休暇を終えて職場に復帰しました。
仕事はヴァイオリンやビオラの掃除ばかりです。
おそらく皆さんのイメージとは違って楽器の掃除が一番多い仕事です。
自分の楽器の掃除などしてもらったことがないという人もいるかもしれません。
さらに指板を削り直し、20年以上前に取り付けた駒と魂柱を新しくします。
そんなことばかりで一週間です。
とてもチープな楽器ではやかましい音がすることがよくあります。音量があることが良いことなら、やかましいというのは良いことなはずです。じゃあ高価な楽器なんて必要ありませんね?
なぜやかましい音がするか考えてみます。
動力を持った機械であれば騒音の大きなものがあります。精巧に作られているほどスムーズで音も静かになります。
私の家族が中国で高速鉄道に乗ったという話をしていました。発進の時も日本の新幹線のようにスムーズではなく、何か苦しげだったそうです。これは部品やレールなどの精度が違うからでしょう。
同じように弦楽器でも精巧に作られていると荒っぽい耳障りな音が少なくなるという実感はあります。
戦前のドイツの量産品では現在のような機械は無く、手作業で雑に作っていました。古くなって鳴りが良くなると耳障りな嫌な音も強く出ます。強烈な音のものがあります。現在のチープな中国製のものにもあります。
うちの工房で、学校の先生を退職したおじいさんにヴァイオリン作りを教えたことがあります。2台作って2台ともうちの店ではできたことがない鋭い音のものでした。同じストックの材料、同じ設計、同じニスにもかかわらず初心者のおじいさんが作ったものは鋭い音でした。
同じような音のものが高価なイタリア製のものにもあります。私からすると驚くことではないのは品質が変わらないからです。名工だとか天才だとか言われていても、実際は不器用な初心者が作ったものやチープな量産品と変わらないという事です。音も普通で仕事も普通なのになぜ天才なのでしょうか?高価な楽器を自慢していても修理に出せば職人がかげで笑っています。分かる人にはわかります。
チープな楽器に耳障りな音のものが多いのは品質の粗さが耳障りな音を生み出していることが考えられます。特定の音がとても強く出て耳障りに感じるのに対して、均等になっていればそこまで耳障りではないというイメージが想像されます。ぐらいついている魂柱を交換してピッタリ合わせることでも耳障りな音が改善することがあります。魂柱にはつっかえ棒の役割があり鋭い音を抑えるとともに、楽器全体が一つになり埋もれていた「出るべき音」が出るようになるのでしょう。
ところが「品質の高さ=音の美しさ」とまでは言えません。腕に自信のある現代の職人のものにも鋭い音のものがあります。フランスの19世紀の見事なヴァイオリンにもあります。本当にチープな楽器の荒々しさとはちょっと違って上品な鋭さです。一番耳障りな音がするのはチープなものですが、精巧に作られたものでも平均より鋭い音のものがあるという事です。
他に音の性格を生み出す理由は無いのでしょうか?

早速オールドヴァイオリンです。見るとすぐにマルクノイキルヒェンのものだと分かります。

いかにもですね。
作者などは分かりませんので楽器の品質から値段を付けることになります。
無名なマルクノイキルヒェンのヴァイオリンは2000~10000ユーロくらいですからその間です。最高に美しいわけでもなく、ひどく粗雑でもないので修理が済んでいた場合には6000ユーロとかそんなものでしょう。この楽器ではスクロール・ヘッド部分がオリジナルではありません。
したがってもっともっと安いことになります。100万円もしません。
時代はおおざっぱに1800年頃でしょうか?
本当のオールド楽器であってもマルクノイキルヒェンのものは新品と値段が変わりません。それ以下です。
このようなシュタイナー的なf字孔はドイツのオールド楽器の特徴です。このようなf字孔がついていれば安価で取引されます。このため商売人にとっては儲からない「悪い特徴」という事になります。シュタイナー的なf字孔がついていると偽造ラベルを貼って高価な楽器のニセモノとして売ることができないので業者にとっては魅力がないという事です。偽造ラベルを貼るのは業界の商慣習で彼らの意見が多数派となってきたことでしょう。
しかし真実を求める私にとってはストラディバリ的なf字孔がついているともっと時代が新しいものでただの量産品のガラクタである場合が多いです。
それに対してシュタイナー的なf字孔であれば本当のオールドである証拠となるのです。安価なものに見せかけはしないからです。
パッとはじいてみてもよく鳴る感じがします。弓で弾いてみても新しい楽器とは違い感触として柔らかさと反応の良さを感じます。高音はとても柔らかいものではなく、やや鋭いくらいです。低音からとても味がありオールドならではの音です。
すごく柔らかい音ではないけども、世の中にある荒々しい音の楽器の中ではひどい方ではありません。同様の音でイタリアの楽器なら「イタリアらしい華やかな音だ」と感想を持つ人がいるかもしれません。何を言っても無駄ですね。
普通の新作楽器ではこれほど鳴らないでしょうし、音も単調で面白みがありません。それでこれよりもはるかに高価なのです。
こういう楽器はお店には売っていることはめったになくてお客さんが愛用しているものです。
オールド楽器の不思議さは明らかに音が違う所です。違うから良いというわけではありませんが、音に独自性があれば好きか嫌いかもはっきりします。音に特徴が無いのに値段だけが高い現代の楽器を選ぶ理由がありません。

見た目も明らかに違います。そんなにアーチが高いというわけではありませんが立体造形が独特です。

近代や現代の楽器ではもっとペタッとしたアーチです。
このヴァイオリンの有利な点は横幅が十分にあることです。イタリアのアマティ型のものではもっと細くて窮屈なものが多いです。
ストップの位置も3mm短いくらいです。イタリアのオールド楽器にも長すぎるストップで苦労する楽器があります。品質ももっと粗雑なものが多くあります。
このような意味でイタリアのものに比べても有利な点があります。
オールド楽器が近代以降のものと何が違うのかと言うとやはり立体造形でしょう。アーチの絶対的な高さだけでなく立体的な作りに違いがあるように思います。
これは楽器を見分ける際に一番の決め手になる所です。輪郭の形はコピーして作ることができますが、立体造形の感覚が近代的であればオールドの作者名のラベルがついていても、一目見た一瞬でニセモノだとわかります。近代や現代の腕が良い職人ほどオールドのものとは違ってしまいます。
板がペラペラではないため、振動や響きを抑える効果があるのではないかと思います。
弦楽器の音が美しく感じられるのは弦で作られた振動のうち、特定の音が強められ、特定の音が弱められた結果ではないかと思います。つまり響きっぱなしではないという事です。
見た目が明かに違う近代や現代の楽器とは音が違ってもおかしくはありません。
さらに板が薄いこと、使い込まれたことで鳴りが良くなっている事、経年変化で素材が変質していることも独特の音の要因でしょう。損傷歴も柔らかさに寄与することでしょう。
しかし明らかに見た目が違うのだから古さだけが音の変化の原因とは思えません。
現代の職人はこのような楽器を作ってはいけない悪い例として教えられるくらいです。しかし実際に音を試してみると、現代のものよりも鳴りが良く、音に味があります、どこにも勝てる要素がありません。その現実を認めていないだけです。これを認めちゃうと都合が悪い立場があります。歴史というのは現在の我々が優れているという風に解釈したいのです。だから歴史を言葉で学んでも意味がありません。その時代に作られたものから学ぶのです。そんな変わった人は私くらいでしょう。
弦が生み出した振動のうち、足したり引いたりしてその楽器の音ができていると考えると技術的に面白いと思います。アーチが高いからどうだとか、オールドだからどうだというのではなく楽器によって強調されたり弱められたりする音が違うという考え方です。今回のものでは特別柔らかい音ではありませんので、鋭い音を弱めるものではないです。何がどう作用するかはわかりません。
私が「○○だから音が良い」というような一見科学的な理論をすぐに怪しいと思うのは考え方が全く違うからです。突き詰めていくと音は良いとか悪いという単純な二元論ではないからです。
つまりその製法で何が足されて、何が引かれるのかそれを説明していないのであればその説は現実を説明していません。
私が知りたいことを説明していないので的外れであり、そのような説には飛びつかないのです。
必要な音が出て不要な音が出ないことが音の美しさであり、音楽的にも「効果」がはっきりわかるでしょう。チープな楽器の音を好むのも自由ではありますがそれが違いだと思います。
去年私が作った高いアーチのピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンでは上級者の人は難なく弾きこなしてしまいますが、アマチュアの感想では弓の加減によって音が上手く出るツボを外すとすぐにわかってしまうと一致していました。ギュウギュウ押すばかりでは音が潰れてしまいます。
これはオールドの名器でも同じですが、高価な楽器では「自分が未熟だからもっと練習しなきゃ」と言いますが、新作楽器では楽器が悪いとされてしまいます。ちゃんと弾かないと鳴らないという事は正しい演奏技能を身につけるには良い楽器とも言えます。音程についても正しい音程で弾いた時にだけ楽器が共鳴すれば、合っているか外れたかわかりやすいことでしょう。音なら何でもかんでも出れば音量があって良いというのではなく、取捨選択が音の質という事になります。
弓の話もあります。
この前はペンツェルの弓の記事を書きました。
現代では重くて硬い弓が多いという事で今回は軽めの弓を選んで持って帰りました。ペンツェルの弓はいくつかありましたが重さがバラバラでした。昔の人はそんなに厳密に品質管理をしていなかったのでしょう。
今回のケースでは軽めの弓の方が扱いやすいと貴重な選択肢となりました。
つまり何が良いと決めつけないでバラバラの弓を仕入れていることで人によって合う合わないが出てくるという事です。弓のクオリティが高ければ鑑定に出して作者を特定すると値段が決まります。妥当な値段で売っているのでその中で試して気に入るものを選べと言うだけです。
日本で弓や楽器を売る場合に全般的な問題です。あれが良いとかこれが良くないとか決めつけてしまうために選択の幅が狭まり音楽家としての可能性が小さくなってしまうことです。
製造する方も売れ筋の製品と同じものを作ることが最も少ない労力で利益を上げられます。
私は昨年冷蔵庫を買いました。3社の大手メーカーの製品を比較すると、見た目が全く同じで見分けがつかないほどです。サイズや棚の数、ドアについているポケットの数や形状も全く同じです。あの手この手で工夫を考える日本では考えられないかもしれませんが西洋ではどこの会社の製品も全く同じでどの店に行っても売っているものが同じという事は珍しくありません。生活様式や文化でさえヨーロッパ諸国では似通っています。見た目が同じでも安い冷蔵庫を買ってはいけません、5年も持たずに壊れてしまいます。ヨーロッパの製造業はそんな感じです。そのようなものは日本製品を超えないので輸入されていないだけです。
常識に従って正しい仕事をしているので賃金を上げろという態度です。それに対して経営者は工場を外国に移転します。
日本人は自分に自信がないため、「自分が気に入った」と選ぶことができず、誰か専門家に「これは良いものだ」と言ってもらいたいのです。実際には使う人や目的によっても、先生によっても言うことが違います。誰にとっても良いものなどはありませんからそれを言うことは嘘になります。
”音に特徴が無いのに値段だけが高い現代の楽器を選ぶ理由がありません。”
と先ほど書きました。
そのような商品を売るため、天才だの名工だのとその理由を文学作品のように創作するのが営業マンの仕事となっています。私が聞くと嘘ばっかりなのです。
そうさせているのは消費者自身です。






































































