなオールドになると値段が違うので登場しません。同じくらい明るい音ではるかに安い他の国の20世紀のマスター楽器も輸入しないためこの世に存在していることが知られません。

より一般的に心理学として考えれば、音はよく分からないので楽器を買う場合にそれが良いものであると信じるために何かが必要なのでしょう。

それが値段であったり、作者名であったり、職人の肩書や人柄、個人的な付き合いもあるかもしれません。

同じ音でも値段が高い楽器だと言われると「これが良い音なのか」と思い、安い楽器だと「とるに足らない音」と感じるというわけです。
それを知っている私は、高い値段の楽器では「値段ほどの音ではない」と感じるし、安い値段の楽器なら「高価な楽器と遜色ないかそれ以上」と感じるわけです。安い楽器の方が甘い評価となり、高い楽器の方が辛い評価になります。
しかし一般的には、その逆でしょう。

そんなに差が無いのだから、どんな理由であれ自分の楽器を良い楽器だと信じて使い込んでいけば、音も出やすくなり、その楽器のコツもつかめ、知らない別の楽器よりもはるかにパフォーマンスが発揮できるでしょう。買ったら最後ニセモノかどうか疑ってはいけません。私も聞かれなければ言いません。

それにも限界があります。
それに対して音楽をより専門的にやっている人たちは道具としての使い勝手を優先するでしょう。楽器を選ぶ時には作者名も値段も見ずにただ単に弾き比べて評価しています。そうなると実際にはかなり安価な楽器を愛用する人も出てくるわけです。少なくとも同じ価格帯であればマイナーな流派ほど古いものも候補になってきます。

本格的に音楽を学ぼうという場合にはそんな人たちが主流でしょうね。

それに対して歴史的な価値や工芸品としての魅力があります。腕の良い職人によって美しく作られ、より古いものは価値が高いということになります。流派の中でも先駆者であれば人物としての重要度も高いでしょう。

このような価値が高いほど値段が高くなるはずですが、それに職人は違和感を覚えることが多いです。つまり当時安ものとして雑に作られたものや、腕が良くもなんともない職人、古くもない楽器が高価になっているとおかしいなと思います。

経済原理で名前が有名だと値段が高いというそれだけです。一方階級社会のヨーロッパでは高価なものを持つことで権威を表してきました。高価な品々を自慢することが日本では嫌われるかもしれませんが、西洋ではあきれるほど堂々としたものです。
クラシック音楽が上流階級のたしなみであるというわけです。

プロの演奏家や教育者の間でも無いとは言えません。音が良いからと量産品を使っている人はまずいません。偽造ラベルの貼られた量産品をニセモノと気付いていないことはあります。
高価な楽器を持つことで先生として説得力を持つという側面があります。「高い製品=性能が良い」ということではありません。これは日本人には理解しにくいものです。


一方日本では名工というような職人に特別リスペクトが強く誰に見せるわけでもなく名品を秘蔵する人もいるでしょう。真に尊敬するに足りる職人を求めていることでしょう。

そのような様々なニーズがあり、それに対してピントがずれた見方をしていることを指摘して来ています。

純粋な音楽家としては道具としての機能性が優れたものが良いと考えるでしょうが、楽器愛好家としては生理的に好きではない音の楽器を選ばないように、また音自体が心地良いものも楽器自体の魅力ではないかと私は紹介しています。


これは1948年に造られたヴァイオリンでボヘミアのマティアス・ハイニケの流派のもので移住したドイツで作られました。
明るい音でとてもよく鳴ります。これくらい年数が経っていると鳴りが良くなっていることが少なくありませんが、元気な音がする性格の楽器です。
本当に「明るい音=良い音」なら、この楽器がまさにそれです。

終戦直後のドイツにこんなヴァイオリンを買う余裕があったのが驚きですが、音楽をとても大事なことと考えていたのかもしれません。
もちろんぜいたくの限りを尽くして作られたものではありません。せいぜい値段は8000ユーロほどです。130万円にもなりますから高価ですが、音だけで言えば明るくよく鳴りますから東京で何倍もする楽器以上です。実際に倍くらいの値段のクレモナの新作楽器を持ってきた読者の方がいましたが、比べ物にならないくらいよく鳴ります。

実用的に楽器を考えるならはるかにましです。有名なハイニケも様々ですが音はそれ以上かもしれません。


1948年の楽器にしてはニスに損傷が少なすぎます。あまり使われていなかったのでしょうが、ニス自体も丈夫なものです。ザクセンのラッカーのような臭いはしませんが、ラッカーのようなものかもしれません。ラッカーは音が良くないと私も教わりましたが、実際に明るくよく鳴っています。

こちらではこのような楽器がたくさんあり、これより高価な新作楽器を買う意味がありません。
これまでの日本の業者は偽造ラベルを含め何からしらブランド名で気を引きそうなものばかりを選んで輸入してきました。営業マンにとって仕事がやりやすいのですが、消費者のニーズでもあります。

もちろんそのような権威が欲しい人もいることでしょう。本当に音が良い楽器が欲しい人にはミスマッチです。

前に説明した特徴でエッジが丸くなっています。明るい色のニスも作業の手間を少なくすることができます。このくらいの色なら私も1週間もいりません。

マルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンで以前修理をお伝えしたものです。完売しもう何年も使われています。

アーチはぷっくらと膨らんでいて、マルクノイキルヒェンの特徴があります。
あらためて弾いてみるとグランチーノほど暗くはありません。やはりグランチーノが特別暗いのでしょう。
私がおととし作ったピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンのように筒が響いているような感じがします。これは独特ですが、高いアーチだとみんなそうでもないようです。
フラットな楽器とは鳴り方が全く違うようです。弾きこなしにはコツがいることでしょう。

この楽器もスクロールがオリジナルでないこともあって8000ユーロくらいのものです。本当のオールドヴァイオリンが130万円位です。

粗悪品の多いマルクノイキルヒェンのものとしては丁寧に作られている方です。スクロールがオリジナルで作者が分かればもっと高いでしょう。

仕事は様々です。

痛々しいですね。自然と勝手に割れていたそうですが、何もしなくてこんな事にはならいでしょう。保険に入っているようなので修理は可能でしょう。量産楽器の割にはきれいに作られています。
保険会社と確認が必要です。

これもおなじですが、ギターは専門ではないので普通は扱いません。しかし見るからに修理代が楽器の価値を上回ります。修理はしませんが、保険を掛けてあったそうなので補償を申請するだけならうちでもできます。

ギターの問題は楽器の値段が安いので修理する職人が少ないです。
職人を志す人でもギターの方はまじめな人が少ないです。

これはちょっと古そうなチェロです。
モンタニアーナの偽造ラベルを貼れば買ってしまう人がいるかもしれませんが、マルクノイキルヒェンの量産品でしょう。フランスやドイツの近代の量産品はほとんどがストラドモデルがベースになっていますからこのようなチェロは珍しいです。モンタニアーナモデルが流行したのは20世紀の終わりでしょう。

量産品ではあるけどもオールド楽器の特徴があります。モンタニアーナモデルではなくまだマルクノイキルヒェンのオールド楽器の作風が残っていたのかもしれません。一方ニスはラッカーのアンティーク塗装で近代の量産品の感じです。作った人と塗った人が違うスタイルの不思議なチェロです。

このチェロでは「ネックの下がり」が問題です。このネックの角度に合わせると駒が低くなりすぎます。

安価な修理方法が使えません。
継ネックしか直す方法がありません。
せいぜい100万円位の価値のチェロでしょうが、新しいものを買うより継ネックしたほうが安いでしょう。もともと音が気に入っていて、万全の状態にしたいというのなら継ネックをやる価値があります。
私が見たところでは板がとても厚く、改造して普通の厚さにすればもっと良いでしょう。見た目同様オールド楽器のようになるかもしれません。さすがにそれは無理で、残念です。完璧に作られていない楽器の修理は一つ始めるときりがないです。


作っているピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンです。ニスも作業中です。
進展具合はまだ全体の1/3くらいでしょうか?アンティーク塗装ではすぐに満足してしまう職人が多いです。

私が研究して来たざっと楽器を古く見せる基本のテクニックです。下地の準備くらいのものです。

細かい所を一つ一つ描いていくのはこれからです。もっと色味にメリハリが必要です。
こんにちはガリッポです。

またまたオールド楽器です。

ラベルには1765年製のミッテンヴァルトのゲオルグ・クロッツとあります。
作風から見ても、おかしくありません。
この前のホルンシュタイナーよりもクオリティが高いので、ミッテンヴァルトでも一流の作者、つまりクロッツ家の楽器であることは十分に考えられます。
年代もちょうどあってます、クロッツ家の上の世代ではもう少し古いスタイルの特徴があります。

裏板はドイツのオールド楽器には珍しい上等なものですね。胴長が36cm以上あり幅もモダン楽器以上あります。
このような大型のオールド楽器はとても珍しいです。

現代のヴァイオリンの中に並べても小さくありません。右から二番目です。
前回話に出て来たG・B・グランチーノは小型のモデルでした。
ミドルバウツの幅が特に広く112mmを超えます。私のデザインしたもの以上でデルジェス並です。私のデザインは胴体が1㎝ほど短いので設計の難易度は高いです。

f字孔は古典的なシュタイナー風でドイツのオールド楽器らしいものです。
ストップは微妙にずれていますが、標準の195mmの位置に駒を設置することができます。

スクロールは近代のものとは全く違います。私はミッテンバルトのオールド楽器では渦巻のところはフリーハンドで作っていたのではないかと考えていますが、まさにそんな感じです。
ペグボックスの方は本に出ていたクロッツ家の楽器とそっくりです。渦巻はアドリブで形が定まっていませんが、ペグボックスの方が家系の特徴を表していますS字に大きくうねっているのはシュタイナーの特徴をさらに誇張したものでしょう。
上級品であることは仕事の丁寧さで分かります。

オールドの時代にも安価な楽器は作られました。近代的な大量生産の方法が確立しておらず、単に雑に作られました。ドイツで作られたものでは本当のオールド楽器でも修理代よりも価値が低く売り物にならないものが多くあります。

イタリアのオールド楽器にも雑に作られたものが多くあるのは同じ理由です。
つまり同じような品質のものがイタリアのものなら数千万円から1億円以上、ドイツのものなら価値はゼロというわけです。私はそのようなものを金額にビビって巨匠だの天才だのと考えることはしません。弦楽器とはそういうものではないのです。不器用な人がはじめて作っても音が良いものはできます。値段は経済上の理由にすぎません。

もしこれがゲオルグ・クロッツのものなら3万5000ユーロ、空前の円安で割高になっていて600万円ほどです。

アーチはそれほど高くありません。すでにモダン化が始まっています。ミッテンバルトではストラドモデルに切り替わるのではなく、伝統を残しつつ、モダン楽器のような構造に変化していました。

さらに驚いたのは、板の厚みが厚めだったことです。20世紀のような厚さです。

従ってもはや「シュタイナーモデル」とは言えません。ドイツのオールド楽器のイメージを覆すものです。

アーチは低めでドイツのオールド楽器の特徴である四角い台地状にはなっていません。

アーチは低めでなだらかではありますが、ミドルバウツの溝から大きくえぐれています。
単なる平らな板のモダン楽器とは違います。
鉄板でもまっ平らな板よりも波打ったものの方が強度が高いでしょう。つまり高さそのものが問題ではなく波状になっていることで板の強度に影響があるかもしれません。

ミッテンバルトや南ドイツの特徴で横板の下が一枚で続いていることです。この楽器では修理のために切られているようです。

ペグボックスの上端に刻みがあります。これも流派の特徴です。しかしきれいに残っていないことが多いです。

モダン楽器のような大型のモデルで現代のような板の厚さのオールド楽器があることも珍しいですが、それが260年経ってどんな音になっているかも興味深いです。


グランチーノのイメージが残っているまま試して弾いてみると、オールド楽器にしては明るい音で鳴りも良いです。すごく柔らかいわけではなく鋭めの音もします。

間違いなくイタリアのグランチーノよりも明るい音がします。ドイツの楽器が暗い音がすると言ったのは誰でしょうか?
単なるイメージで実際とは違います。

まあ人間の世の中はイメージがすべてで、選挙でもスキャンダルでもほとんどイメージの話ばかりです。

イタリアの楽器が明るい音でドイツの楽器が暗い音というのは事実ではありません。一方、暗い音の方が好まれる話しは前回しました。ウィーン出身のコンサートマスターによれば当然暗い音が良いに決まっているという具合です。
そうなると、グランチーノの方が暗い音がするので良いということになります。巷で語られてきたウンチクは全くデタラメです。二つの嘘でこの二つの楽器では一周回ってイタリアの楽器が良いということになります。

これが5~600万円ということはモダン楽器の価格帯ですが、性能でも競合します。
つまり味わいや暖かみのために性能も犠牲にはなっていないのです。それが5~600万円ですから。
その予算ではイタリアのものなら鳴りが良くなっているだけの「中古品」くらいしか買えません。

グランチーノはとても小さなモデルでロマン派のソロ曲を得意とするものではありません。それに対してこれは「室内楽用」と言われる窮屈さはなく、豊かに響く音は多くの人に好まれる優等生的なものでしょう。
一方で同じような厚みの20世紀の楽器に比べれば底の深さが感じられます。単に明るい一辺倒ではありません。小型のグランチーノでも柔軟性はありサイズの割には窮屈ではなく厚い板でカチコチの新作楽器以下ということはありません。

渋い趣味というよりも、正統派の楽器として使えることでしょう。
朗々と豊かに響く日本人向きの音です。

こんなドイツのオールド楽器があるとしても、いつも売っているわけではありません。店頭には無く、すでに持ち主がいるものです。


弦はサバレス社のコレルリ・アリアンス・ヴィヴァーチェが張られています。
この弦は登場してからだいぶなりますが、それほど高くなく優れた弦の一つです。
しかし品質には不安があります。
同じ時に仕入れたG線が次々と切れてしまったことがあります。自分の楽器に張っていて展示会に持って行ってケースを開けたら切れていました。展示会に来ていたサバレスの副社長に訴えるとその場で代わりの弦をくれ、さらに新しい弦のセットを送ってくれました。
私が求めているのはそんなことではなく安定した品質です。

サバレスの幹部に会うことがあれば新しいものをくれるかもしれませんが、そんな機会はないでしょう。
不良品ならお店が交換してくれるはずです。交換が容易なお店で買うことをお勧めします。今回のユーザーでは特に問題はないようです。

そういう意味でもガット弦に近いです。


古くなると、板の厚みが関係ないくらいに経年変化するのかなと私は考えていました。オールド楽器の状態は様々でそのようなケースも実際にはあるでしょう。今回のものは厚い板の特徴が感じられました。それだけ状態が良いとも言えます。
ただ何かの偶然でたまたま明るめの音になっているだけかもしれません。まだ断言するには至りません。


そうなれば260年経っても基本的な性格は変わらないとも言えます。つまり古さだけがすべてなのではなく、やはり楽器の性質は作者が作るものなのでしょう。もし音の性格が気にいらない新作楽器なら生きているうちには何ともならないということです。鳴りが弱いのは改善の余地があります。

だからこそ、いつも言っているように評判などではなく自分で音を試して買うべきだということに尽きます。


f字孔やスクロールの形やニスの色には南ドイツのオールド楽器の特徴があります。しかし私が見た感じではグランチーノなどイタリアのオールド楽器と共通点が感じられます。
それは具体的なことではなく、骨格的なものです。生物を表面で見るのではなく骨を見るような本質を見抜く感じです。

グランチーノと現代のクレモナの楽器とはまるで似ていないことは分かる人には分かるでしょう。音についても偏見を持たずに試してみてください。全く違うのに「イタリアの音」と言えるでしょうか?地名で言えばミラノとクレモナは近いですが、楽器の音と骨格はオールドのミッテンバルトの方が似ていると私は思います。商業では言葉のレベルでお金が動いていますが。一方現代のクレモナと現代のミッテンバルトの方が見た目も音も似ていると思います。

それが分かるようになってきたのが最近ですね。構造を頭の中でイメージすると見えてくるのです。

またなぜ厚い板の楽器が作られたのかも謎です。
しかし職人をやっていれば誰でも厚めの板の楽器を作りたくなるものです。
ウィーン出身の音楽家が暗い音が良いと言っているのに、明るい音の楽器を同じ南ドイツの職人が作ってしまいました。ヴァイオリン職人というのは人々の好みに合わせて音を作ろうという考え方ではないのです。
それは20世紀のドイツの職人でも同じです、暗い音が求められているのに理屈を言って明るい音の楽器を作っています。古い楽器ばかりが求められる要因の一つでしょう。

窓の外を見ると石の影に動物がくっついています。小型犬にしては様子がおかしいと思ってよく見ると猫です。
犬に比べると猫を見かけることはとても少ないです。
こんにちはガリッポです。

まずはヴァイオリン弦の新製品から

エヴァピラッチ・ネオです。

エヴァピラッチを張ったG・B・グランチーノに張り替えることになりました。
張り替える前と後で音の違いがどうかというわけです。

エヴァピラッチは見た目はきれいで傷んでいる様子はなく数か月か使ったものでしょうか?
エヴァピラッチの方が柔らかく明るい響きが多く丸い感じがしました。ネオの方が澄んで引き締まった音のようです。しかし、一方は古い弦で条件が同じではありません、新しいか古いかの違いかもしれません。
全く違うキャラクターではありません。単に新製品に有名な製品の名前を付けただけでなく、関連性が感じられます。

見た目も似ていて下がオリジナルのエヴァピラッチです。ネオの方が青いです。

極限の性能は私にはわかりませんが、音色に明らかな違いは分かりませんでした。
いつもエヴァピラッチを使っている人なら、その差がもっとわかるでしょうし、別の弦でも絶対的なキャラクターが分かるでしょう。
どなたか試したかがいたら教えてください。

そもそもグランチーノはとても暗い音で、南ドイツのオールド楽器とも似たような音です。私の記憶にあるもっとも暗い音のヴァイオリンは同じミラノのテストーレでした。

したがってどちらの弦でもとても暗い音がしました。個性的な楽器の音の特徴のほうが強く感じられました。自分の楽器で試してみないといけません。試してみようかと思うくらいの感触はあります。

2日経過した後、もう一度弾いてみると楽器全体が良く共鳴するようになっていました。音量と鋭敏さが増し柔らかいオールド楽器のイメージとは違う音です。
本当は新品の旧エヴァが2日後どうなのか比較しないと分かりません。

私が選んだ弦はお客さんに好きじゃないと言われることがよくあります。人によって好みが違うのでどれを張っても間違いになってしまいます。

次はラーセンの新製品です。
イル・カノーネのシルバーというものが出ました。
その前に発売されたゴールドはとても高価なものでこちらの定価で77,000円ほど、日本でも55,000円となっています。
シルバーは他のメーカーの高級弦と同等でしょう。
E線は二種類あり、2本同封されていてセットは弦が5本入りです。10ユーロくらいだとするとその分お得です。

これをガリアーノのラベルがついたプロのオケ演奏者の楽器に張り替えました。とても高いアーチですが、私にはナポリのオールド楽器とはちょっと違うように見えますし、新しくも見えます。それでも高いアーチで100年くらいは経っているでしょう。韓国出身の人でそのようなあやしい楽器がアジアでは出回りやすいのでしょうね。

それまで使っていたのはトマスティクのビジョンでした。高いアーチらしい枯れた味のある音がしていました。
イル・カノーネのシルバーに張り替えると高いアーチの負の側面であるこじんまりした室内楽的な音から、のびのびとスケールの大きなソリスト的な音になりました。しなやかさがあり荒々しい鋭い音では全くありません。

ラーセン社のイルカノーネシリーズのチャートでも性能が最大となっています。

ヴァイオリンの弦では近頃は、楽器や演奏者との相性くらいで、全面的に進歩しているというほどではありませんでしたが、この弦なら進歩したと言えるかもしれません。

チェロの弦ではラーセンのイル・カノーネはスチール弦の耳障りな音が減るとともに鳴りも良くなって全面的に進歩していると感じましたが、それに近いですね。
ただし音色は明るく、味わい深さや暖かみは減りました。明るい音が好きな人、パフォーマンス重視の人や楽器自体が室内楽的で濃い味のある場合には有効でしょう。

うちの師匠はお客さんが弦選びに困っていると「明るい音と暗い音のどっちが良いですか?」と聞きます。その場にいてそれを聞いていたいつものコンサートマスターは「そうやって聞かれたら誰もが暗い音を良いと言うんじゃないですか?」と言っていました。
出身地はオーストリアのウィーンです。

日本で全く逆のことが言われているとは想像もできないようです。

このように音について、世界的な評価なんてしようがありません。楽器の値段は単に知名度です。

楽器製作では同じ作者が違う音の楽器を作るのが難しいと話していますが、弦も基本的にメーカーごとに特色があって、最近のヴァイオリン弦は定番のものに対してさらに好みによって細分化しているように思います。
トマスティクならドミナントに対して楽器や演奏スタイル、好みにより合う銘柄を詰めていく感じです。

チェロのスチール弦はかなりはっきりしています。
ラーセンは繊細で柔らかい音、トマスティクは荒々しく金属的な音、ピラストロはその中間です。
その中でも新製品が出るごとに金属的な鋭さが低減する方向に向かっています。

ヴァイオリンでもラーセンは荒々しい音ではありません。それが今回の製品ではハイパフォーマンスと言えるでしょうね。
コレルリはガット弦的な感じが一番強いと思います。

ピラストロはエヴァピラッチとオブリガートが定番として定着しています。その後もエヴァピラッチゴールドやパーペチュアルも出ていますが、楽器や演奏者に当たり外れがあるようです。聞く感想が人によって違ったり、私の印象と真逆だったりします。アマチュアから上級者まで誰でも使いやすいものでないと薦めたり売り物の楽器には張りにくいです。

それらは先にチェロ弦が出て好印象を受けていたのに対して、ヴァイオリン版は同じ銘柄とは思えないもので混乱していました。

それらに比べるとエヴァピラッチネオはチェロ用はまだ出ておらず真っ当な感じがします、今回の印象ならピラストロの弦を始めて試す人にも薦められるかもしれません、もう少し様子を見てみます。


ネックを接着しました。


ネックと裏板の突起でボタンと言われる部分を仕上げます。
持った時に違和感がないようにネックを加工するのはとても難しいものです。ネックを接着してから微調整して最終的に仕上げます。金儲けにならないくらい時間がかかってしまいました。

ボタンは安価な楽器ではきれいな丸になっていることはありません。センターも合わせ間からずれていることが多くあります。
ボタンを見ただけでも量産品ではないとわかることがあります。一方ハンドメイドでもきれいに加工されていないものは多くあります。これは師匠に指摘されないと気づかないものです。
オールド楽器では摩耗や心無い修理で原形をとどめていません。修理によって新しい木材で作り直されていることもあります。
しかしメディチ家のアマティのビオラではとてもきれいに作られている様子が分かります。

ネックがつくとヴァイオリンらしくなります。
私がデザインしたモデルですが、胴長を短めにして、幅を広くとっているのでかなり無理があります。フランスのモダン楽器のように見た目の完璧さを求めたらもっと長くなってしまいます。
デザインで個性を発揮しようという気はありません。それが職人の作るものの良さだと思います。楽器は何百年も使われるので、今の人たちの一時的な考え方にとらわれない方が良いと思います。
しかし一般的なストラドモデルに比べると丸みがあります。四角いモデルに比べるとハイポジションでも手にフィットすると思います。
四角い方が短くて幅が広いモデルが作りやすいのですから、かなり苦労して作りました。


見た目で同じように丸みのあるオールド楽器があった場合には、はるかに幅が狭いです。このように見た目の印象で個性を語るのは浅はかなのです。


これからニスをどうするか考えていきます。

これで木工のパートは終了で、塗装パートになります。
形が出来上がるときはいつもうれしいです。実際は飲みませんが心の中ではシャンペンです。それと音が出る瞬間も喜びですね。

左はピエトロ・グァルネリ型で、右が今回のものです。コーナーやパフリングの基本的な法則性は同じですがピエトロ型の方が長く特徴的です。コーナーは演奏では邪魔になるので私のデザインの方が機能的です。
パフリングはピエトロ型のものは自作したため厚みにむらがあり手作り感があります。右は市販のもので厚みが均一で白い部分がやや太いです。

アンティーク塗装では古い楽器のように見せるため、角が摩耗して丸くなったようにします。
角を丸くするのは1900年頃北イタリアやチェコのボヘミアで流行し、現在でもそのように作る人が多いです。
当時はオールド楽器の修理でも傷ついたコーナーやエッジに木材を足して成型するのではなく、やすりで削って丸くしていたようです。それを復元して修理するのは大変で現在では考えられません。
それらの産地では安く作ることが求められ、丸いエッジは雑に早く作っても精度の低さが目立たないので都合が良かったのでした。

アマティやストラディバリでは新品に近い状態のものがわずかに現存しており、作られた当初は右のように角が尖っていました。現代よりも細部に注意を払っていたことはスクロールの時にも説明しました。デルジェスでは新品同様のものを見たことがありません。
19世紀のフランスのモダン楽器でもそれを模してストラディバリモデルが作られました。フランスの楽器を見分けるポイントになりますが、それも100年以上経っていますので、完全に尖ってはいないかもしれません。
しかしきちっと作られたものが摩耗したものは、初めから丸くする前提で雑に作られたものと雰囲気が違います。
私は初めに新品の時を想像しきちっとした角を作ってから角を丸くして摩耗を再現します。

一方でフランスでもアンティーク塗装の楽器が作られました。その時に人工的に角をまるくしました。このようなアンティーク塗装の手法がごちゃごちゃになって、フルバーニッシュの新品なのに角が丸いのが20世紀の楽器です。尖った角のものはヴァイオリン製作コンクールで見られます。
フランスの楽器作りの趣向がマルクノイキルヒェンに伝わるとアンティーク塗装の方が好まれました。安価な楽器ではきちっとした角や縁を作らなくても良い丸いエッジがコスト削減に寄与したことでしょう。

これからまだ丸くすることもできるしどうするかは決まっていません。
年内に2台完成したいとは思っていますが、時間が過ぎるのは予想よりも早いものです。期限を決めてしまうとプレッシャーがかかります。
ニスを乾燥させる時間や、弦の張力を楽器にかける時間はできるだけ長い方がその後トラブルが起きにくくなるのです。

ブログのために何かをするということは難しいのでご了承ください。





こんにちはガリッポです。

オーケストラも夏休みでニスの手入れの仕事がたくさんあります。
しかしながら一般の人の多くは手入れなどほとんどしていないことでしょう。

ヴァイオリンを作っています。新作楽器では異例のアーチでもオールド楽器がの中に紛れるとそれほどアーチが高くは見えません。現代の職人の視野がいかに狭いかということです。

スクロールはアマティのモデルかと思っていましたがストラドの若い頃のモデルだったようです。しかしコピーではないので、似せようと見比べるのではなく感覚で仕上げていきました。

作業をしている時はだんだん目が慣れてきて細かな欠点が見えるようになってきます。
100点満点には程遠いと思っていても休暇で一旦目がニュートラルに戻ると十分に繊細な感じがします。





ちょっとした解説です。

ストラディバリは上の図のようになっています。

これはチェロの写真ですが面取りをしたところが黒く塗られています。
面取りは渦巻の最後まで入っています。
黒い線と溝の汚れの見分けがつきにくく、近代以降は下の図のように作ってある楽器が多くあります。
ストラディバリの方が近代の職人よりもより細かいところまで気を使っていることがわかります。
ストラディバリをよく研究したフランスの作者もわかっていることです。
近代のフランスの楽器を見分けるコツでもあります。
下の図のようになっていたらフランスの楽器としてはニセモノということになります。

これはエンリコ・ロッカです。
下の図のようになっています。
ストラディバリの細かい特徴を理解していません。
メシアのコピーで知られる父のジュゼッペ・ロッカでも怪しいものです。

同じトリノのモダン楽器でもアントニオ・グァダニーニになるとフランス人の職人が作っていたのでちゃんとストラディバリのようになっています。



胴体も組み立てて

ヴァイオリンらしくなります。

ネックの取り付けは高いアーチでは理屈の通りにならず、またネックが下がりやすいので現実的に妥協点を見つける必要があります。この楽器はそれほど高いアーチではありませんが十分に気を付けています。

ネックを加工します。

今はここまでです。



写真には上手く写りませんがアーチにはオールド楽器の特徴が見られます。

一つ一つの作業では100点満点とはいかなくても、立体になると全体的な丸みと繊細さ、意図的に作りきっている感じがあり物としてよくできてる感はあります。



新しいピラストロのヴァイオリン弦でエヴァピラッチ・ネオの話をしました。
はじめてなじみのヴァイオリン教授がうちの売り物のモダン楽器で試しました。
教授の感想は「もうちょっと弾きこむ必要がある」とのことでした。
こちらでは新しい弦は慣らしが必要と言う人が多いということを私は言っています。
それに対して日本では新しい時の音を良しとしてすぐに劣化したと言うのですから真逆ですね。
私もまだエヴァピラッチ・ネオの音の特徴はよく分かりません。
やはり響きの衣に包まれた音と言うよりは、芯がむき出しのダイレクトの音のようです。エヴァピラッチゴールドでも弓の引っ掛かりが強い感じがしますが新品の時の音なんでしょう。またオブリガートでも新品の時は柔らかな響きが少なく思います。

そんなにおかしい感じはしないので期待はあります。
また来週新たに別の楽器で試します。

他にもトマスティクやコレルリに新製品がたくさんありますが一つ一つ追うことはできません。うちはピラストロのユーザーが多いので試そうという人が出てくると思います。松脂なども質問された方がいますが、一つのものが圧倒的な評判になっていることはなく求めるものは人それぞれです。出回っているものは日本と変わりません。理屈から言えば気温が日本の方が高いのでべとつきが少ないものが良いとなります。古くなっても乾いてきます。何のきっかけで銘柄を指定しているかわかりません、すべてを試した人なんていないでしょう。そのような職業が求められているかもしれません。



こんにちはガリッポです。

今年のヨーロッパは冷夏だとお知らせしています。
私のところでは7月は30℃に達したのも5日くらいでした。

それに対してここのところ一週間は夏らしい暑さが戻ってきました。
予報によるとその後はまた30℃に満たない日が続くようです。

この一週間の熱波でヨーロッパでは山火事が発生し、ニュースでも報じられているかもしれません。1週間暑いだけなのにヨーロッパは猛暑だという印象を受けるでしょう。
およそ言葉で伝えられることは神話や言い伝えのような物語だと考えた方が良いでしょう。楽器について語られることも同じです。


バルト海に行ってきました。

日本は島国なので海なんて珍しくもありません。私の出身も海の近くですからそれを何とも思っていませんでした。
それに対してヨーロッパの人たちは海などがとても好きです。

まあまあ砂も白いです。

南の島では砂もサンゴなどの生物のカルシウムでできてるので白い砂のイメージがあります。
それに対してここの海岸は石英や長石のような鉱物の白さです。花崗岩の石もよく見ました。50cmはある大きな石が角が取れて丸くなっています。これは氷河と地面の間に挟まって運ばれる過程でこすれて丸くなったものです。スカンジナビア山脈から離れるほど石が小さくなっていくそうです。

北の海も青く見えます。川が注いで栄養が豊富な方が水は濁り植物プランクトンが多く緑色になることでしょう。

日本なら漁船や釣り船を見る所ですが、ヨットというのが西洋ですね。

この日の最高気温は19℃で8月10日でしたから涼しいですね。日向でも過ごせるくらいです。

それにしてものどかな所です、これだけの好条件で真夏の日曜日に海岸は混雑することもなく人もまばらでした。

多くの人たちは、夏には自分の住んでいる所よりもさらに暑いところに行きます。地中海や東南アジアなどはヨーロッパの人たちでにぎわっていることでしょう。

ルネサンスのお城もあります。要塞のような軍事的な建物ではないですね。

こんな穴場にわざわざ日本から来る人はいないでしょう。アジア人は見かけませんでした。

港の方ではヨットがたくさんあります。
この辺りは自動車で言うとクラシックカーのようなもので、古い木造のヨットを修理して保存してるようです。

私は修理の仕事が大変そうだなとそればかり思います。

伝統的な建物は小さくてかわいらしいものです。ドアも小さく現代の平均的な北ヨーロッパ人なら頭がぶつからないか気を付けないといけません。
屋根には滑車がついていて、屋根裏の物置に船の道具などを収納したようです。



バルト海沿岸の諸国は貿易などが盛んで文化に類似性が見られます。一方北欧は物価がべらぼうに高いものです。ここはリゾート地ではなく地方都市で物価もそれほど高くなくホテルも労働者が工事の期間泊るような6700円ほどの所に泊まりました。観光客は溢れるほどではありません。安価に北欧の雰囲気を楽しむことができました。

こんなにかわいらしい港町はなかなか訪れる機会はないでしょう。ヨーロッパでも港や沿岸の都市はありますがもっと大都市です。
ただこれ私は長くヨーロッパに住んでいるので違いが判るのであって、日本から見ればどこもステキに見えるのかもしれません。海が無いだけで私の住んでる町も同じようなものです。

普通のSNSみたいな内容になりました。
いつもは仕事のことを書いていますが、
インスタグラムなんてやっていたらネタを集めるのに毎日大変ですね。
世の中は事実よりも虚飾の方に向かっているようです。

ヨーロッパに住んでいると日本にいる人からは楽しいことして遊んでばかりいるように思われます。
苦労話もちゃんと伝えていきたいと思います。
こんにちはガリッポです。

ヴァイオリンの製造では設計の寸法を入れ替えることで自由自在に音を作り分けることができないと説明してきました。
寸法を変えても何がどうなるか予測ができないからです。
それに対して「机上の空論」と私が呼んでいる「音が良くなる秘密」が国境を越えて信じられています。地域による違いよりも時代による違いの方が大きいです。

これは具体的な音の特徴が説明されません。これでは好みに応じて自由自在に希望する音を作るために役に立ちません。

現代のセオリーに従って作られたヴァイオリンの音もなぜか様々でみな違います。
何が良い音かは人ぞれぞれなので間違った迷信とも言えません。
机上の空論の通りに作られていてもイメージと違う音のものもありますし、演奏者に高く評価されることもあります。

職人は人ぞれぞれ様々な自論があり音についても何のことを言っているのか、本当なのか嘘なのかわかりません。思い込みが激しい職人も典型です。

そういうものだということを知ってもらいたいです。現実的な対処法としては自分で実際に楽器を試して音を評価することです。

お店にヴァイオリンを買おうとお客さんが来ます。「ヴァイオリンは皆音が違うので試奏して気に入ったものを選んでください」と説明とすると普通なら1分で理解することです。これが分かるだけで当ブログを読む価値がありますし、分かれば卒業していただいて構いません。
これがマニアやコレクターになると理解できません。
ある楽器マニアのプロのヴァイオリン奏者は定年間近になって「値段と音は関係ないんだ」と力説していました。演奏者人生を費やしてようやくわかったことのようですが、はじめに私たちの説明を聞いていれば1分でわかったことです。

音が良いと作者が評判になり珍重され値段が高くなっているはずだという先入観があります。同じ作者でも音は違います、同じ音の楽器は二つとありません。近年の値上がりは異常で完全にデタラメです。
時代が新しくなるほど技術が進歩するという思い込みも的外れです。
意図的に音を作れないので国や文化の影響を受けません。
10~20本並べてヴァイオリンを弾き比べれば言葉で表せないくらい微妙な音の違いがあります。メーカー名や生産国で分類するほど音は単純ではないと実感できるでしょう。
音が気に入ったヴァイオリンであれば、いつどこで誰がどのように製造したものでも構わないのです。


それに対して私は外見から姿かたちの違うヴァイオリンを作ってみました。たちまち私が教わって作っていたヴァイオリンと違う音のものができました。

古い楽器のようなものを作ると、音も似てくるということが分かりました。何がどう作用してそのような音になっているかはわかりません。
唯一分かるのが板の厚さです。それも大雑把に厚めか薄めかという話です。

音だけを作るということはできず姿かたちを作ることで音もできていくのです。実際に行う作業は木材の加工です。


ニスについては塗ることがとても難しいため、作業性の良さが一番大事なことです。
白い木に色のついたニスを塗るため、厚みにわずかな差があると色ムラができます。色ムラができるとたいへん汚らしく見えます。まるでDIYの家具のようです。
柔らかすぎると研磨などの作業も難しく、指紋やケースの跡がついたり汚れが付着しやすくなります。硬すぎるとガラスのようにパリパリと割れてしまいます。厚みが薄いとこすったりクリーニングするだけですぐに剥げてしまいます。
売り物になる程度の色や質になっていないといけません。
音はニスによって違いますが、何が良いとか悪いとかではなく本体との相性や使う人の好みの問題となります。
①作業性②耐久性③見た目④音
くらいのものです。
なぜ音を第一に考えないのでしょうか?
商品を製造する責任があるからです。
膨大なコストをかけても音は好みの問題でしかありません。

あなたが手にして音に感動したヴァイオリンがあったとしても、他の人が試すと気にも留められないかもしれないのです。先生やプロの演奏者同士でも同じことです。

我々が良い楽器というのは商品として責任を持てるかどうかということです。
それを紹介してきました。

お客様が神様でお客様が望むものが良いものだというのなら、高すぎる期待に嘘で応えることが「消費者主権」ということもできます。ビジネスとしても成功するでしょう。
しかし私も嘘を作るために仕事をすることは人生が台無しになります。弦楽器が期待からかけ離れたものであることを知ることがその価値を知るための始まりです。
興味があってより知りたいというのなら、嘘を排除することが劇的な進歩と言えるでしょう。


一方で、現代の人たちが知らない文化でもあります。
夏休みを取って出かけようと思っていますが、ルネサンスの時代に建てられたお城に行けるかもしれません。ヴァイオリンも同じような時代に成立しました。現代人の発想では理解できない価値観があります。我々の倫理や道徳も通用しません。

必須ではありませんが自分たちの知らない世界があって、それを理解することでより価値が分かるというものです。音楽についても全く同じことでしょう。


前回はここまででした。

現在の量産品ではヘッド部分は機械で作られています。私が納得するクオリティのものはありません。量産品か見分けるポイントです。
1980年代くらいまではネックだけを専門に作るうずまき職人がいました。彼らはうずまきになっていれば良いと形などにはこだわりがありませんでした。そればかり作る仕事をしているので設計図が無くてもフリーハンドで作れたほどです。
それでもランクに差があり、安価な量産品からマイスター級の楽器につけられたものまであります。上級品は下手なヴァイオリン職人よりもはるかにきれいに作られています。

スクロールの部分で音を作ることはできません。測定すればすべての部分が振動しており、スクロールも例外ではありません。しかし形や彫り方を加減することで希望の音を作り出すことはできません。何をすればどんな音になるかはわからないからです。

それに対してペグボックスは極めて重要です。弦を巻き取り調弦をする役割があるからです。流派の特徴はうずまきではなくペグボックスの方に強く表れます。

うずまきは様々な工芸品や建築物の装飾に施されています。ヴァイオリンほど正確に作られていることはありません。同様にヴァイオリンもフリーハンドで設計図もなく作ってもおかしさに気付く人は少ないでしょう。

ミッテンバルトなどの南ドイツのオールドヴァイオリンでは同じ作者でもスクロールの形がかなり違います。どうも設計図のようなものは無くフリーハンドで作っていたようです。一方で高級品では仕上げが丁寧に行われ、当時の安物と区別することができます。
設計図もなく作るというのは今のドイツ工業技術のイメージとは違います。

イタリアの作者でも当時安ものとして作られていたものは同じようなものです、ただ単に渦巻になっていれば良いというくらいです。

それに対してアマティやストラディバリは作図による設計図があったようです。渦巻は数学的には等角曲線というものですが、数学的に作図すると弦楽器のものとは少し違います。

そこまで理論的ではなくてもアマティやストラディバリはコンパスなどを使って作図する方法があったのではないかと思います。アマティは楽器編成が成立する以前に音域ごとに異なる大きさの弦楽器を設計しました。拡大や縮小を簡単にするために必要だったはずです。

これらは単に幾何学的に設計されただけでなく、人間の視覚に心地良さを与える、つまり美しさを考慮したと思われます。ドイツの場合には仕上げの質だけを重んじたのに対し、形のバランスによる美しさを重視しています。

このような話をするとイタリアの楽器がエレガントでドイツの楽器が野暮だということになりますが、イタリアの楽器でもその多くは単に雑に作られていておよそ美しさに気を使っているレベルにはありません。そうなると丁寧な分だけドイツの楽器の方がマシということになります。

スクロールに限らずストラディバリが特に優れている点は、目に心地良いバランスを生み出していることです。アマティは丸みに強いこだわりがあるのに対し、ストラディバリはより自然になっています。
それが名器として珍重された所以でもあります。近代になると最高のヴァイオリンと考えられ「ストラディバリ=美しい」と擦り込まれてしまいました。なのでそのせいで美しいと感じてしまうのかもしれません。

その自然な造形は音にも少なからず影響があるかもしれません。

作図による設計図があったにしても、それはあくまで目安であり、アマティやストラディバリも設計と寸分たがわぬものを作ろうというものではなかったでしょう。
もし設計図から型を起こして型の通り完璧に作ったとしても、設計図や型が美しくなければ美しいスクロールはできません。設計図や型を作るほうが難しくなってしまいます。完璧な型を作るのが面倒なのでぶっつけ本番で形を作ってしまえとなってしまいます。

うずまきの2週目以降は型を切り抜かないで、小さな穴をあけて目打ちで印をつけるのが一般的です。彫り進んでいく途中で切り取ってしまうので印が無くなってしまいます。そうなると分からなくなってしまいます。

そんなこともあってストラディバリくらいになると設計図に完全に忠実というよりは見た目の感覚だけで仕上げていったのでしょう。このときストラディバリの目の癖があり完璧な調和から外れて特徴が現れることがあります。しかしトレードマークにするために特徴を持たせたわけではないのですべてが同じようになっているわけではありません。息子たちが作ったかもしれません。ストラディバリの癖が強く出ている「らしい」と思えるものもあれば、近代のストラディバリモデルの量産品と変わらないようなものもあります。

ストラディバリでもできに差があるスクロールですが、私が作る場合ハズレ個体を作るわけにはいきません。設計に対して正確に加工することが安定した品質のものを作る近道です。

オールド楽器のコピーを作る場合にも悩ましいものです。写真などを元に型を起こします。カメラの角度やレンズの種類によっても微妙に変わってしまうのでどんな写真でも型を起こせるというわけではありません。
うずまきの溝のには汚れがたまり、真っ黒で溝なのか縁なのかわからない所もあります。よくよく観察する必要があります。
オールド楽器では使い込まれたことで摩耗しています。摩耗したままで型を作ると形がおかしなものになります。
私は作られた当初の形を予想して復元し、その通りに作ってから摩耗を再現します。新品ですでに傷んでいると寿命が短くなるのでオリジナルよりは摩耗の度合いが少なくなるようにしていますが古い楽器の雰囲気は出るようにするのです。
この時も型に正確にするだけだとノミの加減一つで形が変わってしまいます。写真を見比べながら視覚的に形を調整します。
またスクロールの片側で型を起こすと反対側は合わなくなってしまいます。オールド楽器では左右が完璧に対称に作られていないからです。
デルジェスくらい違いが大きければ右と左の両方の型を作ります。
より正確な作者や片方しか写真が無いとなると左右反転させるしかありません。少し大きめに削っておいて後で微調整するのです。
スクロールも右側(A線、E線)のほうが痛みが激しいので左側で型を起こすほうがベターです。右側が損傷しているのは机などに押し付けて調弦を行ったためです。
チェロの方がダメージが少ないです。

そんなことで美しい型に正確に加工すれば美しいスクロールができるはずです。しかし実際には微妙な誤差が出て形が美しく見えないかもしれません。型を作る時に誤差が出ます、そもそもの設計自体がおかしいかもしれません。

そこで少し大きめにしておいて視覚で微調整して美しく見えるように整えれば良いというわけです。ストラディバリがしたようにです。
ただし大きめにすると誤差が大きく歪みも大きく整える量も多くなります。
視覚的に整えるのは時間がかかってしまいます。完璧な型に忠実に加工する方が美しいかもしれません。

視覚的に見て形を調整するということはその人の目の癖が出ます。不思議なことに左側はきれいに見えても、右側はアンバランスに見えるものがほとんどです。

いずれにしても私が作っているものは機械ではなく手作業で作っていることを保証します。





一週間かかってもここまででした。これじゃ渦巻だけで50万円以上になってしまいます。ヨーロッパの物価はそんなものです。お客さんに買える値段と考えると設計図などは関係なく渦巻になっていれば良いと作らなければいけません。過去にはそうやって作られたものが多いのはそのためです。

私にとって最大の不満点は全力で楽器を作ることが許されないことです。職業人として楽器を作るならば、お客さんは違いが判らないので渦巻になっていればそれで良いと心を捨てなければいけません。

楽器製作全般がそうです。
お客さんは音しか興味がないのでそれ以外は雑に作ることが消費者の望みに忠実ということになります。手抜きで楽をしたい人が適しています。

このため職人のこだわりが無い人ほど職人に向いているということになります。口が上手ければもっと良いですね。こだわっているように口で言えば信じさせることができます。「私は見た目はどうでもよく音を重視しています」と口で言えば正論ですよね。選挙などでも人は口で言っていることで判断するようです。お金持ちをパーティに招待して専門家の顔をして自信満々にそれっぽくふるまうことが西洋では成功する秘訣です。パーティの参加者はアマティやストラディバリの領域に誰も達してはいませんから。


木工造形の才能が無い人ほど職人に向いていると思います。特にチェロになると細かいことが気にならない人が天才ということになります。


私は凝り性でこだわりが強い性格なので消費者の求めるものは作りません。他に消費者の求める良い楽器がたくさんありますので他のものを買ってください。私はわずかな数でも納得いくものを作りたいと思います。

次回は夏休みで休みます。
今年はヨーロッパは記録的な冷夏です。
猛暑はニュースになっても冷夏は報じられないことでしょう。農業などが心配されます。
6月に35℃近い気温が5日続き室温も29℃くらいまで上がっていました。
7月中旬からは雨が多く25度に達しない日も多くあります。今の室温は23℃です。
半世紀も前はそれくらいの気温が普通だったかもしれません。建物が暑さを考慮しておらず夏はとても暑くなります。エアコンなどは街中ほとんどありません。家からエアコンのある施設に涼みに行くこともできません。新築中の建物を見てもいまだにレンガ造りで暑そうです。

25年ほど前に初めて住んだ年も6月が一番暑く驚いたものですが、通常は8月上旬が一番暑くなります。下旬には朝晩が少し涼しくなります。9月には氷点下になる年もあって驚きました。

少しでも涼しいところに行こうと旅行の計画を立てましたが、20~25℃くらいの予想がされています。

また夏休みがあけたら活動を再開します。























こんにちはガリッポです。


板の厚みを出してバスバーを取り付けます。

f字孔の穴の位置にピッタリにバスバーが来ています。
前回の話です。


板の厚みについては様々な考え方があります。流派の特徴にもなっています。
オールドの時代にはメートル法も確立されておらず、正確な測定器具も無かったと思われます。厚みにはばらつきがあり不規則なものでした。
それを20世紀に入ると何かしらの規則性を考えてその通り加工できるように教育されました。それを私は机上の空論と言っています。
実際にはバラバラのストラディバリの板の厚さを知り得たのは修理を手掛けたわずかな人だけです。サッコーニなどは分かりやすく法則性をまとめて教えましたが実際のストラディバリとは違います。
また中央が厚く周辺に行くにしたがって薄くなるという大雑把な傾向を真に受けて「グラデーション理論」が考えられました。これらを学ぶ機会を得た職人たちは音の良さの秘密と信じてきました。

こうして作られた現代のヴァイオリンは現代のヴァイオリンのような音がします。
音は好き嫌いの問題なのでこれが好きならそれが良い音ということになります。

ヴァイオリン製作では一般の人は少しでもミスをするとたちまちひどい音の楽器ができてしまうのではないかと心配になるでしょう。職人も初心者ではそうです。

しかし何台もヴァイオリンを作ってみると、ちょっとやそっとのミスや木材の違いではひどい音の楽器になることはないし、誰もが驚嘆するような音が良い楽器ができることもありません。

品質が高ければそこそこの楽器がコンスタントにできますが、音は微妙に違います。これが古くなり弾きこまれることで音が良くなっていきます。

職人にとって楽器作りが難しいのは、不注意で削りすぎて寸法が足りなくなったり、割れたりかけてしまったり、接着の不完全な場所ができたり、ニスがベトベトして固まらなかったり、寸法が間違わずに演奏に問題が無いものを作ることです。職人が気を使っているのは電気製品ならはんだ付けが問題なくできるようなことです。ハンダに問題があれば電気製品は故障してしまいます。しかしハンダがちゃんとしていても電気製品の機能や使い勝手が気に入るとは限りません。
楽器について一般のユーザーは音のことを考えますが、職人は違うことに労力を費やしています。いくら音が良くてもすぐに壊れたり、まともに演奏できないものはダメだと考えているのです。古いものなら修理の状態を気にします。
それに対してユーザーは音ばかりに興味を持ちます。音が良い楽器は不良品でもガラクタでも喜んで買い、高品質でも教科書通り正しく作られていても音が気に入らなければ買いません。

楽器作りに興味を持つ観光客や演奏者のお客さんに職人が説明をして喜ばれるのは、「〇〇にするのは音を良くするためです」という説明です。
空気を読んでお客さんに満足して帰ってもらうために決まりごとのお話があります。それがマニアに知られているウンチクです。その話をすることでお客さんを喜ばせるというだけです。実際には500年前になぜかわからないけどそのように作られたというだけです。

木材の加工はとても難しく、無理に力を加えるとすぐに割れてしまいます。繊維の向きがありそれに逆らうと薪を割るように簡単に割れてしまいます。ヴァイオリン製作に使う木材は特に難しいものです。

当たり前のようにカンナで平らにしていますが、DIYのような木工技術では不可能です。木の縦の方向にカンナをかければたちまち表面が割れてしまいます。


板を平らにするだけでもとても難しいのです。日本のカンナはこのような木材のために作られていないのでうまくいきませんでした。世界一木工技術が発達したはずですが‥。

割れないようにするには横方向にカンナをかけることです。そうやって教わりました。それでは能率が悪いので西洋のカンナの調整法を研究して削れるようになりました。私のようによく調整されたカンナを持っている人はめったにいないことでしょう。職場では皆に使われて困ります。
私は手作業で鉄製のカンナの底部を削って調整しました。
それに対して高等職業学校の先生が知り合いの金属加工業者に頼んで自動の工作機械でカンナの底を平らに加工させました。それでもみな私のカンナばかりを使いたがります。荒く使われて刃がかけてしまうので隠しておかないといけません。これも不思議なことに基本的に日本人は物の扱いが丁寧なのではないかと思います。公共物でも壊れていることが多いです。弦楽器でも修理技術の鍛錬になります。

上等な木材で古いものほど割れやすいので難しく今回のものは今までもないくらいに苦労しました。裏板は強く波打ってしまい、表板は柔らかく簡単に裂けてしまいます。

それに対して音についてはシビアではありません。ちょっとしたことでそんなに音は変わらないのです。何か秘密の正解がありそれから少しでも外れるとたちまち音が台無しになるようなものではありません、そんなものです。正解が分からないのですから正確に加工できる職人の腕前は音の良さには直結しません。
実際いい加減に作られた楽器で音が良いものがあります。職人が事実として受け止めるかどうかの問題です。

一方作る人によってなぜかわからない音の違いがあります。同じ人が作れば多少作り方を変えても同じような音になるのです。

理由がわからないので腕が良いとか、志が高いとか有名な偉い職人の楽器の音が良いということではありません。
どこの無名な不真面目な職人の楽器に音が良いものがあるかは全く分かりません。当然音は好みの問題が大きいのでなおさらです。

ですので私ははっきりと音の違いが実感できるように思い切った厚みにするべきだと考えて作りました。

このようなことは、私も職人を始めたころは分からなかったし、誰からも教わりませんでした。

師匠が初心者に教えるのは木材を決められたように加工するというプロのレベルに達するための教育です。木材が決められたように加工できなければ、お金を稼ぐ仕事ができないからです。


板の厚みについてはどこの部分をどの厚みにすると音がどうなるかというのはよく分かりません。私がイメージしているのは部分部分がどうとかいうのではなくて全体として板の強度がどうなっているかということです。
全体としてつじつまが合っていれば細部はどうでもいいとそんなイメージです。

これも本当かどうかわかりませんが、細かく寸法を決めて設計をすることに意味がないと考えています。

今回のものでは裏板はイタリアのオールド楽器やフランスのものにわりと近いかもしれません、表板はフランスのものではすべてが同じ厚さで駒や魂柱のところが傷んでいくので、ほかよりも厚めにしています。
広い範囲で薄めの板厚になっています。アマティやシュタイナーではもっと薄いものがありますが、そこまでは攻められません。
それでも周辺部分を薄くしているので全体としての強度はかなり違うことでしょう。

とはいえ私特有のアーチの特性で板には強度はあります。持って曲げてみてもびくともしません。音響工学で言う所の内部損失というものです。スピーカーでも低音を受け持つスピーカー部品は振動版がフニャフニャしています。押せばボヨンボヨンと動きます。低音では振幅が大きいため、前後に大きな動きがしやすくなっています。板が薄いと同じような効果が得られることでしょう。特にチェロでは柔らかい木材でも同様です。板目板も柾目板より柔らかくなります。

ピエトロ・グァルネリ型では見た目同様より個性的な音、今回のものは優等生的な音を目指しています。いずれにしても現代的なものに比べれれば暖かみがあり味わい深い音が得られることでしょう。今回のような厚みでも極端に低音が強い楽器になることもあるし、明るい響きが加わってイーブンな音になることがあります。できてみないと分かりません。さすがに明るい音にはならないでしょう。

ネックも上等な木材です。形はアマティのものです。ストラディバリやフィリウスアンドレア・グァルネリにしてもアマティのベースがあり、それに癖が加わって行ったものです。
アマティとそっくりであることを目指さず目視で仕上げを行えば彼らと同様に私の美意識のスクロールができることでしょう。

今週はここまでです。


さて問題は前回デザインしたf字孔です。
現在ではストラディバリのものが美しいと刷り込まれているのでそれ以外のものでは美しくないと感じられます。
ストラディバリから写したf字孔の型で作っても、その通りにうまく加工するのは至難の業でほとんどの場合には「失敗したストラディバリのf字孔」になってしまいます。個性的なf字孔をデザインしなくても勝手に個性的なf字孔ができるわけです。

ですからストラディバリ以外のf字孔をデザインすると単に失敗したストラディバリ型のf字孔と見分けがつきません。

このためうまくいっているかどうかもわかりません。

最終的にはこんなふうになりました。
左側でデザインしたので左側の方が狙い通りですが、右は苦労しています。なぜ左側にするかと言えばfだからです。
またオールド楽器を参考にする場合には右側は魂柱を入れるために傷ついていて原形をとどめていないことが多いです。


型を左右反転させるとその時点で左と同じようには見えません。私の目の癖でしょうか?
目は二つあるため異なる2点から見てることになります。
手や足と同じように目には利き目があります。私は右目が利き目です。

右目では右側のf字孔が正面にあり、左側は斜めに見ることになります。カメラの写真で見ると肉眼とは違って見えます。
アーチは立体になっているのでどこから見るかによってf字孔の形が違って見えます。意識して左目をつぶり、右目の位置に表板のセンターが来るようにしてはいます。

そんなレベルの話です。型どおりに正確に加工していてももっと微妙な違いが見えます。

まだ直す余地があるのかもしれませんがやりすぎるのが怖いですね。諦めるほうが良いかもしれません。ここでやりすぎてしまったのが若い頃です。



次回はしないといけないことがあるので書けるかわかりません。そのあとは夏休みを頂きます。



こんにちはガリッポです。

f字孔をどうするかは問題です。
作者の特徴が強く出る部分でありますが、音についてはよく分かりません。
今回作っているヴァイオリンは私のデザインしたモデルですから、ストラディバリやデルジェスからコピーして写すわけにもいきません。多数派の職人から美しいと思われるためにはヴィヨームなどを写した方が良いかもしれません。言わなければヴィヨームから写したとは絶対にわからないです。

f字孔くらい昔の人はアドリブであけていました。ストラディバリなどは上と下の丸い穴をあけるとその間に型紙をあておよその目安とし、ほとんどアドリブであけていたようです。そのため完璧なものはなかなか無いです。しかしながら法則性があって単に適当に作ったのとは違います。

私も丸の位置や大きさだけ決めてフリーハンドでf字孔のデザインを描いてみました。

f字孔をデザインするときに問題になるのはアーチが立体になっているので、机の上でデザインすると後でかなり形が違ってきます。やや尖ったようになります。現代の楽器に尖ったf字孔が多いのも一つはそのためでしょう。ポスターなどの平面の写真からストラディバリのf字孔を写しとるとそうなってしまいます。実際に加工する段階でアドリブで調整しようとすると大惨事になって幅の広すぎるf字孔になってしまいます。それならまだやや尖っている方が格好も良いです。

このため紙を表板に張り付けてデザインする方法を思いつきました。紙では木目が無いので罫線を引いています。f字孔の傾きを見るだけで寸法などには影響しません。
私がフリーハンドでデザインしてみましたが、格好悪いということはないと思います。十分美しいと思います。これはストラディバリの法則性を理解しているのでほとんどストラディバリと同じような形になりました。私はこれくらいフリーハンドで描けます。音楽とは全く違う才能です。

十分綺麗なf字孔でこれでも良いのですけども、あまりにも独自性が無いですね。

というのは、ストラディバリ以降、または近代以降はこのようなf字孔が理想とされて来たのでストラディバリから写さなくても似たようなものになってしまうのです。

とはいえ、私も師匠などからストラディバリのf字孔の特徴や法則性を教わったわけではありません。師匠や先輩も理解していません。
私は、コピーの製作を通じて学んだことです。法則性は私の独自のもので誰でもできるというわけではありません。

この法則性は実はデルジェスやアマティにもあります。デルジェスではより極端になり、アマティではとても微妙なものです。アマティのコピー製作によって理解したとも言えます。

アマティ→ストラディバリ→デルジェスという風に進化しています。現代の我々がさらに進化するとデルジェスをさらに極端にしたものになってしまいます。実際にそのような独自のデザインのf字孔は近代以降あります。チェロでデルジェスのようなf字孔がついているものがあります。実際にはデルジェスのチェロはほとんど知られていません。

最近話に出てくるカントゥーシャなどはこの法則性を理解していません。ストラディバリをよく知らないで作っているという点で独自性がありますが、知らないで作っているので全く個性的でもありません。

ストラディバリ以降のf字孔はイタリアのオールドでもその影響があり、1700年代中ごろ以降は影響を受けているものが多いです。一つはストラディバリに憧れたということがあるかもしれませんが、ストラディバリも含めて時代のトレンドだったのかもしれません。
1700年代終わりになるとフランスでストラディバリの研究が行われました。なんとなく似ているではなく「ストラディバリモデル」を模索しました。

それ以前にはアマティのスタイルがありました。アマティも初代のアンドレアから3世代目のニコロまでちょっとずつ変わっていきます。2世代目のアントニオとジローラモの兄弟では若い頃と晩年の作風が違います。
4世代目のジローラモⅡはストラディバリの影響を多少受けますが、アマティ家の伝統は守り、その時代としては古臭いものとなっています。

シュタイナーもまた基本にはアマティがあり、独自の癖が加わったものです。その癖は後の世代がより強調していきました。ドイツ、オーストリア、チェコ、スウェーデン、イギリス、イタリアでもフィレンツェなどではシュタイナー型のf字孔の楽器が作られました。

全くこれらとは違う系統なのがブレシア派です。マジーニなどは全く違う形をしていますが、ガスパロ・ダ・サロなどはアンドレア・アマティ以前のヴァイオリンの特徴を残していると考えられます。

つまり近代以降はストラディバリの影響があまりにも強すぎるため、多かれ少なかれ同じようなものになってしまうのです。量産品などは厳密にストラディバリのコピーではありませんが、何となくヴァイオリンのf字孔ってこんな形というのがすでにストラディバリ以降のものなのです。

違うものを作るためにはストラディバリ以前のものを作るのはどうかと私は考えました。アマティのf字孔そのままではアマティコピーでないとおかしいです。サイズも小さく、現代の魂柱が入りません。

そこで私はアマティの法則性を使ってデザインしてみました。

それが真ん中のものです。上下がストラディバリのようにとがっておらず、クリッと丸くなっています。だいぶアマティやシュタイナーのような特徴が感じられます。近代的ではない感じはします。
じゃあそれが美しいかと言えばよくわかりません。単にストラディバリを理解していない癖の強い職人のものに見えるかもしれません。
アマティとストラディバリの間とはいえ若い時のストラディバリとも違います。

それでちょっと手直ししたのが一番左です。これくらいが自然のように思いますのでこれで決定です。


穴の位置を決めてデザインしたわけですが、穴の位置もクセモノです。機能的にf字孔で重要なのは駒の来る位置(ストップ)と左右の間隔です。
左右で問題になるのは上の丸い部分の間隔です。この間隔と駒の脚の幅を一緒にするのがセオリーです。チェロやビオラでは駒の脚の幅に異なる寸法があり、どの駒を選ぶかはf字孔の丸の間隔を測ります。チェロで94mmなら94mmの脚の幅の駒を選びます。90~96mmくらいまで2mm刻みであります。

もう一つはバスバーの位置で決める方法があります。バスバーの取り付け位置が駒の脚よりもやや内側につきます。バスバーの位置との関係で駒の脚の幅を決める方法があります。

これらは全く関係が無いわけではありません。f字孔の間隔が狭いとそれより外側にバスバーを取り付けることができないからです。内側にはつけることができるので極端に内側についている場合には、f字孔の間隔よりも狭い幅の駒を選ぶことが考えられます。

このような機能的な問題があります。ヴァイオリンの駒の脚の幅はだんだん広くなってきていて今では42mmとなっていますが、実際に駒を測ると42.5mmくらいあります。20世紀末では41.5くらいでした。ヴァイオリンの場合には99%同じ幅の駒を使っています。卸業者でも標準サイズの42mmしか扱っていないことがほとんどです。メーカーに発注すれば1mm刻みで選ぶことができます。

このためf字孔の間隔を42mmにしておけばバスバーの位置や駒の脚の幅が標準となり緊急時の修理なども楽です。

型を作って42mmの幅で左右を反転させて描いてみました。悪くはありませんがイメージと違いました。

f字孔の左右の間隔は楽器の「顔」として大きな影響があります。人間には人の顔を見分けて個体を識別する能力が備わっているからでしょう。
関係ない話ですが、ある種の魚は魚同士で、お互いに誰なのか分かっているそうです。人間から見るとみな同じ魚のように見えますが、魚同士では「個人」を特定しているというわけです。なわばりに侵入してきたのが同じ魚なら「またあいつが来た」とわかっているということですし、夫婦もわかるし浮気相手もわかっています。

そのような機能が人間では顔を見て判断しています。それが楽器でもそう見えるのでしょう。

目の間の距離が違えば人相が変わって見えるのと同じでしょう。

ちなみにストラディバリはf字孔の間隔ではなく外側から距離を測っていました。そのためミドルバウツが細いモデルでは間隔も狭くなり、太いモデルでは間が空くことになります。実際はそこまで厳密ではありませんが外から測っていて間隔は気にしていなかったようです。ですからいろいろな顔のストラディバリがあるというわけです。

アマティはf字孔の間隔がかなり狭いのが特徴です。ミドルバウツも狭いのですがそれ以上に間隔も狭いです。こうなると現代の位置のバスバーや駒が取り付けられません。40mmの駒を使うことも考えられます。もっとひどいのはアマティ派のものです。さらに狭くなっていてバスバーの取り付けに困るものがあります。近代ドイツの量産品でもデタラメなものが多くあります。

今回は見た目の印象としてアマティ的な要素を入れたいと考えていたのでこれだと違うなという感じがしたのです。

間違っていないし、むしろ現代では正しいですが・・・
一晩悩んで

やり直してみました。これだって1時間くらいかかるでしょう。速く楽器を作るのが天才職人という事であれば変更は許されません。

私はこちらの方がしっくりくる感じがします。
39mmほどです。アマティなら36mmくらいです。
幅が広いモデルなのでこれくらいでも良いでしょう。
ちょっと他人にはわからないかもしれません。

機能面での問題ですが、バスバーはやや斜めにつけるので駒の位置では駒の脚の幅の少し内側に来ます。これでギリギリの狭さで大丈夫です。

このような所でも個性を出すことができます。これでもストラディバリでもアマティでもない独自のf字孔となりました。さらにこのようなことを続けて行けば目の癖ができて個性となります。

このようなこだわりは音には関係がないことです。
f字孔は胴体の中で共鳴した音が穴から出てくるので大きい穴の方が音が良いと考える人がいます。私は表板が振動することの方が重要で、表板の切れている部分が長いことで表板の強度に影響すると考えています。長いf字孔の方が駒付近の柔軟性が増すということです。
このため極端に大きなf字孔の楽器が作られることが現代ではあります。しかし効果のほどはよく分かりません。同じメーカーの量産品で比較してもはっきりした違いは分かりません。

ギターのように真ん中に大きな穴をあけたヴァイオリンを実験で作ってみないことにはわかりません。意外と何でも良いという結論になるかもしれません、それくらいわかっていないことです。

f字孔が気がかりでしたので最優先課題でした。

それに対して板の厚みはルーティーンです。

小さいカンナでチョコチョコ削るのはまどろっこしいので私はノミでほとんど厚みを出してしまいます。
小さいカンナで削るとなかなか薄くなっていかないので嫌になって、「厚い板のほうが良い」という理屈があると飛びつきたくなってしまいます。職人には襲い掛かって来る誘惑ですが、早く楽器を作るためにも悪魔の誘いです。

言葉というのは独り歩きするもので、「薄い板の楽器は安易に鳴るようにしたもので、厚い板が本物だ」などと専門家に言われるとそうなのかなと思ってしまいます。私も初めはそのような誘惑を信じていました。
次のように考えたらどうでしょう。
「厚い板の楽器は意志が弱く攻め切れていないもので、ギリギリまで攻めて勝負したのが薄い板の楽器だ」と。
言葉によって印象などは大きく変わってしまいます。そんなことは信じずに実際に弾いてみて音が気に入るかどうかで判断するのが合理的です。
言葉なんてものはなんとでもなるのです。

私は言葉というものは現実とは別のものだと考えています。
私が後悔するのは十分に薄くせずに楽器を作ってしまった後です。それを何度もしているので今回は後悔しないようにしたいです。

またよく見かけるものとして少し削っては板をトントンとタッピングしている職人の姿です。私も癖になっていてさんざんやってます。でもわからないです。
人間というのはどうしても恰好つけるものです。師匠や先輩としては、弟子が作ったものをチェックするのにそうやって見せて指導すると格好がつきます。弟子からするとさすが師匠はすごいなという具合です。
自分がその歳になって、恥を忍んで本当に率直に物を言えば「よくわからないです。」知り合いに聞いても師匠から教わったけどもよくわからないと言っていました。それを素直に認めることが私は重要だと思います。世の中にあふれている情報は「格好つけ」のために発信されていることが多いと思います。特にネットの今の時代です。
趣味の分野では細かいことを知っていて気にしている方が格好がつきます。しかし本質ではありません。格好をつけるための知識でしかありません。それに引っ張られてはいけないと思います。

いつも言っているように、板を薄くした方が大きな振幅がしやすくなる、つまり低い音が出やすくなるということが弦楽器について言える数少ない法則性です。
だからと言って音が良いとか悪いという事ではありません。楽器を選ぶ人がそのことを最重要な点として評価するわけではないからです。しかしながら厚い板の楽器でどんなに弾き方や調整を変えても暖かみのある暗い音色になったり低音が豊かになることはありません。弓や弦の種類で多少違いますがそれも限られています。弓は私の個人の印象ですが古い弓の方が音色が暗く味わい深い音がするように思います。一般に傾向として時代が新しくなるほど太く重い弓が作られていることが一つあります。楽器の板が厚くなっていくのと同じ現象です。もう一つは経年変化で柔軟性を増していくことでしょう。これも楽器と同じです。硬い弓が好みならブラジル製の安価な新品の方が古い名弓よりも優れていることになります。日本では新しい弓が多いので基本的な感覚が違うのかもしれません。硬い弓に太い毛を張り強い張力の弦を張った厚い板の楽器をゴリゴリ鳴らすのが、日本の楽器店が厳選した「良い音」ということですね。うちでは違いますから、楽器も弓も国際的な評価なんてものはないということです。

言っているように好みの問題です。音響工学の話をしても結局は趣味趣向に分かれ、それをどうやって作るかという話になるはずです。何もかもひっくるめて「音が良い」というのは考えが浅いと思います。

明るい音になるような弦はどんどん発売されていますからやや暗いくらいに作っておけば何とか調整できます。反対は無理で板を薄く改造するしかありません。一方で心配しなくても木材が古いので暗めの音になるという可能性もあります。

板の厚みについては表板も終わってからレポートしますが、内側のカーブを見ても外側のアーチの影響を受けます。エッジの付近に丸みが感じられますがオールド楽器の特徴です。見た目に明らかに違いがあるのです。

大きな法則性があるだけでどこをどうすればどの弦のどの音がどうなるかなんてレベルではわかりません。どうしても重要なのは裏板の魂柱の位置や表板の駒の来るあたりです。それ以外をごっそり薄くしても楽器は耐えられるということですので極限まで攻めたということになります。フランスのモダン楽器などはまさにそうです。性能ついては他の流派のものよりも優れているものがあります。

表板はまだこれからです。

表板はバスバーと魂柱の位置は重要です。陥没しやすい部分は他より薄くするべきではありませんが、これはアーチのカーブの方が重要でしょう。

f字孔も今週はここまででした。わずかなミスが命取りになるのはここからです。


さてピエトロ・グァルネリのモデルの方です。

こちらは独特のf字孔です。資料には1704年と書いてありますが最新の研究では変わったのかもしれません。
アマティでもストラディバリでもない独特なものです。丸がとても大きいのが特徴です。まともな資料が無いので、f字孔のデザインは私が補った部分が大きいです。それでもいかにもらしい特徴が出てると思います。左右は反転ではなく別々にデザインしています。こちらも左右の間隔は39mmです。オリジナルはストップの長さが長いのでそのままコピーすることはしていません。実用性が何よりも重要だからです。らしさは残しつつも理想的な位置にf字孔を持ってきています。

裏板は板目の一枚板です。
裏板も左右反転ではなくまるごとコピーしています。このため完全に左右対称ではありません。オリジナルの左右非対称をそっくりそのまま作るのが私のコピーの手法です。それを応用して新品風(?)の楽器も作っているので左右が対称になります。
見比べてみましょうか?

それでも私の目には左右対称には見えません。私がピエトロ・グァルネリを選んだのは理想に近いからで、私のデザインともそれほど違いません。時期的には私がデザインしたほうがコピーを作ったよりも先です。

アーチはかなり高いです。オリジナルの表板は駒の圧力で凹んでいることを考えると新品の時はこれくらいはあったはずです。
裏の方がやや低めですが



現代の楽器とは違うものです。
音に違いを出すために私は見るからに違うものを作ります。これだけ違えば音に違いが出ないはずはないですね。木材の加工で違いを生み出すには見た目や寸法を測るしかありません。
逆に言うとこれくらいしないと音にはっきりした違いが出ません。もちろん全く同じに作っても音は微妙に違います。作者が意図して何らかの趣味趣向の音を作ろうというのならこれくらいは必要です。私のようなものを作る人はまずいません。
そうでもしなければ、たまたま個体差のような音の違いがあるだけで、作者の意図や国による音の違いなどはないと考えた方が良いです。ですから特定の作者の楽器だけをバカ高い値段で買うのは利口ではありません。


スクロールもだいぶうまく作れるようになってきました。後は速く作らないといけません。

いつも楽器のことばかりで夏休みには何の予定も考えていませんでした。
夏休みをとるようになったのも最近のことです。
私のような人は変わっているのかもしれません。

子供のためにレンタルの楽器を借りてる人が8月は演奏しないので解約して9月から再び契約したいと申し出がありました。
日本人なら夏休みこそ練習する時だと考えるかもしれませんが、こちらの人は一度も弾きもしないようです。朝の涼しい時間に練習したら気持ちがいいのではと言うと家にもいないそうです。5週間も家を出ていたらいくらお金がかかるでしょうね。楽器に払うお金はないようです。

私も就職してから初めて夏休みに旅行の計画を立てています。
どこに行きたいかと言うと涼しいところに行きたいので緯度の高いところに行こうと思います。普通は西洋の人は海水浴や日光浴を治療と考えていてわざわざ暑いところに行くのですから理解不能です。このため冷房も日陰もありません。
面白いのは温泉はヨーロッパでは治療法として廃れてしまい、古くからのの温泉地でお風呂が一つもない所が多いです。薬物や手術などに比べて治療効果が弱いという理由です。

ヨーロッパで涼しい所はたいがい物価も高いのです。漁業国でフィッシュアンドチップス(魚のフライとフライドポテト)が4000円とかとんでもありません。

穴場を見つけました。
エアコンとバスタブ、湯沸かしケトル、冷蔵庫がついたビジネスホテルのシングルルームが80ユーロ(約13700円)です。これだけの設備が整ったホテルはめったになく格安ですが、1月日本の東横インなら都心で7500円でそれらすべての上にパンとチーズやハムだけでなく調理された朝食までついていましたよ。

そんなんで準備で時間がありませんのでよろしくお願いします。

こんにちはガリッポです。

ヴァイオリン作りが続いています。

アーチができてきました。
オールド楽器や一般的な製法では歪みが多く輪郭の形は左右は非対称になります。
横板を曲げたときに必ず誤差が出るからです。設計し型を作り、枠を作って横板を曲げ、それを基準に輪郭を作ります。設計に対して4回誤差が出るのでその通りになりません。同じストラディバリを元に作っても人によって全く違って見えるのはそのためです。多くの楽器はかなりいい加減です。

この手法で正確に作ろうとすると楽器作りの初めの工程でチマチマとした製作態度になり重箱の隅をつつくような発想になります。0.1mmにこだわって努力したつもりになっても音には違いを生み出せません。

私の作り方では設計して直に輪郭を出すので誤差が出るのは1回です。オールド楽器のコピーを作るために作り方が進化してきました。左右非対称なオールド楽器をそのまま作るのでその通りに非対称になります。
正確性が高いので、左右反転で設計するとほとんど左右対称になっているはずです。それでも目で見ると左右対称に見えないのは人間の視覚はそんなものなんでしょう。私が考えているのは95点のものを簡単に作る手法です。100点を目指すのは無理です。

このモデルは理想的と考える寸法で形を整えただけです。工業デザイナーのように「未来のデザイン」みたいなことはしません。現代のデザインではダイナミックなフォルムを作るでしょうが、職人の作るものは製造上のしがらみに縛られて不自由なところがあります。わたしはそれが面白いです。
とはいえ1500年代にアンドレア・アマティが完璧な美しい形や曲線を追求したことでしょう。ニコラ・アマティになるとそこまで完璧ではありません。癖があってそれがアマティらしさとなっています。
現代まで生き残っているヴァイオリンの創始者であるアンドレア・アマティに極限まで追求されているのです。年代とともに進歩するのではなく初代がすでに究極というのがヴァイオリンです。
同様の試みは私たちにとっても難しいのです。設計を変えるのは大きな労力を必要とします。

1700年代の終わりにはフランスの職人たちがストラディバリを元にさらに完璧さを求めたモデルを作りました。ストラディバリという縛りの中で完璧さを追求したものです。
今でも多数派の職人にとって理想的なものでしょう。

現在はそれすらも忘れ去られてきています。単に仕事が正確であることが製作コンクールでは評価されます。100点満点を目指して競い合っているというわけです。私にはそのノウハウはありません。


コーナーは難しいもので、設計に対して正確に加工するだけでは見た目がバラバラになります。目で見ながら形を整えていく必要があります。同じはずなのに左右が完全に対称には見えません。それでもストラディバリに比べるとずっと対称になっています。
弦楽器のモデルは曲線で形ができてるので基準となる点がありません。ここがおかしいなと修正すると他の場所がおかしくなります。もし100点満点のものを作りたいなら何個も設計してその中から偶然バランスが良く見えるものを選ぶ方が良いでしょう。オールドの作者が100点満点のものを作っていないのはそれが不可能だからかもしれません。アンドレア・アマティがすでに挑戦したというわけです。
演奏者は音にしか興味が無く歴史も知りません。「ヴァイオリン職人の祖」がつくったものよりはるかに幼稚なものでも満足します。音も質は二の次でしょう、

オールド楽器を元に新作楽器を作る場合は現代の職人の目に完璧なモデルを探します。ストラディバリの若い頃ならコーナーが細すぎると感じますし、晩年は仕事のクオリティが落ちます。アマティは中央が細すぎて、デルジェスは仕事が粗すぎます。高価な名器でも完璧さとは程遠いです。

そういうアドリブ的な面白さがオールド楽器にはあります。現代の工業製品のように同じものを正確に作ろうという発想すらなかったことでしょう。


私の作り方ではアーチがおおよそ仕上がってからさらに溝を彫り直します。昔の製法を再現したものです。これは業界としても知られている知識でサッコーニなどに説明されています。多くの職人はこのことも学んでいません。
その証拠となるのは木釘です。

裏板や表板を横板に固定するのに木釘を使うことがあります。オールド楽器では修理のために開けられていて木釘は切断され、今では釘で固定はされていません。しかし板に穴が開けられ木で埋まっています。私は木釘は固定するためには使っていませんが、装飾的な意味でつけています。
ちなみに表板は乾燥して縮むのに対して木釘は木目の向きが違うため縮みが少ないです。このため表板が割れてしまいます。私は表板には木釘は使いません。表板と違う広葉樹を使っている場合はさらに危険です。

この時ストラディバリなどは木釘の上にパフリングが来ているので断面が円ではなく一部が欠けて半円のようになっています。これで表板や裏板を胴体に接着してから、パフリングを入れていたということがわかります。その後溝を彫り直したということです。デルジェスでは溝のところだけ仕上げが甘く刃の跡が残っているなどが証拠となります。
オールド楽器ではそのような手法があったため周辺の溝が不自然に強調されていることがあります。これも製造上のしがらみによる不自然さですが、オールド楽器のアーチに深みを与えています。

サッコーニ以来クレモナなどの職人はストラディバリの製法を再現する研究をしてきましたが、だから音が良いということは言えません。見た目も現代の基準で考えていると手法を同じにしても結果的に見ると現代風の楽器になってしまいます。
しかし名残が残るくらい仕上げを甘くすればアクセントになります。不自然さを完全に無くすと結果は同じになってしまいます。

このような試みは他の職人には理解されないものです。これで半日~一日くらい作業時間が余計にかかってしまいました。表板も入れると1~2日余計です。
私はオールド楽器の癖がこういうところにあるのではないかと考えているからですが、他の職人にはわからないことです。隠し味ということです。


アーチは写真にとるのが難しいです。

木材の表面を仕上げるのに水で濡らします。工具で押しつぶされていた部分が水を含むと膨らみます。さらに仕上げるのです。
水で濡らすと古い木材なので木材に色があるため杢の模様がはっきりと出ます。光の屈折の影響です。

水で濡らすことを不安に思うかもしれません。木材は乾燥させると言います。
伐採して間もなくの木材は水を大量に含んでいます。一般的な産業では人工乾燥と言って温室などで乾かします。

それに対して楽器用の材木を買って定期的に重さをはかるとほとんど変化していません。それと木材が古くなって変質していくのは別のことです。濡らしたから何年分の変化が元に戻ることはありません。一方木材に水は大敵で水に沈ませるようなことをすると木材は歪んでしまいます。楽器が水没すると修理不能になります。表面を濡らすだけなら全く問題ありません。

私の目には立体感が分かる写真となりましたが一般の人には難しいかもしれません。ただペタッとしたような面ではなく立体感があることは大きな違いです。

2枚を合わせた裏板では杢の模様がⅤ字となり立体感を惑わせます。私が一枚板を好むのはこのためです。立体感よりも仕事の正確さを強調したい職人は左右が対象であることを上等と考えることでしょう。

表面を滑らかに仕上げるのも難しいですが、ボコボコしているとニスを塗るときに大変です。日本の工具ではこのような加工ができるものはありません。日本の木工技術では作れないということですね。

しかし現代的なペタッとしたものではなくモリモリした立体感があります。
オールド楽器の多くはもっと大胆な膨らみがあります。それに比べるときれいすぎます。注文製作で作っているので演奏上癖が強いものは作りません。

乾いた状態ではこのように見えます。ストラディバリとも違うのですが、アマティ派の基本は踏まえていると思います。長年やってきて落ちついてきたアーチです。
ここをこうやると音がこうなるとかそのような法則性は全く分かりません。目で見て学んだことです。


表板はまだ途中です。

古い木材で色が変色した部分が完全になくなってはいません。白木のうちは目立ちますがニスを塗れば大丈夫でしょう。

まだまだ作業が続きますが、音についてはよく分かりません。これまでの作業で音を設計するような工程はありませんでした。今後も板の厚みくらいです。
どの線のどの音がどうなるかなんて全く分かりません。板を薄めにすれば低音が出やすくなるというおおざっぱなものだけです。それすら私以外の職人が語るのを聞いた事がありませんし、実際の楽器の音を聞いても必ずしもはっきりわかりませんし、音楽家にとって重要なポイントでもありません。そのような音響工学的な発想すら持っている職人は少ないです。

職人はなぜかわからないけどその人の癖のようなものが音に出ます。それを理想的な音だと肯定するような説明をします。
私は自分がはじめて作った楽器の音にガッカリして作り方を変えようと試みてきました。古い楽器を真似て作るとたちまち成果がありました。私は満足していてもお客さんには他の楽器より目立つ派手さが無く地味すぎるようです。

自己肯定感が強い職人は自信にあふれカリスマ性や説得力があります。彼らはこういう音が理想だと近づけていくのではなく、自分の楽器の音を良い音だと考えるのです。独立して自分の店を構えるにはそれくらいの自信家である必要があるでしょう。
消費者の多くは自分で音を感じずに「有名な職人の楽器の音=良い音」、「専門家が良いと言っている音=良い音」と考えるのでニーズと一致しています。


ですので説明は鵜呑みにせず音を試して自分で感じてください。

これまでの作業でも音をデザインするような工程はありませんでした。今後もないということを説明していきます。