重要な付属部品の一つ「駒」について 後編 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。
どうも日本政府としてはオミクロン株は重症化しにくいということか、すでに日本でも蔓延して水際で食い止める意味がないか、ともかくオミクロン株が支配的な国については入国時の制限を緩和するとのことです。もはや「新型」コロナウィルスではなくなったのではないでしょうか。
というわけで帰国について10~11月にかけて考えています。それ以降になるとまた状況が悪化するかもしれません。


8月は同僚も休暇を取っていたので、メンテナンスの仕事をほとんど一人でやっていました。学校やオーケストラなどが休みになる夏休みがその時期です。毎週何台も魂柱や駒を交換していました。皆さんにとってはめったにないかもしれませんがルーティーンの日常的な業務です。まだ音楽学校の楽器が山ほどあります。

メンテナンスの仕事はまず指板のチェックからです。プロの人なら2年も使えばすり減っています。また買った時や以前の職人の仕事が悪いこともありますし、新しい楽器や何十年も放置された楽器では木材自体が曲がったりねじれたりしてくることがあります。

続いてペグの具合です。摩耗したり軸が曲がってきたりします。良くないのはペグが止まらくなってしまうことです。ぎゅうぎゅう押し付けているとペグボックスが割れる原因になります。ペグが摩耗するといくら押し込んでも止まらないのです。

逆に硬く動かなくなったりします。軸を削りなおすことで劇的によくなります。ただし短くなりすぎると交換が必要です。さらにペグボックスの穴が大きくなりすぎると穴を埋め直さないといけません。

駒は傷んでくると弦が食い込んで溝が深くなっていきます。弦高(前回の記事を参照)も他の弦との関係もおかしくなります。また弦に引っ張られることで曲がってしまうことがあります。そのまま使うと駒の転倒などの恐れがあります。それ以外にも材質に張りが無くなり音が鈍くなっているでしょう。

魂柱もチェックポイントです。魂柱は表板と裏板の間につっかえ棒として入っているものです。特に新しい楽器では楽器に弦の力がかかって変形し張力に馴染んできます。そのため新品で弦を張る前につけた魂柱は合わなくなっています。チェロで顕著です。緩くなって倒れてしまうこともあります。

過去の修理の質が良ければそうそう交換は必要ありませんが何十年もするとやはり音に元気がなくなっていくようです。

だいたい見てみれば半分以上の楽器では魂柱がうまくフィットしていません。魂柱がフィットしていないと角で表板や裏板に接地することになり、表板や裏板にへこみをつけてしまいます。こうなると次に魂柱を合わせるのは至難の業です。

弦の張力で表板が沈み込むので緩い魂柱(長さが短い)を入れていると表板が陥没してしまいます。ややきつめに魂柱を入れて置くと表板の陥没を防げます。

魂柱が表板を押し上げることで駒と表板のフィットも変わってきます。駒が老朽化したら魂柱も同時に変える方がベターです。

あとは割れているところがないか、接着がはがれているところが無いか調べて、ニスの仕事です。
ニスは汚れを落としてから磨いてみます。光沢が出ない所があればニスが無くなっているかニスが風化しています。傷やニスの剥がれもあります。何度も塗り重ねると耐久性が上がります。できあがった瞬間がピカピカであるだけでなく、長く持続する必要があります。

テールピースもアジャスターをばらして掃除しあご当ても掃除します。

弦が古くなっていればリクエストに応じて交換し、ただしい位置に駒をセットします。


弓も同様に毛替えから、消耗部分の交換が必要です。弓も掃除が思ったよりも時間がかかる作業ですが、ピカピカになると仕事している方も嬉しいものです。

ヴァイオリンの駒


駒は荒加工されたものが駒メーカーによって市販されていて、職人が楽器ごとに加工して取り付ける必要があります。
駒自体の小売価格は500円もしないものから4000円くらいまでするものがあります。オーベルトやデスピオのような有名メーカーでも木材の質でランク分けがあります。ノーブランドの中国製となればさらに安いということになります。量産工場には特別安価な仕様や卸価格があることでしょう。
取り付けにはさらに工賃が必要でそちらの方がずっと高いです。

うちでは1500円位の中級品と4000円位の高級品を使っています。間もあるのですがデスピオでは1500円の駒の質があまりにも良いので驚くことが多くあります。

左が1500円ほどのもの、右が4000円位のものです。モデルも加工も同じですから木材だけの違いです。一般に木目が細かく詰まっていて均一でねじれなどが無く、斑点模様が強いものが高級なものとされています。高級品のほうが斑点が強いようです。音については比較することがないのでよくわかりません。一つの楽器でいくつも試さないと実験とはならないでしょう。それを専門とする学者のような職業が無いのです。

「最善を尽くしてほしい」と「最低限の費用で楽器を使えるようにしてほしい」とニーズが2極化されるので使い分けます。一般には量産楽器には安価なもの、ハンドメイドの楽器には高級な駒を使います。

1500円のものでも硬さや密度など物理的な違いは分かりません。持ってねじってみてもびくともしませんし、重さを測っても多少ばらつきがあるのも変わりません。魂柱なら刃物に伝わる感触で硬さは分かるのですが、駒材の場合には違いは分かりません。あくまで見た目の問題かなと思います。
また10cmくらいの高さから机に落としてみてカランと響く音を聞くなんてこともやってみますが、はっきり言って違いは分かりません。
ロットによって微妙に厚さが違うかもしれません。

さすがに500円以下のものは違うかもしれませんがうちでは使っていないのでそれもわかりません。

オーベルトの駒は左のように茶色いイメージがあります。これは着色してあるもので右のように着色していないものもあります。古い木材のように見えるのですが、薬品か何かで染めているのでしょう。中まで色が変わっています。このようなものはちょっと削っても柔らかいような感じはします。どうなんでしょうか。

市販の駒は脚のところが厚めに作られています。楽器ごとに異なるアーチにあわせて加工するためです。

古い楽器になると駒の脚のところのニスや表板に損傷があり、完全に理想的にするのは難しいです。それよりも楽器の古さによる音の良さのほうが勝っていて現実的に仕事をする必要があります。
数万円程度の量産品では全然脚が表板に合っていないことがあります。弦の荷重が一か所に集中するので表板を痛めることになるでしょう。低音側は駒の脚の下にバスバーがつけられています。力の伝わり方にも影響があるでしょう。

脚が合ったところで駒の高さを決めます。これは結構経験がいるもので、初めのうちは安全のために高めにしておいて弦を張って試してからもう一度やる必要があります。私は厳密な製図法でやっていますが、師匠や先輩は勘でやっています。
魂柱が不安定なら弦の力がかかったときに高さが変わってしまうかもしれません。また低音側は魂柱が入っていないので弦の力で0.5mm~1.0mm下がります。それだけ高めにしておく必要がありますが変化は楽器によっても違います。
E線の方は駒を保護するためのチューブがついていてそれによって結構違いが出ます。駒に羊皮紙のような薄い革を張る方法もありますが、弦メーカーが素材を様々テストして選んだのであればまずは付属のものを試してみます。音が鋭すぎる場合羊皮紙なら若干甘くなるような効果を期待します。

不思議なのはE線側の駒の高さを低くしてもそのまま弦高が下がるのではなくわずかしか変わりません。0.5mm下げたつもりでも0.2mmくらいしか弦高が変わらないのです。0.5mm下げるには1.0mmくらい下げないといけないのです。私の作業が慎重すぎて思い切って行っていないのか、弦が表板を押し付ける力が減るためなのかその両方かもしれません。チェロなどは全然変わらなかったりします。

一般論としては弦の力でネックが引っ張られ徐々に弦高は高くなっていきます。新しい楽器の場合には半年~一年もすれば1mmくらい高くなっています。その場合は駒を低くすればいいです。季節の変動などで逆に変化した場合は新しい駒が必要です。

そのような微妙なものです。

高さを決めたら切り取ります。
ラインの通りに加工したら厚みを出します。

上端の厚みは薄すぎれば弦が食い込みやすく、厚すぎれば音には良くないとされています。

こちらで常識なのはE線側は厚め、G線は薄めにすることです。他の工房でもよくやっています。理由としてはE線は食い込みやすく音も鋭いことが多くマイルドにしたいということです。もしくは全く同じ厚みにすることです。

この時先端だけを薄くするのではなくアーチのようなカーブをつけます。これは弦に引っ張られて変形しにくいようにするためです。量産品で工場で仕上げられたものでは上だけが薄くなっていることがよくあります。ヤマハの安価なヴァイオリンでもそうでした。

全方向に緩やかなカーブを持たせます。

駒の厚みは耐久性を重視すれば厚め、音を重視すれば薄めというのがセオリーです。「初心者=量産楽器」と「上級者=高級楽器」で駒自体の値段から加工の仕方まで差をつけます。
セオリーはセオリーです。表板や裏板の厚みと同じく厚い方が明るい音、薄い方が深みのある音になるように思いますが、音を変えようと思っても十分な効果は感じられません。やはり楽器本体の厚みのほうが重要です。

中には安価な楽器で見事な演奏をする人もいます。この前も戦前のザクセンの量産品で駒を新しくしましたが、駒のランクもエコノミーです。しかし出来上がるとてもよく鳴る楽器でした。演奏者もかなりの腕前で音もよく出ていました。楽器や駒にお金をかければ良いというものでもありません。
それ以降もっと高い楽器もやりましたが、あんなに鳴るのは無かったです。
私もザクセンの量産品は「ニスがラッカーだから振動を妨げて音が良くない」ということを教わったのですが、実際は全く違います。専門家の間で先生や師匠から教わる知識でもそんなものです。


駒の脚はいろいろな楽器に合うように厚めになっているので初めに表板にあわせてから加工が必要です。

かつてはものすごく薄くしたものですが現代の流行としてはそこまで薄くしません。薄い方が柔軟性があって弦の力で駒が押されて表板にフィットすると考えたのかもしれません。一方うまく加工できていれば厚みがある方が変形しにくいと考えられます。
これは必須の作業です。

それ以外にも職人によっていろいろなくりぬき方があります。
これは自由で左右対称に切断面がきれいに加工さえされていればプロの仕事として認められます。「俺のスタイルだ!」と言い張れば何でも良いわけです。

前回オーベルトの駒では加工精度が悪いために仕上げに多くの手を入れる必要があって職人ごとにこだわりが生まれたと書きました。
デスピオの駒なら何もしなくても音は問題ないレベルでしょう。

左側の線のように深く削り取れば駒には柔軟性が増します。
また右の矢印の幅を細くしても同様です。オーベルトのほうがはじめから細くデスピオのほうが太くなっています。
何もしなくても十分な柔軟性があります。それがモダン駒というものです。
私はその逆のものを自作したことがあります。音は癖が出てリスキーでした。したがって市販のものは無難なものです。

多少はいじっても音に劇的な変化はないので私はこのようなことを念頭に置きながらどちらかというと削り過ぎないように注意し、見た目が綺麗になるようにします。やかましい音の楽器なら容赦する必要はありません。見た目も微妙なもので私にもきれいかどうかよくわかりません。一から自分でデザインするともっとはっきり意図を持ったカタチにデザインすることができます。強度に関係のない所を多めに削っています。左右裏表対象だとプロということです。

しかし左右非対称でもダメということは無いでしょう。むしろ音のために左右非対称にすることも考えられます。私もそのような駒を設計したことがあります。楽器が自作なら駒も自作にしないのはおかしいと思ったからです。一般に高音が鋭いので高音側を柔軟にすることです。実際に試して気のせい程度には効果はありました。合理的な説明もできますし可能性はあると思います。
しかし私の楽器は高音が柔らかいので必要性がありませんでした。

デスピオでもいくつもモデルがあります。ここまで紹介したのは左のものですが、右のものはより中を大きくくりぬいてあります。つまりこのままで何もしなくても良いというわけです。私は名演奏家のアップの写真や映像を見ると駒を見ています。このモデルならだいたい無難でしょう。
昔のオーベルトのクオリティなら考えられません。左のものをそのままでも音は問題ありません。

弦をひっかける溝をつけます。徐々に食い込んでいくので深すぎてはいけませんが、弦の直径に対して細すぎてもフィットしません。この溝は異音が発生する原因にもなります。古くなって異音が出ることもあります。
一方チェロなどはC線が滑って落ちて表板を叩いてしまうことがあります。溝はしっかりつけないといけません。

溝のところに6B か8Bの鉛筆で黒鉛(グラファイト)を塗りつけ滑りを良くします。指板の先端のナットも同様です。
会社の焼き印を押して完成です。

楽器を演奏しやすい健康な状態にすることが目的

今年の夏には指板がものすごく薄くなっているプロのオケ奏者のヴァイオリンを修理しました。非常に神経質な人で何かをいじればたちまち音が悪くなってしまうのではないかと心配をしてほとんどいじらせてもらえない人でした。以前も駒を交換すると、前のものの方が良いと戻してしまいました。あまりにも指板が薄いので何年も前から指板の交換を勧告していました。費用はオーケストラが支払いますが、限界まで渋っていたのはその人にとっては音が変わってしまうことが心配だったようです。
指板を交換するのはやむを得ないことですが、私は音が悪くなったと言わるのが心配でした。指板交換と同時に駒と魂柱の交換も行いました。指板は駒とリンクしているものですから指板を交換したら駒も交換が必要です。もう元には戻せません。

受け取りに来て試奏するとあの気難しいヴァイオリン奏者が「前よりも音が良くなった」と大喜びでした。わたしはほっとしました。以前駒だけを交換した時他の問題があったのかもしれません。魂柱もしっかり合っていませんでしたし、薄い指板で高さを稼ぐために角度もきつくなっていました。もともとよく鳴る弾きこまれた楽器ですから特別なことは無くきちんと仕事をした結果だと思います。
今度は今の状態からいじらせてもらえないかもしれませんね。