ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -2ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
お問い合わせはPC版サイトのリンクかアメブロのメッセージから願いします。

こんにちはガリッポです。

弦楽器の音は相対的なもので何か比較する対象によって音が違って聞こえます。
同じ楽器を単独で弾いた場合と別の楽器を弾いた直後に弾いた場合では違う音に感じます。比較して違いを聞いているからです。
また弾いた人によって全く正反対の描写になることがあります。それは自分の楽器との比較になるからで、持っている楽器の音が様々だからです。
メートル法などと違い基準となるものが無いのです。大きいだの小さいだの表現するだけでは大きさが分からないように音も言葉では表現できません。

もし比較対象を持たないなら、自己肯定感が強い人は自分に帰属する自分の楽器に満足し、自己肯定感が低い人は不信感を持ちます。
値段が高い楽器を持っていることで自信を保つ人もいるでしょう。

日本人は自己肯定感が低い傾向にあることで高価な楽器を求める心理を説明することができます。
90年代には日本や韓国ではヨーロッパの倍の値段で売れたそうです。ブログを始めた当初でも旅費を使ってヨーロッパに行って楽器を買って帰ってもまだはるかに安いという状況でした。
それが今では円安の進行が止まらずヨーロッパの値段が割高になっています。かと言って日本での輸入価格も上がっているために楽器の値段自体がべらぼうに高騰しています。

そこで安くて音が良い楽器が本当に存在するのなら多くの人にとって有益なはずです。

一方で高級品というのは憧れの対象であり、値段が高いものを信仰の対象として崇めることが趣味となっています。実際に買うことがなくても、高級品を絶賛する情報が注目されます。豪華なお城や宮殿にお客さんがやってきます。ネット上でも実際に買う人がほとんどいない高級スポーツカーの情報が閲覧数を稼ぎ、軽自動車やエコノミーカーの使い勝手などは流れてきません。

その意味では当ブログは面白くない内容となっています。もし高価な楽器を買ったのなら知りたくないことが書いてあるのでもう読まないで墓場まで行ってください。

その面白くない事実を知ることが「弦楽器通」ということです。その話は神話とは違い論理的に物を考える人には納得できるものでしょう。


神話を信じているなら「安い楽器の音が良い」という事実を私がいくら力説しても、聞き流してしまうことでしょう。しかし物理学的な興味関心ではよりおもしろいと思います。

値段は経済の話であって物理の話ではないからで、そのギャップを知ることは本質を理解することに一歩近づくことでしょう。一方数学や理論が好きな人には物理の理屈が別の神話となります。それも許してはいけません。


目の前に起きた出来事を、何の解釈も加えずただ受け入れることが真実を知ることに近づくことでしょう。


前々回、修理の模様を紹介しました。
職人同士でも意見の分かれるヴァイオリン

よくあるマルクノイキルヒェンの量産品とは少し違うものでした。まず年代が19世紀後半と量産品にしては古く、おそらく修理人によって改造されたのではないかと思います。多くの場合量産品の欠点である、表板や裏板の周辺部分の削り残しを加工し、板厚を調整するというものです。

多くの割れがあり、修理が必要でした。
事故に遭えば割れることがありますが、あちこち割れているという事は、よく使い込まれているほかに品質の悪さや木材の変質が考えられます。

量産品であるならば修理代が楽器の値段を超えると、経済的には価値が無くなってしまいます。しかし物理的に価値がない楽器かどうかは別の話です。

このような楽器は安い給料の見習の職人などが職業訓練をするのに最適で、ヴァイオリン製作学校に送ったりしていたケースもあります。

なぜか社長が惚れこんで修理を始めてしまったので、完成させないことには店頭に並べることができず1ユーロにもなりません。
逆に言えばお店が損するという事はお客さんにとっては得という事です。そんな記事です。

修理が終わりました。教科書通りのストラドモデルを高いクオリティで作ったものとは違います。なんとなく雰囲気があります、それを社長は気に入ったわけです。一方でそのような雰囲気のある楽器には偽造ラベルが貼られて出回る怪しげなものでもあります。

裏板には柔らかいニスが塗られており、ただの量産品とは雰囲気が違って見えます。それも不可思議で裏板だけニスが違うように見えます。

ヘッド部分は量産品の中では質が高い方です。

クオリティが高いわけではないけどもタダの量産品プラスアルファの感じです。
3000ユーロ~4000ユーロくらいかなと思います。5年前なら40~50万円位でした。それが現在の円安で60万円以上になります。
仮に間を取って50万円としましょうか?
仕事のタッチが粗くヨレヨレでオールド楽器のような雰囲気もあります、形はアマティ的なものです。イタリアのオールドの偽造ラベルが貼って売られたら悪質な偽物となります。

アーチにはオールド楽器の特徴がありません。近代の楽器です。
ダミーの継ネックもされておりマルクノイキルヒェンの量産品であることがわかります。

弦を張るためにはじいて調弦していると、隣の席の同僚が「よく鳴る」と言ってきました。得てして自分よりも周りの人の方が分かるものです。

弓で弾いても豊かに音が響きとてもよく鳴ります。音は柔らかく刺激的な荒々しいものとは真逆です。どうやら社長の勘は正しかったようです。
このように痛みの激しい楽器で大丈夫かと思うと意外に音が良い経験をします。まさにそれです。

さらに最近ブログで出てきた他のヴァイオリンと弾き比べをしてみました。
①50万円のマルクノイキルヒェンのこのヴァイオリン(ザクセン派)
②600万円のガブリエル・ダビッド・ブッフシュテッター
③800万円以上するジュゼッペ・ペッラカーニ

の3本です。
まずブッフシュテッターとこのザクセンのヴァイオリンとの比較です。
ザクセンのものは豊かに響いて柔らかい音がするのに対して、ブッフシュテッターは暗く味わい深い音がします。ざらざらした振動も心地良く感じられます。とても濃い味わいの音でドイツの楽器だからという事ではなく、二コロ・アマティでも現代の楽器よりもはるかに濃い味の音でした。
音はじわじわと出るタイプでザクセンのものに比べると控えめです。
ザクセンの方はアベレージでいきなり鳴る感じです、アクセルの段階がなくスイッチのオンとオフのような鳴り方です。

ブッフシュテッターの音はオールド楽器によくある特徴だと思います。何でもかんでも音が出るのではなく、取捨選択をして美しい音が出てくる感じです。
出てはいけない音は吸収し、出るべき音が響いている感じです。

物理的に考えると弦で生み出された振動のうち特定の音を増幅し、特定の音を吸収していると考えられます。これがオールド楽器の美しい音という事でしょうか?

それに対してザクセンの方はもっと節操なくよく鳴るものです。しかし刺激的な耳障りなものではないので、高周波の刺激的な音は吸収しているようです。
柔らかい音で音量があるというのはかなりレアです。耳障りな音もダイレクトで大きくは感じます。しかしそれは不快と紙一重です。
それに対してとても柔らかい音がするのは痛みが激しい楽器ならではなのかもしれません。

作られて150年くらいする楽器には音量が大きいものがよくあるように思います。200年以上経ったオールド楽器ではもう少し大人しい音になっているというのは経験します。

ただし、単に弱くなっているのではなく底の深さを感じます。ブッフシュテッターもしばらくいろいろやってると迫力も出てきますし、伸びやさも感じました。限界点が先まであるので上級者が手にすると見事な音になるというわけです。

しかしすべてがそうというわけではなく、ロレンツォ・ストリオーニではただ豊かに鳴るだけの音だった記憶があります。それを多数の人は「優れた楽器」と考えます。となるとザクセンの楽器も優れたものと言えます。
値段を聞かされれば違うように考えるかもしれません。人の思考の仕方の話であって物理現象の話ではありませんね。


この二つを弾き比べた後で、ペッラカーニを弾くと明らかに鳴らない感じがします。弦だけが振動しているかのような刺激的な音がするだけで胴体は響いていません。骨だけで身が無いようです。柔らかい音の後で弾いたためにそう感じたのでしょう。調整をいじっているとザクセンのものの音を忘れ明るく響くようにはなりましたが量産楽器を含めてもよくあるような普通の音のだけです。
ペッラカーニは「メイドインイタリーのハンドメイド」という文句を備えた最低限の楽器でした。
楽器の売買を行ってきたこの業界はニセモノや粗悪品を高く売って儲けることをやってきたのです。だからこの業界での評判なんてのは全く信用できないのです。
商売人にとって大事なのは楽器そのものではなく、謳い文句です。商売人とはそういうものであり、弦楽器だけが違うという事はありません。むしろほかの業界よりもインチキにはるかに多くの情熱を費やしてきた業界ですよ。なのになぜセールスマンの言うことを信じてしまうのでしょうか?

周辺部分に削り残しが多く溝も深く彫られていないため厚くなっています。量産楽器と同様の欠陥で、周辺部分が厚いと、一回り小さな楽器と同等になってしまいます。また板が厚いのとも同様の結果になります。70年くらい経っているメリットはそれほどでもないようです。作者の才能だの名工だのという話は現実からは全くかけ離れています。


この3本を比べてみると一番よく鳴るのは50万円のザクセンのもの、次いで600万円のブッフシュテッター、一番鳴らないのが800万円以上のペッラカーニでした。

ブッフシュテッターのような音はとても珍しく、本当のオールド楽器でなければ難しいのに対して、ザクセンのものも柔らかくてよく響くという希少なものです。ペッラカーニはよくある普通の楽器の感じです。

ペッラカーニが圧倒的に音が悪いかと言うとそこまでではありません。普通くらいは十分にあるのでレッスンに持って行ったり練習することはできると思います。ただし800万円出して、数十万円のものと変わらないというのは意味があるのかなと思います。

多くの人は普通くらいの音であれば、高価な楽器だという思い込みから音が良く聞こえるようです。

それに対してザクセンのものと比べられると相手が悪いです。これは現代の名工と言われてるような人の楽器でも同様です。こんな何でもないザクセンの楽器でも圧倒的によく鳴るので名前を伏せたらその場にいる多数派の評価を得ると思います。我々職人はこのような楽器と比べられたらたまりません。

弦楽器はそんなものです。
経済と物理現象は関係が無いからです。
真剣に取り組むと音をどうやって評価するかという壁にぶち当たります。


また面白いことは今回のものではアマティモデルのようなものが一番音量があり、ガルネリモデルだというペッラカーニが一番音量がありませんでした。値段だけでなく何のモデルであるかも音については何の意味も無いことが分かったでしょうか?

オールドの時代に知られていた方法でヴァイオリンを作った結果、今頃はオールド楽器のような音になっているのです。もっと簡単に作っても音が良く出て多数派の人には評価されるでしょう、そんなものです。工業製品では最初に造られたころは何が重要で何が省略できるかわからないので、初期の方が高価で後の時代の方が安くなることはよくあります。


次回予告なんていつもはしませんが、次も面白い楽器があります。

当ブログ初登場のフランツ・ガイゼンホフです。詳しい人なら知っているあの名器です。ブッフシュテッターと弾き比べられるなんてことはまず無いですね。お楽しみに!
こんにちはガリッポです。

ガブリエル・ダビッド・ブッフシュテッターの修理が終わりました。
一部の楽器の値上がりが激しい中、現実には楽器を売りたいという依頼が多いのに買いに来る人が少なくなっています。物価が上がって負担が増すと、楽器などは優先順位の低いものです。値段ばかり上がっているのに買う人がいないのです。おかしな話です。

円安もさらに記録を超えています。
輸入産業は大打撃で日本の楽器店にも人員削減や倒産などが出るかもしれません。
楽器の在庫は充実していきますが、日本の方には厳しいでしょう。


楽器を売るには売れる状態にしないといけません。
日頃からメンテナンスや修理をしていれば作業は簡単なもので済みます。修行をした職人が常駐する専門店以外で買うと買ってから修理が必要になります。

オールド楽器の場合には必要な修理は様々です。
今回は比較的簡単に済みました。
ペグの穴埋め、ペグの交換、駒と魂柱の交換、テールピース、弦の交換、ニスの補修などです。指板は薄くなっていますがまだ使える範囲内です。

ペグは古くなると一番の問題はブレーキが利かなくなることです。ギュウギュウ押し込むことでさらに穴が大きくなり、最悪の場合にはペグボックスが割れてしまいます。

元よりも太いペグにすることで交換ができます。ただし極太のペグはペグボックス内が窮屈なだけでなく、弦を巻き取るスピードが速くなるので調弦で微妙な調整がしにくくなります。

古い楽器ではすべての穴の大きさが同じではなくなっています。D線だけ穴が大きすぎました。古いペグとペグボックスの穴はテーパーが現在のものと違いました。穴を直すとE線も穴が大きくなりすぎます。そこでDとEの穴だけ埋めることにしました。埋め直した後G線の穴も過去の継ネックの修理の時に問題があることが分かりました。G線も埋め直すことになったのでA線だけやらないというわけにもいかないので全部埋め直すことになってしまいました。売れれば問題の無い費用ですが、楽器はいつ売れるかわからないのです。

修理後の画像です。

見た目は以前とほとんど変わっていませんがニスの補修を終えています。
どれがオリジナルのニスなのかはよくわかりませんが裏板を見る限りではオリジナルのニスが多く残っているようです。

面白いのはあご当てのある側ではなく反対側のニスが無くなっています。昔の構え方も想像できます。
フルレストアのような大きな修理の時にはニスも大掛かりに直します。そうするとあまりにもきれいになりすぎて古い楽器の様な感じではなくなってしまいます。それもまた修理したてというものです。
これは過去の修理で上から無色か薄い色の透明ニスでコーティングされています。コーティングが剥げたり、さらにニスがはがれた部分にまた透明なニスを塗る程度です。表面には無数の傷や凹みがあります、大きな修理されてからまた時間が経過している様子が分かります。古い楽器でも修理したてと時間が経っているものでは見た目が違います。

もちろん修理では古いニスを剥がして塗り直したり、剥げたところを塗りつぶして新品のようにはしません。

この楽器では濃いこげ茶色のニスでいかにもドイツのオールド楽器という感じがしますが、ブッフシュテッターはオレンジ色のニスのものもあります。

私が見たことがあるもっとも古いものは1750年代のものですでにストラドモデルでした。その時代にストラディバリを模して造られたのが作者の特徴ですが、もともとのドイツの作風も残っています。こげ茶色のニスなどはまさにそうですね。
ペグボックスの縁に独特の溝が彫られていますが、ドイツのオールド楽器の本にも同様のものが出ています。若い頃の方がよりストラディバリ的です。

これのおかげでペグの穴埋め作業には神経を使いました。うっかり縁に傷を付けてはいけません。またD線とE線のペグの間には棒が埋め込まれています。これを切らないようにしないといけませんでした。

作者の特徴がはっきりしていて私は間違いなく本物だと思います。様々な楽器に偽造ラベルが貼られ、全く関係の無いものに張られていることもありますが、ブッフシュテッター派の楽器に貼られていることがあります。形は似ていても仕事はずっと雑でアーチが高くなっています。弟子の一族にはコントラバスなどを含め安価な楽器を大量に製造する家族があったようです。ブッフシュテッターではありませんがオールド楽器としては本物です。

アーチはフラットになっていますが、この時代の楽器にしてはという事であって、モダン楽器や現代のフラットなものに比べると膨らみもあります。
またフラットなものであっても、現代のように初めからフラットなアーチを作るために世代ごとに製法が進化してきたものとは違いがあるように見えます。

ヴィドハルムのこともさらに調べてみましたが、レオポルトのおそらく息子と思われるアントニウスが、ブッフシュテッターの弟子となり、のちにフラットなアーチに変わっていったようです。兄弟のマーティン・レポルトにも影響が及び1800年頃にはフラットなアーチになったようです。輪郭の形はヴィドハルムのままでアーチがフラットになるというユニークなものです。
同様に南ドイツ全体でモダン楽器に切り替わっていきます。
ヴィドハルム家の楽器でも様々なグレードの楽器があったようでクオリティは様々です。本に出ているものではとても美しく高いクオリティで作られているものがあります。シュタイナーに次ぐものとして有名になったことも納得です。このような差はオールド楽器ではイタリアのものでもよくあり、実物を見ると本に出ているものと印象が異なる場合がよくあります。本に載せるという事はよりコレクター向きの楽器でしょうね。


いずれ指板の交換が必要になり、その時には駒も交換が必要になります。最小限の費用で売りに出すなら駒の交換も必要ありません。それでも駒交換はすることになりました。

このようなオールド楽器では交換するために新しい魂柱の接地面と長さを合わせて加工するのは難易度が高いです。表板や裏板が変形していることと、内側に魂柱によって傷や凹みがついているからです。ドイツ的な台地状の高いアーチの楽器では特に難しいく理論的には不可能ですらあります。もともと入っていた魂柱も全然表板や裏板のカーブに合っていませんでした。

しかし今回はオールド楽器ではまれに見るほどうまくいきました。ガッチリ魂柱がはまると胴体が一体化して最大のパフォーマンスが発揮されると思います。
しかし現実には、少し緩い方が遊びができてバランスが良くなる場合があります。板が厚く頑丈で硬すぎる楽器では顕著です。下手な魂柱の方が音が良いというわけです。

魂柱を動かす調整をすると魂柱は斜めに傾き角で表板や裏板にヘコミを付けます。演奏者は音にしか興味がないので、こだわりの強い人は納得がいくまで何回でも魂柱調整をしますが、楽器にダメージを与えているとは知らないようです。
音にこだわりの強いお客さんの機嫌を取るためにそのような説明はしないからです。

頻繁に調整をして満足していても楽器はボロボロになっていきます。職人でも音にこだわりが強くやたら動かしたがる人がいます。下手な魂柱で楽器を痛めても結果的に音に満足すれば演奏者には信頼される職人となるでしょうね。
楽器の保存として理想を取るか現実の音を取るかの話です。内側の面に傷がつくとガッチリと魂柱を入れる選択肢は無くなります。調整にこだわる人はそれ以外の選択肢で何度も何度も魂柱を動かして調整をして満足しています。

直すには魂柱の来るところに木材を埋め込む修理が必要です。


弦はそれまではコレルリのニュークリスタルが張られていました。これはコスパが良い安価なもので持ち主自身は演奏しないため、最低限の装備で売ろうとしていたのです。いつものようにピラストロのオブリガートに交換です。
E線またはセットを求めるお客さんが来たときに自分で指定しない場合は、「E線は輝かしい音が良いですか、柔らかい音が良いですか?」と尋ねます。そうすると多くの人が柔らかい音が良いと言います。それでピラストロならNo.1という金属巻のE線を薦めます。この辺りは特にアジア出身のお客さんと真逆の反応です。おそらく日本で聞いても輝かしい音と答える人が多いのではないでしょうか?多数派の好みという事でNo.1です。金属巻のE線はガット弦の時代からあります。


トンチンカンなセッティングで、なぜかテールピースにはビオラ用のものがついていました。修理前の写真です。

あご当ても安価なもので新品です。これも巨大に見えます。ビオラ用のあご当てというのは特別設定されていないメーカーが多いです。横板の高さが違うのでヴァイオリン用のあご当てのネジを交換することで高さに合わせることができます。

テールピースはヴァイオリン用のものに交換しました。当店であご当ては仮のものを付けておいて、購入する人が好みのものを選べばよいという形です。こればかりはあごや構え方に合うかどうかで高価なものを付けておいても気に入らない場合があります。

弦を張って一晩経つと音はかなり変わります。新しい楽器や大きな修理をした後では顕著です。

次の日に弾いてみました。
オールドらしい暗く深みのある音がします。性格としては柔らかいというよりも強さを感じます。測定値でどれだけ音量が違うかという話ではなく、キャラクターとして強さを感じます。E線も特別柔らかくはありません。しかし加減することで音はいかようにも変化するようです。オールド楽器にはよくあることでパッと鳴るようなものと違って使いこなしの奥深さがあると言ったらえこひいきですかね?
全体が共鳴し硬くて重くびくともしないという感じではありません。

フラットな楽器の音というのはあまり感じなくなりました。ドイツやイタリアのもので感じるいつものオールド楽器の音です。
その中では柔らかいというよりは強さを感じるものです。
それが600万円位なら高いか安いかですが…。

強烈な音ならもっと新しい荒い楽器にあるでしょう。

胴体はお手本にしたストラディバリのロングパターンと同じで363mmほどあります。
ストップの長さはほぼ195mmです。すでに現代の標準と同じになっています。



次の話題は新しく作ってきたヴァイオリンです。私の独自のモデルのものです。
天気が悪いこともあって写真写りが実際より赤く見えるので私のPCの画面で実際と近くなるように補正しました。

こんな感じでしょう。
塗りたてホヤホヤでまだニスが柔らかいです。しばらく様子を見てみましょう。
ニスを塗るのはとても手間がかかるので一番大事なのは作業性、そして耐久性、メンテナンス性、長く使うために最低限の要素があります。またニスによって安価な楽器に見えてしまうので見た目も重要です。


私独自のデザインではありますが、現代の楽器製作の常識をすべて忘れるようなものは作れません。機能性を考えたうえでアマティ的な要素を取り入れてみました。現代ではストラディバリモデルが基礎になっていますが、実際のストラディバリからはかけ離れています。アマティ的な要素を入れることで結果的に作風が現代のストラディバリモデルのものよりもストラディバリに近くなっているのではないかと思います。

つまり近代以降ストラディバリはそれまでのアマティなどのオールド楽器とは違う画期的に進歩したものだと考えられ特徴が誇張されてきました。
一方私はアマティにとても近いものだと考えてみることで見え方が全く変わってきます。ストラディバリもオールド楽器の一つと考えるのです。

これが私独自の視点であり、この楽器にもピエトロ・グァルネリ型の楽器にも生かされています。

クレモナであればアマティからストラディバリに進化した差はわずかです。ドイツではシュタイナー型と言われる楽器が作られていてそれとストラディバリ型のモダン楽器ではかなり違いが大きいです。イギリスでもシュタイナーを珍重しドイツのオールド楽器を輸入して作風も影響を受けていました。

われわれの知っている神話もこのような背景で作られたのだと思います。

フランス・パリの楽器製作についてもイタリアからストラディバリを持ったヴィルトォーゾが来ると、一夜にしてそれまで作っていたシュタイナー型のヴァイオリン製作を辞めて、ストラディバリ型に鞍替えしたというようなことが2000年以降の本にも書かれています。

しかし実際にパリで作られていた楽器を調べてみるとシュタイナー型のものは見ません。もともとフランスではアマティ型のものが作られていました。それからストラディバリ型に変化するのにそれほど大きな違いは無かったはずです。1750年頃から50年かけてストラディバリ型に変化していきます。

にもかかわらず本には上のような「神話」が書かれています。

何か恐竜が絶滅したときのようにシュタイナー型の楽器の終焉を描いていますが全く事実とは違うでしょう。


もしこの話に近い元ネタがあるとすれば、ニコラ・リュポーの作風の変化です。もともとフランス人の父親はドイツのシュツットガルトの宮廷楽器製作者で若い頃はリュポーも同様の作風の楽器を作っており現存しています。他のフランスの作者がアマティ的なのに対してシュタイナー的な影響がありました。これはシュタイナーに心酔していた記述とは異なります。

なぜ人々はそのような神話が大好きなのか私にはわかりませんが視点を変えることでストラディバリの見え方も変わってきます。


しかしながら現在ではどんな特徴で作られたかは関係なくとにかくやかましい強い音がする楽器が良しとされる時代になってきました。そうなるとデタラメに適当に作られた楽器でも偽科学でも全く構いません。文化は失われていくものです。


ともかく巷で目にする「ストラディバリモデル」とか「ガルネリモデル」というものが一体何なのか十分に理解されているとは言い難いです。これを理解するのはかなり難しいです。

もう一つオールドとモダン楽器の転換期を代表するドイツの作者の楽器が手元に来ていて修理を開始しました。こちらも近いうちに紹介しましょう。
こんにちはガリッポです。

前回の話では神話と現実の違いが具体的に分かったと思います。読んでない人はぜひ読んでください。

800万円以上するヴァイオリンでも作者は名工や天才どころか平均以下でした。ヴァイオリン製作学校の生徒より劣る手作りで作れる最低ランクで、このようなものはイタリアならではのものではなくブーベンロイトやチェコのボヘミアでも工場ではなく自宅で同様のものを作っている職人がいました、それらは100万円もしません。
20年前なら800万円でフランスの一流の職人のチェロが買えました。

消費者の先入観による思い込みに付け込んで3つの嘘があります。

①優れた作者にだけ音が良い楽器が作れる
②優れた作者ほど高い値段になっている
③値段が高いほど音が良い

これらはすべて正しくありません。3段論法は成立しません。
値段が高いから音が良いだろうと考えると音楽家としての人生の時間が無駄になります。値段が高いか安いかしか語られないのでは趣味としても面白みがありません。
名工の名前を知っているのが詳しいのではなく、このことを知っている人が弦楽器に詳しいのです。

①が嘘で②が嘘なら値段が高い優れていない作者の楽器に音が良いこともあり得ます。こうなると何もかもめちゃくちゃです。

このような建て前が無いと神話が成立しないため、それを肯定するための理屈が考え出されます。一つ嘘をつくとつじつまを合わせるため次の嘘が必要になります。どんなにもっともらしい理屈でも、実際に音を試すことにはかないません。



安価な楽器の実態を見ていきましょう。

何やら古そうに見えるヴァイオリンです。


社長である師匠はこれを美しいヴァイオリンだと言って修理することになりました。私にはただのガラクタにしか見えません。社長業で忙しく楽器製作から遠のいている職人と今も楽器を作っている私とでは見え方が違うようです。
私の見解では修理する価値は無いと思いますが、始めてしまった以上完成させなければ、店頭に並べることができず1ユーロにもなりません。

魂柱が来るところに割れ傷があるので中をくりぬいて補強します。


少し木目を斜めにするのがポイントで再び割れにくくなります。
これでオリジナルと同じ厚さになります。魂柱が来るところには力が集中し割れがウィークポイントになります。壊れたままにするよりもオリジナルに近づくわけです。

バスバーも取り付けます。

たくさんの割れがあります。センターの合わせ目のクオリティも低かったので接着しなおして補強します。
過去に修理をした人のハンコと記述があります。1890年に修理したとなるとそれより古い楽器という事になりますが・・・。
スクロールなどを見る感じではマルクノイキルヒェンの大量生産のようです。モダン楽器の量産品が多く作られるようになるのも19世紀終わりころからですので、当時新品に近いものになります。それがすぐに名前を記すほどの修理が必要というのもおかしいですね。

傷んだコーナーに木材を足して直します。

簡単な修理では済まず、一つ直しだすと全部直さないといけなくなります。
いっそのこと大きく壊れている所の方が出来上がりも良くなります。

ひっかき傷をつけただけの継ネックのダミーがあります。マルクノイキルヒェンのアンティーク塗装の手法です。

線が丸くカーブしているのはおかしいです。

コーナーブロックの接着面に隙間があります。

裏板側のライニングと横板に隙間があります。

上部ブロックと裏板の接着面もぴったり合っていませんし、横板のライニングと裏板もぴったり合っていません。
量産品というのはこんなものです。

きちっと作ると値段が高くなるので雑に作っています。

同じようなものでも数千万円を超えるようなイタリアのオールド楽器なら、ブロックやライニングを交換する修理が施され現在でも使えるようになっています。

また偽造ラベルを貼って高く売れるならそれをする価値があったかもしれません。

その結果低品質の楽器でも音が良いものがあります。安価な楽器では同じようなクオリティでも修理代の方が楽器より高くなってしまい寿命を迎えてしまいます。
私はこの楽器は既に寿命だと思いますが、社長がなぜか気に入って修理することになったのでどんな音になるか気になります。普通はこの程度の楽器に本気の修理をすることが無いからです。

量産品については、「複数の人が作っていて作者の意図がないので音が良くない」というような嘘があります。このような説は作家個人を神格化するための嘘です。音は物理現象なので複数の人がバラバラに部品を作っても、結果的に音が良いことは十分あり得ると思います。古いものなら一人で作った新品のものよりはるかによく鳴るというのは、実際に経験しています。


過去の修理が新品同然の頃になぜ行われたかも謎です。新品の楽器でも輸送や店頭で事故が起きたり買った数日後に事故で損傷することはあるでしょうし、乾燥などで木材に割れなどが生じることもあるでしょう。その程度のことでどや顔で名前を記すのは何でしょうね?

板の厚みを測ってみると安価な楽器に多い厚すぎるものではなく適度な厚さになっています。画像を見返していただければわかると思いますが、エッジの際を彫って特別に薄くしています。もしかしたらこのような改造を修理人がしたのかもしれません。
音を良くしたとか書いてあることもあります。

1890年の当時からすでに量産品は板が厚すぎたり、エッジ付近に削り残しがあるという事が分かっていたのでしょう。
今も変わっていません。前回の800万円以上のヴァイオリンもそうでした。
分かっていてもコストを安くすることが求められたのでした。作者の才能などではなくまじめに作られてさえいない楽器がほとんどなのです。


私は半分冗談で「壊れてボロボロのヴァイオリンほど音が良い」と言っています。実際割れが多く見た目が痛々しいヴァイオリンでこんなの大丈夫かと思って、実際に弾いてみると音が良くてびっくりすることがよくあります。

そのような経験から「作者の意図」なんてのはあまり重要ではなく、何ならバリバリに壊れて他の人の手や補強の木材がたくさん入った楽器でちゃんといい音がすることがわかります。ニスも剥げてあとの時代の人が補修しています。天才の作者が何もかも計算づくで作っていたなんてのはファンタジーの世界です。

なので冗談で「新しい楽器をわざとバキバキに割れば音が良くなるのではないか」と言っています。

冗談はさておき、新しいヴァイオリンでは頑丈すぎるのでしょう。割れが多い楽器というのは木材が古くなり変質して脆くなっています。経年変化は年数だけでなく保管された環境にも左右されそうです。同じ年代でも割れが多いものと新品同様のものがあります。新品同様のものはコレクターには良いですが音はいまいちなものです。
割れが多い楽器はそれだけ多く使い込まれ木材のエージングも平均的な楽器よりも進んでいるとも考えられます。

だからといって割れが多いものを好んで買うのは危険です、修理が済んでいるかいないかで天国と地獄ですし、この先ますます割れが多くなるとさすがに修理不能となるでしょう。木材は脆く割れやすくなっているのでちょっとした衝撃や気候の変化ですぐに割れてしまいます。特にチェロの場合には危険です、割れ傷が多いものはたとえ音が良くても手を出してはいけません。我々も修理をすると予想より多くの作業が発生し見積もりよりも修理代がはるかに高くなります。過去に痛い目に合っているので修理を断るかもしれません。
このようなリスクがあるものの割れてもちゃんと修理をすれば大丈夫だということです。

ヴァイオリンでは頑丈すぎることが問題ですが、チェロの場合には強度不足は強い音が出ない原因となります。外骨格の構造上小さな楽器ほど頑丈すぎて、大きな楽器ほど強度が不足します。
子供用のヴァイオリンなどはカチコチで丈夫すぎます。板を薄く作るなど精密に加工すると子供用の中では特に優れたものができます。技術的には可能でもコストが高くなりすぎてしまい、子供が壊してしまうリスクも高くなるので商業ベースではそのようなものは作られません。

裏板と表板でニスの様子が違います。表板のニスは多くが剥げています。裏板は厚みのあるオレンジのニスになっています。これも不自然ですが、いわゆる量産品のラッカーではなくやたら柔らかいオイルニスのようです。

そういう意味で普通の量産品とは違う印象があり、社長も美しいと思ったのかもしれません。修理の職人が完成品や半製品を改造したのかもしれません。

この楽器にはペーター・シュルツのラベルが貼られています。これは偽造ラベルです
ペーター・シュルツは当ブログでも出たことがありますが、全く見た目が違います。どちらかと言うとアマティ的なモデルの様な感じがするので偽造ラベルを貼るならアマティモデルで作っていたその時代の作者のホモルカなどが良いでしょう。

このような楽器には工場でアマティやルジェリなどの偽造ラベルが貼られることが多いです。デルジェスやベルゴンツィなど間違ったモデルのラベルが貼られることもよくあります。

販売業者が普通だまそうとするならカッパなどアマティ的なオールドの偽造ラベルを貼るものですが、値段が高すぎると警戒するのでホモルカくらいがちょうど良いかと思います。

つまり見当違いの偽造ラベルが貼られていることが多いです。ニセモノと言いますが実際には全く的外れの偽造ラベルが貼られていることが多いです。本物そっくりに作るなんて面倒なことはしないし、できる人がそれ以前にいません。
それでも実物を見たことがない人には分からないのでイタリアのビッグネームではなく珍しい人の名前を貼るという巧妙な作戦かもしれません。

私はマルクノイキルヒェンの量産品のアマティモデルで板の厚みを薄くする改造修理がされたものだと思います。130年以上は経っており、板の割れ方からも年数以上に経年変化が進んでいると思われます。作りの甘さなどもトラブルのもとではありますが、新品のようなカチコチな硬さが取れて古い楽器のような音になる要因になるかもしれません。

それこそ量産品であることを伏せて教授に弾かせたら音が良いと言うかもしれません。

面白い試みです。


今回の話は普通はされないような本気の修理を安くて古めの楽器にしたので音がどうなのかという試みです。音が良ければ安い楽器でも音が良いという事が証明されます。しかし音は良いか悪いか判定するのが難しいです。

社長はそんなことを感じ取ってこの楽器に惚れこんだのかもしれません。しかし職人でも現役で楽器を作っている私とは目の精度が違います。楽器を作っている時期にはさらに目が研ぎ澄まされた状態が保てます。楽器の練習と同じです、何か月も離れれば甘くなります。
職人同士でも見え方が違ってきますから、営業マンにどれだけ楽器のクオリティが分かるのか疑問です。
ネット上で楽器店の説明文を読むと本当にトンチンカンな説明をしています。そういうものだと思ってください。

長年の勘か、現役の目かどちらが正しいのでしょうね?
こんにちはガリッポです。

こんなヴァイオリンがありました。値段はどれくらいでしょうか?









この作者のお値段は最大で55,000ドル(844万円)ほどになります。

作者はジュゼッペ・ペッラカーニ(1900~1995)で1958年にイタリアのモデナで造られたものです。
パッと見た瞬間に私はアマチュアの作ったものかと思いましたが、モダンイタリアの本に楽器の写真が出ているほど有名な作者ではありません。名は知られているもののイタリアの作者では有名ではないので1000万円を超えないという事でお安くなっております?

経歴を調べてみると生涯で137のヴァイオリン26のビオラ、72チェロを作ったとあります。一年間でヴァイオリンを3台チェロ2台くらい作っていたとなると仕事の粗さに納得です。

仕事の甘さもわかると思いますが、指板に対してペグボックスが太すぎます。ビオラのもの以上に横幅があります。

木材は初め大きな塊であるのをのこぎりで切断した後、ノミで削って寸法を出していきます。この時十分な幅になる前に作業を終わらせてしまったのです。
それくらい急いで仕事をしているようです。

もう少し若い頃の楽器を調べるとペグボックスが細くなっているので師匠に教わっていたころはまじめにやっていたのでしょう。師匠に教わっている時代からさらに上達する人と、たちまち手を抜く人がいます。このためヴァイオリン製作学校の生徒よりも落ちる楽器を作る職人が多くいます。

後ろ側も渦巻の部分も同様で横幅がありすぎです。

渦巻の中も最低限しか彫っていません。このようなおおよその造形的な感覚を身につけるには経験が必要なので素人か初心者の作ったものかと初めは思いました。単なる手抜きか初心者から成長していないようです。



輪郭の形もいびつです。

チェロ用の太いパフリングが入っていますが仕事のタッチも荒いです。中国製の量産品でももっとましです。

周辺の溝も彫られておりません。

この前の価値がゼロ円のマルクノイキルヒェンの量産品と同様です。

ボタンもいびつな丸です。

表板のセンターの合わせ間が開きかけています。これは面倒です。

もし作者名を見ずに楽器のクオリティだけで値段を付けたら、手作りであるという事を考えても50万円がせいぜいでしょう。ヴァイオリン製作学校の生徒の楽器の方がよほどよくできています。そう考えるとそれ以下です。

50万円位と予想した人は良い線いっています。

しかしイタリアの作者で名前が知られているので値段は楽器のクオリティを見るのではなく、取引相場を調べます。その結果844万円とわかりました。
これは外観ではわからないことなので画像だけで分かるはずがありません。
本に写真は出ていないのでTarisioのサイトで写真を調べてみると完全にタッチが一致します。この楽器が弟子が作ったなどの理由で特別クオリティが低いわけではないようです。

おそらくかなり安い値段でイギリスやアメリカに楽器を卸していたのだろうと思われます。
戦後冷戦時代には東側の国から楽器が入りませんでしたから、安い楽器は日本の鈴木バイオリンや西ドイツのブーベンロイトなどで量産されたものでした。
こちらもコストを安くするためにあらゆる手段がとられました。70~80年代に機械で作られたスクロールなどは独特なものです。鈴木バイオリンでは渦巻のところがプラスチックになっているものもありました。ニスはスプレーでラッカーが使われました。

それに比べると手抜きの方法は雑に作っただけの手作りです。

音を試してみるととても懐かしい感じがしました。私が習っていた時に使っていたチェコ製の量産品を思い出しました。
調弦のためにはじいてみると、私が言う鳴るという感じではなく重い感じがします。弾いてみるとパーンと底から鳴っていませんが、響きが多くさすがに古いせいか音離れは悪くありません。高音はとても細く鋭いものです。これでドミナントを張ればあの時のヴァイオリンと同じような音になるでしょう、25万円位のものでしたが量産品としては音が良く出るほうでした。

私は高い値段の楽器に対してはどうしても厳しめの評価になってしまいます。逆に多くの人は値段が高いと聞いた時に「これが高価な楽器の音か」と考えますので、初めてこのような音の楽器を弾いて本質的に鳴る楽器を知らなければ響きが多い点を鳴ると考えるかもしれません。

技術者から言わせると品質や作りから言ってもチェコの量産品と同程度ですから音が似ていてもおかしくありません。

そのチェコ製のヴァイオリンは響きが多くてもモヤモヤとしてはっきりした音ではなく、自分でヴァイオリンを完成させたらお役御免になりました。

板の厚みを調べると厚すぎるという事はありませんが、エッジの周辺部分に削り残しが多くあるようです。周囲に溝が掘られていないこともエッジ周辺が厚くなる原因です。画像で示した通りザクセンの量産品でも同様のものが多いです。

そのような音の質については好みの問題としか言えませんが、私は音程が取りにくく感じます。

そういうわけなのでこの楽器の魅力は値段の安さだったと思われます。ドイツや日本の低級な量産品とは手作りであるという点が違うので高級感がワンランク上という事です。
安さが魅力の楽器が844万円なら魅力はすっかり無くなりました。

アーチもペタッとして量産品と変わりません。

メイドインイタリーのハンドメイドを名乗れて、いかに最低限の労力でヴァイオリンとして売り物になるものを作るかという求めに応じるもので英米などで多く売られ、オークションなどでも取引記録があるのでしょう。文言さえそろっていれば品物はどうでもいいのが商人というものです。

今年ブログで出て来た同じ時代ではミッテンバルトのマックスホフマン

ハイニケ派のマイスター作品

こちらの方がクオリティが高くよく鳴り、上質な音がします。でも値段は180万円もしません。

身近に腕が良い職人がいない国では、日本やドイツ製の安価な量産品よりいくらか高級感のあるイタリアの楽器を買うしかなかったのに対して、ヨーロッパ本土ではいくらでも上等な楽器が買えました。このようなことがヨーロッパのローカルよりはるかにレベルが低い「国際的な評価」というものです。

英語のサイトでこの作者の説明書きを読んでいると「精密な仕事」という記述がありました。これで精密な仕事なら中国製の量産品でも精密な仕事です。

Tarisioでもガルネリモデルと書いてありますが仕事が雑だという以外に似ているところがありません。

前回は名工という言葉について取り上げました、別の作者の話ですが日本のサイトで単に急いで作ったもので、なんとかして褒めるなら荒々しいダイナミックな作風が特徴の作者に対して「繊細な仕事」と全く正反対の説明が書かれていました。単に名工というのが的外れというだけではなく、楽器を見て特徴さえもわからないようです。



言葉で情報を集めることはとても危険なことです、何も知らない方がはるかにましというわけです。

クロサワ楽器のサイトにはこの作者名のものが出ています。値段の記述はなくSold にはなっていますが、見ると質が高すぎるので明らかにニセモノです。製作地もクレモナとなっていて、偽造ラベルなのでしょうが、そのことは一切書かれておらず、作者名が見出しに書かれてしまっています。どんな言い訳を巧みに考えているか知りませんが、まあ嘘ですよね。大きな会社だから安心という事は決してないですよ。
値段がニセモノに見合ったものなら裁判を起こす値打ちは無いかもしれません。その上、本物よりも物は良いですけども、なぜ嘘をつく必要があるのでしょうか?それが大人の事情ってやつですかね。


いずれにしてもこの楽器を買って修理に職人のところに持って行くと、「こんなの買ってバカじゃないの?」と陰で笑われてしまいます。

お前は日本人だからイタリアのセンスが分からないだろと思うかもしれません。

私はイタリアのオールド楽器の大ファンですし、その真の姿を探求しているものです。さらにミケランジェロやラファエロ、ベルニーニなど偉大な芸術家に胸を躍らせます。コレルリやA・スカルラッティなどの曲に涙を流します。

イタリア的な美意識をだれよりも研究してきました。欠点の無い細部の完璧さより、このような芸術家たちはまるで天国を見て来たかのようななエレガントさを生み出します。この楽器では細部だけではなく形のバランスもおかしいです。立体造形にも何の躍動感も感じません。

イタリアのまじめな職人からしてもこのような楽器は「イタリアの恥」と考えられるでしょう。

経済状態の苦しかったイタリアでは仕事もなく、ヴァイオリンを作ればなんでもかんでもイギリスやアメリカに売ることができたので、生きていくためにせっせと楽器を作っていたのでしょう。ビジネスとして考えると仕事に何のこだわりもなく、大雑把な人が職人に向いているという事です。業者にとって安く楽器を作れる作者は天才です。どっちか言うとイギリス人やアメリカ人のセンスです。
イタリア製のものなら何でもかんでも英語ではA fine Italian violin・・・・beautiful golden orange varnish・・・などと書いてあるのですからね。


こんな情報というのは実際になじみの職人がいないと他では知ることができません。インターネットの時代でも情報とはそんなもんです。楽器を売っている業者のサイトにこんなことが書いてあるわけがないからです。
私が実物を見れば一瞬で分かることですが、スマホの小さな画面ではだれもわからないかもしれません。世界は物の価値がますますガバガバになっていきます。弦楽器の歴史が浅く物の価値のわからない国々の人々や、縁もゆかりもない投資家がこれからもどんどん売買に参入し「国際的な値段」ばかりが高騰していくことでしょう。

こんな荒唐無稽なバカげたことは身近に腕と目の良い職人がいれば起きなくて済みます。とても大きな差となります。何が大事な事か考えてください。それが文化が成熟した社会です。

高価な楽器ばかりに注目し無名な職人たちの土台がしっかりしていなければ砂上の楼閣です。
こんにちはガリッポです。

当ブログで一貫して言っているのは、職人個人の優劣と物理現象である音は関係がないという事です。音を重視するなら職人が優れているかどうか語ることは何の意味もありません。どこの誰が作ったものにも音が良い楽器があり得るという事です。音の評価自体も弾く人によって感じ方は様々です。
まずこれが大前提となります。

「名工」というワードは間違った理解へと人々を誘います。
勘違いさせ自ら進んでお金を多く払わせるように促します。

日本語の名工には二つの意味があるようです。
①優れたものを作る人
②有名な作家

この二つの概念は一致するのでしょうか?
鎖国していた狭い価値観の日本の伝統工芸全般で使われてきた日本語特有の表現でしょう。


私の勤め先では楽器の金銭的な価値を査定する業務があります。私のいる国では保険の申請に加え遺産相続など裁判所でも有効な公式な書類です。決して営業マンのセールストークではありません。

この価格の査定の仕方には2種類あります。
①品質
②相場

有名な作者や流派でなかったり、作者不明や量産品の場合には品質で値段を決めます。高い品質のものを作るためには製造コストがかかるからです。
このため品質を見分けることは楽器の値段を定めるのに重要な役割を果たします。音については客観的な評価ができず全く考慮していません


さらに状態を調べます、必要な修理の値段を差し引きます。
修理の実務を行っていないことには査定はできません。

公的な文書ですから、美意識や個人の趣味趣向などは入ってはいけません。



このように職人の腕前を品質によって評価することができます。
無名な職人の楽器では値段が職人の腕前を表しています。

それに対して有名な作者になると品質によってではなく取引相場によって値段が決まるので楽器の「品質=職人の腕前」とは関係がありません。知名度が高いほど値段は高くなりますが、値段は職人の腕前と関係がありません。


つまり日本語の「名工」の
①優れたものを作る人
②有名な作者
二つの意味は一致しないことになります。

これが成立するためには職人の腕が良いほど有名になる仕組みが必要です。しかしそのような仕組みは存在しないため、知名度と職人の腕前に関係がありません。


消費者は「名工の作品」と聞いた時に優れた作品だと勝手に勘違いします。営業マンが言っているのは作者が有名であるというだけで、作っているものが優れたものではないかもしれません。
実際に私が見ると名工と言われている作者でも普通かそれ以下だったりします。中には腕の良い職人もいますが、無名な作者にも同等の人がいくらでもいます。こうなると名工という評価に何の意味も感じません。

営業マンの場合には自分で見ても職人の腕前が分からないので、多くの人が知っている作者だと言えるだけです。多くの人が知っているので名工なのが「常識」だというだけで、自分で作品を見て職人の腕前を分かっているわけではありません。優れたものを作ったので名工というのではなく、見てもわからないけども名工と言われているのでたぶん優れたものだろうとそれくらいの意味です。
有名店の社長であっても、もしも本当に職人の腕が良いという意味で名工と呼んでいるのなら何も見えていないことに笑ってしまいます。わかってやっているのなら営業マンとして見事なテクニックです。社会人とはそういうものかもしれませんけど。
優れたものかどうか見分けができない人達の間で知られている知名度ですから、噂話のレベルで信ぴょう性がありません。わかっていない者同士で売ったり買ったりしていて名前で楽器を求め値段がつり上がっているのです。
ヴァイオリンが手元にある時、鑑定書類が揃っていなければ世界的な鑑定士に鑑定に出し、結果が出たところで初めて名品かどうか分かります。


楽器を見て品質を見分けられる職人ならこんな回りくどい方法ではなく、その場で即座に職人の腕前を測って語ることができます。作者名を隠しても楽器の出来栄えが分かります。


ですから「名工」という言葉は怪しい業者をあぶりだすNGワードと考えて良いと思います。そうなると一部の悪徳業者のことを言っているのではなく、日本の業界全体の話だと分かるでしょう。

音を重視するなら名工の作ったものである必要はなく弾いて音が良いものを選べばいいというだけです。この当たり前のことが巧みに隠蔽されています。
弦楽器により詳しいのは名工の名前を覚えていることではなく、これを知っていることです。


西洋にはギルドの歴史があります。
職人たちは同業者組合を形成し、協力しお互いの利益を守っていました。
個人が突出するような世界ではなかったのです。

これも面白い話で、現在では競争社会になっていて職人たちももはや敵同士です。競争社会の中を生まれ育ってきてそれが当たり前に思っています。才能や優れた能力を持った人だけが職業に就くことを許される社会です。

しかしオールドの時代にはそうではありませんでした。
だから別に他の職人よりも優れたものを作らなければいけないという圧力もなく、家業なので才能に関係なく仕方なくその仕事をしていました。その結果何でもない「ただのヴァイオリン」が作られたのです。
このような「ただのヴァイオリン」にも音が良いものがあるという事です。これがイタリアのもので巨匠と言っていて崇めていたら分かっている人には笑われてしまいます。

19世紀のフランスではミルクールで腕が良いと認められた職人だけが選抜されて一人前の職人になることが許される選抜システムができました。これも現代の楽器製作の基礎の一つです。決められたストラド型のヴァイオリンを作ることで上手い人と下手な人の差が出たのです。より完璧さを競い合うようになったのでオールドの作者では太刀打ちできません。つまり職人の腕の良さでは19世紀にはフランスの作者が最高という事になりますが知名度ではそうではありません。

それでもミルクールの住人だけがヴァイオリン職人を志し、全国で競い合ったわけではありません。今は世界中に職人がいるため腕が良い職人も無数に存在します。その多くは無名なままです。




またまたオールドヴァイオリンです。
この前はレオポルト・ヴィドハルムについて紹介しました。同じ時代の近い地域の楽器です。

ガブリエル・ダビッド・ブッフシュテッターの1770年のヴァイオリンです。

ブッフシュテッターの特徴はストラディバリの1690年代に作られていたロングパターンと呼ばれる細長いものをお手本として作られている点です。

アーチもドイツのオールドヴァイオリンらしくない平らなものです。

ヴィドハルムを見てみましょうか?

こちらはシュタイナー型と呼ばれるものです。実際には忠実なコピーではなくモンタニアーナにも似ているように思います。ベネツィアではテヒラーやゴフリラーなどドイツ系の作者が仕事をしており、当時シュタイナーやドイツの楽器があったのでしょう。クレモナやボローニャからも職人や楽器が来て作風がミックスしているのがベネツィア派です。

このように同じ時代に同じ地域の作者でこんなにも作風が違います。

ヴィドハルムは世界的な相場が1000万円位なのに対して、ブッフシュテッターは
データに出ていません。つまり取引量が少なく記録がないと全く無名な作者という事です。うちのローカルな相場では600万円くらいです。

なぜかヴィドハルムは国際的に有名でブッフシュテッターは無名になっています。
楽器自体はヴィドハルム以上にきれいに作られていて職人としての腕前がヴィドハルムより劣るという事はありません。ですから職人ならブッフシュテッターは腕の良い職人という事ができますが、有名かどうかで名工を語ると意見が違ってきます。

ブッフシュテッターも初めはヴィドハルムのような楽器を作っていて、実際にストラディバリの現物を手にして作風を変えたのでしょう。また、ネックの構造を見るとマルクノイキルヒェンのものに近いのでそちらの作風に近かったケースも考えられ、古くからフラットなアーチのものがあります、
しかしそれ以前のものが確認できません。
資料によると1760年頃から本人のラベルの付いた楽器があり、すでにストラド型になっているそうです。

弦楽器製作の世界では1800年以降はそれまでと作風ががらりと変わり、ストラド型のヴァイオリンが主流になりましたから、その先駆けとして歴史的に重要な作者であることが言えます。モダン楽器の始祖という事です。
シュタイナー風の方が時代遅れでストラディバリに近いという事は商業的には魅力的なはずです。ルイ・シュポアが使ったとも言われています。
にもかかわらず無名なのです。
知名度とはデマや噂のように勝手に広まっていくものでそれくらいい加減なものです。

ちなみにヴィドハルム家の一人はニュルンベルクから出てブッフシュテッターと同じ町で楽器を作っていました、ニスがそっくりなのでご近所で貸し借りしていたのでしょうか?でもはじめ作風はヴィドハルム家のものを作り続けていました。弦楽器の歴史上もっとも大きな革命的な出来事がその時起きていたとは知る由もありません。いつからかフラットなものを作るようになり1800年を過ぎると南ドイツの楽器には急にストラディバリ的な要素が入っていきます。ブッフシュテッターの試みは広まっていきました。

亡くなる直前の晩年の作品でヘッド部分はかなり癖が強くなり個性的になっています。縁の彫り方が変わっています。ベネツィアのモダン作者エウゲニオ・デガーニも似たような特徴があります。


ペグボックスの裏に穴が開いているのも特徴です。A線を固定しやすくするためでしょう。オールドの作者というのは究極のものを作ろうというよりも実用的に考えているものです。

この楽器はこれから売りに出すために簡単な修理を行います。委託する持ち主が修理代を負担する気が無いので大きな修理はできません。状態はよくバスバーは新しそうです。指板と付属部品を交換しニスのメンテナンスをすれば完璧ですが、指板の交換はできそうもありません。ただし日本に持ち帰ることはできません。

この前ヴァイオリン教授が来たときにも試してもらいました。何でも音が良いと言う人ですがこれも良いと言っていました。とくに自身のサルトリーの弓で弾いて「このような上質な楽器は弓の違いがよく分かる」と言っていました。
荒々しい音ではなくあくまで上質な印象を受けました。

後で私が弾いてみると結構強さもあってなかなかどうして弱々しいものではありませんでした。
ヴィドハルムが尖った角のある音ならこちらは面を感じる平らな音です。
ざらざらとした音もありますがこれが心地の良いもので、とても暖かみのある味わい深いものです。

この二つを比べる限りでは高いアーチとフラットな楽器の特徴があるように思えます。同じ時代に造られたもので比較できるケースは貴重です。でもフラットな楽器がみんなこんな感じではないですね。
それでもどちらが良いとは私にも言えません。使う人の好みの問題です。
だから私はフラットなものか高いアーチのもののどちらが良いかを決めていません。
現在の「常識」のように硬い頭で作風が限定されていないとヴァイオリンはいろいろあって楽しいですね。それもオールド楽器の魅力です。名工という常識も世界をつまらなくします。

ヴァイオリンというのはバネの集合体で弾力や反発力が複雑に作用しているようです。ブッフシュテッターは弓に重さをかけると全体にじわっと力がかかる感じです。
弓に伝わる感触の違いとして感じられると思います。


ちなみにブッフシュテッターの偽造ラベルが貼られたものが存在します。
日本のお店でも値札にブッフシュテッターと書いて売っている楽器がありましたが、私が見ると形が全く違い本物ではありませんでした。ストラド型以外のブッフシュテッターは確認されていないそうです。それにしても偽造ラベルの作者名を値札に書いてしまうんですね。気を付けてください。


こんにちはガリッポです。

前回の話をもう少し考えてみましょう。
ヴァイオリン教授が音が良いと預かって来たヴァイオリンがありストリオーニのラベルが貼られていました。音が良いので本物か見てほしいという事でした。
職人の我々が見れば似せてもいないのでニセモノとさえも言えない単なる別物でした。音なんてのはそんなもので、教授でもただのガラクタのようなものと高価な名器と音で見分けることは難しいです。
教授が賢明なのは謙虚さを持ち我々に判断をゆだねたことです。偉い先生にはこちらも気を使って本音を言いにくいですが、素直に話ができる関係を築いていることも大きいです。
もし偽造ラベルが貼っていなかったら手に取ることもしなかったかもしれません。正直に売られていたら安物と相手にせず気付かなかったでしょう。

それくらい偽造ラベルを貼ることには大きな差が出ます。だから偽造ラベルが貼られるのです。
日本の業者の場合、自らの手を汚さないためにも、もともと偽造ラベルが貼られているものを好んで輸入するという事が考えられます。

偽造ラベルが貼られたニセモノは本物なら安すぎて、ニセモノなら高過ぎる値段をしていることが多いです。例えば中国製のチェロにイタリアのモダンの作者のラベルを貼って300万円位で売っているとします。普通の人にとっては300万円なんてとても高価で買う方はがんばって買える限界の値段ですが、本当のイタリアの作者なら数千万円ですからたった300万円で買えるわけがありません。一方中国製のチェロに300万円も出すのはあまりにも高すぎます。そんなものはネット検索すればいくらでも出てきます。
ニセモノとはそういうものです。

鑑定が確かじゃないからとか、今だけ特別と言って中間の値段になるという事はおかしいのです。正規のルートで仕入れていたなら儲けがゼロになってしまいます。
言葉巧みに証拠は残さず日本の法律では自分も騙されていたと容疑を否認するので詐欺を立証するのは難しいでしょう。しかし仕入れた値段で分かっていたはずです。泣き寝入りするしかありません。

日本の場合には楽器店の営業マンは偉い先生に媚びて楽器を教え子に売ってもらうように営業をかけるのがメインの仕事です。先生のご機嫌を取り「先生は楽器の良し悪しが分かるので教えていただく」という体裁をとっておだてることでしょう。これはとても危険なことで、知ったかぶりの先生を調子づけ正しい知識を教える者がおらず間違いも指摘されません。間違った知識が広まる根源でもあります。先生は音楽の専門家でしかないと周知されるべきです。とかく「先生」という人種には自分が世界のルールという人がいるものです。

かつては楽器の値段もずっと安く、鑑定の確かさも軽視されていました。先生が手にした楽器も本物かどうかもわからないし、当時馬鹿にされていた楽器でも今では貴重なものです。


さらに話は変わりますが、常連のヴァイオリン教師が工房に来ていました。音大の学生の演奏を聞く機会があり、彼らの音は大きいだけで美しさに注意が払われていないと感じたそうです。自分が音大で学んだ教授はもっと美しい音を出すことを重視していたそうです。
そのような教授も世代交代しています。

楽器の販売でも同様の傾向を感じています。現在ではありったけのヴァイオリンをずらっと並べて弾き比べ音が一番大きいものを選ぶようになっています。どこの誰が作ったかはまったく気にしません。半世紀前は評判の職人に注文して作ってもらっていました。
日本はまだ職人の評判で楽器を買っている段階です。

最近ではさらに音の美しさが軽視されているようです。私が鋭い音と思うような上等なモダン楽器でもまだまだ弱すぎるようで先生にそれでは音が十分ではないと言われ、耳元でやかましい安価な楽器のような音が評価されるようです。自分が世界のルールである先生が遠鳴りなど気にするわけがありません。

我々が上等な楽器だと思うようなものは全く通用しなくなってきました。
安価な楽器ほど音が良いというわけです。
今の音大生の将来の職業の多くは先生です。

これは時代による価値観の変化の流れがあると思います。ヨーロッパの人たちは日本人のように目先の流行にはさほどとらわれませんが、大きな時代の流れに逆らうほど個性的な人はいません。

バッハやモーツァルトの肖像画のようにかつらをかぶっていたような時代の趣味趣向はもちろん現在とは違うでしょう。戦前と戦後でも価値観が大きく変わったようです。王政と貴族社会が終わり近代国家が成立すると、事業を成功したお金持ちが上流階級として台頭してきました。彼らは貴族的な優雅で上品な趣味に憧れがあったようです。クラシック音楽は最後の牙城として戦後も生き続けてきましたが21世紀になってそれも過去のようです。

刑事コロンボというアメリカのテレビ映画では上流階級の成功者が犯人で、初期の作品ではヨーロッパのお城のような豪邸に住んでいます。社長室は重厚な木材で装飾されています。日本でも校長室だけ木目のパネルになっていました。そんな趣味も末期にはなくなり現在のIT長者ではヨーロッパの文化には興味が無いでしょう。戦前のイギリスなどが舞台の名探偵ポワロでは全く世界が違います。

先生は音が大きいのが良いならトランペットをやるべきだと言っていましたが、もはや少数派かもしれません。ネットの時代には中国製の安価な楽器が主流になることはありそうです。アマゾンを見るとヴァイオリン弦の値段は2セットで1000円もしないものがあり★の評価が4.5です。西洋の老舗弦メーカーは全く時代遅れなのかもしれません。



さて継ネックの修理をしていたチェロです。

特に難しいのは穴を埋めたところのニスを補修することです。
かなり変わった形のペグボックスですが、弦が他のペグに引っかかったりすることなく実用的にできていました。

穴をまっすぐにあけるのがとても難しいです。どこもかしこもテーパーになっていて水平が分かりにくいです。

別の角度からも見ないといけません。

穴を大きくするほどペグが中に入っていきます。油断するとすぐに斜めになって行ってしまいます。
左下のペグが少し上がっているように見えますか?

ちょっとしたに力を入れながら穴を大きくしていきます。

良くなったでしょうか?

私はペグをまっすぐに入れるのがとても難しくていまだに成功したことがありません。穴を真円に開けることも簡単ではありません、傾きよりも重要なことです。油断するとすぐに穴が大きくなりすぎてしまいます、そうなるともう太いペグに交換しなくてはいけません。

量産品のスクロールでいびつなので分かりにくいです。
センターラインがきちっとしている楽器ならまだ見やすいのですが・・・。

アンティーク塗装がされている楽器の修理では新しく継ぎ足した部分にもアンティーク塗装が必要です。しかしできる職人は限られています。
もちろん古い楽器の修理では新しく足した部分を他とマッチさせるためのアンティーク塗装が必要ですが、このように初めからアンティーク塗装で作られた楽器では古く見えないアンティーク塗装をわざとやります。そこまでこだわるのは私くらいでしょう。

黒い点々があるのがマルクノイキルヒェンのアンティーク塗装の特徴です。

もともとアンティーク塗装がされていました。黒い点々があります。


駒と魂柱も新しくし弦を張って修理完了です。

継ぎ足した部分のニスも補修し違和感がなくなったでしょう。

このチェロに継ネックを施した理由は「ネックの下がり」です。弦の力でネックが下がって来てしまいます。これは弦楽器の構造上の欠点です。

ネックの角度が変わると駒の高さが変わります。古い駒が右で新しくした駒が左です。
かなり違います。
これで音に違いが無ければおかしいです。
以前の記事です。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12931866338.html
音については完全に予想できるわけではなく、「元気よくなるだろう」という程度しかわからないと説明していました。
板がかなり厚いチェロなのでどの程度改善するか気になる所です。

持ち主が受け取りに来て試奏すると元気よくなるどころかスケールが全く違います。2回り以上大きなスケールの鳴り方になりました。明るい響きは抑えられ落ち着いた暗い音になっています。板が厚くてもそれ以上に響きが抑えられれば暗い音になり得ます。しかしC線は重い感じがします。重低音ですけどもチェロではもっと軽やかに出るほうが理想でしょう。

直した価値はあったと言えるでしょう。

実はこのチェロは中年の男性が子供の頃音楽学校で初めて手にしたチェロを買い取ったものです。何十年かぶりの再会ですね。
このチェロで弾き方を覚えたので「自分のチェロ」という感じです。

金銭的な価値では修理するか微妙な所ではありました。しかし思い出のチェロということもありお金以上の価値があるようです。今回の修理で一生何とか使えるでしょう。音楽学校も昔は学校で楽器を持っていて貸していましたが、今では資金不足で手入れがされず、レンタルを外注する状況です。
このチェロも売却されて教え子のものとなったのでした。

近頃はヴァイオリンとチェロで4/4のレンタルの楽器がどんどん足りなくなります。成長してすぐにサイズが変わってしまう子供用に始めたものですが、今では4/4でもレンタルする人が増えています。学校で貸してくれないということもありますが経済状況の変化で楽器を買わなくなっているということです。

もう一つは世代の発想の違いで、楽器を買うという時代ではないのかもしれません。月ごとの利用料を払うというのが当たり前なのでしょうか?

購入の決断には重圧がかかります、本当にこれを買っていいのか自信が持てないのかもしれません。レンタルなら後で返せばいいだけです。それに対して日本ではブランドやセールスマンの言うデタラメなウンチクで決断をしやすくしているのでしょう。
試奏して音で選べと言っていますが現実には音というのはとても微妙なものです。

ともかく継ネックの修理は、単に音量が増すとかその程度ではなく、チェロが別次元になったように思います。

確かな仕事が成果をもたらしました。



お金儲けをしたいなら時代の変化に先立ってビジネスを変えていくべきでしょう。

私は最新の流行などには疎く、作っている楽器は300年時代遅れのものです。
バッハやモーツァルトの生きていた時代の楽器はバロックヴァイオリンと言い、若い頃とても興味を持って研究していました。現在はその頃のヴァイオリンをだれでも楽しめるようにモダン楽器として現代に蘇らせるという試みをしています。
私が作って来たピエトロⅠ・グァルネリ型のヴァイオリンもニスが終わりました。

写真に写すのが難しくて実物以下になってしまいます。














ニスは古代エジプトの時代からあるオイルニスを使っています。日本には無いものです。
オイルニスは紫外線を受けて亜麻仁油が酸化して固まって樹脂本来の硬さになります。紫外線のライトを当て2~3日もすれば研磨できるほどに固まります。
オイルニスの酸化を早める工夫はオイルニスの製法において重要な要素です。

揮発性のテレピン油で薄めていますので、それの蒸発に時間がかかります。これは特に蒸発が遅い溶剤で場合によっては何年もかかります。また亜麻仁油の酸化速度は反比例のように初めは速く進むのに対して、急激に遅くなっていき最後に近づくと酸化が進まなくなります。

「ニスが乾く」というのは手で持っても指紋がついたり、ケースに入れても跡がつかなくなるように実用レベルの硬さになれば乾いたということになります。乾きが早いニスとか遅いニスというのはニスが硬い成分でできているとすぐに実用レベルになり、遅いニスではそのレベルまで乾くのに時間がかかるというわけです。
100年経ってもまだ柔らかいニスがあります、すでに乾燥はしていますが材質が柔らかいのです。

塗られて何年かはまだ乾ききっていません。このことは音にも影響があるかもしれません。
残りの作業は一週間もあれば十分でしょうが弦を張るのは年末でしょうかね。


こんにちはガリッポです。

秋になってきました。メイプルの葉っぱも黄色く色づいています。ヴァイオリンに使う木材もヨーロッパを含むユーラシア大陸によくある木材です。楽器用には標高の高い場所でゆっくり育つものを使います。それが楽器用と他の用途のものとの違いです。ヴァイオリンの中での音の良さの違いを言っているわけではありません。


物置から出てきたような古いヴァイオリンがあります。ラベルにはアントニウス・ストラディバリウスと書かれています。価値はどれくらいでしょうか?
アンティーク塗装が施されています、このようなわざとらしいものはマルクノイキルヒェンの大量生産品です。

人為的につけられた傷の跡がごまのようですね。

スクロールにもアンティーク塗装が施されています。このようなアンティーク塗装でもこの通りにやるのは結構な手間がかかるでしょう。

後ろの溝をきちっと彫っていません。

全面も溝を奥まで掘っていません。

エッジ周辺のチャネリングという溝が深く彫られていません。

アーチも平らでプレスのようにも見えますが、マルクノイキルヒェンのヴァイオリンではプレスのものは見た記憶がありません。チェロの表板はあるかもしれません。フランスのミルクールや日本のスズキバイオリン、現在の中国のべニア板のものは平らな板を曲げてプレスで作アーチが作られたものがあります。

ボタンの形もきれいな丸になっていません。

弦を降ろすとサドルが外れてしまいました。見ると接着面が綺麗に加工されておらず接着剤のにかわが固まっています。

ペグは古典的な方法では、滑りをよくするには石鹸が塗られ、摩擦を大きくする場合には黒板で使うチョークを塗りました。チョークが塗られているのが分かります。つまりブレーキが利かずに弦が緩んでしまったのでしょう。チョークはペグボックスの穴と擦れていたところは無くなっています。チョークがはっきり残っている所は断面が真円ではないため、ペグボックスと接触していない所です。

いびつな丸で真円ではありません。こんなところがクオリティの低さです。

ブレーキが効かないもう一つの理由はテーパーが真っ直ぐでないことです。これは摩耗によっても起きます。
もともとのテーパーの角度も現在のものよりもきつくなっています。きつい角度のテーパーでは止まりにくいのです。角度が低すぎると動かなくなりすぎます。

当然ながら交換が必要です。

中古品で問題が多いのはネックの下がりです。この楽器では十分な高さがありますが…。

指板が外れかかっているので接着しないといけません。

これもちゃんと接着面が加工されていればまず外れることはありません。外れてくるということは接着面が平面同士になっていないということです。本来なら完全に外して削り直して付け直す必要があります。こんな楽器は修理代がかけられないのでそのうちまたはずれるでしょうがただにかわを付けてクランプで締めるだけです。

使っていて指板が外れた場合も同じです、外れた原因があるのにただ接着剤で付け直せば良いというのは乱暴です。にかわ以外の現代の接着剤でつけるのは絶対にやめてください。結局うまくいかずやり直す時に剥がれなくなります。無理に剥がそうとして指板が裂けてしまえば指板を新しいものに交換しないといけません。こちらの大事な工具も傷んでしまいます。

指板とネック側の面を削り直すとネックの角度も変わってしまいます、駒の高さも変えなければいけません。駒の高さが足りなくなれば駒も新しくしなくてはいけませんし、低くなりすぎたらネックの角度を変える修理が必要です。

このようなちょっとした故障を甘く見ると大変な金額の修理が必要になることがあります。大ごとになるのでこのような安価な楽器では根本から直すことはせず、ただ付け直すだけにして、剥がれたらまたつけるだけです。

指板を上から見るとなぜかG線の方が極端に高くなっています。ネックが斜めに入っていることも原因です。それ以上なのは指板にねじれがあるようです。これは加工精度の問題もあるし、木材が変形した可能性もあります。

一番大きな問題はボディストップです。f字孔の内側の刻みの位置に駒を設置します。標準は195mmですから200mmを超えています。こうなると弦長が長くなり抑える指の間隔が広くなります。

正しいネックの長さは130mmなのでほぼあっています。

ボディストップが長すぎることは演奏上致命的な欠点です。
f字孔の位置を無視して駒を立てれば195mmに持ってくることができます、表板の強度に影響があるでしょうがそんなことを言うほどの音のクオリティは期待しないので初心者用としては構わないでしょう。

オールド楽器ではこのようなものが多くあり悩ましいものです。

外観だけなら100点満点中20点くらいのヴァイオリンですが・・・。エンドピンの穴から中を覗いてみると修理する値打ちが無いことがすぐにわかりました。表板の内側がまともに削られておらずひどい状態でした。
売り物にできるレベルにはありません。もし売るなら表板を開けて、板を隅まで薄く削ってバスバーを付け直す必要があります。そのような修理は高額ですのでそんなことをするよりも機械で作られた中国製の新品の楽器を仕入れたほうがましです。

もちろん板を薄くしてバスバーを付ければ音は量産品の中級品くらいにはなるでしょうし、古い分だけハンドメイドの新作以上に鳴るかもしれません。

外観では20点くらいのクオリティでしたが、中身は5点くらいの楽器です。外観で30~40点くらいのクオリティが無いと、4~50万円位の値段がつけられないので改造修理する値打ちが無いということになります。

総合で言うと0点です。
初心者用の安価な楽器は需要が多く必要とされているものです。しかし中古品の中から見つけるのは難しいです。古い量産品ではあまりにも品質が悪すぎます。その上酷く壊れていることが多いです、この楽器では状態は良いですが、作られた時点で欠陥があるので直す必要があります。もうあと1~2時間ちゃんと板を薄くする作業をすれば今頃はゴミにならなくて済んだのですが、量産品とはそういうものです。

アンティーク塗装は本物らしく見えませんがそれでも手間がかかっています、その手間を板の厚みを出す作業につぎ込んでいればよかったのですが、工場で働いていた人たちは自分の請け負う工程しか関知しません。今でもヨーロッパの人はそうです、担当外の仕事は決してしません。渡欧した初めの頃、駅の券売機が故障しており、窓口の駅員に言うと「それはうちとは別の会社の担当なので券売機に書いてある電話番号に電話してください」と言われました。

ジョブ型雇用というやつです。

塗装を担当した人はその楽器が手間暇かけた塗装をする価値の無いものであるかどうかは関知しないのです。ストップの長さもf字孔を担当している人はどうでもいいのです。
f字孔を加工する担当の人はそればかりものすごい速さでやります。いちいち長さを測って位置を決めるのはめんどくさいのでしょう。そればかりやっているのでだいたいこの辺としていたのか、ヴァイオリンのことを何も知らずに切りの良い200mmにしたのでしょうか?

同じことはデルジェスにも言えます。デルジェスも長さを測らずにf字孔を開けていたようでストップの長さがまちまちです。これは叔父のピエトロ・グァルネリでも長すぎるストップになっていますからグァルネリ家はストップの長さに無頓着だったのでしょう、これがアマティやストラディバリなら決まっています。

これを「デルジェスは天才だから音が最適になるように楽器ごとに長さを変えたに違いない」などと考えだしたら精神病院に行ってください。

アマティやストラディバリでは決まっていてもその時代全体としてはルーズで徹底されていなかったということです。
失敗しやすい点はいつの時代でも同じなのです。


次のヴァイオリンです。

娘さんがヴァイオリンを習いたいというので祖父母の持っていた古いヴァイオリンを使えるようにしてほしいという依頼でした。

見るからに古いヴァイオリンです。

持ち主のお母さんは1800年代のものと聞いていたようですがもっと古いですね、1700年代でもおかしくありません。
作風からすぐにマルクノイキルヒェンの流派のものとわかります。急ぎの仕事で詳しく調べていませんので作者までは分かりません。

現代のものとは明らかに雰囲気が違います。

アーチは高く典型的なドイツのオールド楽器のものです、この前のヴィドハルムともアーチの雰囲気が似ています。


アーチは近現代のものとは明らかに違い、これがオールド楽器であることがわかります。
その中でもアーチの造形や表面の仕上げが綺麗なので、オールド楽器の中ではクオリティが高い方だと分かります。

近代や現代の楽器とは違い、オールド楽器は立体的に造形されています。したがって写真で伝えるのが難しいです。形の整ったこぎれいな感じではありませんが、立体としてみると美しさが感じられるので当時マルクノイキルヒェンで作られていた安価なものではありません。

オールド楽器の中級品くらいは十分にあります。

マルクノイキルヒェンのオールドでは他の流派と違い有名な作者がいません。値段は古い楽器であることが何もプラスにならず現代の中古品と変わりません。
オールド楽器の中で上等なものは、現代の楽器の上等なものと同じくらいの値段になるというわけです。

これは中の上くらいですのでもし完全な状態であれば最大で100万円位にはなるでしょう。家に100万円のお宝があったらすごいですね。でも本当のオールド楽器の中級品でそんなものです。

もしイタリアのオールド楽器で同等のクオリティで今なら1億円くらいします。
この前のヴィドハルムでもシュタイナーのように精巧には作られてはいません、クオリティはあまり変わりませんが900~1000万円くらいします。

職人が見た時の楽器のクオリティと商取引での値段はそれくらい開くものです。


もはやトレーディングカードのようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89
購入するときには何のカードが入って分からず、入れられている数が多く出やすいものと数が少なく出にくいものがあります。珍しいカードを手に入れたり全種類集めるためには、相当な数を買わないといけない仕組みです。
そのようなレアなカードは取引市場で高額な値段が付きます。
ポケモンのカードでも1000万円位の値段が付くようです。

印刷した業者にすれば、紙の質も印刷方法も同じで、仕事の対価も変わらないでしょう。にもかかわらず取引市場では高額な値段がついているのです。絵を描いたイラストレーターにしても同じように仕事しただけでしょうし、彼が自分のオリジナルの絵を売ってもそんな値段にはならないでしょう。

そのカードのコレクションをやっていない人には理解できない世界です。
価値があると信じている人たちがいるので価値があります、紙幣と同じです。経済とはそういうものです。

最近の弦楽器の値段はそれと似ているように思います、製造している職人には理解できません。

そのようなコレクションマニアが悪趣味とは言えませんが、本当に音が良い楽器や腕の良い職人が丹精込めて作ったものを欲しい人は値段とは関係ないことを知るべきです。


初心者用ということでテールピースには4弦アジャスターがついたウィットナーのプラスチック製のものに交換しました。弦はピラストロのヴィオリーノです、張力が弱く初心者にも弾きやすいものですが力強い音がするものではありません。
長年使われていなかったようですが、かつては由緒ある楽器として大事にされていたようです。駒と魂柱を交換して弦を張り変えただけで使えるようになりました。裏板のセンターにはパフリングが入れられていますがおそらくオリジナルではなく修理の時に入れられたものでしょう、このような修理はイタリアのオールド楽器でも見たことがあります。

気になる音はどうでしょうか?
同僚が弦を張って調弦をしていましたが、横で聞いていても明らかによく鳴ります。
自分で弾いてみても印象は変わりませんでした。とてもよく鳴ります。よく鳴るということは音量があるということです、高いアーチでも鳴れば音量があります。フラットな楽器でも鳴らないものはいくらでもあります。フラットでも音量が無いものがいくらでもあり、高いアーチでもこれのように音量があるものがあります。つまりアーチの高さと音量に相関関係が見いだせないということです。

オールド楽器ではアマチュアなど一般の人が弾いてもうまく音が出ず、思ったほど鳴らないということがよくあります、上級者が弾くと見事な音で自分の腕が悪いと思ってしまいます。
それに対してこの楽器は私がちょっと弾いただけで明らかに鳴ります、こんなに鳴るオールド楽器は珍しいです。

音の質はやや荒々しい鋭さがあり、柔らかいオールド楽器のイメージは通用しません。低音はボリューム豊かに響きます、高音で特別柔らかさは感じません。

つまりモダン楽器のよく鳴るものと音が変わりません。オールドらしいとか高いアーチらしい音というのが何も感じられません。
ここでもアーチの高さと音の法則性が見出せません。

ブログを読んでいればいつもの話ですけど、初めての人もいるかもしれません。未だに弦楽器について本などを読んでアーチは平らなほど音量があるとか高いアーチでは甘い音がするとか知った顔して教える人がいるんですよ。アマティは高いアーチでデルジェスはフラットでストラディバリはその中間とか本には書いてあります、でも実際にはアマティはそんなにアーチが高くないしフラットなものもあります、それも最初期のアンドレアのものにもあります。アマティもストラディバリもデルジェスもアーチの高さはバラバラです。

本を読んで勉強するのはまじめかもしれませんけども、実際異なるアーチの高さの楽器の音を聞いた事があるんですか?
でもどの分野でもそれくらいの知識で職業人としてやっている人は多いですよね。


知らずにただ試奏して音が気に入った楽器を選べばいいだけなのになんでそんな余計なことを教えようとするんでしょうか。日本語でそれを読んだ人がまた語るので日本特有の知識が広まるのです。


なぜ鳴る楽器と鳴らない楽器があるのかは外観の特徴や寸法からは分かりません。100万円もしないオールドヴァイオリンが鳴るのですから値段や知名度も産地も関係ありません。
つまり弾いてみないと分からないです。
この仕事で多くの経験をするほど理論や法則性は分からず弾いてみないと分からないということを思い知らされます。
鳴るか鳴らないかという簡単なこともわからないのです。分かるのは新作楽器が鳴らないということだけですから、新作楽器を買うことがいかに特殊かということです。

ともかく初心者が初めて使うヴァイオリンが本物のオールドの中級品以上のもので、優秀なモダン楽器のようにやたらよく鳴るのですからすごいですね。初心者の生徒でこんな楽器を使っている人はいないですよ。

エヴァ・ピラッツィじゃなくてヴィオリーノで鳴る楽器は鳴るんですから経済的です。

しかしこのような楽器は世界的には全く評価されないものですから、物の良し悪しが分からないものです。こんな楽器が欲しくても店には売っていません、祖父母に感謝です。


ヴィドハルムの持ち主のヴァイオリン教授が来ました。
とにかく音が良いので見てほしいと預かってきたヴァイオリンを持ってきました。ラベルにはロレンツォ・ストリオーニの1799年製とあります。教授としては音が良いので本物かどうか見てほしいとのことです。
見るとすぐにクオリティが最低レベルであることがわかります、こんなひどいクオリティのものはそうそう見たことが無いです。ストリオーニの腕前は並の職人以下でヘタクソです。それでも私が見たものはクレモナ派の伝統は多少残っていてオールドらしい立体的なアーチをしていました。
それで言うとその楽器は真っ平らなアーチで近代の低級品です。前回話をしたまさに典型的な偽物です。ストリオーニが仕事の粗い職人だとしてニセモノはそれよりもはるかに粗いのです。スクロールは胴体と色や作風が合わず別の楽器のものがつけられているように見えました。単純に壊れて修理せずにほかの楽器のものを取り付けたか、ニセモノを売る時に違う流派の特徴のあるスクロールを変えてしまうということもあったでしょう。

ニセモノは私が見ると似ても似つかないものがほとんどで、単なる別物、ニセモノですらないです。似せてそっくりに作るような努力しなくても素人は騙せます、ヴァイオリン教授でも分からないのですから。判別が難しいのは20世紀のニセモノで、それも値段が上がって来たので特に日本では警戒する必要があると思います。

作者、流派不明でクオリティは最低レベル、部品もオリジナルじゃないとすれば値段は20万円も付けたら高すぎるかもしれません。しかし教授は音がとても良いと言っていました、音だけなら5000万円のレベルだそうです。音だけで判断して本物のストリオーニと思って買っていたら大損する所でした、第三者の意見を聞いてよかったですね。

こんな出来事から、職人の腕前や値段と音は全く関係が無いということがわかります。
音だけで言ったら職人が上手く作る必要は全く無いですね、私たちにとっては残念な結果です。才能も努力も必要なくやっつけ仕事で十分です。
量産品というのは中身よりも見た目をよくしてだまそうとする所がありますが、その楽器はそんな様子が一切ありませんでした。それも幅も狭くて小さいモデルでした。

アマティ家がヴァイオリンを凝ったものにし過ぎたようです。ブレシア派みたいなものが道具として普通なんでしょうね。イタリアのオールド楽器の多くも粗雑に作られているのは、オペラなどが盛んになりオーケストラに楽器を供給しなくてはいけなかったりして大急ぎで楽器として使えれば良いとどんどん作ったのでしょう。電動工具もない時代にチェロやコントラバス(ヴィオローネ)を作るのは大変なはずです。まとまった数のチェロを作ったモンタニアーナの労働は称賛されるべきです。このようにイタリアのオールド楽器を見ると「ただ作っただけ」という印象受けることがよくあります。

彼らはヴァイオリンの中で特に優れたものを作ろうとしたのではなく、ヴァイオリンとして使えれば良いと作っていただけでしょう。お城や宮殿に置く高級家具ではなく山小屋で座れれば良いと端材で作った椅子のようなものです。結果としてそういう風に作られたものに音が良いものがあるのです、今回のヴァイオリンも時代は違いますがそんな感じです。

演奏家と接する機会があるとそんな経験をするのですが、偉い職人が自分が王様となって工房を構えてしまうとなかなかこういう機会は無いかもしれません。このような経験は自分が人生を賭けてやってきたことが無駄に思えるような出来事です、泣きたくなります。でもそういうことを素直に受け止めることが楽器や仕事に対する真摯な姿勢であると思います。それを人に知らせることも正しい知識を広めることになります。

弦楽器の業界は楽器を売る人と作る人とそれしか専門家がいません。彼らは自分にとって都合の良い話をします。正しい知識を追求する学問のような立場は無いので嘘しか情報が無いのです。何もかも嘘ばっかりです。学問でも重要度とは関係なく人気のある分野とそうでない分野があり予算に差があるので同じですね。
現実をよく知ると、本などを読んでも論調だけで「神話」であることがわかります。イギリスで書かれた古い本は本当にひどいです。現代の偽科学も臭いで分かります。
そのような神話をまだ信じている人が私の文章を読むと、上から目線でふざけて小バカにしていると感じるかもしれません。どちらが真摯に取り組んでいるか考えてみてください。


エヴァピラッツィを張ってメンテナンスを終えたヴィドハルムを教授が試しに弾くとやや尖ったような枯れた音で離れて聞くとつややかで暗く美しいです。イタリアのような音だと教授は言っていました、私もイタリアの楽器と変わらないと思っていましたが同じ意見のようです。典型的なドイツの楽器でそんな音がするならイタリアのような音なんて無いのですけどその辺は音楽家です。フラットな楽器とは明らかに音は違いますが、教授はどの楽器を弾いても同じような音量を出します、現代の楽器でもオールドでもフラットでも高いアーチでも明らかな音量差は感じませんでした。鳴るとか鳴らないとかは一切気にしていないようです。どの楽器を弾いても教授の音です。

したがって普通に作ってあればうまく弾けばどんな楽器でも楽器として機能します。教授は普通レベルの楽器なら何でも音が良いと言っていました。ストリオーニラベルの楽器のように普通以下のものでも音が良いものもありました、ヴィドハルムのように現在では良くないとされているアーチでもです、もっともっと基準は緩くて良いです。だから数あるヴィオリンの中で特に優れたものである必要もないようです。
楽器に助けてもらおうとなると楽器選びにはうるさくなるのでしょうか。

そのストリオーニラベルのヴァイオリンも教授はとても音が良いと言っていましたが、聞いている私にはよく分かりませんでした。観客に分かるレベルではないです。ヴィドハルムは私が過去に大修理したのでどうしても情が移ってしまいます、私も全く公平に評価することはできません。

神話ではなく現実のヴァイオリンってこんなもんです。
仏教の「悟り」の概念に近いかもしれませんね。






こんにちはガリッポです。
体力の限界を超えて風邪気味です。


私がするメインの仕事は楽器の製作、修理と価格の査定です。

製作したり修理したりする場合は木材を加工、接着、塗装を施すのが実際の作業です。
専門技能は木材加工と塗装です。
ただ単に加工するのではなくて、正しく加工しなければいけませんので、仕上がりがそれで良いのか何度もチェックする必要があります。接着が完全であり、ニスもきれいに塗らないといけません。このため目が養われて行って楽器のクオリティが分かるようになります。失敗をしたことで学ぶと言っても良いでしょう。一通りすべての失敗をすることで「適切」を知ることができるのです。始めは何が良くて何が悪いなどは全く分からず師匠に指摘されてはじめて気付くので独学では不可能です。またどの職人の世界でもヨーロッパでは同じような「クオリティ」の概念があり欠点ばかりを気にして重箱の隅をつつく日本とは多少違います。

価格を査定するのは、修理をする場合に楽器の価値に応じた修理が必要だからです。簡単に言えば高額な修理をする価値があるかどうかを判断することです。また中古楽器の買取や保険の査定、新品の楽器の仕入れもあります。

値段を決める場合には二つの基準があります。
①品質
②知名度

日本人が大事にしているのは⓶の知名度なのに対して、私の所では①の品質が重んじられます。職人が楽器を見た場合に重視するのは①なのに対して、商人が重視するのは②です。

つまり、私の所では商人よりも職人の権限が強く、日本ではその逆ということです。
どちらが正しいかということはありません、お好きな価値観を選んでください。

ただし選ぼうにも日本では職人側からの情報は不足していることでしょう、あまり職人はべらべらしゃべらないものです。営業マンは喋るのが専門技能です。
他に職人発信の情報がたくさんあれば私は趣味に徹したいと思いますが・・・。
職人の側の意見がすべて正しいというのではなくて反省も必要でそのことも取り上げています。

職人側からの情報を伝えるのが当ブログの特色です。

職人の意見と商人の意見、私の所の考え方と日本の考え方では全く異なることでしょう。私のブログを参考にしたければ参考にすればいいし、考えが納得できないなら読まなくて結構です。

読者の方にお会いして、高価な楽器を持っている人にもお会いしましたがニセモノを買ってしまった人が少なくありませんでした。何を信じるかは自由です。


コメントについてはさんざん労力の限界を言ってきましたが、「コメントを受け付けない」という設定にさせていただきました。
大変申し訳ありませんが、静かに職人の人生に精進するためです。預かっている楽器、頼まれた注文に体力を使いたいです。



楽器の査定について話を戻すと作られた99%の弦楽器は特に知名度もない無名なものです。鑑定が定かではないもの、鑑定士でも分からないものが無数にあります。それくらい歴代のメーカーの数が多いのです。
この99%はすべて取るに足らないゴミというわけではなく、品質には差があります。
安く楽器を作るために酷い手抜きで作られたものもあれば、しっかり作られたものもあります。

かりに「完璧」に作られたものを100点として採点するとしましょう。
80点もあれば一人前の職人がまじめに作ったものです。
90点なら一流の腕前の職人で職人を志した人のうち5%にも満たないでしょう、それでも無名な人がほとんどです。100点は私の空想の産物で実在しないでしょう。95点は19世紀のフランスの作者くらいです。これも知名度とは直結せずフランスの中ではマイナーな人かもしれません。
60点くらいなら量産品の上級品やハンドメイドの未熟な職人のものです。
この前のべニア板のチェロなどは10点が限界でしょう、10点でも音が悪くないという話でした。スペックでは上の「無垢材」で20点のものよりは音はましです。

商人は「量産品」と「ハンドメイド」の違いについて重要視するかもしれませんが、我々からすれば量産品であろうとハンドメイドであろうと60点の楽器は60点です。そこを区別する必要はありません。商人ならハンドメイドというだけで高い値段を付けるかもしれませんが職人が値段をつけるとハンドメイドの楽器は量産品より品質が高い場合に限って量産品よりも高価になるというわけです。もし量産品で80点くらいの出来のものがあれば値段もハンドメイドの楽器以上でもおかしくありませんがまず無いです。量産品とは安く作ることで買いやすくするというビジネスモデルだからです。量産メーカーの最上級品はカタログ上は存在しますが買う人がほとんどいません。

99%の楽器はこのようにクオリティで価値を判断すれば良いです。ほとんど世に存在する楽器は品質で値段を査定すればそれで良いです。
この99%の楽器を知ることが弦楽器を知ることと言ってもいいほどです、しかし手抜きで作られたひどい粗悪品について解説している本などはありません。知るべき99%について情報が無いのです。本などに掲載されるのは高価な名器、つまり残りの1%だけでそれを知っただけではなにが普通かさえわからないのです。普通を知らなければ普通の楽器を作った人を天才と勘違いしてしまいます。

ブログでは読者の気を引かないようなつまらない日常的な出来事を紹介しますので、弦楽器の本質について感覚を養ってほしいと思います。つまらない努力に付いて来れる人だけを対象にします。


品質というのはあくまで木材を加工し接着して塗装を施すクオリティ、近代以降であればストラドモデルのモダン楽器としてのお手本があり、専門教育を受けているかどうかも基準となります。量産工場に勤めて一つの作業分野だけを担当している人は、全体としての専門知識がありません。
ニスも結構重要で木工が90点でもニスが60点だと60点の楽器に見えてしまうほどです。

職人の仕事は、それぞれの工程で失敗しやすいことは決まりきっています。始めて作業を行った時に誰でも同じような失敗をします。例えば蕎麦の麺を打つ時、専用の包丁で切っていきますが、初心者がやると太さがまちまちできしめんのように太くなってしまうものです。それで良しとしてそのまま売っているのが品質の悪い楽器であり、ちゃんとできているのが高い品質の楽器です。
失敗しやすいことは決まっていて素人が作ったものはどれも雰囲気が似てくるので個性とは言えません。訓練によってそれを乗り越えるか、そのまま自分を天才と思って売ってしまうかです。

住宅で言えば施工不良の欠陥住宅、電気製品のはんだ付けならはんだ不良のようなことを言っています。
おしゃれな外観や住みやすさや使い勝手に消費者は興味がありますが、私が言ってるのはそのレベルではありません。私が欠陥や製造不良が無いと選んだものの中ら使い勝手は試奏して自分で確かめれば良いとそれくらいのレベルの話です。
普通はクオリティが低い変な形状のネックは持ちにくいでしょうし、ガクガクしてペグはうまく機能しません。ビリついて異音が発生したりします。弓がほかの弦を触ってしまいまったり、弦を抑えにくかったりします。そのほか様々な不具合が発生するリスクがあります。
しかし高い品質の楽器でもなぜかわからないけどこの楽器は弾きにくいとか弾きやすいとかもありますし、音も品質に比例しません。使い手との相性ですので購入した後でカスタマイズが可能です。

高価な服を買ったのにミシンの縫い目がまっすぐでなく千鳥足のようにふらふらしていたらどうでしょうか?洗濯したらクシャクシャです。水道管のつなぎ目に隙間があると水が漏れてしまいます。

どこの蕎麦屋が旨いとかそういうレベルじゃなくて、私がしているのはプロとして提示されている値段のお金を取れるかどうかのレベルです。味は好みの問題ですから、太さがまちまちでもおいしいと感じるかもしれません。音も同じです。

失敗をしてはいけないとなると慎重になり作業は時間がかかります。どうでもいいなら安く作れます。このためコストが高くなるので値段も高くなります。


つまり専門教育を受けた人が失敗しないようにまじめに作ってあれば立派な楽器であり、値段は90点以上なら1万ユーロ(174万円)くらいするということです。しかしこれに音は考慮されていません。
形やニスの色などは職人ごとに考えがあるので、客観的に価値を評価することはできません。音も同様です。
これが商人の発想ならこういう色のニスがよく売れるとか、お金になるかどうかという基準で評価します。職人の発想ではすごく変わった色の楽器があっても、評価額はクオリティで決めます、その変わった色の楽器を欲しいという人が現れるかどうかは分かりません。1万ユーロの価値があると言いますが、買う人がいないとお金に変えることはできません。一方商人はこういう色のニスが最近流行っているとかそのような評価になります。一人の人の中でも根っからの職人タイプと商人の要素が強い人がいます。また保険会社に申請する書類を作る場合には品質で価値を査定すれば良いですが、自分が買い取って売る場合には、うちにくるお客さんが欲しがるかどうかを考える必要があります。

こういうわけなので1万ユーロの予算があるなら、品質に応じて値段を付けているのでその中で試奏して好きなものを選んでくださいというわけです。

99%の人にとってはこれで終わりです。私の仕事の99%もこれです。


ところが高価な楽器の場合には②の知名度によって値段がそれ以上になります。
メジャーな流派であれば60点の出来でも1000万円するかもしれません。職人の目から見ると1000万円の相場の楽器でも60点の楽器は60点です、楽器の出来栄えは量産品と変わりません。音が量産品に似ていても不思議ではありません。
作者名を伏せて見せられたら60点の楽器として80万円くらいと言うでしょう。しかし鑑定書があって作者名が分かると、データベースで相場を調べて1000万円になります。ですから楽器そのものは80万円、鑑定書が920万円で合わせて1000万円です。鑑定はそれくらい重要なものです。店主やユーザーが自分でどう思うかなんてのは意味がありません

つまり品質の高さに比例して値段がついているわけではないということです。

目利きなんてのは忘れれてください。「自分はセンスがあるから本物を見分けられる」なんてうぬぼれは絶対に捨ててください。もし楽器のクオリティが値段を表しているなら私でもだいぶわかります、しかしそうではありません。60点の楽器でも知名度が高ければ1000万円になることはあります。私にはその判断はできません。その作者に詳しい人でないと分かりません。

その鑑定書も捏造や偽造、鑑定士として通用するものかどうか疑念がありますから。

だまそうと思うなら膨大な労力と一流の腕前で本物そっくりのニセモノを作る必要はなく、安く手に入る中古品に似た楽器の鑑定書を偽造すればはるかに少ない労力で済みます、本物の鑑定書を知ってる消費者はいないからです。
ちなみに日本では鑑定できる所が無いです。
ただし、日本人の作者本人に鑑定してもらうことはできるし、作者の弟子の意見なら信ぴょう性が高いでしょう。

この1000万円の例では、ニセモノは多くの場合500万円など相場よりも割安な値段で売られます。しかし80万円の楽器に500万円を払うのは高すぎます。正規ルートで買った楽器を500万円で売ったら儲かりません。品質だけで判断すると80万円、鑑定が確かなら1000万円でどちらかしかないのです。

本物だった場合でも、そのような60点の楽器を修理に職人のところに持って行くと「こんなのを1000万円で買うなんてバカじゃないの?」と思われるのです。相手を傷つけたりケンカになったりするので口にはしなくても、まともな教育訓練を受けた職人なら誰でもそう思います。
楽器店の営業マンは名工だの天才だの言いますし、職人から見ると粗い仕事なのに繊細な仕事だとかデタラメを言います。自分では見る訓練ができていないので、そんなのは常識として知れ渡っているという言い方をするでしょう。名工とかそういう言い方をする時点でデタラメを言っていると考えて良いでしょう。

そのような職人からの情報を一般の消費者は現実世界で聞くことができません。
職人とケンカして分かりあって初めて聞ける話です。
それをうちのブログでは語っていますから、怒る人もいるでしょう。しかし、相手がどんな理解を持っていて質問しているかは分からず、それを推測して分かるように返答するのも不可能ですのでコメントに返事はしません。

そもそも「なぜおまえはそんな上から目線で楽器を評価できるのか」と思う人もいるかもしれません。偉い人が言うことが正しくて、偉くない人の言うことは間違っているというのは極めて日本的な考え方です。そんな話が聞きたいなら私では期待に沿えません、見るのはやめてください。
私は楽器の品質を評価することはしても、天才だの傑作だのそんなことは言いません。クオリティがどれくらいか言うだけで、素晴らしいかどうかは好みの問題です、音もそうです。


モダン楽器とオールド楽器では考え方がガラッと変わります。
このため職人が正しい教育を受けて訓練し品質を見分ける目を見につけても通用しないのです。ここでは職人はある種の謙虚さが必要です。現代の考え方を絶対的に信じてオールドよりも現代の楽器の方が優れていると考える人もいます。
私はそうではなく、我々には理解できない良さを知るべく取り組んでいます。古い楽器と同じものを作ろうという行為はそれ以上無い訓練です。作ってみて比べて答え合わせをするのです、それが見るということで、ただ手に取って見ただけでは見た内には入りません、視界に入っているだけです。


それでもオールドの時代にも品質の差はあり当時として、価格に差があったようです。アマティ、ストラディバリ、シュタイナーを100点として採点することになるでしょう。オールドの80点はモダンの基準の60点くらいかもしれません。しかし点数には表れない時代による作風の違いがあるのですが、それが分かるのはクオリティの差よりも難しいです。

仕事のクオリティが近ければ雰囲気は似て来るのでクオリティが低く手作り感がある近代の楽器、つまり近代の低級品に偽造ラベルが貼られて流通します。
この業界ではラベルは信用できません。同じ古いクレモナの楽器でさえ格上の作者のラベルのに張り替えるのが商慣習でした。

多くの場合には本物の作者よりも偽造ラベルが貼られたニセモノの方がクオリティが低いです。
このためクオリティが分かると、ニセモノを見分けるのに役立つことが多いです。
ただし中には本物の方がニセモノよりもクオリティが低いものがあります。
そのような腕の悪い、または安い楽器を作っていた作者もニセモノが多く出回っています。
腕の悪い作者の場合でもそれよりも低いクオリティの楽器に偽造ラベルが貼られることが多いです。ですからクオリティが分かることはすべての基礎で分かるためには訓練が必要です。

これが職人としてのベーシックな部分です。
音楽の専門教育を受けた人なら音程やリズムなどを一般の人よりもつかめることでしょう、人気のある歌手でも音痴であればすぐにわかるでしょう。しかし紅白歌合戦の観客に説教することはできません。また正確な演奏が必ずしも感銘を与えるものではないということも知っているでしょう。

それと同じで人気があって高価なが楽器でも、基礎が分かっているとそれほどでもないということがわかります。そのため職業訓練を受けていれば、特別偉い人ではない私でもクオリティを言うことができます

クオリティがどれくらいか言うだけで、傑作だとか天才だとかそんな評価はしません。姿かたちは好みの問題です。音も同じです。


職業訓練を受けることが実際にはかなり難しいです。
弦楽器の製作方法を学ぶにも何年もかかります。教えてくれる人がそんなにいるわけではありませんし、学校などで学んだとしても就職するのは簡単じゃないです。日本でもヨーロッパでも就職は引く手あまたではなく難しいです。

就職したとしても、社長や親方がどんな人かによっても学ぶことが違います。お金儲けだけを考える人なら仕事は「お客さんにバレなきゃいい」とできるだけ手抜きをすることでしょう。そうしなければ怒られてしまいます。

学校を卒業せずにずっと留年することもできるかもしれませんが、生活費を稼ぐことができませんし、学校ではプロの実務を経験することができません。
一方楽器店に就職すると自分で楽器を作ることはありません。生きていくために就職するとその時点で楽器作りは終わりになります、そういう人が多いです。
ヴァイオリン職人と言ってもほとんどは「ヴァイオリン作りを習ったことがある職人」です。

このため研鑚を続け90点の楽器を作れる職人はその時点で凄いんですが、消費者はそんな苦労は知りませんから有名じゃないと馬鹿にして見向きもしません。中古品になるとワゴンセールのように売られます。

なので当ブログでは愛を持ってマイナーな作者の楽器の価値を伝えています。
それでも音は好みの問題ですから、やはり音が気に入らなければ買う必要はありません。職人はそれを真摯に受け止めるべきだと思います。

50点や60点の出来でも音が良い楽器はあります。
実用的に楽器を選ぶならそんなものも候補になります。
しかし音が良く何千万円もしたからと言ってもクオリティは50点や60点であることには変わりません。50点や60点でも音が良いものがあり得るというだけで職人は下手か当時は安上がりに作られたものであるというのが事実です。巨匠だの天才だの言うとそれは違うと思いますが、音が気に入っていて愛用品というのなら文句はありません。凡人にも音が良い楽器ができることがあるということです。


その場合腕の良い職人が修理したことで楽器として使用が可能になっているかもしれません。
音は良いけどネックの長さがおかしく音程がとりづらい場合には継ネックして修理しないといけません。たとえ何千万円もする楽器でも修理した無名な職人の方が腕が良いなんてことはざらにあります。オールド楽器なら分解して組み立て直されていますから無名な職人の技量はとても大事です。

そのようにちゃんと訓練を受けて専門知識と技能を身につけた職人になら楽器を任せても良いでしょう。そういう職人が身近にいることはとても大事なことです。



と言ってきましたが、それでもクオリティを見分けるのも簡単ではありません。よく分からない楽器がよくあります。30点なのか40点なのかなんてその時の気分ですよ。視覚は相対的なものなので、それ以前に見ていたものに引きずられてしまいます。90点の楽器を見ていれば60点でもガラクタに見えるし、世の中には20点くらいの楽器ばかりが溢れているので、40点でも「立派な楽器」に見えてしまいます。近頃は機械で作っているので中国製で10万円位のものでも意外とそんなに悪くなかったりします。
外見はきれいだけど中はひどいとか板が厚すぎるという「ひっかけ」があります。
職人同士でも意見が分かれることがあります。

もっと極端な例はビオラを扱っていると、ヴァイオリンを見たときに3/4なのか4/4なのか測らないと分からなくなります。

世の中から求められているので勤め先の会社としては価値の査定をやっていますが、100%の自信がないので私個人としてはやりたくはないです。自分の仕事を精いっぱいするだけです。

社会的な要請から価値を評価するということは、好き嫌いの要素を入れてはいけません。自分の趣味趣向とは切り離して考える必要があります。
保険でもはるか高額な評価額を設定して、故意に補償を受け取ることは詐欺になります。ラジオでも報じられましたが、うちの方でもJ.B.ヴィヨームのヴァイオリンなどを含む盗難事件がありました。楽器専門の保険会社ではなかったため適切な書類が無く補償を受け取るのは難しいと思われます。

日本でも、このような考え方が統一されていなければいざトラブルが起きてから保険会社と争うことになります。

ペグです。
継ネックをしたチェロですが、ペグの穴は埋めて開け直すため細いペグを使うことができます。もともとついていたペグは上等なものであり、新しいものに交換するよりもこれを再利用した方が良いでしょう。
ペグは専門のメーカーが作りますが、これが上等なペグがどうかを見分けるのもクオリティです。昔はうちの修理では量産楽器にこんな上等なペグを付けていたのですから今では考えられません。

ペグの軸は鉛筆削りのような専用の工具を使って削ります。簡単そうに見えるかもしれませんが3つ重要な要素があります。断面が綺麗な円になっている事、テーパーが正しい角度になっていること、正しい太さになっている事です。実はこれはとても失敗しやすいもので難しいです。黒檀は硬く脆い木材で加工が難しく、繊維の向きがあるため、回転する場所によって削れやすさに違いがあります。削れ方にむらがあると真円ではなくなってしまいます。新品の楽器や穴埋めしたものは細いペグを取り付けます。太すぎるとすぐに穴を埋め直さなければいけなくなりますし、細すぎれば強度も落ちますし、工具にあわず上手く加工できません。長年使われている楽器でペグを交換する場合は、穴の大きさに合うように太さを加工します。

ペグを取り付ける時には摩擦が大きいので石鹸を付けて試してみます。ペグが正しく加工されていると、ペグボックスと接している所の石鹸が擦られて光沢が出ます。真円でないと光沢の部分が途切れます。またテーパーがあっていないとどちらか片方の壁しか当たっていません。この写真のようにできれば一安心です。

弦の交換などで外す時があれば自分の楽器のペグを見てみてください。安価な楽器では表面が割れていたり、穴をあけてあるところが欠けていたりします。これも失敗しやすい所です。

逆に言えば量産楽器で工場で取り付けられたものはほぼ100%そのような失敗をしています。これは個性ではありません。
これがまずいと滑らかにペグが動かず、またブレーキが効きにくく弦が緩んでしまいます。うちの店では量産楽器はペグが取り付けられていない状態で仕入れ、うちで取り付けます。これが総合楽器店で職人がいない店ではできません。

理想的なのはギュウギュウと押し込まなくても弦が止まっている状態です。正しく加工されていれば動かしやすくてブレーキも効くのです。
これも摩耗したり、軸が変形して来たりするので時々削り直すメンテナンスが必要になります。削って軸が細くなると中に入っていくのでペグは短くなります。このため削る量は最小限にとどめないといけません。うっかり削りすぎるとペグの終わりまで入ってしまうので交換が必要になります。失敗しやすいことは決まっています。



私は天才だの傑作だのそんなことに興味を持つのではなく、粗悪品なのかまともな品物なのかそのレベルで楽器を見ることを言っています。ヴァイオリンは作るのが大変な作業なのでまじめに作ってあることが少ないです。この時音は関係ありません。料理で調味料の配合を変えて味を変えるように音を自由自在に作ることはできず、ヴァイオリン製作学校で習うことではありません。ヴァイオリン製作学校では与えられた寸法に正確に加工することを教わります。現代ではヴァイオリン製作の方法がセオリー化されていてそれも学びます。

セオリー通りに加工できなければ粗悪品でセオリー通り正確に作られていれば腕が良い職人ということになりますが、オールド楽器を見るとこのセオリーからは逸脱したものにも音が良いものがあります。
このため私はセオリーが絶対ではないと疑うようになっています。
一般の人がヴァイオリンについて勉強するとこのようなセオリー(理論)を知ることがあるかもしれませんが音については怪しいので理屈ではなく楽器は実際に試奏してみてください。中途半端なことは知らない方が良いというわけです。


楽器の品質というのは職人の腕の良さや楽器のグレードを表しています。
しかし必ずしもグレードの高い楽器が好きな楽器とは限りません。

それでも品質とかけ離れた値段の楽器を見た時に職人は騙されません。
いくら高価でもただの普通の楽器でしかないのです。

日本人が江戸~明治時代にオランダ人などの持っていたヴァイオリンを見よう見まねで作ったのなら、才能が大きな役割を果たすでしょう。しかし西洋では歴史のある普通の工業製品です。仙人のような人の作るものではありません。工業製品だからこそ魅力があると思います。









こんにちはガリッポです。




またまたオールドヴァイオリンの話から

以前私が修理したレオポルト・ヴィドハルムです。ドイツのニュルンベルクの作者で1700年代中頃以降のものです。

これもこの前から話しているヴァイオリン教授の所有物です。
なぜかドイツの作者ではヨーロッパ大陸から見て海外でも知られていて知名度があります。最新の相場では最大で7万ドル、今の為替では1000万円ほどになります。息子のマーティン・レオポルトでも値段はそれほど変わりません。品質にはばらつきがありますが最低ランクでも55,000ドルですから800万円にもなります。

日本の観光地でも海外で知られている所には外国人が殺到し、知られていない所には誰も来ません。なんでこんなところに大量の外国人が来るんだろうと首をかしげることもあるでしょう。それと同じで、イギリスも含めヨーロッパ大陸の「海外」でなぜか有名な作者は値段が高騰し、同じような見事な楽器であってもそれ以外は据え置きとなっているのが今の値段の動きです。物価上昇を考えると実質マイナスですらあります。

日本の醤油ではキッコーマンは世界に進出し知名度があります。
キッコーマンの醤油はヨーロッパではオランダに工場があり、今私の所では1Lが9ユーロで売られています。今の為替相場では1500円ほどになります。つまり世界的に評価が高く値段の高い醤油です。
日本人からするとキッコーマンの普通の醤油は大量生産のベーシックなもので特別高級品ではないですよね。200円台だったものが300円を超えたようです。
醤油生産国の日本ではライバルが多く値段も安いのに対して世界では名前が知られているのはキッコーマンだけなのでそんなに高いのです。キッコーマンは世界一有名な醤油です。

日本と世界とどちらが醤油の良さを評価できるでしょうか?
醤油は英語ではソイソースと言います。ソースと言うので寿司を食べる時こちらの人はフランス料理のソースのようにたっぷりつけます、ドボンと寿司を醤油に浸して食べています、日本人が見たら「分かってないね」と思うでしょう。
海外の人たちが日本中の醤油の中からキッコーマンを味が良いと選んだのではなく、キッコーマンが営業努力をして海外進出を果たしたのでみなブランドを知っているのです。

日本の楽器店で言われる「世界的な評価の高い作者」ということもこれに似ています。
キッコーマンと同じように他にいくらでも素晴らしい楽器を作っているメーカーがあっても、ドイツの量産メーカーもイタリアの職人も国外に進出した有名なメーカーは全体のうちのわずかです。イタリア以外にも職人がたくさんいるのに売ってさえもいません。

日本から見ると私のところは海外ですが、私から見ても楽器の売買がどこか遠い海外で行われているように思います。英語で語られている話は人々の暮らしや文化に根差しておらず上辺の建前だけで理解しているように聞こえます。

それに対してローカルでは弾けなくなったり遺品として出て来た楽器がまた地元の人たちの手に渡って巡っています。
「日本対海外」というのではなくて、海外にもそれぞれのローカルがあってそんな例をブログでは紹介しています。

物の値段はニューヨークの値段と世界の他の都市の値段が違ってもおかしくないです。サンドイッチが3000円するとなると楽器も高くて当然ですね。
したがって国ごとにローカルな値段があると思います。例えばフランスの楽器がフランス国内では音楽家や音大生が買える値段よりも高すぎるため、実際に店頭で売られている値段は世界の相場よりもずっと安いです。国内でもさらに地域によって差があることでしょう。
現在は2重の異なる相場があるという不思議な状態になっています。


1000万円と言えばかなり高価な楽器ですが、20世紀の楽器で1000万円を超える作者は歴史的な価値を考慮すると明らかに高すぎると思います。我々の同業者の間でそんなものだろうと共有されているのではなく、どこか世界の遠くではそんな値段がついているとしか思えません。

以前ひどく傷んだ状態の楽器を私が修理しましたが、過去の修理でオールド楽器には似つかわしくないオレンジ色のニスを剥げたようにわざとらしく塗り分けられていたので境目をあいまいにしました。

作風はシュタイナー型と本には書いてあります。実際のシュタイナーとはだいぶ違います。仕事ははるかに大味ですが、ゆるい造りは窮屈ではなく音にはプラスかもしれません。

アーチもとんでもなく高いのが特徴で近代や現代の楽器とは見た目の印象が全く違います。オールド楽器の典型と言えるでしょう。アーチはきれいな丸ではなくやや四角く台地状になっておりドイツのオールド楽器の特徴です。

このようなアーチの楽器は現代では全く作られることはなく、一度や二度試してみたくらいでは作り方を理解するのは難しいでしょう。クレモナの学校では「悪い例」として教わるそうです。作っていはいけない悪い例として教わるわけです。

本当に音が悪いのでしょうか?

実際に弾いてみると、尖った音という印象を受けます。例えるなら一般の力学で力の圧力は狭い面積に集中すると強くなり、広い面積では分散して弱くなります。あくまで感覚的なもので文学的な表現ですが、音のエネルギーがギュッと集中しているように思います。高いアーチの一般的な特徴でしょう。柔らかくてフワッとした音とは正反対の締まった強い音です。

そのようなことを頭で考えなければ何とも言えない心地良さがあり音がとても気持ちいいです。「ああ良い音だなあ」としんみり思いました。
もちろん仕事で音響条件の悪い会場で多くの人に演奏を聴かせなきゃいけないとなれば、断念しないといけないのかもしれませんが、自分が楽しむだけなら誘惑に負けそうです。アマチュア、オーケストラ奏者、教師などなら問題ないでしょう。反応はシビアで音の出し方を学ぶこともできるでしょう。

尖っているとはいえ、抑え込まれたような鳴らない感じではなく素直に響きます。ですのでオールド楽器の中で極端に暗い音ではないでしょう、この前から話している暗い音のグランチーノより明るいです。
イタリアのオールド楽器とも変わらないです。
第一印象では細い音でも、ちょっと探るだけでも鳴り方が変化しますので細い音というのは気にならなくなります。

それに対してA線から高音になるにつれて驚くほどしなやかなになってきます。これはもう官能的な美しさです。

尖った音の楽器はフラットなモダン楽器にもよくあります。しかし高音になると低音以上に鋭さを感じます。低音で枯れた良い音がして全体として力強い音の楽器では高音になると耳が痛くなってごまかす調整を依頼されます。あらゆる手を駆使しても鋭さをごまかすので限界です。高音を気にせず強い音のする楽器をえらび弾きこんで鳴るようになるとさらに高音がきつく感じられます。

弦楽器とは普通低音が柔らく感じられ、高音が鋭く感じられるものです。このためチェロでは低音にメタリックな音の弦、高音に柔らかい音の弦を張ることが流行したくらいです。

それがこの楽器になると正反対ですから、近現代の楽器ではこんな音のものはまあ無いです。例外は私が作ったもので、ここまでではないものの高音にしなやかさがありました。

見た目も明らかに現代のものとは違うし音も全然違います、それがオールド楽器ですね。

このブログは幅広く一般の人に弦楽器の知識を知らせるという役割もありますし、私自身の趣味もあります。人生を楽しむために趣味に徹しちゃっても良いかなと思いますが・・・。楽しむほどごく一部の人の役にも立つはずです。
もちろんモダン楽器を上手い人が弾いていて音が悪いなんて思うことはありません。文句のつけようのない音なのですが、オールド楽器にはそれ以上の魅惑的な音があるように私は思います。


イタリアやドイツについてイメージがあります。イタリアといえば明るく陽気、情熱的、享楽的、快楽主義、・・・
ドイツは真面目、規律正しい、勤勉、合理主義、・・・などのイメージがあるでしょう。
イタリアの職人たちはそれぞれ個性を発揮したのに対して、ドイツ人はシュタイナー型で画一的な楽器を作ったと私も知らない時はそんな先入観を持っていました。

しかし一つ一つの楽器を見ていくと全員が決まった形のものをきっちり作っていたわけではないようです。シュタイナーそっくりを目指して忠実なものを探すほうが難しく、ウィーンの流派が比較的シュタイナーに近いかなと思います。
シュタイナーを理想として崇めていたというよりは、当時のドイツの職人たちがイメージするヴァイオリンとはそういうもので、それを後の時代の人が大雑把にまとめてシュタイナー型と呼んだのでした。

音についてこの楽器では官能的でさえあります。まあドイツ人でさえも日本人に比べればはるかに明るく陽気で開放的、ビールを大量に飲んでは大騒ぎする人たちですし、一方古代ギリシャから西洋の人は理屈っぽいです、ドイツ人だけでなくフランス人の理屈っぽさも有名ですがイタリア人も例外ではありません。
じゃあ日本人が好む音はどんな音でしょうか?
弦楽器では明るい音が良いと言いますが、日本の歌謡曲などは世界で見ると暗く悲しみの表現に価値を置いているようです。

20世紀には理屈を語って有名になったドイツの作者もいるようですが、出身地は地中海の方だったりします。
20世紀の西洋の社会では理論的なことを言った方が受け入れられやすいということはわかります。それが私が現代の楽器について疑問を持っている点です。

前回のべニア板のチェロの話もありますが、私は弦楽器は思っているよりもめちゃくちゃに作っても音は悪くならずこのような現代では規格外になるような楽器でも弾いてみたら魅力的な音がするのではないかと考えています。職人もクレモナにいたら周りも新作ばかりで気づかないでしょう。常識や慣習に従っているイタリア人にも官能的な音は作れません。

こういうことは私はとても面白いと思っていて、音も魅惑的だと思います。どうしてそんな音がするかも面白いですね。

それに対して、値段でしか楽器の価値を分からないというのは面白くないと思います。ギャンブルやお金などが好きな人いますから、それも独特な魅力があるんでしょうけども弦楽器である必要はありません。


工房を訪れた弦楽器について全く知らない人に「音を良くするためにこのように作っています」と職人が材料や工程について説明すると納得して喜んで帰っていきます。

しかし私の説明では「ヴァイオリンのような形のものを作ると、なぜかわからないけどヴァイオリンのような音がする」というものです。論理的には納得できないでしょう。

その「ヴァイオリンのようなもの」というイメージが時代によって違うので、その時代に普通のものを作った結果今になると、とても珍しく魅惑的な音に感じるようです。


現代人は普通こう考えます、何か理想があってそれを実現するために努力してまたひらめきや幸運に恵まれてついに念願が達成されると。その人を天才と呼ぶのです。

しかし弦楽器について詳しく見ていくと細かいことにこだわらずにただヴァイオリンのようなものを作っただけで魅惑的な音がするものがあるのです。

合理主義の現代の西洋人でも、日本人の道徳倫理観でも全く理解できないです。
どちらかと言うとフランスのモダン楽器は合理的です。板が薄くて平らなアーチで100年経ってればとりあえず鳴るものは多いと思います。組織的に音に改良を加えたほとんど唯一の例と言っても良いでしょうね。それでオールド楽器が廃れたのですから。
そのような合理主義は乱暴で切り捨てられたものがあるかもしれません。オールドの時代は我々とは全く違う発想だったというのも面白い所です。

作り方の一つ一つを考察していくと、やはり実用的で効率よく作る方法を考えていた事でしょう。しかしフラットなアーチの近現代よりも無駄が多いのが面白いです。それ以前のヴィヨール族の楽器に比べるとシンプルになっています。

木材の産地などを気にする人がいるかもしれませんが、内陸のニュルンベルクでアルプスなどから運ばれた木材で作られたヴァイオリンが実際に現代のものと弾き比べれば魅惑的な音がして、その原因は何ですか?
またよく鳴って音量があることを良しとすると、どこの産地の楽器にも鳴るものがあります。同じ産地の楽器でどうしてそのような違いがあるのでしょうか?


私の考えではオールドの時代の人がイメージするヴァイオリンを作ったら、今頃はオールド楽器のような音になっているということですが、理系趣味の人にはピンとこないでしょう。残念ながら「知る快感」を得られるような論理や数値ではないんです。奥が浅くて面白くないので趣味としては他のものに興味を持った方が良いでしょう。
ちょっと考えだすとすぐに見当はずれの方に行き過ぎてしまうのが奥の浅さで、現実を素直に受け止め思い込みや偏見に気付く必要があると思います。


弦は持ち主の教授に何が良いかを聞くと「なんでも良い」と言うのでエヴァピラッチで良いかと聞くとそれで良いということになりました。E線は標準装備のスチールのものです。それで驚くような高音です。
つまりあまり物事を気にしないことで、規格外の楽器でも偏見もなく楽しめるというわけです。高いアーチの楽器を苦にしないのは教授の技量でもありますが、音楽家には典型の自分で弾いただけで音を判断しているように思います。私にはこの教授の評価する楽器の傾向はさっぱりわかりません。

作ってる楽器もこれ以上ニスを塗ると真っ黒になってしまいます。


このあたりで良しとしないといけません。写真が上手くとれていないので実際のほうが良く見えます。中国の製品の写真と逆です。


現在ではだれも作らないような規格外れの楽器ですが、ヴィドハルムに比べるとおとなしいものです。このようなものも世の中に残していかないと音の可能性がこの世から消えてしまいます。

記事を書くだけで精一杯です、コメントに返事などできませんのでよろしくお願いします。
初期のころは好きなように思ったことを書いていましたが、読む人が多くなると読んだ人に不快感を与えないか考えなくてはいけなくなります。わずかな文章でも表現を見直すだけで多くの時間を必要とします。

記事タイトルなどは検索で出ても興味をひかないように淡白にしますのでご了承ください。
こんにちはガリッポです。


楽器の売買は私の専門分野ではありませんが楽器の話をするときの目安として価格も記しています。これまでの価値観が崩壊し、私も値段の変化にはついて行けていないので金額を深刻に受け止めないようにしてください。
最新の楽器の値段を知ることができるようになったということは昨年末にお伝えしました。

しかしながら、イタリアのモダン楽器については恐ろしいので値段を調べていませんでした。うちは演奏用に楽器を買うお客さんが来るような店で扱うこともほとんどないので関係ありません。

ここにきて保険の書類のために金額を調べることになりました。
これまでは1900年前後の名の知れた作者のうち特別に有名なものを除くとイタリアの作者のヴァイオリンは500~1000万円位と考えていました。
しかし現在では1000~5000万円位と考えた方が良いでしょう。

これからブログではイタリアのモダン楽器を数千万円と考えていきます。
これはブログを始めたころのイタリアのオールド楽器の値段です。

ウンチクは必要が無いと言っていますが、オールドとモダンなどの定義については知るべきです。弦楽器の世界で言う場合と一般の工業製品で言う場合が違うからです。
普通は工業製品の耐用年数は数十年が限界でしょう。それに対して弦楽器は400年前に造られたものが今でも使用できます。
100年前の製品を一般常識では古いと言いますが、弦楽器では新しいと形容します。
業者はこのことを分かっていて相手が素人だと思うと巧みに言葉を使うのです。

実際に中古品なら何でもかんでもオールドと言って売る業者があるでしょう。オールドという英語は古いという意味ですから新品でなければなんでも言うことができます。

それではいつまでに作られたものがオールドでいつからがモダンなのでしょうか?

弦楽器製作の観点は違います。ある時期を境に楽器製作の思想や作風がガラッと変わる時期があるのです。
つまり思想や作風によってオールドかモダンかを分けるのです。

フランスやオーストリアのウィーンでは1800年くらいからストラディバリモデルに切り替わります。そこからモダン楽器になります。特にフランスで確立した作風は世界全土に伝わり、現在まで続くヴァイオリンの基礎になっています。

イタリアの場合には1800年頃から職人の数が減っていきます。1850年頃また増えはじめフランス風に変わったのがモダン楽器です。したがってオールドの作風は途絶えているということです。

ハンガリーにはウィーンから職人が移住しフランスにも修行に行ったりしてモダン楽器の製造が盛んになります。

ドイツでも細々とモダン楽器は作られていましたが、数が増えるのは19世紀も終わりの方でおよそ1880年くらいからと考えて良いでしょう。大量生産も始まります。チェコのボヘミアでも1900年以降最盛期を迎えます。

モダン楽器がいつまでかと言えば、戦争より前くらいと考えれば良いでしょう。第2次大戦が終わる1945年からは戦後の楽器で、骨董品というよりは中古品です。戦前の作者が長生きした場合には戦後のものでもモダン楽器と扱われます。

新品の楽器は自由経済の下、好きな値段で販売しますので相場などはありません。
売り手が500万円と言っても1000万円と言っても、他のお店で中古品となれば他の楽器と同じような値段にしかなりません。中古市場に流れたときに相場が生じます。骨董品としての相場がまだありません、ただの中古品としての相場です。自分が作ったり、買い付けた楽器は過大評価しがちですが、第三者の評価は冷静で新品よりずっと安くなると考えた方が良いでしょう。買取価格は通常の工業製品に比べても低い原価となります、現代の工業製品は大規模化し薄利多売になっているのに対して、そもそも弦楽器のユーザー数が少なくその中で買おうとしている人が少ないので簡単に売れないからです。


この説明で分かることは、1900年前後のイタリアのヴァイオリンの値段は数千万円くらいするということです。
ブログを始めた当初500万円位のヴァイオリンがありました。職人の腕前は並以下で音は量産品のような荒々しいものでした。それが今では1500万円ほどになっています。

買った人は賢かったのでしょうか?
少なくともうちの店に1500万円の値段で量産品のような音のヴァイオリンを買う人は来ないでしょう、売ろうにも売れません。もはや、投資家や資産家、財団などが来るようなお店で売るしかありません。楽器というよりもビットコインのような新興の資産ということです。ただし法律は無く無法地帯です。

日本の状況は分かりませんが、日本の消費者もその値上がりについて行けないでしょう。新たに輸入することは難しく国内にすでにあるもので売買がなされ、海外に流出していくかもしれません。東京のいくつかの店はスーツを着て金融機関のような店舗に鞍替えしていくことでしょう。

個人としては賢かったかもしれませんが、文化全体としては愚かですね。我々の生きている時代が文化不毛の時代ということです。まあいつの時代も美しいものを分かっている人は少数で、人間の本質は変わっていないのかもしれません。だからこそ美しいものが作られるのは奇跡です。

数千万円出しても古めの現代のヴァイオリンというくらいです。かつてはその値段ならイタリアのオールド楽器が買えました。それらはさすがに音もありふれたものとは違います。モダン楽器では現存する数が多く、イタリア製に限るとよくある普通の音のヴァイオリンを買うのに数千万円も必要になります。

当ブログでは音楽のための道具として弦楽器を考えています。資産として考えるなら私は専門家ではありません。

一方で楽器や弓の盗難事件の知らせも届いています。
金庫ごと盗まれた事件が私の最寄りの大都市で起きました。もはや金庫を持っていても安心はできません。
身近に事件が起きるくらいですから、世界では犯罪の対象になっていることでしょう。
保険金の詐欺も考えられます、楽器の所有者が盗難に遭ったと届け出て補償額を受け取る詐欺です。
もちろんニセモノもはるかに多く出回るようになるでしょう。


一方こんなチェロが持ち込まれました。

真っ黒ですね。

よく見るとキラキラしています。ラメと言われる塗装でしょうか?

同様のチェロはヨーロッパの大手オンラインショップで7~8万円位で売られています。弓と松脂とバッグがついています。
見ると板はいわゆるベニヤ板で、ショップの説明ではシナの木の合板と書かれています。黒い塗装なら木目も見えませんし、パフリングを入れる必要もありません。
それでもインフレは起きており、かつては無垢材で作られたひどい音のものが5万円位で売られていました、現在ではこのチェロよりも高価です。

同じようなものはアマゾンにも出ています。中国からの直送で最安値では15000円ほど、日本でも3万円強であります。

これを仕入れて売ると、倍以上の値段になり業者によって仕様が微妙に違うようです。通常は見た事も無いような弦が張られていますが、ヨーロッパの大手ショップでは弦がヤーガーのセットになっています。

このチェロも見た事も無いような弦が張ってありました。

ナットが高すぎるので弦を抑えるのに苦労することでしょう。駒のカーブも整えないと弓がほかの弦を触ってしまいます。

なんとか弾けるようにするというのが今回の依頼です。
ナットは黒いですが黒檀ではなく白い木を黒く塗ったものでした。黒檀に比べると柔らかいのでそのうち摩耗して交換が必要になるかもしれません。

弦をピラストロ社のフレクソコア・デラックスに変えました。塗装のせいで駒が滑りやすく弦を張る段階でも位置がずれてしまいました。駒の脚も表板にピッタリ合わせる必要がありますが、表板にサンドペーパーをあてがってゴシゴシと擦ったものでしょう。この方法では足の裏の面が丸くなってしまい倒れやすくなります。接地しているのも中央だけです。

果たしてどんな音がするでしょうか?
実際に工房の弓で音を試してみると安価な楽器に特有な嫌な耳障りな音はありません。ややまったりとした反応の鈍さはありますがダメというほどではありません。
工房内では十分に音量が感じられ低音もバランスよく出ていました。

とてもバランスが取れていて極端に偏ったものではありません。ごく普通の音で音量が十分にあります。フレクソコア・デラックスなら荒々しい嫌な音は全く感じません。

これより癖が強かったり、中途半端な音のチェロはもっと高価なものにいくらでもあります。これまで体験した安価なものでは耳障りな嫌な音がして抜けが悪くボヤっとしたものでした。
無垢の木材で急いで作ったために板が厚すぎるものや、ハンドメイドで雑に作られて低音が出ないチェロ、厚い板が良いと信じている職人のものよりもずっとましです。

これはシナの木のべニア板を使ったことで適切な剛性になったのでしょう。
とてもコストパフォーマンスに優れていると思います。
シナは柔らかい木材で鋭い音を軽減する効果があると思います。それだけでは強度が無く狂いやすいので合板にすることは理にかなっているのかもしれません。
ただ合板の名称は表面に張ってある薄い化粧板の名前で、中身は違う木の可能性があります。

音については出るか出ないかで言えばちゃんと出ています。弦の長さが正しければ音程を取ることができます。音しか興味ないならこれで十分です。このようなものを改良していけば良いでしょう。

このようなものでちゃんとした音が出るのですから、我々が学んできた知識は何だったんでしょうか?職人が語る音の良さの秘訣など何も信用できません。職人は伝統と常識に従っているだけです。

それに対して音が美しいかどうかはその人がどう感じるかだけで主観しかありません。チェロはヴァイオリンの倍以上しますので数千万円~1億円を超えるイタリアの楽器でも音の美しさは保証されるわけではありません。

私がブログで楽器を鳴ると言うことがあります。しかし美しさについては個人の感じ方としか言いようがありません。私がある楽器を鳴ると言っても、全く美しくないと感じるかもしれません。しかし鳴る以上は好き嫌いの問題で好感を持つ人も一人くらいはいるかもしれませんという意味です。

このチェロにも不安があります。
エンドピンがあやしいです。いずれビリついてくるかもしれません。交換したら2万円以上になります。
テールピースもドイツのウィットナー社のものではなく、中国製の模造品です。これも壊れやすいものです。ウィットナーのものなら何十年でも持ちます。特に西ドイツ時代のものは丈夫でした。

この楽器では運よく駒を新しくする必要はありませんでしたが、駒が低くなりすぎている場合には交換が必要です。指板もできれば削り直したほうが理想的ですが、そこまでのクオリティを求める人が買うものではないでしょう。

ペグも黒檀ではなく、茶色の木を黒く塗ったものでしょう、これも不安があります。

一通り付属部品を交換すればチェロの値段を超えます。
不具合が出た時点で、弦楽器専門店で修理すれば楽器の値段を超えてしまいます。

我々はこのような楽器を修理する技術がありません。おそらく壊れたら接着剤でべっとりつけて終わりとかそんな簡単な修理法が必要です。パテで埋めてスプレーで真っ黒に塗って終わりにしないといけません。

弦楽器に限らず世の中は、消費者が利用できるように企業は努力しなくてはいけません。クオリティの水準をもっと緩くしなくてはいけません。言われなければ演奏する方も細かいことを気にしません。実際に東ヨーロッパやロシア、アフリカや南米ではそのような楽器で練習をしています。

同じものかはわかりませんが同様のチェロが大手オンラインショップのレビューでは星が4つ以上ついてベストセラーになっています。購入したユーザーの感想では優れた製品ということです。ネットの時代にはチェロは7~8万円も出せば十分ということです。移動のためにハードケースが必要ならその方が高いです。世の中が変わりました。


ただの普通の楽器が金融資産として何千万円から1億円以上もする一方、5万円も出せば音や機能は十分です。
物の良さや音と使用感の違いは分かる人には分かるでしょうが、そんなのが誰もわからなくなって情報で理解するのが21世紀でしょう。

素人が工作で作ったようなクオリティです、でも音しか興味ないなら構いませんね。

それが21世紀という時代で、アマティが弦楽器の設計をした時とは時代が違うようです。私のように伝統のあるヨーロッパで学んだ職人には古い考えを変えるのは無理です。弦楽器も現代の工業製品に変えるのは中国からです。今後は画像にしたときネット映えするために飾りがついてくることでしょう。

1500~1700年代に造られた文化遺産に興味のある人はわずかですから、弦楽器も同じです、文化は忘れ去られて行きます。



最新のトンレドとして紹介するのはこんなことですね。技術革新でわずか数万円で申し分ない音のチェロが作れベストセラーとなり修理するより新しく買った方が安く、一方並の職人が作った普通の音の楽器が数千万円で投資の対象になっているという具合です。
職人とは違い物事を雑に考える時代です。
非常に安いものについては、ブランド信仰が根強い日本では心理的な障壁がまだあることでしょう。

かつては映画などで貧しいシーンと言えば、失業者がつぎはぎだらけのボロボロの服を着てうなだれている様子でしたが、雇用を増やすため新品の服を溢れるほど生産し、ゴミ捨て場にも余っていてホームレスの手にも入ります。援助のためアフリカに送られる古着も多すぎてストップしています。ピカピカの新品が溢れかえって修理などは高くてできないのが実際に訪れた貧しい世界というわけです。SNS上では自慢げに最新のものや高価な商品を見せられます。

弦楽器の製造にも販売にも職人は必要ありませんね。




継ネックをしていたチェロはネックを入れ直すために、溝を埋めます。前回のものより深く入れるので両サイドだけ木材を足せばいいです。

ネックの根元を加工するのも大変な作業量です、左右対称になっていて裏板のボタンとピッタリ合わないといけません。

溝を加工することでネックの3次元で向きが変わります。ネックの長さも根元の高さも重要です。接着面は隙間が無いことも正確さです。
足した部分はほとんど残っていませんが、壁になっている部分がぐちゃぐちゃに加工されていたので埋め直す必要がありました。

ヴァイオリンに比べてはるかに加工する部分が長いのでなかなかネックは入っていきません。しかし急ぎ過ぎて穴をあけるとおしまいです。

ネックが裏板のボタンにピッタリ合わないといけません。

ネックの位置が決まると加工することができます。

ほとんど彫刻作品を作っているようです。


私はアマティなどの活躍した時代により憧れを募らせます。
自作のヴァイオリンの方も一週間で100年分くらい汚れを付けました。


未だに手順などはよく分からず行き当たりばったりです。

これはボヘミアのマティアスハイニケのヴァイオリンですが黒い点々があります。実際の古い楽器にはこんな点はありません。汚れの色も黒すぎます、実際の汚れはもう少し灰色っぽいです。修理などで新しい木材を足したときも同様です。灰色に見えるためには赤みを少なくし緑を強めると良いと思います。光の波長の問題です。
これはマルクノイキルヒェンなどのアンティーク塗装の手法で黒の人工染料が使われていると思います。黒や茶色の人工染料の色をしているとそのように見えます、汚れの色を間違えるとドイツの量産品に似てきます。私もそんな失敗をしました。
ハイニケはアンティーク塗装はメインではなくたまにこんなのも作ったという程度です。私は工房製で本人の作ではないように思います。

アンティーク塗装のトリックは何か一つやれば本物とはちょっと違ってしまいます。何もやらないと古く見えません。
ハッキリ見えるようにやるとわざとらしくなり、人工的なトリックが施してあるのが分からないようにすると効果も無くなってしまいます。

本物と全く同じにすることは不可能でいかに雰囲気を出すかが上手さです。贋作として不安を持つ人がいるかもしれませんが、アンティーク塗装は確立したジャンルです。300年前のものと見分けがつかないものを作れる人がいれば本物の作者以上の天才です。今回の話のように買う人はどうせ見ても違いが判らないので似たような楽器がいくらでもあるモダン楽器の鑑定書を捏造する方がはるかに効果的です。

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