弦楽器は買った時より高く売れるか? | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

今ヨーロッパはひどいインフレに見舞われています。世界中がそうでしょう。
コロナでの供給不足やウクライナ侵攻の影響が出ているものとみられますが、それを金儲けのチャンスととらえる動きもあるでしょう。木材価格も上昇していました。

以前から弦楽器の業界では商社やメーカーのカタログで、楽器や付属品などの値段が毎年改定されていました。ついにカタログには値段は掲載されなくなりオンラインで業者向けの価格が開示されたり、その都度問い合わせが必要です。この前は上級の駒が4000円位という話でしたが、10年くらい前は3000円位でした。でも質が落ちていないだけましです。値段が上がって質も落ちるというのが少なくありませんから。

昔はヴァイオリン用にアジャスターが4つ付いたテールピースは初心者用の安物の楽器につけるものという感じでした。今では中国製の粗悪品がありウィットナー社の「本物」は高級品という印象すらあります。
というのはウィットナーのアジャスターは品質が良く機構がちゃんと機能するのです。古い楽器のメンテナンスをすると西ドイツと書いてあるものがあります。30年以上前の製品が使えているのですからビックリです。
チェロではスチール弦のため、ほぼ全員がアジャスター付きのテールピースを使っています。木製のものはトラブルが起きて急遽ウィットナーに変えてそのままという人も少なくありません。

かつては金属製でしたが、今はプラスチック製のテールピースがあります。プラスチックは素材としては安物ですが、表面はマットに加工され特に嫌な音がする素材ではありません。メカの機能性については木製のものよりも優れています。

ヴァイオリンのケースなどもものすごく安物が多くなって、レンタル用に貸し出すとすぐに壊れてしまったり、以前買っていた初心者用の安いものの値段が一気に上がったりしています。

そんな中で珍しく朗報なのは安価なチェロ弦が発売されたことです。ピラストロのフレクソコア・デラックスでブログでも紹介しています。多くの楽器に使ってきましたが、特にネガティブなところは出ていません。

値段が上がることも問題ですが、供給が追い付かないことも困った問題です。これから先もあご当てが買えるかどうかさえもわかりません。高級品どころの騒ぎではありません。普通の実用レベルのものですら入手できるかわからないのです。


楽器の値上がりについて

初めて楽器を購入する場合にはいろいろなイメージを持っています。

弦楽器は中古品になっても値段が下がることは無いとか、むしろ価値が上がるとかいろいろなイメージがあります。
いつも倉庫を整理したり遺品として弦楽器が出てきて価値を見てほしいという依頼があります。

ある方は学生の頃に父に買ってもらったヴァイオリンの価値が買った時の値段に比べて今ではずっと上がったということで、自分の子供にもチェロを買いたいと店に来ました。チェロは高い楽器ですが、後で価値が上がるなら買うことをためらう必要はありませんね。弦楽器は今の世の中の工業製品の中では驚くほど高価なものです。ところが価値が右肩上がりなら今のうちに買っておけというものです。

しかしそのように思い込むことは危険でもあります。後でトラブルのもとになります。


よくあるのがヴァイオリンを購入して、しばらくすると練習に耐えられなくやめてしまう人も少なくありません。そうすると買った値段で再び買い戻してくれるとい思い込んで店にやってきます。値上がりすると信じているなら買った値段よりも高い値段で買い戻してくれると考えるでしょう。

そのような全く儲けが無かったり赤字になるようなことを楽器店がなぜ喜んでやるのでしょうか?
そんなはずはありません。

もし新品の楽器をメーカーから仕入れるほうが安いなら、そちらを選びます。つまりメーカーから仕入れるのと同じかそれ以下で無いと買い戻すことは無いわけです。したがって小売価格ではなく卸売価格にしかどうあがいてもならないのです。どの家庭にもあるような電気製品などの工業製品に比べるとユーザーが少なく売れるチャンスは少ないので原価率はそれらよりもずっと低くなっています。薄利多売するほど消費者がいないのです。

更に中古品を販売するなら多かれ少なかれ消耗品の交換、掃除やメンテナンスが必要です。楽器の修理代のほうが楽器の値段より高くなれば、買い取ることはしません。

つまり、新品の卸価格より安く買って弦などを交換し傷の補修などをして店頭に再び並ぶ時の値段が元の値段になるということです。


またその中古楽器を買い取るかは店主の自由です。有価証券とは違います。その楽器を自分の店の顧客に販売したいと思わなければ買い取る必要はありません。日本ではゲームソフトを買い取る店があるようですが、数10円とか安い値段になるのはもう誰も古いゲーム機を持っていなくて買う人がいないからです。二つ以上在庫があるなら買わなくても良いはずですが断ることをせず全部買うなら数十円とかになるのでしょう。

先日もチェロを売りたいと持ってきた人がいました。どこかのチェロ教授が音が良いと絶賛しただの言っていましたがそんなことは関係ありません。我々が見ると「手作り感」のあるチェロでした。それは機械で作られた量産品の品質基準にも達しないような意味での手作り感です。それを「手作りの味がある」と取るのか、素人が見よう見まねで作った粗悪品と取るのか解釈の余地があります。複数の解釈ができるとなると値段のつけようがありません。値段を決められないと売ることはできませんし、お客さんにそのようなものを薦めて良いのかもはっきりしません。うちではわからないものは手を出さない方が良いと考えます。以前に痛い目にあったことがあるからです。良く調べずにぱっと見で立派なハンドメイドのチェロだと言ってしまったばかりにまともに演奏ができるように欠陥の修理を無償ですることになってしまいました。
それを「作者の個性のある楽器だ」と考える業者は販売するかもしれません。気を付けてください。


つまり欲しいという人が現れて初めて楽器は売れるのであって自動的に評価額で引き取ってもらえるわけではないのです。

評価額とは売った人が手にする金額ではなく消費者に売る時につけることができる値段だと考えてください。自分でお客さんを見つければその値段で売っても高すぎると言われないということです。全額を求めるなら自分で買い手となる演奏者を見つけて売ってください。
委託販売という方法ではその中間です。いつ売れるかはわかりませんが売れたときに消費者からお金が支払われ、楽器店に手数料が引かれます。

価値の下がることのない工業製品

通常ほとんどの工業製品では開封済みの中古品は新品よりも安くないと買い手が付きません。何年か使用したものはさらに安くなります。
未使用でも新型モデルが出れば値段を下げて販売します。広告で激安で売っていたら古い方の製品だったということがあります。

それが常識であることを考えると弦楽器は奇跡の商品です。今月仕入れた楽器でも5年間売れ残っている楽器でも値段は同じです。10年前に作られたものでも20年前に作られたものでも新品と同じ値段で販売されます。それは技術革新や流行の変化が無いからです。耐用年数は何百年もあり、劣化するどころか音が良くなる、つまり性能が良くなるのです。

こんな工業製品は他に滅多にないでしょう。なぜそうなっているかと言えば、市場規模が小さく、大手企業が少なく研究開発や流行を生み出すために業界が手を結び広告宣伝費用を投じられていないからです。服飾のように流行色で今年は赤いニス、来年は黄金色のニスとなってくれれば毎年楽器が売れます。またコンピュータや自動車のように数年で故障すると修理するよりも買い替えたほうが安いと言われたり、インクを買うよりプリンターごと買い替えたほうが安いというようなこともあります。電気シェーバーの替え刃も異常に高いです。外刃は薄いほど髭を根元で刈ることができるので高級品ほど弱いというわけです。同じように弦が切れただけで楽器を買い替えてくれれば我々も儲かります。

そのようになっていないのは弦楽器業界がものづくりについて昔ながらの最後の良心を持った産業であるということです。もっと頭の良い最新のビジネスを学んだ人たちが主流になればこれもなくなるでしょう。

全く現代の常識は通用しません。

しかしそのことと骨董品として値上がりするのは違います。

買った時よりも高く売れるか?


このように買った値段よりも多くの金額を受け取るのは難しいと言えます。新品同様でも無理なら、長年使用するほど修理やメンテナンスの費用がかさんでいくからです。大きな損傷を受ければ修理代が楽器の価値を超えてしまい価値はゼロになってしまいます。

それに対して骨董品として値上がりするのは基本的に「戦前より前の作者」と考えてください。作者が戦争後まで生きていて戦後に製作したとしても戦前から活動していた作者に限られます。それ以降のものは骨董品ではなく中古品と考えるべきです。

戦後の作者でも当時の値段はびっくりするほど安かったはずです。それは物価が変わっているからで物価変動分の値上がりはしています。生活に必要な費用も上がっているかもしれません。それが値段に反映されます。しかし新品よりも高いことはありません。

戦争より前の作者でも現代の作者の新品よりも高くなっているのはごく一部です。特別有名な作者を除くとほとんどのものは新品よりも安いくらいです。

また作者名が分からなかったり鑑定がされていないものが多くあります。そのようなものはさらに値段が安くなります。


つまり値上がりを期待して買うなら戦前より前の作者で知名度がある有名な作者ということになります。ただし、そのような作者のものはすでに値段が高くなっています。子供が楽器を始めるからと買うようなものではありません。

ただし有名な作者の楽器にはニセモノが多いです。たまにニセモノをつかまされる人がいて不運だというのではなく、ほとんどが偽物を買っています。ブログの読者でも被害者は何人もお会いしました。1000万円近い金額がパーです。

このため重要なのは鑑定です。我々職人やユーザーがどう思うかは関係なく権威のある鑑定があるかどうかです。職人として疑わしく思っても権威のある鑑定書があれば良いのです。楽器自体はどうでも良いのです。

テレビなどで骨董品などが出てくると古物商は「〇〇の作品には力強さがある」とか「ニセモノは弱い」とか言って意識を作品の方に向けようとします。それは彼らの思惑でしょう。実際は作品がどうであるかは関係なく権威のある鑑定があるかどうかです。権威ある鑑定士以外の人が作品をどう思おうが関係ないのです。楽器商やコレクターが「これは鑑定書は無いですが、私はラベルの作者の作品だと思っています。」とかどうでも良いです。心の中にしまっておいてください。ましてや音大教授が弾いて「音が良い」とかは全く関係ありません。

作者の名前で値段が決まるので作者が誰かという鑑定が値段を決めるすべてです。

値段については生産国や流派も重要です。
流派によって基本の値段が決まっていると言っても良いでしょう。楽器の値段と職人の腕前は同じ流派の中でならある程度関係があるということです。例えば1700年頃のクレモナの作者ならどんなにヘタクソが雑に作った粗悪品でも1000万円以上して腕の良いストラディバリやアマティなら1億円以上します。しかしヴィヨームの代わりにヴィヨームの楽器を作っていた本人でもドイツ人がベルリンで独立すると300万円くらいにしかなりません。クレモナの1000万円の楽器はどうしようもないヘタクソの作ったものでベルリンの300万円の楽器は超一流の作者のものです。ストラディバリに引っ張られてヘタクソな作者まで値上がりするのです。別の流派同士では値段に作者の腕前は反映されてないということです。

作者が不確かでも流派が分かっていればその流派の最低の値段くらいにはなると考えられます。


量産品の場合には現代の量産品とさほど値段は変わりません。古さではなく品質のランクによって値段をつけます。
ただしミルクールの楽器に限るとかなり高めの値段になっています。とんでもない粗悪なヴァイオリンでも40万円くらいはします。チェロはその2.5倍くらいと考えて良いでしょう。

最近意見が分かれるのは戦前の東ドイツ・ザクセン地方のチェロです。新品の量産品よりもずっと高い値段でも買い手がついてしまいます。現実的に値段が高くなっています。この辺は最新の動向です。


一方ネームバリューの無い流派の楽器や現代の楽器については職人が楽器の質を見て評価すれば大きく外れることはありません。この場合は「楽器の品質=値段」となります。つまりマイナーな流派の楽器は値段が品質を表していることになります。それでも品質と音は直結しません。

混とんとしてきた?


当ブログでも最初の頃に書いていたのと今では値段が全然違います。はっきり言って今の相場がどうなのかわかりません。流行に敏感な店ならどんどん値上がりしてるかもしれません。時流に鈍感な店ならまだ昔の値段がついているかもしれません。
下町の商店街のおもちゃやで何十年前から売れ残って定価で売っていたゲームソフトが外国でものすごい値段になることがあるそうです。

2008年のリーマンショック以降様々なものが投資対象になりました。その後も急速に値段が上がっています。しかしイタリアのモダン楽器が倍近く上がっている時にウィーンのモダン楽器は据置だったりしました。誰もウィーンのモダン楽器を投機対象に考えていないのです。
こうなるとますます音と楽器の値段がかけ離れていきます。
イタリアの作者は「この値段でこの程度の音?」と言われ天国で悲しんでいることでしょう。

弦楽器以外の動きではもっと新しいものが値上がりしていますから、西ドイツ時代の量産楽器なども中国製の現代のものより値上がりしててもおかしくありません。西ドイツ・ブーベンロイトの量産品は見た目に特徴があります。それに対して現代の量産品は中国製でも東欧製でも、アメリカやヨーロッパのメーカー名がついていても見た目が変わりません。そうなると産地の特徴がある西ドイツの楽器の価値は上がっても良いように思います。

ともかく買った時より高い値段ですぐに現金化できるというのはかなり難しいと考えた方が良いと思います。若い頃にお父さんに買ってもらった楽器なら自分は払ってないので物価上昇分で高くなったと思うでしょうが。
その場合は「投資」という目的を優先して自分が演奏のために使うとは別に考えた方が良いかもしれません。


未来のことは私には分かりません。