職人がわかる楽器の価値 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。
2022年も始動しました、今年もどうぞよろしくお願いします。

いつも3者のプロの話を年に一回くらいと思ってやっています。
ヴァイオリンの良し悪しを語るプロには3つの立場あるという話です。

①演奏者
②楽器商
➂職人

いずれも楽器を扱って収入を得て生活してるならプロです。
これら3者のプロが同じ楽器を称賛するなら良いのですが、問題は楽器についての評価がそれぞれのプロで全く違うことです。
音大教授の話はこの前にしましたが、安価な量産楽器の音が良いと絶賛することもあります。ヴァイオリン教授でも見た目で量産楽器と高価な名器と見分けがつけられないのに対して、職人が見れば一目瞭然です。もし必ず量産楽器の音が悪く、高価な楽器の音が良いなら音だけで見分けがつけられるはずです。しかし実際はそうではありません。職人のほうが確実なのです。

でも安価な楽器の音が良いことの何が悪いのでしょうか?
悪いことはありません、むしろ安くて音が良いのですから素晴らしいヴァイオリンです。

量産楽器と高価な楽器を見分けられないと起きる問題は、支払う金額です。


ヴァイオリンの値段というのはたいてい10万~150万円位です。それ以下でもありますが、演奏しやすい状態になく手直しするだけで5万円以上かかることがありますのでそれくらいは見ておくべきです。

例えばヴァイオリンの一大生産地だったドイツのマルクノイキルヒェンのあるメーカーのヴァイオリンの相場は1000~1万2000ユーロくらいです。様々な品質グレードがあり値段も様々です。これはこのメーカーに限らず、この産地に限らずヴァイオリンというのはそれくらいの値段がするものです。

その中で10万円と150万円なら大きな違いです。この違いが何から来るかと言えば、楽器の品質のグレードです。品質が低ければ10万円に近づいていき、品質が高ければ150万円に近づいていきます。
この品質は目の良い職人には見分けることができます。

これが職人が言う楽器の良し悪しです。
間違っても音で値段を決めているわけではありません。そのため必ずしも音と一致しません。
高い品質の楽器を作るには手間暇がかかり、コストが高いので値段が高くなるのです。
もちろん高い品質で素早く作ることができればその職人の優れた能力によって収入が多くなるというものです。したがって、ヘタクソで何度もやり直して手間暇がかかっても値段を高くすることはできません。

職人の側からすると、楽器の品質で値段を付けているので、予算で買えるものの中から試奏して気に入ったものを選べば良いと考えています。
値段が音の良さを保証しているわけではありません。
逆に安い楽器は音が悪いので安い値段を付けてるわけじゃありません。仕事が粗く作りが雑で、ちゃんと作ってないので値段が安いのです。


つまり我々職人が見分けられるのは、安上がりにちゃんと作っていないものか、教育を受けていない素人が作ったものか、一人前の職人がきちんと作ったものかという違いです。


ある程度職人の間では共通の基準というものがあり、それでお互い評価しあっているわけですから、変わったものが出にくいです。職人もそれぞれ好みや考え方、流派の教えが違います。したがってある程度以上は「好みの問題」としか言えません。しかし粗雑品や量産品は分かります。量産品は同じようなものが大量に作られたので見ると雰囲気が似通っていて見分けられます。大量生産品ではコストを安くするために様々な工夫がされています。その特徴で量産品だと分かるのです。


それに対して150万円以上するような楽器があります。
これは作者の名前に値段がついていると考えればわかりやすいでしょう。
同じような商品でもそのブランドのロゴマークがついていると値段が高くなる「商業取引」と同じことです。

多くの人は品物の質が高いのでメーカーが有名になったと思っています。しかしメーカーが有名になるのはどんなきっかけかはわかりません。消費者は常に品質をチェックしているわけではなく、一度有名になるとイメージが広まっていくのです。

私がよく感じるのは「流行を詮索するのはタブー」という雰囲気です。何かが流行しだして持っている人に「それは何ですか?何がどうして良いのですか?」としつこく質問するのは嫌がられます。本人もよくわかっておらず不安だからです。でもなんとなく流行り出したので何か持っていると得しそうだと買ったわけです。
ブランドやメーカーもそうです。持ってる本人も実はよくわかっていないので不安でしょうがありません。

よくわからないけどもなんとなく有名だということを嗅ぎつけた人たちが群がってきます。それでオークションなどでは値段が上がります。しかし我々はそのタブーを冒すことができます。楽器を見れば品質が分かるからです。高価な値段がついていてもその楽器が平凡なものと変わらないことを見抜けます。

このため職人は高価な楽器について冷めた目を持っています。


あるイタリアの作者の楽器の値段が1000万円するとしましょう。職人は品質を見ると平凡なもので「50万円位だな」と見抜くことができます。この楽器が1000万円になるためにはその楽器が本当にその作者のものであるという証明が必要になります。これが無ければ品質から50万円と判断します。
したがって世界的に権威のある鑑定士の鑑定書が付くことで初めてその楽器が1000万円になるわけです。もし家族が鑑定書を捨ててしまったら、その楽器は50万円になってしまいます。つまり鑑定書に950万円の価値があるというわけです。

職人はその楽器がその作者のものであるということを証明できません。
それでも作品の特徴などは見分けられるので、本物かもしれないと思えば鑑定を依頼する価値があると言えます。もしこれが量産品に偽造ラベルが貼られたものなら、職人でも鑑定に出す価値もないとわかります。日常的に楽器が持ち込まれるとほとんどはこれです。


現在では弦楽器を演奏用としてではなく、投資のために購入する人も増えてきています。この時に絶対に大事なのは「確かにその作者のものである」ということです。投資のために購入したのに作者があやふやで証明されなければ資産価値が激減してしまうからです。
このような楽器の売買をする人にとっては鑑定士とのコネを持っていることが重要になります。それが商売の要です。もし本物だと思えるものなら鑑定に出す必要があります。何千万円もする楽器ならロンドンやパリに飛ぶ飛行機代なんてたかが知れています。鑑定を入手するのが彼らの仕事です。鑑定料はとても高いです。紙に字を書く数時間の仕事で何百万円も稼げるのが鑑定士です。時給にしたら数十万円~数百万円です。とんでもないですね。


一方で鑑定書がついている楽器は安く買うことができません。仕入れるだけでも資金がいりますし、売れなければ大赤字です。買う時は作者不明の安い楽器として買って、売るときは名器として売れば儲かるわけです。
50万円の楽器として購入して売るときは1000万円の楽器として売れば最高の仕事です。

このような商売は日本では古くからあったようで、名門のオーケストラや音大教授のところに出入りして楽器を売ってきました。名門オーケストラに楽器を売っている業者だから安心ということは無く、むしろそういう欲深い人たちが競い合って集まっていると考えた方が良いでしょう。
このような怪しげな楽器ばかりを輸入してくる仲買業者もあります。

そこでこの人たちが言うのは「説得力がある」ということです。
彼らはニセモノだと分かっています。本物なら安く買えないからです。
ニセモノの中でも相手をその気にさせられるような楽器が最高の楽器です。
何千万円もする楽器を売るのにロンドンまでの飛行機代をケチることがあるでしょうか?
ロンドンまで持って行かないのはニセモノだと分かっているからです。
昔の人なら英語が苦手で国内だけで売買をしている人もいるでしょうが、もう今の時代では商売を続けていくのは無理です。


うちの勤め先でも楽器は売っています。
高価な楽器の時は鑑定をどうするかが課題になります。現在ではそのようなことが厳しく考えられるようになりましたが、何十年か前は本当にいい加減で業者は自分が本物だと思ったら本物として売っていました。逆に高価なものを知らずに安い値段で売ったりもしていました。だいたい世の中は無知な人ほど自信満々ですから、自分が本物だと思ったらそのように売ってしまっていたのです。いつの時代でも悪知恵を考えることを生きがいにしている人がそれ以上にいます。

その点についてもまだまだ日本には古いタイプの業者が多いようです。古い店だから安心ということもありません。



私が「3者のプロ」の話をするのは、楽器の良し悪しを絶対的に評価することができないということを知ってもらうためです。




不確かなものを信じる人たち

私は音が良い楽器の見分け方を教えます。

それは弾いて良い音がするものです。


当たり前ですね。しかしそれ以外には音が良い楽器を見分ける方法はありません。それが20年職人をやってきて考えていることです。

我々職人は師匠に「正しい作り方」を教わります。正しい作り方で作ったものが音が良いと思い込みます。その理解で一生を終える職人のほうが普通でしょう。実際に師匠の教えに反する作り方でできた音の良い楽器があったときに素直に認めません。あんなのは本当の良い音ではないと理屈を考えます。本当は音が良い楽器の作り方を分かっていないのです。

人間は嘘か本当かよりも正しいことを知っていると思いたいものです。「分からない」という状態でいるのは気分が悪くて耐えられず、嘘でもいいから「知っている」という状態でいたいのです。

昔から人間は理解を超える現象についていろいろな説明をしてきました。神話や昔話、迷信がいくらでもありました。

今でもデマや陰謀論などがあります。社会の分析もあります。陰謀論などは当事者が認めて確かになることはありません。どれだけ詮索しても不確かな知識のままです。

分からないものは分からないとしか言いようがありません。
自分で考えたことは、自分で考えただけです。つまり仮説です。
それが正しいかどうかは実証しなければいけません。

しかし自分で考えたことを絶対の自信をもって信じ語る人がいます。聞くのは無駄です。


こういう人は骨董品や古物は買わない方が良いです。
その楽器の金銭的な価値は、その人がどう思うかによって決まるわけではありません。ある楽器があったとき「これは〇〇作の名器に違いない、1000万円はするものだ」とその人が考えても1000万円になるわけではありません。私が見て、作風の特徴から本物か偽物か考えることはできます。そして私が「これは本物だろう」と思っても、1000万円にはなりません。楽器を売っている人が「これは1000万円の楽器だ」と言っても1000万円の価値があるかわかりません。わからないのです。

世界的に権威のある鑑定の鑑定書があって初めて1000万円になります。それ以外の人が何を考えても意味が無いのです。

それに対して「鑑定士はおかしい」「俺の目ほうが確かだ」と思っても何も起きません。あなたの心の中だけです。


素人の仮説が絶対に間違っているというわけではありません。当たっているのかもしれません。しかし、確かではないのです。確かでない情報は情報として価値が無いのです。だから聞いてもしょうがないです。鑑定士も間違っているかもしれません、しかし金銭的な価値だけは信用の上に成り立っています。私も鑑定士がそう言ったからとそれが本当にその作者のものだとは完全に信じてはいません。しかし金銭的な価値は業界の慣習に従っています。


楽器店の営業マンは職人でも鑑定士でもありません。



1945年製のヴァイオリン


具体的に見ていきましょう。

これはドイツのエルバッハという所でヴォルター・マックス・ハイシェルによって1945年に作られたとラベルについているヴァイオリンです。エルバッハは現在はマルクノイキルヒェンの一部になっています。他にも弓職人などもいて、マルクノイキルヒェンの流派と考えて良いです。

加工も美しく、木材もユニークな木目の一枚板です。

ニスはラッカーのようなものではなく、とても柔らかいオイルニスでもありません。現在でもハンドメイドの楽器によくあるようなものです。
テールピースの下のところが濃く赤くなっています。テールピースの下は影になっていて光が当たりにくいです。他の部分は色が褪せてしまったと思います。今では明るい色になっています。

中を覗いてもアーチの立体的な造形もきれいに作れらているので、比較的丁寧に作られた楽器だとわかります。


スクロールもわりと丁寧に作られています。


雑ではありませんが完璧でもありません。
もしかしたら本人が作ったのではなく、渦巻きだけを専門に作る職人が作ったものかもしれません。渦巻だけを作っているので恐ろしい速さで美しいものが作れます。一方で渦巻職人は楽器には興味がありません。こだわりが無いのです。

エッジの溝は深く彫られています。ちょうどパフリングのところを深く彫っています。角は丸くなっています。このようなものはイタリアのモダン楽器にもよく見られます。この時代の流行でもあるでしょう。マルクノイキルヒェンのモダン楽器の製作法はフランスから伝わっているので、このようなエッジの加工はフランスの19世紀のスタイルではありません。しかし、1945年にもなると作者個人の好みや、国際的な流行などが取り入れられています。

アーチもまっ平らなものではなく、立体感があって手作り感があります。

幸いこの楽器にはラベルが貼られていて、マックス・ハイシェルの名前がついています。本で調べても作風が一致していますし、楽器の品質から見てもおそらく本物だと思います。値段は多少大量生産の影響があるので100万円くらいでしょう。

この楽器なら私でも鑑定ができます。
作者名が有名ではなく、楽器の品質が値段に直結するからです。もし作者名が間違っても値段は変わりません。

しかしこれにイタリアのモダンの作者の偽造ラベルが貼られてしまうともうわからなくなります。モダンイタリーの作者の本で似たものを探して偽造ラベルを張り付けるとそのように見えてきます。

こうなるとイタリアのモダン楽器に詳しい鑑定士の鑑定が必要になります。

板の厚みは19世紀のフランスのものに比べると厚く、中央が厚く周辺に向かって徐々に薄くする「グラーデーション理論」で作られています。グラデーション理論では全体的に厚めになります。

音は見た目同様明るく、強い音がします。
音質は鋭く、輝かしい音です。

もしイタリアの楽器について「明るくて輝かしい音」というイメージを持っているのなら偽造ラベルを貼るにはもってこいですね。
実際にはそのようなイメージは間違っていてドイツの楽器も明るい音のものはたくさんあります。

むしろこのような楽器は戦後では主流になります。20世紀後半の楽器の典型的なものです。明るくて輝かしい音のヴァイオリンはありふれたものというイメージです。わざわざ「巨匠」のものを買わなくても良いです。

この楽器は1945年製とその中ではもっとも古いのでよく鳴って音量では新作を超えると感じられるでしょう。このような音が好みなら値段は100万円くらいですから、それより高い現代的なヴァイオリンを買う意味がありません。

1945年にこのような楽器が作れらていたことは我々の師匠の師匠あたりが学んだころの知識です。我々も正しい知識として教わった楽器の作り方です。

正しく作られた楽器ですが、音については好みの問題です、この音が正しいとは言えません。

1911年製のヴァイオリン



今度はフランスのミルクールでレオン・ムジョエノーによって1911年に作られたヴァイオリンです。

ミルクール製と書いてありますが、品質がとても高く美しく作られているので量産品ではなくマスターメイドの楽器だと思います。
状態はとてもよく100年以上前のものとは思えないほどです。

スクロールは完璧に近い美しさがありフランス的です。ヴィヨーム以降のストラディバリモデルです。


前から見てもラインがびしっとしていかにもフランス的です。ナットと指板の幅が24.5mmと広めになっているのもフランスの特徴です。

後ろもピシッとしていますし、下端の丸い所もきれいにできています。先ほどのものよりもクオリティが高いです。

値段はこの作者ものなら最大で200万円くらいです。フランスの楽器はみな似ているのでフランスの楽器の専門家の鑑定が必要です。しかしこれくらいの値段の作者なら本物と思っても良いでしょう。
フランスのものであることは間違いありませんし別の作者でもそれくらいします。またミルクールでも量産品ではありません。それは品質で分かります。


アーチは平らでいかにもフランスというものです。板の厚みは19世紀のものよりは少し厚めになっていますが、さっきのドイツのものよりは薄いです。
この作者はロンドンのヒル商会で働いていて、ミルクールに戻って独立したそうです。そのせいか、19世紀の典型的なフランスの楽器とは違っています。角には少し丸みがあり、板の厚みもストラディバリにあるようなものです。

一方f字孔はヴィヨームのものに似ています。ヴィヨームはストラディバリのメシアを元していますからその感じです。


弾いてみるとボリューム豊かによく鳴ります。先ほどのように鋭い音で強く感じるというのではなく明らかに楽器が共鳴して響いています。低音だけが「ビオラのように」極端に強いのではなく4弦のバランスが取れています。高音も鋭くはなく弾く人によってどうにでもなるレベルでしょう。学生などが現代の演奏法を学ぶにはもってこいの楽器です。
オールド楽器のような柔らかさはないですが、音量は明らかにあります。優等生的なものが欲しいなら200万円より高い新作楽器を買う意味は感じません。

ほとんど使われていなかったような楽器ですが音量はあります。弾きこまれたからよく鳴るという理屈も当たりません。

フランスの作者だからみなこんな音がするかと言えばそうではありません。一つ一つみな音が違いますので試奏して選ばなくてはいけません。

見た目が美しくて音も良い楽器です。見た目だけを作った楽器では決してありません。
演奏者も職人も高く評価する楽器ですが、なぜか楽器商の評価は高くなく値段はそれほど高くありません。
「ミルクール」という地名でしょうか?
これがパリならもっと高いかもしえませんし、イタリアに移住していればもっと高いでしょう。

商業では品物そのものではなく「生産地名」を重視します。
これによって売れ行きが変わってきます。
商品の質が分からない消費者には産地名だけが区別できるからです。


楽器商だけが評価しないというのは、つまりお買い得ということです。

時代の変化

YouTube Musicを利用するようになったという話をしました。面白いのは同じ曲を異なる演奏家や楽団が弾いているのを聴き比べができることです。かつてCDを買っていた時代なら難しいです。パソコンならいくつもウィンドウやタブで一時停止にしたり再生したりして同じところを聞き比べることもできます。昔はカラヤンなどの「名盤」を買って終わりでしたが楽しみ方も変わってきました。

演奏も時代によってもかなり変わってきたことが分かります。バロック音楽では80年代と90年代でガラッと変化があります。
ヴァイオリンならスターソリストからマニアックな楽団までさまざまありますが、スターソリストは抜群の知名度はあるものの、あくまで「ゲスト演奏者」という立場でチームプレイでは不利です。そんなことも音楽の奥深さでしょうか。私が語るようなことではありませんが、誰の演奏が一番優れているかなんてとても決められません。楽器について私が感じることも同じです。

時代で見ると世の中全体が優雅で上品な上流階級の文化からダイナミックでダイレクトなものに変わっているようです。ジャズなどでも戦前のものと今では違います。



今回紹介したようなものはそれほど高価なものではありません。しかし実際にはマルクノイキルヒェンでもミルクールでも量産品のほうが圧倒的に多く、このようなものも珍しいです。

もうひとつ面白いのは我々が「正しいヴァイオリンの作り方」として学んだことのルーツが見られることです。ムジェノーは19世紀後半に修行し、ヒル商会で最新の流行を学んだはずです。現在でもお手本として通用する楽器です。

ハイシェルのほうはもっと現代の楽器に近くなります。我々職人が師匠から絶対に正しいと教わったことも、ある時代の流行だったことが分かります。

楽器の好みが変わってきていることは分かります。年配のお客さんと若い学生で弾き方も違うからです。売れる楽器も変わってきます。

楽器の「評価」などを定めることはできません。諸行無常で変化しているものなのです。
ましてや「個性」などを客観的に採点することはできません。