アマティ型のビオラを作る【第15回】完成しました。オールドの音とは? | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。


今年もこれで最後とさせていただきます。休暇の後2月からまた再開します。
ビオラの完成とともに最後ということで弦楽器の本質に迫る内容の文章をじっくりと考えました。オールド、モダン、現代の楽器について考えていきます。


また言葉で理解するだけでなく、1月中に日本で私の作ったヴァイオリンを試して実感していただきたいと思って試演奏の募集をしています。まだ日程に余裕がありますので申し出てみてください。
申し込みの詳細はこちらを参照

以前に製作したストラディバリのコピーも借りることができます。
同じ作者がストラドの型で作ったものとデルジェズの方で作ったものでどう違うのか比較もできます。

そのほかにも200年以上前の日本ではおそらく誰も見たことが無いであろう素晴らしいヴァイオリンも用意できますのでサプライズということになるでしょう。



ビオラも完成しました。





このビオラはアマティのスタイルで作ってあるのが最大の特徴です。その結果音もやはりそれっぽい雰囲気の感じられるものになりました。

ストラディバリとヴィヨーム

ヴァイオリンの専門家が弦楽器についてどれだけ理解しているか知りたければ「ストラディバリとヴィヨームはなぜ音が違うのですか?」と聞いてみれば良いでしょう。実際にブラインドで聞き分けられるかは別として理解の仕方を聞くのに良い質問です。

例えば、「ヴィヨームはストラディバリとそっくりだが形をまねているだけで音を作っていない」とあやふやなことを言い、さらに「ストラディバリは表板や裏板の各部の強度を見抜き、部分ごとに最適になるようにしているのに対し、ヴィヨームは板の厚さをそのまままねているだけだ」とさも技術的なことのように言うのです。

このようなことを本気で言う人がいるから困ったものです。私から見るとヴィヨームはモダンヴァイオリンでストラディバリはオールドヴァイオリンなので考え方も作風も全く違うのです。全く違うスタイルの楽器が違う音がするのは当たり前です。彼らは構造を理解しておらず目も悪いので違いが分からないのです。

そもそもなぜ理解できないかというと「ストラディバリはすべて計算しつくして作っているに違いない」という現代的な思い込みにあります。現代の考え方でストラディバリをとらえているので理解できないのです。

自分と異なる時代のものを理解するには自分の時代の考え方を捨てることです。それが無ければどれだけ熱心に研究しても研究するほど間違った答えに進んでいきます。勉強すればするほど間違えていくのです。


オールド、モダン、現代…

オールド、モダン、現代では作風が違うということでしたが、どれが一番優れているのでしょうか?

これは「バッハとブラームスとショスタコービッチのどの作曲家が一番すぐれているか?」という問いに似ています。ダ・ビンチとドラクロアとピカソのどの美術家が一番すぐれているかと問うこともできます。

これと同様に弦楽器でも時代ごとに考え方が変わっているのです。
私ごときが結論を決定し正しい知識として発表することはできません。

またそれぞれについてよりよく知るためには他の時代のものを知る必要があります。興味が無い時代のものについて知ろうとしないことは伝説や幻想が誇大する原因にもなりますが、この幻想こそが本当の良さを分からなくしてしまうのです。特定の作品の大ファンであるためには幅広い知識を持つ必要があります。


私も専門家の責任として正しい知識を伝授しなければいけません。
私は現代、モダン、オールドのすべてのスタイルの楽器を作った経験があります。現在ほとんどの職人は現代のスタイルしか作ることができません。もちろん水準に達しない普遍的な粗悪品もあるでしょう。

その意味で私は極めてめずらしい特異な職人ということが言えます。


したがって私は何でも作れる、どの時代にも肩入れしない、良いものはスタイルにかかわらず良いという客観的でフェアな視点の持ち主であることを心がけているつもりです。特にお客様が持っている楽器を評価するときには個人的な好みを反映させてはいけません。自分の好みと違うから「これはダメな楽器だ。」と言ってはいけないのです。

ビオラの注文が来た時にも私は現代、モダン、オールドのどのスタイルで作るか選択することができました。


しかし私の頭には振り返ってみるとオールドのスタイルしか頭にありませんでした。その姿も音も頭にイメージするのはオールドの雰囲気でいっぱいで作る気満々でした。理性では平等を装っていてもやはりオールドのスタイルが好きだということは隠しきれないのです。

オールドの良さ?

オールドの楽器は何が優れているのでしょうか?

これは人によってどこに魅力を見出すかは差があります。100人演奏家がいれば100の理想の音があるのです。それは当然のことです。

それらをオールドの楽器が持っていれば優れていると感じるわけです。
オールドの楽器もそれぞれ音が違いますから何を持ってオールドの音とするかは何通りでもあるということです。


楽器選びで基本的なものは、音量と音色というものがあります。性能と音の質と言い換えることもできます。これ等は密接に結びついているので単純すぎるとも言えますがわかりやすいことで考えていきます。

発音がよく、音量がある、音が強く感じられる・・・そいういう理由でオールド楽器を選ぶ人もいるでしょう。しかしながらこれらは優秀なモダン楽器でも得られるものです。むしろモダン楽器のほうが並みレベルのオールドヴァイオリンよりも優れているとも言えます。したがって数千万円程度の予算ではモダンヴァイオリンのほうを選ぶ教授やソリストもいるのです。彼らのすばらしい演奏を聞いたとき私ごときが「あなたのヴァイオリン選びは間違っています。」とは言えません。

それならモダンヴァイオリンのほうが優れているのでしょうか?
これは先ほどの質問と同じです。時代によって持ち味が違うのです。


一方でモダンヴァイオリンには満足しない人もいます。音は強い、もしくは音量がある、でも音自体が気に入らない、もしくはオールドのほうがずっと好きだという人もいるのです。やはり音の質や音の出方には独特のものがあるということが言えます。

現代のヴァイオリン製作理論

さらに現代を見てみましょう。例えば100年くらい前に表板などの厚さを厚くする考えが広まりました。

理由はこうです。
「現代では弦の張力が増し、表板を押し付ける力が強くなった。そのため表板が力に耐えられないので中心付近を厚くする必要がある」というのです。

それは納得できます。その通りです。しかしこれが「中心を厚くしたほうが音が良い」と間違って広まってしまいした。単に「壊れないため」だったのがいつのまにか「音が良くなる」になってしまったのです。そのため現代になるとオールドやモダン楽器に比べると中心付近や全体を厚く作られた楽器が多くなります。

こうなると当然オールドともモダンとも音は違ってきます。
このように作られたヴァイオリンでも音量や発音の良さのあるものはあります。ただ音色や音の質が違うのです。大きな音は出ても音自体が「現代的」なのです。私はそのような楽器の音を聞くと「新しいヴァイオリンの音だな。」と思います。

ビオラになると厚くしすぎた弊害が「好みの問題」では済まされないレベルになってきます。後で説明します。


もちろん現代でもよく勉強して薄い板の厚さで作っている人もいますからすべてではありません。

壊れないかと心配する人もいるでしょう。
表板が壊れる原因はアーチの構造にもあります。力がうまく分散できれば薄い厚さでも耐えることができます。実際にびっくりするほどの薄さで400年も耐えているオールドヴァイオリンもあります。


典型的な現代のヴァイオリンには現代特有の音がありますが、これも好き好きであって絶対にオールドよりも劣っているということではありません。50年以上経ったものなら音量や発音が大変に優れていることがあります。このことにのみ注目して高く評価する人もいますし、それどころか生理的にこのような音が好きな人がいるのです。

古さの影響

違う時代の楽器同士を比べるときに作風のほかもう一つ重要な要素になるのが「古さ」です。同じ作風でも古さによって音が変化するのです。

作られた瞬間から300年間全く変化しないのならば、その音は100%作者の技量によることになります。実際には物理的にも化学的にも変化があるので全く同じということはあり得ません。

「古いヴァイオリンの音」がするのは作風の他に「古さ」が影響するのです。
逆に新しいヴァイオリンが新しいヴァイオリンの音がするのも同様です。


全くの新品と5年経ったものでも違いますし、20年経ったものでも違います。
50年以上経ったものにはとても強い音の楽器があります。大量生産の安い楽器でも店頭ではハンドメイドの新品をはるかにしのぐ音量を持っていることがよくあります。その大きな音も音自体は「大量生産品っぽい音」だったりしますが、音量があるということを何よりも重要な評価基準にしている人ならハンドメイドの新品よりも音が良いということになります。そのような楽器を教授や高名な教師でも生徒に勧める方がいらっしゃいます。ここでも私が「先生、間違っています」とは言えません。

音量を重視して楽器を選ぶのならお勧めです。

オールドのような雰囲気のビオラの音

完成したビオラについて何人かの人に試してもらいましたが、やはり「古い楽器のような音」という印象は強く感じました。いかにも新しいビオラの音ではないのです。

たまたまその時1980年製の現代の有名な作者のビオラを修理したので比較しました。比べると私の作ったほうはアマティ派のオールド楽器のような雰囲気がプンプンしてくるのです。現代のビオラも35年も使いこまれていて音はずっと強いものでスケールも大きな感じがします。できたてほやほやで不利ではありますが私のビオラには全く違う音の質や出方がありました。いずれの方にも好評でした。
たまたま全員がそのような音を好む人だったということですし、古い楽器の別の要素を評価している人には古い楽器の良さが無いということになるでしょう。


ただしビオラについては板の厚い「明るい音」はあまり好まれません。ビオラで低音に深みが無いものはほとんど好まれないです。その点については闇のような深みのある音です。これは板が薄いだけでなく裏板に板目板を使用したことが原因だと考えられます。これは発見です。


また硬すぎる音も「イ゛~~~」とビオラ特有の音が強くなりすぎます。とくにA線に問題を抱えると一生ごまかしながら使うことになります。
それに比べると私の楽器は全くそういう変な音がしません。基本的には柔らかい音ということになります。これも板目板が柾目板に比べてずっと柔らかいということも原因ではないかと思います。そもそも私がオールドのスタイルで作ると皆そのような傾向になります。このような質の音が古くなって強く鳴るようになってきたときに本当にオールドの音になるのではないかと思います。初めから硬い音の楽器が古くなっても違うタイプの音になると考えています。

アーチが高いことによっても手ごたえを感じるので本人には発音が良いように感じられます。まだまだ鳴ってはいないのですが本人にはぼやけたような音ではないようです。

オールドのスタイルで作れるようになるには、常識を捨てることが必要

店頭で試奏して強く大きな音ならモダン~現代にかけての100年くらい前のものに素晴らしいものがあります。国に関係なく、イタリアでもチェコでもドイツでもハンガリーでもフランスでもどこの楽器にもあります。値段では1000万円するイタリアのものと同じようなものがドイツやチェコのものなら100万円もしませんが同等に強い音のものはあります。

強大な音はしても素晴らしいオールドのものとは音自体が違うと感じる人もいるでしょう。


私が作っている楽器はまだ新品のため並の奏者ではそのような音量を出せる人は多くありません。しかし音の質自体は典型的な現代のものに比べるとオールドのものに似ていると言えます。それは構造がオールドの楽器と同じだからです。特に今回のビオラではその傾向が強いと感じました。慣れも重要ですから、現代的な楽器を使っている人が持ち替えてもうまく音が出せない反面、本当のオールド楽器をふだん使っている上級者が弾くと「これ悪くないね」ということにもなります。

古さによる部分はどうしても埋まらないところですが、未来には今のオールド楽器のようになるでしょう。



私のようなタイプの楽器を作る人は多くありません。
なぜかと言うと主流派は現代の楽器製作の考え方を信じているからです。
製作コンクールなどでも現代の考え方に基づいて評価されます。



オールドのような楽器を作るにはいか腕前が優れていようが、古い楽器を科学者のように熱心に研究しようが、現代の考え方を捨てなければ作ることはできません。これができる人がめったにいないのです。
逆にオールドの考え方で作っていた昔の人は腕の悪いヘタクソな職人でもオールドらしい楽器を作ることができ、オールドらしい音の楽器が作ることができたのです。当時の常識に従っていただけです。


「ヘタクソな職人にオールドらしい魅力的な音の楽器が作れたはずがない」と考える人がいるのならその現代的な考え方を捨ててもらいたいです。



わかりやすく典型的な話として説明しました。一つ一つの楽器を見ていくとまたそれぞれ音が違うのです。新しい作風の楽器にも味わい深いものはありますし、オールドにも嫌な音の楽器も単に冴えないものもあります。


様々な要素がたまたまバランスしてオールドのような音がする新しい楽器も探せばあるでしょう。耳や演奏の腕に自信のある方は探してみてください。確実なのは私がオールドの作風を研究してそのように作ったものです。音と見た目の両方でオールドの趣を持ったものはそんなに多くはないと思います。


正しい知識を伝えるという目的でどの時代のものも公平にということでやってきたつもりでしたが、私自身オールド楽器の魅力に取りつかれた一人だということに気づかされました。今のところはオールド楽器ファンブログではなくて弦楽器全般の研究ノートとしてやってきました。どちらの需要があるのかちょっと考えていきたいと思っています。要望等がございましたらコメントなどで受け付けます。



というわけでこれからも研究を続けていきます。
2016年もよろしくお願いします。