事例研究/ケーススタディ【第10回】250年前のストラドコピー、ドイツのオールドヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

珍しいドイツのオールドヴァイオリンを紹介します。
私もストラディバリの複製を作ったりしますが250年前にストラディバリの複製を作っていた人がいます。

あまり知られていませんが、美しい外観、素晴らしい音ともに、モダンヴァイオリンの起源ということもできるかもしれません。




こんにちは、ガリッポです。


まずはこの前のチェロの続報です。
この前修理していた古い大量生産品のチェロが出来上がりました。

特徴的だったのは裏板の厚さが全体に同じ厚さで5.5mm程度エッジ付近のみ4.5mm程度という珍しいものでした。普通は中心が厚くアッパーバウツやロワーバウツを薄くするものです。

どんな音が出るか興味深いところです。

70~100万円クラスの新品の大量生産品と比較しました。
現在の大量生産品は機械の性能が上がっているため、これくらいのクラスになれば手作業で作っていた昔のものよりはずいぶんと品質が向上しています。
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古い量産品のチェロはやはり音が出やすく、部屋いっぱいに音が広がります。耳障りないやな音でもありません。新しいチェロは音が重く出にくい感じがします。

こうなると古いチェロのほうが優れていると感じる人も少なくないでしょう。よく売れるわけです。音が出にくい楽器を「こっちのほうが良い。」と判断するのは普通ではありません。


しかし、音色に関して言えば耳障りではないものの低音から高音まで単調でモノトーンの感じがします。低音らしい低音ではなく曲を弾いたときに低音の印象が弱く感じます。

やはり裏板の厚さに薄いところと厚いところの差がないことが原因ではないかと考えられます。
鳴る鳴らないとか音量では全く問題がありませんが、裏板の厚さの出し方は音色に関係してくるのかもしれません。

機械の性能がアップし優秀な職人が指導している工場の新しい楽器は音の質や音色に優れていてるということができます。現時点では鳴らなくてもこれから改善が期待できます。もしどちらか迷うようであるのなら新しいものをお勧めします。

弦楽器はメンテナンスが必要で、10年~20年後もそのまま最高の状態で使えるというものではありません。古い楽器は当然きちんと修理されていることが重要ですが、それでも新しいものと同じということはありません。

3回くらい応急処置で「調整」ができてもいずれ大掛かりな修理が必要になります。テレビゲームで言えば最初は残機が3機あってだんだん減っていくようなものです。中古品の場合現時点では演奏しやすい状態になっていても残機が1機とか0機とかになっています。というのは、調整で十分使えるものを新品の状態に戻して全機回復まではしないからです。

私が休暇で休んでいる間に他の人がペグの取り付けをしたわけですが、これに問題がありました。音程が安定しないのです。もう一度新しくペグを取り付ける必要があると思います。残機が0機ならペグボックスの穴を埋めて新しく開け直す必要があります。職人というのは楽観的すぎる性格は向いていません。

ネックも今回は応急的な修理をしたので20~30年後には大掛かりな修理が必要になるかもしれません。もし新品のチェロなら20~30年後に応急処置で次の20年くらいは持つのです。

おじいさんが亡くなったということでチェロの価値を見て欲しいと来る人がいますが、そのころには大掛かりな修理が必要になっているので高い修理代に驚かれることが多くあります。親族などがチェロを始めたり、大人用のチェロに変えるという時にはすべて修理をやり直す必要があります。
チェロほど高くありませんがヴァイオリンでも同じです。



古い楽器を買うということはこういうことだということ知っておいてもらいたいです。


楽器の作りの違いというのは音の質や音色、響き方に影響はあってもいわゆる「鳴る鳴らない」というのは古さによる部分が大きいのかなと考えるようになってきています。
もし鳴る鳴らないにしか興味がない人であれば「ひどくなければ何でも良い」という私の説が成り立ちます。音の質や音色にこだわりがあるのなら何でも良いというわけにはいかないようです。人によっては好む人もいるし好まない人もいるというわけです。

すべての人が好まないものと考えるとあまりにもひどいものということになります。

値段と音は必ずしも一致しない

私はこのブログで値段と音の良さというのは必ずしも一致しないということを言ってきました。値段は作者の名前や産地によって決まります。しかし有名な作者はずば抜けた才能がある天才だということは否定しています。また音の良い楽器の作り方を知り尽くしすべて計算して音が良い楽器が作られるのではなく何も考えずに適当に作られた楽器が古くなって素晴らしい音になることがあると説明してきました。先ほどのチェロでも音が出やすいことを高く評価する人もいます。

有名な師匠よりも弟子のほうが音が良いこともありますし、同じ師匠の兄弟弟子の中でも腕の悪くヘタクソでやる気のない弟子の楽器の音が良いこともあります。見た目では明らかに劣っているのに弾いてみると良い音がしてしまうのです。職人の私から見れば受け入れたくないことですが、残念ながらそれは事実なのです。「才能か?努力か?」という議論は多くの人の関心を集めるテーマですが、音の良し悪しについてはどちらでもないのです。


私がこのようなことを言っていますが、「本当なのか?」と疑問を感じるかもしれません。
私だけの考えではなく、先日、個人情報は伏せますが、はるかに高価なヴァイオリンよりも音が良いものがあるということを実感され考え方に同意していただいていらっしゃる方からメッセージをいただきました。


努力や才能が全く関係ないということでもありません。
次にお話しします。

ストラディバリの複製を作ったドイツの職人

師匠に基礎を教わっていれば適当に作られたものでも音が良いことは十分あるわけですが、流派によって限界が生じます。それに対して自分の流派とは違う素晴らしい楽器を見たり手にしたりすることによって学ぶこともできます。

優れた文化というのは伝わっていくもので、人類の歴史を振り返れば常にそうでした。
現在は資本主義の時代で財産を守るために、特許や著作権という制度があり真似をするのは良くないという考え方がありますが、「作者の独自性」などと言うのは現代の考え方にすぎません。

「奇抜なアイデア勝負」という分野ではそうかもしれません。しかし数百年経っても価値を失わない職人が作るものはそういうものではありません。奇抜さも慣れてしまえば新鮮さを失い何とも思わなくなって次の奇抜なものにとってかわられてしまいます。この瞬間は地味でもずっと長い間美しさを感じ続けることができるそのようなものが現代では少なくなっています。弦楽器やクラシック音楽は時代が経っても変わらない美しさを持っているのです。


また島国である日本人は外国のものに対して心理的に大きな壁を作っています。良い面でも悪い面でも国ごとにステレオタイプのイメージを強く抱いています。ステレオタイプのイメージに合わないものには拒否反応が出ます。海外旅行でも短い休暇しか取れない日本人は「その国らしい」ところばかり見ようとします。ところが特にヨーロッパの場合国境を越えて人や文化が伝わるのは普通のことなので良いものはどんどん取り入れられていくのが普通なのです。

日本で外国製品が崇拝の対象になって高い値段で買われるとき、その国らしさが重宝されます。
私のように外国に住んでいるとそんなことはどうでもよくなって、品物が自分の好みに合えばその時点で良いものだと考えます。

侍や忍者が好きだからという理由で国産の工業製品を買う日本人がいるでしょうか?
我々が外国に対して持っているイメージはそのような浅いステレオタイプでしかありません。

そもそも弦楽器はアジアで生み出されたものが進化を重ねながらヨーロッパに伝わったものです。


オーストリアのヤコブ・シュタイナーの楽器は当時イタリアでとても人気があり、逆にアマティやストラディバリはオーストリアやドイツで人気があったのです。イタリアの職人はシュタイナーをまねた楽器を作り、フランスやオランダの職人はアマティをまねた楽器を作り、ドイツの職人はストラディバリをまねた楽器を作ったのです。

ブッフシュテッターのヴァイオリン

今回紹介するのはガブリエル・ダビッド・ブッフシュテッター(1713-1777)です。ドイツのレーゲンスブルクというドナウ川に接する町でストラディバリの複製を作ったことで知る人ぞ知る作者です。The Strad のカレンダーにもヴィヨームなど「ストラディバリコピーの名人」を集めた年に掲載されていました。

今回紹介するのは1764年に作られたものです。
さっそく楽器を見ていきましょう。


表板はこのような感じです。いわゆるヤコブシュタイナー型のドイツのオールドヴァイオリンとはまるで違います。複製のもとになったストラディバリは1690年代の「ロングパターン」と呼ばれる細長いヴァイオリンを作っていた時期のものです。同じ時期のストラディバリはこちらのリンクをご覧ください。
http://keimages.ram.ac.uk/emuweb/php5/media.php?irn=19804
どうでしょうか?そっくりではないですか?

次は裏板です。

ストラディバリはこちら
http://keimages.ram.ac.uk/emuweb/php5/media.php?irn=19799
カーブが若干違いますが、プロポーションはよく似ています。


アーチもいわゆるドイツの高いアーチのものではありません。


低いアーチであっても現代のようにただペタッとしたものではなくオールドらしいものです。

表板です。

オールドヴァイオリンの風格があります。
ニスの感じもいわゆる真っ黒のドイツのものとは違います。イタリアのオールドヴァイオリンと変わらない色合いのものです。ニスの秘密などないのです。木が古くなれば自然とこんな色になります。

f字孔もいわゆるヤコブシュタイナーのものとは違います。わずかにドイツ的な雰囲気は残っていますが明らかにストラディバリを模したものです。


スクロールもストラディバリを模したものですが、こちらはもう少し独特のキャラクターがあります。




面白いのは背面に穴が開いています。これは弦をペグに結び付けやすいよう配慮したのでしょう。細やかな気遣いです。これは後の時代の人が開けたのではなく作者のわかりやすい特徴です。他の楽器にも同様の穴が開いています。

コーナーは摩耗していますがストラディバリとは違う独特のものです。パフリングの先端にもこの作者の特徴があります。

板の厚さを調べました

板の厚さはこのようです。

只今アマティの研究をしていますが、アマティにもこのような板の厚さのものはありそうです。ストラディバリもこの時代ならこのようなものを作ってもおかしくありません。そんなに規則的に正確に作っていないという点でもイタリアのものと同じです。
イタリアのオールドヴァイオリンともなんら変わらない板の厚さになっています。

ストラディバリのオリジナルと同様に細長いモデルです。
寸法も示してあります。ミドルバウツのカッコ内の数字はアーチを含まない直線距離です。

気になる値段と音は?

イタリアのオールドヴァイオリンとなんら変わらない楽器ですが、値段は大きく異なります。ストラディバリが億という単位なのは有名ですが、この時代のイタリアの楽器なら中級品以上なら1000万円は軽くします。

このドイツ最高水準のヴァイオリンの値段の相場は400万円ほどです。実際はとても貴重なものなので500万円くらいしてもおかしくありません。それでも500万円です。20世紀のイタリアの楽器よりも安いのです。これよりも高いロメオ・アントニアッジと弾き比べをしましたがアントニアッジはただの新しい楽器でした。ブッフシュテッターはいかにもオールドヴァイオリンという味のある音で、空間に豊かに音が広がるとともに太い豊かな音です。全く比べる相手ではありません格が違いすぎます。
1000万円を超えるようなイタリアのオールドヴァイオリンこそ比較するに足りるものです。ブッフシュテッターはダイレクトな感じで優雅な美しさというのはもう一つのように思います。クレモナのトップクラスのヴァイオリンの華やかさはないように思います。しかしながらオールドのイタリアのヴァイオリンもすべてが素晴らし音というわけではなく全然鳴らないようなものもあります。したがってブッフシュテッターよりも劣るオールドのイタリアの楽器はいくらでもあると思います。値段は何倍もしますが…。少なくともイタリアのオールドヴァイオリンの中級品くらいはあると思います。


この素晴らしいブッフシュテッターですが唯一問題点があります。
それは胴体が長すぎることです。
365mmほどもあってこれはオリジナルのロングストラドと同じなのですが、胴体が長いと弓をいっぱいに使ったときに遠く感じます。手の短い小柄な演奏者には大きすぎると感じることがあるでしょう。

モダンヴァイオリンの先駆け

レーゲンスブルクからドナウ川を下っていくとウィーンにたどり着きます。ここでフランツ・ガイゼンホフという人が1800年ごろからストラディバリを模した楽器を作っています。偶然とは思えません。クレモナもオーストリアの配下でしたからウィーンにもストラディバリもあったでしょう。そもそも音楽の都ですからね。ドイツのシュツットガルト出身のフランス人ニコラ・リュポーも同じ時期ストラディバリを模したヴァイオリンを作りました。これを弟子たちに広めモダンヴァイオリンが組織的に作られるようになりました。

ブッフシュテッターはもともと東ドイツの方の人ではないかと考えています。
というのはネックの構造がシュピールマン式という上部ブロックとネックが一体型のものです。以前にも紹介したクリンゲンタールのオールドヴァイオリンもそうでした。
東ドイツのオールドヴァイオリンはイタリアや南ドイツのものと比べるとネックが斜めにつけられていてモダンヴァイオリンに近い構造をしていました。この意味でもモダンヴァイオリンの原型ということができると思います。

このブッフシュテッターはストラディバリの偽物ではなく本物のブッフシュテッターなのです。


このようにストラディバリをお手本にしてヴァイオリンを作るということが広まっていき、今も私をはじめ世界中の職人が行っています。

250年前と何にも変わらないことをしているのです。時代が進んでいくと誰もが自動的に過去に比べて優れた人間になっていくわけではないと思います。もちろん闇雲に崇拝の対象にすることもありません、一人の人間なのです。

時代遅れの劣ったものとも天才と神聖視することもなくアマティとデルジェズをありのままに理解していきたいと思いつつビオラとヴァイオリン作りも始まっています。そのうちレポートします。