ドイツとオランダのオールドヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

この前紹介したオランダのオールドヴァイオリンの修理が完了しました。

アムステルダムでヘンドリック・ヤコブスの作品として1692年に作られたものです。実際には弟子のピーター・ロムボウツが作ったのかもしれません。いずれにしてもヘンドリック・ヤコブスの本物と言えます。

私も白黒写真でしか見たことがありませんでした。決して暗い色の地肌ではありません。もちろん新品の無着色に比べればずっと暗い色です。モデルはアマティ型です。

コーナーも長くはありませんが細くアマティ的です。パフリングは例の「クジラのひげ」です。

f字孔はややシュタイナー的になっているようにも見えます。資料を見ると同時代のオランダのヴァイオリンでももっとアマティ的なものがあります。これがシュタイナーの影響なのか、自然発生的なものなのかわかりません。シュタイナーもアマティのような楽器を作ろうとして独自の癖が加わったものです。
ヤコブスももう少し古い時期のもののほうがアマティっぽいf字孔でコーナーも長くなっています。そのあたりの変化がロムボウツが作ったのではないかという所以でしょう。

アーチはオールド楽器らしく高めではありますがこの前のフランスのモダン楽器のクサンのように高くはありません。オールドっぽさを強調するために高くし過ぎたのかもしれません。
アマティもそうですがアーチはそれほど高くないものが多くあります。驚くのは1600年代の楽器なのに陥没が起きていません。これはアマティの時もトーマス・スミスのオールドチェロでもそうでした。

裏板も同様ですがドイツ的なものとは全く違います。中央が高くなっています。

アーチの横の断面は三角に近いものです。

ネックは渦巻きのところだけがオリジナルでペグボックスから下は後の時代に付け足されたものです。
アマティともドイツのものとも違う独特なものです。




オランダやフランドルについては名だたる芸術家を輩出していますし、機会があったら勉強してみたいものです。
イタリア出身のヴァイオリン奏者、ピエトロ・アントニオ・ロカテッリもアムステルダムで生涯を終えています。ロカテッリと言えばヴァイオリン系のバロックファンには有名ですが・・。

板の厚みと寸法



横幅はとても広く取られています、ストラディバリと同じくらいです。

板の厚みはとりあえず「薄い」です。オールド楽器ではいつものことです。裏板も2mm以下のところがかなりあります。中央は厚みがあることが変形を防いできたのでしょうか?
裏板は魂柱のところに割れがあるので過去の修理によって板が貼り合わせてあります。

ドイツのオールドヴァイオリン


これはオールドヴァイオリンであることは間違いありません。基本的にはシュタイナー型と言われるドイツの楽器ですが一つ一つをよく見ると個性があります。

モダン楽器とは全く違いますが、仕事は丁寧で繊細さがあります。当時としてもすごい安物ではなく上等な方だったはずです。

おそらくこれはマルクノイキルヒェン派の1700年代中頃のものでしょう。
文献で調べるとノイキルヒェンのヨハン・ゴットフリード・ハムのものによく似ています。裏板の下に二つの黒い木釘が打ち込まれていますがこれもそっくりです。
色はこれも黄金色をしています。古くなればなんでも黄金色になり、クレモナの特権ではありません。オリジナルのニスは残っておらず周辺のオレンジ色のところも後の時代に塗られたものでしょう。

おそらくスクロールはオリジナルではありません。ハムのスクロールにははっきりした特徴があるだけにこれで判別が難しくなりました。
スクロールがオリジナルでないことで価値もガタ落ちです。
ハムのヴァイオリンは40~150万円ほどです。
私は鑑定士ではないので似ているなと思っているだけで何の効力もありません。

作者不明のマルクノイキルヒェン派のオールドヴァイオリンでは完品でも100万円が限界でしょう。スクロールもオリジナルでないため尚更です。今回はフルレストアは避けました。


マルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンの値段は大概25万円から120万円くらいです。これはこの世のヴァイオリンの相場と同じです。ヴァイオリンというものは普通それくらいの値段がするものです。つまり全くプレミアがありません。
マルクノイキルヒェンは1860年頃から近代的な大量生産が始まると驚くべき数の弦楽器が作られました。町中が地場産業として組織化されアメリカにも店舗を持つなど近代産業でした。
安価な楽器を作るため様々な手抜きの手法が行われました。
このためマルクノイキルヒェンのヴァイオリンは安物というイメージがついてしまいました。しかし一流の職人によるモダン楽器は見事なもので、オールド楽器も1600年代から伝統があります。バッハの仕事仲間の音楽家もこのような楽器を使っていたかもしれません。

アーチにはドイツ系の特徴がはっきりあります。アーチは高いだけでなく指板やテールピースが接触しそうになっています。台地のように上が平らになっています。

台地状になっていて周囲が崖のようになっています。

イギリスのトーマス・スミスのチェロもこのような感じでした。

気になる音は


まずはヤコブスから。
これは言葉で表現するのがとてもむずかしいです。いつも難しいので大雑把な傾向として明るい音だの暗い音だの、鋭い音だの柔らかい音だの言っています。しかし実際には自分で体験しないとわかりません。
それにしても何とも言いようがありません。
それでも何かを言うなら乾いた明るい音と言えるでしょう。
私は板の厚さが薄いと暗い音になるという話をしてきました。この楽器は明るい音がします。
私がこれまで言ってきたことは嘘ですね。いよいよ何一つ法則性が語れなくなってしまいました。

そう思ってみると全く深みのある音がしないわけではありません。しかし響きが豊かであるために暗い音が前面には出てきません。ベースは暗い音なのでしょうが豊かな響きが加わって明るくなっています。このようなものは「オールド楽器の中の明るい音」と言えると思います。
新作楽器の明るさとは意味が違うようです。
このオランダの楽器はアマティよりも明るい音で、反応がよく音が外に外に出てこようとします。軽く音が出てきます。力まかせに音を出すようなものではありません。

例えば一流の演奏者がストラディバリやデルジェス、ベルゴンツィやグァダニーニといったそうそうたる楽器を弾いた中でストラディバリが明るい音がして一番良かったということがあるとします。だからと言って新作楽器の明るい音とは全く意味が違います。それは単に言葉が同じというだけです。明るい音が良い音と独り歩きすると意味が全く違ってきます。

ものすごく薄い板の楽器なのに、響きが加わって明るい音になっているようです。厚い板で明るい音がするのとは違います。板が厚いものは低音が出ないだけのもので、もっと単調な音です。低音もあるのにそれ以上に明るい響きが加わっているようです。

私のストラディバリやニコラ・リュポーのコピーでは板が薄いのにそこまで暗い音にはなりません。響きが加わります。薄い板なのに明るい響きもある楽器と言えるでしょう。数百年後はかなり良い線を行くんではないでしょうか?

このような感じ方は私個人のものです。したがって弾いた人や聞いた人によって全く違うことを考えるでしょう。


900万円くらいの値段なら他のものとは全く違う音という点で面白い楽器です。ホールなどでどんな鳴り方をするかは未知数です。ただものすごく柔らかい音がするわけではありません。響きの豊かさに包まれて鋭さは目立ちませんがものすごく柔らかくはありません。


次はドイツのものです。
こちらははっきりとした暗い音のものです。いかにもオールド楽器らしい渋い味のある音で、やや細めの音でしょう。これもけっして悪くはありません。ただヤコブスとは全く音が違います。外に外に音が出てくる感じではなく、引き締まったような綺麗な音です。柔らかさもありクリアーで澄んだ美しさもあります。
滑らかできれいな音はモダン以降の楽器では珍しいものです。
100万円以下のヴァイオリンでこのようなものは珍しいでしょう。
「室内楽的な」という性格が出ているとは思いますが、単に音量が無いとか音が細いとかではなくて、本当に音色に魅力のあるものだと思います。
やかましいものは他にもたくさんありますからこの価格帯では貴重なものです。
見た目も繊細で音も見た目通りです。

言葉にできない


ヤコブスはとても言葉では表せない独特の音のヴァイオリンでした。
これからも注目していきたいです。

良い意味での「明るい音」というのが体験できました。同時に言葉が独り歩きする怖さも感じました。

アマティよりも明るい音の楽器がオランダで作られたというのも面白いですね。

マルクノイキルヒェン派(フォクトランド)のヴァイオリンでも以前紹介したホプフになればもうちょっとアーチもフラットで室内楽には限定されない楽器もあり得ます。いずれも音は柔らかくモダン以降の楽器ではめったにない物でした。キャラクターの違いははっきりとあります。

オールド楽器とモダン楽器のどちらが優れているかは私は言えません。「やっぱりオールド楽器は良い」と思っていても、教科書通りのモダン楽器がスケールの大きなダイナミックな演奏を可能にすることを目の当たりにすればすぐに考えは変わってしまいます。
そんなに値段の高くないものを多くの中高生には使ってもらいたいです。良質なモダン楽器やそれと同様に作られた新作楽器ではダイナミックでスケールの大きな演奏を身につけることができるでしょう。そのような楽器がちゃんと弾けるようになってから楽器探しをすると、実力のない楽器を選ぶことはないでしょう。それを超える楽器はそう簡単に表れません。これが安価な量産品から急に500万円~1000万円のモダン楽器を買おうとすれば量産楽器と変わらないものが弾きやすいはずです。値上がりなどもあるでしょうが若い大事な時期を実力を伴わない楽器で過ごすのはもったいないです。

明るい音や暗い音というのも好みの問題で、今回のような「オールドの明るい音」は響きに厚みがあり音色は多彩で良いと思います。それが最高だと思っていると「ビオラのような」暗い音の楽器も低音を弾いた時には快感でこっちが最高だと思ってしまいます。私は自分で楽器を買う立場にないので無責任なものですが、販売する側としては異なる魅力を持ったものを店頭に置くことが重要だと思います。

すべてを併せ持つものは無いというのがアコースティックの世界です。