新作ヴァイオリンのニス塗り、モダン楽器風? その1 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

ヴァイオリンにニスを塗っています。
昨年にチェロを塗るための設備を作ったので、ヴァイオリンも塗ることができます。
設備は大きすぎますが、大は小を兼ねるで同じようにヴァイオリンもニスを乾燥させることができます。
今の時期なら太陽光を使って自然の紫外線でもできます。
安全で長時間日が当たる設置場所ができれば自然光も良いですね。
人里離れた山奥に工房を作るのが良いかもしれません。

作業の能率と製品の品質を安定させるということで人工のライトを使います。
チェロ用の設備の意外な効果はライトが強力で、一日最大で2回塗ることができます。オイルニスで一日2回塗れるなんてのは驚きです。それも勤務時間中の話ですから6時間ほどのインターバルで塗れることになります。
濃い色になればむらなく塗るのは難しくなるので、1回にした方が安全と言えば安全です。ニスの乾く速度はニスの硬さとも関係します。つまり硬い樹脂が含まれていると早い段階で十分な硬さになり、柔らかい樹脂なら同じ時間ではまだまだ柔らかいということになります。本質的には油が酸化して固まるので時間は同じなはずです。

ニスを作る段階で酸化が進むと油が固まる時間は短くなります。
しかし酸化しすぎると粘性が強くなりすぎて塗るのが難しくなります。そのような微妙なものです。
作ってから置いておいても徐々に酸化が進みます。何年かたったものの方が乾燥が早いです。

さらに乾燥材もあります。
ニスを作る段階ですでに加えることもできるし、塗る前に混ぜることもできます。
顔料などの成分も乾燥を速める働きがあるので色を加えて同時に乾燥を速めることもできます。自然光ならそのような研究も必要でしょうが、ライトなら乾燥材無しで一日2回も塗れてしまいます。昔の人はいろいろ工夫したはずです。一方生乾きのまま層を重ねた結果ひび割れが生じたのかもしれません、古い楽器には独特の経年変化もあります。そのようなものも再現できると面白いですが、出来立ての時点でニスが柔らかいと売り物としてはかなり厳しいですね。指紋やケースの跡がつくだけでなく、ベトベトして汚れや手垢がついて汚くなります。掃除するとニスまで剥げてしまい無残な姿になってしまいます。
100年経ってもまだケースの跡が付く楽器もあります。それは材質が柔らかすぎるのです。でもかつては、柔らかいニスは高級で音が良いと考えられていたのかもしれません。原理的にはゴムのような軟質な素材は振動を抑えるものです。それを「柔らかいニスは振動を妨げないので音が良い」と教わったものです。ラッカーの安物と差別化する意味があったと思います。いろいろな楽器を実際に試してきた経験で最近では私は「ラッカーは音が悪い」ということも定かではなくなってきています。音はケースバイケースで、好みもあります。この前も話しましたが、新しい時代のコストの安いものに対して、伝統的なものは高級品と扱われるというくらいに考えておいた方が良いと思います。つまりラッカーが塗られていると量産品の可能性が高いということです。しかし、個人の作者でも考え方が人それぞれなのでラッカーを塗った可能性があり、その場合は作者の相場で値段が決まりますので、ラッカーかどうかは詮索する必要はありません。私がラッカーだと思っても私が思っているだけです。私はラッカーで(少なくとも耳元で)音量のある楽器は作ることはできると思います。

モダン楽器の当時として新しいものを進んで取り入れたのか、伝統にこだわったのか個人によって違うでしょう。結果として今見れば伝統にこだわって天然樹脂のニスを塗り続けた人の楽器のほうが価値があるように思えます。しかしそれは今だからそう言えるのであって、当時は予想できなかったかもしれません。例えば、本人は若い頃は天然ニスを使っていて途中から人工ニスに変えて「改良」したと思っていたかもしれません。
今でも新しいものは皆大好きで、新しいというだけで過去のものよりも優れていると考えて飛びつく人は多いです。情報機器や電気自動車では「古いものの方が良い」と言ってると変人扱いされるでしょう。ヒット商品の製造を打ち切って、新製品に切り替える時があります。あともう少し続けていれば、「伝説の名品」になったのにと思うことはあります。でも新しいものが欲しいという人の方が多数派なので、経営者は売れ行きの落ちて来た製品を作り続ける我慢ができません。

ヴァイオリン職人も普通の人間ですから、新しいものに切り替えてしまったということもあり得るのです。

ニスのコンセプト


ヴァイオリンのニスで必要なことは色と厚みが十分にあることです。ニスは塗り重ねるほどに特定の波長の光を吸収し、色が濃くなっていきます。木の下地が反射するので下地に着色することも効果があります。木が古くなると自然にそうなります。
作業を簡単にしたければ色を薄くすればいいのですが、白木のような色では売り物になりません。また、明るすぎる色も好まれないでしょう。
日本ではまだ入手がしやすい新品の楽器を巨匠だとか天才だとか言って売っていますからオレンジ色のいかにも新品という色でも買う人がいるでしょうが、歴史のあるヨーロッパではみな古いものの趣を知っています。音で楽器を選ぶとはいえ、明るい色のニスは音まで明るい音のイメージを持ってしまいます。暗くて味のある音の方が好まれます。やはり、たくさんの楽器を試すと古い楽器ほど暗い音色になる傾向があります。新しい楽器で普通に作れば自動的に明るい音になるのです。このため新しい楽器で暗い音の楽器を作るには、特別な構造や偶然が必要です。普通に作ってあるのに暗い音がするものがあります。それは偶然ですね。ただし、そういうものは珍しく、たいがい現代風に作れば明るい音になってしまいます。運によらず暗い音にするためには特別な技術が必要なのです。

濃い色にするためにはニスを多く塗らないといけません。ニスの厚みでダンピングされることもありますがそれよりも楽器の作りのほうが音への影響ははるかに大きいです。

ニスはむらなく塗りやすいものを改良していくことができます。しかし塗ることはできても層が薄すぎるとちょっとこすっただけで色が剥げてしまいます。このような楽器は修理する方としては地獄です。色が剥げてしまったところに新しくリタッチのニスを塗ります。新しく塗った部分との境界をなだらかにする必要もあります。つまり境界の部分を軽く研磨します。この時にオリジナルのニスのほうがまた剥げてしまいます。
新しく塗ったところだけ残ってその周りが剥げてしまうのです。それがどんどん広がっていきます。修理を始めたときよりも悪化させてしまうのです。
修理をする前に「ニスの補修にどれくらいの期間が必要ですか?」と聞かれてもこの場合は、終わるかどうかすらもわかりません。私には修理ができるかさえもわからないのです。
何十年か後には新しく塗ったところだけ残って、オリジナルのニスが無くなってしまうでしょう。

先日もそんなヴァイオリンがありました。
私はニスの補修はあきらめて傷のところ以外は手をつけませんでした。研磨はせずにポリッシュだけです。いくら無残な姿になってもニスが剥げるのが作者の作風と考えるようにしました。


今回はニスを塗るのは後輩が作った楽器ですが、私が指導した結果思いのほかきれいにできたので、良い感じに仕上げないと申し訳ないです。私は現代では忘れられている「モダン楽器」の基礎を学んでほしいと教えたのです。そのため全くの新品として仕上げるのは味気ないです。モダン楽器のような雰囲気を多少は持たせたいです。
かと言ってせっかくきれいに作ったのに、ひっかき傷をつけたり角を削って丸くするのは残念です。落ち着いた雰囲気だけは持たせておいて、何十年か使っていくうちに傷などもついてくればいいのです。

つまり「軽いアンティーク塗装」「陰影をつける」といったものです。
幾度となく挑戦をしているのですが、モダン楽器の感じは結構難しいのです。
アンティーク塗装でよくあるのは、ニスが半分くらい剥がれたように2色で塗り分ける方法です。表板では中央付近だけ赤い色で周りを黄金色にします。裏板はアーチの頂上付近から下側に向かってニスが剥げたようにします。

それがおかしいのは、そこまでニスが剥げるのに150年くらいかかるのです。
にもかかわらずそれ以外は新品同様です。全体的に古くなっていないと2色に塗り分けるだけではおかしいのです。

なぜそうなるかというと、普通はアンティーク塗装を始めるより前に、フルバーニッシュの新品の塗り方を学んでいます。その技術を応用してやるのでニスが剥げている以外はほとんど新品のような感じになるのです。傷もつけたところだけが黒くて、全体的な汚れがありません。

私は逆に、ニスがはがれていなくても、傷が無くても全体的に汚れが付いたような感じになればそれで十分古い趣が出ると思うのです。それをずっとやりたいと思っているのですが難しいです。1880~1900頃のものの感じにしたければ、ニスは10%くらいの面積で失われているくらいで良いです。それ以外は全部残っていていいです。その代わり全体がうっすらと汚れている感じが重要です。どうやったらそれが出せるかが毎回苦労しているところです。

理論から言えば、まず90%の面積を新品として塗ります。そして汚れを表現するニスの層を重ねます。それを研磨して削り取り掃除を繰り返した様子を再現すれば良いはずです。
しかしそれがうまくいかないのです。
まず新品として完璧に仕上げてから、汚くするので絶対に普通の新品を作るよりも時間がかかります。汚れはもとのニスよりも濃い色でなくてはいけません。濃い色を塗るのは難しく、厚みを重ねないと濃くなりません、この時点で普通の新作の倍は時間がかかります。それを多少は無駄な作業を合理化していきたいわけです。ニスの厚みも厚くし過ぎないようにしないといけません。汚れをつけるのがとにかく難しいですね。

これがオールド楽器の複製なら、殆ど汚ればかりで、オリジナルのニスなんて30%くらいしか残っていませんから、汚れを重点的にやれば良いのです。

理論通りなら、まず90%の面積で新品のように塗って、汚れの色を再現したニスの層を築き、それを研磨すれば削れやすい所は多めに削り取って、窪まったところには汚れが残り自動的にできるはずです。それは裏板と横板では機能しました。でも表板とスクロールではうまくいきませんでした。一つは表板やスクロールは汚れが多いからです。表板は松脂が付着してそこに汚れが付きます。指板やテールピース、弦が邪魔して掃除がしにくし、f字孔の周辺は立体としても複雑です。
汚れを多くすれば全体が真っ黒になってしまうし、少なければ汚れていません。
さすがに100年以上かかって汚れたものを数週間で再現するのは大変です。

またオリジナルのニスの色によっても見え方が違いますし、100年以上すれば木材も変色しています。明るいオレンジ色の楽器が100年経ってはちみつ色に変色している場合と濃い赤茶色の場合では汚れの目立ち方が違います。

研磨をした結果、オールド楽器のように古くなりすぎてしまったので、それを補修して新品同様によみがえらせるような作業が必要になりました。もっと簡単にできるはずでしたが、私がいつもやっているオールド楽器の複製のようなタッチになってしまいました。このため見ればすぐに私のニスだとわかります。もうお手上げです。
しかし、私特有の感じならそれも悪いものではありません。感性が出るからです。ただ思っていたよりもずっと作業量が多かったです。

モダン楽器のコピーはオールドよりも難しいかもしれません。

経過です



まずはフルバーニッシュのようにニスを塗っていきます。
当時見習だった職人が作ったとは思えないほどきれいな形です。
私の入れ知恵が効いています。でもパフリングなどはさほど教えていません。

f字孔も大惨事になる前にうまく諦めました。私が若い頃にはのめり込んで失敗していました。表板は年輪の線をくぼませて多少汚れを入れてあります。やりすぎると西ドイツの量産品のようになってしまいます。

しばらく経過しました。オレンジ色の新作のような感じになってきました。この時点でも後輩は十分だと思っていたようですが、私は満足しません。

すでに汚れが入っていますが、表板の凹凸に汚れが入ってしまってオールド楽器のようになってきています。

ここまで来ると古くなりすぎです。誤算です。
もうちょっと新しくしないといけません。

裏板はこんな感じで良しとしましょう。

ここからはお化粧のようにきれいに見えるようにチョコチョコ筆を入れていきます。

部屋が暗いのでこれが工房に持ってくるとどんな感じなるかはその時のお楽しみです。前回のチェロでは思ったよりも赤く明るく見えました。今ちょっと古すぎる感じでちょうど良いかもしれません。まだわかりません。

ニスの厚みが厚くなりすぎないようにできるだけ濃い色で塗ったので、このままでは擦れるとすぐに色が薄くなってしまいます。さらに薄い色のニスを塗り重ねてカバーします。表面をどうするかも考えどころですが、新品のようにテカテカに仕上げることにしました。とてもじゃないけどもモダン楽器のコピーというレベルではありません。「趣のある新品」でも普通のフルバーニッシュよりは凝ったものです。

普段のオールド風のアンティーク塗装では「新しさ」が顔を出さないように細かな配慮があります。そのようなものはふんだんに使っているので濃い色にしても違和感が少ないです。

モダン楽器の修理が先か、モダン風の新作が先にできるかわからない所もあります。
比較するのもお楽しみに。