マイナー修理をした3本のヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

去年から音楽鑑賞の趣味を復活させてきました。
体力を維持するために仕事をセーブして音楽でも聞こうかというところです。
物を作る人はインプットもしていないと創造の源が枯れてしまいます。



こんなCDを買いました。

バッハの管弦楽曲の全集です。もうちょっとパッケージは何とかならなかったのかと思いますが、内容は本格的なバッハスペシャリストのものです。

私はもともと古楽ファンで東京にいた学生の頃も、レコード屋さんに行っては古楽のCDを買いあさっていたものです。
レコード店で古楽のコーナーに行くとまず邪魔なのはバッハ、テレマン、ヘンデル、ヴィヴァルディです。これらを避けて音楽史の本に名前だけが出ている音楽家のCDが無いか探すわけです。教会の記録などに音楽家の名前は残っているのですが、楽譜が残っていて演奏されてCDになっているのはわずかです。
名前をいくつも覚えていて「あった!」と宝探しのようでした。インターネットで検索するのとは違うものを選んだようです。今見るとなんでこんなものを買ったのかと不思議に思うようなものがあります。CDを買うとそこに宣伝で同じレコード会社の他のCDが紹介されています。素晴らしい作品だと思えば、それと似たようなものが無いかリンクが続いていきました。
こちらに来てからは古楽のイベントがありそこでCDを売りに来ていました。行くといくつもCDを買うことになってしまうのでお金が無い頃はあえて行かないようにしていたくらいです。楽器の展示もありましたが素人のようなものが多いです。まともなモダン楽器も作れないような人がバロック楽器を作っていることが多いです。


そういうわけで古楽ファンでありながらバッハはちゃんと聞いたことが無いという有様でした。金(きん)を採掘している人が川でお皿みたいなものに土砂を入れて洗って金を見つけます。バッハをその時の土砂のように扱っていたのでした。ひどい話です。

私はヴァイオリンを見ればそれが見事な腕前の職人のものなのか、単に安上がりに作ったものなのかすぐにわかりますが、音楽ではそこまでわかりません。ただし、特別有名でない作曲家でも聞いてみると十分に楽しめたり、美しいと感じたりするものが多くあります。そもそも音楽というのは天才個人の作るものではなく、多くの人たちの音楽愛によってできているように思います。それは政治権力の支配を超えて人々に愛されるものです。

同じ時代の同じジャンルの音楽はみなそっくりです。カリスマ的な音楽家のものでなくても楽しめてしまうのが音楽の懐の深さでしょう。


音楽鑑賞の趣味を復活させたので眠っていたCDを出して来ました。

こちらはビアジオ・マリーニのものです。
マリーニはニコラ・アマティと同じ世代のヴァイオリン奏者で作曲家でした。出身はブレシアでこちらもヴァイオリンを作っている町でした。マジーニよりは一回り以上年下になります。そのあたりの流派のヴァイオリンを使っていたかもしれません。

普通バロック時代の音楽家は「歌もの」、つまり声楽曲がメインですから器楽曲は珍しいです。マリーニもモンテベルディよりはずっと年下でモンテベルディの下でヴァイオリンを弾いていたとも本には出ています。他にも本にはヴィルトーゾのヴァイオリン奏者の名前が挙がっていますが、CDでは見たことがありません。

とはいえヴァイオリン自体がまだ新しい楽器だったことでしょう。名前が残っているのはアマティ家やガスパロ・ダ・サロなどですが、実際は他にもたくさんヴァイオリンを作っている人はいたのではないかと思います。
アマティ家しかヴァイオリンを作っていないならイタリア中の教会や宮廷で演奏されていたのなら足りません。

いずれにしてもマリーニを聞けばニコラ・アマティがどんな音楽を聴いていたのかということでもあります。

マリーニも同じ時代の他の作曲家とそっくりな音楽です。バロック時代の芸術と言えば何と言ってもカトリック教会の芸術という面が強いでしょう。何故か日本の歴史教育ではカトリック教会が悪者にされてしまいました。当事者でもないのにです。中立な立場で見事な芸術や文化を楽しめば良いでしょう。ド派手な教会や宮殿などの建築がまずあって、そこに飾る彫刻もダイナミックで素晴らしいものです。天井や壁には絵が描かれました。その中で音楽も演奏されるわけです。

そのような美意識を音楽で表現しようとしたという点ではとても芸術性の高い音楽のように思います。聞いているには高い集中力を要求し、全身に力が入って息が詰まるような気迫のこもった音楽です。

一般によく知られているバロック音楽はもっと後の時代のもので貴族の優雅な暮らしを演出するものです。リラックスして楽に呼吸ができます。それもまた天上の世界をイメージしたようなエレガントなものです。現代ではそのような芸術はあまり評価されないでしょうが、私は作るのが簡単だとは思いません。心地よいものを作るのはあきらめたのではないかと思うほどです。

古典派といわれるような音楽は、芸術の時代区分から言えばロココというべきものでしょう。オペラ・ブッファの演出も作曲家を導いたことでしょう。バロックとロココは対照的のようでもあり連続したものでもあります。歳をとった今ではそれくらいのもののほうが仕事から帰って疲れた心が休まります。
古典派も知られざる作曲家が多く、作風はみなそっくりです。私にはモーツァルトだけが群を抜いているとはわかりません。それでもモーツァルトの交響曲全集も買って毎日のように聞いています。

私の中で新時代の音楽鑑賞としてベートーヴェンやシューベルトくらいまで聞けるようになってきました。

普通は歴史というと今を頂点となるように都合のいい史実を並べたものです。たくさんの人が認めるためにはそうなっていないといけません。

しかし何か新しいものが生まれれば、何かは失われています。
学生時代にのめり込んだことが自分が作っている楽器の作風に現れていますね。芸術家になるほどの才能が無かったので自分にできる職業で表現しようということです。

20歳ころに漠然と思い描いた理想を超えるものは生涯出てこないかもしれません。残りの人生はそれ実現するかどうかだけです。
もの自体は10年くらい前に作れるようになっていました。さらにそれが多くの人と分かり合えるようになってきました。幸せなことです。


3本のヴァイオリン


たまたま修理が終わったヴァイオリンが3本あります。
まずはこれから

これは弓とヴァイオリンをセットで使われていなかった中古品を10万円位で買ったものだそうです。弾けるようにしてほしいという依頼です。
指板も工場から出荷されたままでぐにゃぐにゃだったので削り直して、ペグも機能するように削り直し、駒と魂柱を交換し、テールピースをウィットナーのものにしました。弦は自身で購入されたものにE線だけ交換しました。

まず弓はマルクノイキルヒェンの作者の知れたもので最低でも20万円はするでしょう。ほとんど未使用でオリジナルの状態です。さすがに毛が古いので交換すれば使用可能です。この時点ですでに安い買い物です。
ヴァイオリンは一見して綺麗に見えます。大量生産品ではありますが品質は高い方で20万円では買えないでしょう。30~40万円してもおかしくないでしょう。
最低でも50万円はするものを10万円で買えたというわけです。

角は丸くなっていてチェコのボヘミア地方の量産品という感じがします。ラベルなどは無くほとんど未使用のような綺麗さなので時代が分かりません。

作り自体はハンドメイドのような感じがあります。量産品で仕上げを丁寧に行ったものでしょうか?
ニスはいかにも量産品という感じで現代のアクリルのものが使われているようです。だとするとチェコがスロバキアと分裂して独立した90年代以降の物ではないかと思います。


次の候補者は

これはミルクールの量産品です。量産品でもコーナーやエッジの加工、アーチの作り方など随所にフランス的な要素が見られます。
これもマイナーな修理です。ペグボックスの昔の修理がまずく、傷口が開いていたので接着しなおしました。後は駒と魂柱の交換などです。

裏板は安い材質で一枚板なのもはぎ合わせる作業を簡略するためのものでしょう。

スクロールはフランスの楽器にしては美しくなく、ヘタな修理の跡もあります。それでも渦巻の部分の彫りこみが浅いフランスの特徴があります。

ラベルにはF.ブルトンと書いてありますが量産品でよくあるものです。

1890年で明るい色ではありますが、130年も経っているとさすがに古さを感じます。値段は私たちのイメージはただの量産品の中で木材の感じから言ってもグレードは低いものです。
ミルクールの楽器の相場は職人のイメージよりはずっと高くて50万円くらいは簡単にします。ミルクールの量産品は40~100万円位と考えると良いでしょう。これよりももっとひどいものはたくさんあるので「フランスだから」と言って買う価値が全く無いものが多いです。



最後はこちら

東ドイツのエルバッハのフリッツ・ピューラントの1971年製のヴァイオリンです。

現在エルバッハはマルクノイキルヒェンに統合されているようです。
マルクノイキルヒェンの量産品に比べると明らかにクオリティが高くきれいです。

マイスターのヴァイオリンといっても良いレベルです。
弦の被膜の金属が錆びていたので弦を交換し、ニスの補修をしました。

さっきのフランスのものと比べると新品のような状態なのに角が丸くなっています。これは1900年ごろミラノの流派などがアンティーク塗装の要素として行ったものが戦後には大流行したということです。東京にもドイツで修行した職人やその教え子が多くこのような感じのものは多いと思います。

昔のコレクションではクレモナのオールド楽器などもエッジを丸く削ったかのようになっています。黄金色の楽器に丸くなったエッジがクレモナの名器というイメージがあったのでしょう。
この楽器は黄金色というよりは明るい黄色です。黄金色を作るのは難しいです。しかしイタリアの楽器=黄金色というイメージがあったのかもしれません。50年経っているので新品の時よりは色が落ちついているはずですがそれでもまっ黄色です。

値段は東ドイツのマルクノイキルヒェンのマイスターは西ドイツの都市のマイスターに比べると量産楽器の影響があり、また経済水準の低い東側の国に輸出していたこともあってものすごい速さで作られて値段もそれほど高くなかったはずです。

しかしこう見ても明らかに品質が高いもので共産国の工業製品としては例外的なものです。職人の人生観は政治体制に負けてないのです。
東ドイツは共産圏の中では最も優秀な工業国だったことでしょう。国としても甘くてベルリンの壁を開けてしまったためにソビエト崩壊のきっかけを作ってしまいました。
それくらいのんびりしているほうが地球や人間にとっては良かったのかもしれませんが、他国との競争には勝てません。


こういう楽器の値段はとても難しいものです。マルクノイキルヒェンのマイスターなら60万円位という考え方もあります。現在では西欧で新作楽器が150万円くらいするのが普通でしょう。それは現在の生活水準、労働時間の短さ、社会保障や文明生活の費用が加算されるからです。
そう考えると60万円は安すぎます。

また戦前のドイツのヴァイオリンの値段もよほど有名でないと1万ユーロ(約125万円)を超えません。これは前回から話しているようにモダン楽器は知名度の高い一部のものだけがべらぼうに値上がりし、それ以外のものは新品よりも安い値段にしかならないのです。

誰の目が節穴なんでしょうか?
オークションに参加する人です。

その節穴の人の言うことをウンチクとして語るのは愚かなことです。

弾き比べ

まずははじめのボヘミア風の楽器から。弾いてみるといかにも量産品という音がします。品質が高いだけに量産品らしさが確実なものになっているようです。量産品らしいというのを言葉で言うのは難しいですが、そんな楽器から始めた人なら「懐かしい」と思うでしょう。
かえって品質が悪い方が、イチかバチかみたいなところがあります。

楽器の剛性は量産品らしくカチカチで裏板はいつものように厚めになっています。これは手を抜いて薄くしなかったというよりは、すでにそのような楽器製作が何世代も続いてそれが正しい厚さだと信じられていたのでしょう。量産楽器の教科書のようなものです。

弓とともに10万円で買ったなら買い物としては失敗ではないでしょうが、やはり楽器というのは試奏して選ばないといけないという例です。弓も当然使いやすいものを選ばなくてはいけません。


次はミルクールのブルトンです。
これは意外なことにとても柔らかい音がします。私はモダン楽器や量産楽器は音が鋭いものが多いと言ってきました。モダン楽器で量産楽器ですが、音が柔らかいです。高音も柔らかく美しいものです。アーチは平らでいかにもフランスのモダン楽器というものです。

このように何の規則性もありません。
ヴァイオリンの音は弾いてみないとわからないのです。

柔らかくて、音は出やすいので優れた楽器です。音色は単調な気がします。


最後はピューラントです。
この楽器はうちの店で買って8年間使っていなかったそうです。その時張っていたエヴァピラッチが錆びていました。それでも明るくて強い音がしていました。現代のヴァイオリンによくある音です。

新しいオブリガートに換えると少し暖かみのある暗い音になり音量は増大しました。やはり傷んでいる弦ではダメなようです。オブリガートでもとてもよく鳴っていました。
作られてちょうど50年のヴァイオリンです。明らかによく鳴ります。
これ以上は100年経っても変わらないでしょう。

音色自体は現代の楽器としては正統派のものです。つまり現代の正統派の楽器ならどんな有名な作者の新品の楽器よりも優れていることになります。

天才などではなくても普通に作ってあればヴァイオリンというのは50年もすればよく鳴るようになるということでしょう。この楽器はほとんど使われていないような状態でもそうなっているというのが興味深いです。
よく弾き込んでいれば20~30年くらいでも鳴って来るのではないかと思います。

この楽器を仕入れたのは15年以上前です。師匠は当時安く売りすぎたことを後悔しています。
当時は現代の他の職人の楽器に対してはライバル心もあって低く評価したかったのでしょう。自分たちの流派のやり方とちょっとでも違う所があるとダメな特徴だと考えケチをつけたのです。視野が狭かったのでした。

確かにニスの色は明るすぎるし、エッジまで同じ色で塗ってあるのも不自然です。角を丸くするのならエッジの部分は色が薄くなっているほうがちょっと古く見えます。
しかし音量では我々の楽器が負けています。真摯に受け止める必要があるでしょう。

たくさん楽器を見て来て師匠も私もだいぶ分かるようになってきました。

音は予測不能

初めのものは10万円で買ったのなら間違いなく上等な量産品だと思いましたが、弾いてみたらいかにも量産品という音のものでした。

ミルクールのものもよくありますがこんな柔らかい音のものは珍しいです。見た目よりも音は良かったと思います。ガン&ベルナーデルでも量産品といえば量産品です。最低ランクでも300万円以上しますし下手なハンドメイドの楽器よりも音が良いということを報告してくれた人もいます。

最後のものは20世紀の楽器らしいものです。作風やスタイルには流行があり、当時はそんなものが流行ったという感じです。音も明るくいかにも現代の楽器です。我々の師匠の師匠くらいの時代のトレンドだったのでしょう。
今では暗い暖かみのある音が私たちの地域では好まれます。ニスも濃い色のほうが好まれます。

このため20世紀の楽器作りを惰性で続けていたのでは全くこのような「中古品」に太刀打ちできません。
これが60万円くらいで、全然鳴らない新作楽器が150万円なら全く話になりません。さらに日本で売っている値段は現地よりずっと高い200~300万円です。
我々職人にとって脅威なのはクレモナのマエストロではありません、このような楽器です。

20世紀の職人とは違う「魅力的な音」の楽器を作らなければいけません。