チタン製のテールガットを試してみました | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

日本の感覚からしたら驚くようなこともあります。先日は弓が折れたというので電話があって今は予約制で来てもらっています。電話ではよくわからないので持ってきてもらうのが一番です。見ると先端が折れていて、弓としては終了です。
欲しい人がいれば価値は全くゼロということはありませんが、演奏に使用できる弓として販売することはもうできません。

接着剤でつけることも試してみることはできます。しかしどれだけ持つのかわかりません。うちの店では接着した弓は販売はできないけど試奏用に使っていたりします。そうすると誰もが欲しいという弓がありますが、残念ながら売ることができません。
意外にも20年くらいは持っています。

今回は取りあえず接着することになりました。

高価な弓で保険にも入っていなければ大きな損害になるわけです。
しかし聞くと2万5千円位のヴァイオリン弓だというので最悪の不幸とは言えないでしょう。
更に話を聞くと、この先音大に進学するという事を言っていました。
日本人の感覚からすると音大を目指している高校生が2万5千円の弓を使っているというのは信じられませんが、楽器も同様にとても安価な量産品でした。

師匠も慌てて、もうちょっとまともな弓の良さを分かってもらうために修理の間に使うように弓ケースに入るだけの弓を貸し出していました。自動車で言えば代車です。

日本人からすると呆れるようなことがあります。子供の教育にお金をかけるという概念が無いのです。
大学なども無料に近いものです。それでも費用が掛かって学生がデモをしているくらいです。日本で学費削減を求めた学生デモなんて聞いたことがありません。私が東京の大学に行っていたころも学生運動の残党は他の学生のことなど考えていませんでした。大人の政治家と同じです。支持されるわけがありません。


それに対してアジア系の保護者は全く違います。まず一流の先生に習わせようとレッスン料を惜しみません。そこまでは日本人と変わらないでしょうが、なぜか楽器にはお金をかけずレンタルの楽器や弓を使います。レンタルの楽器を借りて行って、音が悪いと文句をつけてもっと良いものに交換させようとします。弓などはかなり使い込んでから交換を要求してきます。次の人に貸すための毛換えの代金だけでも赤字です。

レンタル用の楽器はインターネットや総合楽器店で安いものを買うよりはずっとましな品質なものですが、あくまで「演奏が可能」ということを専門家として保証しているだけです。弦楽器専門店でなければそれすら危ういのです。音については欲を言ってもらっては困ります。ヴァイオリンと弓とケースと肩当や松脂などすべてついて月に2000円くらいですから。肩当やあご当てなどは違うタイプのものを選ぶこともできます。

音が良いものが欲しいなら買ってくださいと押し問答で大変です。
アジア系のお母さんのアグレッシブさはすぐにお金を払ってしまう日本人とは全然違います。


本当の音が良い、値段に見合った楽器や弓なら高いものを買っても良いでしょう。

チタン製のテールガット


しばらく前にテールガットについて触れました。業者に注文する用があったのでついでにチタン製のテールガットも発注しました。
その時は、スチールのテールガットは音の強さが期待できるものの、細すぎてナットに食い込んでしまうのが問題だと指摘しました。チタン製のものはずっと太く圧力が分散することでしょう。

メーカーは中国の企業です。値段は通常ヴァイオリン用のプラスチックものが、200~300円位のものです。チタンのものは2000円くらいします。通常の10倍なのでとんでもない高価なものです。
カーボンやケブラーのもので600円位です。
なおかつ中国製で2000円というのはかなり高い気がします。とんでもない粗悪品であれば「騙された」ということになりかねません。

見た目は悪そうではありません。仕組み自体は単純なものです。

プラスチックのものから交換しましたが、ネジの部分の直径が大きくてテールピースの穴に入りませんでした。ドリルを使って手動で穴を大きくして入れました。テールピースの干渉する部分を少し削りました。
多少の加工が必要になる場合があるということです。

このような工具を使えば手動で穴を大きくできますが、問題はドリルの方を0.1mm刻みで揃えると相当お金がかかります。2.4mmで行けました。しかし一度に大きく穴を広げようとすると割れてしまうかもしれません。まず2.3mmで様子を見てから2.4mmのものを使うとテールガットが通りました。



私が2010年に作ったヴァイオリンで試してみました。もともとプラスチックのものを弾いてから、音を忘れないようにできるだけ急いで交換しました。

明るく輝かしい音に変わったと言えるでしょう。つまりスチール弦の様な音です。
G,D,Aについてはよく鳴るようになった感じがします。E線は鋭くなる方向なので一般的にはマイナスの効果でしょうか。
全体的に鳴りが良くなる代わりに、高音はきつくなると考えたほうが良いでしょう。
したがってケースバイケースです。
E線はうちでは柔らかい音を好む人が多いですが、もっと強くもっと強くという人や文化圏もあると思います。人間というのは周囲の人の価値観に影響されるものです。その場合にはE線もプラス効果になることでしょう。

私は特に明るくしたいという希望はありません。ただし響きが多くなった分だけ明るい音になっています。さらに数日後にもう一度弾いてみると、もともとの楽器のキャラクターの音が正反対になるとほどの変化ではないようです。ビフォーアフターで明るくなったと思っても客観的にはそれほど明るくなってはいないということです。
しかしよく鳴る感じはします。
そのヴァイオリンは普段弾いていないので寝ぼけていたような音が目が覚めたような感じになりました。


このチタンのテールガットは有名な弦で言うとエヴァピラッチの様な音です。エヴァピラッチも好き嫌いが分かれる弦ですから、これも好き嫌いがあるはずです。

エヴァピラッチは音量が増すとかよく鳴るという印象を受けやすく人気の出た弦です。それ以降も各社さらにそれを超えるような弦を研究していますが、手放しでほめられるようなものは難しいです。

使っている人は多くありませんが、現代の高級スチール弦もあります。例えばピラストロのフレクスコア・パーマネントなどがありますが誰も知らないでしょう。
スチール弦はあまりにもナイロン弦とは音や使い勝手が変わりすぎるかもしれません。それに対してテールガットを金属にするだけならそこまで大きな変化はないでしょう。

そういう意味では面白いものです。
しかし誰にでも音が良くなると薦められるものではありません。それならまだカーボン系のもののほうが良いでしょう。

なぜこのような音の違いが生じるのかはわかりません。チタンは軽いから音量が増したと考えるのはおかしいでしょう。
重さは測っていませんが、スチールで同じ直径なら軽くなるとは思いますが、金属の中では軽いというだけです。ましてやこれは合金であってチタンそのものではありません。中国メーカーですからチタンがどれくらい含まれているかもわかりません。

はっきりわかる違いは、弦を張ったときの「伸び」です。

通常のプラスチックのテールガットは弦を張ると伸びて思ったよりも長くなってしまいます。一つは形が馴染んでいないので引っ張られると長くなるというのもありますが、材質自体も伸びると思います。伸びた場合はねじを締めて短くすることができますが、すべての弦を一度降ろさないといけません。この時魂柱がゆるければ転倒してしまいます。

カーボン(炭素繊維)やケブラーのものでも思ったよりも伸びます。詳しいことは分かりませんが炭素繊維やケブラーもそれ自体は化学繊維です。引っ張られるとかなり伸びます。
これらはネジはついておらず結んで止めなくてはいけません。この時弦を張る前と後で予想以上に伸びてしまいます。
正しい長さにするためにはナットの部分であまりをゼロかマイナスにしなくてはいけません。無理やり引っ張って何とかナットにかかるくらいです。

もっと昔はガットが使われていました。これも伸びます。バロックヴァイオリンでは今でも使いますが伸びてしまいます。

これに対してこのチタンのテールガットはほとんど伸びません。伸びたかどうかわからないほどです。
弾力や伸性は素材の性質として大きな違いがあると思います。

私は昔洗濯機の脚の下に大きなゴムの塊を置くとずいぶんと静かになった経験があります。弾力のあるものは特定の音を弱める効果があると思います。もし音が鋭くて嫌ならプラスチックのものを使えば良いわけです。

一方で前回話したように、新作楽器が全然鳴らないという場合にはその問題をある程度解決してくれる効果があると言えると思います。

カーボン系はその中間でしょうか?
直接比較していませんが、音は明るくはならないと思います。プラスチックよりはダイレクトで強い音になると思います。

材質と音

この前はオーディオの話をしましたが、オーディオの世界、特にアナログの世界では材質によって音が違うことは当たり前のことです。たとえばスピーカーを設置するときの台の材質によって音が違うということです。私も高校生のころ初めはコンクリートブロックを使いました。それから木製のものに換えました。コンクリートなら石の様な音がするし、木製なら木のような音がします。鉄製なら鉄のような音がするでしょう。鉄のスタンドを作っているメーカーは鉄っぽい音にならないように研究を重ねて製品化するのです。オーディオの趣味では常識です。
スピーカーの下にはがたつかないためにクッションを挟みます。ゴムとかコルクとか金属や木製の物あります。素材ごとに音が違うわけです。
東急ハンズに行っていろいろな素材を買ってきて試すなんてのはよくあることです。
ちなみに会社用のサブウーファーには黒檀で作りました。硬い木材なら、ゆるくなりがちな低音がガチっとするからです。表面にセロテープを張ると少し澄んだ音になるようです。その下は石の板です。棚に布を重ねて石板を置いて黒檀のスペーサーを挟んでサブウーファーを置いてあります。私にとっては黒檀はそこら辺にある素材です。

オーディオ用のケーブルもそうです。
銅線にはしなやかなものと、硬いものがあります。しなやかなものは音も柔らかく硬いものは硬い音がするものです。絶縁体として使われている外側の樹脂製の被膜も硬いものは引き締まった音になり、柔軟性のあるものなら柔らかい音になるというのは一般的な傾向です。製品によって音が違うのは事実です。

同じことはチェロのスチール弦にも言えます。
最新の高級チェロ弦はスチールとは思えないほどしなやかになっています。耳障りな音のするものは硬いです。

弦メーカーはそのような素材を吟味して製品を作っているわけです。

カーボンというものは専門家ではありませんが、F1の車体を作る様子が本に出ていたことがあります。初めは布のようなしなやかなものを型に貼り付けて行って専用のオーブンで焼くとカチカチになるという物でした。
カーボン製のヴァイオリンも試したのはそのようにとても硬いものでした。厚みは2mmくらいしかなかったと思います。
テールガットに使われるのは焼いていない柔らかいものです。

カーボン製のヴァイオリンは木製のものに比べると音は強い音がしますが、柔らかい音ではありません。現代のユーザーはとにかく強い音を求めているのでカーボンの音の強さに魅力を感じるかもしれません。
しかし柔らかさを求めると難しいです。どうやって柔らかくするかです。
例えば周辺をゴムやプラスチックのようなものでクッションを付ければどうかとかいろいろ考えられます。つまりハイブリッドです。
単独で理想的な素材があればそれが最高でしょうが様々な工業製品では他の材料と組み合わせることで製品として成立しています。

そういう意味ではカーボンは最高の素材とは言えないでしょう。
弓の場合には当初はカーボンで弓が作られましたが、とても軽くて持った感じがあまりにも木製のものと違い過ぎました。弦への圧力も不足し力を入れる必要のあるものでした。
そこで今ではカーボンを骨としたプラスチック製の弓が実用化しています。重さも弾力も一般の弓と近い上に品質が安定しているので下手な安物の木製の弓よりも良いんじゃないかということで販売されています。
更に外側が木目調になっていて見た目も木製に近いものまであります。

当初はカーボン弓自体が珍しく新しさに飛びついた人もいるでしょうが、今では木製と変わらないことを目指しています。

カーボンはとても硬い素材なので木製に比べて強さがあると思いますが、音については柔らかさが不足する可能性もあります。しかし金属の様な耳障りな音は避けられると思います。音色自体は暖かみがあると思います。


今回のテールガットはチタンでした。チタンは軽金属で軽いということで注目される素材です。しかし強度はスチールよりはずっと落ちるようです。かつて弦楽器の製作や修理用にチタン製のクランプが作られていました。バスバーなどを付けるときに使うものです。メリットは軽いので表板に重さをかけずに接着できることです。クランプの重さで表板がたわんでしまっては歪んだ状態で接着することになってしまうかもしれないということです。

実際はスチール製でも大丈夫です。ただ軽いということは扱いやすいのは間違いありません。このチタンのクランプは締め付ける力がスチールよりもずっと弱いです。スチールよりも強度が弱いからです。この製品はコストも高いでしょうし、効果もないので製造されなくなってしまいました。

あご当てのネジにもチタンのものがあります。加工がしにくいのか材質そのものの性質なのかチタンはネジの精度としてはあまり良くないです。普通のものはニッケルメッキを施してあります。ニッケルアレルギーなどがあると他のものは無いかということになります。

後はチェロのエンドピンにも使われています。スチールに比べると軸が太くてそんなに軽くないように見えます。スチールは強度があるので細いものでも丈夫です。

ヴァイオリンのE線アジャスターにもあります。値段が異常に高いのとウィットナーのような信頼性があるかと疑問があります。

スチールとは鋼のことで鉄を化学変化させたものです。刃物では今でも鋼が大事な素材です。職人の私としてはスチールに絶大な信頼を置いていますが、チタンは技術的には軽い素材として注目されています。商業的には魅力的に見えるのか高い値段で商品化されています。

私たちは鉄製のカンナを使っています。アメリカのスタンレーというメーカーが特許を持っていたものでネズミ鋳鉄という鉄でカンナの本体ができています。一時期アルミニウム製のものが作られたそうです。軽いのですが傷が付いたりダメージを負いやすいということで作られなくなってしまいました。鉄は安価で強度があるので私は好きな素材です。

でも世の中の人たちは古いものは悪いと考え新しいものが好きなので鉄の良さも忘れられているようです。

音響的には金属なので金属的な音がする原因となるでしょう。
チタンとスチールのテールガットで音が違うのかは試さないとわかりません。このようなものは製造するメーカーが試作品を作ってテストしてもらいたいです。スチールでも音が良いならその方が安くて助かります。商売と考えるとアクセサリーパーツに湯水のようにお金を出すタイプに絞ったほうが良いのかもしれません。

個人でスチールのワイヤーを買って自作すると結局はお金がかかりすぎてしまいます。中国以外の企業が熱心に取り組んでいないということも今の時代を象徴していると思います。

スチールの中でも音が違うかもしれないとなるとチェロ弦に使われているものが一番良いのではないかと考えたのでした。

チタンのテールガット

長々となりましたが、チタンのテールガットにしてみて、大失敗ということはありません。すぐにでも元に戻そうとは思いません。よく鳴るようになった感じはします。
ただし、私が目指している「オールド楽器のような音」に近づいたかと言えば違う方向性でしょう。カーボンのほうが落ちついた音だと思います。

よく鳴って高音も柔らか、音色の味わいも増す、そんなものができれば最高ですがありません。
だから使う人の好みや、楽器との相性の問題になります。
だいたいみんなそうです、手放しに改善するなんてことはありません。

しかしテールガットの違いが音の違いになるということは面白いです。あまり意識していなかった人も多いでしょう。

ヴァイオリン用だけでなくチェロ用もあるみたいです。チェロはそもそもスチール弦を使っているので違和感はさらに少ないかもしれません。


小さなことの話題になりましたが、実際はずっとチェロの修理の仕事をしています。これは「地獄の仕事」と言ってもいいくらい難航しています。そのことを書きたかったのですが、あまりにも仕事が進まずに書くことさえできません。

次は書ければと思います。

他には職場の人数を減らして先輩は自宅で仕事をしています。私が新人の教育係になっています。これも面白い経験です。ヴァイオリンづくりをずっと学んでいますがはじめはこだわりの世界に入る以前です。職人としての基本的なことができないと話になりません。そろそろ私がブログでも語っているような古い楽器の魅力について教えられるくらいになってきました。
テールガットの実験なども興味があるようです。