事例研究/ケーススタディ【第9回】飛ぶように売れる楽器とは? | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

今回は最もよく売れる楽器を紹介しましょう。
何人も待っているお客様がいて入荷されるとすぐに完売というジャンルがあります。

自分とは関係ないという人も多いと思いますが、こんな時でもないと知る機会もないかもしれませんね。



こんにちは、ガリッポです。

閲覧者の数も当初目標としてた人数をすでに達成してしまいました。
3年くらいでと思っていましたが、半分の期間でした。

閲覧者を増やすための対策などは一切していませんでしたが、内容が面白ければ見る人も増えるという当たり前のことです。見た人数によって1円ずつ儲かる仕組みならもっと桁違いに増やす必要もあるでしょうが、私にとってはすでに十分な人数です。

かなりマニアックな内容にしてきましたが、これ以上閲覧者を増やさないためにどうしたら良いでしょうか?
内容をつまらなくしましょうか?人格を疑われるような気違いじみた内容にしましょうか?
危険な思想を書けば共感できない人は去っていくでしょう。


ヴァイオリン職人の仕事が魅力的なのは近代の組織と違って分業によって一人一人が担当する職務が細分化されてしまうのではなく何から何まで関わることができるということにあります。

自分で考えて自分で作って自分で販売して・・・

上手くいったときは心から嬉しいし失敗したこと至らないことはすべて自分の責任です。


ヴァイオリンを作ることはそれ自体が面白いことです。
さらにその結果気に入ってくれた人が喜んで「ぜひ買いたい。」と言っていただけるわけです。楽器を手にしてから今まで以上に練習に取り組んで見違えるほど上達されることがありました。

高校生くらいにもなると自分の力の限界を知って、上には上がいてプロにはなれないと知って演奏を辞めてしまう人もいる一方で、際立った才能を発揮していなかった人が大人になっても演奏を続けて見違えるようになる人もいます。そのような役に立てることが光栄です。

古の職人の仕事や芸術作品に触れる中で「美しいものを作りたい」という情熱の火が数百年の時を超えて私の心に燃え移るのです。情熱に燃えて楽器を作り、それを使う人にも伝わるのかなと思っています。

私は大学で商学や経営学を勉強していましたから、マーケティングなんていうのも学びました。消費者が求める商品を作るなりなんなりしろということなのです。

熱い情熱によって作られたものが時を超えて触れた者の心に作用するそんなこともあるわけで、商品を買って使っていくうちに何かに目覚めていくということはあると考えていました。

つまり品物は売っておしまいなのではなくて、使っていくほどに買うときには思ってみなかった深い世界に導かれていくということがあると思います。
また、メーカーのほうはその道の専門家であり専門家として初心者がまだ知らない素晴らしい世界、楽しみを何倍にもするように教える責任があるのではないか?

文化というものはよりわかっていくことでそれまでたくさんの人たちが作り上げてきたものを味わうことができるのだと思います。

学生だった私は生意気にも消費者が求めている品物を売るだけではなくて、買った人の頭を目覚めさせ道を教える師匠のようなそんな品物が理想だと思っていました。「あの時、あれを買って人生が変わった、出会えてよかった。」そんなものを目指すべきだと考えていました。

同級生からはかなり「痛い奴」だったかもしれませんが、実際に「商品に出会って人生が変わった」そういうことはあると思います。多くの場合メーカーのほうがむしろ単なる品物にすぎないと軽く見ているように思います。世の中にはいろいろな製品の愛好家がいて、お世辞にも他社より優れているとは言えないようなものを大事に使っている人がいるんです。買った瞬間から品物は自分の一部になるのですから。愛着を持つことができれば品物の出来栄えなんて何でも良いとさえ思える場合もあります。

授業を受けていても「消費者が求めるもの」という話を聞いているとなんかもやもやしたものを感じていました。これとは違うマーケティングの理論を作りたいと思っていました。

初心者である消費者が素人の好みで選ぶだけでは、素人ウケする製品になってしまいます。もっと深い魅力を知ることなく飽きてしまうかもしれません。そうなると業界全体が衰退してしまいます。素人ウケする製品が大ヒットした瞬間にもうその業界は終わりが始まっているのです。


こんなことを若手の社員が考えたところで大手企業なら誰にも共感されずに消えてしまうでしょうが、ヴァイオリン職人をやっていて面白いのは自分に力がついていくほどに過激な思想が現実に近づいてくるのです。

マニア向けの製品・大衆向けの製品というのはもちろんあるのですが、マニアではない人に絶対に伝わらないかというとそうでもないのです。私が目指しているオールドヴァイオリンのような味わい深い音を気に入ってくれる人は必ずしもマニアみたいな人ばかりではないのです。年配の人から小学生まで男女問わずいろいろな人に気に入ってもらっています。



客に媚びないということで「良し悪しが分かるのは実際に作っている人だけ、素人は黙っていろ!!」このような姿勢では文化は育たないと思います。

それを楽しみにしている人たちがいて、楽しみの流儀があって文化というのが存在し得るのではないでしょうか?

内輪で誰が優れているのか順位を決めることはできても、消費者は内輪で何かやっていてわけがわからないと思うでしょう。このような業界も悲惨な状態になっているでしょう。我々の業界でもヴァイオリン製作コンクールがまさにこれです。楽器を知名度や評判で選んでいる日本人には有効かもしれませんが、作者の名前なんて気にしないで楽器を選ぶヨーロッパでは新作の楽器は相手にされなくなってきています。

音楽の世界なら作曲界も似たような状況でしょう。
「素人は黙っていろ」ということなのかもしれませんが、我々の生きた時代の作曲家が18世紀19世紀の作曲家に比べて100年後に多く演奏されているでしょうか?


私は誰が優れているかとか偉いとか天才かどうかには興味がありません。
楽しみ方が確立してくれば人生が楽しくなります。楽しみを追求していくのが専門家の仕事だと思います。

私の哲学は快楽主義です。


危険な思想を表明したところで今回のテーマに行きましょう。

仕入れたらすぐに売れてしまう楽器は?

仕入れたらすぐに売れてしまう楽器とは、消費者が最も求めているものです。

それは、50~100万円くらいの古いチェロです。

その値段で50年以上前の古いチェロは数が少ないのです。なぜ少ないかというとヨーロッパならガラクタとして結構な数が眠っているのですが、修理する暇があるお店よりも欲しい人のほうが多いのです。新品なら大量生産の工場に発注すればすぐに手に入ります。消費者はそれではダメで古いものでなくてはとおっしゃられるのです。

当然古いチェロもこの値段ではハンドメイドの高級品というのは無理で昔の大量生産品ということになります。ヴァイオリンなら簡単な修理で使えるものが多いのですが、チェロになると大掛かりな修理が必要なものがほとんどです。チェロは損傷を受けやすく、ネックの角度なども狂いやすいのです。

近年の傾向として音が強い楽器が何よりも好まれます。新しい楽器よりも古い楽器のほうが有利なことが多くあります。上級者の人が弾き込めば新しいチェロでも数年で素晴らしい音になると思いますが、消費者が求めているのはとにかく「音が大きい」楽器です。

まずはラベルをご覧ください。

定番の偽造ラベルですが、大量生産品に多く貼られていたものです。商標権があるかと言えばないのでしょうね。特に問題にならなかったのでしょう。ごく当たり前に偽造ラベルが貼られていました。専門家がストラディバリの作品と間違えることはありませんが、一般の人は「ストラディバリウスって聞いたことがある。」と何か良い楽器ではないかと勘違いする効果を狙って貼り付けたものでしょう。

ストラディバリモデルの製品であることを示すために貼ったという苦し言い訳を聞くことがあります。戦前の製品カタログにはヴァイオリンならストラディバリモデル、ガルネリモデル、アマティモデル…というのはありましたからそういう意味合いもあったでしょうが、それならメーカー名とともに記すべきで言い訳に過ぎないと思います。

ストラディバリの偽造ラベルが張られているとすべて安物かというとそうでもありません。たとえばJ.B.ヴィヨームの楽器もそうです。これも若干グレーな感じはしますが、ヴィヨームの真作のヴァイオリンなら1000万円以上はします。

ヴァイオリンの業界というものはこんなものです。

こんな安物のチェロをクソまじめに修理する奴は誰だ?

私です。

古いだけでなく過去の修理がひどかったのでほとんどそれやり直すのが今回の修理でした。割れを接着してあるところは再びあけて付け直し木片で補強してあります。魂柱のところも木を埋め込んであります。エッジもボロボロになっていたのぐるっと1周新しい木を張り付けました。

バスバーも交換しました。

コーナーも修理です。


チェロで多いのは横板の割れです。
裏板は無事でした。


改めてチェロについて見ていきます。

黒い点々が見られます、これは典型的なザクセン州の流派のオールドイミテーションの手法です。本当の古い楽器にこんな黒い点々があるわけではありませんがパッと見には雰囲気があります。コーナーやエッジ、パフリングの加工などとんでもなくひどいというものではありません。

表板のアーチは何となくダラーとした気の抜けたような感じです。平らな板を曲げて作ったようにも見えます。表板の厚さは悪くなくいけそうな感じがします。


裏板も普通のチェロです。ニスにダメージがありますがこれくらいは補修でどうにでもなります。珍しいのは板の厚さで全体が5・5mmくらいでエッジの付近だけ4.5mm位になっています。裏板の中央を厚くアッパーバウツやロワーバウツを薄くするのが普通です。ほとんど全体が同じ厚さで周辺だけ薄いというのは見たことがありません。どんな音がするかはわかりません。

同じ厚さだとすると、アーチを削りだすのではなく平らな板を曲げて作ったのではないかとも考えられます。わかりません。

曲げて作ることをプレスと言いますが、プレスで作られた楽器が必ずしも音が悪いということではありません。特に音量を何より求める現代なら評価されてもおかしくないと思います。

アマティやストラディバリが削りだして作っていたのでそれが正しい作り方となっただけです。削りだしのほうが高級品でプレスは安物として取引されています。


コーナーブロックを見ると典型的なザクセン派の大量生産品の特徴があります。コーナーブロックと横板の先端がぴったりと合っていません。これは外枠を使って作られた証拠です。大量生産品は表板、横板、裏板を別々の人がそれぞれ作っていましたので、外枠を用いました。

f字孔から中をのぞいたとき一見ちゃんとしているように見えるのですが、表板を開けてみるとこのようなずさんな仕事が明らかになります。その結果…

中が空洞で横板のあわせ目のところの強度がありませんからちょっとした衝撃で壊れてしまいます。

こちらもひびが入っています。

購入する人は音にしか興味がないのでしょうが、残念ながら安物というのはこういうものです。


細すぎる指板とネックがついていました。指板の幅は3/4のチェロよりも細いものがついていました。昔は今よりも細いものが好まれました。手が小さい人が多かったのでしょう。日本人には細いネックは悪くないと思います。ただあまり細いと持った感じが一般的なチェロとは違うと思います。指板を新しいものにするとともに多少太くします。ただ完全にスタンダードにするにはネック自体を切断して新しいものを継ぎ足す必要があります。この安価なチェロにそこまでの修理をすることはできません。古いものを安い値段で買うというのはこういうことです。

即戦力だがのびしろのない楽器

このようなチェロは消費者が求める安くて音が強い楽器ですから当然すぐに売れます。隅々まで私たち現代の職人がきっちり作れば300万円は超えてしまうでしょう。それでたいして鳴らないとなれば売れるはずもなく作る人も少ないでしょう。

このような楽器が人気があるというのは極めて合理的です。マーケティングの教科書通りです。

しかし、それだけで良いのでしょうか?

先日も常連のお客さんと先代の親方が話をして「最近の人は音の質というのが分からない」と嘆いていました。そのお客さんは私の勤める会社で20年くらい前に作ったチェロを使っています。今では素晴らしく鳴っています。きめの細かい上質な音で音量もあります、これを目の当たりにすると古いチェロでなければダメなんて断言できないです。
その素敵なチェロとともに演奏活動をとても熱心にやっておられます。


演奏者とともに成長していくものそれが弦楽器ですね。