音や楽器の柔らかさと硬さ | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

訂正というか補足です。
前回オランダのオールドヴィオリンを紹介しましたが、作者名をピエタ―・ロムボウツと書きました。ラベルにはフレデリック・ヤコブスとなっています。ヤコブスは師匠で楽器はヤコブスの工房のものです。作ったのが弟子のロムボウツではないかという事でした。型はアマティのものなのにf字孔はシュタイナー型です。
メーカー名としてはフレデリック・ヤコブスで間違いではありません。実際に作ったのはロムボウツではないかという鑑定士の意見でした。


先日はこんなことがありました。一般的なイメージとしてオールド楽器は柔らかい音、現代の楽器は硬い音というイメージを持っています。
おそらく東ドイツのものと思われる高いアーチのオールドのスタイルで作られたヴァイオリンを修理しました。時代は1800年代でしょうが作風がフランスのモダンヴァイオリンの影響を受けていないものです。
オールドの時代にも安価な楽器は作られまさにそんな感じのものでした。

修理が終わって弾いてみると近代的な戦前の量産の品のような鋭い感じの音がしました。オールド楽器特有の柔らかい音ではないと思いましたが、しばらく弾いているとボリューム豊かに鳴り始めました。音の鋭さで強い音に感じるのではなく柔らかく音が出るようになったのです。

楽器の音色自体は耳障りな鋭い音であっても、楽器には懐の深さがあり柔らかな豊かな音が出てきたのです。

このように柔らかいとか硬いというのは一つの要因ではないように思います。非常に複雑なものでそれを人間が文学として「柔らかい」という言葉を使っているのだと思います。科学的なものではなく文学としての表現という面もあるのではないでしょうか。

不快な耳障りな音

普段からたくさんの弦楽器の音を聞いていると中にとても不快な音のものがあります。
よく「耳障りな鋭い音」という書き方をしていますが生理的に受け付けない耳障りな音の楽器があります。

黒板をひっかいた時のような背筋がブルブルするほど不快な音があります。考えられるのは特定の周波数の音が強く出ているからでしょう。人間が不快に感じるのは高い音で2000~5000ヘルツくらいの音だと言われています。

本来弦楽器というのはこの音域の音が強く出る楽器で表板の材料のスプルースもそのような特性を持った材料だと思います。オーディオ用のインシュレーターとして様々な木材でテストするとスプルースには高音を耳障りにする不快な音が強く出る特性があるのだわかります。

弦楽器は耳障りな不快な音がするのが当たり前でこれが少なめであれば上質な音に感じるのではないでしょうか?

実感として鋭い音のヴァイオリンやチェロは割合としては多く決して珍しいものではありません。安価なものにも多いです。とても柔らかい滑らかな音がするもののほうが珍しい印象があります。

ただしこれには個人差がかなりあるように思います。同じ音でもとても不快に感じる人もいれば特に気にならない人もいるようです。

クッションの柔らかさ

それに対して特に弓で感じる硬さや柔らかさもあるでしょう。弓自体には硬い弓と柔らかい弓があり弾いた時に感触の違いが分かると思います。楽器もあるものは弓の毛がじわっと沈み込むような柔らかさがあり、あるものはちょっと弓の毛が触れただけでギャーと音が出るものがあります。
ギャーと嫌な音がするのはさっきの話で、嫌な音でなければ発音が良いと評価されることもあるでしょう。特にチェロなどでは好ましい特性と考えられます。

楽器自体にも柔軟性があります。表板もものによっては柔らかいものと硬いものがあり、低音側はバスバーで支えられているだけで裏板とのつっかえ棒はありません。裏板は魂柱をつっかえ棒として駒を支えていますが、裏板も柔軟性が違います。

このような構造が駒にクッション性を与えています。魂柱の位置も駒から離していくとクッション性が増していきます。弦の張りの強さももちろんあります。駒から離れるほど柔らかくもなります。

駒だけでなく楽器全体の剛性も感触として感じるでしょう。弓に伝わる感覚だけでなく音にも大きな影響があると思います。

楽器の柔軟性が増すには板の厚みが重要です。板が厚いと楽器自体の剛性が高くなり、薄いと低くなります。
また古い木材も剛性が落ちて柔らかくなっていきます。
「オールド楽器が柔らかい」というのはこの部分でしょう。板が薄いものが多いのと木材がふにゃふにゃに柔らかくなっています。

さっきの東ドイツのヴァイオリンでは音自体は鋭いのに構造としての柔らかさがありました。
このような例はモダン楽器にはよく見らます。フランスのモダン楽器は薄く作られていて胴体の剛性としては柔らかいはずですが、必ずしも音色は柔らかいとは限りません。むしろとても鋭いものがよくあります。
イタリアなどのオールドヴァイオリンは音自体も柔らかいし、構造としても柔らかいイメージがあります。格別に柔らかいのです。

構造の柔らかさは板の厚みのように測定したり、表板を持ってみれば柔らかさが手の感触で分かります。しかし音自体の鋭さは弾いてみないとわかりません。弦楽器というのは鋭い音がするのが普通で、柔らかい音がするのは特別なものだと私は思います。なぜそのような違いが生まれるか理由は分かりません。

人による好み

生理的に感じる耳障りな音も個人差があるようです。

それ以上に弓を扱って音を出す作業にも好みがあるのが当然だと思います。弓に伝わる感触が柔らかめが良いという人もいれば硬めが良いという人もいるはずです。

魂柱を駒に近づければダイレクトな音になり、離していけばクッションを挟んだような音の出方になります。

ふにゃふにゃのオールド楽器を初心者が弾いてもうまく音が出ないということもあります。そのような楽器は初心者の手に負えないものです。
ちょうど楽器のランクもそれに合っていて、安価な量産楽器では硬くダイレクトなもので、現代のハンドメイドの楽器もまだまだ硬いものです。
モダン楽器になると硬いものと柔らかいものがあってオールドになるとふにゃふにゃです。

初心者が量産楽器から新作のハンドメイドの楽器に買い替えるのも初心者用からランクアップするときにちょうど適度なものなのです。腕前がそれ以上にならなければそれが最適な楽器という事にもなります。

それ以上力のある演奏者では物足りなくなるでしょう。モダン楽器やオールド楽器の世界に足を踏み入れていくわけです。このため現代の職人を巨匠だの名工だのもてはやすのには違和感があります。

モダン楽器は硬いものと柔らかいものがあってものによって違います。現代の硬い楽器と変わらないようなものもあるし、オールド楽器に近い柔らかいものもあります。

現代の楽器でも私の作るもののように柔らかい構造のものもできます。考え方の問題です。

大きな傾向としては初心者向きなのが硬い楽器、上級者向きなのが柔らかい楽器という事にもなります。ほとんどの人は中級者以下ですから実際に弾いてみてしっくりくる楽器を選ばないといけません。こうなると意見はかなり分かれるでしょう。教師やオーケストラ奏者では好みは様々です。我々は楽器店としていろいろなものを在庫として用意しないといけません。

楽器屋で働いている者としては先生ごとの好みを理解しないといけません。逆に言えば、習っていると先生の言うことが絶対のように思えますが、別の先生なら言うことが全く違うということです。

外骨格の構造で小さな楽器ほど剛性が高くなります。ヴァイオリンでは柔らかすぎるという問題はあまりありません。一方チェロではサイズの割に板が薄いこともあってずっと柔らかい構造になります。板が薄い方が低音が出やすくなるため厚く丈夫に作ると低音楽器として機能しなくなります。柔らかすぎるチェロは手に負えないと感じる人が多いでしょう。

クッションの好み

弦楽器や弓にはこのようなクッション構造があります。ふつうエレキギターにはありません。

ベッドや枕、ソファー、靴の中底などでもクッションがあると好みというものがあると思います。ふかふかのものが良いという人もいれば硬めのほうが良いという人もいます。
うどんやラーメン、パスタの麺の硬さもこだわる人がいます。

私が未だに馴染まないのはヨーロッパの枕で羽毛のフカフカの枕です。ホテルなどに行けばあるかもしれませんが、柔らかすぎて頭の重さを支えることができません。日本人の私にしてみれば枕を使っている意味が無いです。
江戸時代にはかなり硬い枕を使っていたはずです。時代劇などでは見ます。そうでなくても子供のころはそば殻の枕を使っていました。子供は頭が大きいので枕は要らないと言えば要らないのですが、それで慣れてしまったのでフカフカの枕はどうにもならないです。
日本の枕を持って行きたいところですが、とんでもない荷物になるのでウレタンのようなスポンジ状のものを使っています。

一方よく言われるのは自動車です。
70年代くらいまでは高級外車といえばアメリカ車だったそうで、昭和の映画スターなどはキャデラックなどのアメリカの高級車を持っていたものです。今でも根強いファンがいます。
80年代からはドイツ車とりわけメルセデスベンツがお金持ちの象徴となりました。

昔のアメリカ車というのはサスペンションやシートなどのクッションがフカフカでフワフワしたような乗り心地だったと聞きます。我が家の国産車もそれを真似たのかフワフワのもので子供には車酔いしやすい物でした。今日日本車がアメリカに受け入れられているのはもともと、国土のサイズこそ違えどもアメリカ的なものを目指していたからでしょう。アメリカ人は日本車を「スムーズライド」と絶賛します。
ロールスロイスも昔はそんなもので専門の運転手じゃないと車を揺らさないで運転できないという特別なものだったそうです。

それに対してドイツ車やスウェーデン車といえばゴツゴツとした乗り心地で車体も頑丈に作られてゴトゴトするものでした。初めてサーブというスウェーデンの車に乗せてもらった時は驚きました。こちらに来てBMWに乗ってもそんな感じがしました。アウディも古いものだとドイツ車らしいもので、最近のものは角が丸くなったような当たりの柔らかさを感じます。

ただ単にクッションを硬くすればバタバタと騒々しい車になってしまいます。ゴトゴトするけどバタバタしないのが高級車たる所以で長年の蓄積の賜物でしょう。

それに対してヨーロッパでもフランス車は快適さを重視したもので柔らかいものだそうです。ドイツでも東ドイツは舗装状態が悪く、東西統一後はごく最近になるまでフランス車のほうが適していたという話も聞いたことがあります。

最近はグローバル化で違いが無くなってきているようです。はっきりした違いがあると自分の好みのものを選ぶことができます。日本人なら中立で好きなものを選べるメリットがあります。一方メルセデスベンツなどはあまりに日本でたくさん売れるので日本向けの製品は柔らかい乗り心地にしているそうです。外見がベンツであれば中身は日本車と同じで良いという消費者も多いのでしょう。


弦楽器の世界でももう少しこのようなことが語られるようになると良いなと思います。現状では「値段が高い=良い楽器」としか語られていません。

そうでは無くて良い楽器というのは人によって違うということです。特に意見が分かれるのが教師です。習う人によって考え方が違うのです。ビオラなどはいろいろな考え方があります。

教師の方には楽器によってそういう違いがあることを知ってもらいたいです。自分が使ったことのないタイプの道具もあるのです。私もカンナの道具の研究に何年も費やしましたし、砥石も研究しました。師匠は教えてくれなかったことでもさらに自分で取り組んでいくと無視してはいけなかったと気づくものです。

高級車にはメーカーによって哲学があります。職人も異なるアプローチで高級感を追求していくべきです。また高級車よりもレースカーやトラックのような実用性のほうが大事だとも考えられます。音楽を生み出す道具として高級感なんていらないとも考えられます。

私は単なる道具というよりは古代ギリシアから続くヨーロッパの伝統的な美意識が大事だと思います。

クッションは様々な部分にある


弦楽器の何に興味を持つかということがあります。多くの人は値段や製造国名、作者の名前を気にするでしょう。私は柔軟性や弾力を気にします。

例えば駒の形は駒の柔軟性に関わっています。モダンヴァイオリンの駒はバロックのものに比べて柔軟な構造になっています。魂柱の位置やきつさも剛性に関係してきます。板の厚みやアーチの構造、輪郭の形との組み合わせも剛性に影響します。

簡易的なバロックヴァイオリンとしてモダンのバスバーのついた硬い構造の量産楽器にバロック駒を付けガット弦を張るととてもひどい耳障りな音になります。オールド楽器で小さなバスバーに戻してバロック駒を付けるとしっくりきます。

組み合わせが大事なのだと思います。
音が良い楽器を作るためには、何かがどうなっているほど音が良いというのではなくて、奇跡的な結果が生まれる組み合わせを見つけないといけません。
私が見つけた面白い組み合わせは、真っ平らなアーチのニコラ・リュポーのスタイルだったり、逆にぷっくりと膨らんだピエトロ・グァルネリのスタイルでした。全く違うものが両方音が良いということがあり得るのです。どこに正解があるかは全く分かりません。この時、柔軟性や剛性がうまくバランスすることが大事なのだと思います。高いアーチのほうがこれを間違えると失敗しやすいでしょう。

しかし現代では正解と信じられているものがマニュアル化されています。マニュアルを経典のように信じる人が「偉い師匠」となってマニュアルから逸脱するものを試作することさえ許されないのです。その結果硬い新作楽器ばかりになるのです。

薄い板と厚い板


新作楽器では木材がまだまだしっかりしているのでどうしても硬くなります。さらに厚めの板厚で作ることが多いためもっと硬い構造になります。硬い構造の楽器でまだまだ鳴っていいない新作で「音量感」を得ようと思うと音が鋭い物の方が強く感じます。キンキンカチカチの現代の楽器の音です。初心者向きのものです。この方向では数十年経って鳴るようになってくるともっと鋭い音になっていきます。

現代の楽器の中では突出していたように思えても、モダン楽器やオールド楽器と比べると全く違う世界のものであることに気づくでしょう。
そのようなものも新品のうちは意外と地味な渋い音だったのかもしれません。

まっ平らなアーチで幅の広いモデル、板が薄ければ一番柔軟なものができるでしょう。十分な柔軟性が確保できれば、それにちょっとアクセントを加えても良いんじゃないかと思います。高いアーチなどもその一つです。


イメージとして薄い板の楽器はペラペラのもので安物と思うかもしれません。一般的に工業製品はそうです。しかし私は厚めの楽器の音のほうが薄っぺらに感じます。まだ私がヴァイオリン製作を学んで2年目くらいのころです。いろいろな現代の作者の楽器の音を聞いて感じました。先輩方に見事に作られた現代の楽器でうすぺっらい音に感じました。それはなぜだろうかと当時は疑問に思いました。もっと厚くすべきなのかとも考えました。

今ならわかります。厚い板のものは表面的な鳴り方でクッションや深みを感じないからでしょう。柔軟性が無いためにムチのような「しなり」が無いのです。スポーツなら野球やゴルフ、テニスなどで強い打球を打つためには全身がムチの様にしなってボールに打撃を与える必要があります。それ以外のスポーツでも全身をバネのように使います。
これは本当に微妙なもので柔軟性が高いほど良いという単純なものではないでしょう。

弦楽器はバネの集合体とも言えると思います。
演奏者も含めて、すべてがうまくはまったときに奇跡的な音が生まれるのかもしれません。