指板の話 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

この前は駒の話だったので指板の話です。
駒は弓がほかの弦を触ってしまわないように上部がカーブしています。それに合わせて指板もカーブしています。弦を抑えると他の弦よりも低くなるので指板もカーブしていないといけません。

指板は黒檀という木材で作られています。とても硬く密度が高いので耐久性があります。安価な楽器では本当の黒檀は使用されていないことがあります。製品仕様には「ハードウッド」と書かれています。木の種類ではなく「硬い木」の総称です。しかし黒檀に比べるとはるかに柔らかく全く硬くありません。
白や茶色の木を黒く着色しています。

黒い色が好まれるのは19世紀の趣味もあるでしょうね。バロックの時代にはいろいろな木材が使われたようです。黒檀はアフリカなど南洋の木材なのでヨーロッパでは貴重だったはずです。バロック仕様のまま残されたオールドヴァイオリンでは地元の木材を黒く染めたものが残っています。
またうすい黒檀の板を曲げて張り付けたものもあります。現在バロック用の指板でうすい黒檀の突板にしてあるものがあります。あご当て無しでは不安定ですが、そのような指板なら軽量にできます。先端の重量を軽くすることは重心において大きな意味があります。それが本当の昔のやり方というわけですが、指板を削りなおして使うことができないので私はやりません。業界特有の考えすぎの「こじつけの理由」で、私は単に黒檀が貴重だったからだと思います。

バロックの時代はテールピース(弦を留める部分)と指板の色をセットにしたようです。例えば白木の指板と白木のテールピースをセットにします。茶色の指板ならテールピースも茶色にしたようです。

それがモダン以降は黒檀に統一され、テールピースはペグやあご当てと同じ色の木材にするのが普通です。正装なんていうと身につけるものの多くは黒が正式ですね。西洋でも民族衣装ではそんなことはありません。やはり19世紀の趣味でしょう。

つまり高級楽器ならまず黒檀がつけられ、価格を抑えるために茶色や白い木を黒く染めて使われているということです。それが常識ですが、個人的には茶色の指板でも良いように思います。
白い木を染めるのは難しく表面に染料が残っていると指が黒くなってしまいます。

ただし黒檀は材質として優れたもので、代用品は出回っていません。

黒檀には質があって、やはり真っ黒でキメの細かいものが上等です。ところどころに茶色いものが混ざっていたり、灰色だったりブツブツ穴が開いているようなものは質が落ちます。また節や穴、割れなどがあるものはダメです。
裏板のようなカエデ材で好まれる杢模様も黒檀でも見られることがありますが、黒檀では低級品です。カンナをかけたときにボロボロと割れてしまうので作業は大変です。杢まで行かなくてもボロボロ割れてくる材料は低級品で、安価な楽器に使われています。これをカンナで削るには職人の高度な腕前とよく調整されたかんなが必要です。それでもどうにもならない時は技があります。
安価な楽器でそんな高度な加工がおこなわれるはずがありません。カンナは使えずサンディングマシーンでごまかしてあります。
安い指板ほど加工が難しく作業にコストがかかるので量産楽器ではちゃんと加工されていないということです。

私たちは工場で出荷されたものをそのまま販売することは無く指板を加工しなおします。それが職人が常駐する店と、総合楽器店の違いです。日本では輸入商社が東京などに工房を持っている場合もあります。

うちの初代の職人が1960~70年くらいの間に作った楽器の指板を削りなおす仕事をすると質の良さに驚きます。カンナの感触で分かります。年々上等な指板が手に入りにくくなってきているようです。急に輸出入禁止ということは無いかもしれませんが上等な産地のものが手に入らなくなってきています。大きな材料を必要とする木管楽器やコントラバスではさらに深刻です。


指板だけでも重要なことはたくさんあります。黒檀は難しい素材で指板にカンナが上手くかけられれば職人としてなにかしら仕事ができるということになります。工房では職人の採用試験として指板削りを課題にしているところもあるそうです

まずはカーブです。私は両端はあまり丸みを持たせていません。丸みが少ない方が指で押さえたときに安定するからです。つまり弦よりも外側が平らになっています。内側は駒のカーブと一致させないといけません。実際には両端の弦のところが丸く、間の2弦が平らになっているものが多いです。
さらに上端の方(駒から遠い方)になってくるとやや平らなカーブにします。駒から離れるほど影響が少なくなってくるからです。

縦方向はどこもかしこも完全な弧を描いたカーブで僅かにえぐれている必要があります。中央の部分で直線定規との隙間は0.5mmほどです。直線定規はドイツ工業規格DIN874/00と一番精度の高いもので普通の定規ではありません。厳密な直線定規の規格は他の国には皆無です。
このため隙間が1mm以上あると摩耗して来たとわかります。全体的に摩耗してくれば異常は発生しにくいのですが場所によって違います。あるヴァイオリンではG線は下の方、D線は上の方、E線は下の方が摩耗していました。
そうなると指板が波打ってきて、弦が振動するときに指板に触れてしまい異音が発生してしまいます。駒が高めのほうが異音は防げます。

長く使っていると弦のところに溝ができてきます。

また深くえぐれてくると弦を抑える時により深く抑えないといけなくなります。前々回説明した弦高が体感上高く感じます。

つまり、より快適な使用感を得るためにはより精密に加工する必要があるのです。このようなメンテナンスが必要になって、腕の良い職人でないとできないというわけです。

指板をカンナで削るのが難しいのはいろいろありますが、カーブした面を削る時に、指板のどこがカンナの刃に当たっているかわかりにくい所もあります。カンナは刃が平らなので細かいガタガタができます。小さな角ができるのでその角を削らないといけないのですが、そこに刃を当てないといけません。細かな角があると直線定規を当てても測れないです。私も未だに完全に理解はしていません。それくらい奥が深いもので、どちらかというと修理技術で楽器製作の技術ではありません。作られた楽器を仕入れて販売するときに指板を削り直すからです。日ごろからユーザーの楽器のメンテナンスをしていればフィードバックやこなす量が違います。楽器製作では「これがオレの作風だ!」と言っていれば良いのですが指板の仕事では正確さが求められます。

指板のカーブに近い丸い刃のカンナを考えた業者があります。どうやって刃を研げばいいのかわかりません。丸い砥石がありません。

黒檀は他の木材に比べて刃を酷使しすぐに切れ味が鈍くなってしまいますが、割れやすい素材で正確に加工するには切れ味が必要になり、豆に研ぎ直す必要があります。ハイス鋼のような丈夫な刃では、研ぐのに時間がかかり結局同じです。

工場で出荷された量産品はサンディングマシーンでぐずぐずになっているというわけです。指板がうまく加工できるくらい熱心な職人なら他の仕事も任せられるというわけです。

指板交換

このように指板を何度も削りなおすと薄くなっていきます。薄くなりすぎると交換が必要になります。初心者は考える必要はないことで、交換が必要になるまで続くと大したものです。先生になると薄くなっている人が多いでしょう。

指板は現在では駒と同じように機械でかなり正確に加工されたものが入手できます。それでも大きめになっているので仕上げ直さないといけません。
まずはネックとの接着面で、ここをカンナで削るのはとても難しいです。職人でも初心者では誰もできませんし、カンナの刃も研ぎたてでないといけません。一発で決めないと何度も削っていると切れ味が落ちてもう無理です。
ここがすべての基準となります。

次に両サイドを削ります。今までなんかうまくいかないので保持するための治具を今回作ってみました。

この小さな面でも正確に加工するのは難しいです。未だによく分かりません。治具を作っても完全にはうまくいきません。でも不確実な要素が減ったことで原因が見えたように思います。

新作の場合はこの面にネックを合わせて加工しますので、ここが完全な弧を描いたカーブになっていれば職人の腕が良いということになります。指板を見れば職人のレベルが分かります。

修理の場合には古いネックに指板を合わせなくてはいけません。初めは標準のサイズにしておいてネックにあわせて加工する必要があります。理想通りにはいかないのでつじつま合わせが必要なのです。

サイドが決まると上の面を加工して指板の厚みやカーブを決めます。私はネックに接着してから最終的に仕上げます。接着するときにわずかに歪むからです。この段階では少し削り残しがあります。
長さを決めて両端を仕上げるのも難しい作業です。今のものは機械で正確に加工されているので助かります。

外側のカーブが決まったら内側をくりぬきます。余分な材料を削り取ることで軽くする効果があります。それで音が良いかははっきりわかりません。しかし音響工学の専門家が測定すると指板のこの部分も振動しています。またチェロではここに重りをつけてウルフトーンを軽減できたこともあります。
いずれにしても買った指板は未加工ですから何かしらの基準で完成まで加工しないといけません。

ノミだけで彫っていくとこんな感じです。

内側まで仕上げてあると丁寧な仕事です。量産品は最後まで削ってありません。両端の余白はネックにあわせる時に細くなるので余裕を持たせておかないといけません。

あとは古い指板を取り外してネックに接着すればいいわけです。
この時気を付けることがいくつもあります。
まずは接着面がお互いに完全な平面に加工されていることです。曲がっている面と曲がっている面で接着してもくっつきませんし、曲がっている面にもう一方を加工して合わせるのも至難の業です。したがって完全な平面と完全な平面を合わせるのが一番簡単なのです。しかし黒檀の側もネックの方も加工はとても難しいです。

次に大事なのは駒の高さです。
指板を交換すると駒の高さに影響します。駒が正しい高さになるようにしないといけません。前の指板より2mm厚ければ自動的に2mm駒が高くなります。それがちょうど正しい高さなら良いですがそうでないなら合わせないといけません。あの手この手でいろいろなことをしないといけません。

さらに駒が楽器のセンターに来るように指板を取り付けないといけません。駒は指板の延長線上に置きます。そうしないとE線とG線が指板のどちらかによってしまいます。指板に駒を合わせると楽器のセンターからずれてしまうかもしれません。バスバーと駒の位置関係が狂ってしまいます。
とはいえもともとのネックがあるのでそんなに動かせません。しかし何も考えずに接着すればセンターが狂ってしまうかもしれません。

更にネックの長さです。
指板の取り付け位置でネックの長さと弦長が変わります。これも正しい位置につけないといけません。古いネックやかつてつけられていた指板が正しくないこともあり頭を悩ませるところです。


指板を取り付けたらネックと段差が無くなるようにしないといけません。多かれ少なかれネックも加工が必要です。

先端にはナットを取り付けないといけません。指板を削りなおした場合相対的にナットが高くなるので低く削らないといけません。

高さは微妙です。高すぎると弦高が高く感じられます。低すぎると次第に溝が深くなり弦と指板の隙間が無くなってビリついてしまいます。特に食い込みやすいのは高音のE線ですから、低くし過ぎてはいけません。ヴァイオリンでは0.6mmチェロでは0.8mmくらいにしています。


最終的な指板の仕上げです。
日本の人で演奏すると指が黒くなると訴える人がいました。指板を黒く塗っているのでしょう。安い指板では本物の黒檀を使っていなかったり、低級な黒檀を使っているため、黒くするために何か塗ってあったようです。表面に塗ってあると指に着くというわけです。

それで私が指板を削りなおすと特に低級な黒檀ではなく、黒く塗る必要はないようでした。その工房では黒檀のランクに関係なく常に黒く塗っていたようです。少しでも楽器を高級に見せようとする企業努力でしょうか?日本人がやりそうなことです。

私は亜麻仁油を塗りこみます。油が染み込むことで光の屈折の関係で「濡れ色」になります。これで黒々と濃い色になるのでそれで十分だと思います。ことさらに真っ黒にするために塗るのはやり過ぎだと思います。サンドペーパーや研磨剤もものすごく細かい目で磨けば黒檀はつやが出てきますが、私はそこまでしません。つや消し黒で終わりにしています。
更にかつてはニスを塗っているものもありました。

ネックも同様です。ネックにニスを塗ると触った感触がすべすべになりすぎてプラスチックのように感じられます。なにも塗らないと汚れが染み込んでしまうので、ニスを染み込ませてから表面を溶かして剥がします。面が乾いてしまうので亜麻仁油を塗ったり薄いニスでポリッシュしたりします。亜麻仁油を擦り込んでも汚れを防ぐ効果はあります。

指板の加工は荒い方から
カンナ>スクレーパー>やすり>サンドペーパー
と仕上げに近づいていきます。
やすりやサンドペーパーが多いほどグズグズになっていきます。最初にカンナで作ったカーブが崩れていくのです。だからできるだけカンナで完成に近いところまで持っていけるかが重要です。量産品ではサンドペーパーどころかサンディングマシーンで削りすぎているので精度が低いのです。

職人のいる店なら削り直してから売ります。失敗した加工をごまかすためのサンディングマシーンですでに指板が薄くなりすぎているので余計な仕事はしないでもらいたいものですが、それがクオリティの低い仕事です。新品なのに交換の時期も近くなっていますが、初心者用の楽器ということで最後まで使うことは無いという前提でしょうか。
オンラインショップや総合楽器店ではそのまま売られてるかもしれません。


まだまだたくさんある指板の話

指板は故障というのはあまりないかもしれません。あるのは剥がれて取れてしまうことくらいです。過去の修理では自己流に木工用ボンドなどでつけてあることもあります。やはりちゃんと接着するには接着面を加工しないといけません。そうするとネックを削ったことで指板の角度が低くなり駒も低くしないといけなくなってしまいます。駒が低いと音が弱くなってしまいます。ちゃんとやろうとすると簡単なことではないので適当な修理をするわけです。

指板の幅も持った時の感触に影響します。ネックの太さとも関係があります。
バロックの時代には今よりもとても幅の広い指板が取り付けてありました。それがフランスでモダン楽器が成立すると細くなりました。1900年頃からドイツやチェコではさらに細い指板のネックで楽器が作られたり修理されたりしました。手の小さな人にももちやすいように配慮したためです。これは楽器を見分けるポイントでもあります。
太さの正解は演奏者が決めることです。ただし販売するには標準的な状態であることが求められます。カスタマイズしすぎると売る時に継ネックの改造が必要になります。


それからチェロの指板ではC線のところだけ指板をカーブさせずに平らになっているものがあります。かつて流行したもので、現在は量産品でも見かけなくなりました。現在ではメリットが無い上に加工も難しく正しく加工されていることは皆無です。平らな面をカンナで加工するのは抵抗が大きいので難しいです。

現在のスチール弦ではヴァイオリンと同じような指板で問題ありません。
弦は低い音を出すためには重量が必要で、裸のガット弦ならとんでもなく太くなくてはいけません。金属を巻いて重さを増したガット弦でも今見ると太さにびっくりします。太い弦を抑えやすくしたり、張りの弱いプランプランのC線で異音が出ないように特別配慮した工夫でしょうがうまく加工されていれば普通の指板でガット弦でも問題ありません。
現在ではチェロ教師やプロの演奏者でもそれじゃなくてはダメだとリクエストする人もいないのでメリットが分かりません。


特に機械で加工できないのが指板です。演奏上とても重要で、プロの人なら2年に一度くらいは削り直す必要があるというものです。今は金属を巻いた弦を張っているので摩耗しやすいです。

当然人によって摩耗の仕方は全く違います。我々が指板を見るとどれくらい練習しているかわかるくらいです。