ブッフシュテッターの修理と新作楽器のニス | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。

ガブリエル・ダビッド・ブッフシュテッターの修理が終わりました。
一部の楽器の値上がりが激しい中、現実には楽器を売りたいという依頼が多いのに買いに来る人が少なくなっています。物価が上がって負担が増すと、楽器などは優先順位の低いものです。値段ばかり上がっているのに買う人がいないのです。おかしな話です。

円安もさらに記録を超えています。
輸入産業は大打撃で日本の楽器店にも人員削減や倒産などが出るかもしれません。
楽器の在庫は充実していきますが、日本の方には厳しいでしょう。


楽器を売るには売れる状態にしないといけません。
日頃からメンテナンスや修理をしていれば作業は簡単なもので済みます。修行をした職人が常駐する専門店以外で買うと買ってから修理が必要になります。

オールド楽器の場合には必要な修理は様々です。
今回は比較的簡単に済みました。
ペグの穴埋め、ペグの交換、駒と魂柱の交換、テールピース、弦の交換、ニスの補修などです。指板は薄くなっていますがまだ使える範囲内です。

ペグは古くなると一番の問題はブレーキが利かなくなることです。ギュウギュウ押し込むことでさらに穴が大きくなり、最悪の場合にはペグボックスが割れてしまいます。

元よりも太いペグにすることで交換ができます。ただし極太のペグはペグボックス内が窮屈なだけでなく、弦を巻き取るスピードが速くなるので調弦で微妙な調整がしにくくなります。

古い楽器ではすべての穴の大きさが同じではなくなっています。D線だけ穴が大きすぎました。古いペグとペグボックスの穴はテーパーが現在のものと違いました。穴を直すとE線も穴が大きくなりすぎます。そこでDとEの穴だけ埋めることにしました。埋め直した後G線の穴も過去の継ネックの修理の時に問題があることが分かりました。G線も埋め直すことになったのでA線だけやらないというわけにもいかないので全部埋め直すことになってしまいました。売れれば問題の無い費用ですが、楽器はいつ売れるかわからないのです。

修理後の画像です。

見た目は以前とほとんど変わっていませんがニスの補修を終えています。
どれがオリジナルのニスなのかはよくわかりませんが裏板を見る限りではオリジナルのニスが多く残っているようです。

面白いのはあご当てのある側ではなく反対側のニスが無くなっています。昔の構え方も想像できます。
フルレストアのような大きな修理の時にはニスも大掛かりに直します。そうするとあまりにもきれいになりすぎて古い楽器の様な感じではなくなってしまいます。それもまた修理したてというものです。
これは過去の修理で上から無色か薄い色の透明ニスでコーティングされています。コーティングが剥げたり、さらにニスがはがれた部分にまた透明なニスを塗る程度です。表面には無数の傷や凹みがあります、大きな修理されてからまた時間が経過している様子が分かります。古い楽器でも修理したてと時間が経っているものでは見た目が違います。

もちろん修理では古いニスを剥がして塗り直したり、剥げたところを塗りつぶして新品のようにはしません。

この楽器では濃いこげ茶色のニスでいかにもドイツのオールド楽器という感じがしますが、ブッフシュテッターはオレンジ色のニスのものもあります。

私が見たことがあるもっとも古いものは1750年代のものですでにストラドモデルでした。その時代にストラディバリを模して造られたのが作者の特徴ですが、もともとのドイツの作風も残っています。こげ茶色のニスなどはまさにそうですね。
ペグボックスの縁に独特の溝が彫られていますが、ドイツのオールド楽器の本にも同様のものが出ています。若い頃の方がよりストラディバリ的です。

これのおかげでペグの穴埋め作業には神経を使いました。うっかり縁に傷を付けてはいけません。またD線とE線のペグの間には棒が埋め込まれています。これを切らないようにしないといけませんでした。

作者の特徴がはっきりしていて私は間違いなく本物だと思います。様々な楽器に偽造ラベルが貼られ、全く関係の無いものに張られていることもありますが、ブッフシュテッター派の楽器に貼られていることがあります。形は似ていても仕事はずっと雑でアーチが高くなっています。弟子の一族にはコントラバスなどを含め安価な楽器を大量に製造する家族があったようです。ブッフシュテッターではありませんがオールド楽器としては本物です。

アーチはフラットになっていますが、この時代の楽器にしてはという事であって、モダン楽器や現代のフラットなものに比べると膨らみもあります。
またフラットなものであっても、現代のように初めからフラットなアーチを作るために世代ごとに製法が進化してきたものとは違いがあるように見えます。

ヴィドハルムのこともさらに調べてみましたが、レオポルトのおそらく息子と思われるアントニウスが、ブッフシュテッターの弟子となり、のちにフラットなアーチに変わっていったようです。兄弟のマーティン・レポルトにも影響が及び1800年頃にはフラットなアーチになったようです。輪郭の形はヴィドハルムのままでアーチがフラットになるというユニークなものです。
同様に南ドイツ全体でモダン楽器に切り替わっていきます。
ヴィドハルム家の楽器でも様々なグレードの楽器があったようでクオリティは様々です。本に出ているものではとても美しく高いクオリティで作られているものがあります。シュタイナーに次ぐものとして有名になったことも納得です。このような差はオールド楽器ではイタリアのものでもよくあり、実物を見ると本に出ているものと印象が異なる場合がよくあります。本に載せるという事はよりコレクター向きの楽器でしょうね。


いずれ指板の交換が必要になり、その時には駒も交換が必要になります。最小限の費用で売りに出すなら駒の交換も必要ありません。それでも駒交換はすることになりました。

このようなオールド楽器では交換するために新しい魂柱の接地面と長さを合わせて加工するのは難易度が高いです。表板や裏板が変形していることと、内側に魂柱によって傷や凹みがついているからです。ドイツ的な台地状の高いアーチの楽器では特に難しいく理論的には不可能ですらあります。もともと入っていた魂柱も全然表板や裏板のカーブに合っていませんでした。

しかし今回はオールド楽器ではまれに見るほどうまくいきました。ガッチリ魂柱がはまると胴体が一体化して最大のパフォーマンスが発揮されると思います。
しかし現実には、少し緩い方が遊びができてバランスが良くなる場合があります。板が厚く頑丈で硬すぎる楽器では顕著です。下手な魂柱の方が音が良いというわけです。

魂柱を動かす調整をすると魂柱は斜めに傾き角で表板や裏板にヘコミを付けます。演奏者は音にしか興味がないので、こだわりの強い人は納得がいくまで何回でも魂柱調整をしますが、楽器にダメージを与えているとは知らないようです。
音にこだわりの強いお客さんの機嫌を取るためにそのような説明はしないからです。

頻繁に調整をして満足していても楽器はボロボロになっていきます。職人でも音にこだわりが強くやたら動かしたがる人がいます。下手な魂柱で楽器を痛めても結果的に音に満足すれば演奏者には信頼される職人となるでしょうね。
楽器の保存として理想を取るか現実の音を取るかの話です。内側の面に傷がつくとガッチリと魂柱を入れる選択肢は無くなります。調整にこだわる人はそれ以外の選択肢で何度も何度も魂柱を動かして調整をして満足しています。

直すには魂柱の来るところに木材を埋め込む修理が必要です。


弦はそれまではコレルリのニュークリスタルが張られていました。これはコスパが良い安価なもので持ち主自身は演奏しないため、最低限の装備で売ろうとしていたのです。いつものようにピラストロのオブリガートに交換です。
E線またはセットを求めるお客さんが来たときに自分で指定しない場合は、「E線は輝かしい音が良いですか、柔らかい音が良いですか?」と尋ねます。そうすると多くの人が柔らかい音が良いと言います。それでピラストロならNo.1という金属巻のE線を薦めます。この辺りは特にアジア出身のお客さんと真逆の反応です。おそらく日本で聞いても輝かしい音と答える人が多いのではないでしょうか?多数派の好みという事でNo.1です。金属巻のE線はガット弦の時代からあります。


トンチンカンなセッティングで、なぜかテールピースにはビオラ用のものがついていました。修理前の写真です。

あご当ても安価なもので新品です。これも巨大に見えます。ビオラ用のあご当てというのは特別設定されていないメーカーが多いです。横板の高さが違うのでヴァイオリン用のあご当てのネジを交換することで高さに合わせることができます。

テールピースはヴァイオリン用のものに交換しました。当店であご当ては仮のものを付けておいて、購入する人が好みのものを選べばよいという形です。こればかりはあごや構え方に合うかどうかで高価なものを付けておいても気に入らない場合があります。

弦を張って一晩経つと音はかなり変わります。新しい楽器や大きな修理をした後では顕著です。

次の日に弾いてみました。
オールドらしい暗く深みのある音がします。性格としては柔らかいというよりも強さを感じます。測定値でどれだけ音量が違うかという話ではなく、キャラクターとして強さを感じます。E線も特別柔らかくはありません。しかし加減することで音はいかようにも変化するようです。オールド楽器にはよくあることでパッと鳴るようなものと違って使いこなしの奥深さがあると言ったらえこひいきですかね?
全体が共鳴し硬くて重くびくともしないという感じではありません。

フラットな楽器の音というのはあまり感じなくなりました。ドイツやイタリアのもので感じるいつものオールド楽器の音です。
その中では柔らかいというよりは強さを感じるものです。
それが600万円位なら高いか安いかですが…。

強烈な音ならもっと新しい荒い楽器にあるでしょう。

胴体はお手本にしたストラディバリのロングパターンと同じで363mmほどあります。
ストップの長さはほぼ195mmです。すでに現代の標準と同じになっています。



次の話題は新しく作ってきたヴァイオリンです。私の独自のモデルのものです。
天気が悪いこともあって写真写りが実際より赤く見えるので私のPCの画面で実際と近くなるように補正しました。

こんな感じでしょう。
塗りたてホヤホヤでまだニスが柔らかいです。しばらく様子を見てみましょう。
ニスを塗るのはとても手間がかかるので一番大事なのは作業性、そして耐久性、メンテナンス性、長く使うために最低限の要素があります。またニスによって安価な楽器に見えてしまうので見た目も重要です。


私独自のデザインではありますが、現代の楽器製作の常識をすべて忘れるようなものは作れません。機能性を考えたうえでアマティ的な要素を取り入れてみました。現代ではストラディバリモデルが基礎になっていますが、実際のストラディバリからはかけ離れています。アマティ的な要素を入れることで結果的に作風が現代のストラディバリモデルのものよりもストラディバリに近くなっているのではないかと思います。

つまり近代以降ストラディバリはそれまでのアマティなどのオールド楽器とは違う画期的に進歩したものだと考えられ特徴が誇張されてきました。
一方私はアマティにとても近いものだと考えてみることで見え方が全く変わってきます。ストラディバリもオールド楽器の一つと考えるのです。

これが私独自の視点であり、この楽器にもピエトロ・グァルネリ型の楽器にも生かされています。

クレモナであればアマティからストラディバリに進化した差はわずかです。ドイツではシュタイナー型と言われる楽器が作られていてそれとストラディバリ型のモダン楽器ではかなり違いが大きいです。イギリスでもシュタイナーを珍重しドイツのオールド楽器を輸入して作風も影響を受けていました。

われわれの知っている神話もこのような背景で作られたのだと思います。

フランス・パリの楽器製作についてもイタリアからストラディバリを持ったヴィルトォーゾが来ると、一夜にしてそれまで作っていたシュタイナー型のヴァイオリン製作を辞めて、ストラディバリ型に鞍替えしたというようなことが2000年以降の本にも書かれています。

しかし実際にパリで作られていた楽器を調べてみるとシュタイナー型のものは見ません。もともとフランスではアマティ型のものが作られていました。それからストラディバリ型に変化するのにそれほど大きな違いは無かったはずです。1750年頃から50年かけてストラディバリ型に変化していきます。

にもかかわらず本には上のような「神話」が書かれています。

何か恐竜が絶滅したときのようにシュタイナー型の楽器の終焉を描いていますが全く事実とは違うでしょう。


もしこの話に近い元ネタがあるとすれば、ニコラ・リュポーの作風の変化です。もともとフランス人の父親はドイツのシュツットガルトの宮廷楽器製作者で若い頃はリュポーも同様の作風の楽器を作っており現存しています。他のフランスの作者がアマティ的なのに対してシュタイナー的な影響がありました。これはシュタイナーに心酔していた記述とは異なります。

なぜ人々はそのような神話が大好きなのか私にはわかりませんが視点を変えることでストラディバリの見え方も変わってきます。


しかしながら現在ではどんな特徴で作られたかは関係なくとにかくやかましい強い音がする楽器が良しとされる時代になってきました。そうなるとデタラメに適当に作られた楽器でも偽科学でも全く構いません。文化は失われていくものです。


ともかく巷で目にする「ストラディバリモデル」とか「ガルネリモデル」というものが一体何なのか十分に理解されているとは言い難いです。これを理解するのはかなり難しいです。

もう一つオールドとモダン楽器の転換期を代表するドイツの作者の楽器が手元に来ていて修理を開始しました。こちらも近いうちに紹介しましょう。