現代のヴァイオリン製作で品質の基準とは? | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

現代のヴァイオリン製作についてお話してきました。
今回はより具体的に説明していきます。




こんにちは、ガリッポです。

珍しいこともあるもので、先日同じメーカーのコントラバスが3台も同時に修理に来ていました。世界のオーケストラで活躍しているドイツの高級なものです。

それぞれおよそ10年前、20年前、30年前に作られたものです。

やっぱり30年前のものはモリモリと低音が豊かに出てきてどう考えてもよく鳴ります。20年は20年だし10年は10年の音でした。コントラバスの場合構造が柔らかい、つまり大きさの割に板が薄いので強度が低く弾き込みと経年変化が出やすいということも言えます。こんなにはっきり出るとはほとんど比例ですね。

もっと経ったら音にコシが無くなるんじゃないかとも思います。30年前のものは駒や魂柱などの交換をしていないのでへたったような柔らかい音でもあります。交換すればもっとしゃきっとするでしょう。コントラバスの場合には安くないのです。更に古くなったらバスバー交換ですね。バスは事故も多く老朽化も早く進みます。修理代が100万円を超えることもざらなので応急の修理で済ますと後で大変なことになります。


ヴァイオリンはそれに比べるともう少し複雑でこんなにはっきりと差が出ないかもしれません。私が10年前に作ったヴァイオリンの整備をしましたがそれでも作り立てのものとは全然違います。こちらも駒と魂柱を交換してニスの補修、指板の削り直しで健康な状態を取り戻しました。毎日使っていると変化は分からなくて知らないうちに弾き込みの効果が出ているわけですが、同時に消耗部品もへたってくるわけです。消耗部品を変え狂っている部分を直すことで弾き込みの効果がはっきりと表れるようになります。いい意味でも悪い意味でも新品の時に戻ったような感じがするところもあるでしょう。しかし新品の時よりも一段階レベルアップしているはずです。

5年前に私が仕上げたチェロも素晴らしくなっていましたね。
新品の時はさほどで目立つ方ではなかったです。


弦楽器はできるだけ早いうちに買っておけというわけです。
もたもたしているうちに5年や10年すぐに過ぎてしまうものです。
新しい楽器はくれぐれも音の質、クオリティ、音色の好みで選んでください。素性の良いものはいずれ鳴るようになります。



ヨーロッパにいると日本とは違うこともあります。
スーパーに行くとレジ係の体格のいい女性がパンを食べながら仕事をしていました。
日本のように立って仕事するのではなく椅子に座るスタイルです。
もぐもぐやりながら品物のバーコードを読み取ると代金を請求してきました。
彼女の差し出した左手の親指と人差し指の間には食べかけのパンが載っていました。

私はパンをよけて小指側のほうに代金をのせると受け取ってくれました。

若い女性だとは思いますが男勝りでワイルドな感じでした。


仕事はちゃんとやっているから何も問題はないと言ったところでしょう。


戦前~100年くらい前の幼稚園児の写真を見ると、おそらく入園式で写真屋さんに頼んで撮ってもらったのでしょう、どの子も必ず肩から革製の小さなカバンを下げているのです。
革の鞄というのは日本人からすると立派な感じがするのですが、ヨーロッパでは身近な素材だったのでしょう。弦楽器のガット弦もそうですね。

調べてみるとパンを入れるための鞄らしいのです。おそらくおなかがすいたらパンが食べられるように身に付けていたのでしょう。パンといっても黒パンのような質素なものだったと思います。今でもベビーカーやショッピングカートに座らされた小さな子供がパンを与えられているところを見ます。おしゃぶりもそうですがパンを食べさせておけば静かにしているということでしょうか?

オフィスの仕事なら好きな時にパンを食べてもいいかもしれません。接客業でも同じなんでしょうか?
こんな些細な事でも歴史というものがあるでしょう。

理想が決まっている現代の楽器製作

現代の楽器製作はおよその理想が決まっていますから後はその理想に対してどれだけ忠実に作り上げることができるかということが問題になってきます。

現代の楽器製作はフランスで1850年頃に確立したものが世界各地に伝わって1880年くらいから後のことです。おおよそ100年以内くらいの感じで考えてください。以下現代の楽器について語っていきます。オールドは含みませんので了承してください。

100%理想通りのものが作れれば製作コンクールでも優秀な成績となるでしょう。今、年配の職人で有名になっている人にはこのようなことで有名になった人もいるでしょう。ただそのあとの世代も同様かそれ以上に完璧に仕事をこなせる人を大量に輩出しています。今ではそれだけではコンクールで賞は取れないでしょう。昔の受賞歴というのは大学進学率の低かった時代の大卒みたいなことです。

楽器製作で完成度を高めるには一段階精度のレベルを上げると倍以上の時間がかかることもあります。イメージの話ですが、85%の完成度を90%に上げるには倍の作業時間がかかると想像してください。90%を95%にするにはさらに4倍時間がかかり、95%を100%にするにはさらに16倍かかるという具合です。
というのは単に仕上げを入念に行うだけでなく、最後に荒や欠点が絶対に出ないようにするには慎重の上に慎重を重ねなければいけないからです。カーブミラーの鏡と違って望遠鏡の鏡を製作するにはとんでもない時間がかかりますよね。

イメージですが90~95%の品質なら市販品としては最高レベルと考えていいでしょう。このような楽器を作れる人は割合としては数十人に1人とかそういうレベルなんですが、過去150年にさかのぼると弦楽器職人の絶対数がかなり多いので名前を憶えきれないほどの数になります。

80%くらいなら私が見れば相当ひどい楽器だと思いますが、一般の人が見ても分からないでしょうし、音楽家が品質に興味を持っていないのが普通です。楽器としてちゃんと機能すれば問題はありませんし、これくらいのレベルにあれば完成度は音には直結しません。音が気に入ったのなら買ってもいいでしょう。ただし必ず安い値段で買うべきです。

私のいる国では楽器の値段は作業時間をもとに考えています。したがって品質が良いものの値段が高く粗雑に作られたものは値段が安いと考えています。日本人はおそらく「名前」で値段を考えていますので全く違う概念だと言えます。

このように必要以上の品質にすることなく作業時間を短くし値段を安くするということはユーザーにとってメリットが大きいので「消費者民主主義」という立場からすると大変優れた製品ということになります。私はこの意見に対して間違っていると反論する余地はありません。

それでも私は必要以上の品質の楽器を作ります。
なぜなら、弦楽器製作の歴史上大変に美しい楽器が作られたわけですが、それらよりはるかに劣るものを自分が作ることを許せないからです。
最高レベルに美しい楽器が欲しいという少数派のユーザーのために少量生産する道を選んでいます。
私は快楽主義者なので美しいものを作る楽しさが何よりの理由です。


私が「弦楽器は誰にでも作れる」というのは仕事が雑な人でも価格を安くできるというメリットがありそれは一種の才能と言えるからです。




世に存在する弦楽器のうち名前が有名な作者によるものはごくわずかですが、それ以外の楽器も決して遜色ないかそれ以上のものがいくらでもあります。1%の楽器は知名度によって値段が決まっていて99%の楽器は品質によって値段が決まるのです。

日本人のように名前だけで楽器を評価すると素晴らしい楽器が含まれている99%の楽器を候補から外すことになるので選択肢が著しく狭まるのです。

実際プロの演奏者でも作者が分からない音の良い楽器を使っている人がよくいます。作者が分からなければそんなに高い値段にはなりません。50~100万円程度のヴァイオリンを使っていて、いろいろな楽器を弾いてみるんだけどそれを超えるものはそうないとおっしゃっています。楽器を見ると誰の作者のものかわかりませんが、作りを見るとやはり問題なくちゃんと作られていてしっかりと使い込まれた印象があります。すでに「自分のもの」になっていますから初めて弾くヴァイオリンでそれを超えてくるのはなかなかないということもあります。実際に良い音がしている楽器をどうして悪い楽器と言えるでしょうか?本当の無印良品です。

お金をたくさん持っていることも自慢に値しますが、安い楽器の中から音が良いものを見つけ出す能力も称賛に値するでしょう。



一方でしっかりとした教育を受けた申し分のない楽器を作れる腕前の人が工場を経営することもあります。これらの大量生産品の工場でも同じ理想のもとで楽器が作られました。しかしこれらは値段を安くするため完成度はずっと低いものです。

それでも製品の価格に応じて差があります。

とてもひどいものから悪くないものまであります。
工場の職人にいかに教育するかということでもあります。優れた職人を抱える工場は当然優れた量産品を作ることができます。場合によっては個人の製作家よりずっと品質が高いことはよくあります。先ほどのように「名前」で楽器を判断すると、メディアが取り上げたり宣伝に力を入れたり流派や師匠の名前を販売店が強調することによって、工場製よりもずっと低い品質の個人の作者が「名人」として紹介されることはよくあります。私がよく言う「鑑定書が470万円で楽器そのものは30万円の価値」というようなものです。

仕事が粗い楽器は値段の割に音が良いというのがメリットですので安く買わなければいけません。お金と音楽家の人生を無駄に使わないように気を付けてください。そのような楽器は鑑定書があれば将来高く売れるでしょうが、ひどい楽器で過ごしてしまった音楽人生は取り返せません。



ヴィヨームも大量生産に近い規模で作っていましたが品質も90~95%のレベルです。自分では楽器を作らず優秀な職人を教育し下請けとして使っていたのです。

量産品は工場経営者の知名度によっては高くなることもありますが、中古品の値段はヴァイオリンで50万円くらいが限界でしょう。それより上になると無名な個人の作者の楽器が買えるため価値としては難しいでしょう。メーカーは最高品質の製品を100万円を超える値段でカタログには掲載していることがありますが、市場から需要はないので成立しないでしょう。

ハンドメイドの楽器でも中古品なら99%のヴァイオリンの値段というのは50~100万円くらいということが言えます(新品の場合製作者や売り手が勝手に値段を付けます)。この価格帯は日本ではあまり需要が無いと聞いたことがあります。50万円以下か200万円以上のどちらだというのです。200万円も出す必要はないのにもったいないですね。音大を目指す場合両親、祖父母からお金を集めて300万円の新作ヴァイオリンを子供に買うというのです。ヨーロッパなら100万円もあればそれよりずっといい楽器が買えるのに何も知らない祖父母はかわいそうですね。

古いヴァイオリンは日本で出回っていないとしても新しい楽器なら日本人の作者が90~95%の品質のもので100万円程度で売っています。300万円出しても品物は変わりません、あとは音の好き嫌いだけです。





量産品の多くは精度が80%にも満たないようなものがほとんどです。あちこちに問題を抱え、音の出方は上質な楽器とは全く違うものです。構造に欠陥があるため故障や不具合が起きやすく、壊れても修理代をつぎ込む価値のないものです。


演奏者が音だけで楽器を選ぶとこのような楽器を選んでしまうこともあり得ます。インスタント食品的な意味で良い音だと感じることもあり得ます。その場合は墓場まで粗悪な楽器だと知らずにいるのが幸せでしょう。アマチュアなど腕に自信が無い人の場合恐いのはこのような楽器を買ってしまうことですね。


音だけで楽器選ぶ場合には、値段と楽器の修理の状態が重要です。音が気に入ったからと言って楽器に見合わない値段で買うと売り手が得します。多いのは修理がされていない状態で買ってしまうことです。修理代を差し引くと法外な値段になるのです。

現代の楽器製作の理想

職人を教育するとき、楽器の品質を評価するときの基準があります。何ができていれば品質が良い、職人の腕が良いと業界で認められるかという基準です。必ずしもユーザーの求めるものとは一致しませんが我々の間では優劣の差を出すためにそのような基準があります。

企業の採用試験というのはなかなかミスマッチみたいなことが起きて難しいと聞きます。職人の場合には実技をさせてみればすぐにわかります。口先で調子の良いことを言う人は決まって職人としてはダメです。お店の経営者によってはそういう人材のほうを求めているところもあるでしょうが、類は友を呼ぶです。腕の良い職人にシャイな人が多いのは実感としてあります。

最も基本的なことからです。

①木材を平面に加工する



前回も紹介しましたが板を平面に加工するのは実はとても難しいことです。これが正確にできなくてはいけません。たとえば弦楽器はにかわという動物からとれる接着剤のみで接着されています。現代の木工用の接着剤は接着面の隙間を人工樹脂などで埋めることでくっつきますが、にかわは隙間があると接着できません。

接着面の両側が平面になっているとしっかりと接着ができます。粗悪な楽器ではネックや指板が外れたりすることがあります。外れるのならまだ接着すればいいのですが、ちゃんと外れ切らないでグラグラの状態だと異音が発生したり音程が不安定になったり音が悪くなったりします。接着しなおしてもまたしばらくすると外れます。そのような品質の楽器を買うとずっとそれとの付き合いです。表板を開けなくては直せないようなこともありますし、表板を開けてやり直してもダメで裏板を開けなくてはいけなくなることもありました。

表板や裏板の継ぎ目も問題が起きやすいところで両方の接着面を正確に加工する能力が問われます。

図のようにすべての地点、すべての方向で直線になっている必要があります。接着面の場合わずかに凹面になっているとクランプで締め付けたときに吸盤のように吸いつきます。

この平面は基準面にもなります。これを基準に他の面や高さや寸法などを決めたりするのです。


②垂直

完全な平面同士を90度にすることです。
まず一つの面を平面に加工し、それに対して90度の角度で完全な平面にします。難易度がぐっと上がりますね。
はじめの平面にねじれがあるとすべての個所を90度にしてもその面もねじれるので、基準面というのが重要です。

更に気を付けることは木の繊維の向きです。強度や加工のしやすさ、美観に影響するのでただ平面にするのではなく繊維の向きに合わせることが必要です。


③平行



さらにもう一つの面を完全な平面にします。その時角度は基準面に対して90度である必要があります。この時向かい合う面が平行でなくてはいけません。単に平行ではなく青色の矢印はすべて決められた寸法でなくてはいけないのです。単に平面を加工するのでも難しいのに決められた角度と寸法通りにしなくてはいけないのです。このようなカエデ材の場合板の表面が細かく割れたりすることがあります。傷なく完全に仕上げるには慎重さが必要になるので時間がかかるのです。

しかし上の画像のように大きなカンナがきっちり調整されていればずっと簡単にできます。カンナの底を加工するのです。鉄のカンナの底を正しく削るのはさらに難しいものです。


④曲線
初めはとても難しい平面の加工ですが、調整されたカンナがあってそれをぶれずに体重をかけて使えるようになれば何でもなくなります。それに対してさらに難しいのは曲線や曲面を出すことです。

表板裏板の輪郭や、f字孔、パフリング、横板、スクロールなどは曲線によってできています。これらの線がグラグラと蛇行しているのはいけません。滑らかなカーブである必要があります。

特に難しいのはS字のカーブです。

カーブがきれいになっているかどうかは安価な量産品と高級品とを見分けるポイントになります。表板はガクガクしやすくf字孔や輪郭、パフリングなどのチェックが必要です。スクロールも真っ先に手を抜くポイントです。


⑤接着面
先ほども話が出てきましたが接着面が隙間なくくっついていることが重要です。

裏板の継ぎ目ですが見えないくらいですね。

中は見えないところですが安い楽器ではこの辺がメチャクチャです。カーブも滑らかになっているのが分かると思います。


⑥アーチ
アーチでも曲線の時と同じでそれを3次元にしたものです。どこの断面でもカーブが蛇行することなく滑らかになっていることが求められます。安価な楽器では表面がレンズのようにきれいな曲面になっていないので見分けがつきます。コンクールの受賞作品を見ればそれはきれいなものです。

図の矢印で示した断面のラインがすべて滑らかなカーブになっている必要があります。これがでこぼこしていたり左右が非対称ではいけません。

このようにストラディバリをもとにしたモデルを歪みが少なく正確に加工されたものは現代では品質の高い優れたヴァイオリンだとみなされ、その手間暇に応じて高い値段が付きます。加工の美しさについて希少性があり完全なものを作れる人は数十人に一人なためにすぐにそれが優れた職人の仕事だとわかります。100年も前のものなら音響的にも強い音で鳴るようになっているでしょう。

楽器を道具と割り切れば少々腕の悪い職人のものでも音響的には必ずしも悪いとは限りません。値段が安ければメリットになります。ただし、中古市場に出たときは大量生産品と見分けがつかないため大した値段になりません。また、「少々腕が悪くても」ですから、あまりに腕が悪ければただの粗悪品です。

現代の楽器製作の問題点

このように公平に客観的に品質を見分けることができる現代の楽器製作ですが、問題点もあります。

それは表面の仕上げにしか興味が無いという点です。

このような大変にきれいに加工された楽器を見たときにとても美しいと思うのですが、アマティやストラディバリなどの名器を見るとそれらとは全く違うことに驚かされます。もちろん古くなったことで印象が大きく変わっているわけですがそれだけではありません。


現代の楽器製作はフラットなアーチをいかにデコボコが無く仕上げるかという点に重きを置いているのに対して、オールドの楽器は形を積極的に作り上げていると言えます。欠点を無くす現代のアーチに対して、形を創造するのがオールドなのです。このことが見た目の印象としてきれいなんだけどあっさりしすぎている現代の楽器と、デコボコやうねりがあってそれも迫力につながっているのがオールドの楽器です。


欠点を無くすため現代では小型のカンナを多用します。カンナという道具はデコボコをならすための道具で形を作るためのものではありません。むしろ起伏を崩してなだらかにしていくものです。

これらのどちらの楽器も優れた美しいものではあります。しかし現代においてオールドのような作風のものはめったに作られません。私はそのような雰囲気を出すために考え方だけでなく工具と作業工程の研究をしています。技術の裏付けが無ければただの精神論にすぎません。アーチを作る作業をする時最初はノミなどを使って荒く形を作ります。その時、「これは魅力的なアーチになりそうだ」と思ってもカンナで仕上げていくうちにいつもと同じつまらないものになってしまいます。学生の頃同級生とそのような話をしていたものです。

その原因をちゃんと理解して技術で解決できるようになるにはそれから10年くらいかかったでしょうか?

オールドの名器を現代の物差しで評価すると実はそれほど高得点にはなりません
もしアマティや、ストラディバリが現代にタイムスリップしてヴァイオリン製作コンクールに出展しても中位くらいに埋もれてしまうでしょう。晩年のデルジェズなら一次審査で「素人の作品」としてはじかれるでしょう。
現代の基準で安物が持っている特徴と同じ特徴をオールドの名器も持っているのです。となると「現代の基準とはなんなんだ?」となるわけです。我々の業界ではこの矛盾に対していろいろな意見があります。

①現代の職人のほうが優れている、昔にしてはストラディバリはよくやったパターン
②オールドと現代のスタイルを混同するパターン
③別の種目パターン


①現代の職人のほうが優れている、昔にしてはストラディバリはよくやったパターン
我々のほうがストラディバリより優れていると豪語する職人のことです。ストラディバリくらいならだいぶましな方だと評価しますが、デルジェズなんてのはどうしようもない下手くそだと言います。偉そうにしていることで信者もできるでしょうが、音で楽器を気に入る人はいないでしょう。

②オールドと現代のスタイルを混同するパターン
オールドの名器も現代の理想の通りに作られていると思い込む職人です。オールドの楽器を見て現代の理想と違うところがあってもそれを受け入れず見なかったことにします。オールドの楽器を現代の楽器と同じものだと思い込んでいるので100台オールド楽器を見ても現代の楽器と同じものにしか見えないのです。

③別の種目パターン
オールドの楽器をよく見て知っているのに、いざ自分が楽器を作るとなると全く別の種目の競技のように違う基準を使い分ける職人です。オールド楽器を見て「美しい」というのに、いざ自分が楽器を作るときはそれとは違う基準で作るのです。弟子に対して「そんなのはダメだ」と厳しく言うのですが、同じことをデルジェズがやっていてもそれは「美しい」と言うのです。



このような矛盾に気づいて悩むのは私のような変人くらいでしょう。

私はオールドの楽器には実は現代の基準にはない魅力があるものと考えています。私が研究しているのはそのことです。現代の楽器の良し悪しの基準をオールド楽器に当てはめると測れない部分があるです。現代の基準は誰にでもわかりやすい部分だけに注目しそれ以外のことをおろそかにしていると考えています。仕上げにアラが無いかは誰にでもわかりますが、各部の形や大きさの微妙なバランスによって醸し出される特徴は造形センスのある人にしか違いが分かりません。一部の才能を持った人にしかわからないことを業界の標準にはできないのです。
職人でなくてもこの違いが分かる人がいてオールドと現代の楽器の印象が違うことに気付かれる人もいます。職人でも違いが分からない人がいるのです。



さあ、ここで問題になるのは、現代において下手くそな職人とオールドの作風とを混同してしまうことです。ただのヘタクソなのに「デル・ジェズのような天才」と宣伝することができるのです。非常に微妙で説明するのは難しいですが、これについて詳しく見ていきましょう。

現代のヴァイオリン製作でも流派や工房によって微妙な違いがあると思いますが、図1-1は裏板を縦に半分に切った断面です。示したように寸法を測るポイントがa,b,cとあります。図1-2はA-A'のところを横に切ったものです。ここでもa,b,cの三か所測るポイントがあります。図1-3はB-B'を横に切った面です。ここではaとbの二か所しかありません。

これらのポイントを決められた寸法にして、なおかつデコボコが無い滑らかなカーブに仕上げることができば一人前の職人となるわけです。


しかしここで疑問があります。a,b,cの三点の中間のところはどうすればいいのでしょうか?

この図でもわかるように3点のチェックポイントを通過し滑らかなカーブになっているとしてもその中間はいろいろなラインが考えられます。現代としては理想的なカーブは中間のものになると考えられます。にもかかわらず赤線のカーブの楽器をよく見ます。

現代の作者のビオラです。図の赤線のようになっています。

定規の影のラインを見てください。横方向も同様です。

なぜこのようになるかというと

図の斜線の部分を削ってアーチを作ります。木材は硬く力のいる仕事です。a,b,cのチェックポイントをクリアーして表面を滑らかにするとき、もっとも作業が少ないのです。私にはとんでもなく不恰好に見えますが、ちゃんと正しい方法で作られた楽器ですね。これは美しくはないけど正しい楽器なのです。これを作れれば現代の理屈では一人前のプロの職人として合格なわけです。

私は目で見て不恰好だとわかるのでこのようなものを作ることは耐えられません。でもこの作者は不恰好だと思っていないのでしょう。造形センスがなく形が見えていないのですが、この人の作風です。私は下手くそだと考えます。

輪郭やパフリングのカーブは合格点ですね。造形センスは全然ない不細工な楽器ですが現代の評価基準では合格です。



一方で中間のラインが理想だとしました。現代で腕の良い職人ならそのようにするでしょう。ただし中間のラインで表面を滑らかに仕上げるとペタッとした印象になります。非の打ちようのない完璧なもので上のヘタクソな楽器よりはずっと素晴らしいものなのに訴えてくる迫力が無いのです。
それに対しオールドの時代にはチェックポイントすらアバウトで仕上げもそんなにうるさく言われなかったでしょう。カーブは欠点の無さを追求したものではなくもっと大胆に作者の意思が反映されメリハリがあることで特徴が強く出てくるでしょう。チェックポイントや仕上げの欠点の無さでは測ることができない造形の魅力というのがオールド楽器にはあると思います。

少なからず音にも影響があることでしょう。


先ほどのビオラのようなものもアーチはこんもりとしています。しかしオールドのものとは考え方が違う別ものです。攻めきれていない現代の楽器です。紛らわしいですけどもそういう楽器はよくあります。


まとめ

今回は音のことについてはあまり触れませんでした。楽器の価値を評価するときに音というのは客観的な尺度にはなりえません。なぜかというと人によって受ける印象が違い、また演奏者によっても出てくる音が違うからです。

私たちが楽器の値段を査定するとき、音を聞いて値段を決めるようなことはしません。
わずか一握りの楽器は名前で、それ以外の楽器については品質で値段を決めると説明しました。名前は戦前より前のものなら相場によって値段が決まります、戦後や現役の職人の相場はまだありません。品質は説明した基準に基づいて客観的に評価されます。

音は時間の経過でも変わってきてしまいます。不確かなものです。
弦楽器の図鑑でも専門書でも専門誌でも名器について紹介されていますが音については一切記述がありません。音について評価を定めることは業界のタブーなのです。

音を評価する基準もなければ公的な機関もありません。販売店が音が良いと薦めても、有名な演奏者や教師が薦めてもその人の意見にすぎません。別の販売店や演奏者は違う評価を下すことがよくあるからです。


したがって楽器を買う場合には予算の中で多くの楽器を試演奏して自分の気に入った音のものを選ぶ必要があります。その時安い値段で音が良いものを見つけられれば最高です。

しかし実際には「高いから音が良いだろう」と思い込んで実力のない楽器を買う人が後を絶ちません。音を何とかしてほしいと依頼を受けることがあります。値段と音には厳密な関係はありません、そのことを知ってもらいたいものです。



また現代の基準はオールドのものには当てはまらないという問題も指摘しました。客観的な品質の基準というのは造形美の本質からは外れています。ミケランジェロの彫刻を見たときに圧倒されるのは仕上げの完全さではなく造形の美しさなのです。それらは各部分の形や大きさの組み合わせによってもたらされます。造形センスの無い人たちも優秀な職人とされて大きな顔をしています。



音について語るのはタブーですが皆さんの関心が高いことであることも事実です。
次回は現代の楽器の音について考えていきます。