事例研究/ケーススタディ【第17回】ドイツのモダンチェロ、ケアシェンシュタイナー前篇 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

チェロで紹介できる上質なものが見つかりました。
とても珍しいものです。




こんにちは、ガリッポです。

当ブログでは弦楽器の良し悪しなどについてこれまで言われてきたことが正しい知識なのかということを疑いの目を持って見てきました。過小評価されている楽器の価値を見直すこともその一つです。
私がこんなものが世の中にはあると紹介してもお店に行って売っていなければ買うことはできません。そういう意味では皆さんを飼い殺しにしてしまっていることを申し訳なく思います。


今年はチェロの話題を多めにとあり上げているせいもあっていろいろな相談を受けます。
チェロはヴァイオリン以上に楽器購入に難しさがあります。いつも言っているのは「ヴァイオリンは選択肢が多すぎて決め手に欠けて選べない、チェロは少なすぎて選ぶ事すらできない」というものです。生産にかかる費用と作られた本数が全く違います。

店頭で売られている楽器はそのお店や経営者が経験の中で「売れるもの」を選んだ結果なはずです。したがってそれらが日本では主流であると言えます。それで満足している人は相談しては来ないでしょう。私はそれらのものを買ったのに気に入らないという声をよく聞きます。日本人の好みがこれまで良いとされてきたものと本当に合っているのかも疑問が大きくなりました。

ヴァイオリンなら探せば例外的なものもありそうですが、どうやらチェロになるとずっと難しいようです。私は商人ではないので日本では売られていないようなチェロをヨーロッパで探してたくさんの数を取りそろえるというは自分の職業ではありません。

良い物ばかりをそろえるというの現実的にはとても難しいと思います。
仕入れたもののうち一部に人気が集中して売れ残りが出てしまいます。
営業マンを雇って彼らの努力によって販売を確保するというのがこれまで業者がやってきたこと思います。「営業マンが売りやすい」ものが選ばれてきたのでしょう。それは聞こえの良さというものです。

聞こえの良さといっても音が良く聞こえるわけではありません。ネームバリューの話です。

商人はとても気にする部分で仕入れの基準になっているはずです。我々に楽器を売りたい中間業者は聞こえの良さをアピールしてきます。こちらはそんなのには全く興味がありません。


日本は消費不況で、多くの産業でものが売れにくい状況になっています。
売れ筋に商品を集中させるとともに強力なセールスポイントを必要としています。休暇で日本に帰るとそのような企業努力を強く感じます。派手な宣伝文句が必須になりますが、逆に考えれば宣伝文句さえよければ他はどうでもいいということになります。職人気質はそういうことは許せない時代遅れの性分です。

消費者の方も甘やかされて地味なものの良さをわかろうと努力することはありません。寝っころがっていれば勝手に欲しいものの情報が伝えられるのが当たり前でそうでなければ「商売する気が無い」と言われてしまいます。広告宣伝の努力が足りないのだそうです。


私はそのような熱心な企業努力が感じられる商品を目にすると購買意欲をすっかり失ってしまいます。商品の優れている点を盛んにアピールされると「そんなに良い物なんだ?じゃあ買わない。」となってしまいます。考えに考えて「これなら絶対売れる」という商品に私は魅力を感じません。


製造業者にはその分野の専門家としての知識を発揮して製品を作ってほしいものです。
素人受けするものではなくてそのものをよく知っている人が良いと思うものを作ってほしいのです。ただし、感覚がエスカレートして一般の使い手を無視したようなものはいけません。やっていることが業界内での勝ち負けの争いになっていることに気付かなくなっているのでしょう。

専門家が考える「普通のもの」こそ人類の英知の結晶だと思うのです。とても優れたものともてはやされるものではなく普通のものこそ重要だと思います。身の回りに当たり前にあるものも多くの先人の創意工夫によって困難を乗り越えてきた奇跡の品々なのです。こんにゃくの作り方ひとつとってもどうやって編み出したのか不思議です。近頃は人類の歴史と知恵の詰まった「モノ」が軽視されているようです。物のありがたみがすっかりわからなくなっているようです。

普通のものが普通の値段で買えれば買い物は成功です。


そのような楽器が作れるように勉強しているという段階です。
ブログをやる前は「日本の人達は明るい輝かしい音を好む」と言われてきたので私が作るような楽器は好まれないかもしれないと考えていました。しかし実際の日本人は必ずしもそうではないということが分かってきました。日本の常識に反する意見は抹殺されてきたのでしょう。

私が好きな音の楽器を作れば日本では貴重なものとなるということがつかめてきました。ユーザーに媚びた製品を作るよりも自分が納得するものを作るので良さそうです。

技能を身に付けるという修行の段階は過ぎて、楽器を作ってみて実際に試してもらって気にいってもらえるようにしなくてはいけません。ヴァイオリン製作を学び楽器を作れる人はたくさんいて店頭にもたくさん並んでいます、しかし次の段階へどう進むかです。商売のために「聞こえ」をよくするために努力すべきでしょうか?ハードワークが続きます。


オールドのチェロ


ヴァイオリンに比べるとチェロで理想的なものを見つけるのは、とても難しいと言えます。勤め先ではチェロのお客さんが半分くらいの職場ですが、ヴァイオリンに比べるとチェロで古い良い楽器を使っている人ははるかに少ないです。

ヴァイオリンなら在庫がいくつかあるレベルのものも、チェロでは今までに見たことがあるというくらいです。例えば、オールドのドイツのヴァイオリンはこれまでも紹介してきましたがチェロでそういうものは一度見たかどうかくらいです。世の中にはあるのかもしれませんがうちでは在庫はありません。

この黒っぽいものはミッテンバルトのオールドチェロで売ることもできます。良いチェロですね。しかし問題があります。右側に見える現代の量産チェロと比べてみてください。何かが違います。

小さいのです。

そのため、地域に神童のような子がいると貸しているのです。
大きくなれば大人用のチェロを買うことになります。

サイズが定まっていなかったのです。
作られた本数自体が少ないのに大きさもバラバラなのです。
ドイツのオールドは選択肢にまず無いですね。うちのお客さんでも、バロック用として使われている以外はほとんどありません。修理でザクセンのものはありました。修理代とチェロの値段が一緒くらいでしょう。


スウェーデンのものは見たことがあります。
なんとなくビオラダガンバっぽい雰囲気がしました。

フランスのオールドも何度か見たことがあります。モダンになる前のフランスのものです。
常連のチェロ教師の方が使っているダビット・テヒラーのラベルが貼られたものもフランスのものではないかと思います。これは素晴らしいチェロです。作者不明です。


イタリアの上等なものも見たことがありますが値段が億単位ですから。それだけのお金を持っていればあるところにはありますが、読者のほとんどは関係のない話だと思います。それでも一流の演奏者も手放さず、教え子などに譲ってしまうこともあります。


オールドの作者でもチェロの本数はヴァイオリンよりはるかに少なくてヴァイオリンでは有名な作者でもチェロはほとんど作っていない人も多いです。



実はうちの会社にドイツのオールドでライオンの頭が付いたものがあります。
シュタイナーをまねたものです。しかし、状態がひどくてどうにもなりません。
建築でも大きなものを作るのが難しいのは、大きくなるほど強度が不足するからです。

弦楽器の場合、強度を高くすると大きな振幅ができなくなり低音が出にくくなります。したがって大きさの割には板が薄くなっています。ぶつけたり事故に遭うことも多いです。弦の力は強大で常に負担がかかっています。



今回はモダンチェロのお話です。

ペーター・シュルツのヴァイオリン

ヴァイオリンなら見せられるものがまだあります。


これはペーター・シュルツ1849年製のドイツのモダンヴァイオリンです。
このヴァイオリンはとても音量に優れたもので枯れた味のある強大な音がします。モダン楽器によくある鋭い音で柔らかい音ではありません。それでもひどい耳障りなものではありません。

ドイツの一流のモダンヴァイオリンといっても良いと思います。

いわゆるストラドモデルではなくちょっと変わっています。
同じ作者でもフランス風で赤いニスのものもあります。


フランスのマジーニモデルに似ている部分もありますがよくわかりません。

アーチ含めてルーズな印象を受けます。

このルーズさは音響面で良い方に出ているのではないかと推測しています。
同じ流派の職人だと案外仕事が正確でない人のほうが音が良いということはあります。グァルネリ・デルジェズもそうです。基礎がしっかりしているからであって単に粗悪なものとは違います。同じ流派でも細工が上手くてきっちりしている人のほうが鳴らなかったりします。

私も基本的な考え方として楽器はガッチリと丈夫なものはあまり良くなく、ある種のゆるさが必要だと思うのです。一般的な工業製品で高品質というと頑丈にしっかりできているものですが、楽器に関してはそれではダメなのです。頑丈な楽器をきっちり作ってドヤ顔の職人もいますけども、演奏家には喜ばれないでしょう。

こんなことも誰かから教わったということはなく私は自分で気づいたことです。


このシュルツの持ち主は音大で学んで相当な腕前です。
もっと良いヴァイオリンをもとめて探していました。
シュルツを手放すなら私が欲しいくらいです。滅多にないチャンスです。

結局半日いろいろ試した結果、自分の楽器の音が一番良いという結論に達したようです。
私にとってはちょっと残念です。
よほどの楽器でないと超えていくのは難しいです。

この優れたモダンヴァイオリンの値段がいくらだと思いますか?
300万円もしないのです。
私が有名な新作のイタリアの楽器にビビったりしないのはこのような楽器を知っているからです。パワフルな音では到底かないません。うぬぼれて自分の楽器を画期的に音が良いと豪語することもできません。力ではかないません、私が作るのは柔らかい美しい音です。



これが良い楽器というのは日本の皆さんにはわからないと思います。


何でヴァイオリンの話かと思うかもしれませんが今回紹介するチェロはシュルツの弟子のものだからです。

クサファー・ケアシェンシュタイナーのチェロ

言いにくい名前ですがドイツのモダンではシュルツとともに名の知れた作者です。


これは1911年に作られた最晩年のものです。息子や弟子もいたようですがクオリティは高い物ですぐに量産品と違うことが分かります。お手本通りのストラドモデルで以前紹介したヴィンターリングとも形も色もそっくりです。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12294199999.html


ヴィンターリングです。この時代のドイツのマイスターの楽器はよく似ています。ストラドモデルがお手本として定まっていたのでしょう。


上等な柾目板でニスは均一に塗るのではなくて濃淡をつけてあります。アンティーク塗装というほどではないのですが、ニスが剥げているように見えるところもあります。当時お手本としたフランスの楽器もそんなに古くなっていませんからそんなイメージだったのでしょう。




コーナーもパフリングも綺麗に作ってあります。エッジは少し丸みを帯びていてそれこそ50年くらい経ったフランスの楽器という感じです。



f字孔もシャープできれいです。ストラディバリよりバランスが良いくらいです。


ヘッド部は前から見てもピシッとしています。

カーブもエレガントできれいです。





アーチは近代のセオリー通りフラットなものです。

裏板は深い杢の木を使っているので波打ってきます。古い楽器ではよくあることです。フラットでもしっかり形が作られ、仕上げも綺麗です。


このように教科書通りしっかり作ってあるものです。
私はオールド楽器のような味のあるものを目指しますが、チェロでこのようなクオリティものは滅多にありません。そのため教科書通りでもありふれたものではないのです。

ケアシェンシュタイナーのチェロを買いたいと思ってもそう売っているものではありません。
値段は~500万円程度だと思います。ヴィンターリングが20世紀初めの作者なのに対してケアシェンシュタイナーは19世紀後半の作者です。20歳年上なだけですが19世紀の作者ということでいくらか高くなります。

100年以上前のよくできたチェロが500万円しないわけですから新作にそれ以上出すのはばかげています。新作で500万円したとしても実力だけなら300万円位なものです。「聞こえ」に200万円払うことになります。


同僚が前にチェロを作った時に700時間かかったと言っていました。ニスは私が塗ったと思います。さらに一か月くらいかかったと思います。
ヴァイオリンの4倍くらい作業時間がかかります。値段はヴァイオリンの2倍とされています。
そのため真面目に作られることは滅多にありません。勤め先でも以前はよくチェロを作っていましたが、そのせいか経営難になってしまって最近は作っていません。

普通のチェロの相場を500万円くらいにしてほしいところです。



300万円でも出せる人はおらず儲けにならないので親しい知人に頼まれたら作るとかそんなレベルです。



音や楽器の構造などは次回に続きます。