現代のヴァイオリン製作と音について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

現代のヴァイオリンの板の厚さを中心に音の特徴を考えていきます。
前回の内容が板の厚さにも関係してきます。楽器製作の考え方が違うと音にも違いが出てくるのです。








こんにちは、ガリッポです。


前回の話では、現代ではヴァイオリンというのはだいたい理想は決まっているのですが、理想通りきっちり作ると手間暇がかかりコストが高くなるので手を抜いた楽器が多く作られるということでした。きっちり作ることができる職人はたくさんいて「天才的な才能」などではなく真面目な修行によってもたらされるものだということ。修業の場も限られていてちゃんと修業をしていないインチキの職人も少なくありません。良質な楽器を作るにはちゃんと修行するということが大事なのです。

しかしビジネスとして成功するには知名度が必要で名が知られているのはごくわずかであること。言い換えると名前さえ売れれば品物のデキはどうでも良いということにもなります。

逆に考えると知名度の低い作者のデキの良い楽器は割安になるのでユーザーにとっては得だと説明してきました。

これは東ドイツのマルクノイキルヒェン出身のエルンスト・グラーセルによって1900年に作られたヴァイオリンです。ガルネリモデルの現代的なヴァイオリンです。

裏板には板目板の一枚板を使っています。大変に美しいものですね。仕事自体もきれいになされています。

スクロールもきれいに作られています。
このようなザクセン州の流派の職人は大量生産の産地ということもあって安物というイメージがあるため値段が安くなります。こっちで60~70万円くらいでしょうか。
グラーセルの一家も大量生産の工場を経営していたでしょう。それでも個人の作者としても申し分のない楽器を作ることができました。量産品は安くするために品質を犠牲にしていただけなのです。

アーチはフラットなもので、アンティーク塗装されていますが作風は現代的なものです。マルクノイキルヒェンの流派はフランスの影響を強く受けていて、この楽器もオールドの名器に似ているというよりはヴィヨームなどフランスの影響を受けていると感じます。

アーチはフラットなだけでなく前回説明したようにデコボコが無いなだらかなカーブを目指したものでエレガントなカーブではありません。現代としては正しいものです。

ニスは大量生産品に用いられるラッカーのようなものではありません。ラッカーならにおいでわかります。どれだけオリジナルのニスが残っていてどれだけ修理のニスが塗られているのかわかりませんが、硬いラッカーのニスは見当たりません。

現代の楽器としてまったく文句のつけようのないものです。板の厚みも現代としては標準的なものです。19世紀のフランスのものとは違い厚めになっています。イタリアのモダン楽器にも同様の厚さのものは見受けられます。


演奏できる状態にできていないのでわかりませんが100年以上経っている分どんな新作よりも鳴るでしょうね。70万円もしないヴァイオリンですよ。

アンティーク塗装もわざとらしくなくセンスがあって、もしこれをイギリスの作者の作品だと紹介されれば途端に趣があるように感じられるかもしれません。しかしマルクノイキルヒェンの流派の作者とわかっていることで安く買えて消費者にとっては歓迎されるはずです。







同じようなものでも作者によって音が少しずつ違いますが、作者が意図したというよりはセオリー通りにに作ったらたまたまそういう音になったとということが多いでしょう。作者はたまたまそうなった自分の楽器を贔屓(ひいき)にしがちなものです。自分の楽器の音が最高だと思い込んで客観性を失ってしまうものです。


したがって現代の楽器は誰にでも音が良いものが作れる可能性があり、知名度に関係なくたくさん弾いてみて選べば気に入ったものも見つかるかもしれません。

実際に有名な作者の偽装ラベルに貼り換えられて売られ作者不明になってしまった楽器にも、素晴らしい音のものがあります。本当の作者は優れた職人だったのですがお金のためにラベルが貼りかえっられてしまったのです。



それでも現代の楽器には満足しない人もいます。
現代の理想というのは本当に理想なのでしょうか?

論理の正しさ

ヨーロッパに来て初めに驚くのは彼らの考え方が論理的であることあることです。師匠と弟子の関係も日本なら弟子は黙って師匠に従うものだと信じられているでしょうが、こちらなら弟子が師匠の指示に反して「○○だから、こうしたほうが良いと思います。」と言って師匠が納得すれば「君の言うことは正しい」とすぐに新入りの弟子の言い分を聞き入れてしまいます。
日本から行くとびっくりするところですが説明の筋が通っていれば認められるのです。

そういうことを実際に体験するとヨーロッパでは「正しい理屈を言った人が正しい」ということを知ります。正しいことが正しいなんて当たり前なのですが本当にそれがまかり通るでしょうか?
ヨーロッパのことを知った眼には日本では「偉い人の言ったことが正しい」となっているように見えます。

欧米に渡ったのち福澤諭吉が『学問のすゝめ』を書いた動機にもこのような驚きがあったかもしれません。その後日本も少しずつは変化しているでしょう。


私は大学で哲学のようなことも勉強しました。ビジネスの事例について何が正しいかということを根拠を示して言うのです。アメリカの大学で学んだという教授がいろいろなケースを示して「この場合どうするのが正しいか」というテーマで話し合いました。大学の講義というと黙って一方的に話を聞いているのが普通でしたがこのような内容だと今の学生も前のめりになって盛り上がるものです。

そこで問題になったのは「正しいからなんだと言うんだ。」という意見です。正しいことを示したところで何の役に立つのかという疑問です。アメリカの授業を日本でやった時に合わなくなる部分です。そうなると盛んに学生から「偽善」という言葉が出てきます。モヤモヤしたまま卒業したわけです。


その後ヨーロッパに住んでわかってきたことは、「正しいことを言った者が勝ち」というルールがあるということです。正しいことを言った人が認められるという社会ならいかにももっともらしいことを言うことが生きていくために必要不可欠なのです。逆に言いがかりに対しても反論しなくては謂れないことで権利や財産を失ってしまうのです。


はっきりした目標や目的があった時正しい方法を取ることで目標を達成することができます。

たとえば病気の原因を突き止めて正しい治療法を取ることで病気は治るということです。家族や自分が病気になれば医者にはそのようなことを期待するでしょう。それに対して、迷信によって全く効果が無い治療や治療とすら言えないような行為が行われることがあります。

このように正しいことは極めて役に立ち、国家の発展や国力の増強に役立ってきました。とくに科学技術の分野では文明開化以降すさまじい進歩を遂げ、日本も世界の先端に立つまでになりました。



つまり正しいことは「役に立つ」ことがあるのです。



一方でヨーロッパに住んでいるととても納得できないようなわけのわからない理論で正当性を主張することに出会います。こうなると何が正しい理論なのかわからなくなってしまいます。一般に教授とか博士などの資格や肩書によって信憑性を増しているということに気づきます。テレビ局やショッピングモールの経営者の名前を見るとDr.とついていたりします。ショッピングモールをアメリカで研究した博士がビジネスの手法を論文にまとめ出資金を集めてプロジェクトが実現したのです。博士が論文を書いて起業するのです。日本では学者や学問というとそういうものではありませんね。

そういうわけですから発言力を高めるため政治家が博士号を取得しようとします。ある政治家がゴーストライターに博士論文を書かせたとして問題になったりしています。

結局「偉い人の言うことが正しい」という意味で同じじゃないかという面もあります。悪用もされるのです。



西洋の論理主義もあまりにも感化されてもいけないと思います。
欧米人がもっともらしいことを言っても鵜呑みにしてはいけないと思います。
彼らはもっともらしいことを言うスペシャリストなのですから。


私が「快楽主義」を主張するのはいろいろなことを考えた末にたどり着いたものです。
快楽主義は正当性を主張するのにとても弱い根拠となります。

「快楽のためにこうするべき」という主張は他人を退け自分の意見を通すには弱すぎるのです。


しかし弦楽器についてはどうでしょう?
楽器を弾いて音が出たときに「気持ちが良い」と感じられることを重視するのは間違っているのでしょうか?楽器を見たときに何とも言えない「いいなあ」と感じることは無視するべきでしょうか?

快楽主義は他の人に迷惑をかけたり、正当性が弱いためにそのような原理はないがしろにされやすいものです。そのように作られたものが歴史上少ないので後の時代になって宝物になるのではないでしょうか?


私は「正しく作られた楽器」について懐疑心を持ちます。
そこからは「自分は正しいから正当な評価や対価を頂く」という雰囲気が醸し出されているからです。

楽器を目にした瞬間、音を出した瞬間に何とも言えない心地よさを感じる、そのことにすべてをささげているようには思えないのです。


論理について未熟な日本人こそわけのわからない理屈にとらわれないように気を付けるべきです。自分が感じたことも大事にしてください。反対の意見にも耳を傾けてから判断してください。

素人の気を引く、素人が大好きなウンチクは関心を持つ必要が無いことばかり気にしていて頭がいっぱいで、肝心なことはおろそかになっているのです。


板の厚い楽器

現代の楽器製作では厚い板の楽器が多いということを以前にも紹介しました。厚いほうが正しいという理論です。

これに対して私は極端にひどくなければ厚くても薄くても何でも正しいと考えています。厚さによって音のキャラクターは変化しますが好みの問題で人によって好き嫌いがあるからです。正解が一つあるのではなく作者にも演奏者にも選択の幅があるということです。
「薄いものを作ってはいけない」という理論には懐疑的です。300年前に薄く作られたものが今でも現役で名器として活躍しているからです。それに反論する意味の分からない理屈は無視しています。


前回の説明で現代の楽器作りは表面の仕上げに注目しているとしましたが、左右も対称にキチッと作ります。弦の力がかかることで表板や裏板は変形します。せっかく左右対称に歪みのないアーチを仕上げたのに弦の力で変形して欲しくないですね。じゃあ板を厚くしたらどうでしょうか?・・・・板を厚くしたいという誘惑がここにもあります。

修理の仕事をしていると板の厚い楽器を修理することがよくあります。
店頭に置いてあったスチューデントヴァイオリンの売り物でもいつも試奏ではじめにはじかれるものがありました。調べてみると板が極端に厚いのです。安価な量産品の場合外見は丁寧に作ってあっても中がずさんなことがよくあります。板の厚さをしっかり出さずに手を抜いて厚いままになっているのです。厚いものを削って薄くしていくわけですから薄くするほうが手間がかかるのです。

戦前の量産品では今のような機械が無くて手作業が多いのでこういう楽器がよくありました。板の厚い楽器が良いと信じているのなら狙い目です。特にチェロの裏板に多いです。

これは特にひどいものです。厚さは真ん中で6㎜もあります。バスバーは取り付けてなく気持ち程度に尾根のようなものが残されています。

中もこの通りです。ストラディバリのラベルが張られていてコーナーにはブロックもついていません。東ドイツのザクセン州で外枠を使って多く作られたものです。冒頭のヴァイオリンと同じ流派ですが品質が違いすぎます。流派で楽器を判断するのが馬鹿げているのが分かると思います。個々の楽器の出来を見る必要があるのです。

アンティーク塗装もひどいです。なんでしょうこれは?それでも中身よりはましなので、開けてビックリです。



板が厚すぎて鳴りにくかったり、薄く改造することでよく鳴るようになった経験は数多くあります。楽器を買い取るときには厚すぎるものは乗り気ではありません。


そこまで厚くなくても音色の性格が変わります。
板が薄いほうが低い音が出やすくなるのです。これは柔軟性が増すからです。
板が厚ければ「明るい音」になります。木が新しうちはさらに明るい音になりますから、いわゆる「新作の音」になるわけです。




板の厚さにもいろいろなタイプがあります。
また裏板や表板で違う場合もありますので組み合わせはいろいろあります。



①真ん中が厚いタイプ
②周辺が厚いタイプ
③真ん中と周辺の間が厚いタイプ
④全体に厚いタイプ

いくつかのパターンを示しました。これらのうちいくつかの特徴を備えているものもあります。


①真ん中が厚いタイプ

特に表板で真ん中が厚いタイプがあります。ヴァイオリンで3.5mmもあれば厚い方です。理屈は「駒が置かれる場所で強い力がかかるから厚くするべき」という理論です。薄い楽器でも耐えられている古い楽器がたくさんありますから納得できません。

真ん中が厚い楽器でも周辺が極端に薄いものがあってよく鳴るものがあります。つじつまが合っているのでしょう。つじつまは合っているようですが完全に薄い板の楽器と同じではなく音色は違う感じがします。言葉では言いようがないです。


②周辺が厚いタイプ


薄い板厚かと思いきや周辺だけ厚くなっている楽器があります。オールドヴァイオリンなら2.5mm以下のものが普通ですが現代には3.0mm~3.5mmくらいのものがよくあります。こうなると経験上音は全体が厚いのと同じような音になると思います。低音が出にくく明るい音になります。

周辺については無頓着な人が多いので同じ流派でも様々だったりします。


主な原因はアーチの加工の仕方が影響していると考えられます。
図のようにチャネリングと言われる溝が浅ければその部分は厚くなります。オールド楽器では溝が深いことが多いです。オールドヴァイオリンは黒線で示しました。aのように溝が深いと内側を彫らなくてもすでに薄くなっています。そのためオールド楽器は特別薄くしようとしなくても嫌でも薄くなってしまうのです。
現代のアーチは赤線で示しました。bのようにエッジ付近が厚くなっています。薄くするためには極端にえぐらなくてはいけません。現代の楽器を普通に作ると自動的に厚くなるのです。
前回説明したアーチの考え方が周辺の厚さにも影響してくるということです。


また戦前の量産品では手抜きのために溝が浅いものがよくあります。それに加えエッジ付近は行き過ぎてしまわないように慎重さを要します。雑に作られた楽器では削り残しができる場所なので極端に厚いものがよくあります。これを薄くしてあげるとスムーズに音が出るようになってきます。


S.F.サッコーニの本には周辺を厚くする板の厚さが描かれています。これはストラディバリの楽器とは異なるものです。ストラディバリは厚さにバラつきがあり「これがストラディバリの厚さの出し方」というのを一つだけ示すことはできません。

このような理論を鵜呑みにしたのかもしれません。サッコーニは初め厚めにしておいて後でパフリングを入れてそれからチャネリングの溝を掘ってアーチの外側を薄くするというつもりなのかもしれません。

ともかくエッジ周辺が極端に厚い楽器はザクセンの大量生産品とイタリアの現代の楽器に見られます。それ以外でも現代の楽器全般に多めのものが多いです。エッジ付近の加工は感覚に頼るものでチェックするのが難しく無頓着な人が多いため同じ流派でも薄いものもありますので流派で区切ることはできません。


③真ん中と周辺の間が厚いタイプ


これも現代の楽器の標準的なものです。
真ん中も周辺もそんなに厚くないのですがその間が厚いのです。

また真ん中が厚い楽器は中間も厚いです。


いわゆる典型的な「新しい楽器の音」ですね。悪い音ではありませんが、オールドやモダン楽器とは違う音に聞こえます。新作の場合には典型的な新作の音に聞こえるでしょう。
冒頭のグラーセルのヴァイオリンもこれです。

理屈としてはこれもモダンフィッティングでは弦の力が強いので厚くするべきということ。真ん中だけでなく「周辺に行くにしたがって徐々に薄くするべき」というグラデーション理論という机上の空論を信じているためと考えられます。
ある人は「水面に雫を1滴落とすと、同心円状に波紋が広がる、音波も同じなので表板や裏板の中心から同心円状に板を薄くしていくべきだ」と言うのです。意味が分かりません。信じてはいけません。理論の美しさではなく実際に出てくる音がどうかに注目するべきです。

また品質を管理する際、真ん中の最も厚い部分と最も薄い部分のみをチェックポイントにするためその間はおろそかにするということも量産品で多い原因と考えられます。


ここをガツンと薄くすると暗い音になります。アマティ派のオールドヴァイオリンやフランスのモダンヴァイオリンではここが薄くなっているものが多くあります。

④全体に厚いタイプ
文字通り全体に厚いものです。理由は様々でしょうが全体に厚いものです。手抜きをして作られた楽器に多いものです。ヴァイオリンでチェロの厚さのものがあります。ヴァイオリンは強度が高いのでそこまで厚くしなくても弦の力に耐えられます。

①②③のすべてを備えているとも言えます。





厚い板と薄い板とでは音色や音の出方が違います。
どちらが正しいというのではなく好みで好きなものを選ぶべきです。

オールド楽器に似た音を望むのなら薄い板のほうが良いでしょうが、板の厚さだけでなくアーチなどの構造も違うためそれだけで「同じ音」とはなりませんし、木が新しいことも「新しい楽器の音」の原因になります。古い楽器の音が好きだという人には現代的な楽器は不満足に感じるかもしれません。

オールドに似ているかどうかは関係なく発音が良い、音量があるなど楽器の性能で選ぶのなら現代の楽器で良いことになります。オールド楽器はとても高価だったり、ものによって当たり外れが大きかったりします。数も少なく特別なこだわりが無いのならたくさん選択肢のある現代の楽器の中から選んだ方が優等生の楽器を見つけられるでしょう。



板の薄い楽器は「安易な方法で鳴るようにしたもので本物じゃないのでは?」と素人は心配になってしまいますが、安易な方法で鳴る方法があるのなら私も知りたいです。そんなものはありません。
現代では機械で作られるようになって安価な量産品でも板の薄いものが作られるようになりました。

厚すぎるハンドメイドの楽器よりよく鳴ることがあるでしょう。その厚すぎるハンドメイドの楽器は量産品よりも劣るだけの楽器なのです。営業マンは会社が仕入れたそれを何とか言って褒めるのが職務なのです。


そのほかの特徴

アーチの作り方が板の厚さにも影響することを説明しました。アーチの構造と音の特徴との関係はよくわかりません。規則性の仮説を立てても裏切られることをよく経験します。何となくその人の癖としか言えないようです。これが分からない以上完全に構造で楽器の音を解明することができません。

いろいろな楽器を試してみるしかないということなります。

大ざっぱに見て高いアーチと低いアーチなら音の出し方のコツは違ってくるでしょう。それぞれにあった弾き方を身に付ければどちらでもいい音がします。高いアーチの楽器を乱暴に弾けば音がつぶれてしまいます。これも好みとしか言えません。優れた演奏家でも高いアーチの楽器を好み人もいればフラットなものを好む人もいます。
現代では高いアーチのものは少ないです。選択するチャンスは多くありません。
イタリア人などでルールを守らずいい加減に自由にやっている人には高いアーチの楽器もあります。ただ現代の作り方でアーチだけ高くしてもオールド楽器と同じにはなりません。研究が必要です。


現代ではストラドモデルが標準になっていますが、モデルによる音の違いもそれほど大きなものではありません。同じ作者がストラドモデルで作ろうとガルネリモデルで作ろうとさほど音に違いはありません。ヴァイオリンについてオールドの時代には幅が狭かったり小型のモデルがよくあり、分数ヴァイオリンのような窮屈な構造や音のものがあります。現代では幅が広いものが主流です。しかしながら、ストラドモデルよりも幅を広くしたところで音が良くなるということもありません。私もいろいろ実験しました。力が抜けたようになってしまいました。



ニスについては古い楽器の場合ニスが残っていなかったり風化してぼろぼろになっていたりするのでニスが分厚く残っている現代の楽器と材質を比べても意味はないでしょう。最低限の耐久性や高級品としての美しさがまずあって、本体の音のキャラクターと合っていることが重要だと思います。

色合いは音に関係ありませんが、新しい楽器は木が新しく白い色をしています。オレンジ色のニスを塗ると下地が反射してとても明るい鮮やかなオレンジ色になります。これも典型的な新しい楽器の色となります。古くなると木の色も変色し、汚れによって色が濃くなります。黄色や赤などは退色して琥珀色になってくることもあります。あご当ての下だけ赤い色のモダン楽器もあります。

赤やオレンジの鮮やかさを強調するのが新作としては主流ですが落ち着いた色を好む人もいますし、アンティーク塗装もあります。同じ作者で加工は全く同じ人でもニスの色だけ時期などによって違う人が多いです。いつも同じ色で決まっているという作者は少数派だと思います。

アンティーク塗装はヨーロッパでプロとして楽器製作をやっている人なら半分くらいは試みていると思います。これについてはこのブログでも詳しく取り上げてきました。

現代の楽器の音

新作の楽器は産地にかかわらず新しいことと作風によっていかにも「新作の音」というものが多く、オールド楽器とは全く違う音であることが多いです。そのような音を好む人もいればそうでない人もいます。

50年くらい使い込まれた楽器では新作に比べると圧倒的に音が出やすくなります。駄作と思ってもバカにできません。音色自体は新作とあまり変わらないでしょう。音の質自体は新しい楽器の音です。戦後のアンサルド・ポッジなんかもまさにそんな感じで普通の音でした。新作よりはよく鳴ると思います。

100年くらい経ったものはさらに音が強くなり癖が強い物がたくさんあるように思います。職人から見て見事に作られているからと言って手放しに買っていいかというとそうではありません。中にはひどく耳障りなものもあります。楽器の構造から原因はわかりません。どちらかというと全体的に音量はあるけども硬くて耳障りな傾向があると思います。

100年くらい前だとまだフランスの影響が残っていて板が薄いものもあります。音色は暗いものです。これも柔らかい音というのはあまりないですね。

そのため音量は十分だからもう少し柔らかい音の楽器があればいいのになと思います。100年も経つと音は強くなりますから耳障りな音の性格はさらにひどくなるということです。古いからすべての面で音が良くなるというのではありません。もともと鋭い音の性格を持っていても新作のうちは鳴っていないのでそんなに目立たないのです。

100年くらい経った楽器で音量はあるけども、硬い耳障りな楽器は多くあります。それに不満足だとオールドヴァイオリンが欲しいということになるわけですが、値段がとんでもないことになってきます。

近年は弦が改良され、耳障りな音が減ってきました。現代の楽器の多くはすごくしなやかな音ではありませんが特に不満を感じない人もたくさんいます。むしろ柔らかい音では音が弱いとか音量が無いと不満に感じる人も多くなってきています。

人それぞれでナイーブな耳の人もいますし、もっと手ごたえを求める人もいます。


自分の感性や目的に合わないものを買ってしまうと不満を感じることになります。作者の知名度や値段ではなく自分に合ったものを選ぶ必要があります。

手ごろな値段のオールドヴァイオリンについてはこのブログで紹介しています。私は新作でオールドのような音を目指して楽器を作っています。完全にオールドと同じ音は無理ですが、実際に試していただいた方々には一般的な新作とは違うということを実感していただいています。音の質は柔らかいので100年経った時も残念なひどい音の楽器にはならないでしょう。


一般的には優れていて選択肢も豊富な現代のヴァイオリンです。
典型的な新作の音を望む人はヨーロッパの私のいるところでは徐々に少なくなってきて少数派になっています。こだわりのある人には不満もあるでしょう、他の選択肢も必要なのです。

宗教の経典ではないので「正しい作り方」なんてものは存在しないのです。