ヴァイオリンの本質と形 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

ワクチン接種が進んで徐々に生活が元に戻ってきています。コンサートマスターの方も来店して少人数の観客で演奏会を再開するように準備しているそうです。これまでの期間は録音に力を入れてたそうなので、音楽鑑賞ファンは期待して良いと思います。

我々が作業している間アレサンドロ・ガリアーノをずっと弾いていましたがこの前のデラ・コルテとは全く違う音です。ガリアーノも適当に作ってあるものです。そういうものが音が良いヴァイオリンの本質を表していると思います。


一方、ヴァイデマンのヴァイオリンも決まりました。良い楽器は売れるのが早いです。それでも200万円は普通に考えたら大金です。フランスの楽器作りの基礎を持ち文句なく作られたマイスタークオリティのもので、130年前のものが200万円くらい、これがまともなヴァイオリンの値段です。学生さんが使うには適度なものです。若々しい力強い演奏をしていました。


ヴァイオリン作りを学ぶと最初は全く訳が分かりません。決められた通りに作るのがとても難しくて1台作るのに1年もかかってしまいました。初心者の作ったものなんて数十万円くらいのものですからそれが年の売り上げと考えるとゾッとしたものです。とてもヴァイオリン職人なんかじゃ食っていけないと思いました。

この時は音のことなんて全く分かりません。
師匠や先生に与えられた寸法の通りに正確に作れば音が良くなると信じるしかありませんでした。

よくイメージするのが表板や裏体を削りだす時に、チョコチョコと小さなカンナで削っては、トントンと叩いて音を聞くあれです。
ちょっと削ったくらいでは音の違いが少なすぎてよくわかりません。

それに対して私は新旧様々なヴァイオリンの音を聞いて厚さを測って頭の中に数字で厚みのイメージができています。これはとても地道な作業です。
また壊れた楽器や長年手入れされていない楽器でも、修理する価値があるか、売り物になるかを判断する上での「勘」にもなっています。

板の厚みは数字でこのブログでもいつも表示しています。アーチなどのそれ以外の部分はもっと立体造形の感覚的なものです。

そうやって感覚ができてくると、意外と「理想」という決まったものがあるのではなく、わりと幅があることが分かります。最初に習った時の様に決められた寸法に正確に作る必要はないです。ストラディバリの形からちょっとでも外れたら音が悪くなるとかそういう物ではありません。
また演奏者も音の好みが結構バラバラで決まった音でなくても良いことが分かります。

そうやって私も良いヴァイオリンというのがなんとなくわかるようになってきました。それでも音は弾いてみないとわかりません。音のキャラクターはどっちに転んでもそれが好きだという人に出会えれば良いのです。

粗悪品ではなく作りがしっかりしたものなら、ほとんどのものはいつかは売れます。不思議とうちで売れないものに、ドヴォルザーク家のヴァイオリンがあります。フランスの楽器作りの影響を受けたモダンヴァイオリンで見た目は美しいです。これは板が厚めのものです。やはり板が厚いのはうちでは厳しいです。

それから、ハンス・エドラーのヴァイオリンも売れません。
ジュゼッペ・フィオリーニの弟子で兄弟弟子のアンサルド・ポッジとそっくりな楽器ですが売れません。特に技術的に悪い所は見当たりません。音が新作とあまり変わらないからかもしれません。

どちらの楽器もモダン楽器らしい音というよりは現代のものに近い音です。
現代の楽器製作のルーツになっているようなものです。
新作は新作で買う人はいるのです。ところがモダン楽器を探している人で新作みたいな音は好まれないのでしょうか。

あとは先輩の作った板の厚すぎるビオラも売れませんし、私が実験のために厚めに作ったストラディバリモデルのヴァイオリンも売れません。どちらも明るい音がするもので好みの問題とは言えうちでは売れません。

変わった形のヴァイオリン



こんなヴァイオリンがありました。


よく商売人は「個性」という言葉を巧みに利用します。下手くそな作者のものを「個性的なヴァイオリン」ということができる魔法の言葉です。
フランスの楽器は完璧な美しさで作られていますが、一流の作者はどれもそっくりで個性が無いといえます。それに対してイタリアの作者は個性があるので価値が高いと言います。
それならこのヴァイオリンはもっと価値が高いでしょう。個性に価値があるというのならイタリアのモダンヴァイオリンよりもはるかに個性的ですから1000万円以上しなくてはいけません。
1000万円以上で飛ぶように売れるなら私も何か作りましょうか?

このヴァイオリンはアイルランドの民族音楽を弾く人が使っているものです。クラシックの名門オーケストラではこのようなものを使っている人は見たことがありません。

作者は誰かわかりませんが、私が見た感じでは、現代のヴァイオリン製作の教育を受けた人が作ったのがすぐにわかります。かたちこそ変わっていても仕事のタッチが現代的なのです。ニスも現代のアルコールニスです。現在手に入る材料だとこんなオレンジ色になりやすいです。

表板はフランスのモダン楽器の様に全体が等しく薄く作られていて、裏板はやや厚めです。

どんな音がするかと弾いてみると意外と普通のヴァイオリンの音がします。それも新作楽器によくあるような音です。特徴としては表板が薄い分だけやや暗めで極端に明るいことはありません。明るいのと暗いのの中間くらいでしょう。音の質は鋭くてキーンときつい音がします。これも現代の楽器には少なくありません。

かなり変わった見た目にもかかわらず音は、よくあるような新作楽器のようなものです。

見た目の印象としてはかなり違って見えますが楽器の構造はあまり変わらないということでしょう。
ストラディバリモデルやガルネリモデルだからどうだということは言えないということでもあります。こんなに形が違ってもまともな音がするわけですから。

それに対して板の厚みから予想する通りの音域ごとのバランスになっていました。

何よりも仕事の雰囲気が現代的であることが、現代のヴァイオリンのような音になった一つの要因でしょう。もちろん新しいということもありますが、新品でも現代の楽器とは思えないような音もありますから。

弦楽器の本質は表面的な違いでは無くて大雑把にとらえないといけないと思います。時代や流派による仕事のタッチや個人の癖のほうがはるかに影響が大きいと言えると思います。

ストラディバリだろうがガルネリだろうがどのモデルで作っても同じ人が現代風に作ったものなら、似たような音になるということです。全くヴァイオリンの形をしていなくても良いのです。


ヴァイオリンの形

今回はヘッドの角(つの)が折れてしまって、それを接着しました。しかし修理法が分かりません。角を接着する方法は習っていません。くっつけただけですからまた衝撃が加われば取れてしまうかもしれません。
修理の請求書にも「角の接着」と聞いたことのないような言葉が記載されました。
角は弱いですね。新しいデザインは問題点があるのかもしれません。最近は自動車でも燃費を良くするために空気抵抗を減らすデザインにしています。うちの師匠の車は高速道路で小石か何かが当たってフロントガラスにひびが入る故障を何度も繰り返しています。同じ車で4度目と言っていました。そのまま走行するのは危険です。
昔の車とはフロントガラスに当たる空気の流れが変わったのかもしれません。
新しいデザインにはそのような危険もあります。

かといってヴァイオリンもそんなに実用本位でデザインされていません。500年くらい前にできていますから今の人とは考え方が違います。
安い価格帯のものはもう少しシンプルなものでも良いように思います。でもそうなるといかにも「安物」という感じがしてしまいます。どれだけ安いヴァイオリンでもヴァイオリンの形をしています。これがクラシック音楽の世界なんでしょう。


ヴァイオリン製作も初めは各部分の細かい寸法から教わります。しかし細かいことばかりに気を取られて全体像を理解していない人がいます。まだ新しいものでも弦の力に耐えられなくて表板が陥没してしまっているものがあります。
楽器を全体的にとらえるようになるにはたくさん楽器を作る経験が必要です。

初心者に教えるのが一番難しい部分です。頭の中にイメージする感じで作るということですから、イメージが無いとできません。
寸法を測れるポイントだけ決められたように作って測れない所はあやふやになっています。自分では完璧に作っているつもりでも測れない部分が留守になっています。

逆に言えば基本的なことができていれば細かいことは音には関係が無いということです。それがヴァイオリンの本質です。それが分かっているのが優れた職人でしょう。

形が決まっているものは、商品の違いは品質でしか差が出せません。男性用のスーツや紳士靴は形が決まっているので品質でしか差が出せません。高価なスーツと安物のスーツで格の違いが表現されます。政治家の方々、大企業の重役の方々は立派なスーツを着ています。上質なものがイコールでカッコよく見えるかは知りません。

これがカジュアルになると全く違う価値観に変わります。実用的で快適、リラックスして気を使わないことが気分の良さを演出するもので相手にもフランクな印象を与えます。

クラシック音楽はスーツのような戦前の上流階級の文化ですので、今回のようなカジュアルなヴィオリンは主流ではありません。

オールドの時代はそれほど形が定まっていませんでした。貴族の時代のほうが創造的で、市民の上流階級のほうが画一的なのかもしれません。

ガリアーノもそうですが、オールド楽器は面白いものです。イタリアの場合には美しいものを作った人は限らています。ほとんどは適当に作られています。昔は大量生産の安いものが無かったのでイタリアの職人たちは安上がりなものを作っていたのもあります。そんなものにも音の良いものがあったりして面白いです。
イタリア以外でもオールドの時代はそうです。シュタイナー型と言われるドイツのものでも結構みな形が違います。画一的ではありませんでした。

そういうオールドの作者も「巨匠」などと形容するのは実際からはかけ離れているように思います。作り方が確立していなかっただけです。

一方現代ではストラディバリモデルがあまりにも基礎になりすぎています。もちろん音が悪いというわけじゃありませんが、他の可能性がもっとあると思います。

しかし楽器を買う人、特に学生さんやその親御さんならよくできたストラディバリなどのモデルのモダン楽器を頭で考えてバカにしない方が良いと思います。個性はありませんが「使える道具」を手にすることを重視した方が良いと思います。オールドが高価すぎるので現実的に考えなくてはいけません。

私たちが日常的に使っている道具も洗練されて同じような形に落ち着いているわけです。常識外れのお箸やフォークでは使いにくくてしょうがありません。私が職人として使う道具は変わったものである必要はなく、デザインも創造的なものである必要はありません。
オーソドックスなもので使いやすい形状をしていて実用的な質を備えているものが良いです。

一方、安価なオールド楽器もあります。オールドは個性的ですが当たりはずれも大きいのでそれこそしっかり試奏が必要です。
楽しみとして音楽をやりたい人なら全く問題ありません。100万円もしないオールドヴァイオリンは修理すると結構売れていきます。趣味性が高いと言えます。


ヴァイオリンの良し悪しが分かるということは具体的な知識や細かいことでは無くて大雑把に捉えることができるということでしょう。作者の詳細や値段、品質など表面的なものではなくざっくりと本質を見抜くことです。

一般の人には無理なので試奏して音で選ぶ方が良いと思います。
それから職人に見てもらえば、特徴を教えてくれるでしょう。そうやって愛着を深めて弾き続けれていればさらに鳴って来るでしょう。

逆に楽器の特徴から好きな作者を選ぶのは難しいです。
私でも何を意図して作られたのかわからないことが多いです。職人の場合には記録がほとんど残っておらず、人間性を知りうる手段がありません。イメージを持つことすらできません。

あとは、同じ作者でも楽器の形や雰囲気がバラバラの人が多いです。そりゃ何十年もやっていれば毎回全く同じということは無いですが、いつも同じ形の人もいるし、バラバラの人もいます。形は同じでもニスの色が違ったりします。
たまたま自分が知っている楽器をその作者の特徴だと思っているだけかもしれません。作者の方は気まぐれで適当に作っていただけかもしれません。

間違ったイメージによる弊害の方がはるかに大きいでしょう。

私がアマティを美しいと言っても、私はコピーとしてしか同じ形のものを作れません。私が理想を追求し自由にデザインしてアマティと同じものに行き着くとは思えません。

私が美しいと思う感覚と完全に一致しているわけではないからです。本音を言うとアマティには「変だなあ」と思う部分もたくさんあるんです。アマティのおもしろい所はカーブには非常にこだわりを持っていて夢中になりすぎて全体のバランスは不自然だったりするのです。本人は不自然さに気づいていなかったでしょうから、すでに気付いてしまっている私には同じ物を創造することはできません。
ストラディバリはそれが自然に感じられます。そのことは音にも影響があるでしょう。

シュタイナーもこだわりが強すぎる所があります。
もうちょっと適当に作っている方が音響的に有利なのかもしれません。

ストラディバリは長年たくさんヴァイオリンを作って行った中で、こだわりが取れて自然なものができるようになっていったように見えます。

一方で現代の我々はあまりにもストラディバリを基本とし過ぎたせいで他のものが不自然に見えるのかもしれません。少なくともストラディバリを知ってしまうとアマティのようなものはデザインできないのです。

とはいえその差はわずかで一般の人には見分けられません。
基本的にはヴァイオリンはみな同じ形で、我々には知りえない様々な事情によってその人の特徴ができています。同じものだからこそわずかな違いが表れるのです。

変わった形のヴァイオリンはそんなことを考えさせます。