10年前に作った現代の常識に反するヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

現代の楽器製作とオールドのそれとは全く違う所があり、同じような楽器は作られなくなりました。古い時代の楽器を再現するとどうなるか実験してみました。



こんにちはガリッポです。


前回は夏の日々でしたが夏も終わったようです。
イタリア人の職人も帰りました。

これからクリスマスまでにバロックチェロを仕上げなくてはいけません。
どんな風にしようかと古い楽器が出ている本をパラパラとめくっていました。イタリア人の彼がたまたま通りかかるとその時開いていたページの楽器を見て「とても美しい!!」「これは誰のヴァイオリン?」と聞いてきました。それはフランスのシルベストゥルのものでした。次のページをめくるとイタリアのモダン楽器が出ていてあまりにもひどいものでした。私は「これがイタリアでこれがフランスだ」とページを戻して見せると彼は「イタリアにはたくさん職人がいすぎる」ときまりが悪そうに言っていました。下手な職人もたくさんいるという意味です。

このようにフランスの楽器はイタリア人の職人が見ても美しい物なのです。
私がひどいと思うイタリアの楽器はイタリア人の職人にとってもひどい物なのです。

彼はドイツの楽器を見てもチェコの楽器を見てもロシアの楽器を見ても美しいものは美しいと言います。そういうものの価値はクレモナでは学ぶことは無かったようです。イタリア以外にも良い楽器がたくさんあることに驚いています。多くの場合私と彼の美しいと感じることは一致しています。


イタリアにも美しい楽器はあります。
しかしながらそれらは高すぎてイタリアのユーザーが買うことができなくなっていることを嘆いていました。とんでもない値段にしているのはイギリスなどの商人でイタリアの職人から見ても別世界の出来事でクレイジーだと言っていました。それに魂を売っている同胞も憤慨していました。


私も全く同じ意見です。
楽器自体は良いものも悪いものもあるし、上手い人もヘタな人もいます。それはイタリアに限りません。ただし日本での「末端価格」になった時にとんでも高くなりすぎるのです。そうなるとそこまで出す価値は無いと私は思います。それならフランスやドイツ、チェコやハンガリー、もちろん日本の楽器にも目を向けるべきです。

イタリアに職人は多すぎるそうです。
無名な職人の新作なら職人の取り分はスズメの涙ほどで気の毒ですが店頭では妥当な値段になっているものもあるでしょう。


イタリア以外の下手な職人の楽器は本に出版されることはありません。
本を見ていると酷い楽器は皆イタリアのもので、イタリアのものはひどいというイメージになってしまいます。どの国にもひどい楽器はあるのです。

イタリアのひどいものが日本の店頭ではたいそう大げさに紹介されるのです。「細工はひどい物だけど音は気に入ったから買う」というのならまだわかりますが、「世界的に有名な名工の作品」と紹介されろくに音を試さずに買っているのが実際のところでしょう。
音だけなら割安なチェコやハンガリーの楽器も無視できません。国名を教えずに試奏してイタリアのものと聴き分けることはできません。


日本から見て「世界の弦楽器市場」と考えられているものはヨーロッパ大陸の人たちにとって別世界の出来事なのです。クラシック音楽の発祥の地は除いた「世界」です。


彼ともだいぶ分かり合えて来たようです。

10年前に作った実験器


パソコンのキーボードが故障して「A」の反応が悪くて記事を書くのに苦労しています。
長文は厳しいです。

10年前に作ったヴァイオリンをメンテナンスしました。



これはアレサンドロ・ガリアーノのコピーです。ガリアーノ家の初代でクレモナからナポリに移りました。したがってアマティの一派と言うことができます。

アレサンドロやガリアーノ家の職人は繊細な仕事はせずにいかにもオールドのイタリアという雰囲気のあるいい加減な楽器です。この楽器は現物を元にコピーを作ったものでいい加減に作られたものを正確に再現したものです。

このような楽器は不思議な迫力があって見る者に強く訴えてきます。
一方で難しいのは単なる安物の汚い楽器と一般の人は見分けがつきにくいところです。



仕事が粗いこととアンティーク塗装が独特の雰囲気を醸し出しています。

パフリングに特徴があり、エッジから通常よりも離れています。
ガリアーノ家の楽器はパフリングの溝をグチャグチャに切ってあり隙間を黒い粉で埋めてあります。そのためパフリングがグチャグチャに見えるのが特徴です。


黒いラインの幅を見てください。一定ではありませんよね。現在ではパフリングは市販されていて黒いところの厚みは一定です。

よく見てください。
もちろん私は意図的にこのようにしました。ガリアーノが適当に作ったものをそっくり同じにしています。


今こんなものを作っていたら師匠に怒られます。「お前はやる気があるのか?」というレベルのクオリティです。
当時ナポリといえばナポリ学派と言ってベネチアとともに後期バロック~古典派にかけて音楽の最先端を行っていました。スペイン配下にあり、歌ものを愛した支配者によってオペラ・ブッファ(のちのオペラの原型)を生み出すほど音楽が盛んな所でした。アレサンドロ・スカルラッティに始まり、ペルゴレージ、レオ、ポルポラ、パイジエルロ、チマローザとそうそうたる作曲家を輩出しました。これらに比べたらJ.S.バッハなんて田舎の素朴な作曲家ですよ。ミケランジェロの作品を見ても「へえ?」くらいにしか思わない現代の人には古代ギリシャやローマに肩を並べるべきイタリアの美意識は分からないでしょうからバッハのほうが人気があるのも無理はないでしょう。

それはともかく楽器の需要があったために家族や弟子とともに量産されたのがガリアーノです。



スクロールは消耗が激しく小さくなっていました。


ペグが大きく見えます。

この頃はアンティーク塗装の腕前はまだまだでしたが木工に関してオールド楽器のタッチを再現することにはこの楽器でも大いに勉強になりました。


最大の特徴はアーチにあります。アーチの高さが18mmというのは私ならよくある高さですが現代の楽器ではまず無いです。現代のアーチの作り方とは全く違います。



こんもりと丘のようになっています。今なら表面が仕上がっていないと師匠に怒られるものです。







現代の楽器とは雰囲気が全く違います。







後ろにはドイツのオールド楽器が写っていますが、現代とオールドの時代は造形感覚が全く違います。

職人にできる事

元となったガリアーノはプロの演奏家の何人もがとても高く評価していました。ヴィヨームやガン&ベルナルデルなどと比較しましたがガリアーノは何とも言えない味のある音で高音はしなやかさがあり歌うようでした。ナポリだからということもないでしょうがフランスの楽器はもっと硬い物でした。
アマチュアの奏者ではうまく鳴らせない楽器かもしれませんが十分な技量があれば「室内楽用」などということは無いです。フランスの楽器に比べて音量が無いとは感じませんでした。

コピーについては、音のキャラクターはよく似ています。全く違うものではありません。よくある新作とは明らかに違います。オリジナルのほうが反応が良く、伸びやかさがあります。ただし値段に比べたら音の差は小さいと思います。

当然新作ですから新品の革靴のようにカチカチです。
しかし板がすでに特有の音を持っていることは分かっています。
古くなることによって有利になる部分はあるわけですが、元々持っている音があるということを学びました。職人の技によって作り出せるのは音の性格で、まともに作ってさえあれば楽器は鳴るようになってくるという私の考え方の元となる体験でした。

逆に新品の時に音が鋭いことを「よく鳴る」と考えて楽器を選ぶと楽器が鳴るようになってくると耳障りになってくるのだと思います。



オリジナルに劣っている点について去年作ったピエトロ・グァルネリのコピーではいくらか解消できました。あの歌う感じが出てきました。
高いアーチの楽器は作る人によって違いが大きくなると思います。それが非常に面白いところです。気難しいところもあって初級者には上手く音を出すのが難しい面もあります。一定以上の腕前の人は何も難しさは無いようです。

商売として楽器が売れるためには未熟な人がいきなり弾いてよく鳴ると思えることが求められるでしょう。当然そのような楽器が売れて100年も経ったものでは耳障りなものが多くなるのです。

初めにも言いましたが、単なる粗悪品と見分けるのが難しいタイプの楽器です。楽器の見分け方という意味でも上級者向きです。もちろん作るのも初心者の職人では無理です。何年もかかって道具の種類や使い方を理解しなくては気持ちだけではできないのです。まず初めはきちんとした現代のものを作れるようになることが重要です。そうでなければ仕事を任せられません。

しかしそれで終わりではなくてもっと味わい深い世界があるのです。
10年経って本当に古くなってくる部分があって音も見た目も味わいが増してきています。