板の厚みの実際 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

弦楽器がどういうものなのか知ってもらいたいということでやっています。自分で楽器を作っているので細かいことを考えています。普段の暮らしの中で思っていることを日記のように書いて、楽器職人の一人が例えばそんなことを考えているんだなと思ってもらえると良いなと思っていました。

しかし前提となる理解が無いといきなり細かいことが頭に入ってきてしまいます。細かいことの方が確かなように感じやすいものです。私が語ったことが楽器の良し悪しを決める決定的な要素として理解されるとまた新たなウンチクが生まれてしまいます。意外と真剣に読んでしまう人も多いようなのでそうなると当たり障りのない内容にせざるをえません。国語のテストなら「著者の言いたいことは何ですか?」と問われるのですが、ネットでは普段から興味のあることだと自分の考えが先にありますから自分の興味のあるようにつまみ食いで読んでいきます。ネット上の意見というのはそんな感じですね。自分の意見があってそれに都合のいい記事をネットで見つけていくという感じです。

私の経験や思っていることがいっぱいあっても記事にできることは恵まれた条件を満たしたものだけということです。たわいもないことを言いたいところですが残念です。

たわいもないことも書いてみましょうか?
この前はアメリカ人で演奏活動や教師をしているヴァイオリン奏者の男性が来ていました。異音がするというので調べてみると表板に剥がれているところがありました。それはともかく、音の出し方が独特でギュッと押さえつけた様な感じで息がつまりそうです。アメリカではクラシック以外にもアイルランドなどを起原にするようなフォーク音楽がありますが、そちらの方が演奏者人口が多いかもしれません。楽器はマルクノイキルヒェンのオールドで、それも窮屈さに影響しているかもしれません。アメリカの人は古いヨーロッパのものには特別な思いがあるらしく、観光客でも工房を訪れれば「ビューティフル!!」と大騒ぎしています。ニューヨークの弦楽器店にドイツの古い楽器を持って行けば即座に買い取ってもらえると聞いたことがあります。そうなると旅費が浮きますね。そういう意味ではなんでもポジティブに楽器を評価してきたのがアメリカですね。それが日本に伝わるときにまた勘違いがあることでしょう。

修理を終えるともう少し普通の弾き方になったようです。楽器の調子が戻ったからなのか、私の耳が慣れたからなのかわかりません。


次は韓国出身の女性で市営のオーケストラの人の話です。
表板のエッジが割れてかけてしまったので急遽来店されました。外国で知らない工房に行くのもおっくうなのかメンテナンスもしてない感じでした。
私が接着してニスを補修して直すと、仕事ぶりに満足してくれたのか、お子様のための初心者用のヴァイオリンを買うためにたびたび足を運んでいます。

韓国でも楽器についての考え方は日本と似ていると思います。もっと極端かもしれません。さすがにプロなので試奏のために難曲を次々と弾いていくわけですが、音はキリッとした強さのある音です。甘い音というよりはピリッと辛口の音です。韓国だからというと偏見になるかもしれません。そのため、楽器自体が強い音を持っている必要は無く、鳴りの強さは必要が無い感じでした。本人も「値段と音は関係が無い」ということを初めて実感して驚いたようです。韓国のお店ではうちのような扱いを受けたことが無いのでしょう。うちでは予算で買える楽器をずらっと並べて放置です。セールストークも何も言いません。
それから古さも関係ないと言っていました。新品の楽器を候補に選んでいました。私は古い方が鳴りやすくて有利だと考えていますが、十分な腕前になるとそれも関係が無く楽器の質が重要です。


最後は現地の人です。
若い女性で職業は分かりませんが、コンチェルトの難曲を次々と弾いていました。とても優雅でエレガントな弾き方をしていました。それこそウィーンのオールド楽器を弾かせてみたいものです。


今回のようなことはたまたまその人がそんな弾き方をしているだけなのか、その人の先生がたまたまそういう弾き方だったのかわかりません。私はヴァイオリン教育の専門家ではないからです。残念ながら私が語るような話ではありません。演奏のプロでも客観的に他の先生の演奏法などを調べている人はいるのでしょうか?

大人なら先生の弾く音に惚れ込んで生徒になるのもいいかもしれません。
その場合には音の出し方について聞いてみてください。


いずれにしても人によって音の出し方も様々です。自分では個性的とは思っていないことでしょう。むしろ弦楽器店の我々の方が違いを感じてるのかもしれません。


ノイナー&ホルンシュタイナーのヴァイオリン



ノイナー&ホルンシュタイナー社のヴァイオリンです。ドイツの量産メーカーでは最も有名なメーカーですがそんなにしょっちゅう見るものでもありません。オールドの時代からミッテンバルトで続くノイナー家とホルンシュタイナー家の合弁会社ですが、パリのヴィヨームの下で修行したルドビヒ・ノイナーがミッテンバルトに戻ってフランス式の楽器製作を持ち帰りました。

18の8のところを上から9にしています。1901年製ということになります。

量産品にしてはきれいにできていると思いますが、それだけでなくヴィヨームの影響があります。ヴィヨームはパガニーニが使っていたデルジェスのコピーを作っていますが、そのようなスタイルが感じられます。それでいて近代的な均整の取れた美しさがあり、デルジェスをうまくモダン楽器へ落とし込んでいると言えるでしょう。デルジェスはオールド的なアバウトさがありますから、近代のようなきちっとした楽器とは全然違います。
そもそもストラド型の楽器を作るための手法が近代の楽器作りなのです。そのためデルジェスは合わないのです。

同様に現在でも「ガルネリモデル」を作るのは難しさがあります。オールド楽器を詳しく研究している人の方が少ないでしょうから、自分が教わったストラド型の作り方でガルネリ型も作るので、私から見るとおかしい所がいっぱいあるわけです。職人でも大半が分からないからそうなっているわけで一般の人には分からない話です。

f字孔がやたら尖って大きいのもデルジェスの晩年の特徴です。スクロールもそのタイプの形のバランスになっています。しかし仕事はきれいで丸みも繊細になっています。量産品のほうがオリジナルよりも綺麗というわけです。

このようなものが典型的な「ガルネリモデル」として広まっていきました。私はもう少し前の時代のものを元に作ってきましたので、スクロールはお父さんのジュゼッペが作ったものでアマティ的な感じがあるものですし、f字孔もここまで尖っていません。

アーチも平らでこの前のウィーンの楽器のような南ドイツの特徴は何一つ残っていないようです。このため1900年にもなると地域による独特の楽器なんてのは無くなってくるわけです

オールド時代からの数少ない特徴は横板のロワーバウツのところが継ぎ目が無く一枚でできていることです。これは裏板も一枚板ですが、それとは関係なくミッテンバルトの特徴です。オールドの時代にはシュタイナーを始め広く南ドイツの特徴でした。このようなものはアマティ派でもありました。現代では真ん中に継ぎ目があることがほとんどです。ミッテンバルトでももう失われた特徴でしょう。

職人の楽器の見方は演奏者とは全く違うことに気付いたでしょうか?
製造法や品質、製造技術に興味があるということです。
ミッテンバルトは外枠ではなく内枠で作られていたようです。

ニスはラッカーでいかにも量産品という感じがします。作りが綺麗なので残念な所ではあります。

値段は3,000~12,000ユーロと量産品の中ではかなり高いです。ミルクールのものに近いものです。この楽器はどれくらいでしょうかね?中級品くらいでしょうか?とても見事な3/4のヴァイオリンを見たことがあります。もちろんルドビヒ・ノイナー本人作のものは300万円くらいしてヴィヨームにそっくりです。ヴィヨームが300万円なら安いですが。

しかしこの楽器でニス以上に残念なのは板が厚すぎることです。外見を綺麗に作っても厚みを出す作業でおろそかになっています。ミッテンバルトでは分業による生産方式で各部分を別々の人が作っていました。そのこと自体が問題ではありませんが、板の厚みについて品質が管理されていなかったです。
したがって有名なメーカーであることに何の意味もありません。弦楽器はそんなものです。厚みにこだわっているのは私だけで、板の厚みで知名度が決まっているわけではないからです。

ブーベンロイトの量産品

同じ西ドイツでもブーベンロイトはマルクノイキルヒェンやチェコのシェーンバッハ(現在のルビー)などから終戦直後に人々が移ってきてできた産地です。流派としては違います。

戦後の楽器です。工芸品のようなものではありませんが、工業製品としてみると綺麗さがあります。
時代は状態が良いと新しく見えて、使い込まれると古く見えるのでよくわかりません。しかし、かつて日本でもかなり輸入されていた典型的なドイツの量産品です。

西ドイツの工業力を示すように、仕事の粗い粗悪品には見えません。

したがって中国製の安価なものに比べるとランクが上のように思えるかもしれません。しかし、残念なことに板が厚くてチェロのようです。

もう一つブーベンロイトのヴァイオリンです。
さらにきれいですね。

裏板の木材も上等なものを使っています。これなら値段も量産品としては高価な方で50万円くらいするんじゃないでしょうか?

ラベルには1982年と書いてあります。
日本でもバブルの頃高価な舶来品を買うことが流行して、イタリアの楽器の値段が高騰しましたが、それ以前なら50万円のヴァイオリンというのは相当高価なものだったはずです。

しかしこのヴァイオリンには残念なところがあります。・・・・そうです、板が厚すぎるのです。またかよという感じです。

スクロールは渦巻きを専門に作る職人がいて胴体とは合っていません。

中国製のビオラと・・・



中国製の安価なビオラです。ケバケバしい赤色で西ドイツ製よりも形も調和がとれていないように見えます。


これは最近のもので同様のものを日本でもよく見かけることでしょう。
見た目は大事ではないという方もいるでしょう。しかしこのビオラにも残念なところがあります。板が厚すぎます。チェロの厚さです。ビオラについてはよく理解されていないこともあって、薄めのものを見つけるのは至難の業です。


こちらもドイツ製のものと比べると形が整っていません。「手作り感」のある素朴な感じがします。

このビオラには鑑定がはっきりしたものがないのですが、ラベルではビチェンツォ・サニーノの1906年製となっています。本当かどうかは分かりませんが、ミルクールやザクセンなど量産楽器の流派では全くないものです。それどころかフランス的なモダン楽器の品質には程遠いものです。
サニーノはナポリの流派で、ナポリでは近代の楽器製作が伝わらなかったのでモダン楽器のような品質が無いことはあり得ます。本物かどうかは私にはわかりませんが、マルクノイキルヒェンなどの偽造ラベルが貼られたものではないことは確かです。それらでももっと普通の形をしています。これだけ近代の教育を受けてないとなるとイタリアの楽器っぽく見えます。

中国のものよりもさらに荒い感じがします。

この楽器で残念なのは・・・
・・・板が薄すぎることです。
裏板はポプラで作られています。ポプラはカエデよりも密度が低く柔らかい材料です。その上板目取りになっているのでかなり柔らかいはずです。
ペグの穴がいくつもいくつも埋めてあるのは柔らかすぎてすぐに穴が大きくなってしまうからでしょう。

すでに裏板がまったぷたつになり修理はしました。しかし板が薄くて素材が弱いのでまた割れてしまうかもしれません。

もう一つややこしいのはチェロタイプのペグボックスであることです。チェロの場合には全く問題がありませんが、ビオラの場合このような形状のペグボックスは人差し指の根元が角に触れてしまいます。ペグボックスの角が邪魔になるのです。この楽器では継ネックを指板の先端の位置をずらすことで多少ましにしています。このためナットが複雑な構造になっています。これがヴァイオリンのような形であれば何の問題もありません。オールドの時代でもチェロタイプのペグボックスは大型のビオラに用いられることが多かったです。現在のヴァイオリン製作コンクールではサイズも大型でこのようなものが多くあります、立派に見えるからです。しかし弾く人のことは考えていません。


これが本物なのか偽物なのかは専門家の鑑定が必要です。職人が言えるのは見事に作られているか、素人が作ったものか、粗雑に作られたものかという点だけです。それで言うと「素人が雑に作ったようなもの」に見えます。
ナポリではガリアーノ以来オールドの伝統があり、近代的な楽器作りが導入されなかったのも特徴ではあります。しかしクレモナ出身のアレサンドロやその息子たち、またアマティの特徴も全くありません。仕事が粗いというくらいです。

鑑定書があれば1000万円になるかもしれません。しかし職人は決して「見事な楽器」とは思いません。このような楽器を1000万円で買っても、メンテナンスなどで職人のところに持って行けば「こんなものに1000万円も出してバカじゃないの」と思われています。でもそういうものだと理解してください。音だけじゃなく工芸品としても魂がこもったものが欲しいという方はお気を付けください。値段は鑑定書の紙があるかどうかだけです。

値段が音とは関係ないという話でしたが、仕事の質もめちゃくちゃです。
アマティやストラディバリはこのようなものとは全く違います。

古物として見た場合にもこのようなものより、ウイーンのオールド楽器のほうが歴史があります。

ミルクールのヴァイオリン

最後はミルクールです。

見た瞬間にミルクールのものだと分かるものです。分かるでしょうか?
職人の目なら一瞬で見分けられますが、演奏家が音で聞き分けられるでしょうか?


エッジの仕事などは分かりやすい特徴ですが…。分かりますか?

スクロールも量産品ですから別段美しいものではありませんが、ミルクール的な特徴はあります。

正面から見るとスクロールの周囲がハの字になっていますが直線的です。ストラディバリの特徴でアマティではカーブしています。

ラベルはストラディバリのモデルだというものとベルナーデルのものが貼ってあります。ベルナーデル家であればフランスの有力な家で一流の職人を輩出しました。楽器商ならこれをベルナーデルの楽器として数百万円で売るかもしれませんが、職人が見ればミルクールの量産品です。工場製のストラディバリのラベルの上にf字孔の隙間から入れて貼った様な感じです。パリのベルナーデルの店で販売したミルクールの量産品という事でしょう。こんなのは騙されやすい典型です。

板の厚みはどうでしょうか?
フランスの一流の作者の楽器なら表板はどこも2.5mmくらいだという話でしたが、これは3.5mmくらいありました。
というわけでフランス製ということに何の意味もないことになります。
それで薄く改造しようということになりましたが、削ってみるとどうもおかしいです。繊維の向きが普通と違うのです。
表板は間違いなく「プレス」で作られたものです。
裏板も怪しいです。
だいたいどこも3.5mmくらいでセンターが2.5mmくらいになっています。

アーチはフランスの楽器にしては高さがあります。

しっかりと立体的なアーチになっています。これもプレスで作れたのだということに驚きです。
それはそれですごい技術ですが、ドイツの量産品は同じ作業を繰り返し熟練することでただただ早く作るだけなのに対して、ミルクールは技術的に安く作る方法を研究していたようです。

こうなると板を薄く改造するならドイツの古い量産品のほうが良いのではないかと思うくらいです。手抜きで板が厚いだけなら薄くできますから。

プレスなのでどうしたものかと思いましたが板を薄くしてバスバーを新しくしました。上と下のブロックとの接着部分は過去の修理で木材が足されていました。プレスなので接着面が合ってなかったのです。開けてみるとプレスだとすぐにわかる特徴です。なんとなく平らの板を曲げてあることが分かるでしょうか?カーブが緩やかすぎます。


ニスがはげた部分があります。緑っぽい灰色ですね。これも典型的なミルクールの着色です。それにオレンジのニスが塗ってあります。19世紀後半の量産品の典型です。したがってベルナーデルのラベルがあっても量産品です。職人はそういう所を見ています。

日本の楽器店ならベルナーデルの楽器で200万円以上で売りそうなものです。本当にベルナーデルの中でも有名な作者のものなら500万円以上すると思います。200万円もしたら量産品とは思わないでしょう、勝手に量産品ではないと考えて買ってしまうかもしれません。しかし本当のベルナーデルはそんな値段では買えないでしょう。


裏板も真ん中以外は薄くしてみました。
結果的にはかなり薄めの楽器となったことでしょう。プレスでも薄くして大丈夫なのか気になります。

値段はパッと見た感じではすごい安い物とは思いませんでしたが、それでもプレスです。ハンドメイドのものとは全く違います。それでもフランス製ということで5000ユーロはするでしょう。日本なら正直な店でもその倍かもしれませんが。

気になる音は?


弦を張って調弦する段階でもよく鳴ることは気付きます。持った感じも明らかに軽いものです。

音を出してみてもよく鳴っています。たまにあるよく鳴る楽器です。高音も私が修理したせいか鋭さはさほど感じないかもしれません。高音は本人はわりと分からないもので、鋭くないと思っていても聞いている人は耳が痛くなっていることもしばしばです。
低音はいわゆるビオラのような暗く深みのある音です。

それに対してブーベンロイトの二つを比べてみました。
後で紹介したちょっと高めのものでも、全然鳴りません。本当によくあるような典型的な量産品の音です。明るい音さえ鳴っていません。
もう一つの方も同様ですが少し明るさがあります。

このようなものなら明るい音でも音が出る方がまだましで、現代的なハンドメイドの厚めの板の楽器でもこれよりははるかにましです。イタリアの新作楽器でも普通のレベルで作ってあれば西ドイツのこのようなものよりもずっと良かったのでしょうね。ステファノ・コニアでもずっとましです。それを大げさに巨匠だの天才だの言ってきたのでしょうか?日本人の作ったものでも同じレベルです。

それに比べたら今回改造したミルクールの楽器のほうがはるかに上です。

今のルーマニアのものでも西ドイツのものよりはずっと良いです。中古のドイツ製のものを高い値段で買う意味がありません。

それに対してミルクールのものはプレスでもそれほどマイナスではないようです。チェロではさすがに難しいと思いますが、ヴァイオリンでは問題なさそうです。厚すぎる板は曲げられないのでチェロの裏板としては厚みが不足します。しかしミルクールのものは古いので修理が必要で修理によっても音が違ってくるでしょう。

今回も板の厚みついての話となりました。たまたま手をかけた楽器のほとんどが板が厚すぎるものでした。8割方の楽器は板が厚すぎるようです。それは製造時の品質管理の甘さゆえのもので、コスト削減のしわ寄せでもあります。

弦楽器店は仕入れの原価が安い楽器を求めます。このため流通ルートに乗るためにはぎりぎりまでコストを下げないとやっていけないということです。楽器店が力を持っていてメーカーは買いたたかれれてきたわけです。

それでまともに作ってあるだけでも「巨匠」「天才」とか言われたのでしょうか?


それに対してこちらでは各町に何軒もヴァイオリン職人がいてそこから選んで買うこともできます。食品でも銀座のデパートに並ばなくても地元だけでやってる名店があるわけです。しかし新作はそれでも鳴らないということで今は古い楽器が求められています。100万円以下でも今回のミルクールの楽器のようによく鳴るものがあればすぐに売れて行きます。



ウィーンのヴァイオリンが面白いというのも、一つは生産地=消費地であるという事でした。それも裕福で音楽が盛んな所でしたからひどい手抜きがされていないということです。地産地消ですよ。

世の中でヴァイオリンの音の良し悪しなんて、8割以上のヴァイオリンが板がチェロのような厚さでそのレベルと比べて音が良いとか悪いとかそんなんなんですね。
私は「10年に一つ」のようなものが印象に残っているので世間とはずれているのかもしれません。それらも一長一短で特定の要素が極端に優れているだけですべてを備えたものは空想のものでしかありません。

こちらでは戦前の古い量産品が多いので、板は厚くても賑やかなやかましい音はするのです。腹の底から響くような音ではなく、賑やかなやかましい音がします。それが私の量産品の音のイメージですし、いわゆる遠鳴りしない音です。しかし演奏者本人には強い音と感じられ上級者でも評価する人がいます。きちんと作ってもその点では新作ではかないません。

ブーベンロイトのものは80~90年代に多く輸入されて今回のようなものを「ドイツの音」と考えていたのでしょうか?日本は中国に近いですから最近は中国のものが多いでしょう。日本の職人に聞くとやはり中国のものは「開けるとひどい」そうです。


ヴァイオリンというのは職人が研究に研究を重ね、全身全霊を注いで作られたもの同士で、音の良し悪しを競い合っているのではなく、楽器店に買ってもらえる条件を満たすことを考えて作られているものばかりが流通ベースに乗って皆さんの手元に届いているということです。条件に納得しない職人はそんな商売には関わりません。

たまたまた最近扱った楽器では、厚めが良いとか薄めが良いとかその範疇に入る楽器が一つもありませんでした。
チェロのような厚さのヴァイオリンがどれくらいの割合であるのかこれからも調べていきたいと思います。

最後に板の厚みについてたまに日本であるのが、f字孔のところを見て厚みを言うことです。これではちゃんとした厚みは分かりません。おそらく楽器店などではそれくらいのいい加減さで厚さについて語ってきたと思われます。f字孔から板の厚みを見るのはこちらでは聞いたことがありません。


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