私の言っている楽器の良し悪しと南ドイツのオールドヴァイオリンの修理 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

ここのところ板の厚みの話をしてますが、板が厚い楽器がどれくらいの割合であるのか調べてみたいと思います。厚みを5段階に評価して数えていきます。

たまたま中古の量産楽器を整備する仕事が続いていました。何気なく厚みを測ってみるとどれもこれも厚いので「またか」という感じで驚きでした。ちょっとした発見です。中古の量産楽器の板が厚すぎることはよくあります。音が出やすい方がよく売れるのでできれば薄く改造するのがベストですが、コストが掛かるので仕方ないと断念していることがほとんどです。そういうわけで量産楽器の多くが板が厚いということは知っていましたが、はっきりとは語って来なかったもしれません。

つまり私が言ってる楽器の良し悪しというのはまじめに作ってあるか、手抜きをしているかその程度の話です。ちゃんと勉強した人がまじめに作ったものならその時点で良い楽器です。値段が100万円だろうが1000万円だろうが私には関係ありません。

それでも音はみな微妙に違うので購入する場合には試奏して好きなものを選ばないといけません。また手抜きをしたり雑に作られた楽器でも、一か八かであって絶対に音が悪いということは言えません。音は主観的な評価しかできません。まじめに作られたものでも音が好みでないこともあるだろうし、雑に作られたものでもたまたま音が気に入ることもあるでしょう。

20年以上やっていても私には作者が「天才」だとかそんなのは分かりません。分かるのは一人前の職人がまじめに作っているかどうかだけです。手先の器用さとか造形センスは分かりますが音とは直接関係ありません。

作者が天才かどうか私には見分けられませんが、量産品かハンドメイドのものかはだいたい見分けられます。それでも分からないものがあります。ハンドメイドの楽器だと思っていたものが、故障で表板を開けると機械で作った形跡が見つかってビックリすることもあります。見た目ではわからず匂いを嗅いで始めてニスがラッカーだと気づくこともあります。音大教授でも音で量産品とハンドメイドの聞き分けはできません。偽造ラベルが貼られた量産品を「良いね」なんて言って弾いていますから。

個人の職人では量産品っぽく見えてしまったら失敗です。ちょっとの油断で量産品っぽくなります。アンティーク塗装のノウハウなどは個人のほうが未熟な人が多いです。加工も機械よりも甘ければすぐに量産楽器に見えてしまいます。
日本でそんなイタリア製の新作ビオラを見せてもらったことがあります。値段を聞くと「こんなのがそんなにするの?」って感想になります。楽器だけ見せられ価値を査定するなら偽造ラベルの量産品だと判断してしまうかもしれません。もしかしたら実際に・・・。

普通は量産品は量産品を作るうえで技術が完成され同じようなものがたくさんあるのですぐに製造上の特徴や見た目の雰囲気で分かります。しかし中にはヴァイオリン製作学校を出てすぐくらいの未熟な職人のハンドメイドレベルのものがあります。
実際プロの職人としてやっていてもヴァイオリン製作学校以下の品質の作者がいるということは前にも紹介しました。それくらいのもので雑に作られていると量産品なのかハンドメイドなのか本当にわからないものです。モダンイタリアの偽造ラベルが貼ってあったりもします。
偽造ラベルが貼られたもののうち、量産品の産地の特徴が分からないものはややこしいものです。どこで誰が作ったか全くわかりません。工場なのか家でひっそりと作っていたのかもわかりません。ジュゼッペ・オルナーティの焼き印まで作ったニセモノを何度か見たことがあります。当然良からぬことに利用されるわけです。



専門家でも量産品かハンドメイドかさえなかなか見分けられないのに、天才を語るなんておかしくありませんか?
天才かどうかわからないのは私に才能が無いからかもしれません。それではなぜ営業マンには語ることができるのでしょうか?「天才だと言われています」という謎の出どころ不明の情報です。不確かな情報に大金を投入すべきでしょうか?

楽器の形もまじめな人は現代ではストラド型かガルネリ型になってしまいますが、変わった形の楽器を作る人も必ずどこの国にでもいます。変わった形についてそれが素晴らしい個性なのか、へんてこなおかしなものなのかどうやって評価することができるでしょうか?これも主観でしかありません。現実には値段が高い楽器の個性は素晴らしい個性で、安い楽器の個性は邪道だとかへんてこだとかみなされていないでしょうか?高い楽器なら何でも称賛されて、安い楽器はバカにされるというのはおかしな話です。


天才の定義は何なんでしょう?
弦楽器店にとって望ましいのは安く仕入れられ高く売れることです。すごい速さで楽器を作ることができて、そこそこのものが作れる人が天才ということになるでしょう。
消費者からすれば、慌てないでじっくりと作ってもらったもののほうが良いですよね。
この定義だと、戦前のチェコのボヘミアの作者などは天才ぞろいです。でもなぜか楽器店はそうは言いません。高く売れないと天才じゃないようです。つまり値段が高い作者が天才という謎の定義です。まちがっても天才だから値段が高いのではないのです。値段の高さはストラディバリやデルジェスとの関連性と考えると大きく外れていません。楽器の作りではなく、生産国などそのレベルのことです。ストラディバリやデルジェスに次いで高価な楽器は苗字が同じ家族のものです。そして同じ流派、同じ産地、同じ国となっていくわけです。


もう一つは、エンジニアリングのように音を作るのが難しいということです。板の厚みを薄めや厚めにすることで音は違ってきます。しかし漠然としています。厚すぎると全く鳴りませんが、厚すぎないという範囲で言うと私の経験では薄めの板のほうが低音が出やすくなります。でも薄くしているのになぜか低音ばかりが強いのではなくもっと高い響きも加わる場合もあります。厚みがあるのに高い音が抑えられて低音が強くなることもあります。
それすら曖昧ですが、どの線のどの音がどんな音だとか、音の出方とか発音がどうだとかそんなレベルではないです。音のキャラクターのうち厚みとは関係ないことがあります。

板の厚みは響く音域が楽器の音程の範囲に入ってくるかということです。
チェロで板が厚いと一番高い音のA線しか鳴らないのが、板を徐々に薄くしていくとG線が豊かに響き始め、さらに薄くするとC線も響くようになっていくわけです。この時C線が豊かになった代わりにA線は弱くなっています。もっと薄くするとA線はさらに弱くなっていくことでしょう。胴体が響く音域がチェロの音域から外れてしまいます。ただし物理的にその音域の音が響くことと演奏者が感じる音の強さは必ずしも一致しません。

このような話は私が実験して分かったことで、一般には知られておらず書かれている本などもありません。こういう技術的に考える発想自体が珍しいでしょう。

これを意識して職人たちが作っているわけではなく、板の厚さについては謎の設計方法がいろいろあるはずです。大概は理屈先行で実証をしていない机上の空論であることが多いものです。理路整然とした設計法がもっともらしく見えてしまいます。ダーウィンのような人でない限り、それを学んだり考案した時点で満足しています。受験生が参考書を買って満足するようなものです。職人はそんなレベルですよ。世の中なんでも結果を厳格に審査することなんて無く、実行する前のアイデアの段階で保守派と流行りもの好きが大喧嘩してますよね。終いにはアラ探しです。

私はその理論が正しいかどうかは興味がなく、それで厚めになっているか薄めになっているかとして受け止めます。理論によってはまじめに作っても厚すぎるものができる可能性があります。職人は「正しい作り方」を知っているということを誇りに思っているので「厚い板が本物だ」という都合のいい理論で自分を慰めます。私はプライドは捨てて結果に謙虚になるべきだと思います。




量産楽器の音が悪い理由としてこれまで「板が厚すぎるから」という説明は受けてこなかったでしょう。

それに対して言われてきたのはこのようなことだと思います。
量産楽器は何人もの人が分業で部品ごとに作っているので、「作者の意図」がないためだとそんなようなことです。
つまり天才の作者が意図して音が良いものが作り出せるということの裏返しです。


それに対して私の考え方を言います。
私は、板が厚すぎなければ多数の人が分業で作っても音は出ると思います。音を客観的に評価することができないので、主観でしかありません。分業で作ってもその音を気に入る人がいれば「良い音」です。

ハンドメイドでも同様で、厚すぎないように作れば、どこの誰が作ったものでも音は出ると思います。その音が良いか悪いかは主観でしかありません。ヴァイオリンが作れる程度の才能があってまじめに作れば条件はクリアーしています。

このような私の考え方の方が実際と合致しているように思います。お店や知人の楽器などをいろいろ試してみてください。


80年代くらいにウンチクが出来上がって行ったとすればその頃量産品は西ドイツ製か日本製くらいだったでしょう。それが今では旧共産国の国を中心に作られるようになりました。下克上です。
前回はドイツの量産楽器では厚い板のものが作られてきたという話でした。しかし中には薄い板のものもあります。日本で輸入されてきたものがどんなものなのかは私は分かりません。日本で名前を聞くようなメーカーのものがこちらではほとんど見ることが無いからです。

先日は教師と生徒がチェロを探していました。100万円以下くらいのクラスですが、先生は二つのチェロを気に入ったようです。一つは20年くらい前に作られたドイツ製の中古品で、もう一つは新品のルーマニア製のものです。
聞いているとルーマニア製のものの方が低音が豊かでスケールが大きな鳴り方をしています。ドイツ製のほうが明るくてこじんまりとした音です。しかし弾いている人には20年間弾きこまれた分手ごたえはあるようです。それでその二つが良い勝負だと感じたようです。ルーマニアのものは全くの新品で日ごとに音が出やすくなってくるでしょうから、ドイツ製を上回るのは時間の問題でしょう。

生産国を気にする日本ではドイツ製のものはもっと高価でルーマニアのものよりも各上だと考えられているかもしれません。実際はそんなもんです。今は機械で加工できるので、板を薄くする方がコストがかかるわけではありません。製造法が進化しているのに、ウンチクが30年も変化せずとどまっているのはおかしいです。変わって行かないならそれはもはや「信仰」です。

ハンドメイドのヴァイオリンでも現代ではストラディバリやデルジェスの型で、アーチの高さや板の厚さに「常識」があり極端に変わったものが作られません。設計の選択肢が無いのにどうやって作者の意図する音を作り分けることができるのでしょうか?

それに対して同じ設計でも、なぜかわからないけど作る人によって音が違います。音を評価する方も感じ方が人によって違います。
先代の師匠は楽器選びを結婚に例えます。私は独身なので分からない世界ですが、運命や相性みたいなものでしょう。成り行きかもしれませんね。

戦前よりも前の作者の場合にはオークションなどで国際的な相場ができています。決して音を審査して値段が決まっているわけではありません。音を評価して格付けを行うような国際機関は存在しません。現代や新品のものは普通の工業製品と同じです。同じ作者名でも音は違いますし、古いものでは状態が様々です。

それを勝手に値段が高いほど音が良いと勘違いしている人がいます。良い音とはどんな音かと言えば「高い楽器の音」と考えていることでしょう。それじゃあ値札の数字を増やせば、良い音になりますね。日本は自由経済の国なので値段をいくらにつけても犯罪ではありません。条例で飲食店の「ボッタクリ」を規制している地域があるくらいです。勝手に勘違いしている人は業者からすればカモです。


ちょっと考えればおかしなことだと分かるでしょう。
それで祖父母が孫のために不動産を売ったりしているのですから笑えません。


もちろん200年以上前にまともに作られたものは数が少ないです。そのような音が好みなら国際的な相場の時点で高価なので多額の資金が必要になり、もはや「音楽家」の買えるものではなくなっています。それでも忘れられたような流派であればチャンスがあるんです。私はそのような「玄人好み」のものを目ざとく探しています。それに気づいている消費者が少ないので日本のお店では売れ残ってるかもしれません。
それとてニセモノがあり、品質や修理の状態も様々で購入するのもイージーではありません。もちろん私が自分で作ることも職人として可能性を追求できることです。

南ドイツのオールドヴァイオリンの続報



掃除をしたらだいぶきれいになりました。写真ではわかりにくいですが真っ黒なニスもよく見ると赤茶色い感じも見えてきました。しかしどれがオリジナルでどれが補修で塗られたものなのかもわかりません。汚れもあるでしょう、昔はランプなどを明かりに使っていたので煤などもあったでしょうから。

ペグの穴がA線とG線が大きくなっているので埋め直します。ヘッド部のニスは透明度が胴体と違います。顔料の感じがします。つまり絵の具ようなものです。
スクロールがオリジナルなのかそうでないのかもよくわかりません。継ネックはしてあって古い感じはします。明らかにおかしいというほどではありません。

いわゆる「ネックの下がり」が見られます。指板と弦の隙間を正しくすると駒を極端に低くしないといけません。
新しい指板にするだけでも厚みを増すことで駒の高さはなんとかなりそうでした。駒が低すぎると修理済みとして売るわけにはいかないので最低限ならそれでもいいのですが、ネックの角度がかなり斜めになります。アーチの高い楽器ではあまり表板に強い押し付ける力をかけたくはありません。一つは表板の変形もありますし音が細くなるのではないかと思います。スムーズで豊かな音にするにはネックの角度はやや水平に近い方が望ましいでしょう。しかしあまりにも寝かすと弦の張力に対抗できずすぐにネックが下がってしまいます。何をやっても間違いになってしまうのが高いアーチのネックの角度です。ヴァイオリン製作学校では新作のための現代の標準しか教わりませんからはるかに難しいわけです。

継ネックをやり直すほどネックに問題が無いので指板を新しくするとともにネックに板を張り付けて微調整すれば演奏上も音響上も理想的な状態にできるでしょう。


表板を開けてみるとびっくりです。過去にも何度も何度も修理された形跡があり歴史を物語っています。古い修理は仕事自体もひどく雑ではありません。
よく分からないのは比較的最近の修理で補強の木片が外されています。羊皮紙のようなものをセロテープのように張ってあります。その方がシンプルで傷が開くのを防げると考えたのでしょうか。

板の厚さは詳しく示しますが、さっと測った感じではオールドにしては厚い方です。場所によっては1.5mmのところもあるのでさすがにという感じです。持った感じはとても軽く化学的にも何か変化があるかもしれません。タッピングでトントン叩いてみるとボヤッとしたようなにぶい音です。私が作っている新作のほうが張りがあります。しかしオールドの板は不思議なことに胴体に貼り付けるとよく響くようになります。だから楽器を作る時に叩いても意味が無いのです。どうやって細く窮屈にならず豊かに鳴らすかですね。力で鳴らすというよりは力を抜いて響かせる感じです。

高いアーチの楽器なので深いですね。
私もこの前自作の楽器でやりました。

顎が当たる部分に板が張り付けてありましたがそれも割れています。
隙間が結構ある感じでしたが丁寧に接着するとかなりよくなりました。放置された傷は隙間が広がってきてしまいます。これが今回必須の修理箇所でした。

バスバーもどうかということですね。そんなに古いものではないのですが太いですね。表板との接着面が7mm程度あり上に行くほど狭くなるようにはなっています。普通は6mm以下だと思います。表板の割れがあって補強する意味もあったのかもしれませんがどうでしょうね?
この小ぶりの楽器には硬すぎて柔軟性が無いような感じがします。G線は豊かに鳴っている感じではなかったです。

先日はヴァイオリンのお客さんが他の工房で魂柱の実験をしたそうです。今はヴァイオリンの魂柱は6.0~6.2mmです。皆太目のものを使いたがります。実験では6.5mmを入れたそうです。小型のビオラ用です。耳障りなやかましい音は抑えられたそうですが、何となく覇気が無くなったような感じだそうです。そこで同僚が6.2mmの魂柱に交換すると大変喜んでいました。それも本当に直径の差だけなのかはわかりません。

同じことがどうかは分かりませんが発想としては似ています。1900年頃の楽器でオリジナルのバスバーは5mmくらいです。それが今では6mmくらいは普通です。7mmはさすがにビオラ用です。

私は自動車のタイヤをイメージします。レースカーなどは太いタイヤがついていてグリップ力がありそうです。しかしラリーレースの雪用のタイヤでは逆に細くなっています。車の荷重が集中するので雪を押しつぶすんでしょうね。
駒からの力が表板を強く押すのは細い方じゃないかなと思います。と言ってももちろんタイヤと同じなはずは無く机上の空論です。しかし太いほど良いという考えが出てくる現代人の発想に疑問を持ちます。

いつも通りやればネック角度の調整とともに方向性としては小型の高いアーチの楽器をソリスト的な方向に持って行けるのではないかと思います。

気が遠くなりそうな感じですが、一つ一つやっていくしかありません。



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