いくつかのヴァイオリンを鑑定に出したお話 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

今回はいくつかのヴァイオリンを鑑定士に見てもらったのでその話です。
20年も職人をやっていれば多少は分かるようになるものです。

1.パオロ・アントニオ・テストーレのラベルの付いたヴァイオリン
今回お客さんから価値を教えて欲しいと依頼を受けていたのはパオロ・アントニオ・テストーレのラベルの付いたヴァイオリンでした。スクロールは個性的で渦巻の部分だけを残してペグボックスから下をすべて新しい木材で作りなおす修理がほどこされています。表板はミディアムアーチで周辺のチャネリングの溝は大きく深く彫られています。裏板はパフリングが入っておらず、2本線を先のとがったものでひっかいてあるだけです。これらの特徴はテストーレ家のヴァイオリンに見られるもので間違ってはいません。

しかし私は見た瞬間に「違う」と思いました。
パオロ・アントニオはテストーレ家の中でも珍しいのか本に写真の資料がほとんど出ていません。ガルネリモデルで作られたともあります。ランドルフィにも尖ったf字孔のものがあります。
確実に比較できる資料もありませんが、印象としてオールドのイタリアの楽器の感じがしませんし、古さを感じません。しばらく前にグランチーノがありましたが全く印象が違います。
他のテストーレの楽器にはアマティに共通する基礎が見られますがこの楽器には見られません。

鑑定結果はやはり私の考えと同じでした。
問題はテストーレじゃないとすれば作者は誰なのかということです。時代が新しいということは私もわかっていましたが鑑定士によれば1900年頃のドイツのものだそうです。しかしザクセンなどの大量生産品で無いことは私にはすぐにわかります。テストーレに似せて作られたものです。残念ながらテストーレのラベルがついているために誰がテストーレに似せて作ったのかわかりません。テストーレなら1000万円以上することも少なくありませんが、作者不明で特別美しくもないこの楽器は100万円もしないでしょう。いくらで買ったかは知りませんが1000万円以上すると思っていたのが100万円もしないとなればショックは大きいでしょう。

ザクセンの量産品ならわざわざ鑑定士に見てもらう必要はありません。これも明らかにオールド楽器ではありませんが、はっきり結果が出たほうが依頼主も良いでしょう。

音については直接的でオールド楽器のような柔らかさや深みがありません。いかにも新しい時代の楽器の音です。

2.ジオフレッド・カッパのラベルの付いたヴァイオリン
これはヴァイオリン教授のコレクションです。
カッパはトリノの職人でアマティ型のヴァイオリンを作った人です。クレモナのオールド楽器では古いタイプのもので、トリノにはのちにG.B.グァダニーニが来て、フランスで修行したアレサンドロ・デスピーネが来るとプレッセンダやロッカのようにフランス風のモダン楽器を作る流派を形成しました。カッパの流派は古いものでアマティ型のヴァイオリンを作っていました。

見るとアマティ型の楽器で古びたような感じになっています。しかし私には一瞬でこれがモダン楽器だとわかります。アマティモデルなのかカッパのコピーなのかはわかりませんが、作風があまりにも近代的すぎるのです。モダン楽器としてみるときれいに作られているし、アンティーク塗装の雰囲気も良いです。したがって見事なモダン楽器ということになります。しかしカッパの偽造ラベルがついているために作者が誰なのかはまったくわかりません。

鑑定結果は私の考えと同じで上等なモダン楽器だとのことです。1万ユーロくらいの価値はあるだろうとのことです。名前が無くて1万ユーロというのは楽器のクオリティだけの値段です。

音はやはり固く直接的でアマティ型のオールド楽器の雰囲気ではありません。カッパなら1600年代のスタイルで楽器も古いですが、これはモダン楽器の音がします。


3.ピエトロ・グァルネリのラベルの付いたヴァイオリン
これも同じ教授のコレクションです。
ピエトロ・グァルネリと聞いて楽器を見ると見た目の印象からヴェネツィアの方かと思いましたが、ラベルを見るとマントヴァのピエトロのものがついていました。マントヴァのピエトロにはちょっと詳しいですから全く違うのがすぐにわかりました。もし偽造ラベルを貼るのならベネツィアのピエトロにするべきでした。
しかし、近代にアンティーク塗装で作られたものではなくオールド楽器であることはすぐにわかりましたし、他のベネツィアの作者かもしれないとも思いました。しかしこれといってそっくりなものも見つかりませんでした。
ピエトロ・グァルネリでないのは分かりましたが、他のイタリアのオールド楽器かもしれないと思いました。

鑑定家結果はフランスのオールド楽器ではないかという事でした。詳しくはもう少しよく調べないとわからないそうです。
フランスのオールド楽器とは意外でした。フランスではアマティを元にしてオールド楽器を作っていたためイタリアの楽器のように見えます。多くのフランスのオールド楽器にはイタリアの作者の偽造ラベルが貼られているでしょう。フランスのオールド楽器の作者はあまり有名でないため、モダンのフランスの作者よりも値段が安いというおかしなことになっています。


4.ガエタノ・ガッダのラベルのヴァイオリン
ガエタノ・ガッダはアマチュアの流派のヴァイオリン職人ステファノ・スカランペッラの弟子です。クオリティはまともな教育を受けたプロの職人のレベルには無く素朴なものです。速く作ったことでも知られています。
この楽器も同様な品質で、モダン楽器の高い水準とはかけ離れて素人が作った様な感じもします。しかし形などがガッダとは一致しません。
ニスは琥珀色で、ドイツやチェコなどの量産楽器の感じはしません。手作りの感じがあります。
イタリアの楽器であることは十分に考えられます。音は窮屈で優れたモダン楽器のようなソリスト的な演奏はできません。

鑑定結果は1960年代のイタリアの楽器で作者は、同じ時代には数えきれないほど職人がいるので誰なのかはわからないそうです。イタリアの現代の楽器に詳しい人に見てもらう必要があるようですが、楽器のクオリティから見てもノーネームのイタリアの楽器で十分でしょう。このような楽器はうちでは音も今一つで売れる可能性は期待できません。日本の業者が好きそうなものです。ノーネームのイタリアの楽器にガッダのラベルがついているのですから「化ける楽器」というものです。化ける楽器というのは安い値段で仕入れて言葉巧みに高い値段で売れる可能性があるというものです。日本向きの楽器です。


これらはすべてニセモノでした。持ち主の方の不名誉でもありますから写真は控えさせていただきます。
日常的に偽造ラベルの楽器は多くそのほとんどはただの大量生産品にストラディバリなどのラベルを貼ったものです。それらは我々も鑑定に出す必要もありません。これらのものも、本物かもしれないという期待は全くなく私たちはニセモノだと分かっていました。それを確認しただけです。

アムステルダム派のオールドヴァイオリン

それにしてもすべてニセモノでは鑑定に出す意味もありませんが幸い一つはまともな楽器もありました。

オランダのピエタ―・ロムボウツという作者のオールドヴァイオリンがあります。ラベルには1692年作とあります。これはかつてヒルの鑑定書があったものでしたが紛失したそうです。オランダのオールドヴァイオリンもフランスと同様にアマティを元にしたものでした。実際に楽器を見ても間違いなくオールド楽器ですし、アマティを元にしていることも明らかです。

裏板の輪郭を見ると完全にアマティの形です。

スクロールは独特でどこのものとも違います。

渦巻のところだけがオリジナルでペグボックスから下は新しく作られたものです。
それでも特徴をとらえて上手く作られていると思います。ちょっとモダンっぽい感じもしますが古い本の写真しか資料が無いのでわかりません。

アーチもいかにもオールド楽器というものです。その中でもシュタイナー的な感じではないのがイタリア的です。

これは鑑定士も貴重なものでオランダが国を挙げて行っているアムステルダム派のオールド楽器の調査に貸し出すべきだとのことだそうです。

もしかしたら日本にも江戸時代にこのようなヴァイオリンが最初のヴァイオリンとして持ち込まれていたかもしれませんね。

ヴァイオリンについてよく聞くウンチクがあります。オランダのヴァイオリンのパフリングにはクジラのひげが使われていたというものです。皆さんも聞いたことがあるでしょうか?
これがそれです。見た目ではクジラのひげかどうかわかりません。

値段は最大で800万円くらいでしょうか。この楽器は裏板に魂柱傷があります。しかしうまく修理されているので致命的ではないでしょう。
板は例によって驚くほど薄いものです。オールド楽器ではいつものことです。

修理が済んで演奏できるようになるのが楽しみです。この楽器は売りに出すものだということは言っておきます。


鑑定

私も偽物か本物かは分かるようになってきました。難しいのは偽造ラベルが貼られていた時、それがいったいどこの誰が作ったものなのかということです。ニセモノだから価値が全く無いということはなく見事なモダン楽器ならモダン楽器としての価値があります。他のオールド楽器でも貴重なものです。
この前のチェロもロッカのラベルが貼られていましたが、フランスの作者の名前が分かれば1000万円以上するかもしれません。ロッカのラベルではずっと安くなってしまいます。

偽造ラベルを貼られてしまうともともとその楽器の持っていた価値さえも危うくなります。

今回はヴァイオリン教授のものがいくつかありましたがニセモノでした。優れた演奏家でも音で本物か偽物か見分けることはできません。私のような職人なら一瞬で分かります。
音についても我々はオールド楽器はこんな音というイメージがありますが、優れた演奏者ならどんな楽器でも良い音がしてしまうのかもしれません。一方この前のチェコのヴァイオリンは別の教授が太鼓判を押したもので確かに音は良かったです。演奏の技量は無名な作者の音の良い楽器を見分けることに使った方が良いでしょう。

本物の時は見た瞬間に「そうそう、これこれ」と感じるものがあります。「どうかなあ?」と長引くようなものはたいがい鑑定に出しても偽物です。

このような楽器を買ってくる人がいくらでもいるくらいですから、一般の人には違いが分からないようです。これは審美眼とかそういう物ではありません。
「自分にはもって生まれたセンスがあるから本物は見分けられる」と考えているとどぶにお金を捨てるようなものです。

作風の違いは美的センスの問題ではなく製造工程の手順などから生まれることもあります。かつては合理的な製造法と考えられていたのです。もっと合理的な方法があみ出されると変わっていきました。
オールド楽器では考え方がモダンとは違うので雰囲気が全く違います。
最初のテストーレの例のように知識ではすべて正しい場合もあるので言葉で理解しても意味がありません。

高価な値段のものが美しく作られているとは限りません。素人の様な作風のスカランペッラなら美しすぎるために偽物ということもあります。
大事なのは美しいかどうかではなく、作った人が誰かということです。作者の名前が有名なら値段が高いのであって、美しさで値段が決まっているわけではありません。

無名な作者やマイナーな流派の場合には作者名や産地のプレミアが無いので楽器の美しさが値段に直結します。それでもプレミア無しではどんなに美しくても1万ユーロ(約125万円)が限界です。

私は鑑定が確かなものを買うべきだと思います。当たり前ですけども。