ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ヴァイオリン、ビオラ、チェロなど弦楽器の良し悪しを見分けるには、値段とメーカー名を伏せて試奏し、最も気に入ったものを選ぶのが最良の方法です。
しかしながら、よほどの自信家でもない限り不安になってしまいますよね?

そのため知識を集めるわけですが、我々弦楽器業界は数百年に渡って楽器を高く売りつけるため、怪しげなウンチクを広めてきてしまいました。

弦楽器の製作に人生をかけたものとして皆さんはもちろん、自分を騙すことにも納得がいきません。
そこで、クラシックの本場ヨーロッパで働いている技術者の視点で弦楽器を解明していきたいと思います。

とはいえ、あくまで一人の専門家、一人の製作者としての「哲学」ですから信じるかどうかは記事をよく読んでご自身で判断してください。


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こんにちはガリッポです。

前回は音楽学校に寄付されたマルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンをバロックヴァイオリンに仕上げる話でした。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12869275705.html

できあがりました。シンプルな指板とテールピースですが、実用的なバロックヴァイオリンです。見るからに現代のヴァイオリンと違います。弦は大手メーカーで入手しやすいピラストロのコルダです。G線は3種類あってこれはシルバーの巻き線のものです。他に銅を巻いたものとガットのみのものがあります。重さがあるので金属巻のほうが細くなります。マニアックな方々は専門のメーカーで様々な仕様があります。
バロックヴァイオリンで気になるピッチは演奏する人や楽団が決めることです。Aの音は415Hz~440Hzくらいですかね。教会でオルガンとともに弾く場合にはオルガンに合わせないといけません。作られた時代によって違うかもしれません。クリスマスの時には寒さも調弦に影響するそうです。でも教会は空調が無い建物としては比較的温度差が小さい建物です。


アーチはそんなに高くないばかりかいわゆるドイツ的な台地状の四角いアーチではありません。丸くなっています。このようなイタリア的な要素を持ったものもたまにあるのでオールド楽器というのは当たり外れが大きいのです。
板の厚みは典型的なドイツ式でした。これは表と裏が同じような厚さなのも特徴です。したがってイタリアのものに比べると表板は厚めになり、裏板の中央は薄めになります。しかし200年以上経っているので数字にこだわっても意味が無いでしょう。
おもしろいのは南ドイツの楽器と厚みが共通していることです。何かしら交流があったことでしょう、逆にザクセンのネックが南ドイツ、さらにオーストリアからイタリアに伝わったかもしれません。

このことはこの楽器が決められた設計に対して正確に作られていてそのままの状態で残っているということが言えます。つまり雑に作ったのではなく高品質なのです。これがミラノのグランチーノやテストーレならもっと雑に作られています。
マルクノイキルヒェンでももちろん雑に作られたものがありました。このため、産地で判断するのではなく、一つ一つの楽器を見なくてはいけません。特にオールド楽器は作りが様々です。

ナットも象牙などで作られることもありますが、今回はシックに黒檀です。現在ではプラスチックの模造品があります。プラスチックは刃物を痛めるので手入れを考えると黒檀にしました。
ペグは本当のバロックの時代のものではないように見えます、でも誰も知らないことでしょう。少なくとも見慣れたものとは違う感じがするでしょう。他に入手できるものがありませんでした。
黒檀は信頼性が高いです。


アーチは四角い台地的なものではなく素直な丸みがあります。

こういうものがマルクノイキルヒェンでもあるというのが驚きです。しかしこのような特徴の作者などは知られていません。誰も興味が無いので研究もされていないことでしょう。値段は1万ユーロくらいでしょう。それでも160万円ですから音楽学校に寄付された楽器としては破格です。200年以上前に丁寧に作られたものが新作楽器と同じかそれ以下の値段なのですから安すぎます。値段が上がらないのも誰も興味が無いからです。

バロックヴァイオリンに適した楽器とは?

オールドヴァイオリンの中にはとても音が柔らかいものがあります。特に高音の柔らかさは近代以降のものと次元が違います。そんなものがたまにあるので私は知っています。しかし一般の人はそんな音を体験したことも無いでしょう。手持ちのヴァイオリンにさらに輝かしい強い音のE線を張って喜んでいる人も多いことでしょう。知らないのはある意味幸せかもしれません。特にアジアでは強い高音が好まれるようです。これには何か理由があるのでしょうか?

楽器を買う時にはよく分からないで成り行きで買ってしまうことも少なくないでしょう。したがって、多く売っているようなものを使う人が多いわけです。買ってから、使っていて高音が気になってきてそれからどうにかしようとそんなことです。

私は買う前にしっかり試しておくべきだと言いますが、後で言っても遅いです。音で楽器を選ぶのは実際にはとても難しいことです。しかし、値段や作りなどで音を保証できるような規則性はありません。音は弾く人によっても違いますし、聞く人の感覚もきまぐれで、客観的な評価などはできないあやふやなものです。しかし耳で聞く以外に他に音を保証するものは何もないということを言っています。

今回の修理の最大の目標は「修理代の節約」です。学校には予算があまりないからです。前回バロックとモダンの違いを説明してきましたが、バロックとモダンで違う点がもう一つあります。それはバスバーです。バスバーは短く細く低い物でした。それがどんどん大きくなってきています。1900年頃よりも今の方が太いものをつける人が多いでしょう。魂柱も同様です。オールド楽器ではf字孔が細いので細い魂柱が入っていたことは間違いないでしょう。ストラディバリなどを真似て作ろうとしてもf字孔に魂柱が入りません。魂柱が入るように広げるともうストラディバリのf字孔には見えないというわけです。実際のオールド楽器はf字孔の外側が変形して下がっていて、f字孔も魂柱を入れる作業の繰り返しでぐりぐりと広げられているので細いはずのf字孔に現代の魂柱が入ることが多くあります。楽器によっては後の時代の人がナイフで削って広げているものもあります。クレモナ市の所有のジュゼッペ・グァルネリなどは後の時代の人が広げて大失敗しています。
今回は3/4のヴァイオリンのものを入れています。太さで音がどう違うかというと、ケースバイケースでやってみないと分からないとしか言えません。法則性などを言うのは難しいです。細い魂柱は倒れやすいので安価な楽器やレンタルの楽器では私はできるだけ太いものを入れます。

本来ならバスバーも交換が必要です。この楽器では過去にモダン仕様のバスバーに代えられているからです。しかしそうなると表板を開けなくてはいけません。修理としてはルーティーンのものですごくお金がかかるというほどではありませんが、少しでも出費は抑えたいはずです。よく20世紀の量産楽器にバロック駒とガット弦でバロック風にすることがありますが、ひどい耳障りな音になります。バスバーを小さくしないとバランスが取れないからでしょう。それが今回は唯一の心残りです。「本当のバロックヴァイオリン」と言い切れない所です。

したがって音が耳障りな酷い音になるのではないかと不安がありました。

出来上がって弦を張ります。ガット弦はどんどん伸びてすぐに調弦の音程が下がってしまいます。張ったその日に弾くのはかなり難しいです。落ち着くのには何日かかかるでしょう。

1週間くらいして弾いてみました。
低音はダイレクトでギーッというガ行の音が強く出ます。暗く暖かみのある音です。高音でも耳障りな嫌な音は少ないです。中音域は複雑な響きがあり豊かさもあります。思わずニンマリとするような良い音でした。普通は楽器の優劣というと鳴るとか音量とかそういう話ですが、全くそんなことは気になりません。はっきりした音なので耳元ではそれほど小さくは感じません。とても濃い味わい深さがあり、不快な音は無いですね。
そのあとモダン楽器を弾くと味気ない無味無臭の音に感じます。ミッテンバルトのオールド楽器ホルンシュタイナーでも普通に聞こえます。

バロックヴァイオリンがこんなに魅力的に感じられたのは初めてかもしれません。
音楽学校の先生が受け取りに来ました。自分のバロック弓を持っていて弾いているのを聞いても自分で弾いたのと印象は変わりません。先生もとても美しいと言っていました。先生の同僚には音大でバロック奏法を勉強した人もいるそうで、物珍しいというレベルではなくちゃんと使ってもらえそうです。
黒檀製の指板について説明すると演奏しやすいと言っていました。
隣の部屋で聞くとさらに刺激的な音は少なく滑らかで美しい音に聞こえました。何故か古楽のCDではとても金属的なメタリックな音になっていることが多いです。マイクの性能など技術的に難しいのか、古楽専門レーベルの録音エンジニアの耳が腐っているのかわかりません。古楽録音の世界にも、偉いカリスマエンジニアがいてその人のおかしな音を皆が崇拝しているのか、そういう音の流行が90年代の古楽ブームであったのかもしれませんね・・・わかりません。教会や宮殿の柔らかい響きの中ではそんな音には聞こえないでしょう。


それはともかくこの楽器がなんでこのような音になったかと言えば、ガット弦やバロック駒だけが原因ではないでしょう。楽器そのものが持っている音が重要な役割を果たしていることでしょう。耳障りな不快な音が出ないのはもともとすごく柔らかい音だったのではないでしょうか?弱い張力のガット弦の豊かな響きがあってもさらに暗い音になったのは楽器自体が音色を持っているからでしょう。これは現代の典型的な新作楽器をバロック仕様にしたのでは得られないと思います。中国製の量産楽器のバロックヴァイオリンでも無理でしょう。近代・現代の楽器を改造しても無理でしょう。

つまりこの楽器はもともと柔らかく、味わい深い音を持っているためにバロックにしてもそれが強く出てくるということです。したがってモダン仕様にしてもおそらくとても魅力的な音になるのではないかと思います。

普通ならこのようなものはモダン仕様に改造されてしまいます。モダン仕様で音が芳しくないものがしょうがないからバロックにして売っているものとは違います。むしろバロック仕様で良い音になる方が条件が厳しいのではないかと思うほどです。

しかしながら、その時代にはどうだったかと言えば、古くはなっていないのでそこまで味わい深い音や柔らかい音ではなかったかもしれません。チェンバロがピアノに進化したようにジャラジャラした金属的な音が、クリアーで済んだ音に変化してきたはずです。これは他の楽器も同様で19世紀的な価値観でしょう。
モダンや現代の澄んだクリアーな音に慣れている今の人にとってはこのような奇跡的なバロックヴァイオリンは受け入れやすいでしょう。当時の音とは違うかもしれません。

演奏についても同様です、現代の人は肩当やあご当てを付けて練習を始めたので、それらが無いことはマイナスでしかありません。現代の楽器で慣れた人が弾きやすいということも現実には考えないといけないでしょう。「正しいバロックヴァイオリン」というのではなくて「弾きやすいバロックヴァイオリン」というのは実際に使う楽器では重要になるでしょうね。博物館に展示するようなものとは違います。

これは私の楽器作りの基本的な考え方です。「正しい楽器」を主張する考えは私は嫌いです。魅力的でなくては弾いていて気持ちよくありません。私は快楽主義です。快楽主義は道徳では間違っていますので論争では負けるでしょう。


それにしてもこのような音をモダン楽器でも出せれば良いですね。そうなると多くの演奏者にも味わうことができるからです。私が掲げる目標は他の職人とは全く違う方向ですね。

ヴァイオリン職人が音をどれくらい意図的に作れるかというと、じゃあこのバロックヴァイオリンみたいな音のモダン楽器を作ってくださいと注文できるでしょうか?実際に作ることができるけどもモダン奏者には評価されないので作っていないだけなのでしょうか?

そんなのは到底無理です。
音を自在に作るのは難しいです。職人は0.1㎜単位で仕事をしているので作り方を変えた気になっていても音にはあまり違いが出ません。作り方を変えても思ったよりも音が変化しないのです。それに対して自分で考えて工夫したのだから音が良くなっているはずだと希望的観測で結果を評価する人が多いでしょう。自信に満ちたカリスマ性のある職人ほどそうでしょう。職人には科学者や世界の大手企業のエリート社員のようにそこまで客観的な考えができる人が少ないです。
何をどう変えたら何がどう変わるかもわかりません。
全く同じ寸法で作っても音は微妙に違うのでそれが作り方を変えたせいなのかもわかりません。これでは意図的に音を作ることなどできません。

現代の楽器製作では理屈としてセオリーを学びます。こう作るのが正しく、そうなっていないのは間違っていると教わります。間違ったものを作ったら音がどうなるかは誰も知りません。作ってはいけないと学ぶので誰も作ったことが無いのです。ヴァイオリン職人はそのレベルです。音が良いと考えられている作り方で皆が作るのでみな同じような音になります。しかしそれでもなぜかわからない個体差が音に出ます。このため楽器を買う人は、作者の意図や主張は無視して弾き比べて選ばないといけません。理屈を聞いてはいけません。

それに対して私はセオリー通り作ったものとは違う音を出す方法を探っています。それはつまりセオリーから外れたものです。今回のヴァイオリンもヒントになります。音を聞く前にそれが正しい作り方だとかそういう事を一切捨てることです。正しくない作り方で作ってみて、音が変わるかどうか試してみます。正しいとされている作り方では違う音にならないのです。
真面目な人は師匠に教わったり、現代のセオリーに忠実に「正しいヴァイオリン」を作ります。その結果音は似たり寄ったりになります。
不真面目な人は手抜きの楽器を作って言い訳をします。ビジネスで楽器を作る人はコストを下げるために手抜きをします。まじめに作られているだけでもレアなのです。



さて、ガット弦に近い人工繊維の弦は何かというのも難しい問題です。メーカーは皆カタログに「ガット弦に近い」と書いています。それでもいろいろな音ですね。

金属巻のガット弦は1980年頃には高級弦としてピラストロ社のオリーブやオイドクサが君臨しました。その後ナイロン弦のドミナントが受け入れられ一世を風靡しました。先生は生徒に「とりあえずドミナントを使っとけばいいよ」と教えた事でしょう。それを勘違いして絶対的なスタンダードと崇拝する人も出てきます。
一方で頑なに人工繊維を受け入れない人や知識がその時代で止まっている人がいます。
そんなガット弦の愛好者に評判が良いのは「コレルリ」でフランスのサバレスという会社のものです。特にアリアンス・ビヴァーチェが優れた製品で、新製品はさらにカンティーガやソレアというものが出ています。

また別の見方ではガット弦に変わって普及したドミナントの系統のトマスティクのものがガット弦に近いという人もいるでしょう。

張力の弱さという意味ではラーセンがあります。製品がいくつもあります。
張力が強いと一般には明るい音になる傾向があると思います。しかし表板を強く押しつけて、響きが消されてしまうことがあるでしょう。かえって張力が弱い方が明るい響きが広がって明るく聞こえるかもしれません。

暗く暖かみのある音ではピラストロのオブリガートが筆頭です。音はクリアーすぎるようにも思います。
訳も分からずに買ったり、たまたま安かったり親戚に譲り受けた楽器の音が明るすぎたり、やかまし過ぎたりする場合少数派ながらそのような需要があるようです。うちでは多数派です。うちの社長は育ちが良いので楽器が少しでも売れるようにと安価な楽器でもオブリガートを張りたがります。日本の楽器店はドミナント以上の高い弦を張るのを嫌がる社長も少なくないでしょう。
同系統はトマスティクのインフェルト・レッド、ラーセン・ツィガーヌなどで選択肢はわずかです。全体としてはパフォーマンス重視の明るい輝かしい音の製品が新製品としてどんどん出てきます。うちでは遠いアメリカやアジア向けの製品という印象を受けます。
それに対して暗い音のものは出てきませんから楽器自体が暗い音を持っていないといけません。

暗い音でハイパフォーマンスの弦を私は望んでいますがマニアックすぎるのか、原理的に実現不可能なのかありません。つまり最大限のパフォーマンスを生み出すには音色の味わいは犠牲になるということです。味わい深い音色にする場合は楽器が勝手に鳴ってくれる性能は諦めなければいけないということですが、本来当たり前のことでオールド楽器で素晴らしい音がするのは上級者が腕でカバーしているということでもあります。ただそれに興味がないユーザーが多数派ということですね。

いずれにしてもガット弦の要素を部分的に持っていて視点によっては似ているということにすぎません。ガット弦の魅力を再確認するという意味でピラストロ社からパッシオーネという製品が出ています。ガット弦の愛好家からも、現代的な音を好む人からも興味を持たれないものになってしまいました。


シックなバロックヴァイオリンになりました。この時代のものでは丁寧に作られていて趣きがあります。音も現在のセオリーで作られたものとは全然違います。
違うということは必ずしも優れいてるということではありません。しかし違いが無いと選ぶ方は難しいですね。違いが無いのに値段だけが違うのもおかしいですね。正しい楽器を作るのではなく、選びやすいものを作るべきではないでしょうか?
良し悪しをきめつけずにこのような安価な楽器もバカにせずに興味を持ったらどうでしょうか?数千万円するのが当たり前のオールド楽器で160万円は安いものですが、バカにするようなものではなく普通に考えれば相当なお宝です。東京の人たちに信じられている「現代の巨匠」には全く出せない音があることでしょう。

私は科学的な思考を楽器製作に応用するなら生物の進化に似ていると考えています。生物は何の意図もなく無作為に個体差のある子供が生まれ、生存に有利な形質が残ったのが進化というわけです。ダーウィンのようなずば抜けた科学者でなければ難しい考え方です。そのダーウィンも自分で進化論を思いついたのではなく恩師に教わっていたようです。そんな歴史も捻じ曲げて伝えられています。
しかし多くの人は、誰かの意図があって進化してきたと勘違いしています。高い所の葉っぱを食べるためにキリンの首が長くなったと未だに説明されています。ポケモンの進化も全く違います。たまたま首が長いのが生まれて高い所の葉っぱを食べて生き残れたと考えるべきでしょう。

我々が楽器に対しても天才職人が意図的に考えて音が良くなる製法を作り出したと思い込んでいます。それよりも無名な職人たちによって微妙に違う楽器がたくさん作られたのでその中には偶然まったく違う音が出るものがあるかもしれません。偉い師匠の教えよりも何でもない楽器のほうがはるかに可能性があります。

このように先入観や思い込みを捨てて、どんな楽器に対しても客観的に音を評価することが科学的な取り組みと言えるでしょう。音響工学の学者がストラディバリを研究するのも先入観に凝り固まっています。普通の楽器も研究するべきです。そんなのは科学ではなく話題性がお金を生んでいるだけかもしれません。
我々も修行の段階で先生や師匠から先入観を学びます。先入観を学んだことで自分は知識があると思い上がっています。専門家の言うことほど現実の音に当てはまらないのはそのためです。
このような業界ですから弦楽器については何も勉強しない方がまだましなのです。

現代のヴァイオリン製作の主流派からするとバロックヴァイオリンは全く理解されない存在です。音が悪いオールド楽器をバロックに改造するのは「バロックヴァイオリンなんてこんなので良いだろう」と心の底でバカにしている表れです。そうなると何も学ぶことはできません。

知るべきことは言われている知識などはあてにならないということです。ぜひ多くの楽器を実際に試してみてください。日本にいる時点で輸入した人のフィルターがかかっていることもお忘れなく。







こんにちはガリッポです。

この前マルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンが来ました。

ネックがオリジナルのためバロックヴァイオリンにすることになりました。
ヴァイオリン自体はオールド楽器としては癖が少なくモダン仕様ではかなり良い線いくのではないかと期待が持てます。
しかし、現代仕様にするためのネックの修理が大変です。継ネックだけではなくネックと上部ブロックが一体構造のため表板を開けてブロック交換も必要です。そこで、いっそのことバロック仕様にしようということになりました。修理代を節約する意味もあります。

エッジの傷みが激しいためそのまま使うわけにはいきません。
エッジとコーナーには新しい木材を足しました。

指板を外してバロックのネックの付け根を見る機会はほとんどありません。

モダンネックでは表板の方に切り込んで溝を作りそこにネックを埋め込みます。

バロックでは表板が切り取られていません。写真ではよく見えませんがパフリングは途絶えていてつながっていません。一度割れて接着しなおした跡があります。

指板はこのように黒檀で作りました。オールドの時代には他の木材が使われることも多かったようです。おそらく黒檀は希少で入手が困難だったんではないかと思います。熱帯地方で産出したものですが、古代より象牙や金などはアフリカと交易があり、黒檀も含まれていたかもしれません。しかし身近な楽器に使われることは少なかったかもしれません。

よくバロックヴァイオリンの指板は芯をスプルースで作り、外側に黒檀の薄い突板を貼って作ることがあります。水平のネックのバロックヴァイオリンでは指板がとても厚くなるので黒檀の無垢材で作るのは大変でしょう。今ではチェロの指板の古いものを再利用すれば作ることはできます。それに対して「重さを軽くするため」ともっともらしい理屈が広まっていきます。確かに先端に重い重量物があると肩当やあご当てがないと負担になるというわけです。しかし私はそのような理屈は後付けではないかと疑念がわきます。
私が実際に見たことがあるオリジナルの指板がついたドイツのオールドヴァイオリンでは芯がスプルースで外側に茶色い木を貼り付け、それを黒く染めていました。黒檀が貴重だったことでしょう。
ストラディバリのテノールビオラでは芯にスプルースなどは無く無垢の材料で作られていることからしても、ドイツでは芯にスプルースを使うことがあったかもしれません。それはポジティブな理由ではなく材料代の節約のためかもしれません。19世紀終わりころのマルクノイキルヒェンの量産ビオラにはモダン楽器でも芯にスプルースが使われたものがありました。チープなものです。
現在では生活費が高いため材料代よりも作業の工賃の方がずっとコストがかかります。突板で作る方がはるかに高くつきます。
軽いから音が良いとは言えないという話を前回ちょっとしました。指板を交換する仕事を毎年何台かやっています。プロの演奏者では消耗が激しいので交換する仕事に直面します。新しい指板にすると指板は以前よりも厚くなりますから、当然重くなります。しかし誰も交換して音が悪くなったと言う人はいませんでした。むしろその逆です。チェロで軽量化された指板を普通の指板に変えた話もありました。測定すれば楽器のあらゆる部分が振動していて指板も例外ではありません。しかし「軽い=音が良い」のような単純な規則性は怪しいと私は思います。考えが浅すぎるようです。もっと具体的な違いを言わなければ私は納得できません。私は、言われていることが怪しいということには気づきますが、それ以上の発見は難しいと思います。ですから、指板の重さなどは気にしなくて良いということが言えるだけです。

突板で作られた指板の問題点は削り直すことができない
ことです。薄い黒檀の板を曲げてスプルースの芯に貼り付ける場合、厚すぎると曲げるのは困難です。曲げた板を貼り付けた時点では指板はでこぼこになっているはずですから表面をカンナで削って仕上げないといけません。この時点で厚みが残っていません。金属巻の弦よりも摩耗が少ないとはいえバロック楽器でも指板は摩耗します。本当に使っている人は削り直す必要があります。突板の場合には指板が摩耗したら新しい指板に交換しないといけません。実際にはそのようなバロックヴァイオリンを物珍しさで購入しても弾いてないことがほとんどでしょう。実用として考えるならダメです。メイプルのような黒檀以外の材質も同様です。また象眼の装飾が弦の真下に来るようなものもダメです。これも博物館に飾っておくためのものです。


もともとのネックがかなり斜めになっているので指板も薄くなります。

完成した指板です。モダンの指板とあまり変わりません。

こちらは私が以前作ったバロックヴァイオリンです。ネックは完全に水平ではないもののずっと水平に近いです。確か3度傾けたはずです。私は理屈で「バロックヴァイオリンはこうであるべきだ」というのではなく、現実的な妥協点を探って作ったものです。
指板には装飾がついていますがネックの根元の部分が厚くなっています。さらにアーチが高いともっと指板の根元のところが厚くなります。チェロのように高い駒ではものすごい厚みになります。それで工夫されて斜めにネックが取り付けられるようになっていったと思います。

製作の手順の違いがネックや指板の違いとなっています。製造上の技術的な問題であり、オリジナルのネックのほうがバロック時代の曲を弾きやすいということは無いでしょう。バロック楽器の専門家なら許容範囲でしょう。

モダン楽器では胴体を最初に作ってそこに溝をつけてネックを取り付けます。この時接着面の角度を変えることでネックの角度を調整します。指板と弦との隙間を弦高と言いますが、演奏上はとても重要です。低すぎると弦が指板に触れてしまい異音が発生します。高すぎると深く抑えないといけません。特に初心者では現代のスチールのE線が指に食い込んで痛い思いをします。初心者ほど良く調整された楽器が必要なのです。

駒は弓が胴体にぶつからないために高さが必要です。駒の高さに指板を合わせるためにモダン楽器ではネックを取り付ける時に角度を調整するのです。これがバロック楽器の場合には、ネックは初めについているので指板の厚みの傾斜で角度を調整します。根元の方を厚くすると駒の高さを高くできます。製作の順序が違います。

クレモナや南ドイツではネックは上部のブロックに釘で固定されていました。

上についているのがブロックという部材です。ここにネックとをりつけるわけですが、木枠がついていると釘を打てません。そこで木枠を外してネックを取り付けます。そのあと裏板を取り付けます。木枠は抜いてありますので横板は歪みます。その横板に四角い表板の材料をあてがって形に切り抜いて表板を作ります。ストラディバリやデルジェスで表板と裏板の形が違うのはそのようなアバウトな手法で作っていたからです。長年の使用による摩耗や変形もあります。表と裏の形の違いから「音を良くするための秘密」などと考えるのは考えすぎです。ヴィヨールやリュート、ギターなど他の楽器の製造法を流用していたのかもしれません。

現在では胴体が出来上がったところにネックを取り付けるので表板は設計に対してより正確に作られます。

指板の長さは現代よりも短いです。特注で作る場合には、演奏者がどれだけの長さが必要かリクエストしてください。音楽の時代によっても使う指板の範囲が違うかもしれません。無ければだいたいこんなもんだと私は目分量で決めます。絵画などに描かれているものは本当に短い指板です。現代のものよりもちょっと短いだけで雰囲気は出ます。

クラシックネック?

マルクノイキルヒェンでは1700年頃のものにはオリジナルの斜めになったネックのものが現存しています。ネックの取り付け方がイタリアや南ドイツとは違います。マルクノイキルヒェンではシュピールマン式と言ってネックと上部ブロックが一体になっています。これはアマティ派のヴァイオリン作りよりも古い時代の特徴と考えられます。同様のものは民族楽器としても作られている地域がありました。

ネックの取り付け方は違ってもバロックネックには変わりません。マルクノイキルヒェンのものは斜めになっていることが特徴で、角度などは様々で決まっていたわけではないようです。

ネックの長さもこのオールド楽器では現在とほぼ同じです。一般にバロックのネックはモダンよりも短いと言われますが、決まっていなかったというのが正確な所でしょう。傾向としては短い方が多いかもしれません。今回の修理では現代のネックの長さと同じにします。弦長が現代の標準的なものと同じなので持ち換えて使いやすいというわけです。これは現実の演奏者はモダン楽器も弾く機会があり、またモダン楽器から始めているのでネックの長さや弦長を現在と同じにした方が複数の楽器を使いやすいです。プロの古楽楽団の人のために作る場合でもそうです。

ネックの角度についてもこのヴァイオリンは斜めになっているので駒の高さを低くできません。これもバロック時代の方が駒が低かったと言われることがありますが、決まってなかったというのが正確でしょう。とにかく決まりが無いのがバロック楽器です。決まっているのがモダンや現代の楽器です。
高いアーチでネックが水平なら駒を低くせざるを得なかったことはあるでしょう。

駒のカーブもどうかといえば、もちろん決まっていません、当時もバラバラだったことでしょう。弦の張りが緩く、弓の張りもゆるいので、現代と同じカーブにしていても機能的には平らなカーブの駒に近いことになります。バロック弓の形状などは本当に違いが大きいですね。
これも演奏者のリクエストによって決めることです。何も無ければ現代と同じにします。

指板の幅は現在よりもずっと広かったと思われます。ですからネックはとても太く指板も厚く大根のような太いものを持っている感じです。
今回は過去の修理によって細くされモダン並みにネックが細くなっているのでそれ以上太くはできません。

マルクノイキルヒェンでは古くから斜めになったネックで作られていましたが、イタリアや南ドイツでも1750年頃から取り付け方は釘を使うままですが、角度が斜めになったものが作られています。アントニオ・グラナーニのオリジナルのネックのついたものがスミソニアン博物館にあります。今回のものとよく似ています。もはやバロックではなく「クラシックヴァイオリン」とでも呼びましょうか?
モダン楽器になっても角度自体はこのようなバロックネックと変わりません。取り付け方が変わったということですね。モダンネックもドイツで1880年頃に量産されたものは今のものと同じです。フランスでは戦前になっても古いタイプのモダンネックのままで作られていたものがあります。

現在のネックは根元が高くなっていて角度自体は水平に近づいています。表板に弦を押し付ける力が弱くなります。ネックの角度で言えば「クラシック・モダン>バロック・現代」となります。持った感じでも角度を感じるかもしれません。
現代のネックは角度が下がりやすいのが欠点です。今回のようなオールドのネックはそのまま使えるのに、現代のネックは50年が限界です。

テールピースと駒とペグ



テールピースも現代のものとは違います。ほとんど市販されておらず、へんてこなものや高価すぎることが多いので自分で作ります。これは私がデザインして自作したものです。今回もそうですが、バロックヴァイオリンにするといっても、博物館ではないので何百年も前の姿を再現するわけではありません。付属部品はモダンと同じでカスタムパーツとしてつけたいものをつけるだけです。
テールピースも1800年頃にはクラシックという現在とバロックの間くらいのものがあったようです。

現代では付属品はペグ、テールピース、あご当て、エンドピンを同じ材質にするとすっきりとまとまります。それに対してバロック仕様では指板とテールピースを同じ材質にするとしっくりきます。ペグは違ってもいいです。指板が黒檀とは限らないのでテールピースも黒檀とは限りません。
指板が黒檀の装飾なしなので、テールピースも黒檀の装飾なしです。黒檀のいい所は密度が高く丈夫なので弦の取付穴が摩耗することが防げます。長もちするというわけです。

駒も形がいろいろでした。ストラディバリとデルジェスでも違う形の駒だったことでしょう。市販のものでもいろいろな形があります。
どの駒がどんな音かまでは私は経験が不足しています。古楽器の専門家ではないからですが、そうなるとヴィヨールとか他の古楽器もやらないといけなくなってしまいます。

ペグはわずかに市販されているので買うことができます。しかしオットー・テンペルではバロックペグの製造を打ち切ってしまいました。今入手できるのはおそらくインド製の安価なものです。
インドでは黒檀など南洋の木材の産地であるばかりでなく、たくさんのペグがついたシタールなど独自な弦楽器があって製造技術もあるようです。
中国製よりも私は材質が良く評価しています。
現存するオールドのペグは形をデザインしたというよりも旋盤を使って自然とできる形だと思います。これはコンピュータ制御でやっているのでしょう。形に恣意的なものを感じます。
高価な楽器ならこれをさらに加工して本物らしいペグにするところですが、今回はそのまま使います。これでもわざとらしくバロック感を出せます。

今回こだわったのは黒檀にしたことです。かつては黒檀は貴重で、黒檀で作られたペグは珍しかったと思います。茶色の木を黒く染めたものが博物館に残っています。そのようなフェイクを行ったということは黒檀は憧れの対象だったことでしょう。

なぜ黒檀にしたかというと、ツゲだと動きが硬くなりやすいからです。ペグはテーパーがついていることできつさを調整できます。奥に押し込めば硬くなります。硬いと動かしにくですね。緩くすると弦の力に耐えられずに止めることができなくなって調弦が下がってしまいます。その点で黒檀が最も機能的だと思います。ガット弦の場合には調弦が安定せず頻繁に調弦が必要ですから、やりやすさと耐久性が重要です。E線は切れやすいですから、ガクガクッとなって回しすぎればぶちっと切れてしまいます。スチールのE線と違って回しても回しても弦が伸びてなかなか音が高くなっていきません。慣れないと気持ち悪いですが、ペグ自体がガクガクすると余計にやりずらいでしょう。

弦の話

この前も弦の話をしましたが、1976年のピラストロ社の価格表が出てきました、買い取った中古楽器のケースに入っていたものです。この時すでにアリコアという人工繊維の弦がチェロとビオラ用のみありました。同社はガット弦の高級メーカーとしてヴァイオリンは慎重だったのかもしれません。実際にはチェロでは実用化に失敗し、ヴァイオリンで主力となったのですから読み誤ったものです。

ヴァイオリン、ビオラ、チェロともにスチール弦とガット弦があり、ガット弦が高級品でオイドクサ、ゴールド、シュバルツとグレードの違いがありました。オイドクサとゴールドは今でもあります。それらのA、D、G線はガットを芯に金属を巻いたものです。E、A、D線には金属を巻いていない裸のガット弦もありました。裸のガット弦は今ではバロック専用(コルダ)ですが、70年代でもモダン楽器用に売られていたようです。

ヴァイオリンとビオラではさらにオリーブがオプションとしてE、D、G線がありました。「最大の音量で輝かしい音」と書いていあります。

E線は裸のガット弦のほかに、オイドクサではスチールにアルミニウムを巻いたものがありました。現在でもありますが、トニカも同様ですし、ドミナントにもあります。オリーブは金メッキのスチール弦で今でもありますし、オブリガートにもあります。E線などは50年前でもあまり変わっていないということですね。今はプラチナメッキが最も新しい物でしょうか?

ただG線を除けば裸のガット弦が金属巻よりも安い値段で売られていました。そんなに昔のものでも無いんですね。

オイドクサとオリーブは現在のオブリガートとエヴァピラッチの関係に似ています。うちの店でオブリガートがエヴァピラッチよりもはるかに多く売れるのはその頃からの名残でしょう。ピラストロ自体がうちの地域でブランド力を持っているのもそのためでしょう。

日本ではもっと新しいドミナントが一世を風靡しました。
ドミナントについてもこちらの大手オンライン楽器店のレビューを見ていても誰一人「ドミナントは寿命が短い」と書いている人がいません。むしろ寿命が長いと書いている人が何人かいました。もちろん製品仕様が欧州向けとアジア向けで違うかもしれません。日本の常識は世界ではだれも知らないということもあります。とかく決めつけすぎているように思います。

ドミナントに対抗するために多くのメーカーからいくつもの製品が出ています。もはやドミナントに固執する必要はありませんが選択肢が多すぎて困るくらいですね。

記事を書いていて5時間ほどになったので次回に続きます。一週間の時間を使いすぎたのでこれ以上コメントを書くことはできません。
こんにちはガリッポです。

良い楽器が何なのかはあるような無いような雲をつかむような話です。
是が非でもお子さんのために良い楽器を買いたいという親御さんがいます。一方、才能が認められて小学生くらいで音大でヴァイオリンのレッスンを受けている子がいます。親は楽器を買う気が無く月額2000円ほどのレンタルの楽器で済ませようとしていたので、師匠がもっと良い楽器を使うように説得しました。職人が考えるのは少なくともハンドメイドのものでできれば古いものとなるでしょう。戦前のマルクノイキルヒェンのマイスターのものなら200万円以下です。
やはり楽器を買う気が無く、財団から楽器を借りてきました。
マジーニモデルのもので裏板には装飾として寄木細工や螺鈿細工のように絵が彫りこまれていました。
このようなものは、量産工場で作られた楽器に、他の職業の職人が装飾を彫りこんだりしたもの、または職人本人の趣味や別の職業経験があったのかもしれません。他の職業の職人がヴァイオリンを作ることもありますが、今回はマジーニモデルであることを考えても素人ではないでしょう。我々はコストはかけてあるけども楽器本来の部分ではないのでゲテモノと思うようなものです。値段どころか売り物になるかも疑問です。
とにかく音が良いとのことで、確かにパーンとよく鳴る感じがします。

弦の交換などチューニングの依頼を受けて仕事をしていたところ、なじみのコンサートマスターが来ました。そのヴァイオリンを見せると首をかしげていました。

我々職人だけでなく、コンサートマスターでも何度か楽器を買い替え良い楽器のイメージというのはあるようです。プロの演奏者がチープな楽器や見た目が普通ではないものを音が良いと言って使ってるケースはめったにありません。楽器選びの経験や職人や他の演奏者との交流などによってイメージが出来上がっていくようです。それが常識やステータスの問題なのか、純粋に楽器の機能としての音なのかはわかりません。

今回のケースは予備知識ゼロの親子が音だけで選んだ結果、「普通では無い」ヴァイオリンを選びました。いろいろなケースがありますね。

他に考えられるのは職人や業者とのコネです。
ニセモノや悪徳業者が多いので信頼できる業者から楽器を買うのが一番大事なことですが、家族や先生などの付き合いのある職人や業者から楽器を買うのはよくあることでしょう。チェロに至っては、時間がとられて儲からないのでやりたがらない職人も多いでしょう、作ってもらうにはコネなどが必要です。
新作楽器はたくさんの中古楽器の中に混ぜておくとパッとしないことでしょう。新作楽器を買う場合は、楽器ではなく作者本人が買われていると言えるかもしれません。それはメディアに登場して有名だったり、人柄が良かったり、説明を聞いていて心酔したりなどいろいろあるでしょう。作者が生きていることで自己PRや宣伝ができます。

音で楽器を選ぶことは難しいことでもあります。
私も仕事をしながらお客さんがいくつものヴァイオリンを試奏しているのを聞いているとどれがどの楽器なのかは分からないし、数十万円のものか数百万円のものかもわかりません。メートル法の原器のように何か基準となる世界共通のヴァイオリンがあって、それとの比較ができればまだしも、それしかなければどんなキャラクターなのか分かりません。
騒々しい工房の営業時間が終了した時間に私がゆっくり楽器を試してみると音が大きく感じます。周りが静かだからです。

音で楽器を選ぶのもの現実的ではないかもしれません。
私が言いたいのは、値段や職人の技術が音の良さと直結しているわけではないということです。他の工業製品なら、高度な技術で作られている高価な製品の性能が良いというのはあるでしょう。凝ったしくみのものを作ると値段が高くなるというわけです。しかし弦楽器では高いものも安いものも同じ仕組みでできていますので、耳だけでは高い楽器か安い楽器か聞き分けることもできないということです。
精密機械のような加工精度も音の良さとは直結しないようです。

こんな事でも私が教えないと人生で培った常識で考えてしまい知る機会はほとんどないでしょう。それ以上でもそれ以下でも無い話です。


これはこの前ニスのメンテナンスで出て来た1980年製のヴァイオリンです。
赤いですね。

私が磨き直したことでそれなりにはきれいになりました。

しかしよく見ると色ムラが多く汚らしいものです。ニスの塗り方もそうですが、木材の表面が綺麗に仕上げていないと擦れて薄くなる部分とそうでない部分に差が出てまだらになってきます。どぎつい赤い色だと余計に目立って汚らしく見えます。ヴァイオリン製作学校の生徒なら先生に怒られることでしょう。

手作りではあるけども今一つ洗練された綺麗さがありません。

楽器は持って見るととても軽くて厚さを測ると薄く作られています。薄い厚みの楽器を作る人は現代でも全くいないということは無く、素直に名器から学んだり、実験した結果を受け入れればできることです。これを理屈で薄いものは音が鳴らないなどと信じていると作ることができません。

音は第一印象では耳がおかしくなるのではないかと思うほど賑やかで鋭さがあります。明るい豊かな響きは抑えられています。やはり板の薄さによるところでしょう。
40年経っていて鋭い音ですから音は強く感じられるでしょう。例の薄い板の楽器は初めは鳴るけども‥の理屈は嘘です。40年では全く問題ありません。そんな検証もされていない理屈を信じている職人が多いのですから弦楽器業界の知識とはそんなレベルです、勉強しない方がマシです。

音が鋭いとか柔らかいということがどういう原因で生じるのかもわかりません。どんな現象が起きているかもわかりません。ただ事実として、弓が弦に触れたとたんにギャーと音が出るものと、じわじわと音が出るものがあります。前者の方が鋭い音で後者の方が柔らかい音です。
現実にこのような違いがあるので試奏して好みのものを選んでくださいとしか言えません。

音が強いのが良い楽器だというのなら鋭い音のものの方が優れていると考えられるかもしれません。同じ時にプロのヴァイオリン奏者のものもニスのメンテナンスをしていました。フランスのモダン楽器のラベルが貼られていて持ち主も本物だと思っているようですが、私にはニセモノに思えます。しかし決して悪いものではなくハンガリーの上等なものではないかと思います。音はそのじわじわ出るタイプですが、プロの演奏者が毎日長時間弾いているだけあって、音は出やすくなっています。繊細な音が豊かに軽く出ます。ギャーッという音が出るのがレスポンスに優れていて音量があるというのも違うように思います。本物のフランスの楽器ではこんな音にはならなかったのかもしれません。好みによってはニセモノのほうが音が良いということもあり得ます。

プロの演奏者が弾きこんでいるからそうなっているのであって、そんな状態のものはお店では売っていないでしょう。こうなると音で楽器を選ぶこともできません。


これは夏休みを取る前にメンテナンスをしていたもので写真の上が切れていたものです。ラベル物何もないものですが何かコストを下げるために何かしているようでもありません。

何でもない普通のヴァイオリンだということを話しましたが、音は全体的にまずまず鳴る感じがして高音をチェックすると鋭い音でした。したがって鋭い音がするもののほうがよくありふれていてそのような音は希少でも何でもないということですし、職人が何か特別な技術を開発して強い音の楽器ができるにようする必要はなく先人から教わった方法でただ作るとそういう物の方が多いということです。名工とされている職人の楽器が鋭い音がしていたらそれは普通の職人ということです。

一般論としては、安価な楽器のほうが耳障りなやかましい音がして、丁寧に作られたハンドメイドの楽器のほうが穏やかな音の傾向はあります。しかし一台一台で見ていくと必ずしもそうではなく、穏やかな音の安価な楽器を持っているという人もいくらでもいることでしょう。

新しい物よりも40~50年以上経っているものの方が音が出やすくなって鋭い音は余計に強くなっているように思います。そのような音のものは特別な技術で作る必要はなく、単に安価な中古品で十分ということです。

物には限度があり程度の問題とも言えます。鋭ければ鋭いほど音が強くて優れていると考えるなら1880年~戦前くらいの量産品には桁違いに鋭い音のものがあります。
それに対して同じ時期の上等なハンドメイドのもので鋭い音のものはそこまでではありません。一般論として丁寧に作られているものの方がスムーズな音ということができるかもしれません、これは精密に加工された機械の方が音が静かなのと似ています。しかし確実な相関関係は言えません。またやかましく荒々しい音の安物に対して、静かでスムーズであることは上質な楽器を使っているという感覚が得られるでしょう。

ただ静かな楽器が売れるかというとその逆です。私たち職人が安物だとか上等な楽器だとかそうやって考えても、お客さんは意外なものを購入されたりします。



ここからは私の推測です。
全く何の根拠もありません。

このようなことから考えると音の鋭さは音色ではないと思います。もちろん鋭いというのは文学的な表現ですから物理的には様々な現象をそう形容しているのかもしれません。

音色というのはどの音域の音がどれくらい出ているかによって生じるものです。弦楽器では弦の振動によって音程の音とさらに倍の周波数の音、さらに倍の周波数の音…が出ます。これを倍音と言います。これとも関係のない音も出ていることでしょう。倍音の組み合わせによって音色を感じます。音程だけの音ならもっと単純な音です。耳の検査で聞くプーッという電子音などは音程の音だけが出ています。
管楽器に比べても複雑な響きを持っているのが弦楽器です。
「音色が明るい音」だという時に鋭さは関係が無く、明るくて鋭い音もあれば明るくて柔らかい音もあります。
巷ではこのようなことも混同されていて営業マンはその時その時で都合の良いように解釈してしまいます。


それに対して音の鋭さは時間と関係があるのではないかと考えています。金属がぶつかったときにキーンと硬い音がします。それは物体が硬いからですが、人の感覚器官で音によって物体の硬さを想像することができる能力が備わっているからでしょう。

硬い物質と柔らかい物質で何が違うかというと、音が伝わる速度が違います。金属のような硬いものでは速度が速く、ゴムのような柔らかいものでは遅くなります。液体や気体ならさらに遅くなります。
このことは付属パーツなどが軽いから音が良いという理屈も怪しくします。金属では重いのに音が速く伝わります。硬い材質なら重くても音が強く出ることはあり得ます。

スチール弦とナイロン弦で音の違いが感じられるのは物質の特性が反映されているからでしょう。それがわかっているので現実にはスチール弦は改良されていて柔軟性が高くなっています。最新の製品では持ってみるとおどろくほどしなやかで針金のようなものではありません。

例えば交通事故が起きたときにとても大きな音がします。金属の自動車がぶつかったときに強大な衝撃波のようなものが起きるでしょう。

同じように弓が弦とぶつかった瞬間に衝撃が起きます。それが駒から胴体に伝わる時に差が出るのではないかと思います。
衝撃がすぐに音になって表れるか、クッションのように吸収されたり胴体全体に分散したりするかの違いです。

作りの粗い楽器では振動が楽器全体に伝わりません。楽器全体が振動しているわけではないので耳元ではやかましくても離れて聞くと蚊の鳴くような細い音なのかもしれません。

カーボン製のヴァイオリンでは木材に比べてクッション性が無く音も硬く感じられました。もう少し柔軟性のある材質が良いのでしょうが材料工学の技術で未来には何とかなるかもしれません。それに対して木材は複雑な構造でできているので人工的な音という評価を覆す必要があります。ガット弦に対してナイロン弦が出て来た時も同じことだったでしょう。

ニスなども人工樹脂で理想的な性質を生み出せば伝統的なニスよりも音が良いものができるかもしれません。しかし保守的な業界では「人工樹脂=安物」と考えられています。

現代の楽器製作ではアーチがゆがみのない滑らかなカーブになっていて、板の厚みもムラが無く滑らかに厚みが変化するように作るのが良いとされています。急激に薄い所と厚い所が隣接しないように設計しその通り精密に加工します。
また「数字は重要ではない」と板を部分的に持って曲げてみて特定の部分だけが硬いと良くないと考える人もいます。板を人差し指と親指で挟んで指の感覚で厚い所が無いか探る人もいます。

板をトントンと叩いてタッピングもありますが、あれはやってみるとどうしても「希望的観測」になってしまい信ぴょう性は怪しいです。情熱をもって作っている楽器の音が良いはずだと思いたいので人間はそこまで冷静ではいられません。自己アピールが強い人は希望的観測も強いようです。私がそういう人の話を聞くと自分も同じことを考えてしまったので希望的観測になっているなと分かりますが一般の人には分からないでしょう。

そうやって丁寧に作られた楽器は見た目にも現代の楽器の特徴が現れます。

それでも極端ではないものの鋭い音のものや柔らかい音のものが混在します。またオールド楽器では現代のセオリーに反するようなものが良い音がしていることもあります。

職人が良い楽器と考えているものと、現実に存在する良い音の楽器では違うかもしれません。
また自分が作っている現代の楽器とは全く違うオールド楽器を職人は絶賛する「二枚舌」になっている人が多いです。
さらに頑固な職人では、オールド楽器の音が良いはずがないと思い込んでいる人もいるでしょう。音響工学的な経歴を肩書に掲げ、自分の楽器はストラディバリよりも音が良いと豪語する人もいます。
気を付けてください。

そんなことをブログでは語ってきています。
このようなレベルの話でも他では聞く機会は無いかもしれませんし、でもそれ以上のことは私にもわかりません。
物の見方に気付いてもらえたらと思います。

音については確かなものは何もないということを分かってもらいたいものです。楽器の値段を決める時には「製造コスト=品質」で決める方法と、骨董品として知名度で決める場合があると説明しています。知名度で値段を決めるとべらぼうに値段が高くなり、職人の目からすればなんでもない楽器と変わらないということもあり得ます。知名度が職人の技量を表しているわけでもありません。
少なくとも音で値段を決めているわけではありません。このことを理解してください。

ほんのわずかな音の違いに一喜一憂する演奏者もいます。私はそれを否定することはできません。

私個人としては音に特徴がはっきりと出るような楽器を作ることで、弾いた人に違いが分かりやすいようにと努めています。理屈を語るのではなくて音に違いを生み出さないといけません。
逆に言うと現実にはそのように作られていないのでたまたまの個体差のような音の違いで楽器を選ばないといけません。




こんにちはガリッポです。

音楽学校にこんなヴィオリンが寄付されたそうです。

見るからに古いヴァイオリンでこんなのがプレゼントされたらいいですね。

すぐにマルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンだと分かります。なぜと言われても独特なスタイルがあるのです。
マルクノイキルヒェンなどザクセン地方の楽器にはとても安価なものが多く、有名な作者などはありません。値段は新品のものと変わらずグレードによって違うのも新品と同じです。
このヴァイオリンは1700年代の後半か1800年前後のものだと思います。ラベルや焼き印などは無く作者は特定できません。しかし品質は高い方で、ザクセンとしてよくある安物ではありません。したがって100万円以下ということは無いでしょう。そんなものがプレゼントされたらいいですね。
アーチの表面はとてもきれいに仕上げられていて響きを抑えるかもしれない癖もありません。

作風が年代と直結しているわけではありません。同じ年でも職人の世代によって作風が違うこともあったでしょう。その職人が学んだ時代のスタイルを継続することが多いと思います。1800年を過ぎても年配の職人はオールドのスタイルのままだったことが有り得ます。イタリアやフランス、ミッテンバルトならもっと1750年くらいからモダン楽器に向けて作風が変わっていく感じがします。そういう意味では近代化が遅れたとも言えますし、オールドの作風が続いていたとも言えます。マルクノイキルヒェンでも1750年より前になるともっと素朴な印象を受けます。

アーチはモダン楽器のように平らではありませんが、極端に膨らんでいるわけでもありません。

ニスも木材の着色も南ドイツのものにあるような真っ黒なものではありません。塗られているニスがオリジナルなのかはわかりません。
木材の産地からは遠く高級なものではありません。低ランクの木材を使ったものはイタリアのものでもオールド楽器にはよくあります。
弦楽器を作るにはものすごく手間がかかるので、丁寧に作る方が木材の値段よりもはるかに多くのコストがかかります。したがって我々が楽器を見る時は木材のランクではなく仕事のクオリティで見ます。

スクロールはいかにもマルクノイキルヒェンの形です。近代のストラドモデルのような完璧さがありませんが、仕事自体は繊細さがあります。ペグの穴は過去に埋め直す修理がされていて、細いペグが使えるのは良いですね。

繊細なスクロールではありますが近代のような完璧さとは違います。手作り感があります。いびつな仕事はイタリア人だけがするわけではありません。同じことを高価な楽器では味があると言われるのはフェアではありません。

エッジの傷みが激しいです。

パフリングがむき出しになっています。そもそもエッジからパフリングの距離がとても近くなっています。このようなものはマルクノイキルヒェンの楽器には時々見られます。1900年頃になってもこのようなものがあり、上等な木材と作風からミルクールのものにそっくりなものがありますが、このようなエッジになっていたらザクセンのものだと考えたほうが良いでしょう。

サイズ的には以前紹介したグランチーノと同じくらいで近代や現代のものと比べるとやや小型です。イタリアでもオールド楽器は小型のものが多いです。それで言うとアーチに癖もなく、仕事はグランチーノよりもはるかに丁寧で変形や大きな損傷もなく状態も良いですね。修理さえすればソリスト用でなければかなり魅力的なヴァイオリンになるかもしれません。

ネックに特徴がありました。

オリジナルのネックがそのまま残っています。これはシュピールマン式と言って上部ブロックとネックが一つの部材からできています。ちょうどギターのネックのようになっています。これはアマティ以前の弦楽器のスタイルではないかと思います。アマティが初めてヴィオリンを作ったのではなく、もっと原始的なものがあってアマティ以降のものにとってかわられたのです。民族楽器としては一部に残っていて、マルクノイキルヒェンでも名残がありました。
ヴィヨール族の楽器でもこのようなネックはあったかもしれません。
これに対してアマティやシュタイナーのネックは釘で胴体に固定されています。シュタイナーはどこで修行したかは不明ですが、アマティの影響がとても強く基本的にはよく似たものだと私は考えています。

さらにアマティ、シュタイナー、ストラディバリとの違いはネックが水平ではなくかなり斜めになっています。これは初期のモダン楽器のネックと構造的には近いものです。マルクノイキルヒェンのオールド楽器ではオリジナルのネックが残っていることが多いのはモダン楽器としてそのまま使うことができたからです。作られたままのネックで最近まで使われていました。
つまりネックの構造については近代や現代のものとして通用するものがオールドの時代にすでに作られていたのです。このようなものが広まって行って、南ドイツ、イタリアやフランスでも採用されてモダン楽器ができて行ったのかもしれません。

一方オールドのバロックヴァイオリンを入手することはとても困難です。上等なヴァイオリンは皆モダン仕様に改造されているからです。窮屈な構造で豊かに鳴らないヴァイオリンが仕方なくバロック仕様に改造されて売られていることがありますが、バロックヴァイオリンでも芳しくありません。

良さそうなモダン仕様のオールドヴァイオリンを探してから、それをバロック仕様に改造修理をしなくてはいけません。したがって試奏してオールドのバロックヴァイオリンを選べる状況ではありません。

新作ではマニアックな素人のような職人のものが多く、モダン楽器すらまともに作れない人が多いです。そういう人はやけに自信家でたくさんの楽器を作り陶酔していてアピールも凄いですが、一台もまともな楽器を作ることができません。まともに弾けずに辞めてしまうでしょう。一方現代の楽器を上手く作れる腕の良い人は本体の作風がオールド風ではありません。

オリジナルのネックが残っていることを教師に伝えると、バロック仕様にして欲しいということになりました。学校には一台もバロックヴァイオリンが無く教材とするためでしょう。

これからバロックヴァイオリンとして修理をすることになりました。
このようにバロックヴァイオリンといっても地域や時代によって様々であり統一された規格がありません。現代の楽器では国際規格と言えるほどの決まりがあるのですが、バロックヴァイオリンは「自由形」です。「〇〇になっているのがバロックヴァイオリン」ということは言えません。実際に時代を考えてみると1750~1800年と言えばバロック時代ではありません。モーツァルト~ベートーヴェンの古典派の時代です。しかしクラシックヴァイオリン奏者というのは聞いたことがありませんね。弓ついては私は専門家ではないので時代について正確かどうかは分かりませんが、バロック弓とモダン弓のほかにクラシック弓というのがあります。そういうものが手元に来たら写真で紹介しましょう。
室内オーケストラのような小規模な楽団では古典派などは得意とするジャンルです。曲によってクラシック弓を使ったり、軽くて柔らかめの弓を使う人もいます。それに対してクラシックヴァイオリンを使うのは現実的ではありません。モダン楽器を使っています。それもナイロン弦です。コンサートマスターの話ではガット弦には魅力があるけども、音程の狂いやすさなどの問題があり実用としては使うのは難しいとのことです。

ガット弦はかつてはそれぞれの楽器工房で動物の腸から作られていて自家製のものだったようです。したがって規格などはバラバラだったはずです。
戦前でも弦を作る無名なメーカーが産地にあり、ノーブランドで弦楽器店で売られていたようです。それに対して金属巻のガット弦が開発されます。ガットを芯として表面に金属を巻いたものでこれも戦前にはすでにあります。金属を巻くことで重さが得られ弦を細くすることができるとともに強い張力が得られます。弦の表面を保護することもできて、音は滑らかで済んだクリアーな音になります。このような金属巻の弦は専門メーカーによって製品として確立し1980年くらいまでは高級弦として君臨し有名な銘柄もあります。ベテランの演奏者や教授などでは今でもナイロン弦を認めていない人もいることでしょう。しかし「業務用」としては過去のものとなっています。

ガット弦は柔らかい音というイメージを持っている人もいるかもしれません。かつては安価な楽器には金属巻のスチール弦が使われ、上級者は金属巻のガット弦を使っていたからです。スチール弦に比べると柔らかいということです。しかしナイロン弦ではそれ以上に柔らかい音が出ます。今となっては必ずしも柔らかい音というわけではありません。
チェロの場合には今でもスチール弦が主流であり、技術が進歩して金属的な嫌な音が軽減して来ています。ガット弦では張りが弱くて、弓を当てるのが難しく感じられるでしょう。上級者でもまともに弾けなくて戸惑うものです。

さらに金属を巻いていないガット弦となるとかなり刺激的な音が出ます。ピアノに比べてチェンバロがジャラジャラした金属的な音がするように、ヴァイオリンもクリアーな柔らかい音になるように進化してきたのです。

裸のガット弦と言えばバロック楽器をイメージするかもしれませんが、実はかなり最近まで使われていました。戦前でもまだ裸のガット弦は使われていたようです。物置から古いヴァイオリンが出てきたという時に、裸のガット弦が緩く張ってあって残っていることがあります。古い薬の袋のようなパッケージに入った未使用のガット弦がケースに入っていることもあります。これはさすがに戦後のものです。60年代くらいまではまだ安価なガット弦として使われていたようです。今では特殊なもので安くはありません。コントラバス用の裸のガット弦などはとても高価です。

クライスラーなどの時代のモダン楽器ではまだ裸のガット弦が使われていたようです。その時代に裸のガット弦の使いこなしやフィッティングが最高潮に達していたと思われます。

今でもバロックヴァイオリンに挑戦してみたいと不要の量産楽器にバロック駒にバロックのテールピースを付け裸のガット弦を張ってあご当てを外す簡易的な改造を依頼されることがあります。しかし刺激的な音が強く出ます。それこそがバロック楽器だと考えるかもしれませんが、荒々しい音の古い量産品にバスバーがそのままのために、弾力が足りず刺激的な音が強く出ることでしょう。酷く耳障りな音で嫌になってしまうかもしれません。駒をモダン駒にすれば柔軟性が増して和らぐことでしょう。それが戦前のモダンヴァイオリンです。したがってバスバーもバロック用に交換する必要があります。

ネックについては演奏上の問題で音にはあまり関係ありません。演奏しやすいように改良されたのもがモダンネックですから、難易度が上がると考えたほうが良いでしょう。またあご当てもあったほうが楽なので、ソリストのバロックヴァオリン奏者でもあご当てを付けている人がいるくらいです。チェロの場合にはヴァイオリンのようにエンドピンの棒がありません。

難易度が高くなるのでアマチュアの人が趣味で弾くのはかなり難しいものです。
音大でも徐々に専門の先生に教わっている人が増えては来ています。私が前回仕上げたバロックチェロを使う学生は音大でも古楽演奏を専攻し意欲的に演奏を続けています。考え方を180度変えるくらいの覚悟が必要なようです。職人も同じです、少しでも古いものを馬鹿にする心があると理解することができません。なんでもバカにすることは盲目にします。

日本人でも有名な楽団で弾いている人と会ったこともあります。その人たちが日本に帰って教えるようになると日本でもバロック楽器を使う人が出てくるでしょう。

近くの音大はもともと教会の音楽学校だったので古楽演奏教育のニーズも出てきています。バロックチェロの問い合わせなどもありますが、高価なものになります。量産メーカーに試作品を作ってもらいましたが、デタラメなものになってしまいました。

バロックヴァイオリンのE線はとても切れやすく、ケースを開けたら切れていたということがよくあります。このため古い演奏者の写真を見るととても長いE線の先端を垂らして余らせていることがあります。切れてもまだ長さがあるようにしていたのでしょう。
予算が限られた学校で果たして弾ける状態を維持できるのか疑問があります。

どうなるかやってみましょう。

私もかつてはバロックヴァイオリンを作ることに情熱を持っていたことがあります。このことが、現代の常識とは全く違う楽器を作る発想の源になっています。
今はそれをモダン楽器にして味わい深いものを作れないかと考えています。







こんにちはガリッポです。

何が良い楽器かということを公に定めることはできません。人によって目的や価値観、音楽の好み、美意識、聴覚の個人差、骨格や体質の違いなど様々な基準が存在します。人間である以上は社会的な意味もあるでしょう、音の響きは建物も重要な役割を果たします。

高級ブランドのファッションショーを見たときに、それをアートだと考える人もいるし、こんな奇妙な服装をしていたら笑われてしまうだろうと考える人もいるでしょう。最高であるという反応と最低であるという反応が同時に起きます。お金持ちのパーティーに参加するのであれば目を引くようなものが求められるのかもしれませんが、日常生活では白い目で見られ不便でもあります。

何が良い自動車かと言った時に企業の重役と観光業や砂礫採掘業では違うでしょう。リムジンのような車では多くの観光客を乗せることができないし、砂利を多く運搬することはできません。強大なエンジンパワーのある車でも目的によって全く違います。鉱山で使われる巨大なダンプトラックがあります。家よりも大きなものです、最高の車でしょうか?

それに対して昭和の頃日本では会社の役職に応じて車種が用意されていました。平社員から重役まで、トヨタだけでもカローラ、コロナ、ビスタ、マーク2、クラウン、センチュリーなど役職にあわせた車を買うことができました。センチュリーが最高というわけです。昭和の会社員であればそのような価値観を共有していました。それ以上というとキャデラックのようなアメリカ車が憧れの対象でした。80年代からはメルセデスベンツにとってかわられました。これと同じようにクレモナの新作楽器がその頃から販売されています。しかし、このような価値観は国ごとによって全く異なっており、日本でも現在では崩壊しています。弦楽器の世界はまだ昭和の価値観が残っているということですね。

スピードが速いことが優れていると考える人たちもいます。音量があるとか鳴るというのが優れた楽器というのと似ています。
レースではブランド名ではなく実力で勝負が決まります、弾き比べするのと同じです。世界最高峰のモータースポーツと言えばフォーミュラ1(F1)です。しかしながらドラッグレースというのがあって1/4マイルの直線を走るもので圧倒的に速度はF1カーよりも速いです。しかしカーブを曲がることができません。F1カーは様々なカーブに対応するようにできているので最高速度は犠牲になっています。走るレース場によって優れた車が変わるということです。音楽の様々な要素や心地の良さなどを考えていくと音量だけで判断できないということになります。

楽器もそのように使う人によって求められるものが違います。

所得などの社会的な意味での高級車に対して「車好きの間で人気」というのがあります。そういうものを共有する人たちが趣味のカテゴリーを形成しています。そのコミュニティでは何が優れているかは共有されていることでしょう。それでも趣味趣向によって細分化されているはずです。一方で同じ趣味趣向を共有することで仲間意識も生まれることでしょう。

特にスポーツカーのようなものはメーカーの看板車種になります。
しかし販売台数を見るとごくわずかで実際に買う人は少ないです。今でも、ネットのニュースのようなものではフェラーリだのポルシェだの新型車が発表されると勝手に出てきます。実際に買う人はわずかで情報としては全く役に立たないのに閲覧数が稼げるようです。ストラディバリやデルジェスなどの情報も同じです。実際に子供に楽器を買う親御さんにとっては全く必要のない情報ですが、強い興味を持つ人がいます。

自動車であれば、値段がエンジンのパワーの差となっているなど測定可能な違いがありますが、「弦楽器では本当に違いがあるかどうかも怪しいんですよ」と私は教えています。

「昭和の高級品」の趣味以外でもいろいろな可能性があることをブログでは紹介しています。視野を広げて自分で現実に買える楽器を考えてください。


このような文化では同じ価値観を共有することで仲間意識を持ったり、お互いを認め合ったりすることもできます。クラシック音楽のその時代では「教養豊かで洗練された上品な趣味」を理解できるということを演奏会の参加者は確認しあっていたとも言えるでしょう。今日においても、音楽のジャンルは仲間意識を生み出すことでしょう。
一方で親子の間などで音楽の趣味が違うと軋轢になります。そのようなエネルギーも音楽の世界では見られています。これに対して他人の価値観を尊重するという必要性があると考えられます。自分は好まないジャンルの音楽の愛好家に対しても、尊敬の念を持つということです。

ヨーロッパで基本的な美意識というのは古代ギリシャのものがあります。日本人には全くなじみがなく、学校教科書でちらっと見たくらいのものです。西洋の人が作るものと、日本人が作るものでは根本的な違いがあるというわけです。
現在では西洋の人も古代ギリシアの文化を知っているわけではありません。しかしながら根底にはまだまだそのようなものがあるかもしれません。日本の製品は「クール」と形容されることがあります。これは西洋人の基本的な美意識が欠落していて、斬新さを感じるからです。一方「ビューティフル」と言われるときは古典的な西洋の価値観が反映されているようです。このような西洋的な美しさは日本人でも女性の方が感度が高く、男性は興味がある人は少ないでしょう。興味がない人にも何も感じられないものです。
古代ギリシャの国々はローマ帝国に征服されると、ギリシャ人がローマ人の奴隷になります。ローマ人は奴隷のギリシャ人に芸術を教えさせました。奴隷を先生にして物を学ぶというのは「尊敬」という考え方が今の人には理解できません。こうしてローマでもギリシャの芸術が受け継がれました。軍事力ではローマがギリシャを征服しましたが、文化ではギリシャがローマを征服したということです。
ローマも滅びて中世の時代が続き、遺跡から古代の彫刻などが発掘されます。それに驚いて芸術に変革が生まれたのがルネサンスというわけです。古代ローマの彫像を見たことがある画家と見たことが無い田舎の画家では絵が全然違うというわけです。東方教会のイコン画やブリューゲルのような農民を描いた絵とボッティチェリやラファエロのイタリアの作品を見比べてみてください。単に絵が上手いとか下手ということでない違いがあるのに気づくでしょうか?
クラシック音楽がいつから始まるかは諸説ありますが、バッハが音楽を生み出した音楽の父と言っていたころがあります。日本で楽器を習うと壮大な西洋のバックグラウンドは全く知らずに、バッハ、モーツァルト、ベートーベン・・・などを発明家のような「偉人」として教わります。プロの音楽家を要請するなら需要の多い作曲家について勉強するのは当然でしょう。それに対してルネサンスを受けつぐイタリアではギリシャ神話に歌を付けて演じました。それがオペラのはじまりです。今では教養としての音楽史はすくなくともモンテベルディから教わることでしょう。バッハよりもずっと前です。フランスにはイタリアの名家から王家に嫁いだとともに音楽家などがやってきてイタリア風の音楽をもたらそうとしましたが、バレエという歌や踊りを伴った演劇の方が人気があってオペラの普及は苦戦したようです。そのように各地に文化が伝わるとともに土地ごとに独自の進化もしていったようです。それも面白いですね。

バロック芸術はカトリック教会の宗教政策と王侯貴族の教養文化との両方がミックスされています。それらは現代の日本人には全く馴染みがないし、現在の政治体制を肯定するために歴史では「悪」と憎まれ教えられました。日本で普通に暮らしていたら触れることもありませんが、西洋では今でも教会や宮殿・城が街の真ん中に残っていて見ることができます。

それに対して、美を感じるのはそれでも個人差があります。
ギリシャの彫刻を見ても、ただの人の形が彫ってあるだけだと思うかもしれません。ギリシャ的な美意識は形のバランスによってもたらされると考えられていたようです。さらにプラトンのイデア論という理屈によって自覚されていました。現代の科学的な思考では理解不能なプラトンの哲学ですが、結果的に美を意識することに役立ったことでしょう。私は結果主義ですからそれもOKです。

彫刻でも仏像ではインドから中国日本へと伝わる間に独自の形になってきました。もともとはガンダーラにいたギリシャ人が作ったとも聞いたことがあります。初期の仏像はギリシャ彫刻のようでした。仏像はジャンルとして確立したために実際の人間とは違う独特のスタイルになっています。同じ彫刻家がその時代に生きていた僧侶を彫ると生き写しのようにリアリティが感じられるものがあります。個人レベルでは日本の仏師の技量はギリシャの彫刻家と変わらないということでしょうが、文化としての美意識が違います。つまり、ギリシャ時代の彫刻は生きた人をリアルに再現したのではなく、美しい姿に創作したのです。それに触れたイタリアの芸術家が世界をリードした時代があったということです。それに追いつこうとギリシャやローマの文化を学ぶことが19世紀くらいになると西洋では教育の基本となります。ギリシャ神殿を模した建物が各地に多く作られました。各国の政府機関や文化施設、裁判所やミュージアムなどもにもあります。大英博物館もそうですね、アメリカにもたくさんあります。
一方それらの文化は近代や現代の芸術家、戦後には保守的なものとして若者たちの目の敵にされます。日本が近代化を図り、芸術を学びに西洋に渡ったときにはすでに過去のものと考えられていたかもしれません。昭和以降も新聞社とデパートが興味本位の美術展を開くとわけも分からず人が殺到したものです。


この時代にヴァイオリン製作ではストラディバリを理想としたモダン楽器が確立します。近代や現代の芸術とは違う保守的な立場の考え方です。今でもとても保守的な考え方が弦楽器業界の主流となっています。

ルネサンスに話を戻しますと、イタリアの絵画作品と北方フランドルの作品を比べてみてください。違いが判るでしょうか?
小学校の頃の延長でどっちが絵が上手いかで言えばむしろフランドルのほうが精巧に描かれているかもしれません。しかしイタリアの絵画には何とも言えない優雅さと生き生きとして愛情に満ちた人の姿が感じられます。
ドイツのデューラーでもリアルな迫力の画力はありますが、イタリアの絵画のような気品はありません。

こんな話をするといつも私が弦楽器について話していることと違うように思うかもしれません。シュタイナーについては私は緻密で精巧に作られていると説明しています。シュタイナーは近くで見て精巧に作っているのに対して、アマティやストラディバリは何とも言えない美しさがあります。それがギリシャ的なバランスなのかもしれませんし、私がそういう風に思い込んでいるだけなのかもしれません。
南ドイツのオールド楽器では上等なものはやはり近くで見て細工が細かく精巧で丸みのカーブが丁寧に作られていたりしますが、離れて見るとなんとなく不自然な感じがします。イタリアの楽器は細部まではそこまでこだわらずに全体のバランス感覚で楽器を作っているように思えます。しかし、最高レベルの楽器の話であって、デルジェスを含め多くは安上がりに雑に作られたものです。モンタニアーナのチェロでもお世辞にも形のバランスがいいとは言えません。見た目は諦めて音が良いという機能性だけの名器です。私にとってはそのへんてこな形が面白くてニヤニヤしてしまいます。
チェロではストラディバリと並ぶ最高額のものですが私にはゆるキャラみたいなものです。
もしイタリア的な美意識の大ファンであるならイタリアの楽器でなくてはならないという人がいても私はおかしくないと思います。本当にそれが分かっているならです。
不思議なことにこれが作曲家になるとバッハやヘンデル、モーツァルトなどドイツ系の人たちばかりが評価され、ヴィヴァルディなどは軽いと馬鹿にする考えがあります。当時はローマで活躍していたアルカンジェロ・コレルリに人気がありイギリスではコレルリの代わりにローマからヘンデルがやってきて大人気となりました。コレルリはさすがに無理でヘンデルでもフィーバーになったのです。でもコレルリは今ではマニアックな作曲家にすぎませんね、残っている楽譜が少ないのが残念過ぎます。
今ではヘンデルの方がはるかに耳にする機会が多いことでしょう。モーツァルトがボローニャのアカデミア・フィラルモニカに勉強に行きましたが、先輩にはコレルリがいます。モーツァルトは古典派音楽の発明者でも何でもありません。同じ時代の他の作曲家もみなそっくりの曲を作っていました。バッハもベートーヴェンもそうです。

ドイツ音楽のファンなら楽器もドイツ楽器のファンでないというのは不思議です。それは自分で何かを感じたのではなく知識として擦り込まれているだけじゃないでしょうか?イタリア文化を理解してイタリアの楽器の良さを分かっているのでしょうか?

私がどんな楽器を良いと思っているかは、私がコピーを作りたいと思うかどうかという事にも関係してきます。関心にはいろいろなものがあります、純粋に音響工学的に興味があるということもあるでしょう。美的なことで言えばいかにアマティの美意識を理解できるかということに情熱を注いできました。それはストラディバリやグァルネリ家の下地にもなっています。私はそういう意味ではイタリアのヴァイオリンの大ファンです。
しかし現実にいろいろな楽器を見ていくと、それとは違う魅力もたくさんあることが分かってきました。オールドのドイツの楽器やフランスのモダン楽器にもそれぞれの魅力があります。音楽家が音が良いと言っていて、実際に音がよくて驚くことがありますが、ただの安物で職人としては自分の楽器の見方が狭い視野だったことに気付かされます。音響的に見ると楽器も全然違って見えてきます。音楽家の人たちとの交流によって思いもよらないことに気付かされることが多くあります。これは職人にとって貴重な体験です。

イタリアでは1800年頃になるとヴァイオリン職人が少なくなり、1850年頃にまた増え始めます。アマティの教えも世代ごとに薄まっていき田舎風の楽器が細々と作られていました。そこにフランス風の楽器製作が伝わったのがモダン以降のイタリアの楽器製作です。その中で質が低いだけのものや素人が作ったものが高価な値段になっていると私には何にも魅力を感じません。値段が高すぎることを無視すればイタリアのモダン楽器でも面白いもので木材の着色やニスの組み合わせは偶然によって見え方が違う部分が多く私は多くヒントを得ようとしています。100年程度の古さの楽器でも不思議と心地良く美しく見えるものがあり、新作楽器の製造では大いに参考になります。またミラノの流派はアマティのモデルで作っていることが多くあります。ヴィヨームやチェコのホモルカもアマティのモデルで作っていてアマティの解釈の仕方にも興味があります。

何が良いか悪いかを決めることに私はあまり興味がありません。どんなものかより知りたいという好奇心の方が上だからです。
音楽や楽器に限らずとかく作品についてやたら評価を決めたがる人がいます。大相撲のように誰が横綱でそれにふさわしいかどうかという議論です。

しかしクリエイターにとってはその時作りたいもののヒントになるようなものは皆価値があります。評価を定めるいうことは創造性の欠如です。創造性の才能が一番ない人が作品や作者の評価を定めているのですから無視して良いと思います。


買うべきじゃない楽器については、ネックがおかしいと継ネックが必要になります。継ネックの修理代を差し引いて楽器を買わなくてはいけません。
ボディストップ、つまりf字孔の位置がおかしい楽器は直すことができません。これは致命的なもので手を出してはいけません。短い方は手が小さい人にとっては弾きやすくなります。身長が2mあるとか、ビオラを弾いているので弦長の長いヴァイオリンでも問題ないという特別なケースは除きます。

あとは弦の張力に楽器が耐えられていないものです。アーチの形状が重要で裏板の中央は板が薄すぎても魂柱のところが押されてしまいます。
左右のf字孔の間隔が狭すぎるとバスバーを取り付ける位置がおかしくなります。これも嫌です。

修理が大変な損傷を多く受けているものも常にどこかの傷が開いてきます。修理は困難を極めます。
素人や下手な職人が修理したものは壊れたてのものに比べてはるかに困難です。

ネックがまっすぐに入っている楽器というのも実際には少ないです。ヴァイオリンやビオラなら変に手首をひねって演奏しているかもしれません。

外から見るとおかしくないように見えても欠陥や故障があることが多いです。文句なくパーフェクトに作られている楽器は少ないです。職人として気持ちが良いのはきちんと作られているものです。もし修理する場合でも決まった作業をやるだけです。これが粗悪品だと故障個所以外にも欠陥だらけです。その時壊れた場所だけではなく製造時の問題で直さないといけない所がたくさんあります。直し始めるときりがなく、はじめから作る方が簡単です。

そうやって職人が嫌う楽器の音が良かったりするので音楽家とは喧嘩になります。演奏家と職人はちょうど漫才師のコンビのようなものです。

職人でもさっきも言ったように美意識は人によって様々です。私が気にすることも他の職人は全く気にしません。そのようなことの積み重ねが音の違いになっているのでしょう。私は無神経な人の作る楽器のような音は出せません。音は好みであり、無神経な職人が作った楽器の音を気に入る人がいます、むしろ多数派かもしれません。だから弦楽器なんてなんでも良いと言っています。

それと、私が好きではないのは自分を立派に見せようとする人です。安物を高く見せるだけではなく、理屈を語っていかに自分の楽器が優れているか豪語したり、自分の腕の良さを誇示したり、大して腕も良くないのに誰からも文句を言われないように微妙な所を突いて作ってある楽器です。

美しいものに夢中になり我を忘れている人の方が私は好きです。










こんにちはガリッポです。

夏にはこちらの人は皆何週間も旅行に行ってるので楽器のメンテナンスの期間になります。

1987年にハンドメイド作られたビオラですがこんなことになっています。

ニスが剥げて白い木材の色が出ています。


ニスのダメージは楽器ごとに違いますし、使う人によっても違います。この楽器では衝撃が加わったところのニスがペリペリと剥がれ落ちています。一つはニスに弾力が少なく硬めの場合に起きるでしょう。また下地とニスが強く結びついておらず剥がれることがあるようです。下地の処理は目止めと言われます。木材に色のついたニスを直接塗ると木材に染み込んでいきます。木材の場所によって染み込む量が違いまだらになって汚らしくなってしまいます。これはよくDIYや素人の作った家具に見られるものです。

このため木材へのニスの染み込みを防ぐために目止めが行われます。そのための材料は様々であり十分な耐久性が無かったり、上から塗るニスと親和性が低く弾くような性質の場合には剥がれる原因になります。この楽器でもその疑いはありますが、30年以上使われている楽器であればこうなっていてもおかしいことではありません。したがって塗り直すなどの対応はコストがかかり過ぎます。


補修後はこのようになりました。小さな写真ではわからないレベルです。



悲惨だった楽器も見違えた事でしょう。
ニスを塗り直すような必要はありません。

とはいえ完全に新品のように戻ったわけではありません。表面にはいまだにヘコミが残っています。完全に新品のように直すのは難しいです。しかし弦楽器というのは音楽のための道具であり、飾っておくものではありません。刻み込まれた歴史は消し去ることはできません。

f字孔の上の辺りに何やら傷のようなものがあります。これは過去に補修されたものです。私の行った補修とは様子が違います。これは白い木の色がむき出しになったときに、慌てて濃い色を塗ってしまったため、傷のところの方が他のところよりも濃くなってしまったのです。このように修理する人によっても様子が変わってきます。これもまた歴史として楽器に刻まれて行きます。古い楽器はこのように異なる時代に多くの補修を受けているので人工的に古く見せかけたオールドイミテーションよりもずっと複雑になります。

なぜこのようになるか図で説明します。一番上のようにニスがはがれたとします。そこに補修のニスを塗ります。2段目のように傷の周囲までニスがついてしまいます。これを研磨すると重なった部分を削り落とすことができますが、もともとのニスまで削れます。3段目のようにオリジナルのニスが薄くなります。こうして補修したニスのほうが色が強くなります。仕上がりに差が出るのは注意深さの差ということです。

オリジナルのニスの厚みが薄すぎるとちょっと擦っただけで色が無くなってしまい、どんどん被害が大きくなっていきます。薄すぎるニスの楽器ではいつ修理が完成するか予測ができません、手を入れれば入れるほど被害が広がっていくからです。修理代も膨れ上がっていくはずですが、そこまで請求もできずに無償労働になっていきます。薄いニスの楽器の補修は地獄です。薄いニスのほうが音が良いと言って薄くニスを塗る職人は罰として補修の仕事を自分でやってほしいものです。
実際には一番下のようにニスがはがれているだけではなくへこみ傷が木材にまで達しています。傷の深い所では補修したニスの厚みが厚くなるので色が濃く見えます。したがって初めに無色のニスで傷を少し埋めてから補修ニスを塗ったほうが良いですね。それが厚すぎると傷が白いままになってしまいます。予測はとても難しいものですし、傷が完全に埋まるまで繰り返すには何週間もかかります。それは大げさすぎると傷がついた時に色だけを付ければ目立たなくなりますが後で周りのニスが擦れて色が薄くなり、傷に汚れが入って傷が浮かび上がってきます。

一番傷が目立つのは新品の楽器についた傷です。これを直すにはとても苦労しますが、一つだけの傷なので集中して作業ができます。今回のように無数に傷があると一つ一つ異なる傷の深さにあわせて対応を変えて完璧にやってはいられません。一方で30年以上経って全体的に古びて来ていますから直しきれない傷も雰囲気にマッチしてくるでしょう。もはや新品のように修理することは諦め「古びた味」と捉えるようにするしかないですね。古いものでも大事に手入れをしているものが醸し出す古さと、ただ傷んで汚くなっている古さは違います。趣きのある骨董品としてプラスの印象を受ける場合とガラクタのように見えてマイナスの印象を受ける場合の差がそこにあります。

アンティーク塗装の楽器の場合にはずっと簡単です。傷が増えたことはより本当の古い楽器のようになったということですし、人工的にやったものと違って自然です。しかし木材の白さがむき出しになっている状態では見苦しいので、汚れが入って黒ずんだように少し落ち着かせるだけで補修は済みます。また過去に修理がされたように敢えて赤っぽくすることもできます。アンティーク塗装の楽器はガシガシ使うのには良いです。

コーナーは傷みやすいものです。直すには木材を足さないといけません。しかし早いうちに直すほど継ぎ足す木材が少なく済みます。場所によって足している木材が違います。


修理後はこのような感じです。

エッジにも木材を足しています。新しくつけた木材に気まぐれのアンティーク塗装を施すといかにも新しい木材を足したという感じがしないでしょう。ここもまたこれからも傷がつき補修を繰り返すことになります。

こちらも30年以上前に作られたハンドメイドのヴァイオリンです。赤いですね。

赤いニスですがニスが剥げて白くなっているところがあります。

年輪の線の間が白くなっていて木材がむき出しになっています。これを修理するのは厄介です。

これは表板の表面に凹凸があるため高くなっているところが擦れてニスが剥げているのです。先ほどのビオラでは全くこのようにはなっていません。
これは仕上げ方の違いによります。

表板の表面はカーブしているためやすりのような道具は使えません。そこで鋼鉄の板の角で削ります。これをスクレーパーと言い西洋独特の工具で日本の木工にはありません。床や家具など幅広く使われていました。
表板は年輪の縦の断面が縦線となって表れています。これは冬目と言い冬の間は木材の成長が遅く密度が高くなっていてその間は白くて柔らかい夏目になります。それに対して熱帯地方では年中暑いのでラワン材のように年輪がはっきりしません。特に針葉樹ははっきりとした年輪ができ板にすると縦線になります。
スクレーパーでこれを削ると柔らかい夏目の部分は押し潰れてしまいあまり。削れません。一方硬い方の冬目は鋼鉄によって削り取られます。夏目のところはスポンジのように柔らかすぎて削れないのです。それで硬い冬目が溝になります。
それに対してビオラの方はそのあとサンドペーパーで仕上げてあります。サンドペーパーは柔らかい夏目が削れやすいので表面がつるつるになります。昔はサンドペーパーは無いのでオールド楽器ではそのようになっていたと考えられます。しかし数百年の間にも溝は汚れや補修ニスで埋まり、完全にニスが剥がれ落ちてから擦られて柔らかい夏目の部分が摩耗して当時の表面は残っていません。木材は暗く変色し、ニスが剥げたときに汚れが浸透しています。ニスの表面にも汚れがついていますので、このように真っ白になっていることはありません。
サンドペーパーで仕上げるときれいすぎるのでアンティーク塗装としてこのような処理をすることがよくありますが、実際のオールド楽器ではそのようになっていないことがほとんどでしょう。

今回のビオラと赤いニスのヴァイオリンはいずれもアルコールニスのようです。アルコールニスはアルコールに樹脂と色素を溶かしたものです。塗るときはさらさらした液体でアルコールが蒸発すると固形物が残り固まる仕組みです。アルコールニスは一日もすれば次の層が濡れるくらいには固まります。小さな面積の修理であれば1時間に一回くらい塗ることができます。新作楽器でも一日2回は濡れるでしょうか。アルコールニスが難しいのは塗るとそれまで塗った下の層を溶かしてしまうことです。筆や刷毛についたニスが多すぎて垂れてしまったりすると過去に塗った部分まで溶けて大惨事になってしまいます。オイルニスに比べて色ムラができやすいのですが、仮に失敗しても乾いていないニスをいじってはいけません。
表面には刷毛で塗った跡がつくので表面を耐水ペーパーや磨き粉で研磨しないといけません。このため木材の表面に凸凹があると高い所が削れて白木の色が出てきます。

ニスが乾くというのは表面が硬くなって触っても指紋などがつかなくなることですが、まだまだアルコール分は蒸発しきってはいません。それには何年もかかります。当初に比べるとニスが薄くなりデコボコのある仕上げになっていると擦れて白木が出てきます。ニスが無い所が出てきますので磨いても光沢が出ませんし、楽器を保護する効果も無くなります。回数を多くし時間をかけてニスを塗らないと十分な厚みになりません。
同じことはオイルニスでも全く起きないことはありません。むしろ顔料を使う手法が流行しています。染料というのは色素が溶け込んでいるもので、顔料は粉末が混ざっているものです。これは油絵の具のようなものです。薄い層で濃い色が付きますが、擦れるとすぐに色が剥げます。短時間で楽器が作れると業者にとっては安く入手出来て高く売れるので「天才」と映るわけですが修理するには地獄です。

有名な作者でも何でもない楽器でもこのようにメンテナンスを施して使い続けることでいつしか鳴るようになっています。急いで雑に作られたものならそもそも汚らしい印象なのでメンテナンスする意味もないかもしれません。正しいお金の使い方を理解してもらいたいものです。
新作楽器では鳴るかどうかではなく、音の質や性格が大事だと思います。中古楽器には無い種類の音のものなら新作楽器を作る意味があるでしょう。新作楽器で音に欲張りすぎることは弊害も起こすことでしょう。


こんにちはガリッポです。

4日間休みを取っていました。
一週間30℃を超える日が続いていたのでレンガ造りでエアコンもない建物は熱をどんどん貯めて日ごとに温度が上がっていきます。じわじわとこたえて仕事をしていてれば今頃は夏バテしていたことでしょう。
旅行などに行くこともなく、朝7時ころに散歩に出かけて風の通る景色の良い日陰にいて昼前に熱くなってきたら家に帰って暑さに耐えるというだけの暮らしでした。音響工学的なことについていもいろいろな試みをしていますが楽器製作に生かして発表するまでには至っていません。

しかし今年が例年よりも特別暑いということもなく、欧州熱波の様なニュースも聞かなかったことでしょう。海外の冷夏はニュースにならないのは不思議ですね。

雨が多いと洪水、雨が少ないと干ばつ、気温が高い、気温が低いと毎年何かがあり、農家は政府に支援を求めます。何なら豊作でも価格が下がって支援を求めるでしょう。それに対してヴァイオリン職人は政府から何の支援も受けられません。人数が少なすぎて選挙に影響が無いからです。

このような意見は自分の利益を求めるだけで正当性などはないと思ったほうが良いですね。聞く価値もありません。


弦楽器は未熟な産業で、ユーザーの求める水準とは全く違う現実があるのにいくら説明しても理解されないことを問題視してきました。

迷信がとても多く広まっていて、我々職人が学ぶ知識さえも怪しげなものが多いです。そこで私は徹底的な「結果主義」を推しています。
人は物事に原因を求めます。それが分からないと気持ち悪いようです。何か現象が起きた場合に「分からない」と放置するよりも迷信を信じるほうが安心するのでしょう。


音が悪い楽器が作られる理由は主に3つあるでしょう。
①手抜き
②迷信を信じている
③偶然

①の手抜きはコストを安くするためにも行われます。多くの場合外観よりも内部の仕事が雑になっています。不真面目でめんどくさがりな職人も多いです。ヴァイオリン製作学校や工房で先生や師匠に言われないとすぐに手を抜く人がほとんどです。このため学校の生徒よりも質が落ちるハンドメイドの楽器が多くあります。

②まじめに作っていても我々が学ぶ知識さえ迷信が多いのです。特に思い込みの激しい職人がいます。自分は音が良い楽器の作り方を編み出したとか、尊敬する師匠に教わったとか、ストラディバリの秘密を解明したとか自分は音が良い楽器の作り方を知っていると思い込んでいる人がいます。思い入れが強くなると希望的観測になってしまいます。
それは私も例外ではありません。
結果主義がいかに大事かということです。

③何も悪い所が無いのに音が良くないこともあるでしょう、それは偶然ですが理由は分からないままでしょう。そんなことも有り得ます。

そもそも音が悪いということも定義するのは難しいです。100人中100人が同じ楽器の音が悪いと感じることはまれでしょう。音が良いということも同じです。

そうなると好き嫌いの問題になってしまいます。

私は粗悪に作られていて、職人としてあるまじき行為だと憤慨する楽器があります。しかし弾いてみると音が良かったりします。私は許せない楽器で、私が弾いても音が良くないと思うこともあります。でも他の人は音が良いと気に入ることがあります。この楽器はここが良くないので音が悪いはずだと文句を言うことはできません。
逆にこれは見事な楽器だと思って修理しても弾かせてみると反応が芳しくないこともしばしばです。

仕事で体験するのはそんなレベルの話です。

チェロであるのは金属的なとても鋭い音を好む人がいます。チェロではスチール弦が99%以上使われていますが、新しい世代のスチール弦ほど金属的な耳障りな音が減少しています。弦メーカーはこれを改良だと考えています。
しかし、新しい弦は気に入らず古いものを使い続ける人もいます。
ベルギー駒というタイプの駒も90年代以降に流行ったのでしょうか?これも鋭い音がするもので未だにつけたがる職人がいます。フランス駒では柔らかく上品な音ですが、それでは他のチェロよりも目立たない地味な音になってしまうからです。

このため我々が試して、極端に鋭い音のチェロがあったとしても、そのようなチェロを選ぶ人がいるというのが事実ですから、調整して柔らかくする必要もありません。

強烈な音のチェロは安価なものにあります。たくさんの高価なチェロを試して気に入る音のものが無い場合には、意外と安価なものにあるかもしれません。特に100年くらい前の量産品には強烈な音のものがあります。ミルクールやザクセンの量産品を試してみるべきでしょう。

客観的に考えれば安物の楽器のほうが音が気に入るということも有り得ますが、一般の人で高い楽器に気に入る音のものが無い時に安価な楽器から探そうとはしないでしょうね。安いものには嫌悪感を持ち食わず嫌いして試そうともしないでしょう。「結果主義」なら話は違います。実際に才能あるチェロ奏者がそのような楽器を選ぶことはよくあります。私は職人として憤慨することです。

このように演奏家と職人は良い楽器について意見が分かれることもしばしばですから、「専門家」に過剰な期待はしないほうが良いという現実を知ってください。


最近分かってきた課題は、一般の人には楽器の違いが全く分からないということです。
この前もヴァイオリンを10本くらい売りに来た人がいます。興味が強くてとても好きな人で多くコレクションしているようです。そのすべてのヴァイオリンが修理して売り出す価値もないガラクタでした。さらにひどいのはニスを剥がして塗り直したり、自分流の修理を施してあったりしたことです。それをプロのレベルにやり直すのはさらに大変です。
興味が強い人ほどガラクタに惹かれて行くようですね。マニアほど違いが分からないようです。ランダムで選んだ方がマシでしょう。

ヴァイオリンをたくさん持っている人はすぐにこれは怪しいなと思います。不用品のようなものが売られていると後先考えずにすぐに欲しくなってしまうのでしょう。合理的に考えれば良いヴァイオリンが一つあってそれを弾きこむことが最良です。いくつか持っていてもどれか一本ばかりを弾くようになるのが普通です。
趣味だから買った喜びを再び味わいたいとなるのでしょう。自動車でもしょっちゅう買い替える人もいるし何かのコレクターではすでに持っているのに同じものをいくつも買う人もいます。

ギターなどは何本も持っている人は多いですね。10年くらいしたら飽きて違うものを買います。ヴァイオリン族の弦楽器もそうなってくれるとたくさん売れて良いのですが…。

それに対して、用途に応じていくつものヴァイオリンを使い分けるというのが難しいです。弓であればプロの演奏者なら大抵何本か持っていて音楽の時代などによって使い分けていることが普通です。現代の曲では弓を痛めるものがあります、安価なカーボンのものが必要です。

しかしヴァイオリン製作の世界は保守的で「ストラディバリが最高である」という考えが固定して、またストラディバリモデルの作り方から派生した現代の作風も固定しています。ディーラーの方でも値段が高いか安いかだけで音の方向性について語られることもありません。


職人は値段が高い作者でも、見ればそれが並の職人が作るものと変わらないことが分かります。この前も2000万円くらいするようなチェロがありました。ミラノのモダンチェロです。見るとごく普通のチェロです。ニスを見て残念な感じがするのは私も同じ失敗をしたことがあるからです。オレンジのニスを均等に塗ってありますがなぜか立派に見えないのです。私もそこから研究が始まりました。
見た目が普通のチェロですが、試してみると音もごく普通のものでした。
チェロにはよくあることで、有名なイタリアの作者のものでも見習の職人レべルのものがあります。チェロは作業量が多いので手抜きをしていることも有り得ますし、実際に雇っていた見習の職人が作った可能性があります。それを私たちは分かります。

でも演奏家の人は2000万円のチェロというと何か特別なものと思い込んでしまうのでしょう。持ってきた人はヴァイオリン教授です。この人もたくさん楽器を持っていて困ったものです。高価なオールド楽器を使っていたこともありますが、今は作者不明のモダン楽器を使っています。そんなものです。


大きな勘違いが二つあります。
中古品では量産品やただの粗悪品に高価な作者の偽造ラベルが貼られていることがとても多いです。そうやって言ってるのに引っかかる人が後を絶ちません。

次の問題は本物だったとしても別に大したものではないということです。ですからニセモノのほうが音が良いということもあります。

安価な偽物は音が良いはずがないと思い込んでいるのならそれも間違いです。高価な作者の楽器の音が良いという保証は何もないのです。

そう言うと音で楽器を買うわけじゃないという人がいます。私は音よりも楽器の見た目の方の専門家です。見た目と値段の不釣り合いについてはもっとわかります。
でも演奏家の多くは音が良い楽器を求めていると肝に銘じなくてはいけません。

そのような職人のほうが演奏者の信頼を得て商売は繁盛していることでしょう。ニスは薄い方が音が良いと言う職人がいます。しかしすぐにはがれてしまいメンテナンスが大変です。厚くニスを塗り直すしかないですが、それで音が変わってしまうと私は「下手な職人」だと思われてしまいます。だからそのような楽器は作った職人本人が罰としてメンテナンスをするべきです。

楽器を選ぶ理由について、見た目については一般の人は違いが分からない、音でもないとすれば何なんでしょうね?

有名な演奏者が使ったとか、創作された作者の伝説とか、他に何でしょうか?人に自慢できるものというのなら当ブログを見てもしょうがないです。いくらでも他に情報があることでしょう。

結果がすべてと言うと、新作楽器は厳しくなります。実際に実用性という点では厳しいですし、新作楽器の中で音が良いものが数百年後にどうかといえば分かりません。派手な音がするものは数年後にも耳障りな嫌な音になるかもしれません。音の質で考えたほうが良いかもしれません。







こんにちはガリッポです。

職人は楽器店の営業マンやユーザーとは全く違う楽器の見方をしています。それも人によってさらに違います。
弦楽器の違いは一般の人にはさっぱり分からないようです。自分では違いが分からないので営業マンの語る訳の分からないウンチクを求めていきます。
この問題については未だにどうしたらいいのか分かりません。

私は外国に住んでいて、寿司のようなものはいくら食べたくても日本に帰国したときの楽しみにしています。それは渡欧した当初からインチキ臭い寿司で痛い目に遭っているからです。日本人ではない人が作る寿司以外の日本料理はたいがい自分で作ったほうがましです。

調べてみるとこの10数年の間にSUSHIが大きく様変わりしていました。グーグルなどで「SUSHI」で画像検索をしてみてください。色鮮やかな訳の分からない創作寿司がたくさん出てきます。一番地味なのが本当の日本の寿司です。日本人の寿司職人が海外に店を出してもウケを狙ってそういうものを出しているようです。ミシュランの星がついているのはそんな日本人の店です。外国での日本料理の評価はめちゃくちゃで、素人が家で作ったような天ぷらの店がミシュランの星を取っていたりします。

外国の人に物の良さを伝えるのは難しいですね。弦楽器はその反対です。

残念ながら写真の上が切れていました。週明けに撮り直せたら画像を差し替えます。

このようなヴァイオリンがありました。
どうでしょうか?



ラベルは何もついていません。
量産楽器のようにコストを安くするためのことは特になされてはいないようです。
f字孔は太くなりすぎています。一か所でも手元が狂って失敗してしまうとそこだけがえぐれているとおかしいので他も平均化していくといつの間にか太くなりすぎてしまいがちです。
しかしそれ以外では特にまずい所は見受けられません。スクロールは渦巻きを専門に作る職人のものではないようです。

時代も分かりませんが木材の感じからしても2000年よりは前のものでしょう。作られてから30年くらいは経っているのではないでしょうか?

作者が有名だとか何か特別高価な値段がつく要素はありません。しかし音響的な意味で楽器としては問題は何もありません。

ニスはアンティーク塗装の一種で塗り分けられています。赤い色のニスは薄く擦れて剥げています。このようなものは現在ではわりとよくあります。流行の手法です。すぐにニスが剥げてしまうのが難点で普通量産品ならもっと製品として品質に安定性があります。

裏板も赤いニスの層が薄いために擦れたところが剥げています。

光を落としてみるとf字孔の周りが黒ずんで見えます。これはおそらく薬品を使って表板に色を付けたのではないかと思います。木目の向きによって染み込みやすい所とそうでないところがあります。
パフリングやコーナーなどの仕事も問題なくできています。
ストラディバリにそっくりにしようとかそういうこともありませんのでそれなりに個性があります。

このようなものはどこの誰が作ったのか全く分からない何でもないただのヴァイオリンです。
弾いてみると割とよく鳴る感じがします。モダン楽器にあるように低音はビャーと鳴り、高音はかなり鋭いです。強い音がします。アジアや日本の人は強い張力のE線を好むようですからこのような音は日本人の好みとも言えます。鳴るということで言えば何でもないただのヴァイオリンで十分です。個人レベルでは好き嫌いの問題です。

商品としてみると何の肩書もセールスポイントもありません。ものすごく完璧な美しさでもないし、何かオールドの名器を忠実に再現したわけではありませんがプロの仕事です。営業マンやお客さんはこのようなヴァイオリンがあっても気にも留めないかもしれないかもしれません。しかし職人から見れば人生をかけて修行をした後に大変な作業をして作ったヴァイオリンに見えます。現代の作者で自分で店を持っているのなら自分の名前のラベルを入れるでしょう。なぜラベルが何もついてないのかも謎です。都市部に店を持たず、量産品の上級品なのかもしれませんし、はたまた大きな産地か田舎の町で内職のように一人で家で作って業者に卸していたのかもしれません。卸の価格は50万円にも満たないでしょう。

普通に作って30~40年も使い込まれていればヴァイオリンはそこそこ鳴るのはおかしなことではありません。それに何か特別な理由はありません。このようなものが日本の店頭に並ぶでしょうかね?これに作者の名前がついて末端価格が150万円以上にならなければ輸入しません。何かしら名前さえあればその人を名工だの天才だのなんとでも言えます。

営業マンや一般の人はこのようなものがあっても見ようともしないでしょうね。

私の言っていることのニュアンスが分かりますかね?

オールドの量産品?



これは仕事がとても粗いのが分かりますか?

f字孔もパフリングも雑ですね。

仕事は無造作で使い込まれて摩耗している部分もありますが細部や曲線の美しさに凝っている様子はありません。

スクロールもアマティやストラディバリのようにバランスが取れていません。

これはジョバンニ・バティスタ・グランチーノ作でラベルは読めませんが1600年代の終わりにミラノで作られたものです。値段はこの楽器では状態も良くないのでそこまでではないかもしれませんが良ければ2000~3000万円は軽くします。とても美しいヤコブ・シュタイナーと同じくらいの値段です。
これくらいなら私は100万円もしないザクセンのオールド楽器でも出来栄えも音も変わらないと思います。
このヴァイオリンは横幅が普通のヴァイオリンよりも1㎝くらい細くおよそソリスト用というものではないという点でもザクセンのオールド楽器と変わりません。しかし小さい割には木材がふにゃふにゃになっているのでそこまで窮屈さは感じません。渋い音色と柔らかさだけではなくスケールの大きさについても新作の板の厚いカチコチの楽器には負けないでしょう。


オールドの時代にはアマティやストラディバリ、シュタイナーなど王室や宮廷に献上したようなほんのわずかな作者だけが品質の高い美しい楽器を作っていました。オールド時代の無名の作者のものや別の作者のものにこれらの偽造ラベルが貼られたものは必ずと言っていいほど品質が劣ります。古ければ何でも名器というのではなくてオールド時代にはクオリティの差が大きくあります。

現在では量産品に当たるような安価な楽器はただ単に雑に作られました。貴族社会の時代には名器は特別な存在だったはずです。

それに対して近代以降の作者の場合は、無名な作者のものにも有名な作者のものと同等かそれ以上の品質のものがあります。リュポーやヴィヨームよりも完成度が高いのにそれほど高価ではないフランスの作者もいます。近代ではハンドメイドの楽器のクオリティが著しく上がっているわけですが、一方安価なものは量産品として高度に組織化されて製造されてきました。

このため現代の何でもないただのヴァイオリンでもグランチーノよりは高品質です。工芸品として見ると多くのオールド楽器はただの古民具でしかありません。

現在の人は工芸品としての美しさには興味が無く、性能や機能性を評価します。名演奏者もまさにそのような人たちです。グァルネリ・デルジェスやG.B.グァダニーニなどは粗雑に作られたものです。ベルゴンツィやモンタニアーナでも近代の水準で見ればクオリティが高い方ではありません。それらを名器と考えるなら見た目はどうでも良いということになります。それが音楽家の楽器の見方です。それを名演奏者が愛用したと商売人は名器として販売してきました。



品質は現代の普通のヴァイオリンのほうが高いですがスタイルは違います。


アーチの高さも多少ありますがめちゃくちゃ高いという事でもありません。

ボコボコしたようないびつなアーチでざっくりと鑿で削って作った感じがします。いちいちこだわらずに次々と作っていたことでしょう。

現代のものは途中まで機械で作って仕上げだけ人がやっても変わりない感じです。でも欠点は無いので文句はありません。

鳴る楽器が作れることは別に何か特別優れた結果ではないと思います。それを前回量産品でも十分だよという話でした。

あとは傷み方を見てみると300年という月日は現代の職人がとても似せて作れるようなものではないことも分かってほしいです。50、100年古く見せるのにどれだけ苦労することか・・・・。

ただ写真では実物の何パーセントも伝わりません。言葉だけではイメージしずらいので挿絵的にイメージ写真を載せているだけと思ってください。それもスマホの小さな画面ではなんでもきれいに見えます。できるだけいろいろな楽器の実物を見るようにしてください。私たちはメールの画像などで楽器を購入したりすることは絶対にしません。必ず実物を見ないといけません。

オールドの粗雑に作られた楽器と近代以降に粗雑に作られた楽器を見分けるのが難しいでしょう。そういう怪しい楽器が業者にとっては都合が良いわけです。買う時はただのガラクタで売るときは名器になるからです。見分ける方法は鑑定書だけです。それ以外は私がどう思うなんてことも意味がありません。

音について言えば普通に作ってあるだけでヴァイオリンは十分だと思います。あとは自分の楽器を信じて弾き続けるだけです。チェロはそのレベルのものもなかなかありません。音は好みの問題です。

当初から「ひどくなければなんでもいい」と私の言ってることはまだ伝わっていないようですね。


さてしばらく夏休みとさせていただきます。返信も更新もしないかもしれません、ご了承ください。
こんにちはガリッポです。

会社の倉庫を片付けていたらチェロが出てきました。

長年放置されていたようです。

ミッテンバルトの先代のレオンハルトです。フランス式のヴァイオリン製作を導入したモダンミッテンバルトの雰囲気が残っています。レオンハルトは今でも続いていて日本でも輸入されているでしょう。

スクロールもいかにも量産品で安上がりに作られています。
戦後、東西の冷戦が集結し、中国や東欧の製品が入るようになるまでは西側の国では西ドイツのものが「安価な量産品」でした。日本の鈴木バイオリンもとても安価なものを作っていました。

1982年製ですが、量産品として作られていて当時は安かったと思われます。アメリカや日本にも輸出され中古品が日本にも残っているかもしれません。

日本でドイツの楽器が安物だというイメージはこの頃のものです。そんなことでたいした値打ちもないとおそらくうちの先代の社長が倉庫にほったらかしにしてあったのでしょう。

しかし今となってみると中国製などはるかに安価なものが多くなっていますので40年経っていることを考えると貴重になってきました。フランス的な雰囲気がまだ残っています。

現在の日本でも商品価値があって輸入されているかどうかは別の話ですが、今でもドイツメーカーにはとても安価な製品があります。しかし製造国については公表されていません。我々の間では「分かるよな」という感じです。ネックやペグボックスなどに漢字で何やら印がついていることがあります。
高級車のベンツやBMWが南アフリカで作られていたり、アイフォンが中国で作られていることと同じです。それで言うとさっきのラインハルトのチェロは西ドイツ製です。

この時代のチェロにはこういうタイプの指板がついています。ネックも下がっているので修理が必要です。胴体の方は大丈夫そうです。戦前のものに比べれば修理は楽です。
昔の感覚で言えば100万円もしない感じでしょうけども、ルーマニア製のものでもそれ以上するくらいですから1万ユーロを超えないくらいでしょうかね?アメリカなどでは1万2000ドルくらいはしそうです。
これなら日本にもありそうです。

ミルクールの量産ヴァイオリン


次はミルクールの量産ヴァイオリンです。

これはいかにもミルクールのものという感じのするものですが、一般の人には難しいでしょうね?基本的にはフランスの一流の作者のスタイルがベースになっています。クオリティがそこまで無いので量産品と分かります。前回も言ったようにクオリティによって量産品を見分けます。
ミルクールの量産品も一つの形ではなくていくつかパターンがあります。モデルと言いf字孔と言いこういうのもあります。コピーのコピーのコピー・・・と繰り返していった結果もはやストラディバリの型には見えません。ミルクール独自の形です。
表板の材質は木目の粗い木です。木目の粗い木はモダン楽器ではわりと好まれて使われています。しかしこれはチェロに使うようなものです。

フランスの楽器にしては仕事は大味でf字孔もだらしなく大きく広がっています。

パフリングの先端も先が長くフランス的な感じですがバランスがおかしいです。縁からパフリングまでの距離が遠すぎるのです。

裏板の木材は量産品とは思えないものを使っています。最高級でないにしてもなかなかのものです。形はもうストラディバリというよりもどっちかというと二コラなどのガリアーノみたいです。楽器のモデルというのはちょっとしたことで見え方が変わってしまいます。製造クオリティも重要な要素です。しかし物理的に違いが出るほどではなくそれで音が決まるというほどの違いではありません。したがって職人やメーカーは希望する音にするためにモデルを設計したり選んだりすることは現実的な話ではありません。このような知ったかぶりの知識が溢れています。
仕事は大味ですがフランス的な特徴があります。このためミルクールの楽器を見分けるにはまずフランスの一流の楽器を理解する必要があります。
ニスはラッカー的なものでしょう。時代は1900年を過ぎているくらいでしょうか?ミルクールのもので1800年代のものはもっと木材が灰色~みどりっぽくなっているものです。おそらく薬品のようなもので反応させて色を付けていたのでしょう。

スクロールの縁が黒くなっているのはストラディバリを模したものでフランスのモダン楽器では基本です。
量産品にしてはきれいですが、一流のフランスの作者のレベルにはありません。
指板が薄くなっているので交換が必要です。

正面も直線的にピシッとしているように見えます。それでも一流のレベルではありません。
指板の幅が広いのがフランスの特徴で、ドイツやチェコのものはもっと細いものがついています。フランスのものでもバロック時代のものに比べれば細いですが、ドイツやチェコのものはもっと細いです。これは持ちやすさを考慮して細くなっていったのです。近年では体格がよくなりても大きくなっているので極端に細くはしません。
指板の幅に伴ってペグボックスの幅も違います。イタリアは規格を統一するというのが苦手なので職人によって違いますが、ドイツやチェコのものより太い作者が多いと思います。極端に細いネックの場合にはチェコのボヘミアの楽器である可能性が高いです。

これでも一流の作者のレベルにはありません。

ネックの取り付け方にも特徴があり19世紀のモダン楽器のスタイルが残っています。現在よりも急な角度で斜めにネックがついています。ドイツで1900年頃から量産されたものでは現在と同じものになっています。

ラベルは無く焼き印が押してあります。

本に焼き印が載っています。真ん中の三角になっているものです。わりとよく見るもので生産量がかなり多かったメーカーでしょう。時代もかなり開きがあるようです。

一流のフランスの作者のものに比べると質が何段階か落ちます。板の厚みも少し厚くギリギリまで薄くしていません。普通くらいでしょうか?
したがってフランスの一流の楽器の品質が落ちて厳格さを失った感じです。

この楽器で驚くのはサイズが大きいことです。横幅が普通のストラドモデルよりも1㎝ほど大きいです。

大味で仕事の粗いものですが工場製ということでストラドモデルの細かい特徴を理解していません。初心者が作ったようにも見えます。でも極端に安価な量産品の粗さではありません。まあまあ丁寧に作っているけども美的なバランスが分かっていないという感じです。

音は?

今回は指板を削り直し、ニスを掃除して、弦を新しいものに張り替えました。ペグは柔らかいローズウッドで摩耗してブレーキが効きにくくなっています。交換すべきですが持ち主は大丈夫なのだそうです。
指板もラストチャンスです薄くなりすぎてこれ以上は無理です。

修理が終わって弾いてみるととてもよく鳴るのが印象的でした。明るい音と暗い音の中間くらいです。新品でこの音なら暗い方でしょうが「ビオラのような」というほど暗い音ではありません。
量産品ではありますが、弾いたら楽しくなるような鳴りの良さがあります。ハンドメイドの楽器でもこのようによく鳴るものはそうそうないでしょう。頭で考えるのではなくて一度このようなものを弾けば「量産品だろうがハンドメイドだろうが関係ない」ということが分かると思います。

なぜこのようによく鳴るかというのはよくわかりません。同じメーカーのものがあって良いだろうと思って買うとそんなでも無かったりします。何か秘密があるのではなくてたまたまでしょうね。どこの産地にもあるので木材の産地がどうとかそいう事でも無さそうです。作り方の問題なのか、その後100年間で鳴るようになったのかもわかりません。
サイズがかなり大きいことの音への影響はよくわかりません。少なくとも低音が強い「ビオラのような音」にはなっていません。大きさによってビオラのような音になるわけではないと思います。カギカッコになっているのは実際にはビオラも明るい音のものが多く、深い低音のものは多くありません。

よく日本で明るい音が良いということが言われますが私にはピンときません。ヒトの耳はすべて音の高さが同じように聞こえるわけではなく、1000~2000Hzあたりが他の音よりもよく聞こえます。ヒトは測定器ではなく生存競争に生き残って来た生物です。そのことが周囲の環境を把握するのに有利だったのでしょう。スイカなどのように音で果物が熟しているかを把握することもできます。また赤ちゃんや子供、女性の声が聞こえやすい音域であることも生存率を高めた事でしょう。明るい音というのはおそらくその辺の音が倍音も含めてよく出ている楽器ということになるのでしょう。どうやってヒトが音を音波以上のものとして感じるのか興味深いです。このためもっと低い音が出るビオラのような音は地味に聞こえるという事なんでしょう。しかしこのように本当によく鳴る楽器というのはそんなレベルではなくて引いた瞬間に明らかに板がよく響いて音が豊かに出ます。そういうものが日本には少ないのでしょうかね?音色が明るいだけでは鳴っているとは思いません。暗い音でよく鳴る楽器はあります。

これも教師のお客さんのものですからよく弾きこんでいるからなのかもしれません。教師が量産品を使っているというのも楽器の実力からすれば全くおかしくないです。
こういうものは修理では来ますが売り物ではあまりありません。

一流のフランスの作者のものからすればクオリティは落ちますが、楽器の構造上は十分なレベルにあって、運よく鳴るようになっているようです。

それに対して作者を神様のように信仰の対象にして高い値段をつけて売っています。骨董品の値段などは過去にその値段で買った(愚かな?)人がいるので、それ以上の値段をつけて売っているだけですよ。音を評価して値段をつけているわけではありません。

この宗教を信じるためには、量産品は音が悪くないと都合が悪くなります。神様のような作者が意図的に音を作り出しているという体裁になっていないと困ります。量産品は部品ごとに別の人が作っていて、設計思想に統一感が無いために音が悪いというのです。

私も20年以上やってきてこれはであることが分かってきました。このことは迷信を捨て弦楽器を理解する上での根幹にかかわることです。量産品でも音が良いものがあります。分業でも十分なレベルにあれば問題はありません。意味は分かっていなくてもヴァイオリンのようなものを作れば好き嫌いの範疇であってそうそう極端に変な音にはなりません。一方一人の職人が作っても各部の組み合わせでどんな音になるか予想するのは困難です。変な音のヴァイオリンを作って欲しいと言われてもその作り方も分かりません。ヴァイオリン製作を習って初めて作ったヴァイオリンからヴァイオリンのような音になりました。フランスの弦楽器製作のレベルが高いのでそれより仕事が甘い量産品でも並みのハンドメイドの作者と変わらないレベルのものが有り得ます。1850年以降のものはイタリアをはじめフランス以外の作者もフランスの一流の作者のものから何段階か仕事が甘くなったものですから。宗教を信じている人の間ではストラディバリと同じイタリア人は生まれながらにして神様なんでしょうけども。私は職人を人間として見たほうがより真実のイタリアの楽器の魅力が理解できると思います。

でもミルクールのものは音が良いかというと、木材が朽ちて弱った感じのものが多い印象があります。それは薬品で処理した副作用かもしれません。この楽器はたまたまよかっただけです。

フランス製でも粗悪品は粗悪品です。この楽器は見た目よりは音が良いです。一流の職人のものと比べるとはるかに大雑把で美的なバランスは悪いけども仕事自体はそれほど悪くありません。新しめのミルクールのヴァイオリンにはあまり良い印象を持っていませんでしたが、結局一台一台音を確かめないといけません。
こんにちはガリッポです。

弦楽器ではニセモノが問題になりますが、資産として扱うにも問題があります。
持っているだけでなんとなく価値がありそうだとは思っていても金額として数字で表さないといけない場面もあるでしょう。
骨董品では専門家に価値を査定してもらう必要があります。


先週も一件問題が起きました。
裁判所から楽器の価値を証明する書類を作るように求められました。
400万円ほどの価値があると言われているヴァイオリンがあって、正式な書類を作って欲しいとのことです。しかし楽器を見ると修理代を差し引けばせいぜい10万円位のものです。
詳しくは言えませんが、依頼書には作者名も不明で金額だけをべらぼうに書いてありました。

一般の人は弦楽器の価値が分からないため、「専門家」の意見だけが頼りになります。それがデタラメでした。
師匠は「書類を作成する価値もない」と依頼者に説明しました。
これが弁護士なら30分単位で高額な費用を請求することでしょう。

その楽器を見ると量産品のように品質が安定しておらず、手作り感はあります。しかしヴァイオリン製作学校の生徒のものよりも劣るクオリティで材料もチープなものです。うちでは手作りだとしても量産品以下のクオリティのものなら量産品の最低ランクの値段にしか評価しません。

工業製品では機械で作られたものと手作りのものがあります。
例えば機械ではとても出せないような精度のものを高度な技能を持った職人が仕上げることもあります。一方手書きの文章が読みにくいように、手作りの方が品質が悪い場合もあります。
手作りなら機械で作ったものよりも品質が悪くても当然なのでしょうか?

弦楽器は1500年頃に形が出来上がったので、機械で作ることを前提に設計されてはいません。このため機械で高度な技能を持った職人以上の品質のものを作ることは困難です。小さい楽器ほど顕著で難しくなります。大きな楽器になると職人も細部まで精密に加工していてはコストがかかりすぎてしまいます。一方大きいほど機械で作るには適しています。このためコントラバスなどは無垢材でも100万円以下で作れます。

ともかく資産としては「専門家」のさじ加減一つで財産の金額が決まるのですから恐ろしいものです。クラシックの歴史ある国でもこんな状態ですから、弦楽器無法地帯の日本で楽器を資産として考えるのはリスクが高いですね。また子供やライフワークのために全財産を投入することがいかに危ないことか知るべきです。

私も日本の職人仲間に「信頼できる業者を教えて」と聞いても黙りこくって返事をもらえませんでした。心当たりがないのでしょう。

保険でも全損になった場合の補償額を巡って保険会社側が弦楽器の専門家ではない専門家の書類を元に補償額を決定したこともありました。弦楽器特有の条件を考えずに、一般の商品と同じように価値を査定していました。一般の商品ならカタログ価格から一定の期間を過ぎて価値を一定の割合でマイナスにするようです。損害額は保険を掛けたときよりもはるかに少なく計上されていました。戦前に作られたものでカタログ価格などは無く骨董品です。評価額が数年で下がることはありません。保険を掛けたときの評価額がそのまま損害になるべきです。楽器専門の保険会社でないとこういうトラブルは起きます。また、評価額は掛け金に影響してきます。少なくとも物価上昇分は楽器の価値が上がるので定期的に評価額を見直さないといけません。

他人事だと思ってさらっと読み飛ばしてしまうかもしれませんが、私にはどうすることもできません。


もう一つは趣味の分野としても成熟していません。
私は趣味がジャンルとして確立するにはメーカー、販売者、消費者の三つともが「バカ」である必要があると思います。
趣味の世界では「バカ」というのは誉め言葉です。釣りバカ日誌という作品がありますね。
メーカーはコストを下げて低品質なものを作れば多く儲かります。販売者は安いものを高く売れば儲かります。高学歴エリートで銀行出身の賢い経営者はそうするでしょう。

消費者はどうしたらいいでしょう?
たかが楽器なんてものに全財産を投入するというのがバカげています。
業者がずる賢く消費者だけがバカであると賢いメーカーと販売者に騙されてしまいます。
損するのに高品質にこだわるメーカーはバカでしょうし、正直に情報を提供して適正価格で売るのは「バカ正直」です。3者がバカなら成立するでしょう。

現状では消費者だけがバカなので搾取されます。
お客さんでもそのような人は少ないです。日ごろはぜいたくな生活はせず、音楽や楽器にだけにすべてをささげるような人は少ないです。特にヨーロッパの方がそういう偏った人は少ないと思います。

こちらでは夏休みに国外旅行に行くのが普通です。この前もお客さんが話をしていて、これからニューヨークに行ってそのあとは地中海のリゾートに行きますと言っていました。日本人と違って一週間どころではなく、何週間も行っています。学校の先生は夏休みも長いのでみなキャンピングカーを持っています。日本でキャンピングカーを持っているなんてどこの富豪かと思うわけですが地方公務員のレベルです。
旅行に行くためのお金には糸目をつけない代わりに楽器にはお金をかけません。夏休みには楽器の練習もしません。それがヨーロッパでは普通です。
夏に国外旅行にもいかず練習するなんてのはこちらでは変人の部類です。

日本人はとかくマニアックな人がいて一つのことにとても集中します。子供の教育でも楽器の練習が生活の中心になります。そこを突いてくるのが賢い業者です。


もともとクラシック音楽もお金持ちのパーティーの「出し物」に過ぎないと思います。芸術家がそんな仕事でも熱意を持っていたのは別の話です。その辺の感覚が日本人には分かりにくい所です。それがクラシック音楽を理解するヒントになるのではないでしょうか?

とにかくヨーロッパの人は集中力がありません。人が何人か集まるとすぐにパーティーが始まります。工房内はおしゃべりがうるさくて調整や試奏をする楽器の音が聞こえないくらいです。日本では考えられないくらいおしゃべりな人が次から次へと表れます。工員も無駄話ばかりしながら仕事していることでしょう。日本製品と違って品質が悪いのは当たり前です。仕事中におしゃべりして怒られるという発想がありません。おしゃべりな人が出世して偉くなっているからです。

好奇心が旺盛で聞いた知識が多く物事にこだわらず浅くとらえてバランス感覚があります。それが独特な西洋人の美意識ですね。


なぜ弦楽器の世界では大きな会社ほど品質が悪くなるかといえば、品質にこだわるバカな人の割合が少なくなっていくからでしょう。総合楽器店になるとさらに質が落ちますが、初心者には弦楽器専門店や職人の工房を訪ねるのは敷居が高いと感じるでしょう。最近ではアマゾンなどをはじめネットでも楽器を売っています。このため今でも99%は量産品です。品質にこだわる職人なら売るものは違ってくるでしょうがそんな人は大手の企業には就職しません。

イメージの話ですが1%は高品質な楽器があります。
その違いを見分けるのが職人の目です。作者が天才かどうかそういう事ではなく、コストを削減するために粗悪なものを作っているかどうかを見ているのです。また素人や不器用な「自信家」の職人のものは手作りでも自分に甘く同様に粗悪なものがあります。1かゼロではなく間があります。細かいグレードの違いを見ています。生産国はどこの国でも品質の悪いものと高いものがあります。品質の高い国と低い国があるのではなくどこの国でも粗悪品があります。粗悪品を作る人は、会ってみたらすごく常識があって感じのいい人かもしれません。むしろ高品質な楽器を作る人は頭がおかしい方の人です。

なので生産国名を見るのではなく楽器自体を見ます。これが職人以外の人と違う楽器の見方です。

品質が高いとは限りませんが何かのきっかけで有名になった作者のものはさらに1%以下、つまり0.001%にも満たないというのが私のイメージです。値段が品質を表すというレベルではなく桁違いに高価になるのはそのためです。無名な高品質の楽器なら100倍くらいは現存するし音が悪いわけでも無いので職人としては最もお薦めしたいものです。職人が選んだものの中ら名前にこだわらずにいくつか試奏して好みのものを探せというわけです。



しばらくしていなかった恒例の「3者のプロ」の話をまたしましょう。
弦楽器の良さを分かると思っているプロには3者あります。

①演奏家
②楽器商
③楽器職人

①の演奏家は楽器を用意すると楽器をちらっと見たかと思えばすぐに弾き始めます。がどうかと気にします。楽器の見た目の違いは分かりません。音大の教授でも量産品とハンドメイドの楽器を見分けることはできません。プロの演奏家が音で楽器を見分けた場合と職人が見た目で見分けた場合ではどちらが正しいでしょうか?パフリングの素材が量産工場で使われていたものならどんなに音が良くても量産品です。
作られたときから半分壊れているような粗悪品が意外と音が良いことがあって教師などに評価されることがあります。後で修理代がいくらかかるかわかりませんが、作られたときから酷いものは直しようが無いです。また偉い先生が持っているからといってニセモノではないということはありません。聞かれなければ言いませんが私が見てニセモノだなと思うことはあります。特に日本では偉い音楽家ほど怪しい業者が集まってくることでしょう。

②の楽器商にとっては安く買ったものを高く売ることが最大の成功であるため一番重視することはお金です。営業マンで自分も買い付けもするとすれば、自分の営業成績を高めやすいものです。私にとっては懐かしい話ですが、日本では会社に「朝礼」があって営業マンは今月の売り上げを言わされます。売上額が十分でなければ叱責されます。このため必殺のセールストークで「売れやすいもの」売上高である以上は「高く売れるもの」が何よりも重要です。音大卒の営業マンが音で選んだとしてもその人の趣味をごり押しするか多数派にウケやすいものが評価されるでしょう。弦楽器が好きで上質なものを売る楽器店を始めたいと申し出てくる人がいれば、「やめとけ」と業界関係者は口をそろえて言うでしょうね。まじめに弦楽器のことを勉強しても知られている知識がデタラメなのでまじめに先輩から勉強するほどお客さんを騙すことになります。

③職人は品質を見ます。品質というのは難しい概念ですが一つ一つの作業を上手くこなしているかを見ます。それぞれの工程で油断すると失敗してしまいやすい箇所というのは誰でも同じなので、失敗したまま見逃して売られているものは品質が悪いということです。ハンバーグを初心者が焼くと外が焦げて中が生焼けだったりするように失敗は決まっています。外観が変わっていても下手なだけでは他の下手な作者のものと雰囲気が似ているのでそれを個性とは私は考えません。しかし一般の人には分からないので偽造ラベルが貼られます。
ただし品質が高いからといって必ずしも音が良いというわけではありません。こんな情報も当ブログ以外で知る機会はそんなにないでしょうね。一見科学的なアプローチをする職人でも、結果としての音を自分の都合のいいように評価している人は理系的な趣味趣向があるというだけで科学とは正反対の態度です。


こうなると楽器をたくさん並べて3者のプロが良いと思う楽器を選ぶと全く別のものが選ばれることになるかもしれません。それぞれのプロ同士でも意見は分かれます。したがってこの世に絶対的な弦楽器の評価などというものは無いことになります。


これだけの話を理解すれば十分です。これ以上ブログを見る必要もありません。しかしどんな話をしても一つ話をすれば読んだ人は10、いや100通りの勘違いが生じます。そのすべてをあらかじめ予測して注意事項を書けば一つのことを説明するだけでその100倍の記事が必要になるでしょう。
私が知っていることも一部です。おとり捜査や潜入調査しているわけじゃないし、修理や保険の手続きなどに持ち込まれた楽器で被害が発覚するだけで、特にダーティーな部分はあり得るとしかわかりません。書いてあることで不十分だと思うなら私では期待にこたえることはできません。

いずれにしても一般の人は楽器を見ても違いが判りません。私は一瞬で安価なものだと分かるものでも、一般の人にはわかりません。私はこれくらいは分かるだろうと記事を書いてきましたが舐めてました。申し訳ありません。

とかく日本人はブランドが好きで・・商人気質の国民性のせいにしてきましたが、一般の人には違いが分からないのでそういうことになってしまうのではないかと思います。

趣味としても違いが分からないと面白くありません。私がオールドヴァイオリンを褒めれば偽造ラベルの貼られた近代やアンティーク塗装された新作の量産品を買ってしまう人が出てくるでしょう。
近代以降ストラドモデルのヴァイオリンを作ってもみなちょっとずつ違っていて作者の癖というのがあります。それは違いです。昔テレビで素人のど自慢大会のようなのがあって、審査員の偉い演歌の作曲家か何かの先生が「君の歌は誰かの真似で個性が無い」と酷評していました。作曲された演歌の曲こそ皆似ているように思いますが、そんな価値観を擦り込まれてきます。そんなレベルの話ではなく粗悪品が多い中、上級品の時点で私は価値があると思います。
しかし私には違いが分かっても他の職人や一般の人には違いが分からないこともあります。

今後どうするか考えないといけません。


ヴァイオリン①


これがどれくらいのグレードのものか分かるでしょうか?



これは20世紀前半のマルクノイキルヒェンの大量生産で特に安価なものです。中は削り残しのバスバーです。
裏板を見ると木材がチープなのはすぐにわかります。色に差をつけてありますが、中央の溝と上部の色を濃くしてあります。この時グラデーションが滑らかになっています。これはスプレーを使っているでしょう。スプレーは19世紀には発明されていて20世紀には実用として使われ始めたと思います。今はコンプレッサーの機械を使いますが昔はボンベを使っていたようです。
スプレーの技術は洗練されていてきれいに塗ってあります。しかしオールド楽器にはそんなものはありませんでしたから古い楽器のようには見えません。ニスの種類はラッカーになります。ラッカーはセルロイド系の素材です。

傷がついていますがわざとらしいものではないので本当についた傷ではないかと思います。真っ黒にはなっておらず100年くらい前のヴァイオリンの本当の傷はこれくらいの感じです。
値段は10万円以下のものは修理する値打ちも無いです。売り物になる古い量産品はこのような最低レベルでも10~20万円位にはなるでしょうかね?
これでも表板を開けるような修理が必要になったらもうゴミです。
音はすごく嫌な耳障りな音はしません。スケールが小さいはっきりした音のように感じます。

ヴァイオリン②


次はどれくらいでしょうか?



これはf字孔が印象的ですね。
一見するとガルネリモデルのように思うかもしれませんが、f字孔が細長くとがっている以外にはガルネリモデルの特徴はありません。
ラベルには作者名がヘルマン・グラスルで産地はミュンヘンと書いてあります。

一見してクオリティが高いのですぐに一人前の職人のハンドメイドのものだと分かります。作られた年は1919年です。

ミュンヘンというとオールドの時代から楽器職人がいて、ベネツィアに行ったマーティン・カイザーはベネチア派の礎を築きました。近代でもミッテンバルトの影響があったり、イタリアからジュゼッペ・フィオリーニが移住して来たりしています。
しかしこの作者の出身地がどこかわかります。

ペグボックスの突き当りが丸くなっているのです。これはどこでしょう?
そうですチェコのボヘミアです。

本で作者に調べてみるとどんぴしゃりでボヘミアの出身だと書いてありました。ハンブルクでゲオルグ・ヴィンターリングの下で修行したおじさんに教わっていて、そのほかにスイスやロンドン、ウィーンでも働いていています。そしてミュンヘンで独立したようです。
これだけいろいろな所に行ったのにボヘミアの特徴がちょっと残っているのが面白いですね。

ニスは赤く柔らかいオイルニスで典型的なこの時代のドイツのマイスターたちの特徴です。今でもオイルニスは柔らかいから音が良いとか、ラッカーは硬いから音が悪いという知識がありますが、この頃の考え方です。私は実際には必ずしも音がそうであるとは言えないと思います。ですので音を重視するなら気にすることはありませんが、高級品と量産品を見分けるポイントになります。


それにしてもf字孔に特徴がありますね。ガルネリ的なものですがもっとオーバーになっています。尖ったf字孔というのは初めに糸鋸で荒く切り抜いた時にすでに尖ったf字孔になっています。そこからナイフで丸みをつけていきます。ストラディバリ以降のf字孔に慣れているとアマティのような丸みまで削るのは怖くて生きた心地がしません。したがって尖ったf字孔になるのは仕事を早く切り上げているだけとも言えます。それがデルジェスの特徴です。同じ時期のザクセンの楽器にも大きく尖ったf字孔のものがありますがガルネリモデルではなく偶然の一致でしょう。
これは近代ですから当然ガルネリの影響があるでしょう。
赤いニスも20世紀の初めに好まれたものです。現在でも国際的なヴァイオリン製作コンクールを見るとこんな色のものが多いです。ボヘミアだとどちらかというと黄金色みたいなものが多い印象です。この時代のドイツのマイスターの楽器というのは20世紀から現在に至るまでの世界的な作風を先取りしていたということになります。

コーナーにははっきりした特徴があります。2004年に出版されたドイツのヴァイオリン製作者協会の本に代表的なモダンの作者の楽器が集められています。見るとコーナーは全く同じです。スクロール、ヘッド部分は全く同じです。f字孔は長いけどもここまで尖っていはいません。
まず本物と思って間違いないでしょう。

中にもサインがありますが、指板の下のところにサインをしてある楽器は初めて見ました。焼き印も横板のエンドピンのそばに押してあります。

この人もドイツのヴァイオリン製作者協会に所属していた人でモダンの作者を代表するマイスターです。にもかかわらず世界では知られておらずオークションなどの記録もありません。相場などは無く、値段は新作楽器よりも安いくらいでしょう。1万5000ユーロを超えるのは難しそうです。100年前のドイツを代表するマイスターでも世界では全く知られていません。何故かというと楽器商は誰も興味が無いからです。商業的に面白みがないと作者の評価さえもされないのです。一方同じ時代のイタリアの作者なら粗雑なマイナーな作者まで知られています。

個性的な楽器を高いクオリティで作ったにもかかわらず無名なままです。セールスマンがイタリアの作者を「個性があるから良い」というのならこれも個性があります。ウンチクというのは口で言ってるだけで実際とは関係がありません。実際にイタリア以外にも個性的な楽器があります。未知の名器を探求する情熱を持った人がいないんでしょうね?

アーチは縦横ともに断面が三角形に近く頂点はかなり高さがあります。

ミルクールの量産品のような極端に平らなものではなく立体感があります。ボヘミアの作者はフリーハンドの立体感があります。これは記憶が定かではありませんが、同じ作者のフラットなものも見たことがあるように思います。
このアーチの感じは同じミュンヘンのジュゼッペ・フィオリーニの感じにも似ているように思います。その辺の影響があったのでしょうか?フィオリーニや弟子のポッジなら値段が一桁違います。同じような楽器作りの考え方があって個性的でも大違いです。

100年以上経っている割にはきれいですね。柔らかいオイルニスは擦れても消しゴムのように薄くなっていきますし、ベトベトしていて汚れが付きやすいです。この楽器の状態からするとそれほど弾かれていません。

写真でうまく写らないくらい微妙な汚れがついています。掃除したときにf字孔の周辺に取りきれなくて残ります。本当に50年~100年くらい経った楽器はこのようにうっすらと汚れが付く程度です。この感じを人工的に再現するのはとても難しくうまくできているものは見たことがありません。わざとらしいものが多くこの手の汚れを見えている職人がいないんでしょうね。私も成功していません。このような残り方をするのはアーチの表面をきれいに仕上げてあるからです。これが粗雑な楽器だと凹凸に汚れが反映されもっと汚らしい残り方になります。まず一級のクオリティの仕上げの楽器を作らないとこういう汚れの残り方にならないのです。
また汚れの見え方はニスの色とも関係があります。暗い色のニスならほとんど見えません。鮮やかな赤でも目立ちにくいでしょう。しかしほんのりと汚れがあり全くの新品とは違います。

ちなみに板は厚めで、20世紀にはよくあるものです。現代的な板の厚さと考えて良いでしょう。

気になる音と楽器のランク

修理はネックの入れ直しと表板の割れが過去に直されています。今回は指板を交換しただけです。

個性的な楽器ですが音はどうでしょうか?
私が弾いた感じでは音は出やすくて新品のようなカチコチの感じではありません。同じような板の厚さの新品よりも落ちついた音に感じます。極端ではありませんが高音には鋭さを感じます。でも鳴り方自体は似ているように思いますから、現代の楽器が100年くらいするとこんな感じになるんだなと予想されます。
明るい音が良いなら新品が一番音が良いことになるでしょうね。それよりは少し落ち着いてスムーズに軽く音が出る感じがします。新品の板の厚いものを、硬い弓でゴリゴリ鳴らすのが身についている人には物足りないのかもしれませんが、私は100年経っているものの方が音が出やすいと思います。それで値段が新作楽器よりも安いのですから新作楽器に競争力がありません。

ともかく音は見た目とは違い意外と現代の楽器にはよくあるものです。個性が大事だと言ってもそれは表面的なことで現代的な楽器であることには違いがありません。そのためパッと見た瞬間に一人前の職人が作ったものだと分かります。こういう正面からの写真と違って肉眼で見る楽器は、f字孔やモデルのような具体的な形よりも、全体的な仕事のタッチの方が見た目の印象に強く影響するように思います。写真にするとかなり変わっていますけど同じ時代のマイスターのものに共通した雰囲気があります。
そういう意味ではそんなに個性的でもないし音もいたって普通でした。

それなのに個性が大事なのでしょうか?
個性とかそんなことは考えずに弾いてみて音が気に入るということで選んではどうでしょうか?職人は楽器のクオリティで値段をつけます。個性などは評価のしようがないため考慮できません。有名で高価な作者の個性は良い個性で、無名な作者の個性が悪い個性というのなら高い楽器の個性が良い個性で安い楽器の個性が悪い個性と言っているだけです。そんな理屈は論理性がありません。ある程度の理解力のある人ならおよそ納得できないでしょう。
私が言うことはセールスマンが言う事とは全く違います。チャンスを逃したくなければ変なことは信じなくて良いと思います。

個性や自由などは19世紀の近代芸術ででてきた思想でもあります。その時代では主流の考え方でしょう。しかし普遍的なものではありません。オールドやモダンの名器が作られた時代の思想ではありません。保守的な芸術に反抗する運動が起きましたが、19世紀の弦楽器の業界はストラディバリを最高とするまさに保守的な世界の代表で個性的なものが評価されることはありませんでした。20世紀には厳格なストラディバリモデルが守られなくなり、素人の職人でも「これが俺の作風だ!」と言い張ることができるようになりました。
音楽でも20世紀には作曲家の間では現代音楽が主流です。皮肉にも20世紀以降の作品は方向性が皆似ているように聞こえます。これが嫌いな人はクラシック界を去っていくことでしょう。演奏会を開いてもお客さんは集まらず、作曲家は映画音楽に仕事の場を得ています。ショスタコーヴィッチやストラビンスキー、レスピーギでも古典を模した曲ばかりが演奏されます。音楽がどうあるべきかは皆さん一人一人が考えることです。それと同じように弦楽器もどうであるかは個人個人が考えることでしょう。

真に個性的な音の楽器を作るにはどうすれば良いでしょうかね?それが問題です。現代的な楽器ではないものを作らないといけません。

今回は同じ時代のドイツの楽器の上と下を紹介しましたが、その間があります。その微妙なグレードの違いを見分けるのが大事です。間違っても現実の楽器では天才とかそんなレベルの話ではありません。

作者にはそれぞれ癖があります。ストラディバリモデルで作っても癖がありますそれが違いで、わずかな人にはわかります。音にもそれぞれ癖があります。工業製品の技術革新のようなものではありません。寸法を変えて自在に音の好みを作ることもできないので国ごとに美意識による音の違いがあったとしても作ることができません。音の好みは人それぞれで音の個性も客観的には評価のしようがありません。