今、必要とされているモダンヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

まずはチェロの試奏の様子から。
250万円くらいまでの予算でチェロを探す親子が来ました。すでにうちで販売した量産品を使って腕を磨いていてさらにもっと良い楽器を求めていました。

ドイツの戦後のマイスターのハンドメイドのものが3本、ミルクールの量産品が一本、西ドイツの80年代の量産品が一本、戦前のマルクノイキルヒェンのものが一本の6本が候補となりました。

まず最初に脱落したのがマイスターのハンドメイドのチェロ三本です。チェロ製作がとても難しいというのは作るだけでも、ものすごい労力がいるため音まではなかなか完成度が上がらないのです。それなら大量に作られたものの中から音が良いものを選んだ方が良いというのが現実です。かつては「マイスター作」というだけで売れたのですが今は音が良くないと売れません。

チェロは真剣に作ると時間がかかりすぎて貧困になってしまいますが、時間を短縮するためにちょっとした手抜きがあると全く売れもしないのですから困ったものです。戦後の楽器製作ではモダン楽器のノウハウが失われたというのもあると思います。私が再三指摘してきたことです。


量産品の三本は甲乙つけがたいものでした。ミルクールのものは金属的で鋭い音があります。ただし、今回のお客さんはあまり金属的な嫌な音は出ていませんでした。そのため十分使えるなという印象を受けました。ミルクールの中でも中級品くらいは十分あるでしょう。決してひどい安物ではありません。日本で買ったら300万円台では買えないかもしれません。

80年代のものはミッテンバルトのものですが、前に紹介したブーベンロイトのヴァイオリンと似たような感じのものです。板は薄めに作られて30年以上経っているのでとてもよく鳴ります。今回の中でも最も元気の良いものです。

最後のマルクノイキルヒェンのものは木材などは上等なものでわざとらしいイミテーションもなく黄金色の雰囲気の良いものです。私がフルレストアをしたもので板を薄くしました。

ミッテンバルトのものは現代の良いチェロという感じの音がします。この音ならハンドメイドの新作チェロでもめったにないと思います。板が薄いので低音から豊かな響きがあります。薄くても音が弱いことはなくかと言って高音でも鋭い音がするわけでもありません。とても優等生的に優れていると思います。もし古いものを知らなければ素晴らしい音です。他に新作しか店に無ければ抜群に良いと考えられるものです。

これに対してミルクールとマルクノイキルヒェンのものは憂いのある渋い枯れた音がします。ミルクールの方はバスバーを交換すればもうちょっと金属的な鋭さも和らぎ鈍さのある低音もシャキッとするでしょうが、売りに出している人がそんなことは理解していませんから残念なものです。
マルクノイキルヒェンのものは私が板を薄くし過ぎたかと後悔するほど低音が充実したもので高い方は控えめです。マルクノイキルヒェンの多くの楽器にあるような鋭い音ではなくだいぶマイルドです。しかし私が作るようなものに比べれば強さもあります。総合的には優秀なものだと思います。今回のお客さんは高音部でも豊かな音を出していましたのでネガティブな要素は目立っていません。

いずれにしても今回のお客さんはそれぞれの楽器の欠点があまり出ない様子でした。それだけに大いに悩んでいるようでした。


最終的にはミルクールのものは落選し、ミッテンバルトとマルクノイキルヒェンのものが選ばれました。
元気よく強い音がするのが80年代のもの、渋く枯れた音色で部屋いっぱいに音が響くのがマルクノイキルヒェンのものです。
私はフルレストアして理想的に改造したはずなのでマルクノイキルヒェンのものが良いと考えてしまいますが、実力は弾く人が決めます。どちらが選ばれるのでしょうか?


普通はハンドメイドの楽器のほうが格上だと考えられていますが、実際に音を出してみるとこんなものです。ミルクールも「フランスだから」なんてことも通用しません。私が改造したものももっと抜群に優れていて欲しいのものですがそこまでではありません。好き嫌いの範疇は超えられません。


あとは番外でドイツの戦前のハンドメイドの楽器も弾きました。音ははるかに柔らかく豊かで芳醇な音がします。低音にも豊かさや深みがあります。300万円を超えてしまうので予算オーバーです。ただそれが格上の楽器だからそうなのかと言えば、私が修理したのでわかっていますが、表板の材質がものすごい柔らかい物でした。表板を開けた後、放っておけば勝手に歪んできてしまうようなふにゃふにゃのものでした。作りが良いとか作者の狙いだとかというよりも、材質がふにゃふにゃなので柔らかく豊かな音となって、低音も出やすくなったのでしょう。たまたまじゃないかと思いますね。
新しいうちは音はずっと弱かったかもしれません。柔らかな豊かな音に強さが加わったのでしょうね。

このあたりは弾いてみないと全く分からない要素です。

私が作っても柔らかいだけで物足りないものか、新品みたいな音になるかどっちかでしょうね。何十年も弾けばミッテンバルトの様になるでしょうけども。

板を薄くしたマルクノイキルヒェンのものはちょっと柔らかくなりすぎた感じはあります。しかしそれでも板が厚すぎる戦後のマイスターのものよりははるかにましです。

見習が作るヴァイオリン

前から話しておりますがうちの職人の見習いがヴァイオリンを作らなくてはいけない課題があって、初めから相談を受けたのですが、個人的な思い入れの強い楽器を作るよりも客観的なものをぜひ作ってもらいたいと思いました。

我々職人では、客観的に俯瞰して物事を見れる人が本当に少ないのです。

皆さんも熱心な方ほど職人と同じで細かい所に意識が行き過ぎてどうでもいいことばかり考えているのです。何も知らないほうがましだと警告しています。

プロフェッショナルとして「分かっている」というのは客観視できることが大事だと思います。それが分かっていれば見習の職人はプロとして認められるのです。

修行の初めの段階は何もかも分かっていません。0.1㎜単位で指定された寸法に加工するので悪戦苦闘です。なぜその寸法になったのかなんてわからないですがそれだけで一生懸命です。教えている師匠の方も実は自分の師匠からそう教わっただけで意味は分かっていません。

だから細かいことが分かっているだけでは不十分なのです。


普通は現代ではポスターや本に出ているストラディバリの写真などを元に型を起こしてストラディバリを作った気になっているのですが、怪しいものです。
もっと前の世代では上質な印刷物は無く、工房ごとに代々伝わるストラディバリモデルがあったり、師匠が自分でデザインしたモデルがあったりしました。このため同じ流派の楽器はすぐにわかったのでした。流派ごとのストラディバリモデルというわけです。
私にはどの流派のストラディバリモデルかが重要なのですが、文献などでモダンの作者について書いてあるのは「クレモナの巨匠(ストラディバリのこと)をお手本にした・・・」と書いてあります。まあモダン楽器はたいがいみんなそうなんですよ。
でも楽器を買おうかと考えている人は作者の名前を本で調べてそう書いてあると、「ストラディバリをお手本にしたんだな」と思って安心して買うということはあるでしょう。他の作者のところは読まないので。

今なら写真を元に型を起こすわけですが、ストラディバリで型を起こすと摩耗が激しくて原形がよくわかりません。私なら想像で復元しますが、見習の職人には無理です。メシアと呼ばれる1716年のものに限れば新品同様の姿をしています。しかしこれがそんなに完璧では無いのです。今となっては別に大したものには見えません。ストラディバリが美しく迫力を持って見えるのは古くなって風格が増しているからです。アンティーク塗装にしないと無理なんです。

ストラディバリはアドリブに満ちていてフリーハンドでちょちょっと作っているのですごいのですけども、完璧さという点ではそうでもないのです。
それで代わりにフランスのストラディバリモデルを薦めました。二コラ・リュポーやヴィヨームなどが代表的ですが、いろいろ写真を見て本人がリュポーを気に入った様なのでそれで作ることにしました。

イタリアのモダンの作者でも見事なものはあります。しかしこちらでは職人の間でも誰も興味がありません。オールドは注目されますが、モダンはさっぱりです。プロとして認められるためには誰も興味が無いのでは意味がありません。
イタリアのモダンの作者も完成度が高い人ほどフランスの影響を受けていますからフランスのもので良いでしょう。

私としては、形をフランスのものにするだけでなくモダン楽器の基礎を理解してもらいたいと考えていました。それは音響的な部分です。

フランスの楽器のようなものを見事に作ればよほど狭い世界の住人でなければ、見習にしては良い楽器だと認められるでしょう。客観的な経験を積んだ職人ならみな分かるのです。

モダンヴァイオリンが一世を風靡したわけ


モダンヴァイオリンは1900年ごろにフランスで成立してそれまで欧州各地に伝わっていたオールドの伝統はすべて断ち切られ、フランス風のモダンヴァイオリンが導入されました。今日では「ヴァイオリン」というものはフランス風のヴァイオリンのことです。職人も演奏者もそれがフランス風のものだと知らずに手に触れているわけです。

なぜそこまでフランス風のヴァイオリンが普及したかと言えば、時代の変化に対応したからです。

耳にタコができるほど聞かされている話でしょうが、フランス革命によって音楽が王侯貴族の私的なものから、広く大衆に開かれたものに変わった。貴族の宮殿内で演奏されたいたものが、大きなコンサートホールで演奏されるようになったというものです。作曲の進化とも呼応しています。オーケストラの編成が大きくなり優美で貴族的なものから、壮大なスケールの大きなものに変わりました。

それに伴い楽器も改良がなされました。鍵盤楽器ではチェンバロからピアノに進化したのです。同じことがヴァイオリンの世界でも求められたのは当然です。

モダンヴァイオリンでは広いホールで響き渡る音量が求められ改良されました。オールド楽器の中で特定もの、つまりストラディバリが最高のヴァイオリンと考えられ、その特徴をさらに発展させたのです。

同時に演奏技術も変わっていきました。このためロマン派以降の演奏法を勉強するにはモダンヴァイオリンが必要なのです。

このような大きな時代の流れを認めないわけにはいきません。これがあくまでメインストリームなのです。


今日ではこんな基本的なことも忘れられています。皆さん理解しているでしょうか?

モダンヴァイオリンの仕組み

モダン楽器も時代によって変化しています。バロック時代とは求められるものが変わったのは間違いありません。

初期のモダンヴァイオリンはとても斜めにネックが取り付けられました。ネックの長さもバロック時代にはバラバラだったのが長めのものに統一されました。
弦の張力増大に伴ってバスバーは大型化され駒は柔軟性を持ったものになりました。
フランスでは1900年代に入ってもこのタイプのものが作られていました。ドイツの大量生産は1800年代の終わりころから始まりますが、すでに現代と同じネックになっていました。根元を高くすることで角度は水平に近づきました。そのためバロックと角度自体はあまり変わりません。しかしバロックヴァイオリンでは指板が胴体の方に近づくほど分厚くなっていく仕組みでロマン派時代の演奏には対応できないものです。あご当ても使用されるようになりました。
20世紀になるとスチール弦やガットに金属を巻いた巻玄が作られました。現在では化学繊維で作られた弦が一般的です。肩当も使用されるようになりました。

フランスのモダンヴァイオリンでは一般に
①幅の広いモデル
②平らなアーチ
➂薄い板厚
が大きな特徴です。
幅の広いモデルは当然ストラディバリを元にしたものですが、オールドの多くの楽器は幅の狭いモデルで、アマティも小型のモデルがありそれを受け継いだ作者も多くありました。また見よう見まねで設計すると自然と幅が狭くなってしまうものです。形や寸法が定められていなかったオールドの時代には幅の狭いものが多かったのです。

アーチはぷっくりと膨らんでいるのがオールド楽器の特徴でもともとそうやって作るのが普通だと考えられていたようです。

薄い板厚についてはオールドの時代から変わらないかオールドのほうがもっと薄かったとも言えます。
フランスのモダン楽器はより効果的に強度が必要な部分だけを厚くしそれ以外をごっそりと薄くするものでした。フランス以外のモダン楽器でも優れたものを調べていくと多くがこのようになっています。

逆に言ってしまえば、幅の広いモデルでアーチが平らで板が薄ければとりあえず優れた楽器ができるというわけです。何も難しいことはありません。名工による最高傑作である必要もないのです。

こんな事も現代の職人は勉強不足で知りません。忘れられています。私のブログ以外で教わることはないでしょう。理解している人がいないのです。

モダン楽器の音


直接演奏家を相手に仕事をしていれば優れたモダン楽器が実用品として重宝されている現実を目の当たりにします。これが楽器店に卸すばかりでお客さんと接触がなければわからないことです。接触していてもわからない人は多いですが…。
それは客観的に物事を理解できないのです。

学生さんならはじめは大量生産品から初めて本格的な楽器にステップアップをします。その時ロマン派以降の演奏技術を勉強するためにはもっと優れた楽器が必要になります。これを見つけるのは簡単ではありません。

よくある過ちは、名前や値段につられて楽器を買ってしまうものです。高い楽器を買ったのに全く使い物にならないケースがよくあります。さらによくあるのはいわゆる偽物です。本当に多いです。
ニセモノだから音が悪いというわけではありません、ニセモノのほうが音が良いかもしれませんがバカ高い買い物です。

試奏して音が良い楽器を選ばないといけませんが、これは大変なものです。3/4のサイズからいきなり何百万円もするような楽器を選ぶのは無理です。どれを弾いてもスケールが大きな感じがするでしょう。選ぶのは酷です。
しかしかと言って全く楽器が無ければ練習もできなければレッスンも受けられません。とりあえず何か実用的なものが必要なのです。

この時に上等なモダン楽器を見分けることができればお客さんのニーズに応えることができます。我々はそのようなものを知らないといけないのです。
このような客観的な事実を理解できる人がプロとして生き残っていけるでしょう。時代が変わっているのですから師匠の言っていたウンチクなんて忘れられるかです。

プロの演奏家でも同じです。芸術を追求すればするほどお金とは縁が無くなっていくでしょう。やはり安くて音が良い楽器が求められています。
演奏者が音の良い楽器を聞き分けられるのならずっと少ない予算でも良い楽器を見つけられる事でしょう。作者不明の何の変哲もない、木材も低ランクのモダン楽器を使っているプロの人はちょくちょくいます。1000万円するものと100万円もしないものを両方持っていて仕事では100万円もしないものを使っていたりするものです。メンテナンスの時に指板のすり減り方を見ればどちらを愛用しているかわかります。


さて見習のヴァイオリン製作も弦を張って演奏できるようにするまでが課題です。ニスは含まれず白木のままです。

私は必ずニスを塗ってから弦を張るので白木で弦を張ったことはありません。どんな変化があるかは興味深いですがとりあえず音が出せるようになりました。

見習の楽器は幅の広いモデルで、アーチは平ら、板は薄くなっています。私がフランスのモダン楽器のおおよその寸法を指定して作らせました。しかし実際にはその寸法を下回って薄くなってしまいました。私は寸法を決めると正確に加工してしまいます。しかし薄すぎるほうが音では楽しみです。失敗を恐れて厚すぎると得てして音が良くないのは経験済みです。後でとても後悔します。
いっぽう大胆な作風の人の楽器が音が良いのは何となく経験があります。だから決められた寸法を下回っても私は怒ることもせず「板を薄くする天然の才能があるな」と感心したものです。

白木の楽器を弾いてみると本当に見事な音でした。とても見習の職人のレベルではありません。本当に上等なモダン楽器の様に分厚くて太いスケールの大きな音がします。この楽器ならロマン派の演奏法を学ぶにはもってこいです。細かい所ではニスが塗ってないので不自然なところもありますが、堂々たるものです。分厚い低音はもちろんあります。さらにほかの音もバランスが良く力強さもありながら耳障りな鋭さは感じません。とても優等生な楽器だと思います。
本人もこんなもので練習していればもっとうまくなったのではないかというものです。

取りあえずレッスンを受けるのにヴァイオリンが必要という学生さんにはぜひお薦めしたいものです。私の作るものよりもお薦めです。

作った本人は私が言うようにしただけで意味は分かっていませんでした。こうなることを考えて作り方を教えていたことを話すと驚いていました。


更に他の職人に見せると「素晴らしい」と見た目も絶賛してもらいました。私の狙い通りでフランスの一流の職人のものを目標にすればそれから何段階か落ちてもまだ上等なものです。見習としては驚くほど美しいものです、これ以上完璧なら自分で作っていないんじゃないかと疑われるでしょう。

美しく見えるコツも伝授しました。

大事なのは客観性

うちの見習の子も特別才能があるとは思いません。しかし幸運にも多少は客観性を持った人に教わったからです。職人は思い込みが激しい人が多いですから、変な人に当たると大変です。

私はこのブログを通して言いたいことは、音は理屈じゃないということです。

その偏見をなくすために幅広い知識をお伝えしています。こんないろいろな楽器があるけども音は弾いてみないとわからないよというブログです。

知識というのは偏見をなくして頭を空っぽにするために使ってください。どうかご理解ください。

<追記>
見習の作ったヴァイオリンを音大卒のヴァイオリン奏者の方に試してもらいました。古いヴァイオリンのようだとおっしゃったそうです。現代のヴァイオリンもよく知っていて音が全然違うので驚いたそうです。楽しんでずっと弾いていたそうです。
ヴァイオリンとして文句なく「機能する」とのことです。

プロとしてヴァイオリンを作る場合は自己満足では無くて道具としてちゃんと機能することが大事です。4弦はバランスよく癖もなく、そのうえで音に暖かみも柔らかさもあって心地よさまであるのです。
完成したら日本に持って行けると良いですね。