ヴァイオリン職人の人生 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

緑が美しい季節です。

私がヨーロッパでヴァイオリン職人をやって暮らしていると言えば、好きなことをやって気楽なもんだと思われているかもしれません。それなりに大変なことはたくさんあります。

基本的に、芸術家や音楽家、俳優などと同じで学校を出て仕事についてすぐに月給がもらえるような仕事ではありません。
ヴァイオリン製作学校を出たとしてもなにも仕事ができないので給料を払えば「給料泥棒」になってしまいます。他の仕事でもそうでしょうが、道具が使えるようになるまでに年数がかかります。まず道具を持つことができないといけません。素人は見てれば持ち方ができていないのがすぐにわかります。それは筋肉がついて神経系が制御できるようにならないといけないのでやり方を教わるという次元ではできません。職人の仕事は何でもそうで教わっただけではできなくて、訓練が必要です。

道具が持てないと道具の手入れができません。砥石に一定の角度で刃物を当てないといけません。使いにくい道具ではベテランでも難しいのに初心者はもっと難しいです。

上記の職業ならアルバイトしながら仕事がもらえるようになるまで食いつなぐというのがあります。ヴァイオリン職人の場合に一般的な副業は「修理」です。
ヴァイオリンを作ってそれが売れるようになるのは音楽家が「売れる」のと同じことです。生活のための副業に全く違う仕事をすることもあり得ますが、修理なら同時に刃物を使う訓練ができ、楽器やユーザーへの理解も深まります。違う職業で副業をしていたら5年かかる修行が10年かかってしまいます。
ヴァイオリン業界は市場規模が小さいので大きな会社で分業で仕事を専門化することができません。何から何まで自分でやらないといけないのです。10年でもまだまだ学ぶことがあります。副業なんてやってたらいつまで経っても習得できません。

日本には職人の世界に歴史があります。
はじめは住み込みで雑用をしながらというもので、寝食は保証されました。現在では親方の家に住んでなんていうのは現代の会社制度に合いません。
自分で暮らすとなると家賃と食費が必要です。初めは全く利益をもたらせないのでそんな人を雇っている余裕はありません。
「最低賃金」というものがあり、利益が上げられないからと言ってものすごく安い賃金で雇用契約を結ぶことができません。

一方弟子にとっては今お金をもらえることよりも、いかに学ぶことができるかが重要です。寝食以上の給料なんて求めているようでは良い職人にはなれないでしょう。
これは一般の社会の人とは全く考え方が違う所です。

就職先を探す時に一番重要なのは、いかに勉強できるかということです。
一般的には大きな有名な会社を選ぶでしょうが、志を持った職人は全く違う選び方をします。それでも弟子に師匠を選ぶのはとても難しいことです。何故かというと師匠の何がすごいのか未熟者にわかるはずが無いからです。何よりもチャンスが少ないです。そういう意味ではかなり運に左右されます。

現実的には従業員として雇用契約を結ばない「無給の弟子」という関係があります。単にヴァイオリン職人の仕事を教えてもらうという関係です。教えてもらうためには人柄が認められるだけでなく授業料として労働を提供する必要があります。
師匠は給料は払えないので食べ物をごちそうしたり、お小遣いとしてポケットマネーを与えたりするというわけです。

こんなのは労働者として不当だと考えるならヴァイオリン職人はあきらめた方が良いかもしれません。


ヨーロッパではそれぞれの地域でいろいろなシステムがあったはずです。ギルドのような同業者組合があって労働組合の元になりました。
私は20年くらい前にかなり安い給料から始めました。とても生活できませんが副業をするためのビザが無いので多少は親の世話になっていました。留学よりははるかにましではありました。
どちらにしても難しい作業に集中して慣れない外国での暮らしは疲れ果ててしまいます。副業なんてやっている力はありませんし、言葉が不自由で職人以外の仕事は私にはできないです。それができるなら職人なんてやらなくても良いですよ。これしか生きていく方法が無いと必死になってやっていました。

それがいつしか自分で暮らせるようになりました。いまだに節約癖がついていて金銭感覚が庶民的でブログで書いてある楽器の値段も日本で売られているものとは全く違うでしょう。

左翼の政党などは最低賃金の上昇を訴えて選挙に出ています。現在は私の時よりもずっと上がっています。物の値段、家賃、エネルギーなどの費用もはるかに上がっています。2002年にユーロが導入されてから20年で物の値段は2倍になっていると考えています。もちろん中国製の安ものに変えることで安くはできますが、同じヴァイオリンの値段なら2002年の2倍の値段で考えています。

そうなると未熟な職人に月給を払うことができずパートタイムで雇用して副業を持つという例もあります。知り合いにそのような後輩もいますが、職人の仕事は身についていませんでした。

仕事ができるようになるまで誰がその費用を持つのか問題です。最低賃金を上げることによってそれが難しくなるというのは皮肉です。すでに仕事についている人は給料が上がる人もいるでしょうが、これからの人はその機会さえ難しくなります。
ファストフード店で働く人には良いかもしれませんが、選挙ではだれも職人の世界なんて考えていないですから。

音楽家の人ならわかってくれるかもしれません。音大を出てすぐに初任給がもらえるなんてことはなかなか無いですから。


普通の人生を生きたければ今ならオンラインの楽器店などに就職して搬入と搬出の倉庫管理の作業をすればいいです。
日本で楽器店に就職する場合はリペアマンか営業です。営業は音大から来る人もいるでしょう。リペアマンの場合は先輩が重要です。師匠と同じことです。大きなお店では右から左に大量の楽器を販売するため最低限の修理しかしません。立派そうな専門店でも私くらいの能力を持った先輩に恵まれるのさえも難しいでしょう。自分で作ったわけでもないのに店で高価な楽器を扱っていてなんか偉くなった気になって威張っている「先輩」もいるようです。そんな人は皆さんも心当たりがあるでしょう。
それでも学校を出てすぐ就職は難しく、何年か無給の弟子をやってスキルを身に着けてからようやく働けるようになるというものです。専門店では営業出身の社長は職人に尊敬の念が無くヴァイオリンを製造して生きていくのをあきらめさせるでしょう。副業のはずの修理が生業になってしまいます。決して悪い人生とは言えませんが。

見習の作ったヴァイオリン

私はそうやって見習の子の人生を考えてあげているのですが、当の本人は訳が分かっていないようです。私が考えすぎなのでしょうか?何も考えないのは仏教では善しとされることなので私よりも立派な人格者なのかもしれません。

本人さえ望めば仕事に関してはいくらでも教えてあげるのに・・・。

お金が足りなくて変な副業をするくらいなら、日本の人にヴァイオリンを買ってあげて欲しいと思うのですが皆さんどうでしょうか?

この前見習が作っていたものです。ニスを塗っていないので変ですがこんな感じです。

思った通りに行かなかった部分が多くありましたが、こうやって見れば立派なものです。

スクロールも赤いニスで塗った一台目に比べるとずっとよくなりました。



いちいち苦労していましたが丁寧な仕事で何とか様になりました。


アーチは本当に難しいものです。エッジに向かってエレガントなカーブと表面の滑らかな仕上げは苦労したところです。

まじめにやればこんなヴァイオリンは作れるのです。これで天才でも何でもない見習の作ったものです。高価な楽器を有り難がっている人には、どれくらいが凡人なのか分かってもらいたいですね。

これはニコラ・リュポーのモデルで胴体が36㎝を超えるものです。それでも特別大きいというほどではないでしょう。日本向けなら小型のモデルを考えた方が良いかもしれません。

時間や体力の問題もありますしやるかやらないか決めるのは本人です。もし関係ない副業をするくらいなら私が設計から関わって少なくとも実用と音響には問題のないレベルのものを作れないかと思います。
私が作るものは凝りに凝ったもので値段を安くするのは難しいです。値段は半人前で音は一人前のものができたらいいなと思います。ビオラももってこいです。

もちろんこのヴァイオリンもニスを仕上げて弾けるようにしなくてはいけません。アイデアは何も考えていませんが、ニスの塗り方を覚えるためにフルバーニッシュでむらなく均等に塗る練習が必要です。新品らしい綺麗さのものが目標です。