これからビオラとヴァイオリンを作っていきます | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

これからアマティ型のビオラとグァルネリ・デル・ジェズ型のヴァイオリンを作ります。



こんにちは、ガリッポです。

これまでもヴァイオリンを作るのに特別な才能は必要がなく誰にでも作れると言ってきました。
このことをもっと詳しくお話しします。

まず第一に修行することが必要です。
見よう見まねでいきなり作れるものではなく、実際に作れる人に教わる必要があります。一台作るのにフルタイムでやっても1年はかかるでしょう。職人として道具を使えるようになるのはもっと年数が必要です。これはスポーツのように「体で憶える」というもので作業手順を教わったからと言ってできるものではありません。筋力がついてくる必要があります。ウエイトトレーニングではダメで道具を動かすのに必要な筋力が必要です。マッチョな人がやってもザクザク削れません。
またニスの製造も多くの試行錯誤を必要とします。そういうわけでプロとしてお手本通りヴァイオリンを作るには5年くらいはかかると考えてよいでしょう。さらに自分の作風を確立するということになればもっともっと必要です。

したがって、師匠に教えてもらえる環境が必要です。その上で、途中で投げ出してしまわないということが必要になります。練習すれば腕は上達しますが、練習を投げ出してしまえば作ることができません。

実際にヴァイオリン製作を始めた人の過半数は訓練に耐えることができません。やれば上達するのですが、それ自体がつらくて耐えられないのです。私の場合には楽しく楽しくてしょうがなかったのですが訓練によって上達したのであって、決して初めから上手く工具を使って加工できたわけではありません。ヴァイオリン製作の訓練は初めのうちは皆驚くほどうまくいかず下手くそなものです。ヴァイオリンの演奏を長年やって来た人も全く異なる作業でゼロからのスタートになります。あまりにもうまくいかないので多くの人は嫌になって辞めてしまいます。私の場合にはどうやったらうまくいくかそれしか考えていませんでした。もう一つこれに耐えられるパターンは自信家です。このブログでも初期のころよく言ってきましたが、心臓に毛の生えたような自信家は自分がヘタクソであるのに自分を天才だと思い込んでいたり品質という概念が全く理解できずクオリティが不十分ということを全く気にしない人です。



次に難しいのは自作の楽器を売ることです。知名度もない人の楽器が飛ぶように売れるわけもありません。これが次のハードルになるわけです。弦楽器店などに勤めれば修理の仕事ばかりになってしまいいつしかヴァイオリンを作らなくなってしまう人も少なくありません。ヴァイオリン職人だと言いながらもう何年も、何十年もヴァイオリンを作っていない人も多くいます。

結果的にはヴァイオリン製作を続けていける人は100人中数人とかになります。半分以上はヴァイオリン業界で働くこともないでしょう。他に職業はたくさんあるからです。

意外かもしれませんが、ヴァイオリン職人を志す人に女性が多いのです。私のいる国では製作学校では女生徒のほうが多いのだそうです。女性で一人前の職人として活躍している人もいます。しかしヴァイオリン職人として一人前でやっている人は男性が圧倒的に多いです。理由は分かりませんが残る人は少ないのです。


それに対して家業がヴァイオリン職人であれば、初めから知名度があったり顧客がついていたりします。
家業で仕方なく家を継がなければいけないなどの理由があって父親が厳しければ耐えるしかありません。そういう人の場合全然才能がないのにヴァイオリンを作り続けた例があります。

有名な職人の息子には父同様の楽器を作った人もいれば、ヴァイオリン製作を嫌々つづけた全く才能のない人もいます。このためネームバリューで名器とされている人も、我々職人が見ればとんでもない粗悪な品であることがあります。それでも必ずしも音が悪いということはなく欠陥を我々が丁寧に修理すれば良い音で鳴ることもあります。

これらのことから、才能が無くても誰でも作れると言っているのです。

もちろん品質が良く見た目が美しいヴァイオリンを作るには手先の器用さや造形的な才能が必要になります。しかし私たち職人が名工だと思うような美しいヴァイオリンであるほど楽器商に高く評価されるわけでもありませんし、美しいほど音が良いということもありません。精巧に加工できるからと言って音が良いということもありません。我々の業界は古いものなら流派の知名度によって値段が決まります。いかに美しい楽器でもマイナーな流派なら驚くほど安い値段になることがよくあり、とんでもない下手くそな楽器でも高い値段がつくことがあります。

才能が関係ないというのはそれよりも知名度のほうがずっと重要だという意味です。
いくら美しい楽器でも楽器を販売する者にとっては知名度が無ければ全く商品価値がないのです。

100人中数人だとしても実はヴァイオリン製作を志す人は意外と多いものです。日本だけでも毎年一人や二人はヴァイオリン製作でプロになっていく人が出るわけですから現役が40年だとしてもその40倍の人数の職人がいるわけです。消費者としてはすべての職人の名前を覚えきることはできないでしょう。聞いたことのないような職人でも十分素晴らしいヴァイオリンを作る人がいるということです。

これが世界中、400年間ということになるととてもじゃないけど覚えきれないほど職人がいて知名度などは当てになりませんから、すべて試してみないことには音が良いのかわからないということです。

古い楽器は音響的に有利になりますのでごく平凡な無名な職人の楽器でも古くなることで素晴らしい音の楽器になるのです。


私だけが良い楽器を作ることができると言えれば良いのですが、残念ながらそれを言うと嘘をつくことになります。企業の広告であれば「この製品は音がとても良い!!」なんてことはいくらでも言うことができます。それで違法ということもないでしょう。しかし私のブログが目指しているのはそういうものではありません。





さあ、いよいよ私の楽器製作が始まります。

午前中アマティ型のビオラを作り、午後は修理、夜と休日はグァルネリ型のヴァイオリンを作るという予定になりました。このような楽観的な予定が機能するかどうかわかりませんがこれでやってみます。半年以内にビオラとヴァイオリンが完成することでしょう。

面白いのは同時に異なる大きさとスタイルの楽器を作ることです。これまでも申してきましたが楽器製作は感覚による部分が大きいです。したがってアマティの影響がグァルネリにも出るということです。

幸いにもどちらも古い時代の作風を再現したものになるのでその辺は問題ないでしょう。現代風の楽器とオールド風の楽器を同じ時期に作るのは難しいと思います。グァルネリ・デル・ジェズもアマティ派の一人ですから共通する部分が多いはずです。

現代のヴァイオリン製作はストラディバリのモノマネの仕方の流儀だと前から言っています。職人というのは寸法を何ミリと師匠に教わればそれ以外どうしてよいかわからないものです。ストラディバリの作り方を教わるとアマティやグァルネリは作れないのです。

でもアマティの作り方が分かっていればそれを応用するだけで、ストラディバリもグァルネリも作ることができます。

現代のヴァイオリン製作がストラディバリのモノマネですから、ストラディバリは一見現代の楽器とそれほど変わらないようにも見えます。それに対して、アマティは現代の楽器とは明らかに違います。現代の作風でアマティの形だけを写してもそれっぽくは見えません。どのへんがそうなのかこれから研究していきましょう。

デル・ジェズもアマティの面影を感じられるようなものにしていきます。
年代も最晩年のものではなくもう少し前の時代のものにします。今回はアマティの弟子で祖父のアンドレア・グァルネリに雰囲気が似ているものを作ります。アンドレア・グァルネリの楽器は二人の息子、ピエトロやジュゼッペが手伝ったり代わりに作ったりしていますからアンドレア・グァルネリと言ってもピエトロやジュゼッペの楽器でもあるのです。そのような楽器に似たデルジェズですからグァルネリ家のすべてが詰まった楽器ということになります。

デル・ジェズで不可解な点が多いのは何人もの職人の影響を受けているからではないのかと考えています。その辺を探っていきたいと思っています。

前回のストラディバリの複製でも、現代的なストラディバリのモノマネではなくアマティの雰囲気を感じられるようにこころがけましたが、今回のデル・ジェズでも現代のスタイルで作られたものでないということを心がけます。デル・ジェズは仕事が精巧ではないので腕に自信のない職人でも気軽にコピーを作ることができます。私の場合には現代のヴァイオリンの作風を雑にしただけではなくアマティの面影を感じられることで全く異なる雰囲気ものになるでしょう。

ビオラはサイズが大きいので、その感覚のままヴァイオリンを作ると大胆にザックリと行けるでしょう。あまりチマチマした感じで作ってしまうとデル・ジェズっぽくなりません。迷いがあるとダメなのです。

デル・ジェズの複製で難しいのは迷わず勢いよく作られたものをそっくりにすることです。チマチマ作られたものなら様子を見ながら修正を加えていけばそれっぽくなっていきますが、ざっくりと加工してその通りにしなくてはいけないのです。その点でアマティが基礎にあるということが重要になります。仕上げが入念にされないのでごまかしがきかないのです。


アマチュアでヴァイオリン作りに挑戦されている方からコメントをいただきました。
表板の厚さを出す作業で、カンナで慎重に行くと膨大な時間がかかり、ノミでザックリ行くと一気に薄くなりすぎるのが怖いということでした。そこで厚い板厚のままで「完成!!」としてしまいがちだということを実感されたようです。

ヴァイオリンを作るものには厚い板にしたくなる誘惑があると書いてきましたがそういうことです。

板厚に限らず迷わず怖がらずザックリ行くのがデルジェズコピーの肝です。仕上げは雑でもよいのですが、荒削りの腕前が要求されます。

コンセプトは?

ただ師匠に教わったたった一つの作り方で生涯を終える職人もたくさんいますが私の場合には常に他の仕事の仕方を探求しています。したがって取れる選択肢が山ほどあるわけです。構想をしっかり立てないと長い期間をかけて中途半端なものを作ることになります。

今回どちらの楽器もオールド楽器の味わいのある外観と音を再現したうえで、音について新作の楽器としては優秀なものを目指します。ただ新作楽器の限界に挑戦はしません

ブログでも新作の楽器は50~150年前のモダン楽器に比べたらやはり鳴らないということを言ってきました。それに対して私は無理に張り合うことはしません。そのような楽器を求めている人はモダン楽器を買うべきです。

今回は容赦なく古いスタイルにしてしまいます。したがって音色もコテコテのオールド風になるでしょう。「日本人は明るい音を好む」というのもどうやらあまりあてにならないようです。どっぷりと暗い音の楽器を作りましょう。

珍しい独特の音色と新作として標準以上の性能を備えた楽器になるでしょう。将来数年~数十年でも音は強くなっていくことが予想されます。200~300年後には今のクレモナ派の名器のような音になるでしょう。目先の音のために変な改良をしてしまうと将来違う音になってします。

余計なことはしないで現代の常識は忘れてただ昔の職人になりきって「普通」に作りましょう。

特徴的なサイズ

ビオラについては注文の依頼主と綿密な協議を経て寸法を決めました。胴長が410mm程度の中型になります。私どもは無理に大きなビオラを勧めません、依頼主は西欧人の男性で中型のビオラです。日本人にしたらかなり大柄なほうでしょう。

一方デル・ジェズのヴァイオリンは注文生産ではなく完成した後で欲しい人を募集します。
デル・ジェズのヴァイオリンは小型のものが多くあります。今回作るのも350mm程度の小さなものです。ストラディバリでは358mmくらいになってしまうのでだいぶ小さなものになります。弦長なども若干短くしたいと考えています。

ヴァイオリンのサイズは欧米人の体格に合わせてあるので、日本の人からは小さいものが欲しいという要望が寄せられています。デル・ジェズの複製ということで気兼ねなく小さな楽器を作ることができます。

私が調べたヴィヨームのデル・ジェズモデルのものはストラドモデルと同じような寸法に「拡大」されていました。フランスのものですから360mmを超えます。近代現代のデルジェズコピーというのは大きさも全然違うことがあります。形を似せているだけで複製でも何でもありません。近年は出版物の質が良くなったのでそのままコピーすることもできるようになりました。


小さいヴァイオリンは音が悪いのでしょうか?

その辺も今回の試みで明らかになるでしょう。

ストラディバリとの違い 


デルジェズの複製を作るのは久しぶりですが、ストラディバリの複製に比べれば音響的に苦労が少ないです。ストラディバリの複製はとても気難しいです。私が作ると柔らかく美しい音になるのですが現代の多くのユーザーは荒々しい強い音を望まれる人が多くて良さを分かってもらいにくいのです、わかる人にしかわからない良さですね。デルジェズのほうがまだわかりやすい音になると思います。

これはあくまで私が作った場合です。他の人がストラドモデルやデルジェズモデルで作ったものも同様の傾向があるわけではないので注意してください。


私はストラディバリの複製を作っているときは美しいものを作るということにとても厳し人になりきっていましたが、デルジェズの時には全く違う人格になっているでしょう。
「良い楽器」について言っていることが全然違うじゃないかと思うかもしれませんが別の人格になっているのです。
楽器作りには絶対の理想というものはなくて職人ごとに違うものです。それが面白いのです。


これらのビッグネームに限らずマイナーな作者でも弦楽器というのは見ていると大変に面白いものです。見方をちょっとでも身に付けていただけたら、「プロはそういうところを見ているんだ」と弦楽器のことがもっとよくわかるようになって楽しみも増えるといいかなと思います。