ナポリの問題作? アルフォンソ・デッラ・コルテのヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

私も20年くらい働いていますから日々いろいろなことを目の当たりにしています。私も最初に思っていたイメージは実際とはかけ離れていたことがたくさんあります。10年くらいでも多くの発見がありました。
私のできる経験は限られていますが、それでも勤め先は幅広くいろいろな業務を行っているので広く浅く知ることもできます。自分の楽器作りではディープな研究もやっています。

これが偉い師匠の工房なら、師匠の考え方に染まってしまって現実が見えなくなるかもしれませんし、日本のように営業出身の経営者の弦楽器店なら「お金になる楽器」の考え方に染まってしまうかもしれません。

幸いバランスよく経験することができています。最高の環境ではないでしょうが、職人の中ではとても恵まれている方だと思います。


お客さんは個性的でいろいろな人がいます。音楽家は私たち技術者とは頭の仕組みが違うんじゃないかと思うこともしばしばです。才能豊かな人ほど「天然」というような人は珍しくないです。いちいち驚いていたらやってられません。

その中で特に音楽家は音に興味が強くて、それ以外のことは全く訳が分かっていないのが普通です。それでも自身の楽器について幸運な人と不運な人がいます。

品質の違いは一般の人にははっきり言って分からないです。
職人から見て見事な楽器を持っている人でも、見分けはついていません。
たまたまそういう物を買っただけで、わかって買ったわけではないのです。
見事な楽器を持っていて、工房内にある粗悪品の楽器を見ても「これは、美しい楽器だ」ととんちんかんなことを言っています。

職人として修業する中で目を鍛えていく訓練をしていないと、何十年弦楽器を見ても見えないです。私たちからすれば弦楽器店の営業マンや経営者でもぜんぜん分かっていないと思います。だから品ぞろえのセンスが私たちとは違うのです。
職人の修行をしない限り、品質は分からないので分かろうとしない方が良いと思います。

「品質」という言い方をするのは「美しさ」とはまた違うからです。
美しいというのは心で感じるものなので客観的には言えません。それに対して品質はまだ規則性があります。接着面は段差や隙間ないこと、表面にデコボコやゆがみが無いこと、標準化された寸法通りであること、ニスはムラなく均一に塗られていることなど職人の間では多くの人が共有できます。
このようなものを英語では「クリーン」な仕事と言います。日本語ではきれいと言えるでしょう。整理整頓ができて掃除が行き届いている状態のようなことです。
これに対して「ビューティフル」と言うはずですが、商人が好んで使う言葉で値段の高さと混同されて使われます。英語で語られるものは商人目線で胡散臭いものが多いです。


それでも品質を全く理解していない職人は多いです。まともな教育を受けていなかったり、厳しい修行に耐えられなかったりします。職人の半分くらいは理解できるでしょうか?・・・・ひどい仕事の楽器が多いことからすれば半分なんてとてもじゃないかもしれません。せいぜい2~3割くらいかな?
それに対して「美しさ」を理解できる人はずっと少ないです。
ストラディバリやアマティを見ると品質は完璧ではありません。しかし美しいのです。これは何なんだろうというのが私がずっと取り組んでいることです。私個人の趣味というもので客観的には言えません。


うちの見習の職人でも子供のころからヴァイオリンを習っていて、何年も修行しています。私に教わるまでは品質も美しさも何も見えていなかったです。一つ一つの作業工程で始めたときは私が説明してもちんぷんかんぷんだったのが、終わりになると「美しい!」と感動しています。自分が作ったもので感動するのは楽しいことです。アマティがなぜ美しい楽器を作ったかは本人に聞かないとわからないでしょうが、作業の中で美しさが生まれると楽しいのです。フランスの楽器もオールド楽器の美しさを研究してさらに品質を高めています。生産国に関わらず美しさを分かっている人かどうか私にはわかります。
私は理屈っぽい人間かもしれませんが、複製作りを通して美しさを生み出す喜びをアマティに教わっているのです。感情表現はしませんがだれよりも感動しているようです。普通の職業は給料をもらって喜びを感じるかもしれませんが職人は全く違う喜びがあります。腕の良い職人を雇うなら報酬体系は全く変えないといけません。
しかし、見習がそこに行くまでは簡単ではなく悪戦苦闘して私の言っていることの意味が分かるのです。一般の人がいくらよく見ているつもりでも、私たちからすればそれは視界に入っているというくらいです。


このため私が作ったものの品質の良さをお客さんが分からないのは当たり前のことです。そのことを何も気にしません。すでに楽しんだのですから。

私は好きなもを作りたいです。お客さんにすべてわかってもらえるとは思っていません。それでもハートに訴えかけるものが無いとは思いません。
逆に言えば究極的な目標は職人同士で評価されるだけでなくて、一般の人にも伝わればもっと良いと思います。意外にもマニアのような男性よりも何も詳しくない女性の方が「まあ、美しい!」と分かったりします。私の楽器の愛好者には女性も少なくありません。特にマニアでも何でもないです。何かを感じるみたいです。

だから「俺はものの風雅というものが分かるんだ」とプライドは持たない方が良いと思います。私からするとそういう空気を出している人はその時点でダメだなと思います。センスが悪いなあという変なものを買ってしまいます。失礼な言い方ですが、「ただのおばさん」の方がセンスがあると感じることがあります。

私はそういうのはとっくに卒業しています。古い名器をたくさん見ているとそういう物では無いんです。頭で考えるのはやめて素直に感じて欲しいのです。


職人の方も「良いものは職人にしかわからない」と一般の人を無視するのは良くないと思います。こういうことを内輪でやっているから音が良くない楽器ができるのです。私が反省していることです。


私はこのブログでは、こういうものが良い楽器ですよとか、音が良いというのはこういうことですよとは言っていません。バラバラないろいろなものを紹介しています。日本では珍しいであろう物も紹介しています。日本でよく売られているものは紹介する意味はありません。こんなものもあるし、こんなものもあると条件を絞っていないで広げています。

それで何が良い楽器なのか、良い音なのかは自分で判断して欲しいです。
答えは教えません。答えを教えられたら面白くないでしょう。
お前はそういうけどちっとも良いとは思わないと意見が合わないのは日常茶飯事です。
自分の作った楽器にどの弦を張ろうかと悩むわけです。悩んで選んだ弦を「この弦は私は好きではない」と言われるのはいつものことです。
だからもう悩むのはやめてオブリガートを張っています。オブリガートはヨーロッパでは最も一般的な高級弦だからです。


私自身も答えは決めていません。だから何十年やっても面白いのです。
何事も入門時に学ぶ知識というのは確固たるものに見えるものです。初心者を対象にする先生は非常に自信に満ちています。それはあまり知らないからです。多くのことを知りすぎると自信が無くなって初心者に教えるのは難しくなります。初心者向けの知識を学んだばかりの人が先生に向いているのです。その先生はそこで成長が止まっています。

日本でも弦楽器の知識を得るのは難しいです。あまり言いたくはありませんが『サラサーテ』という雑誌は見ない方が良いと思います。間違ったことばかり書いてあるとは言いませんが、あれを初心者が見たら完全に勘違いしています。出版社の人も悪気があるとは思いません。単に知らないのです。読めば読むほど弦楽器の理解から遠のいていくでしょう。

変な予備知識を持つよりも何も知らないで、作者名を伏せて試奏して楽器を選ぶ方がよほどましです。こちらのお客さんはほとんどそうです。ウンチクは日本特有のものです。日本人はものすごくウンチクを気にします。




さて、コロナもちょっと落ち着いてきて、お客さんが急に増えています。
この前のチェロの話ですが、結局お客さんは西ドイツの80年代のチェロを選びました。一番安いものを選んだのですが、うちの師匠は高いものを買うように仕向けたりは一切していませんでした。
日本企業のように営業に努力をしてないだけだと思います。
広告や営業に努力しすぎると消費者が損することになります。ヨーロッパの人はやる気が無いだけです。


それから前回ヴァイデマンのヴァイオリンの修理が終わったことを書きましたが、さっそく試奏に駆り出されました。

うちの工房内ではさらに前に紹介したチェコのクリーシュが好評で、私も非常に感心しました。
ところが若い学生さんに貸したところ、ヴァイデマンの方を絶賛していました。クリーシュの方はもう一つだそうです。
クリーシュはとてもよく鳴って高音も柔らかいので我々の好みですが、学生さんは違う好みを持っていました。ヴァイデマンをちゃんと鳴らすことができたようですし、エヴァピラッチゴールドの弦も機能したようです。

私たちの同僚の間でも意見は分かれることもありますし、今回のように一致してもお客さんは全然違ったりします。別のお客さんならまた違うものです。

だから我々がその楽器の音をどう思うかなんてのは大事ではないのです。
ブログで私の感想を書いてもしょうがないのですけども・・・。音響的な意味で特徴を言っているだけです。


もう一つは相当経済水準の低い国の出身の人なのでしょう、25~70万円くらいでヴァイオリンを探している人がお店に来ました。演奏を聴いたら驚いたものです。CDや演奏会でお馴染みのヴァイオリンの名曲をたどたどしさなどは一切なく次々と弾いていくのです。25万円のヴァイオリンを弾くような人では無いです。
そのレベルのヴァイオリンでも自分が祖国で使っていたものよりはずっと良いのでしょう。
結局この前紹介したドイツのオールドヴァイオリンも最終選考に残っていました。弾ける人が弾けばあんなマルクノイキルヒェンの楽器でもオールド楽器ならではの良さが引き出せるのでしょう。
アーチもぷっくらと膨らんでいて、オールド楽器らしいものです。スクロールがオリジナルでないために値段も安めなので対象になったというわけです。
世界中から集まって来るのでこういうことがあります。

私は何となく良さそうだと思うものを紹介してますから勘もそんなに外れていないのです。壊れていたり弦も張っていない状態で楽器の作りを見て判断しています。
感覚的なものなので一般の人はただ楽器を弾いて音が気に入ったものを選ぶしかないです。私でも音は弾くまでわかりませんから。ただし音のキャラクターがどっちに転んでも好きな人がいるかもしれないので楽器の基本的な作りが良ければ良いのです。


良い楽器や悪い楽器の条件を定めるのは難しいです。今回もまさにそんな楽器です。

アルフォンソ・デッラ・コルテのヴァイオリン


ついこの前、ヨーロッパではオールドの時代から各地に伝わっていた作風が、フランス風のモダンヴァイオリンにとってかわられたという話をしたばかりです。

しかし、そうでないものもあるんです。
何かを言うと必ず例外があるもので、最初に基本的な知識を知ることで例外というものが理解できると思います。


これは今回紹介するのはナポリで作られたヴァイオリンです。

はじめに説明すると、19世紀にフランスでモダン楽器の製法が確立してヨーロッパ中に広まりましたが、時間差があります。なかなか伝わらなかったところもあるのです。それが今回のナポリです。

ナポリはガリアーノ家がオールドの時代から続き一派を形成していました。
初期のものはアマティの影響が強いものでした。品質は様々で低品質なものも多くありました。音は必ずしも品質と一致せず、適当に作ってあるのに音が良いものもあるし、室内楽的なものもあります。

バロック時代にはナポリ自体はスペインの支配下にあって領主によって歌が好まれ、オペラ・ブッファが発達したところです。古典派の音楽の先駆けにもなりました。ジョバンニ・バティスタ・ペルゴレージのシンフォニアなどを聞けばバロックと古典派の間の作風のように思います。

音楽が盛んな場所では楽器の需要もあるはずですが、ガリアーノ家などが需要に応えるために安上がりのものを量産していたようです。
中にはとても美しいものもありアマティの影響がはっきりと表れています。ストラディバリに似てると思うようなものもあります。そのためかつてはストラディバリの弟子と言われていましたが、アマティの特徴のほうが強いように思います。商人は何でもストラディバリの弟子にしてしまいます。
実際には適当に作られたようなガリアーノが多いです。当時は安い値段で売られていたスチューデントヴァイオリンでしょう。
ドイツ出身の職人もガリアーノ工房で働いており、南ドイツの雰囲気のスクロールがついているものがあります。私は最初ニセモノかと思いましたが、背景を知れば納得です。


さて今回のヴァイオリンです。

アルフォンソ・デッラ・コルテが1882年にナポリで作ったヴァイオリンです。ヴァイオリンの世界では「新しい」ものです。生年没年は諸説あってよくわかりません。1800年代の前半に生まれて1800年代の終わりに亡くなったようです。このヴァイオリンは亡くなる時期に近いものです。生まれた年が分からないのでどれだけ歳をとっていたのかはわかりません。

写真ではわかりにくい部分もありますが、平面の写真でも形が完璧に整っていないのは分かります。


楽器をパッと見た瞬間にフランス風のモダン楽器とは全く違うという印象を受けます。アーチはボコボコで上下も左右も非対称です。


スクロールは素朴なものでアマティやストラディバリの繊細な美しさは無く無神経に作られています。

渦巻の全面の溝は奥まで彫られていません。これは安価な量産品に見られる特徴です。

ここも隅まできちっと彫っておらずザクセンの大量生産品の特徴と同じです。

f字孔やコーナー、パフリングなども完璧に整っているとは言えません。うちの新人でももっと整っています。


f字孔もアマティやストラディバリではこんなことはありません。コーナーのパフリングのラインも合わせ目もアバウトで品質が高いとは言えません。

横板と裏板の形が合っていないです。オーバーハングと言われる裏板のはみ出している部分がバラバラです。コーナーは全然合っていないです。

形もいびつで左右は非対称、アッパーバウツの一番広い所からコーナーに向かっていく輪郭のS字のカーブが滑らかで自然なカーブになっていません。コーナーも無造作です。

一見してとても無造作に作られているヴァイオリンだということが分かります。モダン楽器の時代にはフランスで品質が高い楽器が理想とされました。その考え方が全く輸入されていないようです。

とても武骨で素朴な楽器です。神経の細やかさや仕事の丁寧さは全く感じません。美しいものを作りたいという気持ちが無いようです。「ただヴァイオリンを作っただけ」のようです。

表板のアーチはガリアーノ家の面影を感じるものでボコッと盛り上がり横から見ると上が平らになっています。これはガリアーノでも問題で駒のところが陥没しやすいのです。1882年のヴァイオリンにしてはくたびれて見えます。仕事の粗さでそう見えます。きちっと作られているとこの位の時代のものなら新品のようにピシッとして見えます。

モダン楽器で良しとされた「クリーンさ」が無いのです。考え方が輸入されなかったのでしょう。当時のヨーロッパではモダン楽器のほうが先進的な進んだオシャレなものだと考えられていたはずです。それに比べるとこれは田舎臭い素朴な楽器です。
それをイタリアらしいと表現することもできますが、素朴な楽器はどこの国でもあります。まともに修行してないとそうなります。

この楽器が珍しいのはガリアーノ家のナポリの「名残がある」点です。「伝統を受け継いでいる」という表現は難しいと思います。やはりオールド楽器と同じものだという感じはしません。惰性で何となく続いてきたという感じがします。だから「名残がある」と言いたいと思います。このようなものは珍しくはっきりした特徴があるので「本物のデラ・コルテ」と鑑定されるものです。

しかしアマティやストラディバリ、初期のガリアーノの本当に美しい楽器とは全く違います。ガリアーノでも特に品質の悪いものに似ています。

ガリアーノは品質の悪いものでも音は良いものがあります。さすがにオールドヴァイオリンというものでよくあるようなモダン楽器や現代の楽器とは全く別のものです。適当に作ってあるのにモダン楽器とは別の次元の音の楽器があります。

そういう楽器を目の当たりにすると品質なんてどうでも良いということを知ることができます。

適当に作ってあるけども、アマティの基礎があるのが初期のガリアーノ家の楽器です。それがだんだんアマティの基礎が薄くなっていきます。これなどはアマティの雰囲気は残っていません。

寸法と値段

例によって寸法や板の厚みを測ってみました。

厚みは仕事の粗さがばらつきに現れています。しかし全体としては薄めに作られています。このため私は適当に作ってあるけど音には問題のないレベルだと思います。
横幅も極端に窮屈ではなくアーチもやや高めではありますが、オールドのガリアーノなどに比べればそれほど高くもありません。

横板の厚みはこの楽器では薄すぎて測定できませんでした。0.8mmくらいでしょう。

弾く前の時点で音については全く予想ができません。でも特に著しく悪い所はないので良い音がしてもおかしくないなと思います。こういう雑に作られた楽器には鳴りっぷりの良いものがありますし、持ち主もヴァイオリン教師でよく弾き込んでいるので鳴ったとしてもおかしくありません。

お値段は現在の相場が最高で800万円くらいです。800万円で品質は並以下です。どんな音がするのでしょうか?

気になる音は?


今回は指板を削り直し、ニスの手入れをして磨き上げただけです。メンテナンスが終って音を出し見ます。

とても強い音でよく鳴ります。ヴァイオリン教師の方が長年使っているものなのでそれは納得です。ガサガサしたような嫌な感じではないけども相当鋭い高音を持っています。キーンと突き刺さるような音です。
板の薄さからくるように低音が強いバランスの暗い暖色系の音です。高音は細くて耳に突き刺さります。

よく鳴るという点では音が良いといえます。しかしこのような音はフランスのモダン楽器でもあるし、ミルクールのものでもあります。鳴らないよりは鳴る方が良いですが、「鳴るだけ」の楽器に800万円はどうかと思います。
フランスの楽器のように品質が良く丁寧に作られたものでも、このように粗雑に作られたものでも似たような音がすることがあります。だから品質は音と関係ないと言っています。

鋭くて鳴る楽器はどの流派のモダン楽器にもありますが、この楽器はキャラクターが特に極端です。大胆な作風がそうさせているのかなんて考えたりもします。
ガサツな人が作ったら荒々しい音になって、繊細な人が作ったらきめ細かい音になるのでしょうか?わかりません。
本人をよく知らないと性格が分かりません。荒い楽器を作る人は人格はむしろ明るくて感じの良い人かもしれません。つまり気難しい職人タイプでは無くて普通の人なのです。楽器は音楽のための道具だと当たり前の理解をしているのです。これが職人タイプはそれ以上のものを作ろうという頭のおかしな人たちです。


ガリアーノはイタリアのオールドの中ではわりとよくあるもので私もいくつか知っています。それとは全然違う音です。何の類似点も感じません。見た目にガリアーノの様な雰囲気は残っているのですが音には特別な共通点が無いですね。

それどころか「イタリアの音」というのも私にはわかりません。似たような音のものは他の国のものにもいくらでもありますし、他のイタリアの楽器はそれぞれ違う音がします。

800万円という値段

適当に作られた楽器ですが、だまそうという意図は感じません。量産品なら外はきれいに作ってあるのに中は汚いものです。これは外も汚いですから。

この楽器はモダン以降に適当に作ってあるものとは雰囲気が違います。そのようなものはオールド楽器の偽造ラベルが貼られてインチキ臭い楽器として出回っています。それを見ても一瞬で私はオールド楽器では無いとわかります。基礎が違うからです。
それに対してこの楽器はモダン楽器の基礎が入っていないので独特な雰囲気があります。しかしアマティの時代の雰囲気とはまた違います。「名残がある」と私は考えています。

そういうはっきりした特徴があるので鑑定士も本物と言えるのです。

問題は値段です。800万円でこの音だと私は他にもっとあるんじゃないかと思います。この前のオランダのヤコブスのヴァイオリンなら本当のオールド楽器です。やかましいだけのモダン楽器とは全然音が違います。
150万円もしないクリンゲンタールのホプフでももっとオールドらしい音がします。

800万円の予算で弾き比べてこの楽器を選べるのかと疑問に思います。

なぜこんなことになってしまうか一つは、値上がりがあります。
1990年代の前半なら200~300万円くらいでした。そのくらいの値段なら新作楽器よりもはるかによく鳴るこの楽器は優れたものと言えたかもしれません。オールドの雰囲気を受け継ぐイタリアの楽器というイメージを含めてもそれくらいの値段なら納得できるでしょう。
これが800万円にもなってしまうとさすがに「800万円でこの程度の音?」となってしまいます。これは作者には罪はありません。100年以上後の話ですから。
ただ本人は素朴な楽器を作っていただけです。美しいものを作ろうという意図は全く感じません。ただヴァイオリンを作っていただけです。

持ち主はずっと前から持っていてうちで修理をした15年前に保険を申請してそのままでした。当時の評価額は380万円ほどでした。これでは何かあったときに十分補償されないので保険の評価額を倍にしないといけません。
本人はそんなに値上がりしていることを知りませんでした。自分では400万円弱のヴァイオリンを持っていると思っていて、今回800万円のヴァイオリンだと知ることになったのです。

15年間で値段が倍になりましたが音は倍良くなったでしょうか?すでに100年以上経っている楽器ですから劇的に音が良くなるはずはないです。これは金融危機以降、投機対象になったからです。特にイタリアのモダン楽器は値上がりが著しいものです。他の国のオールド、モダン楽器は値上がりがゆっくりだったり、全く上がっていなかったりします。そのためこのようなヴァイオリンに追い抜かれたこともあるでしょう。

値段なんていうものは楽器の価値を正しく評価しているとは考えない方が良いです。

建築物でも南欧の田舎の納屋みたいな無骨なものは雰囲気があって良いです。この楽器もそんな感じです。ただ武骨で素朴な田舎風のものに800万円は笑ってしまいます。

値段、品質、音それぞれが滅茶苦茶な楽器でした。でも実際にイタリアのオールド楽器には美しく作ろうなんて気が一切ない適当に作られた楽器でも音がモダンとは別次元の楽器があります。そういう物を目の当たりにすれば考え方を変えないといけません。

それができる職人も少ないのは事実です。だから本当のオールド楽器のようなものは作れないのです。


私がなぜ美しいものを作るかと言えばそれは楽しいからです。特に高いアーチの楽器を作るのは楽しいです。作っていてニコニコしています。でも需要としてはモダン楽器のようなフラットなものもあります。学生さんには演奏を勉強するためのヴィオリンとして良いと思います。
それを後輩に押し付けて自分は楽しい仕事をしようというわけです。ひどいパワハラです。

まあ実際オールド楽器のようなものはとても難しいので初心者には無理です。だから教科書通りのモダン楽器を作るのは今の段階で良い訓練だと思います。実際に教科書通りに作られたモダン楽器がちゃんと良い音がしますからお手本として正しいです。それがもっと滅茶苦茶なオールド楽器に音が良いものあって学んだ理論なんて全部否定されるのです。

これが弦楽器のおもしろい所です。