中国製の5万円のヴァイオリンで十分? 音と値段の話 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。


こんにちはガリッポです。

弦楽器について理解するのに一番大事なのは先入観を無くすことでしょう。偉そうなことは言えません。職人には職人特有の思い込みがあり現実を直視できないものです。

先週はこんなことがありました。
ペグの具合が悪いので見て欲しいとヴァイオリンが持ち込まれました。見ると中国製のとても安価なヴァイオリンであることが一瞬で分かります。ケースと弓とセットで10万円もしないようなものです。オンラインショップなど店によってはもっと安い値段で売られているかもしれません。
仮に「中国の5万円のヴァイオリン」と呼ぶことにしましょう。

ペグの材質や加工、取り付けが悪いのでうまく機能しないのはいつものことです。うちの店では量産楽器を仕入れる時には、ペグもついていない状態で仕入れてうちでペグを取り付けています。工場で仕上げたものでまともなものは無いからです。

ペグを削りなおしたり穴を削りなおせばまともになりますが、あまりやりすぎるとペグがどんどん奥に入って行ってしまうので最小限にしかできません。ペグ交換となれば3万円くらいはかかってしまいます。

それで何とか調弦ができるようになったヴァイオリンですが、演奏できるかチェックする必要もありますが、どんなひどい音がするのか興味もあります。
試しに弾いてみると意外とまともな音がしました。

ちゃんとヴァイオリンらしい音がするのです。どちらかというとやや力強さもありかと言ってひどく耳障りでもありません。初心者のお客さんにはお薦めできるまっとうな音のヴァイオリンでした。
それが5万円なのですから安いです。

例えば私が作るヴァイオリンは音はとても柔らかいですが、強さという点では大したことがありません。それに関して「店頭で」弾いたくらいならこの5万円のヴァイオリンに負けているかもしれません。ホールに持って行けばまた違うでしょうが、自宅や練習室くらいなら負けてしまうかもしれません。私はそのようなことは知っているし当たり前のことだと思っています。

更に去年はジュゼッペ・ペドラッツィーニのヴァイオリンを紹介しました。これはかなり変わった音の楽器でギャアアアという鋭い音がします。それに比べると中国の5万円のヴァイオリンのほうが万人向きもまともな音だと思います。つまり多くの人にとってはペドラッツィーニよりも好ましいということです。
ペドラッツィーニは700万円くらいは簡単にするでしょう。そうなると700万円のヴァイオリンよりも5万円のヴァイオリンのほうが音が良いということがあり得るのです。私はそんなのは普通にあることで変わった出来事だとは思いません。

なんでこんなことが起きるのかといえば、ヴァイオリンというのは安価なものも高価なものも同じ仕組みで、同じ大きさで、同じ材質でできているからです。つまり同じものなのです
これが軽自動車と高級スポーツカーならエンジンが660㏄と5000㏄のように違います。当然パワーが違います。高級スポーツカーはエンジンを運転席の後ろに載せていることがよくあります。重量のバランスが良いからで、F1レースでは初めは前にエンジンが載っていて、後ろにエンジンを載せはじめチームが強かったということでそれ以降どのチームもエンジンを後ろに載せるようになりました。軽自動車で後ろにエンジンがあったら人も荷物も載せられずに不便なのでエンジンは前についています。

このような違いがあるので走行性能には差が出ます。しかし、ヴァイオリンはみな同じ方式で作られています。つまりみな同じなのです。高価なものにも画期的な違いはありません。ヴァイオリンは完成するまでどんな音が出るかわかりません。作っている途中で音を調整しながら仕上げるようなことはできないのです。

そのスポーツカーも公道では軽自動車と同じ速度でしか走ることはできません。制限速度が決まっているからです。それでもなぜスポーツカーを買うかといえば人によって違いますが、理系の趣味とてしてはメカニズムに興味があってそれが理想的な形であることを頭で理解しているからです。
本当にレースに出るなら実際にレーストラックを走ってタイムを測れば良いです。意外と高級スポーツカーよりも普通の量産車を改造したもののほうが速いかもしれません。

楽器も同じで本当に音の良い楽器を求めるなら作者の名前や値段は伏せて、実際に弾いてみて音が良いものを選ばなくてはいけません。このことを口を酸っぱくして言ってきています。

スポーツカーもまた趣味であり、見た目の美しさもあるし、ものを買う動機はいろいろあります。必ずしもインチキとは言えません。


「音が良い」というのも定義するのは難しいものです。弾く人によっても出てくる音が違います。私が中国の5万円のヴァイオリンの音が悪くないと言っても、「いや、こんなのはダメだ」と言う人もいるでしょう。

このような安価なものはペグ、駒、指板などに問題があり、弦もとても安価なものがついています。すべて手直しや交換をすれば楽器の値段を超えてしまいます。

チェロにはさらに大きな問題があります。

このチェロでは駒の足が全く合っていませんがそれよりも、駒が低すぎて振動している弦が指板に触れてしまい異音が発生しています。このため駒を2cmくらい指板に近い所に立ててありました。駒が指板に近くなると相対的に弦と指板の間の隙間が大きくなります。しかし2cmも違うと指板上で弦を抑える位置が変わってしまいます。超初心者を除けば2cm駒の位置が違ったらまともに弾けなくて困ることでしょう。駒の加工もいい加減なら伐採されたばかりの新しい木材を無理やり接着して作ってあるので変形してしまい駒が合わなくなったのでしょう。
かと言って駒を交換したらチェロの値段よりも高くなってしまいます。

だからうちではそのようなものは扱いません。専門店の責任としてそのようなことが起きれば無償で修理しなくてはいけないからです。無料でも買った人は不愉快な思いをするでしょう。高くても初めからちゃんとしたものだけを売るほうを選びます。
職人もいない会社が中国製の楽器を売っていたとしたら修理もできません。

弦楽器を見分ける3者のプロ


年に一回くらいはしなくてはいけない話です。初めての人もいるでしょうし、忘れかけている人もいるでしょう。


弦楽器についてはその良し悪しを見分けるプロが3者いるという話です。
それは、①演奏者 ➁楽器商 ➂職人 です。
いずれもそれを職業としていればプロです。この3者が同じ評価を下すなら話は簡単です。問題は全く違う評価基準を持っていることです。つまり良いものとして選ぶものが全く違うのです。

プロが選んだとしても、全く違うものが選ばれますから、誰が正しいのかということになります。

演奏者はに興味が強いです。音が良い楽器が良い楽器と考えます。
当たり前のように思うかもしれませんが他の2者のプロはそうではありません。

職人は品質に興味が強いです。高い品質のものを作るには時間がかかるため、製造コストが高くなります。一方で安く作ると品質が悪くなります。このため品質を見て楽器の値段を考えます。中国の5万円のヴァイオリンは品質と製造国の賃金水準から5万円なのです。音は関係ありません。
職人は単にその職業に従事しているだけでなく、「職人の道」を人生観としています。師匠からは正しい職人の生き方として美しいものを作るということが叩き込まれます。このため品質の劣るものを嫌います。実際には十分良い音がするものでも悪い楽器だと考えます。見事に精巧に作られたものも音がさほどではないものはよくありますが職人はこれらを高く評価しがちです。


楽器商はお金に興味が強いです。楽器商にとって良い楽器とはお金になる楽器、つまりよく売れる、高く売れる楽器を良い楽器だと考えます。作者の知名度が高ければよく売れるので価値が高いと考えます。だから知名度が値段を決めます。音は関係ありません。
楽器の値段はオークションなどによって決まります。音楽家でオークションに参加している人はまずいないでしょう。ヴァイオリンというのは年間に数台、せいぜい10台くらいしか作れないものなので作者名を指定して買おうとすれば数が少ないのです。それはオークションに参加するわずかな人が選んでいるのであって、ヴァイオリン奏者の総意ではありません。オークションに参加するのはお金に興味が強い人たちです。

このため有名なペドラッツィーニの楽器は700万円するのです。どんな音がするかではなくチャールズ・ビアの鑑定書があることが重要です。これが無ければ700万円は怪しくなります。音よりも紙切れのほうが大事なのです。

なぜ700万円のヴァイオリンよりも5万円のヴァイオリンのほうが音が良いことがあり得るのかお分かりいただけたでしょうか?

ホプフのヴァイオリン


実際の楽器の例で見てみましょう。



年末にホプフのヴァイオリンについて紹介しました。四角い独特の形をしています。


またほかにホプフが修理のために持ち込まれました。指板を削って駒と魂柱を交換し、ニスの補修をするというルーティーンの修理です。
楽器を見るとダビット・ホプフという名前が手書きのラベルに書かれています。私はホプフのニセモノなんてわざわざ作らないとこの前も書きました。しかしこれはニセモノでしょう。ずっと新しい感じがします。

とはいえ、同じくクリンゲンタールで作られたものでしょう。ホプフはホプフの家族によって1800年ごろに作られたオールドのものがあり、その後も20世紀までクリンゲンタールで作られた楽器を広くホプフの名前で売っていたようです。その意味ではホプフとしては本物ですが、時代がずっと後なので「ダビット・ホプフ」としてはニセモノでしょう。

輪郭の形は似ています。まさにホプフモデルでシュタイナーともストラディバリとも似ていません。

ニスはラッカーのようです。したがってせいぜい1900年頃のものでしょう。

ボタンのところにHOPFの文字は無くパフリングがとがっています。

スクロールもオールドっぽくありません。

継ネックをしてあるように見えますが、木目がつながっていて一つの木材のように見えます。

継ネックとペグボックスの継ぎ目がうねっています。継ネックをするなら普通はまっすぐな面を合わせるほうが簡単なはずです。こんな難しいことはしません。これは単にひっかき傷で線を付けているだけです。ナットの下のところで線が途切れているので間違いありません。
継ネックは古い楽器に見せかけるためのダミーということになります。ホプフに見せかけたホプフ派の楽器です。



更に別のホプフもあります。

これは明らかに20世紀の大量生産品です。

形はやはりホプフ型で裏板にはHOPFの文字があります。

パフリングはマルクノイキルヒェンの大量生産品によくみられるものです。真ん中の白い部分がとても細いのが特徴です。黒い部分は茶色の木を染めたもので色が褪せて灰色っぽくなっています。

全体としてもストラディバリウスというラベルが貼ってあるような大量生産品とよく似た雰囲気のものです。
したがってその工場ではストラディバリモデルなどとともにホプフモデルも作られていたのでしょう。


ホプフの値段を提示することが難しいのはこのようにバラバラなものが含まれているからです。おそらくホプフのヴァイオリンの値段は2000~1万ユーロくらいではないかと思います。オールドである初めのものは状態が良ければ1万ユーロに近いもので、最後のものはせいぜい2000ユーロくらいのものでしょう。中間のものは値段もその中間です。

音の違い

初めのものは1800年頃のオールドのホプフと言えるでしょうが後のものは近代のものです。形は同じホプフモデルですが、見るとすぐに新しいという感じがします。時代によって雰囲気が変わっています。この違いがどうやって生まれるか私が研究しているところです。簡単に言えば職人というのは時代に左右されるものだということです。これは職人に限らないでしょう。

興味深いのは音の違いです。
最初のものは柔らかい味のある音でオールド楽器らしい音がします。新しい楽器でこのように柔らかい音のものはまあ無いです。音だけでなく楽器全体が柔らかい感じがしました。

2番目のものも落ち着いた音ではありますが、楽器全体に硬さを感じます。モダン楽器という感じがします。

3番目は明るいはっきりした音です。ミルクールやドイツの他の量産楽器とも似ています。嫌な耳障りな音は無く不快ではありません。

どれが一番良い音なのでしょうか?
「明るい音が良い音」と考えているなら最後のものが一番良い音になるでしょう。柔らかくて暗い音が良いならオールドのものが良い音になります。

つまり客観的に音が良いとか悪いとかいうことは無いのです。

「明るい音が良い音」と考えるなら一番安い新しいものが一番音が良いことになりますが。それは最も安価なもので手に入ります。一方「柔らかくて暗い音」が良いなら新しい楽器ではまず手に入りません。古い物の方が数が少なく希少なので入手は難しくなります。私はそのことを知っているのでオールドのホプフが貴重なものだと考えます。でも音は各自の自由です。


これらの三つのホプフに共通して言えることは割と発音が良く、嫌な耳障りな音もなくどれも悪くありません。しかし職人にとっては精巧に作られているわけではなく、シュタイナーやストラディバリのような美しい名器のお手本に習っていない独自の形で美しいとは思いません。知名度は低く楽器商は全く興味が無いでしょう。オークションで高値が付くことはありません。

でもうちの地域では有名なヴァイオリン教師の方がオールドのホプフを使っています。その人の娘さんはクラシックファンなら誰もが聞いたことのあるオーケストラのヴァイオリン奏者でイタリアの名器を使っています。その母親がホプフを使っているのです。実際にオールドの楽器を知っているプロがイタリアのオールド楽器の音だと言っているのです。私のほうが初めは信じられませんでした。

先生もプロに含めれば演奏家が評価している楽器です。それに対して職人や商人は全く興味のない楽器です。このため値段は安くオールドでも100万円位しかしません。


私は変わっているので興味を持っています。
ホプフモデルについて考えてみると四角い形をしているのが特徴です。アッパーバウツとロワーバウツの幅は近代的なストラドモデルに比べてかなり細いです、しかしミドルバウツの幅はストラドモデルよりもずっと広いです。そういう意味ではグァルネリ・デルジェスの特徴をさらにそれ以上にしたものです。アーチはあまり高くなく古いものはオールド楽器らしく板が薄くなっています。

構造的に窮屈ではなくむしろ理想的のようにさえ思えます。その結果音も悪くありません。他のマルクノイキルヒェンのオールド楽器ではもっと窮屈な構造で苦しくなるような耳障りな音のものもよくあります。

最後のものは量産楽器らしく裏板がかなり厚めになっています。最後まで削っていないからです。音はやはり明るい音がします。

確かに音は違う

中国の5万円のヴァイオリンやホプフの量産品でも音が悪いとは言えません。そのような音が好きという人がいれば良い音です。
じゃあ「ヴァイオリンなんて5万円で十分か?」と言われると5万円のヴァイオリンではオールドヴァイオリンのようなやわらかい味のある音は出ません。ホプフの100万円位のものならそのような音が得られます。オールドヴァイオリンの様な音が良いなら5万円のヴァイオリンでは無理です。
明るい音が良いなら20~30万円くらいの戦前の量産ホプフのほうが音が良いことになります。
19世紀のモダン楽器なら明らかに音量があるものもあります。

したがって自分がどんな音のものを求めているのかということが重要になってきます。それが珍しい音なら入手は難しくなります。よくあるような音ならかなり安い値段でも同じような音のものはあるでしょう。それに何百万円も出す必要はありません。

先生やプロの演奏家もそれぞれ好む音が違います。
音しか興味が無い先生は、100年くらい前の楽器の音の強さを良しとする人もいます。一流の職人の新作ハンドメイドの楽器よりも、100年以上前の量産楽器を修理や改造したもののほうが音が良いと言う先生は少なくありません。そのような仕事ばかりしている職人もいて話を聞けば私よりも職人にとって厳しい現実を認識しています。

一方で楽器の価値は音だけでもありません。趣味となれば腕の良い職人の作ったものが欲しいという人もいるでしょう。職人はそれを見分けることができます。
楽器店で「名工の作品だ」として売られているものが他の職人と変わらないレベルやそれ以下であればすぐに分かります。職人は名工というのは嘘だと考えます。
名工でも何でもないものに何倍ものお金を払うのはバカげていると職人は考えます。
楽器自体がありふれたものなら音もそんなに抜きんでたものではないと経験上知っています。しかし本当のところは弾いてみないとわかりません。
こうなると逆も考えられます。無名な職人の楽器でも音が良いかもしれません。

私は職人としてオールドやモダンの名器がどのようにできているか構造を研究しています。私なりにこのようなものだろうと共通項が見えてきています。それにしたがって楽器を探したり自分で作れば、手あたり次第試奏して選ぶよりも大外れはしないかもしれません。

しかし良い音は自由なので私の考えに反するものの中に音が良いものもあるかもしれません。しらみつぶしにすべての楽器を弾けばそれ以上のものもあるかもしれません。それをするには自分で音が分からないといけません。そのような自信はあるでしょうか?自分が「これだ」と選んだものが他の人に弾かせたら酷評されてしまうかもしれません。それが怖いですね。

自信が無ければ職人の意見も参考にして総合的に楽器を判断すれば、自分が持っている楽器のことを信じられるでしょう。弦楽器というのは信じて弾き続ければ鳴ってくるものです。商売人は都合のいいことを言うので危険ですよということでもあります。