指板とニスの応用編 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

この前は楽器の手入れの話をしてきました。今回は応用編です。

指板が薄くなってくるとこれ以上削ることができません。こうなると交換が必要です。指板の交換は頻繁なものではなく人生に何回かのものです。新しく楽器を買った時に指板が新しければそれからです。プロの演奏者なら若い時に一回、晩年に一回それくらいでしょうか?

厚みが3mmを切っています。さらにここから削り直すと2.5mm以下になるでしょう。オーケストラの演奏者で申請していたので、費用は楽団が払います。

指板を外すと表板のニスの手入れがしやすくなります。このヴァイオリンは1915年製のエンリコ・ロッカです。お値段は記録的なユーロ高の現在1500~2000万円にはなります。それでも10年前に比べてもほとんど値上がりしていません。イタリアのモダン楽器が軒並み値上がりしている中、どうなっているでしょうか?エンリコは有名なジュゼッペの息子で、トリノのビオラの話でも出てきました。

この前のマルクノイキルヒェンのラッカーのニスとは違い、オリジナルのニスは表面に光沢がありません。光沢は表面が滑らかになっていると光の反射でそう見えます。そのため過去の修理で上からコーティングのニスが塗られています。それが所々剥げていて手入れするには困ったものでした。掃除して磨いても光らない所があるのです。そこにコーティングを施さないといけません。指板を外すタイミングでそれが可能になったというわけです。

それが終ってから新しい指板を取り付けます。指板交換に10日間かかったなら7日以上はニスの修理です。
指板を取り付けた後もネック周りや裏板なども補修が必要です。

新しい指板を取り付けるとネックのところに段差ができます。これを削って段差を無くさないといけません。

指板を交換するときに気を付けないといけないのはプロジェクションというものです。プロジェクションは指板の延長線が駒に当たる所の高さです。

指板の延長線が赤い線で示されています。緑の矢印の寸法を言っています。

ネックの角度というのは赤い線の角度のことです。プロジェクションの高さとネックの角度は複雑な関係があります。

前回の話を元にすると、「プロジェクション+弦高=駒の高さ」ということになります。測るのは指板の中央なので弦はありませんがE線とG線の高さの平均値になることでしょう。
つまり駒の高さに影響するということです。指板が厚くなると厚さの分だけプロジェクションと駒の高さが高くなるというわけです。駒が低くなると弦が表板を押し付ける力が弱くなります。それと同時に弓が表板にぶつかりやすくなります。したがって理想的な状態にする必要があります。
多少の微調整は指板の成型でできるので、この機会に正しくしておくべきです。修理でも、ネックの修理をしなくても指板交換だけでプロジェクションを正しくすることができれば一石二鳥で修理代も安く済むというわけです。木材を継ぎ足すことが無いので見た目もきれいです。

このため指板を新しくすると駒も新しくしないといけません。指板交換は長期的に計画を立てておくのが無駄がありません。

それに対してメンテナンスで指板を削り直しても弦高はほぼ変わりません。
それも不思議な点ですが、指板というのは先端に行くほど幅が狭くなっています。カンナを端から端まで通して削っていくと先端の方が多く削れます。このため指板が薄くなることと相殺されて弦高が変わらないのではないかと思います。
一度の削り直しでは誤差のような差でも繰り返していくと大きな差になります。新しい指板になって駒は2mmほど高くなりました。

表板を綺麗にしたので、裏板はそのままというわけにもいきません。ピカピカにしました。

これが新品で買って間もないものなら方法も違います。ニスの材質によってもやり方が違います。この前のザクセンの量産品であれば、丈夫なラッカーなのでゴシゴシ洗うことができました。厄介なのは柔らかいニスで汚れがニスと一体化してしまいます。この楽器が厄介なのはオリジナルのニスの表面に滑らかな被膜ができず光沢が出ないことです。そこに過去の修理者によって透明なニスが塗られていて、その透明なニスが剥げ始めているのです。このような楽器は掃除をするほどにニスが汚れとともに剥げていきます。ところどころに穴のように光らない所が出てきます。特に体が触れる所で、皮脂と汚れが層を作っていて、皮脂を取り除くとコーティングニスがはがれてしまいます。ニスが無くなったところに皮脂でコーティングされていることも少なくありません。
したがって掃除を始めるとコーティングのやり直しが必要なため1日2日では終わりません。なので掃除を始めるには相当な覚悟が必要です。古い楽器には多いものです。
一方量産品のように丈夫なニスが分厚く塗られていれば楽というわけです。

この楽器で厄介なのは木材の表面が綺麗に仕上げられていないことです。カンナの跡が見えます。なぜこのような跡が見えるかというとわずかな凹凸があると掃除したり磨いたりするときにニスを擦るとくぼんでいる部分には残って凸になっているところはニスが薄くなって明るくなるのです。こういうのはちゃんと仕上げていないとヴァイオリン製作学校なら先生に怒られることです。それが2000万円というのですから、ヴァイオリン製作学校の生徒よりも品質が落ちることになります。良い悪いではなくて単なる事実でそういうものであるということを伝えています。

これは作者がそうやって作ったので見苦しくなったところに筆を入れて直すことはしません。作った人の責任で私の責任ではありません。しかし問題はコーティングが凸のところは剥がれてしまい光沢が無くなってしまっているのです。それを直さないといけません。おかげで苦労するわけです。

いろいろなやり方があるのですが、その場しのぎで光沢を出すこともできます。しかしまた次に掃除をすると同じことの繰り返しです。失われた部分にコーティングを施せば注意深い掃除ならコーティングは残っていることでしょう。掃除して磨くだけで済むはずです。

そのあたりはとても難しい所です。ベッタベタに厚く塗って耐水ペーパーで研磨すると新しい楽器の塗り立てのような感じになってしまいます。また凸のところが剥げるので分厚く透明ニスを塗らないといけません。音も変わってしまうかもしれません。かと言って層が薄ければまたすぐにはがれてしまいます。

ギトギトするような光沢になるのは楽器の表面がレンズのようにきれいに仕上げれていないからです。ニスもその凹凸に沿うようにすることで独特の雰囲気になると思います。それを分厚く透明ニスを塗って耐水ペーパーで研磨すると新品のようなツルツルになってしまいます。私は修理で気を使っているのはそんなところです。
父のジュゼッペはトリノでフランス流の楽器作りを学んだはずです。しかし息子のエンリコにもなるともうそのクオリティがありません。たった一世代で変わってしまうのがヴァイオリン製作です。

「高いもの=良いもの」という宗教を信じていると現実は見えなくなります。


修理前に比べて指板が厚くなりました。0.5mmくらいは厚すぎる感じです。一回削り直すとちょうど良い厚さになることでしょう。新しい指板ですから初期不良のように曲がってくることがあるのでその保険にもなっています。


今回の修理とは関係ありませんが、ペグの話もしておきましょう。

ペグがこのように曲がってくることもありますし、摩耗してくることもあります。こうなるとくさびとしてブレーキがかからなくなってしまいます。曲がってくると回転軸がぶれて回すとぎっこんばったんとした動きになります。

これを削り直します。

短くなりすぎたら交換が必要です。この作業でも数ミリは短くなります。本当に微妙な作業です。手元が狂ったらすぐにペグが中に入ってしまい交換が必要になってしまいます。
数ミリ短くなると反対側が飛び出るのでそれを削って短くします。
このあたりも頻繁に行われるメンテナンスです。

あとは弦の交換もあります。これは自分でもできる人もいるかもしれません。やり方は一度職人に教わったほうが良いと思います。
中高生が職場体験で来ます。会社が小さいので、自分が弦楽器を弾いている人に限定しています。また新人の職人も同じですが、必ずやるミスがあります。強くE線を張りすぎて切れてしまうこともあります。駒が倒れてバン!と大きな音がします。アジャスターが表板に傷をつけます。そうやって古い楽器では傷がついているのが普通なのですけども、お客さんの楽器や新品の楽器に傷つけてはまずいです。ですので必ずテールピースと表板の間で、アジャスターがぶつからないようにハンカチのようなものを挟んで弦を張るようにしてください。駒が倒れたときに衝撃で駒が割れることもあります。そうなると駒交換が必要になります。
新たに弦を張るときは弦に駒が引っ張られて傾いていくのでそれを常に直すようにしなくてはいけません。