戦前の弦などについて | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ヨーロッパで10年以上仕事をしていますが初めのころと今とではお客さんが使っている楽器のタイプや売れる楽器の音の好みも変わってきています。

巨匠と言われたような現代の作者も普通の楽器にすぎないことはこれまでも説明してきました。
危険なことは何かが正しいと宗教の経典のように信じ込まれてしまうことです。たまたま当時手頃で学生に勧められた弦が「絶対的な正統派の弦」と信じられるようになってしまうことは硬直しています。

戦前の人たちがどんなものを使っていたか知る資料を見つけましたので見ていきましょう。







こんにちは、ガリッポです。

ヨーロッパで生活していると粗悪品というのがとても多くて店の中には粗悪品しか置いていないんじゃないかと思うほどです。
粗悪品を意味する俗語や方言がたくさんあって日々常に必要になります。同僚に「日本語でそういう俗語はあるのか?」と聞かれました。すぐには思いつきませんでした。

「安物」では表現が単純ですし「バッタもん」と言うのはちょっと違うように思います。


ヨーロッパでは高い値段の有名メーカーの正規品が粗悪なのですから。



職人でも粗悪な仕事をする人がたくさんいます。
基本的に用心深さと根気がたりないです。音痴な歌手の歌い方が世界中同じように下手くそな職人の仕事は割と共通しています。

ヘタクソな職人は仕事に対してずるいところがあって発想が同じなので見習いでも見ていればすぐにわかります。上手い人にはそれぞれ考えやスタイルがあるのにたいてい下手くそな職人は同じ発想なのです。いろいろな仕事をさせてみるとことごとく誰にでも思いつく甘い方の選択肢を選ぶのです。そして先輩に指摘されます。結局自分では完成させることができず先輩にやってもらいます。何一つ自分で仕事を完成していないのです。熟練した職人が10秒で終わる作業を1日やっても終わらないので先輩にやってもらうか先輩に隠れて完成したことにして次の工程に移ります。

そのためどの国の楽器を見てもヘタクソな職人の出来は似通っているのです。「真面目で手先が器用な日本人」と思うかもしれませんが、日本人も例外ではありません。

そんな人に特有な行動は、すぐに先輩面して「人に教えたがる」のです。そしてすぐに独立して店を構えるのです。




今年も研究をしていこうと思うのですが、古い楽器を調べていってその中から何かヴァイオリン作りのヒントはないかという所です。ここ数年はちょっと高めのアーチのヴァイオリンを作ってきて板の厚さなんかをいろいろ変えながらやってきました。ニスの材質も変わってきています。

ある程度データが蓄積してきたので今度は極端に平らなアーチのものと極端に高いアーチのものを作ってその違いを明らかにしたいと考えています。
過去にもいくつもそのようなものは作っていますが、8年以上前なのでニスなどいろいろ変わっています。

いずれも現代の作風でアーチを平らにしたり高くしたりするのではなくオールドのスタイルで作ることに意義があります。そうなると大変珍しいものになるでしょう。


それを皆さんにも弾き比べていただくのも良いでしょう。


そのような研究はずっと前にやっていて近年の楽器作りでは高いアーチの良いところとフラットな楽器の良いところをうまく取り入れたようなそんなものを目指して作ってきました。もっとはっきりしたものを作ってみると違いがわかりやすいでしょう。


「売れるものを作る」というよりも、違いを分かるように作っていく方が面白いですね。びっくりするようなものがあると試した人にも見た人にも驚きがあって楽しいものです。その体験は財産になるのです。

それでも過去に作ったものはすべて売れてしまって今はもうないのでぜひ持っておきたいわけです。キャラクターの強い楽器は好きな人が見つけると「運命のヴァイオリンとの出会い」になるので愛用していただいています。ただ滅多にそういう人に出会わないというだけです。



どちらを先に作るかが問題です。
売れなさそうな方を先に作ったほうが比較するときに手元に残っているので良いですね。途中で違う注文が入ったりするかもしれませんので連続して作れるとも限りません。

同じタイプの楽器に慣れている人が少なくて弾きこなすのが難しいのが高いアーチで、一般的なものと同じ感覚で弾けるフラットなもののほうが弾ける人が多いでしょうから、作るとしたら高いアーチのほうかな?というところです。


極端にフラットなものや高いアーチのオールドヴァイオリンを使っている人は、それが好きなのか、理想的な中間のものが手に入らないから仕方なく使っているのか疑問ではあります。

そんな中、ギドン・クレーメルというヴァイオリン奏者はみなさんも知っているかと思います。この人はデル・ジェズを使っていましたが、現在ではニコラ・アマティに変えています。アーチの高さは分かりませんが値段から言ったら安い方の楽器に変えている、それもクレモナ派の古いスタイルのほうです。アマティのようなタイプの楽器は近代以降は製法が忘れ去られたものですから一流の演奏家が使うというのはおもしろいですね。仕方なくではありません。


本人はコンサートホールで自分の演奏を聴くことはできません。私が思うにホールで豊かな音を望むならフラットなもののほうが良いと思います。高いアーチのものは響きが抑えられることで味わい深い音色になっているので、引き締まって聞こえるはずです。基本通り作られていればどちらも遠くまで届くはずです。その時に豊かに聞こえるか締まって聞こえるかの違いはあるでしょう。フラットでも離れて聞くと蚊の鳴くような音で全然届かないものは多くあります。

高いアーチのヴァイオリンは「室内楽向き」とか「音量が無い」とか言われてきました。そういうものも確かにありますが、全く逆の印象のものもあります。ストラディバリやデルジェズにも高いアーチの楽器がいくつもあって世界的なソリストが使っていたりします。当たり外れがあるようにも思えます。

現代には高いアーチの楽器は少なく作り方も研究されていません。一つ試してみてもそれはたまたま外れだったのかもしれません。一方で鳴らないフラットな楽器もいくらでもあるのです。アーチは高いほど作者の個性が強く出るとも言えます。フラットならだれが作っても似たようなものになりますが、高いほど違いができるのです。音にも違いが出るのでしょうか?高いアーチのものもいろいろなタイプを作ってみなければいけません。

いろいろなものを作ってはじめて高いアーチの特徴が理解できるということです。

反対に作りの違いは関係ないという結論になるかもしれません。やってみないことにはわかりません。好奇心がわくと楽しいですね。




われわれ現代の常識の中を生きています。それは時代が変われば変わっていく途中のものでしかありません。オールドヴァイオリンが作られたバロックの時代までさかのぼらなくても意外と違うものです。今回は戦前のヴァイオリン用品を見ていきます。

戦前のカタログを発見



こちらはG.A.プレッチナーというドイツのマルクノイキルヒェンの弦楽器やアクセサリーを販売していた業者のカタログで戦前のものだそうです。時代ははっきりわかりませんが、戦前だそうです。
プレッチナーは弓のメーカーとして有名でヴィヨームの弟子のとくにH.R.プレッチナーが有名です。300年以上前からヴァイオリンを作ってきた一族で今でも分家を含めいくつもあります。



ベルリンやドレスデン、ライプチヒなど東ドイツ地域はもちろんアメリカなど世界中に製品を販売していたようです。当時弦楽器店に流通していたようなものがどんなものだったのかしのばれます。

今でもほとんど同じような製品を扱う商社がありカタログも同じようなものがあります。商売の仕組みが変わっていないのです。
東ドイツ起源のGEWAも同じような製品がカタログに載っています。ゲバは弦楽器以外も扱う総合楽器商社になっています。メーカーとは敢えて言いません。オーストリアのペッツコルホニウムの現在のカタログも製品がほとんど同じです。


はじめに量産品のヴァイオリンが出ています。
左にドイツ語、右に英語で書かれています。


一番上は指板やペグ、テールピースには白い木を黒く染めて黒檀に見せかけたものです。
裏板が平らでブナ材で作られたものが一番安くアーチがついているのがその次です。
さらにカエデ材になり、パフリングが彫り込まれるようになります。

そしてさっそくストラディバリウス、シュタイナー、ガルネリウスという名前が書いてあります。もちろんこれらは大量生産品の中でも最も安価なものです。アンティーク塗装なども選べるようになっています。


次に黒檀が使われた量産品になります。
ストラディバリウス、ガルネリウス、シュタイナー、アマティ、ガリアーノ、ルッジェリ、マジーニなどの名前があります。いわゆるモデルというやつですね。オリジナルとは似ても似つかぬものです。


楽器店もストラディバリウスを10個ガルネリウス5個とか言う単位で注文したことでしょう。


最上級モデルは、オイルニスが塗られています。このような楽器はとても品質が良く現代の楽器としては文句のつけようのないものです。これらのものもアマティやストラディバリなどの名前になっています。
「自分の名前をアピールするものではない」とでしゃばらないで黒子に徹することも職人の精神と考えていたのでしょうか。


風変わりなヴァイオリンもあります。

オールドの楽器もカタログには出ていませんが修理したものの在庫があるようで問い合わせることができるようです。


テールピースは今と同じものと珍しいものがあります。

ペグも流行のようなもので今と少し違います。ベーシックなものはイタリアのモダンヴァイオリンに同様のものがついていることがあります。

珍しいのはヴァイオリン用でコントラバスのようなメカニックがあります。駒は現在よりも種類が多いように思います。現代と同じようなものと違うものがあります。絵が印刷されていないものもたくさん種類があるようです。ヴァイオリンの時と同じようにバウシュ、ヴィヨーム、トルテ、パリ、パガニーニなどいろいろな商品名があります。



あご当てもいろいろな種類があり、現在とは少し違います。



おもしろいのはアゴ当てのネジに肩当がついているものがあります。今でも同様の製品があります。肩当は基本的にクッションのようなものです。


ミュートや松脂ですね。

魂柱立てにも仕上げのグレードがあります。今なら中国製が一種類あるだけです。

ちょっと様子が違いますがアジャスターもあります。

注目は弦です

今と違うこともありましたが、ヴァイオリンに関してはほとんど今と同じという印象のほうが強いですね。

しかし大きく違うところがあります。それは弦です。どんな弦が売られていたのか見てみましょう。

まずはガット弦から。
二つのメーカーがあります。一つはこの会社のブランドである「Sternen Globus」とおなじみピラストロです。
E,A,Dがいわゆる裸のガット弦として売られています。いまでも古楽器演奏用としては売られていますが、それ以外で使う人はめったにいません。現在の弦とは全く音が違うでしょう。

長さはヴァイオリン2台分、3台分の長いものと、現在のように一台分に初めから長さが決められているものがあります。30本が一つのパッケージに入っているようです。
いろいろなグレードがありますが、音がどうとかではなく材質の品質について細かいランクが分かれているようです。湿度の変化に対応するために防水加工されているものもあります。

下の方になるとBlack labelなど銘柄として製品化されているようです。
戦後でも販売されていて未使用弦の現物を見たことがあります。


次にシルクのE線があります。これは今はもうないですね。
そしてD線にいくつかと、たくさんの種類のG線で金属をガットの表面に巻いた今のような弦があります。G線は重さを稼ぐために太くなってしまうので金属を巻くようになっていたということです。シルバーが巻いてあるのが高級品で安いものは銀メッキのようです。ブラックラベルやイエローラベルのような銘柄もあります。


スチール弦もすでにあってE線とA線はむき出しのものでDとGは金属が巻いてあります。アルミニウムとシルバーです。

セットで売っているのがガットが2種類、スチールが2種類しかありません。ガットは「good quality」と「very fine qulity」の2種類のみです。スチールはループエンドとボールエンドになっています。

皮の弦ポーチもありますね。

弦の太さを測る道具があります。製品としてパッケージに入って完成していない時代なので袋を見るのではなくて弦自体の太さを測るのです。

これよりさらに昔の時代19世紀ではそれぞれの工房が弦を作っていたようです。したがって銘柄なんてものはもちろんありませんでした。羊の腸から作るわけですが、身近にそういうものがあって肉屋みたいなところでいくらでも手に入ったのでしょう。今では羊を飼っているのはヨーロッパでも他に産業がない貧しいところだけです。

彼らも音を良くするために弦を自作していたのではなくて、むしろ製品のレベルはまちまちで演奏者も細かいことは気にしていなかったと思います。

「昔はいい加減だった説」についてはおもしろい内容なのでまた改めてお話ししようと思います。


スクロールだけを専門に作る職人がいたと話しましたが、売っています。
当時の職人はスクロールを自分で作らない人も多くいたようです。今でもスクロールについては職人によってどうでもいい人と凝って作る人の温度差が相当あります。
顔がついているものもあります。

それ以外の製品



我々にとって興味があるのは道具です。ほとんど今と同じです。あきれるほどです。今はむしろ手動工具の品質が悪くなり、専門工具は中国製に変わってしまったので困ったものです。中国でももっといいものを作ってくれればいいのに。工業技術も上がってきているはずなのですが。
14番の横板を曲げる道具だけ今のものとは全く違います。
22番の木工やすりは今でも手作業で一つ一つ爪かとげのようなものを作っていて一本13000円くらいします。
49番の回転式の砥石は今は電動のものがあります。日本の木工の伝統では回転式のものは珍しいですね。

弓メーカーなので勿論弓は安いものから上等なものまでありますが、この会社の最高級品だけ載せておきます。相変わらずヴィヨームやらトルテやらそういう名前を付けています。ニュルンベルガーの弓の販売をしていたのでしょうか?

ただし弓自体は良いもので、材料も昔は良いものが手に入ったようですからこのような弓は値段の割に良かったりします。トルテなどの焼印が押されている弓は大半が安物ですが中には品質の良いものもありマルクノイキルヒェンの作者名が鑑定されることもあります。
H.R.プレッチナーはずっと高いです。古いものだと100万円くらいします。それでも日本で新作のフランス弓がバカ高い値段で売られていることからすると安いですね。弓を一つ作るのに1週間くらいだとして妥当な値段かどうか考えてみてください。


ケースもいろいろあります。
真ん中の革のケースは格好が良いですね。
相当重いでしょうけど。
古いケースは中がボロボロになっていることが多くて残念です。

さらにカタログは続き、ビオラ、チェロ、コントラバスでも同様になっています。

現在の常識は通過点に過ぎない


弦楽器業界で変化が大きいのは弦ですね。
時代ごとに定番のスタイルがあるのです。世代ごとに一世を風靡した弦があって年配の演奏者では今でもそれでないとダメだという人もいます。古い製品はなくならずに新しい製品がどんどん増えていくので選択肢が多くて困りますね。製品の点数が多くて我々も難儀しています。

現在ヨーロッパのプロの演奏者の場合、メーカーがスポンサーになって弦を提供していることがよくあります。宣伝効果や教え子へ薦めることを期待しているのでしょう。ラーセンのチェロ弦のように寿命が短いものでも演奏者はタダで弦をもらっているのでいいのですが教え子のほうはお金がかかって大変です。

このブログでもハイテク弦が開発されて以前は見向きもされなかったような楽器が評価されるようになってきたと書いてきました。ヴァイオリンやビオラのナイロン弦や、チェロや高音用のスチール弦も嫌な音が少なくなってきました。かつては「嫌な音」として敬遠されてきた楽器が音量があるとして称賛されるようになってきたのです。

音の好みと弦の変化によって、評価される楽器が変わってきたということはとても面白いですね。値段や作風、製造方法が現実に求められている音と違ってきているので正しいとされていた知識も意味を成さなくなっています。巨匠と言われるような人の知識はもう古いのです。有難がってはいけません。


昔ヨーロッパで流されていたコカ・コーラのCMがあって、それはタキシードを着た紳士がワイングラスのようなコップで飲んでいるのです。今なら、若い人が好むようなファッションと音楽でしょうから考えられませんね。当時の人たちが求めていた趣味趣向というのは違います。現在からは考えられないくらい優雅で上品なものが好まれたのです。

現代の時代に生まれ育って何も考えずに楽器を選べば「とにかく音が大きい」という選び方をするのが普通でしょう。張力の強いナイロン弦がどんどん開発されてかつてはやかましいだけのヴァイオリンが優れたヴァイオリンと評価されるようになってきました。当然売れるためには我々職人も皆そのような楽器を目指して改良していくでしょう。また評判になってたくさん作られるのはそのような楽器とも言えます。


一方で「クラシック音楽が持っていた情緒や雰囲気が失われた」と考える人もいるでしょう。録音技術の発展によってお金持ちでなくても音楽が聞けるようになりました。大衆化したことで何か失われたものがあるようにも思います。

弦楽器製作の立場からその何かについて研究していきたいと思っています。冒頭のクレーメルの話のようにアマティのようなヴァイオリンが見直されるのだとしたら、今では製法が忘れられたそのような楽器の作り方を研究することは大いに意味があると思います。

演奏者のほうでもかつての演奏法を研究している人達がいると聞いております。



世界的な古楽の演奏家の演奏会に行ったときにチェンバロの調弦をスマホアプリのチューナーを使ってやっていました。こんな時代なので変なこだわりは持たないように自分の感性で自由に柔軟に良いものと悪いものを見極めていきましょう。