フランスのチェロの修理  (前編) | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

前回は西ドイツのロートのヴァイオリンについて紹介しました。そのようなものは滅多に見ることが無いという話をしたら、修理に持ち込まれたヴァイオリンがロートのものでした。1995年製のものなので日本にも同じようなものが輸入されていたことでしょう。スクロールは例によって機械で作られたものです。
早い段階で機械でスクロールを作れるようにしたのは西ドイツの工業力でしょう。戦争で貧しかった時代から技術で暮らしを豊かにしたい思いがあったのでしょうが、このことが安物というイメージを作ってしまいました。


さて修理をしていたフランスのチェロがようやく終わったのでした。

10月の時点ではこのような感じでした。
先輩がここまでは修理したのですが「ニスの仕事が得意だろ」ということで私に回ってきました。得意というよりはこれまで一生懸命やって来ただけです。
何が難しいかと言えば他の部分の色がものすごく濃いです。同じ色を作って塗るだけでも至難の業です。
ましてや150年くらいは経っているので古さも必要です。

このような濃い赤茶色のニスはフランスの楽器にはたまにあります。いくつかある色のうちの一つです。赤でも黒でもないのが難しい所です。

モダン楽器が難しいのはオリジナルのニスがふんだんに残っていることです。そっくりのニスを作るのは非常に難しいです。この手のフランスのニスは風化しているのか磨いても光沢が出ません。
新しく塗ったところはピカピカになってしまうのでいかにも新しく塗ったように見えてしまいます。
この楽器の場合には過去の修理でオイルニスの上から無色のラッカーでコーティングされています。つまりオイルニスの上からラッカーが塗られているのです。
ラッカーは量産楽器の代名詞ですから修理で上からラッカーを塗るなどというのは悪い修理です。柔らかいオイルニスの上に硬いラッカーが塗られています。そのせいなのかわかりませんが、ニスはひび割れを起こしています。
表面は細かい割れにおおわれてすりガラスのように曇っています。
そのためラッカーを研磨すると鏡面のようになるのですが、ラッカーが削り取られたところはオイルニスが顔を出します。そこだけ光沢が出ません。
全部を均等にしなくてはいけません。

それ以外にも横板の過去の修理に問題があり修理跡が悲惨な状態になっていました。割れてすぐ私が修理すればもうちょっとましだったのにです。しかし古いチェロはみんなそうなっています。横板はバキバキに割れています。

新しい木材は白すぎるので着色をしました。他の部分に比べれば明るく見えますが、着色としてはとても強く染めています。普段の新作楽器で染めているよりもはるかに強いものです。
もしニス塗を白木から始めていたらいつまでたっても色が濃くなって来ないでしょう。

フランスの楽器製作


19世紀のフランスの楽器製作について書けば本が一冊は書けるでしょう。それはモダン楽器について本を書くことと変わりません。そうなるとバロックから始めないといけません。

社会の変革とりわけフランス革命から、演奏会のスタイルの変化、音楽の趣向の変化・・・などそれだけでブログの記事には収まりません。

試験問題ならフランス革命によって音楽が貴族社会のものから一般市民のものになって、大きなコンサートホールで演奏されるようになり音量を求めて改良されたというのが模範解答でしょう。

私はそれだけでなく芸術の歴史と関係があると考えています。美術史では新古典主義といわれる時代です。
これは日本人にとって最もなじみのない芸術と言えるでしょう。有名なのはダビットやアングルという画家です、この時点で「誰?」という感じでしょう。

日本で人気の近代絵画といえばモネ、ルノアール、ゴッホ、ピカソあたりが大スターでしょう。しかし芸術に疎い人はピカソを見ても「何だヘタクソだ」と思うかもしれません。じゃあ「上手い」というのはいったい何なのでしょうか?最高に上手い絵を描いたのがダビットやアングルというわけです。

興味があったら調べてみてください。絵の「上手さ」では人類の歴史の頂点に立つような完璧な絵です。

小学校などで絵が上手いと言えば、物や人物を本物そっくりに描ける人のことでしょう。西洋美術は江戸時代までの日本のものに比べれその点ではるかに上手な絵が描かれていました。しかし西洋美術が目指したのは本物そっくりのリアルさではなく、現実のものよりも美化された理想化された美しさです。それは古代ギリシアにさかのぼります。ローマ時代には奴隷のギリシャ人に学んだのでした。
中世にはそのような文化は忘れさられて、再び復活させようとしたのがルネサンスの芸術です。
新古典主義は古代ギリシアやローマ、イタリアルネサンスの作品をお手本にしながらもさらに完成度を上げて完璧なものへとするものです。
この時お手本とされたのがミロのビーナスであったりダ・ヴィンチのモナ・リザだったりするわけです。このためルーブル美術館で最も重要な作品として知られています。観光客はそんなことは知らずに記念に見て帰ろうとするのですが、他の新古典主義の作品には目もくれません。

それがあまりにも完璧であったために嫌気をさした人たちが反抗心を抱いて近代や現代の芸術が生まれたと言っても良いでしょう。近代や現代の芸術を知るためには必ず新古典主義の芸術を知らなくてはいけません。残念ながら日本の美術館やデパートにお客さんを呼び込むことはできないでしょう。

近代や現代の芸術が正しくて、それ以前の保守的な芸術が間違っていると教え込まれたのなら考え方を中立にして見ると良いと思います。素人目にも見事な絵だと思えるでしょう。むしろ芸術に対して中立で自由な考えを持っているほど過小評価されていることに気付けるでしょう。

工業製品やファッションでも基本として古典的な美意識がヨーロッパにあると思います。ギリシャ彫刻や神殿の建築に見るような形のバランスによる美しさです。例えばアメリカで作業ズボンとして履かれていたジーンズをヨーロッパの高級ブランドが形を整えてパーティーにも履いて行けるものにしました。今ではヨーロッパの国民服と言えるくらいになっています。そのアメリカでもヨーロッパの移民の集まりですからすでに基本は備わっています。英語で言えば「ビューティフル」という概念です。
それに対して日本の工業製品は欧米の人たちに「クール」と言われます。クールはカッコいいということですが、西洋の美意識の基礎を持っていない日本人が何かを作ると革新的に見えるのです。だから日本のものはクールと言われても美しいとは言われないのです。

日本人にはわからない西洋の基本的な美意識が新古典主義でありフランスの楽器製作でもあります。
ミロのビーナスやモナ・リザに相当するのがストラディバリとグァルネリ・デルジェスなのです。
それらを研究して、さらに改良を加えて完璧なものにしたのがフランスのモダンヴァイオリンです。フィッティングにも改良を加え音量の増大を目指したものでした。見た目だけを作ったのではなく、音についても実験を重ねた事でしょう。

現在の我々がヴァイオリンについて知っていることのほとんどはこの時のフランスの人たちの考えです。フランスのヴァイオリンを知ることは今日知られているヴァイオリンについて知るということとほとんど同じことです。
フランスの影響を受けていないヴァイオリン職人などは一人もいないのです。独学でも何かしら「ヴァイオリン」というイメージがあったことでしょう。それがフランスのものが元となっているからです。

しかし現代の我々はあまりに無知であるため、それがフランスによって作られたものだということを知りません。フランスがルーツだと知らずに作者のオリジナリティだとか、ストラディバリの再現だとか考えているのです。そもそもストラディバリを特別視するのはフランスの考え方です。その時点ですでに影響されているのです。

もしフランスの影響を脱した楽器を作るなら、フランスの楽器についてよく知らなければいけません。フランス要素を自分の楽器から抜き取るにはそれが何なのか知らなければいけないからです。しかし実際にはフランス要素が自分の楽器にたくさんあるという事さえ知らないので画期的なものは生まれません。みなフランスの楽器の出来損ないのようなものを作っているのです。

現代の職人は本やポスターなど印刷物から型を起こしてストラディバリのモデルの楽器を作っています。ストラディバリを選んでいる時点でフランスの影響を受けていることになります。
一方で、現代の職人の作るストラディバリモデルは細部にまで目が行っておらずあやふやになっています。私はストラディバリはアマティの特徴を基礎に持っていると考えていますが、多くの人はアマティをストラディバリよりも劣ったものと考えていて学ぼうとしません。そのためアマティの基礎が分からないままストラディバリモデルを作っているので多くの場合、無頓着なものになっています。

それに対して19世紀のフランスの作者はストラディバリを非常によく観察しています。現代の我々よりもストラディバリをよく見ています。その上でさらに細かな改良を加えて理想化し完璧なものにしたのがフランスのモダンヴァイオリンです。

現代の職人の多くが無頓着である部分について、フランスの楽器を見るとちゃんとストラディバリの特徴が再現されているのです。

逆に言うとフランスの楽器はストラディバリに縛られているので、もっと大胆なデザインはできません。その点ではイタリアのモダン楽器のほうが自由度があります。そのためイタリアのモダン楽器のほうがストラディバリから離れた現代的なものに見えます。ストラディバリの特徴に無頓着になっているということです。フランスの楽器のほうがストラディバリに近いとも言えます。


見習の職人にヴァイオリン作りを教えていますが、うちの勤め先にある型はストラディバリやデルジェスのものがたくさんあります。しかしこのストラディバリの型は大事なところを理解せずに作られたのでつじつまが合わなくてうまくいきません。歴代の職人たちはうまくいっていないことに気づかなかったのです。

またストラディバリはアドリブで作っている部分が多くかなりアバウトです。私は「お手本通り」のものをうまく作れることで一人前の職人として認められると考えています。ストラディバリそのものもお手本としては気まぐれで、勤め先にある型ではお手本としてはあやふやなためにどうやって作って良いかわからないものです。

そこで私はお手本としてフランスのヴァイオリンを薦めました。リュポーやヴィヨームの写真を見せて好きなものを選ばせました。本人がリュポーを選んだのでそれにしました。もし写真にあるようなフランスの楽器と同じものが作れれば間違いなく超一流の職人です。私でも自信が無いのですから、見習いにそれだけのクオリティを望むことはできません。しかしお手本のレベルが高ければそれから何段階か質が落ちてもまだ見習の中ではトップクラスの出来となるでしょう。

それができればプロとして認められて、仕事を任せられるというわけです。

もちろんそれが創作活動の最終地点ではないのかもしれません。私はスタート地点に立つのに必要なことだと考えています。
フランスの楽器の影響を受けない独自の作品を作りたいならフランスの楽器について知らなければいけないのです。

早速その成果は出ています。
作っている途中ですが見習の楽器のレベルとしてはずっと高いものになっています。スポーツでも指導者によってぐんと伸びることがありますね。
私も教える中で学んでいます。

選抜と教育のシステム


私は楽器の作風や音について、「国は関係ない」ということを言ってきています。しかしこれには「フランスは除く」という但し書きが必要でしょう。
普通は作風や音について個人差のほうが国の差よりも大きい、もしくは同じ国でも作風や音はバラバラと考えるべきです。だから国で判断せずに個々の作者や楽器で評価しないといけないのです。

しかしフランスに至ってはそうではありません。教育システムが他に類を見ないものだったからです。作風が統一されていて腕の良い職人が選抜される仕組みがあったのです。一流のフランスの楽器には同じ特徴があるのです。

技能水準が低ければ同じ設計のものを作っても仕上がりがバラバラになります。作風が統一されているだけでなく、腕が良いことも重要です。
腕が良い人と悪い人がいるのは、どこの国でも同じです。他の国では腕が良い人も悪い人も楽器を作ることが許されていました。フランスでは腕が良い人しか一人前の職人として認められませんでした。
特にイタリアでは伝統的に下手な人も楽器を作り続けてきました。モダンの時代には下手な職人でもイギリスやアメリカなどに輸出することができました。

下手な人の作る楽器はどこの国のものもそっくりです。これは音痴な人が歌う歌がそっくりなのと同じことです。絵が下手な人の描く絵も世界中似ています。
その中でイタリアのものだけが500万円以上の値段が付き、それ以外の国のものは50万円にもなりません。

フランスでは決められた作風のものを作り、腕が良いと認められた人だけが一人前の職人として楽器を作ることが許され、それ以外の人はミルクールの工場で量産品を作ったり、ケースなど他のものを作ったりしました。

このような仕組みが確立したのは19世紀のフランスだけなのです。今は自由な社会なので当時の水準の楽器は作られなくなりました。現代芸術が古典芸術の技術を失わせたのと同じです。口がうまければだれでも職人としてやっていけます。手仕事から口仕事に変わりました。

今ではオールド楽器と同じようにフランスのモダン楽器も忘れられた技術になりつつあります。

フランスのチェロ


チェロはヴァイオリンとは製造にかかる労力が全く違います。しかし値段は2倍といわれています。少なくとも4倍の労力がかかるのに値段が2倍にしかならないとすれば作れば作るほど貧乏になると言えるでしょう。

うちの勤め先でもかつてはチェロを多く作っている時期がありました。チェロの評判が良かったからというのもあったのですが、そんなことをしていたら経営難になってしまいました。それ以来作らなくなってしまいました。

したがって親しい人や昔からのお客さんなどにどうしてもと頼まれたときだけチェロを作ることになります。コネが無いとチェロが作ってもらえないというそんな状況です。

このため現実に販売されているチェロのほとんどが何らかの手抜きが行われているものだと考えたほうが良いでしょう。安く作るために機械で作ったり、弟子や見習いに安い給料で働かせて作ったりしているわけです。プロの職人のものよりもヴァイオリン製作学校の生徒のチェロのほうが利益を考えずに作っているので物が良いこともしばしばです。

修理も同じことでやればやるほど貧乏になっていきます。修理代を単価で計算すれば簡単に100万円を超えてしまうのですが、お客さんはまさか修理に100万円もかかるなんて思っていませんから正式な修理代金を告げればひどいショックを受けることになるでしょう。そこで空気を読んで驚かさないようにするので貧乏になってしまうのです。
このためチェロの修理はやらないという職人も多くいます。一人でやっているような職人なら時間が無くてできないということもあります。

良いチェロが欲しいと言って店に行っても手抜きのチェロしかないわけです。しかし手抜きしたからといって音が悪いとは限りません。音にとって重要なところがちゃんとしていれば良いわけです。それは実際に弾いてみて確認するしかありません。

こんな中で確実に良いチェロは無いかといえばフランスの19世紀のものです。共通の作風の腕の良い職人が集まって町工場のようなレベルで作ればコンスタントに数を作ることができます。高い品質で音響的も考えられ経験豊富なものです。
一流の職人の名前がついていれば1000万円くらいは最低でもするものです。
イタリアのモダンチェロならさらに値段は高いのに品質はまちまちで本当にひどいものもあります。

ヴァイオリンももちろん優れたものですが、チェロになるとさらにフランスの職人たちの真価が発揮されたと言えるでしょう。
しかしミルクールの量産品はあくまで量産品です。品質は様々で外はきれいでも開けるとひどいというものがたくさんあります。フランス製であることが重要なのではなく、フランスの腕の良い職人によって作られたものであることが重要です。

近年フランスの楽器の値段の上がり方は急速なってきています。弦楽器を投機対象にする人が増えたこともあります。モダン楽器自体の評価も上がっています。かつてはオールド楽器が買えない人が仕方なく使う物と考えられていました。今ではソリストが愛用するものとなっています。

現代でも職人たちが技術的に理想と考えている楽器の基礎がモダン楽器です。それが職人だけでなく演奏者にも知られるようになってきたのです。
業界の見解ではモダン楽器とストラディバリは同じものだと考えられています。モダン楽器はストラディバリと同様に優れたものだということになるのです。
例えばパリとロンドンは海を挟んで目と鼻の先です。フランスの楽器製作がロンドンに伝わりフランス風に作ったヴァイオリンをストラディバリのコピーとして売ったのがヒル商会です。このため現代の業界の常識ではモダン楽器とストラディバリは同じものなのです。フランスの職人に学んだプレッセンダやロッカなどのトリノの流派はストラディバリの再来と考えられて値段が高騰しました。サッコーニはストラディバリの秘密を解明したと信じられています。サッコーニはフィオリーニに学びましたが、フィオリーニの出身地のボローニャにはフランスからガンが来て働いていました。
フランスの影響が強い職人の作ったものはストラディバリにそっくりに見えたのでフランスの影響を受けたことが隠されて「ストラディバリの再来」と宣伝されたのでした。
彼らの作るものはストラディバリと同じだと演奏家にも浸透してきたのです。


ただし私はこれには異論があります。
よく見ると同じではないということですがそれは最先端の研究ですから、世間の理解はそんなものです。

かつてはイタリアの楽器が1流、フランスが2流と考えられていました。今ではフランスの楽器さえ手に入れるのが難しい憧れのものになりました。いまだに2流だと考えているのは時代に取り残された人たちです。特にコレクターではなく実用的で音が良い楽器を求める演奏家に求めれているものです。


修理が完了


色はとても濃い赤茶色でフランスの楽器にいくつかあるニスの一つです。モデルはストラディバリのようでもありますが丁寧に丸みを持たせてモディファイしてあります。ストラディバリのチェロの特徴は細長いものです。19世紀のフランスのチェロは細長いものが多くそれが近代では標準的なチェロのサイズ考えられていました。イタリアなどは割と自由に設計したものがあります。20世紀も末になるとモンタニアーナなど違う形のものが作られるようになりますが、それまではチェロといえばストラディバリ型がほとんどでした。


パフリングは2重になっています。ヴィヨームもこのようなヴァイオリンを作っています。

裏板は一枚板です。チェロでは珍しいものです。
ラベルはジュゼッペ・ロッカのものが貼られています。
ロッカなどのトリノの流派はチェロには独特の形があります。グァダニーニ家の影響かもしれません。
もちろんロッカではありません。
このため作者が誰なのかはわかりません。ただ見た感じでも19世紀終わりごろのものよりは古い感じがします。19世紀中ごろのものとなると値段はぐっと高くなります。もし作者の名前が分かれば1000万円くらいは当たり前です。クオリティは最高レベルとは言えません。しかしチェロは町工場レベルの「工房製」くらいのクオリティでもチェロの中ではかなり貴重なものです。
この状態では作者不明ということで値段はずっと安くなります。500~600万円とかそんな感じでしょう。
ロッカの偽造ラベルを貼ったことで1000万円するかもしれないチェロが500万円になってしまったという愚かな例です。
昔はフランスのチェロがそんな貴重なものだと考えられていませんでした。このためイタリアの作者の偽造ラベルが貼られたのです。
旅費を使ってもパリなどでエキスパートに鑑定してもらえば元が取れると思います。

スクロールはいかにもフランスというものです。フランス以外のものでこの感じは出ません。
ペグボックスは過去の修理で新しい木材を張り付けてあります。

フランスでもミルクールの量産品ではこのレベルには無いことがほとんどです。

ここもストラディバリを研究してあります。ここは他の国のものは独自のものに変わっています。

独特のピシっとした雰囲気があります。

ちょうど見習の職人に教えたところですが、知らないと左の青線のように丸みを帯びたようにペグボックスを加工してしまいます。よく見ると緑の線のようにまっすぐになっています。チェロだけでなくヴァイオリンでもそうです。
そもそもストラディバリがそうだったのです。
もちろんイタリアのモダン楽器ならそれが作者のデザインになるわけですが、ストラディバリからは離れているのです。
言われないと気づかない所です。
教育はとても大事なのです。

独特のピシっとした雰囲気はこういう所からも出ます。ストラディバリらしさもそうです。

パフリングの合わせ目にも特徴があります。

パフリングはコーナーの形に添って緑の線のように流れていますが、先端が赤線のように内側を向いています。
これはフランスの楽器のはっきりした特徴です。
他の国では作者ごとにバラバラなのが普通です。これはとても微妙なので厳格に教えるのが難しいのです。もちろん加工も難しいです。
なぜこのようにしたかというと、ストラディバリの特徴を誇張したからです。
ストラディバリはばらつきがありますが、緑の線のようにコーナーの形に添って先端を伸ばしても、目の錯覚で赤線のように内側に入っているように見えるのです。緑の線よりもちょっと外側に意識的に方向を向けないとアマティのような均等なものには見えません。
これは本当に微妙でコーナーの形が違うと見え方が全然違ってしまいます。
このため特徴をはっきりと誇張したのがフランスのやり方です。
ヴィヨームに至ってはコーナーの形とパフリングの形が一致していません。
きれいに見せるトリックがあります。あまりにも専門的すぎるので割愛します。

このようにストラディバリをよく研究して、規則性を定めてマニュアル化してあるのがフランスの楽器製作なのです。このためストラディバリによく似ているのです。

なにかに気付いたでしょうか?

おかしなところに気づかなかったとすれば私の仕事が成功したというわけです。

そうです。ここが横板を新しくしたところです。
遠目には色合いに違和感が無いでしょう。
濃い茶色はとても難しい色です。新作ではまず使わない色です。新品で赤黒い色にすると角になっている所の白さが目立って悲惨に見えます。これは古いから違和感が少ないのです。

少し明るいのですが、脚でこすれる所なので他よりはニスが剥げているのは普通です。ニスの修理は気持ち明るいくらいにするほうが良いです。たいていは赤味が強すぎてごまかすために黒くすると他よりも濃くなってしまいます。よく見る失敗したニスの修理です。
センスが良い修理というのはやや明るい段階で色合いが見事に調和していることです。

オリジナルのニスはひび割れを越していてそれを再現するのは不可能です。しかし横板のここのパートは修理不能なまでに割れていました。修理を繰り返したり脚でこすれたりして、もともとひび割れはわずかにしか残っていませんでした。それを私は手描きで描きました。残念ながら写真では細かすぎて見えません。
最近はインターネットで商品の写真を見るときれいに見えて、実際に買うと全然違うものが送られてきたりするものですが、私の仕事の場合には実際のほうが良いというもったいないものです。
それでも表面は「ニス塗りたて感」を無くすためひび割れを人工的に生じさせています。

塗りたてではこのような感じです。新品のようです。

今度は逆に古くなりすぎました。古いというよりは長年手入れしていない様子です。この後せっかく付けたひび割れを消すように磨き上げて他の部分と同じ雰囲気になるようにしました。
人工的に起こしたひび割れはオリジナルのものとは割れ方が違うのです。これはあくまで表面にアクセントをつけただけの薄いものです。

これ以上に苦労したのは他の横板の部分で過去の修理跡が目立っていた部分です。一番ひどい横板は新しいものにしましたが、それ以外も悲惨な状態でした。

また光沢の感じを新しく塗った部分と古い部分で統一するのにも苦労しました。

修理の仕事というのは見事な仕事程それが誰にも気づかれないというものです。

長くなったので次回

まだまだ話は尽きませんが10月に初めて2月の後半までかかるというニスの修理でした。普通ニスのメンテナンスなんて数週間のものです。今回は4か月もかかりましたが、その前にどうしたらいいか悩んで木片を使って試し塗りをしたので相当時間がかかりました。実質夏くらいから始めていたようなものです。
目が疲れて休みたかったです。
新しくチェロのニスを塗るのでも4か月もかかりませんから。
この感じならモダン楽器のコピーも作れそうですが、時間を考えると気が遠くなります。
普通にチェロを作るだけでも儲からないのに、モダンチェロのコピーなんて作ったら貧困で死んでしまいます。

このようなチェロはプロのオーケストラ奏者や音大生などがみな必死になって探しているものです。音に関する話を次回しましょう。