偽物とマルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

またニセモノ事件の話から。
今回持ち込まれたのは、フェルディナンド・ガリアーノ、カルロ・トノーニ、ルドルフ・フックスのラベルの付いた3本のヴァイオリンです。

ガリアーノには鑑定書が付いておりフェルディナンド・ガリアーノ作のヴァイオリン、ただし二コラ作かもしれないと書かれています。
パッと見た瞬間にオールドヴァイオリンの感じがしないのでオールドでないことが分かります。ガリアーノの特徴が多少あるので真似て作られたものです。しかしアーチの作り方が近代的すぎるし、あご当ての下のところも摩耗がなく、裏板に傷がほとんどありません。
どこか違うか細かい証拠を挙げるまでもなく、パッと見た印象で違うと言うだけです。
細かい所は見なくてもいいレベルでした。
コピーとして見た場合、知識は多少あるようです。イタリアの楽器、特にナポリのものは楽器は雑に作られているというイメージもあるでしょう。しかしガリアーノにも美しいものがあり「アマティの基礎」が感じられます。

鑑定書は1970年に書かれたもので今では全く通用しません。
もしかしたら鑑定書を書いたヴァイオリン職人が自分で作った楽器かもしれません。それくらいの古さでした。
昔はそんな職人でも「エキスパート」と思われていたようです。
よくできたコピーというよりは雑に作っただけみたいなところがあります。自分はオールド楽器を熟知して誰も偽物とは気づかないだろうという過剰な自信が表れているような感じもします。職人には多いタイプです。どこかにサインなどがあればその作者の楽器ということになりますが今のところ単なる作者不明の雑に作れらたヴァイオリンにすぎません。

二コラ作かもしれないという弱気な鑑定をすることで「最悪、ガリアーノ家の楽器には違いないだろう」と思わせるトリックを感じます。


トノーニも全くオールド楽器ではなく、ただの戦前の量産品と変わりませんが、ラッカーの匂いはしません。教育を受けてきちんと作られたモダン楽器の感じがしないので「素朴な」という意味で手作り感がないこともありません。量産品でないとすればちゃんと修行していない職人か凡人の腕前で作られた、またはその両方ヴァイオリンかもしれません。それがラベル偽造に使われた要因かもしれません。
品質だけで言うと量産品かハンドメイドかもわかりにくいですが、トノーニだと思える要素がないことは間違いありません。スクロールだけ別の楽器のものを継ネックしてつけているかもしれません。


フックスは私も聞いたことのない作者で調べるとチェコのドイツ国境付近で修行した人のようです。つまりボヘミアの流派の職人です。作風もボヘミアのスタイルにあっていますが、典型的なボヘミアというよりはイタリアのモダン楽器に近い作りになっています。フランスから作り方を取り入れたマルクノイキルヒェンとは雰囲気が違います。
おそらくこれは本物でしょう。持ってみるととても軽いので音も良いかもしれません(板が厚すぎないということです)。
名前が何であっても作者の素性が分かっているということに20~30万円の価値があります。品質だけで値段を付けると50~60万円だとして作者名があると70~80万円くらいはつけられるでしょう。ガリアーノラベルの楽器は作者不明なので50万円も難しいです。コピーの楽器のクオリティを分からない店主ならもっと高くつけるかもしれません。この三本の中ではフックスが一番価値が高いと思います。

全部ガラクタではなかったのが不幸中の幸いです。
ガリアーノ、トノーニ、フックスがあったときフックスに興味を持つべきです。
しかし多くの人は有名な作者に興味があってマイナーな作者には目もくれません。


持ち主のお父さんが買ったのでしょうけども、事実を告げるのは胸を痛めます。
このブログを見てひとりでもそのような人が減ればそれが私にできることです。

マルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリン

マルクノイキルヒェンでは1600年代から20世紀までずっとヴァイオリンの産地でした、今でももちろん残っています。ところが不思議なのは他の流派と違って「有名な人」や創始者みたいな人が知らていない珍しい流派です。いくつか有名な家族はありますが、作品は「品質が様々」でオークションでの相場がなく、品質によって20~150万円くらいがつき、世の中の「ヴァイオリンという物」の値段と同じです。つまり家族経営や工場などをやっていて「作品」と言えるような確固としたものではなく、工業製品だったからというのはあります。しかしながら「音は?」となると必ずしもバカにできません。

そんなマルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンを見ていきましょう。

作者のラベルはついていませんがI A R  1787と一文字ずつ焼き印が押されています。形は典型的なマルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンの一つです。
仕事の丁寧さについては特別美しい方ではないでしょう。

裏板は素朴な一枚板でアーチに特徴があります。

台地上に上が平らになっていて周辺に溝があります。典型的なマルクノイキルヒェンのオールド楽器です。イタリアや南ドイツのほうが滑らかなアーチになっています。

ヘッド部はとても個性的で近代以降のヴァイオリンとは全く違います。


A線をペグに結びつけるために底に穴が開いています。

作られた当初からそうだったかはわかりません。

I A R を調べてみるとヨハン・アダム・ライヒェル(1756-1828年)という作者のようです。名前は分かりました、オールド時代の作者です。ライヒェル家もマルクノイキルヒェンでは知られています。

今度は別のヴァイオリンです。

これはウィーンの作者のラベルが貼られていますが、すぐにラベルは偽造でマルクノイキルヒェンの流派のものだとわかります。過去にも同じようなものを見たことが何度もあります。フランスの作者のラベルが貼られて売られ裁判になったことがありました。私が見れば全くのでたらめです。

しかし形は面白く偶然かグァルネリ・デルジェスに似ています。ミドルバウツの幅が広く113mmあります。

マルクノイキルヒェンの楽器は必ずしも真っ黒ではなく今ではイタリアの楽器と同様に黄金色になっているものもあります。強く着色していなければ古くなるとみなそうなります。

こちらも個性のあるものです。



オールドっぽい感じのするものです。穴は開いていません。

こちらの方がアーチは滑らかで癖が少ないです。

気になる音と値段は?

はじめのライヒェルのほうは、オールドらしい深みのある音色で高音も柔らかさがあります。音は細くてダイレクトな感じがあり高めのアーチのオールド楽器のような音です。
すごく柔らかい高音ということもありませんが、モダン楽器ではこのようなものはめったにないでしょう。

それに対してウィーンの作者の偽造ラベルが貼られた方は癖がなくてゆとりがあります。同じように音色には深みがあり高音には柔らかさがあります。窮屈さがなく懐の深さがあり力のある人が弾けばおそらく太い豊かな音が出るでしょう。形がデルジェスに似ているだけでなく音でもソリスト的な演奏ができるでしょう。

この二つとも1000万円を超えるようなイタリアのオールド楽器と似たような系統の音です。でも全く同じものはありません。


値段は相場がはっきりしないので分かりにくい所ですが品質が抜群に良いわけではないので修理の必要性も含めると100万円もしないでしょう。特に偽造ラベルが貼られた方は作者名もわからないので100万円越えは難しいです。しかし音ではオールド楽器らしさがあり、癖もないので数千万円クラスのイタリアの楽器よりも面白いかもしれません。

そんなことに気付いてしまいましたが、おもしろいですね。音が良いヴァイオリンというのがだんだんわかってきました。

ウィーンのオールドヴァイオリンもこの前ありましたが、音は細くて高いアーチの音でした。「ニセモノ」のこちらの方が太い豊かな音が出て本物よりも音が良いかもしれません。

弦楽器の値段は評価と言えるようなものではなく、商売人の論理で築き上げられ本当にいい加減でずさんなものでした。このような「ニセモノ」を買ってしまった人は音については奇跡の幸運です。そんなケースもあります。それは値段の評価が音とは関係ないからです。

このような楽器はネットオークションなどでゴロゴロ出ているかもしれません。しかし修理の状態も様々で一つだけ買って音が満足いくというのは難しいでしょう。


この世で人間が作り出した間違いなく美しいものは音楽と職人の仕事です。
お金と政治の争いは人間が作り出した一番醜いものでしょう。