前回の話をもう少し考えてみましょう。
ヴァイオリン教授が音が良いと預かって来たヴァイオリンがありストリオーニのラベルが貼られていました。音が良いので本物か見てほしいという事でした。
職人の我々が見れば似せてもいないのでニセモノとさえも言えない単なる別物でした。音なんてのはそんなもので、教授でもただのガラクタのようなものと高価な名器と音で見分けることは難しいです。
教授が賢明なのは謙虚さを持ち我々に判断をゆだねたことです。偉い先生にはこちらも気を使って本音を言いにくいですが、素直に話ができる関係を築いていることも大きいです。
もし偽造ラベルが貼っていなかったら手に取ることもしなかったかもしれません。正直に売られていたら安物と相手にせず気付かなかったでしょう。
それくらい偽造ラベルを貼ることには大きな差が出ます。だから偽造ラベルが貼られるのです。
日本の業者の場合、自らの手を汚さないためにも、もともと偽造ラベルが貼られているものを好んで輸入するという事が考えられます。
偽造ラベルが貼られたニセモノは本物なら安すぎて、ニセモノなら高過ぎる値段をしていることが多いです。例えば中国製のチェロにイタリアのモダンの作者のラベルを貼って300万円位で売っているとします。普通の人にとっては300万円なんてとても高価で買う方はがんばって買える限界の値段ですが、本当のイタリアの作者なら数千万円ですからたった300万円で買えるわけがありません。一方中国製のチェロに300万円も出すのはあまりにも高すぎます。そんなものはネット検索すればいくらでも出てきます。
ニセモノとはそういうものです。
鑑定が確かじゃないからとか、今だけ特別と言って中間の値段になるという事はおかしいのです。正規のルートで仕入れていたなら儲けがゼロになってしまいます。
言葉巧みに証拠は残さず日本の法律では自分も騙されていたと容疑を否認するので詐欺を立証するのは難しいでしょう。しかし仕入れた値段で分かっていたはずです。泣き寝入りするしかありません。
日本の場合には楽器店の営業マンは偉い先生に媚びて楽器を教え子に売ってもらうように営業をかけるのがメインの仕事です。先生のご機嫌を取り「先生は楽器の良し悪しが分かるので教えていただく」という体裁をとっておだてることでしょう。これはとても危険なことで、知ったかぶりの先生を調子づけ正しい知識を教える者がおらず間違いも指摘されません。間違った知識が広まる根源でもあります。先生は音楽の専門家でしかないと周知されるべきです。とかく「先生」という人種には自分が世界のルールという人がいるものです。
かつては楽器の値段もずっと安く、鑑定の確かさも軽視されていました。先生が手にした楽器も本物かどうかもわからないし、当時馬鹿にされていた楽器でも今では貴重なものです。
さらに話は変わりますが、常連のヴァイオリン教師が工房に来ていました。音大の学生の演奏を聞く機会があり、彼らの音は大きいだけで美しさに注意が払われていないと感じたそうです。自分が音大で学んだ教授はもっと美しい音を出すことを重視していたそうです。
そのような教授も世代交代しています。
楽器の販売でも同様の傾向を感じています。現在ではありったけのヴァイオリンをずらっと並べて弾き比べ音が一番大きいものを選ぶようになっています。どこの誰が作ったかはまったく気にしません。半世紀前は評判の職人に注文して作ってもらっていました。
日本はまだ職人の評判で楽器を買っている段階です。
最近ではさらに音の美しさが軽視されているようです。私が鋭い音と思うような上等なモダン楽器でもまだまだ弱すぎるようで先生にそれでは音が十分ではないと言われ、耳元でやかましい安価な楽器のような音が評価されるようです。自分が世界のルールである先生が遠鳴りなど気にするわけがありません。
我々が上等な楽器だと思うようなものは全く通用しなくなってきました。
安価な楽器ほど音が良いというわけです。
今の音大生の将来の職業の多くは先生です。
これは時代による価値観の変化の流れがあると思います。ヨーロッパの人たちは日本人のように目先の流行にはさほどとらわれませんが、大きな時代の流れに逆らうほど個性的な人はいません。
バッハやモーツァルトの肖像画のようにかつらをかぶっていたような時代の趣味趣向はもちろん現在とは違うでしょう。戦前と戦後でも価値観が大きく変わったようです。王政と貴族社会が終わり近代国家が成立すると、事業を成功したお金持ちが上流階級として台頭してきました。彼らは貴族的な優雅で上品な趣味に憧れがあったようです。クラシック音楽は最後の牙城として戦後も生き続けてきましたが21世紀になってそれも過去のようです。
刑事コロンボというアメリカのテレビ映画では上流階級の成功者が犯人で、初期の作品ではヨーロッパのお城のような豪邸に住んでいます。社長室は重厚な木材で装飾されています。日本でも校長室だけ木目のパネルになっていました。そんな趣味も末期にはなくなり現在のIT長者ではヨーロッパの文化には興味が無いでしょう。戦前のイギリスなどが舞台の名探偵ポワロでは全く世界が違います。
先生は音が大きいのが良いならトランペットをやるべきだと言っていましたが、もはや少数派かもしれません。ネットの時代には中国製の安価な楽器が主流になることはありそうです。アマゾンを見るとヴァイオリン弦の値段は2セットで1000円もしないものがあり★の評価が4.5です。西洋の老舗弦メーカーは全く時代遅れなのかもしれません。
さて継ネックの修理をしていたチェロです。

特に難しいのは穴を埋めたところのニスを補修することです。かなり変わった形のペグボックスですが、弦が他のペグに引っかかったりすることなく実用的にできていました。

穴をまっすぐにあけるのがとても難しいです。どこもかしこもテーパーになっていて水平が分かりにくいです。

別の角度からも見ないといけません。

穴を大きくするほどペグが中に入っていきます。油断するとすぐに斜めになって行ってしまいます。
左下のペグが少し上がっているように見えますか?

ちょっとしたに力を入れながら穴を大きくしていきます。

良くなったでしょうか?
私はペグをまっすぐに入れるのがとても難しくていまだに成功したことがありません。穴を真円に開けることも簡単ではありません、傾きよりも重要なことです。油断するとすぐに穴が大きくなりすぎてしまいます、そうなるともう太いペグに交換しなくてはいけません。

量産品のスクロールでいびつなので分かりにくいです。
センターラインがきちっとしている楽器ならまだ見やすいのですが・・・。

アンティーク塗装がされている楽器の修理では新しく継ぎ足した部分にもアンティーク塗装が必要です。しかしできる職人は限られています。
もちろん古い楽器の修理では新しく足した部分を他とマッチさせるためのアンティーク塗装が必要ですが、このように初めからアンティーク塗装で作られた楽器では古く見えないアンティーク塗装をわざとやります。そこまでこだわるのは私くらいでしょう。

黒い点々があるのがマルクノイキルヒェンのアンティーク塗装の特徴です。

もともとアンティーク塗装がされていました。黒い点々があります。

駒と魂柱も新しくし弦を張って修理完了です。

継ぎ足した部分のニスも補修し違和感がなくなったでしょう。
このチェロに継ネックを施した理由は「ネックの下がり」です。弦の力でネックが下がって来てしまいます。これは弦楽器の構造上の欠点です。

ネックの角度が変わると駒の高さが変わります。古い駒が右で新しくした駒が左です。
かなり違います。
これで音に違いが無ければおかしいです。
以前の記事です。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12931866338.html
音については完全に予想できるわけではなく、「元気よくなるだろう」という程度しかわからないと説明していました。
板がかなり厚いチェロなのでどの程度改善するか気になる所です。
持ち主が受け取りに来て試奏すると元気よくなるどころかスケールが全く違います。2回り以上大きなスケールの鳴り方になりました。明るい響きは抑えられ落ち着いた暗い音になっています。板が厚くてもそれ以上に響きが抑えられれば暗い音になり得ます。しかしC線は重い感じがします。重低音ですけどもチェロではもっと軽やかに出るほうが理想でしょう。
直した価値はあったと言えるでしょう。
実はこのチェロは中年の男性が子供の頃音楽学校で初めて手にしたチェロを買い取ったものです。何十年かぶりの再会ですね。
このチェロで弾き方を覚えたので「自分のチェロ」という感じです。
金銭的な価値では修理するか微妙な所ではありました。しかし思い出のチェロということもありお金以上の価値があるようです。今回の修理で一生何とか使えるでしょう。音楽学校も昔は学校で楽器を持っていて貸していましたが、今では資金不足で手入れがされず、レンタルを外注する状況です。
このチェロも売却されて教え子のものとなったのでした。
近頃はヴァイオリンとチェロで4/4のレンタルの楽器がどんどん足りなくなります。成長してすぐにサイズが変わってしまう子供用に始めたものですが、今では4/4でもレンタルする人が増えています。学校で貸してくれないということもありますが経済状況の変化で楽器を買わなくなっているということです。
もう一つは世代の発想の違いで、楽器を買うという時代ではないのかもしれません。月ごとの利用料を払うというのが当たり前なのでしょうか?
購入の決断には重圧がかかります、本当にこれを買っていいのか自信が持てないのかもしれません。レンタルなら後で返せばいいだけです。それに対して日本ではブランドやセールスマンの言うデタラメなウンチクで決断をしやすくしているのでしょう。
試奏して音で選べと言っていますが現実には音というのはとても微妙なものです。
ともかく継ネックの修理は、単に音量が増すとかその程度ではなく、チェロが別次元になったように思います。
確かな仕事が成果をもたらしました。
お金儲けをしたいなら時代の変化に先立ってビジネスを変えていくべきでしょう。
私は最新の流行などには疎く、作っている楽器は300年時代遅れのものです。
バッハやモーツァルトの生きていた時代の楽器はバロックヴァイオリンと言い、若い頃とても興味を持って研究していました。現在はその頃のヴァイオリンをだれでも楽しめるようにモダン楽器として現代に蘇らせるという試みをしています。
私が作って来たピエトロⅠ・グァルネリ型のヴァイオリンもニスが終わりました。

写真に写すのが難しくて実物以下になってしまいます。










ニスは古代エジプトの時代からあるオイルニスを使っています。日本には無いものです。
オイルニスは紫外線を受けて亜麻仁油が酸化して固まって樹脂本来の硬さになります。紫外線のライトを当て2~3日もすれば研磨できるほどに固まります。
オイルニスの酸化を早める工夫はオイルニスの製法において重要な要素です。
揮発性のテレピン油で薄めていますので、それの蒸発に時間がかかります。これは特に蒸発が遅い溶剤で場合によっては何年もかかります。また亜麻仁油の酸化速度は反比例のように初めは速く進むのに対して、急激に遅くなっていき最後に近づくと酸化が進まなくなります。
「ニスが乾く」というのは手で持っても指紋がついたり、ケースに入れても跡がつかなくなるように実用レベルの硬さになれば乾いたということになります。乾きが早いニスとか遅いニスというのはニスが硬い成分でできているとすぐに実用レベルになり、遅いニスではそのレベルまで乾くのに時間がかかるというわけです。
100年経ってもまだ柔らかいニスがあります、すでに乾燥はしていますが材質が柔らかいのです。
塗られて何年かはまだ乾ききっていません。このことは音にも影響があるかもしれません。
残りの作業は一週間もあれば十分でしょうが弦を張るのは年末でしょうかね。