カルト趣味とニスの上に違うニスを塗った失敗例 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

カルトというと日本では新興宗教が大きな事件を起こすなどイメージの悪い言葉ですが、趣味の世界では熱心な愛好家を意味することがあります。映画、音楽、ファッションなど様々な分野で熱狂的なファンがグループのように集まることもあります。工業製品などが若者を中心に大ヒットし伝説的な名品となることがあります。80年代に日本メーカーの電子楽器がミュージシャンの間で人気となり沢山の名曲が作られました。そのような製品はカルト的な人気と言われるものです。製品はメーカーによって改良され新製品ができても、その時のモデルが定番となり使いこなしや改造の仕方なども定着します。
自動車に詳しい人ならトヨタの「ハチロク」などは名車というよりもカルト的な車と言えるばわかるでしょう。1983年に発売されたもので単に中古車の値段が高くなっているだけでなく、修理や改造の部品が作られ今でも愛好家がいます。他の国にも同じような対象になっているものがあります。性能ははっきり言ってたいしたことはないでしょう。もちろん重役や政治家が乗るような高級車ではありません。しかし漫画や映画にも登場し文化の域に達しています。ハーレーダビットソンのバイクでもレースをやるような人からは「性能が悪い」と切り捨てられるでしょう。しかし改造部品などがたくさんあって文化になっているようです。日本の場合には車検制度があるので好き勝手なことはできませんが。単に名車というのなら製造当時のコンディションにできるだけ近づけることがクラシックカーの趣味です。そうではなくて遊び方も追及されているものです。究極的に優れているのではなくその時代に「ちょうどいい」というのもヒットの所以です。

そのようなことも趣味である以上無視することはできません。楽しければいいのが趣味ですし、部品や使いこなしのノウハウがファンの間で蓄積されていることは製品以上の魅力です。未完成だからこそ遊べるということもあります。むしろ趣味の世界はそのようなことが多く、客観的に製品が優れているかどうかではなくひいきのブランドやメーカーが決まっているという人も多いでしょう。何かしらのあこがれや外国への憧れもあるでしょう。全く製品そのものについては語られていないことも多いです。

このため私が、値段が高いのに特に優れたことが無いという理由で近代以降のイタリアの楽器を悪く言うならそれもまた偏った視点となってしまいます。イタリアの楽器の良さは素直に作られていることもあります。どの街にもヴァイオリン職人がいて作ればイギリスやアメリカに輸出することができたようです。ヨーロッパ大陸の人たちとは違いイギリス人やアメリカ人の趣味が「カルト」というわけです。フランスならミルクールで職人が選抜され、腕の良い職人だけが一流として認められたのに対して、仕事が無くてぶらぶらしていたような人でも街のヴァイオリン職人に教わればたちまちマエストロとして輸出され生計を立てることができたわけです。人よりも優れたところを見せようという部分が無いのがイタリアの楽器です。ミルクールなら予選落ちするような楽器も作ることが許されたのです。現在では作者について書かれた本も多く、作者の素性や作風の特徴も分かるようになっています。これがイタリア以外の作者ではほとんど資料もなく知識として知ることもできません。お金にならないので誰も興味を持たないからです。
流派の系譜や作者の歴史なども本によって読むことができます。これが趣味として楽しめるのならそれもまた趣味でしょう。同じように作られた楽器でもイタリア以外の作者なら素性が全く分かりません。このように「モノ語り」を楽しむのが趣味としては主流なことです。本当にわかっている人から見れば邪道にすぎませんが人生は人それぞれで大きなお金を動かすストレスの多い仕事をしている人もいるでしょう。私はそういう本の文章はほとんど読まず楽器の写真を見るだけです。皆さんの方が詳しい人がいるでしょう。誰かの弟子だという文章も、作風を見比べて何を学んだか判断するようにしていますが、一般の人は文章だけがよりどころになります。演奏家でも有名な演奏家のサマーレッスンを数日受けただけで「〇〇に師事」とプロフィールには書いてあるものです。

そういう意味で「カルト趣味」というわけです。
このようなことがあってもいいとは思いますが、あくまで特殊なマニアの世界という事であって音楽を勉強しようとか子供に教育を受けさせるという人では関係のないことです。誰もがカルト趣味に興じる必要はありません。それがスタンダードになっているということは日本の弦楽器業界は新興宗教のような「カルト」に陥っていないでしょうか。およそ良識があるとは言えないものです。一方カルト趣味なら道楽として楽しめるほどのノウハウもないことも私が失望しているところです。

一般論としてはカルト趣味はアンダーグランド、サブカルチャー、カンターカルチャーなど、社会の主流である大人の上流階級の趣味に対抗するようなものです。多数派を占める伝統的な宗教に対する新興宗教のように、文化の世界でもクラシック音楽などは彼らに憎まれる存在です。社会通念として良しとされる「クラシック音楽」の世界ではカルト的な人気なんてのはおかしな話です。そういう意味では本当にイタリアのモダン楽器に熱狂的なファンがいるかどうかも不明です。

しいて言うなら90年代の古楽・バロック音楽などは伝統的なクラシック音楽に対してカルト的な動きだったでしょう。かつての優雅な上流階級の趣味、モダン楽器での演奏は否定され、甘やかされた装備のないバロック仕様の楽器で過激な演奏がされました。
今ではかなり認められるようになり、指導者が増え徐々に音大などでもバロック奏法が教えられるようになってきました。
今でも古楽演奏がマイナーであることには変わりはありません。演奏会でも尖ったファンというよりはお客さんは高齢者ばかりです。真の古楽マニアはさらに少数ということです。

ヨーロッパでは中世をテーマにしたイベントやお祭りがあります。ドラゴンクエストのような世界観の格好をしたり、ケルト文化とかよくわかりません。弓矢や剣などは子供にも人気です。日本ならファンタジーのコスプレです。ただ中世とバロックは全然違います。


私は主義主張は持たない主義です。…矛盾してますね。臨機応変であることが可能性を生み出すと思っています。ともかく長期的に何かの熱狂的なファンになるということがありません。だから私には理解しにくいこともあるでしょう。

カルト的な人気の作曲家はJ・S・バッハですね。私はバロック音楽のファンなのでバッハがほかのバロックの作曲家に比べて特別だという違いが分かりません。特に鍵盤楽器を弾く人にとっては特別なものがあるのかもしれません。最近は古典派と呼ばれている時代の音楽に興味があります。これもどの作曲家も同じような曲調でモーツァルトだけが違うということは分かりません。ベートーヴェンにクリソツな知られざる作曲家もどうもたくさんいるようです。これから発掘が進むのでしょうか?

熱狂的なファンというのは自分の暮らしの中で目にしたものに深く感動してたちまち虜になってしまうというようなプロセスなのでしょう。わたしはいったん立ち止まって世界の全体像を把握したくなってしまいます。

ミルクールのヴァイオリン



こんなヴァイオリンが持ち込まれました。いわゆる倉庫に眠っていてヴァイオリンをやりたいというので整備したものです。

見てすぐにミルクールの量産品と分かるものです。しかし時代は結構古くて1800年代の中ごろでしょうか?形も19世紀初めの一流のフランスの作者と違います。しかし何か違うものを目指したのではなく単に品質が低いだけです。このためf字孔も個性的になっています。

スクロールも個性的です。一流の職人の品質が無ければ個性的になります。このような楽器が多いので個性的な楽器のほうがありふれていて、没個性のストラドモデルの楽器の方が珍しく感じます。



品質は高くはありませんが、ミルクールの量産品の中でも古い方ですから最低50万円はすることでしょう。こんなものが物置から出てくるというのはさすがヨーロッパです。初心者が使うには格式があり過ぎです。
あごが当たる所のニスが剥げて摩耗しています。あご当てが使わるより前に使われていたようです。

特徴的なのはニスの色ですね。とても濃い色をしています。このような色はフランスの19世紀の楽器にはあります。特にチェロなどで見たイメージがあります。


しかし裏板は赤いニスを上から塗ったようです。下のニスと違いが分かるでしょうか?
縦方向に刷毛を動かした跡も見えます。色が気にいらないので上から塗ったのでしょうか?

横板にはその時に余ったニスが垂れたような跡があります。ヴァイオリンは形が複雑で立体感があるので塗りにくいのです。隅っこで刷毛がしごかれて垂れてしまったようです。
それを良しとしてそのままにしてあるのが不思議ですね。

反対側の横板は赤い丸がたくさんついています。表は赤いニスが塗ってありません。表は指板があったりして塗りにくいからぬらなかったのでしょうか?

それにしてもいい加減ですよね。色が気にいらないからとべちゃッと赤いニスを塗ったようです。昔の持ち主がDIYでやったのか商売人がフランスなら赤いニスということで塗ったのかわかりません。いずれにしても完成度の低さが気にならなかったとすれば、人によってあまりにも違うものです。

今回の修理では、エッジが壊れていたので新しい木をつけました。新しい木では白いので塗装が必要です。

私なら特別凝らなくてもこれくらいにニスの補修をします。

この失敗した赤いニスを取り除いて修復することができるかもわかりませんが、したとすれば大変な作業になるでしょう。これをやった人は楽器に大きな損害を与えたことになります。窃盗のような犯罪では数万円でも逮捕されますが、数万円の損害では済みません。でも気にならない人は気にならないみたいですね。私には信じられません。

ものの感じ方には、何もかも個人差があるものです。
やたら細い指板がついていて、ネックの角度も高すぎます。

指板を削って1mm以上下げましたがそれが限界です、駒はビオラのような高さです。
そのせいか表板も陥没気味です。
あとで行われた処理が何もかも間違っています。とても残念な楽器です。横板も赤いニスの斑点がたくさんついています。なんなんでしょう?

前回の話ですが胴体はメジャーで測って360mm程度です。典型的なフランスのものです。直線距離では数ミリ短いはずです。
ストップは192mmで短いですし、ネックも短くなっています。期せずして私が前回話した15/16の弦長になっています。胴体は大きいですが。

ともかくニスの色が気にいらないからと言って上から別の色を塗るのはやめたほうが良いという教訓です。やはり変な感じがします。分かる人がどれだけいるか知りませんが・・・。

これは売りたいということで持ち込まれたマルクノイキルヒェンの量産品ですがなぜかf字孔の外側以外のニスがはがされています。

裏板も同様です。ヴァイオリンとしての品質も木材の質も悪くありません。しかしニスが無くなっていては売り物になりません。これにニスを塗るのは簡単なことではありません。何十万円もかかるでしょう。
量産品ならほとんど残りません。買い取るならこんな面倒なヴァイオリンはゴメンです。

歴史のある楽器ならオリジナルのニスをはがしてしまえば価値が激減してしまいます。もともとオリジナルのニスが無くなっていたとしても刻まれた歴史が残っていますから、ニスを全部剥がして塗り直すような修理はしないほうが良いです。

ニスについてはいじらないのが鉄則です。だからこそ職人はニスについては高いハードルが課せられると思います。もし変なニスを塗ってしまえばその楽器は救いようが無いのです。ハンドメイドの楽器ではニスの品質に問題のあることがよくあります。ニスも手作りで品質が安定していないのです。

ミルクールのヴァイオリンですが、板の厚みを測ってみると19世紀のものにしてはやや厚めで現代のものに近いようです。木材も古くなっているので20世紀のものよりは深い渋い音がすることでしょう。しかし一流のフランスの作者はもっと薄く作っていますから、安価な楽器ではそこまで管理されていなかったようです。厚い板の楽器、個性的な外観のものはありふれているのです。公平に良い個性や悪い個性と判定することができるでしょうか?

世の中には私には理解できないことがたくさんあるものです。何もかも分かった気にならないほうが良いでしょう。