休暇を頂いて一時帰国していましたがまた始動します。
アマチュアからプロの先生方まで新しく作ったヴァイオリンを試してもらいました。
私の作る楽器の音が、日本で見られる他の新作楽器とは明らかに違うという事を言っていました。
私も初めてヴァイオリンを作ったときにはよくあるような新作楽器の音でした。それで満足して「自分は天才だ!」と思っていると幸せかもしれませんが、そこで終わりです。
初めてヴァイオリンを作ったときはとてもうれしかったのと同時に音にはがっかりしたのを覚えています。
なぜ有名な作者でも無名な作者でも新作楽器が皆似たような音になるかと言えば、現代の楽器製作には「セオリー」があるからです。こう作ると音が良いと職人たちの間で信じられている常識があるのです。
弦楽器製作には1900年頃には世界的な流行がありました。時代の流れを先取りする人は何かこれまでにない優れた事を知っているように見えます。そうやって有名になった20世紀の職人たちが教え子を育成したためです。
人が犯してしまう根本的な間違いは、弦楽器製作で音が良い楽器を作るために何か特別な技術があるのだろうという思い込みです。
特別優れた楽器を買いたいと思っている人のニーズに合致しているので、そのような「目新しい理屈」は魅力的に見えます。自分よりも詳しい専門家、職人にとっては先輩格の職人が語っていると真実のように思えてきます。これは人から聞いた知識で安直に会得しようとするずるい態度ですね。レポートのコピペと同じです。
ここで大事なのは希望的観測ではなく音を実際に聞くという事です。偉い師匠の楽器の音を聞いた時に正直な感想を持つことです。これはみなさんにもぜひ心がけていただきたいことです。
群れで生きる動物では、危険を察知したり、恵まれた環境を探す時、自分で考えるよりも先に周りについていくという性質があります。人間にもこの性質が備わっています。群れには順位やボスもあります。音が変わらないのに一部の楽器の値段だけが著しく高騰する理由は音響物理学の分野の話ではなく、生物学的な根拠のほうが説明できることでしょう。
それでは音は個人の趣味趣向の孤立した世界なのでしょうか?
オールド楽器という世界があります。
年末にはフランツ・ガイゼンホフという作者のヴァイオリンについて紹介しました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12949215950.html
私はとても美しい音のヴァイオリンだと思いました。
オールド楽器の魅力を知る人たちではこのような音の良さを感じることができるでしょう。新作楽器の世界では他の楽器より派手で目立つ音を良しとしているのに対して、渋く味わい深く清らかで透明感があり美しい音です。少数派の変わった趣味趣向では無く「現代のセオリー」を学んだことで遠ざけているのです。
こうなると全く相反する二つの理想の音があるというわけです。
どちらを好むかは個人の自由です、自由主義の社会だからです。
どちらかしか知らないのならそれを知る経験をした方が良いでしょう。
ガイゼンホフの興味深い所は1809年に作られたヴァイオリンでオールドと言うにはやや新しいです。同じ時期にフランスでモダンヴァイオリンが確立すると各地に伝わっていたオールドの流派は途絶え置き換わっていきました。初期のモダン楽器ではこのような柔らかく美しい音ではなく、耳に刺さるような鋭い音のものが多くあるように思います。1850年頃に作られたモダン楽器があと数十年で音が真逆に変わるとは思えないのです。ガイゼンホフも数十年前にすでに柔らかい音だったことでしょう。
こうなると、オールド楽器のような音というのは単に古さによって自動的にもたらされるものではなく、何か作風の影響なのではないかと思うのです。
私が実際にオールド楽器の作風を研究しそのように作ってみると、新作楽器のような音ではなく、どちらかと言うとオールド楽器の音の片鱗を感じさせるものができたのでした。
つまり、初めから楽器が持っている音があるので、現代の名工の楽器が300年経っても今のオールドの名器のような音にはならないという事です。初めから同じような方向性の音のものが作れば300年後には今のオールドの名器のような音になることが確実でしょう。
なぜ現代のセオリーで作られた楽器の音がオールドのものとは違うのか考えてみましょう。
もちろん私の仮説が間違っているかもしれません。何も言わないで占い師のような神秘的なことを言う方が得でしょう。そうやってこの業界は語って来たのでした。
ハッキリしたことを語る方がリスクです。あくまでイメージしやすいように単純化した模式的なものです。これまでの経験を総合して大雑把にこんな感じという仮説です。実際はもっと複雑です。

音の性格がどのようにして決まるのかの一例を模式的に示してみます。
表板や裏板にはそれぞれ、響きやすい音の高さに違いがあります。横軸には音の高さ、縦軸にはその音域の音がどれくらい出るかを示しています。
音色を決定づける要素は低音と中音の量の違いです。弦楽器というのはその音程の高さの音だけが出るのではなく、同時に様々な音が出ます、倍音というものです。倍音という表現も人によって理解がバラバラです。この楽器は倍音が出るなどという人がいて倍音が出ることが良いことのように言われることがありますが、倍音が出ない楽器なんてありません。
低音が響きやすく中音が響きにくい楽器では暗い音、低音が響きにくく中音が響きやすい楽器では明るい音になります。
それに対して音の鋭さや柔らかさは高音の特定の音の高さで感じるようです。その高さの音が強く出れば、鋭く耳障りに感じられ、少なければマイルドに感じます。
この時音色に関わる低音や中音の割合については板の厚みに規則性を見出せます。板が薄いほど低音が出やすく暗い音になるのに対して、板が厚いと低音が出にくくなります。しかしものすごく厚いと中音すら出なくなるかもしれません。
オールド楽器のような深い味のある音を出すためには、現代のセオリーとは違って板を薄めに作れば良いという事です。
多くの楽器を見てくると柔らかい音の楽器というのは実は珍しいです。鋭い音の楽器は最も安価な楽器にでも見受けることができます。日本に帰ったときにいくつかのヴァイオリンを見ましたが、もっとも安価なドイツの量産楽器やドイツの比較的上等な量産品、高価なイタリアの現代の楽器のいずれも鋭い音でした。
つまり鋭い音の楽器はよくあるもので、そうなる方が普通という事です。高価な値段で普通の音の楽器を買う意味があるでしょうか?
特別柔らかい音の楽器はオールド楽器で経験します。そのような楽器にはどんなにチープなE線を張っても上質で美しい音がするのに対して、現代の鋭い音の楽器に同じ弦を張ったら耳をふさぎたくなります。名器を弾く演奏者の真似をしても全く無意味です。その弦が良い音だという知識が広まり自分の楽器に張ると「これが良い音なんだ」と思ってしまいます。
やはり柔らかい音というのはオールド楽器ならではという事になります。
耳障りな高音をどうやったら抑えられるのかは私にも全く分かりません。
現代の作者でも柔らかい音の楽器を作る人はいます。私もその一人です。私はどのような作風で作っても鋭い音になったことがありません。
そのような癖を持った作者はいるとは思います。私の周りの職人にもいます。しかしながら店頭に並ぶことは少ないようです。売り手の責任でしょうか?やはり商売をしていると派手な音の楽器の方が売りやすいのでしょうか?
そうでなくても売りやすさでは巨匠だの名工だのセールス文句の方が重要で音にこだわらずに仕入れていると鋭いものが多くなるでしょう。そして高価な作品の音だから「このようなものが良い音だ」と思って買ってしまいます。安い楽器でも同じなので試してみないといけません。
このような周波数特性による説明はほんの一面でしかありません。他の様々な要素が複雑に作用していることでしょう。私が言いたいのは音は作者が天才だとかそういうものではないという事です。
音楽家が職業に使う道具としていかに使いやすいかという基準で評価すれば私が考えている事とは全く違う発想になります。先生も世代が若くなるほど音の美しさを軽視する傾向があるようです。
ともかく私には天性の癖があり柔らかい音になります。柔らかい音が良いのか鋭い音が良いのかは好みの問題でしかありません。鋭い音の楽器を作る人が天才と言われているなら私は才能が無いという事になりますが、柔らかくて美しい音を望む人たちにとっては天賦の才能という事になります。
答えは200~300年後に出ることでしょう。そのように音を作る才能を評価することもできません。
皆さんに知ってもらいたいことは楽器の音が評価されて値段に反映されているわけではないという事です。
何が良い音がどうかの基準すら定まっていないのです。
私が最も面白がっている点は、昔の人が弦楽器とはこういうものだと思って作っていたものに特有の音があるという事です。当時の人たちも神様ではなく、その時代の常識や流行があり他の職人が作っているのと同じようなものを作っていたはずです。現代風の楽器の作り方はまだ知らずに自分が知っている唯一のものを作っていただけです。その結果がオールドの音です。現在でも不可能ですが当時工学的に「音を作る」方法は無かったと考えています。
現代の私には現代風のものとオールド風のものを選択して作ることができるのです。
これは購入する人にとっても同様の貴重な選択肢となります。
輸入産業である日本の弦楽器店では円安によって経営状態はひっ迫していることでしょう。ますます選択肢を絞ってごり押ししてくることでしょう。
円安下なので日本人の楽器に注目するべきでしょう。
個人の聴覚にはとても個人差があります。音について共通の話をすることは難しいです。自分の所属する集団の偏った思い込みに染まらないためにもクラシック音楽の歴史のある国で仕事をしている私のブログは貴重なものとなるでしょう。