事例研究/ケーススタディ【第8回】新作なんて要らない?ドイツのモダンヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

クラシックの本場でプレイヤーに望まれているヴァイオリンがどういうものか紹介します。
日本から見れば本場での最先端のトレンドということになるでしょう。このようなヴァイオリンは世界的にはまだ知られていなく日本の店頭に並んでいないかもしれません。間違った古い知識によって弾く前からバカにされているのかもしれません。

1900年頃~現代ではヴァイオリンの製法がマニュアル化され真面目に修行すれば誰でも作れるものになっています。まともに作られたものなら、何かのきっかけで有名になるごく一部の作者と無名な作者の間で技術者が調べても作りに何ら違いを認めることはできません。

100年以上前に作られたものであれば、経年変化によって音の強さが増し新作をはるかにしのぐことがよくあります。現代のヴァイオリン製作のセオリーは100年前となんら変わらないので「鳴る」「鳴らない」という基準で評価すればいかに有名であったとしても新作のヴァイオリンは圧倒的に不利になります。

今回紹介する100年以上前のヴァイオリンは今日の優秀な職人のヴァイオリンと全く変わらない構造で作られていて相場は高くても130万円程度です。

このようなヴァイオリンがクラシックの歴史の深い国で売れるのは当たり前で、現代の職人が廃業するわけです。


我々職人も自分たちが100年前の無名な職人たちよりも決して優れているということはないということを自覚しうぬぼれることなく魅力的な楽器作りを目指していく必要があると思います。





こんにちは、ガリッポです。
5月になりました。

休暇も終わって本格的に始動というわけですが、頼まれていたビオラの詳細について注文主と話し合いました。お客様がどのようなものを望むのかサンプルになるようなものを見ていただいて話を聞いて、もちろん一般の人の言うことをそのまま作ってはダメで意図していることをかみ砕いて作る必要があります。

まずビオラで重要なのは大きさ、弦やストップの長さ。本人も自分が使っているビオラのサイズを正確には把握していませんから、寸法を測らせてもらってそれも参考にします。
木材も選んでもらって、ニスの色合いや仕上げの方法、アンティーク塗装なのか新品として作るのか、現代的な作風かオールドのような作風化…とくに私の場合にはカードがたくさんあります。いろいろな仕様が考えられます。ただ一つ「ずば抜けて音が良い作り方」だけ知らないのですが…

例えばラーメン屋なら「自分が一番自信のあるものを出せよ!!」というのも一つの答えなのですが、注文で製作するということは依頼主のイメージにできるだけ近いものを何とか作りたいと思うわけです。

私に好みがあるかというと現代の楽器としてはかなり個性的な作風ではあります。しかしこれが理想というのが一つだけあるというわけではありません。ストラディバリやグァルネリ・デル・ジェズもなんとなく毎回違うものを作ってこれが究極の完璧なものというのは行きついていません。

特に私の場合弦楽器にとても興味があるので、もっといろいろなものを知りたいという願望があります。「これが最高、それ以外はダメ」という答えを与えられてしまうと面白くもなんともありません。今まで自分が味わったことのない魅力を常に探しているので今の時点で「これが最高」というのを決定しそれ以外を無視てしまうというのは可能性を制限してしまうことになります。

一方で過去に私の楽器を買われた方には、違うものを作るということは「あれは失敗作だった。」と考えていると思われかねないので、心が痛む部分ではあります。失敗作だと思っているどころか、新しく作るときは、過去に作ったものが超えるのが難しい高い目標になっています。何年も弾き込まれたものなら到底かなわないので、新しい楽器でそれに近づくことができれば大成功なのです。

作った楽器が成功か失敗かという評価はその時点ではできません。5年~10年経ってみて「あれで良かったんだ。」と思うこともよくあります。

楽器と演奏者との幸福な関係があって良い音が出てくるんですね。


そういう意味では弦楽器というものを「優劣」という一つの物差しで測ることには違和感を感じます。楽器ごとにいろいろな魅力があり、その反面苦手な部分も必ずあります。従って多かれ少なかれ違うものを作って切れるカードの種類をどんどん増やしていくというのが長期的にみると大きな成果になっていくのではないかと思います。

職人ではあるのですが、ある種コレクターのようにいろいろな楽器を味わうことを喜びとしています。

どんな業界でもよく偽物というものがあって非常に嫌われるものです。
素人に限って「やはり本場のものでなくてはダメだ」というわけですが、ケタ違いのコレクターになると有名メーカーのものだけでは飽き足らずその製品ジャンル自体が好きで偽物やコピー商品にも興味があってすべて集めたいという願望があるようです。一つのメーカーだけにこだわっているのは素人なのです。

偽物の解釈の違いが面白かったり、細かな改良が施されていたり、ただの粗悪品であったりいろいろあって面白いのです。興味がどんどん湧いてきます。

今手元に「すごく音が悪いヴァイオリン」があって研究対象としてとても興味深いです。なぜ音が悪いのかちょっと見ただけでは理由がわかりません。表板を開けて悪いと思われるところを直せるのなら直してみたいわけです。直しても音が悪いままならそれは原因ではなかったことになります。しかし、音が悪いヴァイオリンに大掛かりな修理を施す費用をだれが負担するんだということになってしまいます。

こういう知識を蓄積していくことが長期的には財産になってくるわけなんです。
常識以外を取るに足らないと排除してでこれが正解というのを信じ込むというのは短期的には「立派な専門家」のふりをして偉そうにできるのですがボロが出てくるものです。

そういう人もいますが、何が面白いんだろうなと思います。出世したりお金持ちになるのが面白いのでしょうか?研究資金を分けてくれと思いますね。

様々に異なる作風の楽器を作ってみること、いろいろな楽器について調べていく作業これも労力も資金もいる面倒な事なんです。それが財産になると信じていくことでしょうね。


というわけで有名な作者、値段の高い楽器にのみ注目することなく幅広く弦楽器について知りたいと考えています。



アントン・シュプレンガーのヴァイオリン

今回紹介するのはアントン・シュプレンガーがドイツ・シュツットガルトで作ったヴァイオリンです。年代ははっきり見えませんが1890年代くらいらしいです。


シュプレンガー家はヴァイオリン製作に携わってきた一家でアントンもドイツ各地、オーストリアのウィーン、アメリカのシカゴなど転々としています。音楽家を求めていろいろな場所に出かけたでしょうか?この楽器のシュツットガルトも地場産業の生産地ではなく、都市になります。

都市のヴァイオリン職人は演奏家と直接接触があり、売買や修理なども手掛け最新のトレンドや幅広い楽器の知識があることが多いです。ただ生産本数は少なく世界的にはあまり知られていないかもしれません。

能書きはこれくらいにしてさっそく画像で見てみましょう。

写真では画素数の少なさが原因で木目が変な風になっていますが、実際は目の細かい質の良い表板です。形はオーソドックスなストラドモデルです。マイスターの作品と言っても問題ないくらいちゃんと作られたものです。

こちらの写真で木材の質が分かると思います。中央が細かい年輪で外に行くにしたがって幅広くなっています。その間も均一で木材としては極めて上質なものです。オールドヴァイオリンの名器ではむしろいびつな木目のものが使われていることがあってそれと比べるとあっさりと「きれいすぎる」感じもします。f字孔もコーナーもパフリングも加工はまずまずのきれいさで仕上がっています。

裏板も上質な一枚板です。ニスは大量生産品のような硬いラッカーではなく、天然樹脂のものです。油ニスなのかアルコールニスなのかはよくわかりませんがこの作者は両方使用したと文献には出ています。柔らかめのニスで表面に亀裂が生じています。安物ではないちゃんとしたものです。


100年以上前の楽器ですから多少は摩耗しています。今見ても決して低いクオリティの仕事ではありませんが新品のころはもっとピシッとしていたかもしれません。エッジのスタイルはフランスのものに似ていると思います。


アーチは現代的なフラットなものです。オーソドックスな正統派のアーチです。


大量生産品などとは違ってきれいにできています。文句はございません。



フランスのモダンヴァイオリンのようなフラットなアーチで胴体も360mmを超えるものです。



スクロールは特別美しいということもありませんが、丸みの加工自体はきれいにできているんじゃないですかね?私はアマティ派のスクロールばかり作っているので現代のものを見るとバランスがおかしく感じます。現代のものばかり見ていれば現代のほうが整っているのでしょう。


正面から見ても堂々とどっしりしています。ペグボックスの幅が指板よりも広くなっています。
ドイツやチェコの量産品だとペグボックスが細く指板と一緒の幅になっているものがよくあります。


なんてことないように見えますが、バランスもよく量産品とは違って最後までちゃんと彫ってあります。

今日のヴァイオリンと変わらない構造

いかにも教科書的な優等生の楽器です。板の厚さを測ってみても現代によくあるような板の厚さです。最晩年の作品ということもあってか製作コンクールで賞を取るほど際だって加工が正確で美しいというわけではありませんが、これ以上正確な加工だからと言って音が良いわけでもありません。全く問題のない現代のヴァイオリンです。

今日のヴァイオリン製作のセオリー(理論)とも何ら変わりません

このヴァイオリンが本当に本物なのかという点では私はよくわかりません。
同じ時代のドイツの都市のヴァイオリン職人の作品はみなよく似ています。つまり現代的なストラドモデルがベースになっています。文献でシュプレンガー家やシュツットガルトの流派のものと比べると確かに似ていますが、ベルリンやハンブルクなど他の都市のヴァイオリンも当たらずとも遠からずといった感じです。

シュプレンガー家のヴァイオリンで130万円くらいです。
本物であろうと偽物であろうと楽器の年代とできの良さからすれば100年くらい前のマイスターヴァイオリンと考えて良いでしょう。そうなれば130万円というのは偽物であったとしても楽器を実力で評価すれば決して高すぎる値段ではありません。

イタリアのモダンヴァイオリンで同様の出来のものなら500~1000万円はするので、この場合偽物だったら大変なことになります。

以前紹介したサッコーニのヴァイオリンと比べても似たようなもので、サッコーニにしか作れないようなことも何もないですし、サッコーニ比べてシュプレンガーが劣っているところもありません。

文化のバックグラウンドによって好まれる音の傾向が違うなどと言うことも言えません。
なぜかというと、ヴァイオリン職人は自分の思った通りの音にすることができないからです。
たいていの職人は世界共通の現代のセオリーに基づいて作っているだけです。

修理はこれから

長年手入れがされていませんからオーバーホールの修理を施すことで実力が発揮されるでしょう。楽器の構造もその時により詳しく調べることができるはずです。

割れなど故障しているところはありませんから修理せずに弾くことも可能ですが、これで評価されてしまってはフェアではありません。


気になるのはこのネックの取り付け角度です。駒の高さは良いのですが、かなり斜めの角度になっています。これだと押しつぶしたような鋭い音になる傾向があると思います。浅い角度に直せば、スムーズに豊かな音が出るでしょう。ネックを取り外して付け直す必要があります。

ネックの根元のところのニスの色が胴体と違います。
これは過去に修理した人が塗ったニスが胴体とマッチしていないのです。
私も古いヴァイオリンを模して作るときにわざとやります。

ネックの角度もおかしければニスの色もあっていません、修理にも職人によって腕前の違いがあるのです。

私が修理するときは胴体とぴったり合うようにニスの色合いや汚れのつき具合を加減します。

そのほか消耗部品を交換する必要があります。バスバーはどうなんでしょうか?

安すぎる評価額

100年以上前に作られた正真正銘のマイスターヴァイオリンが130万円というのは安すぎると思います。新作のヴァイオリンよりも安い値段です。ヨーロッパでは新作が150万円くらいしますし、日本ならもっと高い値段で売っています。

こうなると「音の強さ」「鳴りの良さ」でかなうはずのない新作のヴァイオリンがまったく太刀打ちできません。この理由で近年では私の働いている店でも新作のヴァイオリンを求めるお客さんが減ってきています。

私のところに来るお客さんは作者の名前や製造国名などにまったく興味がなく、音にしか興味がない人がほとんどです。
いかに現代の職人が精巧に加工したとしても、事前の説明なしに音だけで評価してかなうはずもありません。


問題は楽器の実力と値段があまりにもかけ離れてこのような楽器が安すぎることにあります。
私は職人の立場から楽器の値段には納得のいかないことが多々あります。

楽器の相場は売買を生業にしている人たちによって決まると考えていいでしょう。決して技術者が楽器の出来栄えを格付けしたり、演奏家が音を評価して値段を決めているわけではないということです。

オークションのカタログを見ていると、ケルンで行われたオークションなら割とこのような楽器が出ています。しかしながら、これを買いたいという人が少ないからでしょうが値段が上がらないのでしょうね。

職人が見ても演奏家が弾いても素晴らしい楽器なのにこれをオークションで買おうという人がいないのです。

なんなんでしょうね?


それをやはりクラシックの本場の人たちは見逃さず、安い値段で音の良い楽器を買っているのです。さすがですね。
こんなところで新作のヴァイオリンを作っている私は本当に厳しいお客さんの評価を受けるわけです。単にセオリー通り作っているだけでは100年前のものにかないません。

セオリーつまり理論の上では「良い楽器」のはずです。
理論上良い楽器と言えるわけですが、残念ながら机上の空論なのです。



私は幸運にも厳しい演奏家に鍛えられています。

日本人にとってこのような楽器はどうか?

このような楽器はあまり日本には入っていないかと思います。ちょっとでもイタリアと関連があれば輸入されるでしょうが、イタリアと関連がない作者ならなかなか商品価値があるとはみなされないでしょう。

新作のヴァイオリンが多く出回っていてそれを「巨匠の作品」と有難がっている日本のユーザーなら、このような楽器は音が強すぎて耳障りな刺激的な音ととらえるかもしれません。

100年くらい前の大量生産品の上等なものを使っている人なら、新作のヴァイオリンには物足りなさを感じるでしょう。そういう人には今回紹介したようなドイツのモダンヴァイオリンは違和感なくグレードアップと感じるかもしれません。


値段を考えれば素晴らしいこの楽器もじゃあ、オールドの名器と同じ音かと言えば、だいぶ違うと言わざるを得ません。やはり良く鳴るとはいえ現代のヴァイオリンの音なのです。

オーケストラで弾くなど音色はあまり重要ではない人ならこのような楽器は素晴らしいものです。特別音色にこだわりのない大半の人にとっては大いに魅力的な楽器であると考えています。

イタリアの新作では満足できず、モダンイタリーに興味がある人がこういう楽器も候補に入れるようになれば適正な値段に近づいていくでしょう。モダンイタリーと同じような音のものがあるかもしれません。


それでは現実的な値段でオールドのイタリアのものと同じような音の方向性のヴァイオリンは?
という問いかけには、ドイツの良質なオールドヴァイオリンが思いつくわけですが、それに加えて「私のヴァイオリン」となればと思って日々研究を続けています。

現代のヴァイオリン製作セオリーを経典のように信仰するのは机上の空論と言いましたが、オールドヴァイオリンの名器も無批判に信仰してはいけません。当たり外れも結構あるので高い値段の価値があるのか厳しく評価する必要があります。

理論もダメならオールドの作者を信仰の対象にしてもいけません。実際にどんな音がしているかに注目し、謙虚に結果を受け止めるべきなのです。



今回もビオラはアマティのモデルで作ります。
理由としては現代の常識とは違うのですが、とても美しいもので音響上も演奏上も優れているからです。ブログでもアマティの特徴について紹介していきたいと思っています。