休暇をいただいて日本に帰っていました。日本の弦楽器業界の特殊性について考えました。 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

日本の様子をうかがってまいりました。
クラシックの本場に住んでいると気付くことがあります。
日本に住んでいると気付かないかもしれませんので改めてまとめてみましょう。







こんにちはガリッポです。

休暇をいただいて日本に帰っていました。

日本の演奏者や業者の方にお会いしてお話を伺う機会を得ることができました。私は日本の弦楽器業界で働いた経験がありません、キャリアをヨーロッパで始めて今に至るわけです。

なんとなく同じ業界で同じようなものだと考えていると大きな間違いということになります。言い換えると日本の弦楽器業界で当たり前のことはヨーロッパでは全く違うということになります。日本で良い楽器だと思って買ったものがヨーロッパに持っていくと全く相手にされないということもあり得るのです。

私が痛感したことを2つ上げます。

①値段が異常に高い
②品ぞろえが偏っている


私のいるヨーロッパの地域ではあまり好まれない音の楽器ばかりが店頭にあり、値段が倍くらいするのです。したがって日本の売れ筋をヨーロッパで売っても誰も欲しがらないということになります。現に日本で売られているような楽器の作者のものは日本ばかりで販売されヨーロッパでは全く出回っていません。


なぜそのようなことになるのか疑問なのですが、業者の方に会うことができました。そのようなことを総合するとおそらく・・・


①弦楽器人口が少ない
②販売店が大都市に集中している


単純に買う人が少ないということと地価の高いところに店を構えているということが言えます。こうなるとどうしても「高く売れる強い理屈」を持った楽器が店頭に並ぶことになります。消費者はそれしか知らないので売れ筋ではない自分好みの音の楽器がはるかに安い値段でこの世に存在することを知りません。

この世に音が良く値段の安い楽器が存在することを知らないのでそのような楽器を目当てにお店を訪れる客さんが来ません。そのためそのような楽器を仕入れても売れないというのです。

消費者の知識が固まってしまっているのでちょっとやそっとのことではなさそうです。





一言で言えばクラシック音楽の歴史が浅く普及していないということになります。

したがって日本の店頭には置かれていない音が良くて安い楽器を求めるのなら100万円旅費を払ってもヨーロッパに買いに行ったほうが安いという状況になっています。



この状況を変えるには弦楽器のことを皆さんがもっと理解して本場の人達と同じレベルに近づくしかありません。私の役割というのを痛感した次第です。

日本での売れ筋は板の厚い楽器?

話を聞いてみると「板の厚い楽器が良い楽器」とか「板の厚いのが本物」というように考えられているようで売れ筋になっているようです。ヨーロッパで働いた経験が無く日本で就職していたら私もそれが当たり前だと思い込んでいたでしょう。

私のいるところでは板の厚さを気にする人はほとんどおらず、お客さんは弾いてみた音だけで楽器を選んでいます。結果的に厚いものはあまり売れない傾向があります。したがって楽器を買い取るときに板の厚いものは乗り気ではありません、薄いものなら「おおっ!これは良さそうだ!!」と喜んで買い取るものです。外観の品質が良い量産品なら板を薄く改造してしまいます。


問題は「厚いものが本物」のようなよくわからない理屈を職人も信じているところにあります。数千万円以上するオールドヴァイオリンやモダンヴァイオリンを調べると板の薄いものがほとんどであるにもかかわらず板の厚いものが本物というのは訳が分かりません。

板を厚くするべきだというのは20世紀以降のヴァイオリン製作で広まった比較的最近の知識です。

なぜか古い楽器は板が薄くて良い音が出ているのに、現代ではそのような楽器を作ってはいけないというのです。おそらくこれはヴァイオリン職人が板の厚さについて理解していないのが原因だと思います。ヴァイオリンの大きな産地では年長の職人が「師匠」として絶対的に正しいとされます。しかし彼もその師匠に「正しい作り方」を教わっただけです。厚いのが正しいとして広まってしまえば誰も様々な厚さのものを試しに作って検証することもなく、古い楽器について調べることもしません。なぜならそれが正しいと信じているからです。そのため新作の楽器はどこの国のものでも板の厚いものが多くあります。あとは高く売れる理屈のある楽器を仕入れるだけなので主流派の板の厚い「明るい音の楽器」ばかりが店頭に並ぶわけです。

これは衰退の道を歩んでいる伝統的な産業に典型的な消費者の好みを理解しておらず、生産者の常識で作り方を惰性で続けている状態と言えるでしょう。大きな生産地では職人は演奏者と接点が無く工員として指導者に言われたとおりに作業をこなすだけなのです。

皆さんはヴァイオリン職人というものはいろいろな試行錯誤をしていると思うかもしれませんが実態はそうではありません。私のようにいろいろなタイプの楽器を作って確かめるような者は変人の部類に入ります。

職人というものは自分がやっていることを伝統によって「正しい」と信じることが心のよりどころになっているのです。宗教とよく似ています。経典を信じることによって自分が正しい存在だと思いたいのです。他の職業に比べても充足感が得られます。これが落とし穴なのです。

試行錯誤するということはこの経典を否定することになります。私のように試行錯誤をしようとした場合工房によっては師匠が激怒して破門になるかもしれません。そのような世界なのです。板が厚いものが正しいという経典を現代の正統派の職人は皆信じているのでそのような楽器ばかりが作られるのです。

都合の良いことに厚い板を作るほうが作業の手間が少ないということもあります。はじめ厚い板を削って薄くしていくわけなので薄くするほうが手間がかかります。薄くしすぎると恐いのでギリギリの厚さまで攻めるのは勇気もいるし、正確に加工する技能も必要です。そのためまだまだなのに完成としてしまうのです。それを正当化する理屈が強化されていくわけです。




話がそれましたが、もちろん厚い板の楽器特有の明るい音が好きだという人がいたとして、私はそれを間違っているという気はありません。楽器というのは絵画で言えば絵具のようなものです。自分が使いたい色調のもの選べばよいのです。しかしながらそれしか売っていないというのは困ります。

オールドやモダン楽器のような板の薄い「暗い音」の楽器のような音を好む人もいておかしくありません。今回の帰国で実際に200年前のヴァイオリンをいろいろな方に試してもらったところ細かい好みは別とすると好印象を持った方が多かったです。明らかに売れ筋の板の厚い新作の楽器とは違う種類の音でしたが日本人でも好む方が少なくないということです。とても暗い音のヴァイオリンでしたがそれが理由で嫌いと言う人はいませんでした。むしろ落ち着いた暖かみのある音を大変に気に入った人も何人かいました。

これまでも言ってきましたが弦メーカーのトマスティクは日本人の音の好みを「明るい輝かしい音」と分析しています。最新の売れ筋は輝かしい音というよりはマイルドな音に変わってきているようですが、明るい音であることに違いがありません。

これが本当に日本人の音の好みなのか疑問を持っていました。
日本人の私自身がそうではないからです。

どうやらこのトマスティクの分析は間違っているということになります。
私も師匠や同僚に伝えたいと思います。


「明るい音の楽器ばかりが売られていてそれしか知らないだけで、実際に板の薄い暗い音の楽器を弾いてみると好む人が少なくない、ヨーロッパの人たちの好みと変わりがない」と伝えたいと思います。彼らも日本人に対して親近感を持ってくれるでしょう。




明るい音、暗い音とは?

明るい音、暗い音ということを言ってきていますが何のことなのかピンと来ていない人もいると思います。
私も音響工学の専門家ではないので怪しげなところではありますが、大雑把に理解してみましょう。


弦楽器の音は基音と倍音が同時に鳴ることで成り立っています。もし基音しかないのであればどの楽器でも全く同じ音に聞こえるはずです。楽器によって音色が違って聞こえるのは倍音がカギを握っていると考えていいでしょう。フルートとヴァイオリンの音が違って聞こえるのもこれによります。

弦楽器の表板や裏板はどの音域の音がどれくらい出るかという固有の特性を持っています。弦自体がどの音域も均等に振動したとしても空気の振動として音になるのは板の特性によって差が出てきます。出やすい高さの音と出にくい高さの音が楽器の胴体で既に決まっているのです。
弦の振動を胴体に伝えたときに音になって出てくる音域とあまりでない音域が楽器によってあらかじめ決まっているということです。

倍音というのは整数倍音と非整数倍音があります。整数倍音は基音の周波数の整数倍の周波数の音のことで、基音の周波数の2倍の周波数の音が第2倍音、さらに3倍の周波数の音が第3倍音とこれが第4、第5・・・・ずっと続きます。それに対して非整数倍音は基音とは関係なく鳴っている音です。

弦楽器は弦が振動することによって弦全体の振幅だけでなく同時にその半分の長さの振幅が起きます。さらに3分の1の振動も起きさらに4分の1とずっと続きます。これが整数倍音のもとになるもので弦楽器の胴体に伝わった時にどの倍音がどれくらいの音量で出るか楽器によって違いが出るのです。
それに加えて音程とは関係のない音も同時に出ますがこれも胴体の音響特性によって違いが出ます。

この倍音の組み合わせによって「明るい音」と「暗い音」というのが生じます。明るいとか暗いとか感じるのは人間のイメージであるとも言えます。グラフィックイコライザーという装置を使うと録音された音を音域ごとに音量を変えて再生することができます。ヴァイオリンの独奏を再生してグラフィックイコライザーで調整すれば音色が様々に変わることでしょう。
どの音域の倍音がどれくらい出ているかによって音色がどう変化するかつかむことができます。


私のイメージですが、中音域が多く出ると「明るい音」少なければ「暗い音」になると考えています。ヴァイオリンの一番低い方の音を出しても同時にもう少し高い方の音域の音も出ているわけですが、その量が多ければ明るい音に聞こえます。低い方の音ばかりなら暗い音に聞こえるでしょう。

明るい音の楽器では低音を弾いても深々とした低音らしい音にはならないのです。どの音域の音を弾いても同じような音色に聞こえます。それに対して暗い音の楽器は低音は低音らしい深々とした音に聞こえます。高い音では澄んだ引き締まった音に聞こえるでしょう。

非常に高い倍音についてはよくわからないところがあります。この辺は耳障りになったり滑らかになったり場合によっては鈍い音になったりする原因になるのかもしれません。


人間の耳は音域によって感度が違うので聞こえやすい音域とそうでない音域があります。女性の悲鳴のような音域は聞こえやすい音域ですね。危険を察知したりできるようにそういう風に進化したわけですね。
したがって測定値というよりは人間の耳にどう聞こえるか、そしてイメージとしてどう感じるかということになるでしょう。

私のいる地域ではいろいろな楽器を試奏しては「こっちの方が明るい音だね」とか「これは暗い音だ」などと言って誰もが意味を理解しているようです。近年は暗い音の楽器が好まれることが多いです。人によっては明るい音が好きという人もいます。販売店としては品ぞろえを偏らせないことが重要です。



板が厚いと中音域の音が出やすく低音域が出にくくなり明るい音になります。板が薄ければ低音が出やすく中音が少なくなり暗い音になります。板の厚さと音色の明るさの相関関係は数多い実験や楽器を調べたことで間違いありません。また材質として硬い木のほうが明るい音になり、柔らかい木のほうが暗い音になります。

さらに同じような厚さでも古い楽器のほうが暗い音になり新しい楽器のほうが明るい音になります。

新しい楽器で板も厚いとなるととても明るい音になり、古い楽器には板の薄いものが多いのでとても暗い音のものが多くあります。

したがって厚い板の楽器の新作の音色はオールドの名器とは似ても似つかぬものになります。


名器の音を知っているのなら新作でも板の薄い暗い音の楽器のほうがそれに近い同じ系統の音という印象を受けるでしょう。落ち着いた音、暖かみのある音、味わい深い音という具合に表現されます。

厚さと鳴りについて

板の厚さは音色に直結するということを述べてきましたが、多くの演奏者が興味があるのは音の出やすさいわゆる「鳴る」「鳴らない」ということかもしれません。音色には全く興味のない人もいますし、音色こそが大事だと考える人もいます。

これについては新作に限ると板の厚い楽器のほうが鳴りにくいものが多いという実感があります。自分でも様々な厚さのものを作ったり、他の人が作った楽器を試したりした結果です。どちらかというと薄いもののほうが鳴りやすいです。ただ極端に厚くなければ音色に違いはあるとはいえ音量感はあまり変わらないことも少なくありません。明るい音は人間の耳に聞こえやすい音域を含んでいるのでむしろボリューム感を感じることもあるでしょう。しかしかなり厚い楽器には鳴りにくいものが多くあります。

それに対して例の「板の厚い楽器が本物」という理屈を振りかざすのです。「薄い板の楽器というのは一見鳴るようなんだけどもそれは本物ではない」と言うのです。

この考え方は私も職人として初心者の頃なんとなく思ったものです。無知な人が考えがちな理屈と経験を積んだ今になればわかります。鳴るものは鳴ると考えて良いのです。

それに対して「薄い板の楽器は最初は鳴るけどもそのうち鳴らなくなる」という「理屈」で応戦します。私は薄い板の楽器を作って10年以上になりますがそれらは作られた当初よりも良く鳴るようになってきています。10年経っても新品の時より鳴らなくなったということはありません、むしろその逆です。50年経った楽器でも100年経った楽器でも薄い板で良く鳴るものが多くあります。理屈ではなくて実際に経験したことです。


「薄板の楽器は鳴るけど本物じゃない」という理屈の間違いは他にもあります。それは薄い板の楽器も新作ではさほど鳴らないということです。次に店頭での鳴る鳴らないということで楽器を分類してみます。

レベル1:板の厚い新作
レベル2:板の薄い新作
レベル3:50年以上前の良質な量産品
レベル4:200年以上前のオールド、
レベル5:板の厚めのモダンヴァイオリン
レベル6:板の薄いモダンヴァイオリン

いろいろ例外はありますし演奏者によっても違ってきますが、大雑把にはこのような感じでしょう。鳴る鳴らないだけの話ですから音の質や音色などは考慮していません。
意外にもオールドヴァイオリンを並の人が弾いてもそれほど鳴らないことはよくあります。上手く鳴らせる人なら量感豊かなのびのびとした音でモダンヴァイオリンをしのぐことはもちろんあります。単純に音の強さだけを言っています。

板の薄い楽器が鳴ると言っても新作の場合にはレベル2でしかありません。量産品でも50年以上前のものにはかないません。「薄い板の楽器は鳴るけど本物じゃない」という以前にさほど鳴っていないのです。新作とはそういうものです。

レベル3から上は異論があるかもしれませんがそれはともかく、その「本物」という楽器はレベル1のものでしかありません。どうしようもないくらい鳴っていないのです。このようなものはヨーロッパでは全く通用しません。その全く通用しないものを「本物」としてモダンヴァイオリンや時にオールドヴァイオリンよりも高い値段で珍重しているのが日本市場なのです。量産品にすらかないません。量産品でも古くて少し上質なものなら鳴る鳴らないに関してはいかに有名な職人が作ったものでも新作ではかなわないことはよくあることです。
ヨーロッパではこのような古い量産品を入門用に使っている人が多いため鳴らない楽器は買い替えの候補として相手にされません。


したがってオールドやモダンの名器を研究して薄い板で作ったものは売れ筋の板の厚い新作よりよく鳴ると言えます。しかしながらヨーロッパに持っていけばそれでも鳴らないほうなのです。

まとめ

板の厚さなどは極端にひどくなければ薄めでも厚めでも構いません。古くなれば何でも鳴るようになります。ただ音色などは違いますから自分の好みで選ぶべきです。
厚いものや薄いものの両方が売られていれば消費者は好きなものを選択することができますがどちらかしか置いていなければ自分の好きなものを買うことができません。

弦楽器人口の少ない日本で都会の一等地に構える店では売れ筋に集中するだけでなく値段がとても高くなることは必至です。日本人の職人から直接買えばマージンがかからないので安く買うことができます。理解を深めて賢い消費者になれば音楽文化も高まることでしょう。職人もただ慣習に従うのではなく勉強と実験が必要です。それと薄い板の楽器を作る勇気もです。

消費者の理解が深まれば販売店も品ぞろえを変えることでしょう。

販売店で働く人たちとお話ししましたが売れ筋の楽器を心から気に入っている人はいませんでした。店員は自分では良いと思っていない楽器を職務として勧めざるを得ないのです。



作者の知名度が高くてもセオリー通り作ってあるだけで一般の職人のものと変わりません。その知名度も日本だけの話だったりします。新作に高い値段を払うのならマイナーな作者の古い楽器を試すべきです。そのあたりも含め次回は読者の方にお会いして質問を受けた現代のヴァイオリンとオールドヴァイオリンとの違いについて詳しく解説していきたいと思います。