常識的なヴァイオリンの価値について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

まずは帰国のことから。
今回はとにかくに問題なく帰国が実現できるということを最優先で考えています。時期も多くの人が休みの時期が良いですがそうも言ってられません。
今から準備すると11月中に休暇を取って日本に滞在するというのが現実的です。
早すぎても用意ができませんし、遅くなると事態がどうなるか予測もできません。
ロックダウンや国境封鎖のようなことは久しく起きていませんから大丈夫だと思います。
8月の段階ですでに考えていましたがその頃日本では感染が多くどちらに転ぶか予想もつかない状況でした。

イベントのようなものを企画するのは難しいかもしれません。私の楽器を使っている方のメンテナンスを中心に行いたいと思います。そのため楽器を預かることになり持ち主の方の協力によっては興味のある方が試奏もできる可能性があります。

また以前より連絡をいただいている方には順次連絡を差し上げたいと思っています。

私の都合で一方的に予定を立てて申し訳ありませんがお考え下さい。

ヴァイオリンの価格


最近は基本的なことを記事に書いてきました。具体的な話は日常的に起きます。

勤め先に電話がありました。「資産にしたいのでヴァイオリンを買いたい」とのことです。店には数千万円のヴァイオリンもあります。その男性がやってくると自分はギターをやってきて、ヴァイオリンを始めたいとのことでした。
一通り説明を聞くと最終的に35万円ほどのヴァイオリンを買うことに決めたようです。
残念ながら資産としてはあまり期待できないでしょう。
ギターの価格帯なら35万円でも結構な高価な方でしょうが、ヴァイオリンでは希少と言うほどのものではありません。ヴァイオリンの世界がいかにクレイジーかということです。

当然将来売ろうと思うなら、この前話したように卸値以上にはなりませんし、整備に5万円くらいかかってしまったら大損です。物価スライド分以上得をするのはまず不可能でしょう。

一方で名の知れた作者の楽器をずいぶん昔から持っていて売ろうとなると名前だけ見ればとんでもなく値上がりしています。問題は本当にラベル通りの作者の楽器なのかどうかです。

全く無いことはありません。ウィーン出身の人でアンサルト・ポッジのヴァイオリンを新作でお父さんが買って使っていた人がいました。当時は無名ですから普通の新作の値段だったでしょう。それが1000万円以上になっているわけですから。
でもそんなことはめったにないです。日本ではモダンの作者の生きていた時代にはまだ輸入されていなかったでしょう。

ポッジは家にあったので使っていただけですが、音が気にいらないということで買い替えました。割とすぐに売れました。知名度が高い楽器に目がくらむ人は結構います。

フランスのモダン楽器も半世紀前ならまだ価値が認められていなくてかなり安かったかもしれません。特にミルクールの量産品などはただのガラクタという扱いだったことでしょう。
逆に言うと当時は鑑定書なんてつけるほどのものだと考えられていなかったかもしれません。

それに限らず、昔は鑑定なんていい加減で売り手が「私は本物だと思う」ということで売っていました。今でもそういう業者が現役でやっていることでしょう。

ミルクールの楽器は私のところではあまり持っている人は多くありません。量産品としては高すぎて、それより安いハンドメイドの楽器がたくさんあるからです。日本の方が「フランス製」というイメージを重視して多く売っているのではないかと思うほどです。この時「これは量産品ですよ」とお店の人は言いません。それも勘違いの原因になります。



このヴァイオリンはいくらくらいするものだと思いますか?
当然作者名を書いてないので分かるはずが無いというのが正解です。楽器の値段は名前で決まると話しました。
楽器がどんな姿をしているかなどは関係ないのです。
名前が確かであることを示すには鑑定書しかないのです。

私なら、多くの場合量産品くらいは分かります。量産品に偽造ラベルが貼られたものなら鑑定に出す価値も無いということが分かります。

職人の腕前としてみると、ものすごく完璧なわけでもなく、ひどく粗雑でもありません。プロとしては並以上のレベルです。ニスはラッカーのようなものではなく量産楽器の特徴もはっきりありません。
高価な値段の有名な作者でも全員が人並外れた腕前というわけではありません。これくらいの作者もゴロゴロいます。これ以下の人もたくさんいます。じゃあ何が違うのかと言えば「名前」が違うとしか言いようがありません。だから鑑定書だけが有名な作者と無名な作者の違いを言えるのです。その違いとは楽器にあるのではなくアルファベットの並びです。

私たちは量産楽器をよく見ているとこれくらいの楽器でも「一人前の職人の楽器」ということが分かって、それでも割合としてはずっと少なくなるので「まあまあいい楽器だね」ということになります。
ラベルにはヨゼフ・ルジチカとあります。文字がチェコ語なのでチェコの作者だろうとはすぐに思いました。チェコの作者を調べてみるとオパヴァという所で仕事をしていた職人のようです。修行したところはプラハだそうです。ラベルに書かれている製作年は1940年です。

作風は角が丸くなっていていかにもボヘミアの流派の影響が感じられます。このような作風は当時イタリアでも流行していたものです。つまり、19世紀のフランスの楽器ではもっと角がカクカクとしています。
これはオールドイミテーションの手法の一つで使い古したように角を丸みを持たせるやり方です。しかしボヘミアではみながこのように作っていたので何世代かするとそれがオールドイミテーションの手法であることを知らなくなり、当時はこれが正当な楽器の作り方だと思っていたことでしょう。
傍から見ると流派の個性に見えるものも当時はそれが普通だったということです。

現在はチェコ共和国になりますが、もともとプラハとボヘミアは流派が違います。プラハはどちらかというとウィーンとかブダペストとかそっちに近い流派だと思います。ボヘミアは東ドイツの流派の一つです。当時は国境が違ったからです。チェコ・スロバキアという時代もありましたから国境なんて定かなものではありません。島国の日本人には理解しにくいところです。
このため私のところではプラハの系統の作者は「チェコのモダンヴァイオリン」、ボヘミアの系統は「ボヘミアのモダンヴァイオリン」と呼んでいます。

それでもプラハにはボヘミアからも職人が仕事を求めて来ていたようです。
この楽器にもボヘミアの特徴があるのでそのような人に教わったのでしょう。

ペグボックスの内側の突き当りが赤線で示したように丸くなっていることがボヘミアの楽器にはあります。


このようなことからボヘミアの影響がある楽器だとわかります。しかし完全にボヘミアの典型でもありません。エッジの仕事には注意深さもあります。角を丸くすることを良いことに雑に作られることが多いのです。この楽器ではきちんと彫ってから丸くしたのが分かります。

スクロールもボヘミアの他の楽器と同じように角が丸くなっています。E線のペグ(上から3番目)の穴が写真でも左側に寄っているように見えます。これもボヘミアの楽器でよく見ます。ペグボックスにあわせて穴をあけたのではなく、型(テンプレート)があってどの楽器でも同じ位置に穴をあけたのではないかと思います。もしくは、作図法としてA、D、Eの穴を一直線上にしたのかもしれません。その両方も考えられます、その作図法で作った型をあてがって穴の位置を決めたと考えられます。いずれにしてもボヘミアの楽器にはよくある雰囲気を醸し出しています。
一方アマティの場合には穴の位置を最初に決めてペグボックスを設計したのではないかと思うくらいにしっくりきます。つまり機能性で形を決めたということです。

しかし正面から見るとかなり変わっています。分かるでしょうか?
渦巻の中心の部分が左右に突き出て見えます。一般的なものよりもスクロール部分の最大幅が大きいです。こうなるとボヘミアのシェーンバッハなどの渦巻だけを作る職人のものではなく、本人が作ったのではないかと思われます。前回の指板の話でもそうでしたが初めの角材の段階で板の厚みが必要になります。木材の値段は板の厚みによって大きく違います。安価な楽器やコントラバスでは木材を張り付けて足してあるものがあります。スズキヴァイオリンでは渦巻の中心だけプラスチックになっているものがあります。

なぜ渦巻の幅を広くしたのかはわかりません。それが素敵だと思ったのか、何か考えがあったのか、寸法を間違って覚えてしまったのか、キリの良い寸法にしただけなのか、師匠が間違って覚えていたのか・・・本人にしかわかりません。ストップやネックの長さなどは間違えて覚えると使い物にならないことがありますが渦巻は「個性」です。

数少ない資料ですが、本で調べてみるとやはり同じようなスクロールになっていました。古い本の白黒写真の小さな画像でも分かるくらいの特徴です。本に出ていたのはガルネリモデルですが、エッジやコーナーの仕事の感じや、f字孔の雰囲気も似ています。こちらはストラドモデルということになるのでしょうか?ストラドモデルということは「普通のヴァイオリン」ということです。

オパヴァという街の小さなところでたくさん職人がいたような産地ではないので量産楽器のようなものではなく、自分で楽器を作っていたのではないかと思われます。自分の楽器ばかりを見ていると見慣れてしまいそれが普通に見えてきます。普通の楽器を作っているつもりでも作者の癖がだんだんできてきます。この楽器もそんな感じがします。ヴァイオリンの個性とはそのようなもので「私は今まで誰も思いつかなかったものを作ろう!」というようなものではありません。音もそれと同じように作り方に違いがあるわけでなくてもなんとなくその人の音というのがあります。このため知られていない作者の楽器の音が良い可能性もあります。

鑑定はありませんが、私が本で見ても似ているし、偽造ラベルが作られるほど有名でもないし、職人としても一人前なのでおそらく本物だと思います。私のところで値段は80~90万円くらいでしょうか。こうなると新作の楽器よりも安くなります。
でも明らかに量産品とは違うし、一人前の職人が作った立派な楽器だと思います。

常識的に考えれば80~90万円というのは相当高価ですから修理して使う値打ちは十分にあります。

仮にこれが偽物だったとしても楽器の質だけから値段をつけると7~80万円にはなるでしょう。本物として売っても裁判を起こす気にならないでしょう。これくらいなら鑑定に出す必要はありません。
つまり10~20万円くらいが「ブランド料」ということになります。作者の素性が分かっているという事にはそれくらいの価値があっても良いでしょう。実用品としてコストパフォーマンスを最優先するなら作者不明の楽器から選んだ方が得です。

見た目は明るいオレンジ色で、木材も着色されていません。ニスはラッカーのような硬いものではなく80年ほど経って剥げて濃淡が出ています。

つまり一人前の作者の立派な楽器であるということが職人からは言えます。音については好き好きとしか言いようがありません。
私が500~1000万円するイタリアの同じ時代のヴァイオリンを見ても同じような感想を持つでしょう。しかし値段は10倍ほど違います。その違いを職人の観点からは説明できません。

修理が終わって弾いてみると見た目同様に明るい音がします。新品よりは音が出やすくよく鳴る感じもします。

明るくてよく鳴る楽器です。
日本の楽器店は「イタリアの楽器は明るい音がする」と思い込ませて楽器を売ってきましたが、チェコの楽器でも明るい音がします。

明るい音がする理由は、基本的には板の厚さが重要です。実際に実験をしてみればわかることですが、厚い板の楽器のほうが明るい音になります。極端に厚すぎると重く音自体が出にくくなることがあります。正常な範囲内で厚めや薄めということです。
オールドの17~18世紀とモダンの19世紀には薄い板の楽器が作られていました。20世紀になるとなぜか厚い板の楽器が作られるようになってきました。この楽器もその典型です。20世紀的な明るい音の楽器でよく鳴るようになっています。

ただし、厚い板でも明るい音が響かないものもありますし、薄い板でも暗い一辺倒ではないこともあります。また古くなると厚い板でも暗くなってきます。他の要因もあるということです。

しかしこれは弦楽器について数少ない技術的な法則性が言えることです。

典型的な20世紀の作風で明るい音がするというものです。その中では鳴りも良く優秀なものです。それで値段は100万円もません。
それに対してオールド楽器を弾き比べてみるともっと深い渋い味の音がします。これは好みの問題です。


したがって明るい音の楽器はイタリア人だけが作れるのではなく、板を厚くすれば誰でも作れるということです。20世紀には厚い板で作るのが広まったのでどこの国でも明るい音の楽器が作られました。

先日は、音が明るくて不満だと訴えてきたお客さんがいました。明るい音よりも深みのある音が好みなのでしょう。魂柱で調整して欲しいという話でしたが、まあ無理でしょう。見るとその楽器は特に安いものにありがちな明るい音のものでした。そうなると魂柱では無理ですし、厚みを薄くする改造は費用が掛かり過ぎます。

明るい音が好みなら特別高価なものを買う必要はないことになります。だいたい何千万円もするようなオールド楽器は渋い音がするものですからそれらは問題外ですね。
実際は価格帯が違うので素人を相手に商売文句を言っているだけです。しかしオールド楽器にも100万円もしないものがあり、ちゃんとオールドらしい音がします。
もちろんオールド楽器の中で状態が良く健康的なものは傷んだものや窮屈なものよりも明るい音がするということはあります。しかし明るいほど音が良いという事ではないでしょう。語られた文脈から言葉だけを切り取って信じるのは危険です。

古い量産楽器では板の厚みに関わらず暗い音のするものもあります。新しい楽器でも薄く作られているものやたまたま暗い音がするものもあるので買い換えるしかありません。
最近は機械で作るようになったので薄い板の楽器も量産されるようになりました。かつては、板を薄くするにはより手間がかかるので安い楽器では珍しかったのと20世紀には厚い板が流行したこともあります。明るい音の楽器のほうが多いというわけです。

このヴァイオリンは使わなくなって放置されていたものを譲り受けたそうです。お金はかかりましたが修理すると現役バリバリで使える楽器になりました。修理を終えると持ち主の方は大満足だったようです。

貰い物に10万円以上の修理をしたわけですがその値段で楽器を買うよりは格上でしょう。音は好みとしか言いようがありません。音がよく出るという点においては優れた楽器だと思います。明るい音のほうが中音が豊かに感じます。散々明るいだの暗いだの話しましたが、そのようなことに興味がある人は多くはないでしょう。楽器によって音色の明るさに違いがあることを聞かされなければ、単に音がよく出るかどうかにしか興味がない人の方が多いです。このため明るい音が好みというよりは、音色には興味がなく、音楽に集中し音がよく出るかどうかだけで楽器を選ぶ一般的な人にとって優秀な楽器ということです。楽器自体の音色にこだわる方がマニアックということです。


また別のヴァイオリンもありました。作風はこれに似ていてハンガリーの作者の手書きのラベルが貼られていました。私はボヘミアの楽器だと思っていましたが、持ち主が言うには名門オーケストラの奏者が使っていたもので良い楽器なのだそうです。でも私が見ると仕事が雑で、その後に行われた修理もひどいものでした。私が直そうと何かをすると他の欠陥箇所が見つかるというひどいものでした。いずれにしてもボヘミアの影響のある楽器で今回紹介したものよりはずっと粗雑なものに見えます。「名門オーケストラの演奏者が使っていた」と言えば、音楽家の人たちはすごい楽器だと思うかもしれませんが私にとってはただの粗悪品です。

同じようなことは値段にも言えます。500万円しようが1000万円しようが職人が見るとそれにビビって惑わされることはありません。

職人は楽器の値段を製造コストで考えています。安上がりにするための手法が用いられて作られたものは安いと評価しますし、手が込んで丁寧に作られていれば高く評価します。
このヴァイオリンの流通価格が100万円にも満たないとなるもうちょっと高くても良いと思います。少なくとも現代の生活水準なら厳しい値段でしょう。このため新作のほうが高くなってしまいます。

同じように明るい音で新作楽器よりもよく鳴るのなら新作楽器よりも高くあるべきです。

このような楽器が新作より安いというのは全く値上がりしていないということです。売買している人の中に楽器の違いが分かる人が少ないということです。ほとんどの楽器はこのような状況です。

それでも80~90万円というのは普通の感覚では高価な立派な楽器です。さらにマルクノイキルヒェンのマイスター弓があれば最低20万円以上で、合わせれば100万円を超えます。100万円を超えるような家宝がある家なんてそんなに多くは無いでしょう。

イタリアのモダン楽器の取引がいかに楽器そのものからかけ離れているかということに気付いてもらいたいものです。

今回紹介したような楽器は業者にとってはうま味の少ないものです。輸入する人がいない日本で入手するのは難しいでしょう。しかしそういうものだと知ってもらいたいものです。