ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ヴァイオリン、ビオラ、チェロなど弦楽器の良し悪しを見分けるには、値段とメーカー名を伏せて試奏し、最も気に入ったものを選ぶのが最良の方法です。
しかしながら、よほどの自信家でもない限り不安になってしまいますよね?

そのため知識を集めるわけですが、我々弦楽器業界は数百年に渡って楽器を高く売りつけるため、怪しげなウンチクを広めてきてしまいました。

弦楽器の製作に人生をかけたものとして皆さんはもちろん、自分を騙すことにも納得がいきません。
そこで、クラシックの本場ヨーロッパで働いている技術者の視点で弦楽器を解明していきたいと思います。

とはいえ、あくまで一人の専門家、一人の製作者としての「哲学」ですから信じるかどうかは記事をよく読んでご自身で判断してください。


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こんにちはガリッポです。

休暇を頂いて一時帰国していましたがまた始動します。
アマチュアからプロの先生方まで新しく作ったヴァイオリンを試してもらいました。

私の作る楽器の音が、日本で見られる他の新作楽器とは明らかに違うという事を言っていました。

私も初めてヴァイオリンを作ったときにはよくあるような新作楽器の音でした。それで満足して「自分は天才だ!」と思っていると幸せかもしれませんが、そこで終わりです。
初めてヴァイオリンを作ったときはとてもうれしかったのと同時に音にはがっかりしたのを覚えています。

なぜ有名な作者でも無名な作者でも新作楽器が皆似たような音になるかと言えば、現代の楽器製作には「セオリー」があるからです。こう作ると音が良いと職人たちの間で信じられている常識があるのです。
弦楽器製作には1900年頃には世界的な流行がありました。時代の流れを先取りする人は何かこれまでにない優れた事を知っているように見えます。そうやって有名になった20世紀の職人たちが教え子を育成したためです。

人が犯してしまう根本的な間違いは、弦楽器製作で音が良い楽器を作るために何か特別な技術があるのだろうという思い込みです。
特別優れた楽器を買いたいと思っている人のニーズに合致しているので、そのような「目新しい理屈」は魅力的に見えます。自分よりも詳しい専門家、職人にとっては先輩格の職人が語っていると真実のように思えてきます。これは人から聞いた知識で安直に会得しようとするずるい態度ですね。レポートのコピペと同じです。

音が似通っているという事は、ありとあらゆる可能性を試した上で自分の作風を確立しているのではなく、先人が通った決められた道だけを通り、有名な職人の弟子だというセールス文句で高い値段がついているだけです。

ここで大事なのは希望的観測ではなく音を実際に聞くという事です。偉い師匠の楽器の音を聞いた時に正直な感想を持つことです。これはみなさんにもぜひ心がけていただきたいことです。「忖度(そんたく)」という事は最近問題になるまでは当たり前のことでした。高価な楽器に対して正直な感想を言えない立場があるかどうか考えてみてください。

群れで生きる動物では、危険を察知したり、恵まれた環境を探す時、自分で考えるよりも先に周りについていくという性質があります。人間にもこの性質が備わっています。群れには順位やボスもあります。音が変わらないのに一部の楽器の値段だけが著しく高騰する理由は音響物理学の分野の話ではなく、生物学的な根拠のほうが説明できることでしょう。

それでは音は個人の趣味趣向の孤立した世界なのでしょうか?

オールド楽器という世界があります。
年末にはフランツ・ガイゼンホフという作者のヴァイオリンについて紹介しました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12949215950.html
私はとても美しい音のヴァイオリンだと思いました。
オールド楽器の魅力を知る人たちではこのような音の良さを感じることができるでしょう。新作楽器の世界では他の楽器より派手で目立つ音を良しとしているのに対して、渋く味わい深く清らかで透明感があり美しい音です。少数派の変わった趣味趣向では無く「現代のセオリー」を学んだことで遠ざけているのです。

こうなると全く相反する二つの理想の音があるというわけです。
どちらを好むかは個人の自由です、自由主義の社会だからです。
どちらかしか知らないのならそれを知る経験をした方が良いでしょう。

ガイゼンホフの興味深い所は1809年に作られたヴァイオリンでオールドと言うにはやや新しいです。同じ時期にフランスでモダンヴァイオリンが確立すると各地に伝わっていたオールドの流派は途絶え置き換わっていきました。初期のモダン楽器ではこのような柔らかく美しい音ではなく、耳に刺さるような鋭い音のものが多くあるように思います。1850年頃に作られたモダン楽器があと数十年で音が真逆に変わるとは思えないのです。ガイゼンホフも数十年前にすでに柔らかい音だったことでしょう。

こうなると、オールド楽器のような音というのは単に古さによって自動的にもたらされるものではなく、何か作風の影響なのではないかと思うのです。

私が実際にオールド楽器の作風を研究しそのように作ってみると、新作楽器のような音ではなく、どちらかと言うとオールド楽器の音の片鱗を感じさせるものができたのでした。
つまり、初めから楽器が持っている音があるので、現代の名工の楽器が300年経っても今のオールドの名器のような音にはならないという事です。初めから同じような方向性の音のものが作れば300年後には今のオールドの名器のような音になることが確実でしょう。

なぜ現代のセオリーで作られた楽器の音がオールドのものとは違うのか考えてみましょう。

もちろん私の仮説が間違っているかもしれません。何も言わないで占い師のような神秘的なことを言う方が得でしょう。そうやってこの業界は語って来たのでした。
ハッキリしたことを語る方がリスクです。あくまでイメージしやすいように単純化した模式的なものです。これまでの経験を総合して大雑把にこんな感じという仮説です。実際はもっと複雑です。

音の性格がどのようにして決まるのかの一例を模式的に示してみます。
表板や裏板にはそれぞれ、響きやすい音の高さに違いがあります。横軸には音の高さ、縦軸にはその音域の音がどれくらい出るかを示しています。
音色を決定づける要素は低音と中音の量の違いです。弦楽器というのはその音程の高さの音だけが出るのではなく、同時に様々な音が出ます、倍音というものです。倍音という表現も人によって理解がバラバラです。この楽器は倍音が出るなどという人がいて倍音が出ることが良いことのように言われることがありますが、倍音が出ない楽器なんてありません。

低音が響きやすく中音が響きにくい楽器では暗い音、低音が響きにくく中音が響きやすい楽器では明るい音になります。

それに対して音の鋭さや柔らかさは高音の特定の音の高さで感じるようです。その高さの音が強く出れば、鋭く耳障りに感じられ、少なければマイルドに感じます。

この時音色に関わる低音や中音の割合については板の厚みに規則性を見出せます。板が薄いほど低音が出やすく暗い音になるのに対して、板が厚いと低音が出にくくなります。しかしものすごく厚いと中音すら出なくなるかもしれません。

オールド楽器のような深い味のある音を出すためには、現代のセオリーとは違って板を薄めに作れば良いという事です。

多くの楽器を見てくると柔らかい音の楽器というのは実は珍しいです。鋭い音の楽器は最も安価な楽器にでも見受けることができます。日本に帰ったときにいくつかのヴァイオリンを見ましたが、もっとも安価なドイツの量産楽器やドイツの比較的上等な量産品、高価なイタリアの現代の楽器のいずれも鋭い音でした。
つまり鋭い音の楽器はよくあるもので、そうなる方が普通という事です。高価な値段で普通の音の楽器を買う意味があるでしょうか?

特別柔らかい音の楽器はオールド楽器で経験します。そのような楽器にはどんなにチープなE線を張っても上質で美しい音がするのに対して、現代の鋭い音の楽器に同じ弦を張ったら耳をふさぎたくなります。名器を弾く演奏者の真似をしても全く無意味です。その弦が良い音だという知識が広まり自分の楽器に張ると「これが良い音なんだ」と思ってしまいます。

やはり柔らかい音というのはオールド楽器ならではという事になります。

耳障りな高音をどうやったら抑えられるのかは私にも全く分かりません。
現代の作者でも柔らかい音の楽器を作る人はいます。私もその一人です。私はどのような作風で作っても鋭い音になったことがありません。
そのような癖を持った作者はいるとは思います。私の周りの職人にもいます。しかしながら店頭に並ぶことは少ないようです。売り手の責任でしょうか?やはり商売をしていると派手な音の楽器の方が売りやすいのでしょうか?
そうでなくても売りやすさでは巨匠だの名工だのセールス文句の方が重要で音にこだわらずに仕入れていると鋭いものが多くなるでしょう。そして高価な作品の音だから「このようなものが良い音だ」と思って買ってしまいます。安い楽器でも同じなので試してみないといけません。


このような周波数特性による説明はほんの一面でしかありません。他の様々な要素が複雑に作用していることでしょう。私が言いたいのは音は物理現象にすぎず作者が天才だとかそういうものではないという事です。

音楽家が職業に使う道具としていかに使いやすいかという基準で評価すれば私が考えている事とは全く違う発想になります。先生も世代が若くなるほど音の美しさを軽視する傾向があるようです。


ともかく私には天性の癖があり柔らかい音になります。柔らかい音が良いのか鋭い音が良いのかは好みの問題でしかありません。鋭い音の楽器を作る人が天才と言われているなら私は才能が無いという事になりますがチープな製品を作る量産工場の工員や機械も天才という事になります。一方柔らかくて美しい音を望む人たちにとっては天賦の才能という事になります。

答えは200~300年後に出ることでしょう。そのように音を作る才能を評価することもできません。

皆さんに知ってもらいたいことは楽器の音が評価されて値段に反映されているわけではないという事です。

何が良い音がどうかの基準すら定まっていないのです。


私が最も面白がっている点は、昔の人が弦楽器とはこういうものだと思って作っていたものに特有の音があるという事です。当時の人たちも神様ではなく、その時代の常識や流行があり他の職人が作っているのと同じようなものを作っていたはずです。現代風の楽器の作り方はまだ知らずに自分が知っている唯一のものを作っていただけです。その結果がオールドの音です。現在でも不可能ですが当時工学的に「音を作る」方法は無かったと考えています。

現代の私には現代風のものとオールド風のものを選択して作ることができるのです。
これは購入する人にとっても同様の貴重な選択肢となります。
輸入産業である日本の弦楽器店では円安によって経営状態はひっ迫していることでしょう。ますます選択肢を絞ってごり押ししてくることでしょう。
円安下なので日本人の楽器に注目するべきでしょう。


個人の聴覚にはとても個人差があります。音について共通の話をすることは難しいです。自分の所属する集団の偏った思い込みに染まらないためにもクラシック音楽の歴史のある国で仕事をしている私のブログは貴重なものとなるでしょう。

こんにちはガリッポです。

昨年末完成させた2本のヴァイオリンですが、A.ガリアーノを使っている常連のコンサートマスターに弾いてもらいました。自分で弾くのと離れて聞くのが違いますし技量も違い過ぎます。
まずピエトロ型を弾くと暗くクリアーな音ですがタイトに引き締まった感じで音が強く芯のある音に感じます。
聞いていた同僚は力強い音だと言っていました。
コンサートマスターはできたてホヤホヤの楽器だというのが信じられないというようなことを言っていました。10秒でも20秒でも弾けば弾くほどどんどんほぐれていきます。特に低音が良いと言っていました。A線などはまだまだだそうです。
製造者としてできることはこれ以上無いでしょう。後は使う人が育てていくだけです。ポテンシャルの高さは感じているようでした。

自作モデルの方はもっと伸び伸びとした開放的な鳴り方で、同僚は柔らかいと言っていました。柔らかい暗い音ですが、モヤモヤした音ではなく枯れた味わいが感じられました。

ピエトロ型の方が個性的な音で、自作モデルの方が優等生的な音だそうです。

この二つを比べればアーチの高さによる音の違いが分かりました。
これまで語ってきた説と同じで、やはり高いアーチの方がタイトで引き締まり窮屈な傾向で、低いほうが自由で伸び伸びとした鳴り方です。
高いアーチの方がダイレクトでシビアで自動車で言えばレーシングカーのような特製なのに対して、低い方が高級車のような柔らかい乗り心地です。クッション性に差があると考えて良いでしょう。

ただし音量については明らかな差はなく、性格として高いアーチの方が強い音で、低い方が優しい音でした。

つまり音量にはアーチの高さは関係なく、音の甘さでもむしろ低いアーチの方が柔らかいものでした。

これは私の楽器での比較ですから、他のすべての楽器がそうであるわけではありません。やはり高いアーチの楽器のほうが細く引き締まり、低い方が懐が深く融通が利くという事ですね。ただし、他の条件が比較的近い私の楽器同士の違いですから、板がとても厚いものでアーチが低くても柔軟性は無いかもしれません。またさほど高いアーチでなくてもアマチュアのような職人の楽器や量産品でも窮屈なものはあります。特にイタリアにはそのような楽器がよくあります。

手応えをはっきり感じやすいのは高いアーチの楽器で、ソリスト的なスケールの大きな演奏も可能にするのは低いアーチという事になるでしょう。一般論で言えば低いアーチの楽器が優れているという事になります、音大などで勉強するならそれが良いでしょう。しかし、現実問題としては予算にも限りがあるし高いアーチの楽器にも魅力があります。音が好きで弾くのが楽しいということは演奏者にとっては大事なことです。フラットでも遠鳴りしない楽器はいくらでもあります。


オリジナルモデルの方がアーチが低いと言っても一般的な新作楽器や19世紀のモダン楽器よりはずっと高くなっています。アーチをもっと低くしていくとよくあるような普通の音の楽器になっていきます。さらに板を厚めにするとごく普通の楽器になります。
それが悪いというわけではありませんが私が作らなくてもいくらでもあります、それなら中古品の方が安くてよく鳴ります。

その後ガイゼンホフを弾いてもらいました。
暗く繊細で美しい音です。一聴してそこら辺の楽器とは世界が違うと感じました。
彼は以前はガイゼンホフの弟子のシュバイツァーのヴァイオリンを使っていました。これも繊細で美しい音で個人的にはガット弦を張るのが好きだと言っていましたが、コンサートマスターとしての職業上の道具として実用性からナイロン弦にせざるを得ず、音にももう少し芯の強さが必要だとのことで、アレサンドロ・ガリアーノに変え、私が修理してよりしっかりしました。
そのシュバイツァーは今はバロックや古典派を専門とする音大の先生がガット弦を張って使っています。
ガイゼンホフもとても気に入ってガット弦を張ってみたいと言っていましたが、業務用の道具とは別の話です。

やはり優れた楽器であってもそれぞれ個性や得手不得手があり、使う人の目的や個人的な好みによっても適材適所です。
また私の作る音の楽器の特徴では、アーチがやや高めくらいでとても柔らかい音になり、はっきり高いアーチにした時に力強さを感じるというものです。これが中程度の高さでも鋭い音になる人なら、高いアーチにしたらもっとひどくなるのかもしれません。

そういう意味で作る方にも向き不向きがあるようです。エンジニアリングのように設計を変えて自由自在に音を作り出すという事はできません。


日本でも様々な立場の方に試していただきたいと思います。


弓については私が弓職人ではないので、楽器と同じレベルでは話ができないという事で語ってきませんでした。例えばマルクノイキルヒェンの上級品のヴァイオリンがあったとき、私はよくできてるけども最高ではないと考えます。おそらく弓職人も同じでしょう、うちの店で戦前のマルクノイヒキルヒェンのマイスターの弓を売りました。買った人は現役の弓職人のところに持って行って見てもらうと、こんなのは良い弓ではないと言われたのを真に受けてしまい、ひどいものを買わされたと返品を求めてきました。

現役の弓職人にはやはりその人のこだわりや理想、独自の品質の基準があります。マルクノイキルヒェンの作者よりも自分のものが優れていると考えているかもしれません。リスペクトや興味関心は人それぞれです

うちでは取引相場に従って弓を売っているだけです。お客さんは手に取ってみて気に入ったものを選びます。現実問題として中古市場で見ると70~80点のクオリティのものでもガラクタばかりの弓の中ではわずかでたくさんの中から選べば実用的に十分使えるかもしれません。楽器も職人が最高のクオリティというものが必ずしも実用性も最高というわけではありません。


弓というのはヴァイオリン用の一番安いのは1万円もしないかもしれません。このようなものは毛替えをする価値もありません。木材の質は悪くとても使い物になりません。まだカーボンの方がマシです。古いものでは骨董的な価値がありません。安価な弓で不安定でフラフラしたり、ネジをいくら回してもしっかりとした張りが得られない経験をした人もいることでしょう。
1000ユーロ以下のものは量産品というものです。かつては大量生産工場で作られ、現在では機械で作られています。もっとも作られる量が多いものです。

モダン弓の製造はモダン楽器と同じくフランスで先行し、19世紀の終わりころからドイツでも多く作られるようになりました。ドイツの弓の産地と言えばマルクノイキルヒェンでした。フランスで修行した職人などが弟子を育成し20世紀になると鼠算式に作者が増えていきました。戦後はドイツが分断されマルクノイキルヒェンのある東ドイツは共産国の中に入りました。
西側の国への販売ができなくなり、経済水準の低い東側の国では上等な弓を買う購買力がありませんでした、戦後になると衰退していきました。
一部は終戦後西ドイツに移住し弓の製造を続けました。主な産地はブーベンロイトです。現在日本で販売されているドイツ製の弓の多くはこのように機械で作られたものです。

それに対してドイツのマイスターの弓というのがあります。最盛期は戦前です。
量産品とはグレードが違います。
値段は通常は3000ユーロくらいです。コロナ前であれば2500ユーロくらいで30~35万円位でした。
弓というのは30~35万円位が上等な高級品だったのです。今の物価と為替で考えると50万円を超えます。新作弓も値上げされていることでしょう。
高級品とはいえ右から左へとどんどん作られていくものでその中で品質が高いか低いかという程度のものです。

つまり10万円以下は安価な量産品で、30万円も出せば上等なマイスターの弓でした。弓というのはそれくらいというのが我々の常識でした。


これはエミル・マックス・ペンツェルの弓です。1887年に生まれ1953年に亡くなっています。

マイスターの弓と言えるだけクオリティが高く、ヘッドの形や部品にも特徴があります、焼き印もあるので本物であることがわかります。
E.M.ペンツェルは1903年からH.R.プレッチナーの工房で働いていて1908~1910年に独立しました。H.R.プレッチナーの初代ヘルマン・リヒャルトはヴィヨームの弟子で値段は1万ユーロ(180万円)以上します。

そのような由来がありシルバー弓の値段は最大で6000ユーロ(110万円)ほどになります。

ヘルマン・リヒャルト・プレッチナーよりは安いですが、一般的なマイスターに比べるとずっと高価になっています。このような価格帯の作者は僅かで100年ほど前に作られ骨董品として見ればお宝という事になります。コロナ前なら60~70万円位で希少なビンテージのマイスター弓という事です。それが日本では新作弓でそれくらいしていたのですから我々からすると信じられなかったです。

ちなみにH.R.プレッチナーの焼き印はヘルマン・リヒャルトの死後も使い続けられ現在でも製造が続けられ登録商標になっています。

これも同じ作者ものです。

同じメーカーであっても弓は一本一本違います。手にとって気に入ったものを選ばないといけません。重さを測ってもバラバラでした。そんなに昔の人は厳密に測っていなかったようです。日本人の感覚とも違います。
こちらもペンツェルの焼き印が押されています。


こちらはC.A.ヴンダリッヒという焼き印が押されています。
ヴンダリッヒという名字の一流の弓職人もいますが、これはそうではなく、マルクノイキルヒェンの商社で、地場産業のヴァイオリンや弓を売る会社でした。メーカーではありません。
ペンツェルが作った弓を商社の名前で売ったのです。
これがなぜペンツェルのものだと分かるかと言えばハンス・カール・シュミット氏の鑑定書があるからです。この弓で1930年頃のものです。

このようなケースはよくあり、ヴァイオリン職人の店でその職人の名前で売られた弓もありました、鑑定士とは大したもので真の作者までわかるというわけです。そのハンス・カール・シュミット氏も高齢でもう鑑定もできないかもしれません。

物置から出てきた中古楽器を売りたいと持ってくる人がいます。ケースには弓も入っており大抵は毛替えをする価値もないほどの安物です。あちこちに損傷があり修理代が弓の値段を超えてしまいます。
ただし中には、マルクノイキルヒェンやブーベンロイトのマイスター弓が入っていることがあります。価値が50万円以上となるとガラクタではありません。
昔はずっと弓の値段が安く何でもないものと思われていました。状態によりますが修理にも5万円以上は軽くかかります。

マイスターの弓のクオリティがあれば、焼き印が違っていても鑑定に出す価値があります。我々も、ただのガラクタや量産品と見分けることは日常的にやっていることです。たくさんのガラクタの中に70~80点くらいのクオリティのものがあれば「これは美しい弓だ」ということで鑑定に出します。量産品の中にも上等なものがあります。

しかしながら、どの弓を買ったらいいかとかいうのは使う人が自分で試して選ばないといけません。1000ユーロくらいの弓でも使ってみて実用上しっくりくれば掘り出し物です。プロの演奏者でも一昔前に30万円位で買った弓を使っている人もいくらでもいます。そのコンサートマスターは音楽の種類などに合わせいくつもの弓を所有していますが、昔から使い慣れているという理由で日本で音大生が使っているよりもずっと安い弓を愛用しています。
いくらのものを使わなければいけないという事はありません。

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

新しいことはありませんが、日常の中で起きた出来事や感じたことを書いていきます。
先入観やイメージではなく、弦楽器の実際を追体験して見方を養ってください。

最も伝わりにくいのはその労力でしょう。
先日はチェロを探しているお客さんが来ました。
大人用のチェロに移行する娘さんが1万ユーロ(約180万円)以下くらいのチェロでどれが良いかと選んでいました。2万ユーロ(360万円)ほどのチェロを参考までに弾いてもらうと圧倒的に音が違うことに気付いてしまいました。
2万ユーロのチェロはマルクノイキルヒェンの戦前の量産品で、中では上等なものです。100万円を超えるような修理をしたばかりのものです。360万円のチェロでも売るための修理に100万円以上必要なら資産としては全然残らないですね。

360万円出してもただの量産品です。
安価な量産品と何が違うかと言えば、安価なものは持ってみると圧倒的に重いです。板を薄くする作業を節約して十分な薄さに作っていないのです。

分かっているなら板を薄く作れば良いじゃないかと思うかもしれませんが、そのように作られたのは作業時間がかかりすぎてビジネスにならなかったからです。
近年では機械が進歩したのでましになっています。

ハンドメイドのチェロも試してみましたが音は芳しくありませんでした。私が作ってもマルクノイキルヒェンのものを超える自信はありません。

作者が天才だとかそんな話はどこにも出てきません。「名工だと言われています」などと言う人は自分で価値を分からないことを告白しているようなもので、恥ずかしいことです。

100年前に量産工場で悪くないかというくらいに作ったら360万円にもなるのです。

物価と賃金が上昇することで職人の仕事は難しくなっていきます。
おそらく私はビジネスとして考えると仕事を丁寧にやりすぎていて、凝りすぎているようです。50%くらいの力で仕事をしなくてはいけないのかもしれません。質が落ちても気にしない消費者だけを相手にするのが生産性を高めることになるでしょう。賃金の安い国で機械で作られた製品を売るというのは他の産業では当たり前です。西ヨーロッパの賃金の高い国では工場の閉鎖が相次いでいます。農場や食品工場では東欧からの出稼ぎ労働者を雇ってしのいできましたが、最低賃金が上がればいよいよ限界です。食料品でさえ東欧からの輸入に切り替えるしかありません。賃上げされても安物を高い値段で買うだけです。「800万円の安物」のヴァイオリンの話もしました。

貧富の差が拡大することで高価な楽器も売れるのかもしれませんが、音楽への情熱を持った人が楽器を買えなくなります。音楽家を第一に考え我々も実用本位に徹し、ボロボロに傷んでいても修理をせずに目をつぶらなくてはいけないのかもしれません。実用本位の現代人の考え方に合わせると作る楽器の質も過去に比べて劣るものとなります。

賃金が上昇するという事はそういう事です。

なんとか仕事の質を高めつつ作業時間も短縮しようと私は日々取り組んでいます。その結果仕事をするだけでとても疲れてしまいます。かろうじてブログの記事を書き上げています。本当に手抜きの仕方を考えなくてはいけない時に来ています。

スマートフォンで見てる人が多くなってきているのでそれも考える必要があるでしょう。小さな画面で楽器の写真を見ても何もわからないので、楽器の画像を載せて解説してもムダですね。私もスマホの画像で見たら安い楽器か高い楽器か全くわかりません。


私は言葉がスラスラ出てくるようなおしゃべりな人ではないのでこれだけの文章を書くにも2時間かかっています。



なんとか続けて行けるようにしたいと思います。

しばらく休暇を頂きますのでよろしくお願いします。





こんにちはガリッポです。

今年は2台のヴァイオリンを作ってきました。ピエトロ・グァルネリ型については前回お伝えしました。


こちらも日本の方のために注文で作りました。
モデルは機能性を考え寸法を定めて形を整えたものです。それが職人の作るものの魅力だと考えています。工業デザイナーの作るような荒唐無稽なものとは違います。全長はやや小型になっていますが横幅は十分にあります。

軽いアンティーク塗装は施してあります。
落ち着いた風合いになっていて傷がついてもそんなに気にしなくていいのは楽です。
ピカピカの新品だと最初の傷でショックを受けます。


アーチは極端に高くはありませんが現代のものよりは少し高いものでストラディバリの多くのものやこの前のガイゼンホフくらいはあります。

少し汚れを表現しています。


明るいオレンジや鮮やかな赤い色のものに比べると落ち着いた風合いがあると思います。これはさらに使うほどに味わいが増して来ると思います。1970年代に造られて今も新品同様にピカピカの明るいオレンジ色の楽器があります。今見ると残念に思います。

音ですけども、何かと比較せず単独で弾いてみるといつもの私の楽器らしい音がします。暗く暖かみがあり柔らかい音です。高音は特に柔らかく美しいものです。
ピエトロ型のものと比べると、ピエトロ型の方が特に低音がボーっと響く感じがします。筒状のものが響いている感じです。高いアーチの楽器では時々あり、前回やや小型のピエトロ型のものを作ったときも同じでした。
それに対してもう少しダイレクトな感じがしましたが、弦に松脂がついてくるとざらざらした感じが無くなってマイルドになって来たようです。できたてホヤホヤでまだ音を判断するのは早いようです。
音の違いについては来月日本に持って帰って試奏してもらって意見を聞きたいと思います。

アーチの高さによる法則性についてはやはりよくわかりません。高ければ高いほど〇〇になり低ければ低いほどその逆になるという事はよく分かりません。

おそらく高いアーチの楽器にもいろいろな音のものがあるということでしょう。

昔から言われてきたことはアーチが平らなほど音量があり、高いアーチの楽器は甘い音がするというものです。
この二つを比べて音量にそのような関係は見られません。
甘い音はどちらもしているように思います。高いアーチのピエトロ型はとても柔らかい音がしていますが、この世にある高いアーチの楽器では細く窮屈な音のものが多くあり刺激的な音のものあります。今回のピエトロ型ではそんなことはありません。
高いアーチの楽器のネガティブな点を克服した作り方をマスターしたという事です。
全ては一長一短です。別の見方をすればこれでも優等生すぎてもう少し窮屈な作りで鳴りを抑えたほうが個性的で味のある音になるのかもしれません。

ただし古くなることでさらに枯れた渋い音になっていくことも念頭に置く必要があるでしょう。そうなると優等生的な特性は、珍しい変り者ではなく正統派としても優れた楽器となります。
また離れて聞いている人には高いアーチ独特の音が感じられるかもしれません。

弦にはピラストロのオブリガートを張っています。この弦は私の楽器の性格と同じ方向性なので個性がより強く出ます。これは考え方で弱点を補うために正反対の性格の弦を張ることも考えられます。
短所を無くすように努めるか、長所をさらに伸ばすかの考え方の違いです。
もともと好きな音の楽器であるなら楽器と似た性格の弦を張ることで持ち味が何倍にもなることでしょう。

ピエトロ型の方で新製品のエヴァピラッツィ・ネオを試してみました。個人的に興味があったことです。
私にとっての関心ごとはオブリガートを超えるかどうかです。弦のレビューの情報を求めて検索して来る人がいると思いますが、期待には答えられません。書くほど不満を抱かせ損しかしません。だったら書くのはやめようかとも思いました。

オブリガートの方が腹の底から声が出るような鳴り方です。裏板から楽器全体が響いているようです。それに比べるとエヴァピラッツィ・ネオはそこまでではなく正確ではないかもしれませんがより表板が響いている感じです。一方弓の当たる感触は明確で反応や発音が良く感じられます。それでもざらざらしたりメタリックな感じはなくきれいな音です。その間に発売されたエヴァピラッツィ・ゴールドやパーペチュアル(ノーマル)は相反する要素が混在するような感じで性格が分かりにくく楽器によって当たり外れがあり鼻にかかったような音になったり、人によって感想も様々で耳を疑うようなこともしばしばです。それに比べると洗練されていると思います。オブリガートでもどちらでもそれぞれの良さがあると思いますので好みの問題としか言えません。オールド楽器に近い音という私独特の基準でも、オールド楽器にもいろいろな音がありどちらもありそうな音です。日本のように建物の響きが悪い環境ではエヴァピラッツィ・ネオの方がマッチするかもしれません。

エヴァピラッツィが出たときのような画期的な感じはしませんが、特に違和感や欠点は感じません。もともと音が良い楽器では間違った選択とはならないでしょう。
弦は楽器によってうまく機能する場合とそうでない場合があります。評判の弦を張ったのに全然良くなかったり、良い印象を受けなかった弦を別の楽器に張ったら豹変することがあります。今回の2台の楽器ではオブリガートで良さが出ると思います。
旧エヴァピラッツィとの直接比較はしていませんが、エヴァピラッツィとオブリガートは分かりやすい性格で楽器との相性もさほどシビアではないと思います。
初心者用の弦からグレードアップするなら両者は多くの人に薦められるものです。しばらくは同社の主力高級弦であり続けると思います。






古代ギリシャでは万物は「土、水、空気、火」の四つの要素からできていると考えられ、近代までそれを教養豊かな人は信じていたようです。
現代では元素や分子で物質が説明されていますし、火などは燃焼現象ですね。元素を構成する素粒子も明らかになっています。

近代以前でも勉強してない人はそれすら知らないわけですが、勉強している人はそれを信じていました。そのようなおおざっぱな区別では万物を説明で来ませんし、間違った理解でもあります。

われわれが弦楽器についてまじめに学んでも同じように見当はずれな大雑把すぎる区別の間違った知識を学んでしまいます。それを否定するにはもっと正確な理論を示す必要があるのかもしれません。

しかし音について説明するのはとても難しいものです。異なる楽器や弓を試したとき、言葉では言えないような微妙な音の違いがあります。

近頃ではヘッドフォンなどを使用する人が多くなってきました。どのメーカーのどの製品の音が良いかとなるとやはり実際に聞いてみるしかありません。
同じ製品についてネットでは高音が弱すぎてイコライザーで強めないと聞こえないと言う人もいれば、高音が強すぎてイコライザーで弱めなければいけないという意見もあります。
耳の形状を測定して最適化するという機能が付いた製品もあるようです。
聴覚とはそんなものです。

くっきりはっきりした音を高音質と言う人もいますが、実際のホールでは音はそんなにはっきり聞こえません。音源の位置まではっきり聞こえるのは細い金属的な音のチープなヴァイオリンで、遠鳴りするものはホール全体に響き渡ります。一方ミュージシャンは自分で楽器を弾いているような生々しい音を良しと考えます。

元素や素粒子のようにさらに分解して音を理解できるでしょうか?
音は空気の振動で周波数だの倍音だの聞き飽きていますが、フルートとヴァイオリンの音の違いは説明できても同じように作られたのにみな違うヴァイオリン同士の音の違いを説明することは難しく、また音の違いを意図的に作り出す設計法を確立するのは私には現実の話には思えません。

私が生涯を費やしても、言われてきた知識が4元素論のようにあまりにも幼稚であると分かるだけでしょう。昨今の楽器の値上がりを見ると生産国や値段、知名度と言った浅い知識をにわかに学んで大金つぎ込む人が増えているようです。楽器製作の専門家が学ぶ理論でさえ現実からはかけ離れています。

それに代わる答えを提示しなければ否定することはできないのでしょうか?


音が良いというのが一体どういうことなのか定義づけるだけでも世界の統一見解を定めることは不可能でしょう。このため音の良さを数値化し値段としてあらわされる事はあり得ません。
職人や研究者がどんな理屈を語っても「私はその音が好きじゃない」という人が現れてしまいます。
使用目的や競技種目のようなルールを限定して行かない限り性能を判定することは不可能です。自動車レースでも1/4マイルの直線を走るレースとさまざなカーブのあるレース場を走るもの、砂漠や雪道を走るものではそれぞれ専用のレースカーがあります。評価するためには価値基準を特定した競技種目・ジャンルを確立することが必要です。

音を判別する専門の職業もありません、現在では偉い演奏者の気まぐれに振り回されています。
テストプレーヤーや評論家などは世の中からは求められているはずです、駆け出しの演奏家なら音楽を演奏するよりもはるかにお金を稼げるかもしれません。実際Youtubeなどでやっている人はいるでしょうし、音楽制作のDTM機材の分野ではそんなので儲けている人もいるでしょう。

それもまたその人の人気が富と権力を産み世界を支配する恐ろしい世界です。楽器店やメーカーは高評価を得るために「評論家大先生」への接待も必要になるでしょう。音を聞かずに言葉を聞いて理解するユーザーを量産するとともに「何であんな音が評価されるのか?」と疑問を持つ耳の良い人も出てきます。ホビーのように産業化されていないのが弦楽器の高尚な所ですが、一方で理解度が何も進んでおらず音や楽器を表現するボキャブラリーが貧困で幼稚だとも言えます。

私の所では楽器を選ぶ時に作者名や値段を伏せて試奏して選ぶのが正しいと考えられています、隣国でも同様の応対をされた日本人の話も聞きました。日本の営業マンと正反対です。知識を学ぶ必要はないどころか害になることの方が多いでしょう。そのようなことを語るのが良識ある専門家の役割ではないでしょうか?
世界の楽器の値上がりなどは全く別世界の出来事です。ヨーロッパから見れば未だにドヴォルザークの言う「新世界」です。



すべては芸術の自由です。趣味もまた自由です。皆さんの自由を尊重します。


今年のブログはこれでおしまいです。
良いお年を!

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こんにちはガリッポです。

まず続報から


ブッフシュテッターの修理を終えたところまでお知らせしましたが、別のブッフシュテッターを使っているお客さんのメンテナンスをしました。

弾き比べてみると音がちょっと違いました。
お客さんのものの方が響きが豊かで音が自由に出やすくなっていました。今回修理したものは遺品として長年使われていなかったものです。やはり古い楽器でも日常的に使用していると音が出やすくなっているようです。作られたのは1760年代で少し古くモデルや個性ははっきりしていますが、一つ一つのディティールはちょっとずつ違います。同じ作者でも音が全く同じということはありません。そちらは私が10年以上前にフルレストアしたもです。二つも同時にあるなんてこともめったにありませんがこれは社長の趣味で、品ぞろえに偏りがあります。

だからお店に売っている楽器というのはお客さんが使っているものよりは鳴りが良くないという事ですね。私が褒めていてもたいしたことがないと思われるかもしれません。


次はガイゼンホフのほうです。
プロのベテランの演奏者が試奏しました。
自分で弾いた時と印象は変わりません。とても美しい音で、耳障りな無神経な嫌な音は一切ありません。とても上品な音です。以前修理前に同じ楽器を試したことがありその時も気に入っていたそうですが、今回の修理ではるかに良くなったそうです。
暗く澄んだ清らかな音で伸び伸びと窮屈さが無く枯れた味も随所に感じます。

鳴るとか鳴らないとかそんな低次元の話をしていたのがバカみたいに思えるほど美しい音です。芸術というのは機械のように性能を競う合うのではなく、美しさに感動できるかという事だと気づかされました。美しさは感じるか感じないかの差であり、感じない人を理屈で説得することはできません。ベテランの演奏を聴いているとヴァイオリンというのはこの世のものとは思えない美しい音を醸し出すことができるものだと実感できる夢のような時間でした。

個人的にはヴィヨームでもこのような美しい音ではありませんでした。
ウィーンのイメージにもぴったり合うものですが、モーツァルト~ベートーヴェンの時代にはバロック楽器が主流で、モダン楽器も普及しておらず、弦も裸のガット弦です。当時の音ではないですね。

世の中は強いものが勝ち残って、美しいものははかないものです。このような美しさが分かる人が世の中から少なくなってきているようです。

一方でおそらくオンラインショップで1万円位で売られているヴァイオリンも持ち込まれました。アメリカで買ったもので弾けるようにしてほしいという依頼でした。
駒のカーブや高さが正しくないとまともに演奏することができないからです。
下手すると弦の方が値段が高くなってしまうようなヴァイオリンです。
弦もアマゾンを見るとセットで1000円もしないようなものがあります。弦も楽器も中国から来ているのは明白です。
穏やかな音のするピラストロのヴィオリーノに交換してもまだ、チープなスチール弦のような音がしました。音が出るか出ないかで言えば音は出ます。指で弦を抑えることで音程の違いを生み出せます。つまり、音楽を演奏できます。ちょっとの手直しで実用的に機能します。同様の楽器がオンラインショップでは4つ以上の星がついているのも、ヴァイオリンとして使用ができるだけで満足しているのでしょう。クラシックのヴァイオリンの難曲に挑戦するのではなく、歌の代わりにメロディーを弾けるくらい気軽にヴァイオリンを楽しむのももちろん良いことだと思います。

音を聞いていると耳障りな酷い音がしています。でも電子機器のようにスイッチが入らないとか誤作動するとかパワーが不足して止まってしまうとかそんなことはありません。ガイゼンホフとは対極に位置するものですが、それで満足している人が多くいるというわけです。木の板に弦を張って馬の毛を張って松脂を付けた弓で擦ったらギコギコと音がする、起きるだろうなという当然の結果です。それがガイゼンホフでは奇跡が起きます。それがオールド楽器のミラクルです。
多くの楽器はこれらの中間に位置します。

1000万円は高価な楽器ですがそれより高価なものでもここまでではないものが多くあることでしょう。イタリア製なら少なくとも5000万円~1億円は必要でしょう。この例のように値段なんていうのはすべて嘘で高い楽器と安い楽器にまったく音の違いがないという事はありません。

しかし測定値のようなものではないので美しさが分からないなら違いも分かりません、値段が高いだけの楽器も存在するという事も事実です。本当にその値段の価値があるかどうか見極める必要があると思います。イタリアのモダン楽器の1000万円とは格が違うと私は思いますが、世の中にそれを知っている人が少なく自慢もできません。

盗難事件が起きていますので、そもそもあまり高価な楽器の自慢はしない方が良いと思いますよ。自宅でパーティを開いて見せびらかして海外に行く休暇も自慢していると犯人にすべて教えるようなものです。SNSでもそうです。


そうは言ってもヴァイオリン職人が良いと思う楽器は、演奏家にはピントがずれているようです。そういうお叱りもあるんでしょうけどもそういうのはもういいです。強制はしないので好きなものを選んでください。




ここから本題です。
ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンが完成しました。
おさらいしておくとグァルネリ家には5人職人がいました。
二コラ・アマティの弟子の初代はアンドレアです。アンドレアには二人の息子がいてピエトロとジュゼッペです。さらにジュゼッペには二人の息子がいてピエトロとジュゼッペです。これが紛らわしいですね。

グァルネリ家で一番有名なのは3世代目のジュゼッペで区別するために「デルジェス」と呼ばれます。それに対して父親のジュゼッペはフィリウスアンドレアと呼ばれます。

二人のピエトロは伯父と甥の関係になります。
伯父の方はクレモナからマントヴァに移ったので「マントヴァのピエトロ」や英語読みで「マントゥアのピーター」と呼ばれます。
甥の方はベネツィアに移ったので「ベネツィアのピエトロ」「ベニスのピーター」と呼ばれます。

作風で言うとアンドレアのヴァイオリンはアマティの小型のモデルで仕事が粗いのが特徴です。二人の息子が代わりに作ったものもあるようです。

アンドレアの息子のうちピエトロは丸みのあるとても美しい楽器を作った人でアーチが高くぷっくらと膨らんでいるのも特徴です。アマティやストラディバリ、デルジェスなどもアーチの高さは様々で膨らんだものもあります。しかしピエトロは決まってぷっくりと膨らんだものを作っていて、ベネツィアの方も同様です。

ベネツィアのピエトロは形が独特です。アマティ以来の調和やバランスは無く部分部分がマッチしていません。チェロくらい大きくなると異様です。ベネツィア派の特徴もあります。スクロールには父の特徴がありますが、デルジェスの影響は全く感じません。

ジュゼッペも高いアーチが基本だと思います。
スクロールの仕上げが甘くノミの跡が残っていることが多くあります、晩年は息子の楽器のスクロールを作っていて1730年代のデルジェスにはジュゼッペのものと思われるスクロールのものが見られます。独特なセンスで美しいものを作ろうというのとはちょっと違う感じです。

デルジェスはストラディバリやベルゴンツィなどの影響を受けた部分とアマティ以来のグァルネリ家の伝統とミックスされています。マジーニなどブレシア派を真似てフラットなアーチにしたなどと記述もありますが、アーチの作りには父と共通する法則が私はあるように思います。仕事が粗く大胆であることは有名ですが、そのようなバックグラウンドがあるため、後の時代の単に雑に作られたものとは違うように思います。アーチも言われているほどフラットなものばかりではありません。これも後の時代に誇張されたものでしょう。


私はアンドレア以外の4人のモデルでヴァイオリンを作ったことがあります。
ストラディバリとデルジェスは定番ですが、それに次ぐものとして私が目を付けたのが伯父のピエトロです。
当時のクレモナ派ではアマティ、ストラディバリに次ぐ美しい楽器で丸みを帯びています。グァルネリ家でも一番腕が良くグァルネリ家の楽器製作の中核でマントヴァ宮廷の楽器製作者としても認められました。
これは私の珍しい視点でデルジェスの不可解な点を理解するのにも知ることは役に立ちます。

私がストラディバリを理解するのにアマティを研究するのも同じことです。しかし弦楽器製作界ではストラディバリやデルジェスはそれまでのものとは違う画期的な発明だと考えられているので、それ以前のものはいわば旧来の悪い特徴と考えられ学ぼうとはされてきませんでした。


高く膨らんだアーチは面白いものですが、日ごろからオールド楽器に接していると魅力的な外観や音のものがあり作ってみたいと思うものです。高いアーチの楽器はイタリアでは1600年代にどうも流行したようです。アマティ自身よりもその弟子やその時代の人たちによってさらに強調されました。それより前の楽器はそんなにアーチは高くなかったようです。つまり平らなアーチは発明でも何でもないのです。

アマティを基本にしながらも独自の癖が加わったシュタイナーもその一人です。シュタイナー以降ドイツ語圏で1700年代に高いアーチの楽器が多く作られました。

高いアーチの楽器の音は様々で窮屈でこじんまりとした室内楽用と形容されるものがあります。しかしそれはすべてではなく、音はいろいろです。

現代では全く作る人がいないので新品でどんな音か作り方も誰もわかりません。
そのなかでピエトロのモデルの良い所はデルジェスのものに近い所です。逆ですね、デルジェスがピエトロに近いのです。これも不思議で父のジュゼッペよりもピエトロの方が構造の意味で近いと思います。美的にはデルジェスの癖があり上下の丸みがなく真っ平らになりコーナーも小さくなっています。ですからピエトロでも「ほぼガルネリモデル」です。アマティ型のものよりも高いアーチにした時にゆったりとしたふくらみにすることができます。

完成しました。


裏板は板目板といって木材の取り方が柾目板と90度違います。この方が板は柔軟性があり柔らかいと思います。



このようにぷっくらと膨らんだアーチは現在では作られることはありません。本当のオールド楽器でも表板は弦の圧力で押され作られた当初よりも低くなっていると思われます。ストラディバリでも結構な高さのものが少なくなかったはずです。新品の時の状態を再現したので実物よりもさらに高くなっています。


現代の楽器製作ではセオリー(理論)があって正しいヴァイオリンというのが決まっています。その通りきちんと作るとコストがかかるので値段が高くなります。弦楽器店に卸す場合には価格が安いことが求められます。したがってセオリー通りまじめに作られていない楽器が多くなります。現代のクレモナでも安い楽器が求められアメリカやアジアなどに輸出されています。末端価格は皆さんの知る通りです。マエストロも細かいことにはこだわらず大雑把に速く作ることを教えます。この教えを聞くと「これがイタリア流だ」と私も初めは思いました。しかし雑に作られた楽器はどこの国でもいくらでもありふれています。


これはマルクノイキルヒェンの戦前の上級品です。ガルネリモデルだと分かりますか?
とはいっても寸法は全くデルジェスとは違い大型です。ヴィヨームなどのガルネリモデルに似ています。

木材は上等なもので安物とは違うことがわかります。ニスは柔らかいオイルニスです。安価な楽器にはラッカーが用いられました。

クラックと呼ばれるひび割れが生じているのもラッカーではなくこの種類のオイルニスの症状です。この場所のように体温や湿気が伝わる場所で出やすいものです。一枚の裏板に合わせて横板も一枚で続いています。


この楽器にはラベルは貼られておらずアメリカなどに輸出され、販売業者のラベルが貼られて売られたりしました。お好きなラベルを貼って売ってくださいというわけです。
値段は現在では6000ユーロくらい(約100万円)はします。

マルクノイキルヒェンでも当時のセオリーが知られていましたが、安い楽器が求められるので多くは安価な量産品でした。グレードは様々で値段も様々でした。
私がクオリティを見て値段を決めるというのは、このグレードのことを言っています。クオリティが高く教科書通り作られているものは値段が高く、粗雑で手抜きで作られているものは値段が安いという事です。材料や製法にも細かくグレードがあります。これを見極めるのは難しく、弓の場合には同じメーカーの細かいグレードの違いがわかりません。

この前のイタリアのペッラカーニではクオリティのグレードが低いのに値段が800万円もするのでおかしいと言っています。

現実はこのように品定めをするので「天才」とか「巨匠」とかそのような概念とはかけ離れているのです。


じゃあセオリー通りきちんと作られた楽器の音が良いのでしょうか?
音は個人の感じ方の問題ですから良いとも悪いとも言うことはできません。しいて言うなら「セオリー通りきちんと作られた楽器のような音」がするという事です。それに対して低クオリティの楽器は一か八かで音の法則性などは分かりません。その音をすべての人が絶対に悪いと感じるとは言えません。私が安物の音だと思ってもそれを気に入って絶賛する人を「あなたは間違っている」と強制できません。


私が問題にしているのはこのセオリー通りの楽器の音とオールド楽器の音がかけ離れているのではないかという事です。つまり現代の弦楽器職人はオールド楽器にできるだけ似た音のものを作ろうというのではなく、理屈でこのように作ると音が良いと信じられているセオリーに忠実に作ろうとというものなのです。
その結果造られたものも、なぜか一台一台、作る一人一人によって音が違います。その中で弾き比べて誰が音が良いかと競い合っています。買う人もどれが良いか選んで買うことになります。
このとき比べる中にオールド楽器が入っていないのです。

それに対してオールド楽器は現代のセオリーからは逸脱したものが少なくありません。職人はセオリーの方を正しいと信じて古い楽器をそのまま学ぶことはしないのです。

製造コストの問題で現代のセオリーできちんと作られた楽器さえもビジネスとしては成立しないため全体の中では少ないものです。しかし、ヴァイオリン製作学校や工房で私たちはそれを学びます。このためセオリー通り作られた楽器は私たちにとってはさほど珍しいものではありません。自分や周りの人たちが作っているので音もだいたいわかっています。20世紀の偉い有名な職人のものがまさに教科書です。教え子たちのものでも音は変わりません。忠実に作れなければ音にもばらつきが大きくなり、さほど腕の良くない弟子の作ったもののほうがよく鳴ったりしてもおかしくありません。


このマルクノイキルヒェンのヴァイオリンを弾いてみるといかにもセオリー通りの楽器の音だなと思います。荒々しい音ではなく鋭いものではありません。上品で上質な方です。でもオールド楽器の感じではないです。言葉では説明できません、弾いたり聞いたりしててみるしかないです。
現代では板が厚めであるのが正しいと信じられていることもあり、重くて底から鳴るような感じではなく楽器の一部だけが振動しているような印象を受けます。それでも100年以上経っているので2000年以降に造られた同様のものに比べると音に落ち着きが増し低音もボリューム感が出て音も出やすくなっています。でもキャラクターとしては明るくオールド楽器ぽさは感じません。この楽器に関しては特別よく鳴るという感じではなく、地道に改善しているなというくらいです。ですから教科書通り作られた新作楽器よりは何段階もレベルアップしています。


それに対して私の出来たてホヤホヤのヴァイオリンを弾いてみると、暗くて柔らかい音です。ギーッとはっきり角のある音ではなくボワッと響くような感じです。高いアーチのオールド楽器では細く尖った音のものがよくありましたがそんな様子はありません。

音色の暗さや音の柔らかさなど、最近試した楽器の中ではガイゼンホフに一番似ています。普段からオールド楽器を弾くことが多いので私にとってはそれがごく普通の音です。

新作楽器は鳴らないということを言っていますが、できて数日とは思えないくらいは鳴っています。ガイゼンホフを100とすると80はあるでしょう。70年以上前のペッラカーニよりはオールド楽器のように底から鳴っています。

これは奇跡的なことで私が20年以上やってきたことの成果です。

面白いのは現代では間違っているとされ誰も作らないような高いアーチにストラドやガルネリ以外のモデル、ヴァイオリン製作学校なら先生に怒られるような薄い板でオールド楽器に慣れている者からするとごくまともな音がするのです。

専門家のセオリーから外れためちゃくちゃな方法で作ったら変な音になるはずですがむしろ至極真っ当な音がするのです。これがとても面白いことです。

一方で不思議なことがあります。
ガイゼンホフはそれまでのシュタイナー型の楽器作りを辞めてモダン楽器風に作風を変えて行ってその音になったのに対して、私は現代の楽器製作を辞めて1600年代の作風を目指して似たような性格の音になっている点です。

ガイゼンホフはストラディバリと同じで近代や現代に比べるとやや高いくらいのアーチです。それよりもっと高いアーチで作って同じような性格の音になったのです。つまりアーチの高さによる音の特徴というのは無いみたいです。
ストラド風の楽器作りも革命的な進化ではなく作者や楽器ごとの音のばらつきの範囲内のなのかもしれません。

この楽器が200年以上経つともっと個性の強い味の濃い音になるのかもしれません。
ただ現時点では当たり外れが多く個性豊かなオールド楽器の中では優等生的な感じです。

高いアーチのオールド楽器で感じる癖や窮屈さみたいなものが全然ないのです。癖もないので特に演奏上扱いにくいという事も無いでしょう。もちろんフラットなものや板の厚いものを弾くのに特化した弾き方を身に着けた人には扱いにくいかもしれません。

高いアーチの楽器をいくつも作ってきて、ごく真っ当な音のものを作れるようになったという事ですね。以前からそうだったのかもしれませんが、改めてそうなっていることが確認できました。
理屈で私も高いアーチは音量が無いと初め学んだので、どうしてもそのことが気になっていました。今回のものは私の作ったものの中でも鳴りが良く音量がある方です。
ストラド型でももっと全然鳴らないものがありました。これも不思議で鳴る楽器は初めから違うのでしょうか?

これで音量とアーチの高さは関係ないというくらいのことが言えるのかなと思います。200年以上信じられてきた知識がひっくり変わるヴァイオリン界ならノーベル賞ものの発見です。

作り方がこれまでと変わって来た点は、この何年間の間にアマティやフィリウスアンドレアなど多くのオールドらしい楽器を見てきました。それがアーチの造形の違いになっていることはあると思います。バスバーはやや小ぶりにしました。

そうではなくてたまたま材質やいろいろな部分の組み合わせで結果的にこの音になったのかもしれません。裏板は柔らかい板目板です。つまりもともと作者それぞれに独特の音があり、私の場合にはこれくらいやってちょうど良いという事です。同じことを別の人がやれば全く違う音になるでしょう。作りの特徴で法則性は見いだせないので弾いてみないと分からないという事です。

もっと個性的でもっと濃い味のものが作りたいというのもありますけども、ガイゼンホフと比べて違和感がないというのは現代の楽器の中ではとりわけ個性的で濃い味の楽器でしょう。これ以上の成功は無いと思います。

もちろんお客さんにしてみれば弾き比べて一番音量のある楽器を買うという基準でもっと荒々しい音のものがあり選ばれません。私の出来立ての新品にしては鳴る方だといっているだけで、ただ弾き比べて他を圧倒するものではありません。しかしペッラカーニやマルクノイキルヒェンの教科書通りのものと比べれば鳴らないという感じはしないと思います。そこまで新作は絶対ダメという感じでも無いです。今後鳴りはよくなるばかりです。



さてこのヴァイオリンですけども1月中旬以降日本に持って帰り注文主に引き渡します。
ユーロ高で割高なのでお薦めはしにくいですが製作依頼を考えている人は相談してください。
条件があった方には試奏する機会を設けられればと思います。

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こんにちはガリッポです。

予告通りあのガイゼンホフです。
あらためて音について語ることに難しさを感じています。印象や感じ方もさまざなことに左右されてしまいます。私は楽器を買う人のように何十台もの楽器を比較して試すことはありませんし客観的な評価などは全くできる自信がありません。イメージや分類などは不可能です。どうするか考え直さないといけないかもしれません。

工房内でも感想が違う事さえあります。私の感じ方と正反対の感じ方をする人がいてもおかしくありません。

正直に言うとお客さんとも感じ方が違います。
お客さんにとっては分かってもらいたいところですし、共感が持てる職人が良い職人という事になります。ですから占い師のような曖昧なことを言って分かっているようなフリを演じるんですよ。しかし現実的には聴覚は人それぞれで言わなくてもわかることはないので希望を言ってくれないと無理です。

高価な楽器の音が良いとは限らないという話をしていますが、そもそも特定の楽器を誰にとっても音が良いとは言えません。音について定まった評価などはできないので値段に比例することは無いのです。

一番言いたいのは必ずご自分で音をお確かめくださいということです。

このヴァイオリンは1809年にフランツ・ガイゼンホフによってオーストリアのウィーンで作られたものです。

フランツ・ガイゼンホフ(1753~1821)は南ドイツ、フュッセンの出身でウィーンのヨハン・ゲオルグ・ティアの弟子として修業しその後ウィーンを代表する作者となりました。その影響は弦楽器製作全体に及ぶものです。

最大の特徴はそれまでの南ドイツのものと一線を画する作風にあります。クレモナも支配下におさめたオーストリアの音楽の都で、実物のストラディバリを目にして作風を変えたという事にあります。若い頃の楽器ではティアのものにそっくりで、いわゆるシュタイナー型と言われるものです。
しかし実際にはシュタイナーと全く同じという事もなくやや四角いモデルはストラディバリモデルを予言しているようです。
ヴァイオリンのモデルというのはほんの微妙な違いで見た目の印象が変わってしまいます。異なる名前のモデルでも音響的に違いが出るほどの違いが無いこともありますし、同じ名前でも寸法が全く違うことがあります。

ドイツのオールド楽器ではシュタイナー風のf字孔に特徴があります。このf字孔がついているだけで輪郭が全然違う形のものでも「シュタイナー型」に見えてしまいます。シュタイナー型というのはそれくらいのものです。つまりそれぞれの作者によって全く別の作者のモデルとして個性があるのです。

アマティ型という時もアマティの弟子やその弟子なども含まれます。ルジェリ家やロジェリ家、グァルネリ家もアマティ型ですし、イタリアの1600年代の作者の多くはアマティ型です。
アマティの型をそっくり写し取ったのではなく、当時の人がイメージするヴァイオリンというのはそういうものだったという事です。
ガリアーノ兄弟、セラフィン、グラナーニなどは直接アマティの弟子ではないのにまねて作ったようです。
デルジェスには特に小型のモデルがあり寸法は祖父のアマティ型と同じくらいのものがあります。しかしf字孔の型が独特なためガルネリモデルに見えます。つまり祖父のアマティ型の木枠で作ってもデルジェスの癖があるためにちゃんとガルネリモデルに見えるのです。見た目の印象を言ってるだけで当然音響的な意味での構造ではアマティモデルです。

彼らが個性的な職人というのなら、ドイツの職人たちも同様に個性的でした。

したがってイタリアの1600年代のスタイルがアマティ型、ドイツの1800年以前のものがシュタイナー型というざっくりとしたグループ分けで、音響的な特徴が言えるような統一規格ではありません。音は一つ一つの楽器でバラバラなのです。

シュタイナー風のf字孔がついていると値段がずっと安くなります。この業界では偽造ラベルを貼るのが普通でしたから、シュタイナー型で最も高価な偽造ラベルに張り替えてもたかがしてれていて楽器商にとっては嬉しくないものだったのでしょう。単にお金の話にすぎません。

f字孔が違うだけでもドイツのオールド楽器とは一線を画すように見えます。

このヴァイオリンは木材のランクも高くなくストラディバリモデルの完成度も最高レベルではないかもしれません。
モダン楽器として欠点の無い完璧さを追求したものに比べるとある意味ストラディバリらしいとも言えます。

私は20年くらい前にガイゼンホフの修理をしました。その時はシュタイナー型の偏見を持っていてドイツのオールド楽器のイメージと全く違い驚いたものです。ニスの特徴は赤茶色のものでそれ以前のウィーンの楽器に見られるものです。

ボタンにはFGの焼き印があります。

当然ながらアーチはストラディバリを研究したものです。
ガイゼンホフの若い頃のシュタイナー型のものは本に写真が一点だけ出ています。それはとても美しいものでドイツのオールド楽器の中でも最高水準のクオリティでしょう。間違いなく腕の良いという意味で「名工」であることがわかります。師匠のヨハン・ゲオルグ・ティアの楽器を見ても同様です。ティアも一流の職人でガイゼンホフが作ったものも混ざっているのかもしれません。

フュッセンの近くにはノイシュバンシュタイン城という日本人観光客にも有名なお城があります。ディズニーランドのシンデレラ城のモデルになったあの城です。
フュッセンもドイツでは最も古い弦楽器の産地でヴァイオリン以前から楽器を作っていたのでしょう。歴史的な特産品であり博物館にはたくさんの楽器が展示してあります。私も観光で若い頃に行きました。

当時の私はイタリアの楽器にしか興味がなかったのでシュタイナー型のものがたくさんあっても見向きもせず、唯一展示されていたガイゼンホフに興奮したものです。その後実際に修理する機会が訪れました。

しかし今となるとシュタイナー型の楽器の魅力が分かるようになってきたので無知だったと思います。

若い頃のガイゼンホフのシュタイナー型のものは大変に美しく、今となってはそっちの方が珍しく希少です。
フュッセンやウィーンのオールド楽器全般に言えることで、ガイゼンホフが最高のヴァイオリン職人としてほめたたえられた結果、それ以前の作者が誰も知られていないという事になってしまいました。
特にウィーンの楽器は顧客に恵まれたのか丁寧な仕事のものがよくあります。当然音楽の都で帝国の首都ですからね。

これらが過小評価されていると私は考えています。

そのガイゼンホフでさえも世界ではそれほど知られていないかもしれません。値段は世界での相場が45,000~65.000ドルとなっています。日本円にしたら最大で1000万円位ですから高価な楽器ですね。
しかしながらこの前のペッラカーニが55,000ドルという事を考えると同じくらいの値段ですよ。

ストラディバリのモデルも1800年以降は当たり前になりましたがガイゼンホフは1790年頃に完成させたそうです。
モノマネ芸でも、一度モノマネ芸人がカタチにしたモノマネを真似るのは簡単です。でも初めてマネをするのはとても難しいものです。それまできっちりとシュタイナー型の楽器の作り方を教わっています、それを捨てて別のものを習得するのは簡単なことではないはずです。腕だけでなく目も良いのですから本当の名工に違いありません。


写真に写りにくいのが残念ですが、アーチは単に平らな近代以降のものとは違います。実物のストラディバリを観察して作ったと思われます。
「ストラディバリはフラットなアーチ」という知識を頭で学んで作ったものとは違うのです。今でもこの知識は信じられていてアンティーク塗装されていても何年のどの楽器のモデルだとしてもパッと見ただけで近代や現代の楽器だと分かります。

ガイゼンホフのものはそれとは違い立体的な構造になっています。


スクロールもドイツのオールドとは全く違うもので、ブッフシュテッターよりもストラディバリ型の完成度が高くなっています。



楽器は演奏で使い込まれたものです。本や博物館にはもっと新品同様で完成度の高いものがあります。それでもストラディバリの特徴をよくとらえていると思います。

下の横板は一枚のつながったもので南ドイツの伝統が残っています。これはアマティ派などクレモナの楽器でも時々あります。

この前はさらに古い時代のブッフシュテッターについて紹介しました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12942566346.html
たまたま当時手元にあったのがストラディバリのロングパターンと呼ばれる細長いものだったために細長いものでした。ガイゼンホフでは黄金期と呼ばれる時代の形です。ブッフシュテッターは1750年頃にストラド型を完成させているので40年ほど後にガイゼンホフがより完成度を高めていることになります。

同じ時期にフランスでも同時にストラディバリを模した楽器を作る研究がされていました。したがって誰か個人の発明というよりもヨーロッパ全体での一種の流行のような現象だろうと思われます。モーツァルトが作った曲がその時代の流行の曲であったように、モーツァルトがゼロから曲調を作ったわけではないという事です。

イタリアでもストラディバリの影響が徐々に広まっていきましたがそこはイタリア人、完成度が高いコピーは作られませんでした。

その後進化論でいうところの生き残ったのはフランスのモダン楽器でした。


ブッフシュテッターやガイゼンホフの板の厚みを調べてみると依然としてドイツのオールド楽器の特徴が残っています。つまり外見を真似しただけという事です。ニスもドイツのニスの特徴が残っています。それに対してフランスの場合にはストラディバリの様々な色のニスのうち赤いものを特に選んでさらに鮮やかさを増しました。
もともとフランスのオールド楽器がどうであったかはちょっとわかりませんが、よりストラディバリをよく研究してモノマネの手法を確立したと言えるでしょう。
フランスの場合にはストラディバリ再現するだけではなく、改良を加えて完璧になものにするという思想が込められていました。このため音量に優れ他を圧倒し、19世紀にはフランスの楽器製作が天下を取ったのです。そのことを多くの日本人は知りません。その影響がイタリアにも及んだのがモダンイタリアの楽器です。

ウィーンではガイゼンホフの弟子にヨハン・バプティスト・シュヴァイツァーがいて作風を受け継ぎました。彼はハンガリーに移住しハンガリーのモダン楽器の基礎になりました。また同郷フュッセン出身の弟分にはマーティン・シュトッスがいました。ガイゼンホフの影響をとても強く受けています。彼の楽器のラベルには「王立」とか「帝国立」と書かれています。オーストリア王国や帝国の楽器製作者として認められていたという事ですね。

その後の時代になるとウィーンでも、もはやフランスのモダン楽器の影響を受けることになります。19世紀半ばには世界水準のモダン楽器が作られるようになります。そのような楽器を以前目にしましたが、音もモダン楽器らしく鋭かったですね。


今回は売りに出すために最低限の修理をするのが仕事でした。
指板の摩耗やネックの下がりがあり、駒が低くなっていました。指板の交換により高さを稼いで新しい駒はこんなに高くなりました。


気になる音ですが、ブッフシュテッターと弾き比べてみました。イタリアに移住した人を除けばどちらもドイツのオールド楽器最高峰の名器です。
ガイゼンホフはモダン楽器にも分類することができます。しかしフランスのモダン楽器をモダン楽器の起源とするならまだ影響を受ける前です。

ブッフシュテッターはダイレクトで枯れた濃い味のものでした。それに比べると縛られるものがなく伸び伸びとした音です。尖った強い音のブッフシュテッターに比べて柔らかいです。高音もとても柔らかくモダン楽器によくある耳が痛くなるものではありません。これだけでもその後のモダン楽器を寄せ付けない魅力があります。
ブッフシュテッターに比べると薄味でグランドピアノのような澄んだスケールの大きな音です。ブッフシュテッターも室内楽的ではなく音自体に力強さがあるので、上手い人が弾きこなしたらどちらも違う魅力のあるものでしょう。
以前のブッフシュテッターでもダイレクトな音という印象はありました。作者に共通する音なのでしょうか?また寸胴型というかくびれの小さなモデルにも共通する音の可能性もあります。アマティやストラディバリよりも真ん中のくびれが小さいという意味ではデルジェスのモデルもあります。

同じ時代に同じように作られたヴァイオリンでも音の違いはありますから個性があるのは当然で優劣をつけるのは難しいです。

いずれも暗く味のある古い楽器の音で、ペッラカーニに比べればスケールが大きく底から鳴るように思います。私の印象ではペッラカーニは20世紀の平凡なものです。

私はフランスの楽器がストラディバリをさらに改良したものであるのに比べるとガイゼンホフにはまだオールド楽器らしさがあると思います。ガイゼンホフ本人が若い頃はシュタイナー型のものを作っていて、その技術を応用してストラド型のものを作ったので随所にオールド楽器の要素が残っているのだと思います。

これが初めからモダン楽器を学んだ作者や何世代もフラットなものを作るために道具や製法が進化していったものとは違うのではないかと個人的には思います。このことを職人でも理解できる人は少ないでしょうけども・・・。

ドイツのオールド楽器の特徴が残っていることは私も以前はマイナス要素だと考えていました。しかし近年ドイツのオールド楽器を調べることが多く決して劣ったものではないことが分かってきました。少なくとも現代の楽器よりはオールド楽器特有の音を備えています。

そんなブッフシュテッターとガイゼンホフですがうちの店で売りに出すので円安ユーロ高で不利ではありますが欲しい方は買いに来てください。心配なら空港まで迎えに行きます。二つ揃っていて弾き比べられることはめったにありません。

どちらも安いものではありません。しかし値上がり速度はゆっくりで古いドイツの有名な楽器商ハンマの本にもガイゼンホフやブッフシュテッターが優れた作者だと書かれています。すでに知られていてニセモノも売られていたほどです。しかし現代の「市場」では新しい競売の参加者は学習していないようです。そういう意味では穴場です。

ペッラカーニは楽器商に安く買い叩かれても暮らせるようにせっせと安上がりな楽器を作っていただけです。彼に罪はありません。それを高価な値段で買う人に知識がないだけです。イタリアの現代にも優れた職人はいるでしょうけども私の所で実際に目にするのはそんなものばかりです。それに引き換えガイゼンホフの顧客はウィーンの王室や貴族ですからね。








こんにちはガリッポです。

弦楽器の音は相対的なもので何か比較する対象によって音が違って聞こえます。
同じ楽器を単独で弾いた場合と別の楽器を弾いた直後に弾いた場合では違う音に感じます。比較して違いを聞いているからです。
また弾いた人によって全く正反対の描写になることがあります。それは自分の楽器との比較になるからで、持っている楽器の音が様々だからです。
メートル法などと違い基準となるものが無いのです。大きいだの小さいだの表現するだけでは大きさが分からないように音も言葉では表現できません。

もし比較対象を持たないなら、自己肯定感が強い人は自分に帰属する自分の楽器に満足し、自己肯定感が低い人は不信感を持ちます。
値段が高い楽器を持っていることで自信を保つ人もいるでしょう。

日本人は自己肯定感が低い傾向にあることで高価な楽器を求める心理を説明することができます。
90年代には日本や韓国ではヨーロッパの倍の値段で売れたそうです。ブログを始めた当初でも旅費を使ってヨーロッパに行って楽器を買って帰ってもまだはるかに安いという状況でした。
それが今では円安の進行が止まらずヨーロッパの値段が割高になっています。かと言って日本での輸入価格も上がっているために楽器の値段自体がべらぼうに高騰しています。

そこで安くて音が良い楽器が本当に存在するのなら多くの人にとって有益なはずです。

一方で高級品というのは憧れの対象であり、値段が高いものを信仰の対象として崇めることが趣味となっています。実際に買うことがなくても、高級品を絶賛する情報が注目されます。豪華なお城や宮殿にお客さんがやってきます。ネット上でも実際に買う人がほとんどいない高級スポーツカーの情報が閲覧数を稼ぎ、軽自動車やエコノミーカーの使い勝手などは流れてきません。

その意味では当ブログは面白くない内容となっています。もし高価な楽器を買ったのなら知りたくないことが書いてあるのでもう読まないで墓場まで行ってください。

その面白くない事実を知ることが「弦楽器通」ということです。その話は神話とは違い論理的に物を考える人には納得できるものでしょう。


神話を信じているなら「安い楽器の音が良い」という事実を私がいくら力説しても、聞き流してしまうことでしょう。しかし物理学的な興味関心ではよりおもしろいと思います。

値段は経済の話であって物理の話ではないからで、そのギャップを知ることは本質を理解することに一歩近づくことでしょう。一方数学や理論が好きな人には物理の理屈が別の神話となります。それも許してはいけません。


目の前に起きた出来事を、何の解釈も加えずただ受け入れることが真実を知ることに近づくことでしょう。


前々回、修理の模様を紹介しました。
職人同士でも意見の分かれるヴァイオリン

よくあるマルクノイキルヒェンの量産品とは少し違うものでした。まず年代が19世紀後半と量産品にしては古く、おそらく修理人によって改造されたのではないかと思います。多くの場合量産品の欠点である、表板や裏板の周辺部分の削り残しを加工し、板厚を調整するというものです。

多くの割れがあり、修理が必要でした。
事故に遭えば割れることがありますが、あちこち割れているという事は、よく使い込まれているほかに品質の悪さや木材の変質が考えられます。

量産品であるならば修理代が楽器の値段を超えると、経済的には価値が無くなってしまいます。しかし物理的に価値がない楽器かどうかは別の話です。

このような楽器は安い給料の見習の職人などが職業訓練をするのに最適で、ヴァイオリン製作学校に送ったりしていたケースもあります。

なぜか社長が惚れこんで修理を始めてしまったので、完成させないことには店頭に並べることができず1ユーロにもなりません。
逆に言えばお店が損するという事はお客さんにとっては得という事です。そんな記事です。

修理が終わりました。教科書通りのストラドモデルを高いクオリティで作ったものとは違います。なんとなく雰囲気があります、それを社長は気に入ったわけです。一方でそのような雰囲気のある楽器には偽造ラベルが貼られて出回る怪しげなものでもあります。

裏板には柔らかいニスが塗られており、ただの量産品とは雰囲気が違って見えます。それも不可思議で裏板だけニスが違うように見えます。

ヘッド部分は量産品の中では質が高い方です。

クオリティが高いわけではないけどもタダの量産品プラスアルファの感じです。
3000ユーロ~4000ユーロくらいかなと思います。5年前なら40~50万円位でした。それが現在の円安で60万円以上になります。
仮に間を取って50万円としましょうか?
仕事のタッチが粗くヨレヨレでオールド楽器のような雰囲気もあります、形はアマティ的なものです。イタリアのオールドの偽造ラベルが貼って売られたら悪質な偽物となります。

アーチにはオールド楽器の特徴がありません。近代の楽器です。
ダミーの継ネックもされておりマルクノイキルヒェンの量産品であることがわかります。

弦を張るためにはじいて調弦していると、隣の席の同僚が「よく鳴る」と言ってきました。得てして自分よりも周りの人の方が分かるものです。

弓で弾いても豊かに音が響きとてもよく鳴ります。音は柔らかく刺激的な荒々しいものとは真逆です。どうやら社長の勘は正しかったようです。
このように痛みの激しい楽器で大丈夫かと思うと意外に音が良い経験をします。まさにそれです。

さらに最近ブログで出てきた他のヴァイオリンと弾き比べをしてみました。
①50万円のマルクノイキルヒェンのこのヴァイオリン(ザクセン派)
②600万円のガブリエル・ダビッド・ブッフシュテッター
③800万円以上するジュゼッペ・ペッラカーニ

の3本です。
まずブッフシュテッターとこのザクセンのヴァイオリンとの比較です。
ザクセンのものは豊かに響いて柔らかい音がするのに対して、ブッフシュテッターは暗く味わい深い音がします。ざらざらした振動も心地良く感じられます。とても濃い味わいの音でドイツの楽器だからという事ではなく、二コロ・アマティでも現代の楽器よりもはるかに濃い味の音でした。
音はじわじわと出るタイプでザクセンのものに比べると控えめです。
ザクセンの方はアベレージでいきなり鳴る感じです、アクセルの段階がなくスイッチのオンとオフのような鳴り方です。

ブッフシュテッターの音はオールド楽器によくある特徴だと思います。何でもかんでも音が出るのではなく、取捨選択をして美しい音が出てくる感じです。
出てはいけない音は吸収し、出るべき音が響いている感じです。

物理的に考えると弦で生み出された振動のうち特定の音を増幅し、特定の音を吸収していると考えられます。これがオールド楽器の美しい音という事でしょうか?

それに対してザクセンの方はもっと節操なくよく鳴るものです。しかし刺激的な耳障りなものではないので、高周波の刺激的な音は吸収しているようです。
柔らかい音で音量があるというのはかなりレアです。耳障りな音もダイレクトで大きくは感じます。しかしそれは不快と紙一重です。
それに対してとても柔らかい音がするのは痛みが激しい楽器ならではなのかもしれません。

作られて150年くらいする楽器には音量が大きいものがよくあるように思います。200年以上経ったオールド楽器ではもう少し大人しい音になっているというのは経験します。

ただし、単に弱くなっているのではなく底の深さを感じます。ブッフシュテッターもしばらくいろいろやってると迫力も出てきますし、伸びやさも感じました。限界点が先まであるので上級者が手にすると見事な音になるというわけです。

しかしすべてがそうというわけではなく、ロレンツォ・ストリオーニではただ豊かに鳴るだけの音だった記憶があります。それを多数の人は「優れた楽器」と考えます。となるとザクセンの楽器も優れたものと言えます。
値段を聞かされれば違うように考えるかもしれません。人の思考の仕方の話であって物理現象の話ではありませんね。


この二つを弾き比べた後で、ペッラカーニを弾くと明らかに鳴らない感じがします。弦だけが振動しているかのような刺激的な音がするだけで胴体は響いていません。骨だけで身が無いようです。柔らかい音の後で弾いたためにそう感じたのでしょう。調整をいじっているとザクセンのものの音を忘れ明るく響くようにはなりましたが量産楽器を含めてもよくあるような普通の音のだけです。
ペッラカーニは「メイドインイタリーのハンドメイド」という文句を備えた最低限の楽器でした。
楽器の売買を行ってきたこの業界はニセモノや粗悪品を高く売って儲けることをやってきたのです。だからこの業界での評判なんてのは全く信用できないのです。
商売人にとって大事なのは楽器そのものではなく、謳い文句です。商売人とはそういうものであり、弦楽器だけが違うという事はありません。むしろほかの業界よりもインチキにはるかに多くの情熱を費やしてきた業界ですよ。なのになぜセールスマンの言うことを信じてしまうのでしょうか?

周辺部分に削り残しが多く溝も深く彫られていないため厚くなっています。量産楽器と同様の欠陥で、周辺部分が厚いと、一回り小さな楽器と同等になってしまいます。また板が厚いのとも同様の結果になります。70年くらい経っているメリットはそれほどでもないようです。作者の才能だの名工だのという話は現実からは全くかけ離れています。


この3本を比べてみると一番よく鳴るのは50万円のザクセンのもの、次いで600万円のブッフシュテッター、一番鳴らないのが800万円以上のペッラカーニでした。

ブッフシュテッターのような音はとても珍しく、本当のオールド楽器でなければ難しいのに対して、ザクセンのものも柔らかくてよく響くという希少なものです。ペッラカーニはよくある普通の楽器の感じです。

ペッラカーニが圧倒的に音が悪いかと言うとそこまでではありません。普通くらいは十分にあるのでレッスンに持って行ったり練習することはできると思います。ただし800万円出して、数十万円のものと変わらないというのは意味があるのかなと思います。

多くの人は普通くらいの音であれば、高価な楽器だという思い込みから音が良く聞こえるようです。

それに対してザクセンのものと比べられると相手が悪いです。これは現代の名工と言われてるような人の楽器でも同様です。こんな何でもないザクセンの楽器でも圧倒的によく鳴るので名前を伏せたらその場にいる多数派の評価を得ると思います。我々職人はこのような楽器と比べられたらたまりません。

弦楽器はそんなものです。
経済と物理現象は関係が無いからです。
真剣に取り組むと音をどうやって評価するかという壁にぶち当たります。


また面白いことは今回のものではアマティモデルのようなものが一番音量があり、ガルネリモデルだというペッラカーニが一番音量がありませんでした。値段だけでなく何のモデルであるかも音については何の意味も無いことが分かったでしょうか?

オールドの時代に知られていた方法でヴァイオリンを作った結果、今頃はオールド楽器のような音になっているのです。もっと簡単に作っても音が良く出て多数派の人には評価されるでしょう、そんなものです。工業製品では最初に造られたころは何が重要で何が省略できるかわからないので、初期の方が高価で後の時代の方が安くなることはよくあります。


次回予告なんていつもはしませんが、次も面白い楽器があります。

当ブログ初登場のフランツ・ガイゼンホフです。詳しい人なら知っているあの名器です。ブッフシュテッターと弾き比べられるなんてことはまず無いですね。お楽しみに!
こんにちはガリッポです。

ガブリエル・ダビッド・ブッフシュテッターの修理が終わりました。
一部の楽器の値上がりが激しい中、現実には楽器を売りたいという依頼が多いのに買いに来る人が少なくなっています。物価が上がって負担が増すと、楽器などは優先順位の低いものです。値段ばかり上がっているのに買う人がいないのです。おかしな話です。

円安もさらに記録を超えています。
輸入産業は大打撃で日本の楽器店にも人員削減や倒産などが出るかもしれません。
楽器の在庫は充実していきますが、日本の方には厳しいでしょう。


楽器を売るには売れる状態にしないといけません。
日頃からメンテナンスや修理をしていれば作業は簡単なもので済みます。修行をした職人が常駐する専門店以外で買うと買ってから修理が必要になります。

オールド楽器の場合には必要な修理は様々です。
今回は比較的簡単に済みました。
ペグの穴埋め、ペグの交換、駒と魂柱の交換、テールピース、弦の交換、ニスの補修などです。指板は薄くなっていますがまだ使える範囲内です。

ペグは古くなると一番の問題はブレーキが利かなくなることです。ギュウギュウ押し込むことでさらに穴が大きくなり、最悪の場合にはペグボックスが割れてしまいます。

元よりも太いペグにすることで交換ができます。ただし極太のペグはペグボックス内が窮屈なだけでなく、弦を巻き取るスピードが速くなるので調弦で微妙な調整がしにくくなります。

古い楽器ではすべての穴の大きさが同じではなくなっています。D線だけ穴が大きすぎました。古いペグとペグボックスの穴はテーパーが現在のものと違いました。穴を直すとE線も穴が大きくなりすぎます。そこでDとEの穴だけ埋めることにしました。埋め直した後G線の穴も過去の継ネックの修理の時に問題があることが分かりました。G線も埋め直すことになったのでA線だけやらないというわけにもいかないので全部埋め直すことになってしまいました。売れれば問題の無い費用ですが、楽器はいつ売れるかわからないのです。

修理後の画像です。

見た目は以前とほとんど変わっていませんがニスの補修を終えています。
どれがオリジナルのニスなのかはよくわかりませんが裏板を見る限りではオリジナルのニスが多く残っているようです。

面白いのはあご当てのある側ではなく反対側のニスが無くなっています。昔の構え方も想像できます。
フルレストアのような大きな修理の時にはニスも大掛かりに直します。そうするとあまりにもきれいになりすぎて古い楽器の様な感じではなくなってしまいます。それもまた修理したてというものです。
これは過去の修理で上から無色か薄い色の透明ニスでコーティングされています。コーティングが剥げたり、さらにニスがはがれた部分にまた透明なニスを塗る程度です。表面には無数の傷や凹みがあります、大きな修理されてからまた時間が経過している様子が分かります。古い楽器でも修理したてと時間が経っているものでは見た目が違います。

もちろん修理では古いニスを剥がして塗り直したり、剥げたところを塗りつぶして新品のようにはしません。

この楽器では濃いこげ茶色のニスでいかにもドイツのオールド楽器という感じがしますが、ブッフシュテッターはオレンジ色のニスのものもあります。

私が見たことがあるもっとも古いものは1750年代のものですでにストラドモデルでした。その時代にストラディバリを模して造られたのが作者の特徴ですが、もともとのドイツの作風も残っています。こげ茶色のニスなどはまさにそうですね。
ペグボックスの縁に独特の溝が彫られていますが、ドイツのオールド楽器の本にも同様のものが出ています。若い頃の方がよりストラディバリ的です。

これのおかげでペグの穴埋め作業には神経を使いました。うっかり縁に傷を付けてはいけません。またD線とE線のペグの間には棒が埋め込まれています。これを切らないようにしないといけませんでした。

作者の特徴がはっきりしていて私は間違いなく本物だと思います。様々な楽器に偽造ラベルが貼られ、全く関係の無いものに張られていることもありますが、ブッフシュテッター派の楽器に貼られていることがあります。形は似ていても仕事はずっと雑でアーチが高くなっています。弟子の一族にはコントラバスなどを含め安価な楽器を大量に製造する家族があったようです。ブッフシュテッターではありませんがオールド楽器としては本物です。

アーチはフラットになっていますが、この時代の楽器にしてはという事であって、モダン楽器や現代のフラットなものに比べると膨らみもあります。
またフラットなものであっても、現代のように初めからフラットなアーチを作るために世代ごとに製法が進化してきたものとは違いがあるように見えます。

ヴィドハルムのこともさらに調べてみましたが、レオポルトのおそらく息子と思われるアントニウスが、ブッフシュテッターの弟子となり、のちにフラットなアーチに変わっていったようです。兄弟のマーティン・レポルトにも影響が及び1800年頃にはフラットなアーチになったようです。輪郭の形はヴィドハルムのままでアーチがフラットになるというユニークなものです。
同様に南ドイツ全体でモダン楽器に切り替わっていきます。
ヴィドハルム家の楽器でも様々なグレードの楽器があったようでクオリティは様々です。本に出ているものではとても美しく高いクオリティで作られているものがあります。シュタイナーに次ぐものとして有名になったことも納得です。このような差はオールド楽器ではイタリアのものでもよくあり、実物を見ると本に出ているものと印象が異なる場合がよくあります。本に載せるという事はよりコレクター向きの楽器でしょうね。


いずれ指板の交換が必要になり、その時には駒も交換が必要になります。最小限の費用で売りに出すなら駒の交換も必要ありません。それでも駒交換はすることになりました。

このようなオールド楽器では交換するために新しい魂柱の接地面と長さを合わせて加工するのは難易度が高いです。表板や裏板が変形していることと、内側に魂柱によって傷や凹みがついているからです。ドイツ的な台地状の高いアーチの楽器では特に難しいく理論的には不可能ですらあります。もともと入っていた魂柱も全然表板や裏板のカーブに合っていませんでした。

しかし今回はオールド楽器ではまれに見るほどうまくいきました。ガッチリ魂柱がはまると胴体が一体化して最大のパフォーマンスが発揮されると思います。
しかし現実には、少し緩い方が遊びができてバランスが良くなる場合があります。板が厚く頑丈で硬すぎる楽器では顕著です。下手な魂柱の方が音が良いというわけです。

魂柱を動かす調整をすると魂柱は斜めに傾き角で表板や裏板にヘコミを付けます。演奏者は音にしか興味がないので、こだわりの強い人は納得がいくまで何回でも魂柱調整をしますが、楽器にダメージを与えているとは知らないようです。
音にこだわりの強いお客さんの機嫌を取るためにそのような説明はしないからです。

頻繁に調整をして満足していても楽器はボロボロになっていきます。職人でも音にこだわりが強くやたら動かしたがる人がいます。下手な魂柱で楽器を痛めても結果的に音に満足すれば演奏者には信頼される職人となるでしょうね。
楽器の保存として理想を取るか現実の音を取るかの話です。内側の面に傷がつくとガッチリと魂柱を入れる選択肢は無くなります。調整にこだわる人はそれ以外の選択肢で何度も何度も魂柱を動かして調整をして満足しています。

直すには魂柱の来るところに木材を埋め込む修理が必要です。


弦はそれまではコレルリのニュークリスタルが張られていました。これはコスパが良い安価なもので持ち主自身は演奏しないため、最低限の装備で売ろうとしていたのです。いつものようにピラストロのオブリガートに交換です。
E線またはセットを求めるお客さんが来たときに自分で指定しない場合は、「E線は輝かしい音が良いですか、柔らかい音が良いですか?」と尋ねます。そうすると多くの人が柔らかい音が良いと言います。それでピラストロならNo.1という金属巻のE線を薦めます。この辺りは特にアジア出身のお客さんと真逆の反応です。おそらく日本で聞いても輝かしい音と答える人が多いのではないでしょうか?多数派の好みという事でNo.1です。金属巻のE線はガット弦の時代からあります。


トンチンカンなセッティングで、なぜかテールピースにはビオラ用のものがついていました。修理前の写真です。

あご当ても安価なもので新品です。これも巨大に見えます。ビオラ用のあご当てというのは特別設定されていないメーカーが多いです。横板の高さが違うのでヴァイオリン用のあご当てのネジを交換することで高さに合わせることができます。

テールピースはヴァイオリン用のものに交換しました。当店であご当ては仮のものを付けておいて、購入する人が好みのものを選べばよいという形です。こればかりはあごや構え方に合うかどうかで高価なものを付けておいても気に入らない場合があります。

弦を張って一晩経つと音はかなり変わります。新しい楽器や大きな修理をした後では顕著です。

次の日に弾いてみました。
オールドらしい暗く深みのある音がします。性格としては柔らかいというよりも強さを感じます。測定値でどれだけ音量が違うかという話ではなく、キャラクターとして強さを感じます。E線も特別柔らかくはありません。しかし加減することで音はいかようにも変化するようです。オールド楽器にはよくあることでパッと鳴るようなものと違って使いこなしの奥深さがあると言ったらえこひいきですかね?
全体が共鳴し硬くて重くびくともしないという感じではありません。

フラットな楽器の音というのはあまり感じなくなりました。ドイツやイタリアのもので感じるいつものオールド楽器の音です。
その中では柔らかいというよりは強さを感じるものです。
それが600万円位なら高いか安いかですが…。

強烈な音ならもっと新しい荒い楽器にあるでしょう。

胴体はお手本にしたストラディバリのロングパターンと同じで363mmほどあります。
ストップの長さはほぼ195mmです。すでに現代の標準と同じになっています。



次の話題は新しく作ってきたヴァイオリンです。私の独自のモデルのものです。
天気が悪いこともあって写真写りが実際より赤く見えるので私のPCの画面で実際と近くなるように補正しました。

こんな感じでしょう。
塗りたてホヤホヤでまだニスが柔らかいです。しばらく様子を見てみましょう。
ニスを塗るのはとても手間がかかるので一番大事なのは作業性、そして耐久性、メンテナンス性、長く使うために最低限の要素があります。またニスによって安価な楽器に見えてしまうので見た目も重要です。


私独自のデザインではありますが、現代の楽器製作の常識をすべて忘れるようなものは作れません。機能性を考えたうえでアマティ的な要素を取り入れてみました。現代ではストラディバリモデルが基礎になっていますが、実際のストラディバリからはかけ離れています。アマティ的な要素を入れることで結果的に作風が現代のストラディバリモデルのものよりもストラディバリに近くなっているのではないかと思います。

つまり近代以降ストラディバリはそれまでのアマティなどのオールド楽器とは違う画期的に進歩したものだと考えられ特徴が誇張されてきました。
一方私はアマティにとても近いものだと考えてみることで見え方が全く変わってきます。ストラディバリもオールド楽器の一つと考えるのです。

これが私独自の視点であり、この楽器にもピエトロ・グァルネリ型の楽器にも生かされています。

クレモナであればアマティからストラディバリに進化した差はわずかです。ドイツではシュタイナー型と言われる楽器が作られていてそれとストラディバリ型のモダン楽器ではかなり違いが大きいです。イギリスでもシュタイナーを珍重しドイツのオールド楽器を輸入して作風も影響を受けていました。

われわれの知っている神話もこのような背景で作られたのだと思います。

フランス・パリの楽器製作についてもイタリアからストラディバリを持ったヴィルトォーゾが来ると、一夜にしてそれまで作っていたシュタイナー型のヴァイオリン製作を辞めて、ストラディバリ型に鞍替えしたというようなことが2000年以降の本にも書かれています。

しかし実際にパリで作られていた楽器を調べてみるとシュタイナー型のものは見ません。もともとフランスではアマティ型のものが作られていました。それからストラディバリ型に変化するのにそれほど大きな違いは無かったはずです。1750年頃から50年かけてストラディバリ型に変化していきます。

にもかかわらず本には上のような「神話」が書かれています。

何か恐竜が絶滅したときのようにシュタイナー型の楽器の終焉を描いていますが全く事実とは違うでしょう。


もしこの話に近い元ネタがあるとすれば、ニコラ・リュポーの作風の変化です。もともとフランス人の父親はドイツのシュツットガルトの宮廷楽器製作者で若い頃はリュポーも同様の作風の楽器を作っており現存しています。他のフランスの作者がアマティ的なのに対してシュタイナー的な影響がありました。これはシュタイナーに心酔していた記述とは異なります。

なぜ人々はそのような神話が大好きなのか私にはわかりませんが視点を変えることでストラディバリの見え方も変わってきます。


しかしながら現在ではどんな特徴で作られたかは関係なくとにかくやかましい強い音がする楽器が良しとされる時代になってきました。そうなるとデタラメに適当に作られた楽器でも偽科学でも全く構いません。文化は失われていくものです。


ともかく巷で目にする「ストラディバリモデル」とか「ガルネリモデル」というものが一体何なのか十分に理解されているとは言い難いです。これを理解するのはかなり難しいです。

もう一つオールドとモダン楽器の転換期を代表するドイツの作者の楽器が手元に来ていて修理を開始しました。こちらも近いうちに紹介しましょう。
こんにちはガリッポです。

前回の話では神話と現実の違いが具体的に分かったと思います。読んでない人はぜひ読んでください。

800万円以上するヴァイオリンでも作者は名工や天才どころか平均以下でした。ヴァイオリン製作学校の生徒より劣る手作りで作れる最低ランクで、このようなものはイタリアならではのものではなくブーベンロイトやチェコのボヘミアでも工場ではなく自宅で同様のものを作っている職人がいました、それらは100万円もしません。
20年前なら800万円でフランスの一流の職人のチェロが買えました。

消費者の先入観による思い込みに付け込んで3つの嘘があります。

①優れた作者にだけ音が良い楽器が作れる
②優れた作者ほど高い値段になっている
③値段が高いほど音が良い

これらはすべて正しくありません。3段論法は成立しません。
値段が高いから音が良いだろうと考えると音楽家としての人生の時間が無駄になります。値段が高いか安いかしか語られないのでは趣味としても面白みがありません。
名工の名前を知っているのが詳しいのではなく、このことを知っている人が弦楽器に詳しいのです。

①が嘘で②が嘘なら値段が高い優れていない作者の楽器に音が良いこともあり得ます。こうなると何もかもめちゃくちゃです。

このような建て前が無いと神話が成立しないため、それを肯定するための理屈が考え出されます。一つ嘘をつくとつじつまを合わせるため次の嘘が必要になります。どんなにもっともらしい理屈でも、実際に音を試すことにはかないません。



安価な楽器の実態を見ていきましょう。

何やら古そうに見えるヴァイオリンです。


社長である師匠はこれを美しいヴァイオリンだと言って修理することになりました。私にはただのガラクタにしか見えません。社長業で忙しく楽器製作から遠のいている職人と今も楽器を作っている私とでは見え方が違うようです。
私の見解では修理する価値は無いと思いますが、始めてしまった以上完成させなければ、店頭に並べることができず1ユーロにもなりません。

魂柱が来るところに割れ傷があるので中をくりぬいて補強します。


少し木目を斜めにするのがポイントで再び割れにくくなります。
これでオリジナルと同じ厚さになります。魂柱が来るところには力が集中し割れがウィークポイントになります。壊れたままにするよりもオリジナルに近づくわけです。

バスバーも取り付けます。

たくさんの割れがあります。センターの合わせ目のクオリティも低かったので接着しなおして補強します。
過去に修理をした人のハンコと記述があります。1890年に修理したとなるとそれより古い楽器という事になりますが・・・。
スクロールなどを見る感じではマルクノイキルヒェンの大量生産のようです。モダン楽器の量産品が多く作られるようになるのも19世紀終わりころからですので、当時新品に近いものになります。それがすぐに名前を記すほどの修理が必要というのもおかしいですね。

傷んだコーナーに木材を足して直します。

簡単な修理では済まず、一つ直しだすと全部直さないといけなくなります。
いっそのこと大きく壊れている所の方が出来上がりも良くなります。

ひっかき傷をつけただけの継ネックのダミーがあります。マルクノイキルヒェンのアンティーク塗装の手法です。

線が丸くカーブしているのはおかしいです。

コーナーブロックの接着面に隙間があります。

裏板側のライニングと横板に隙間があります。

上部ブロックと裏板の接着面もぴったり合っていませんし、横板のライニングと裏板もぴったり合っていません。
量産品というのはこんなものです。

きちっと作ると値段が高くなるので雑に作っています。

同じようなものでも数千万円を超えるようなイタリアのオールド楽器なら、ブロックやライニングを交換する修理が施され現在でも使えるようになっています。

また偽造ラベルを貼って高く売れるならそれをする価値があったかもしれません。

その結果低品質の楽器でも音が良いものがあります。安価な楽器では同じようなクオリティでも修理代の方が楽器より高くなってしまい寿命を迎えてしまいます。
私はこの楽器は既に寿命だと思いますが、社長がなぜか気に入って修理することになったのでどんな音になるか気になります。普通はこの程度の楽器に本気の修理をすることが無いからです。

量産品については、「複数の人が作っていて作者の意図がないので音が良くない」というような嘘があります。このような説は作家個人を神格化するための嘘です。音は物理現象なので複数の人がバラバラに部品を作っても、結果的に音が良いことは十分あり得ると思います。古いものなら一人で作った新品のものよりはるかによく鳴るというのは、実際に経験しています。


過去の修理が新品同然の頃になぜ行われたかも謎です。新品の楽器でも輸送や店頭で事故が起きたり買った数日後に事故で損傷することはあるでしょうし、乾燥などで木材に割れなどが生じることもあるでしょう。その程度のことでどや顔で名前を記すのは何でしょうね?

板の厚みを測ってみると安価な楽器に多い厚すぎるものではなく適度な厚さになっています。画像を見返していただければわかると思いますが、エッジの際を彫って特別に薄くしています。もしかしたらこのような改造を修理人がしたのかもしれません。
音を良くしたとか書いてあることもあります。

1890年の当時からすでに量産品は板が厚すぎたり、エッジ付近に削り残しがあるという事が分かっていたのでしょう。
今も変わっていません。前回の800万円以上のヴァイオリンもそうでした。
分かっていてもコストを安くすることが求められたのでした。作者の才能などではなくまじめに作られてさえいない楽器がほとんどなのです。


私は半分冗談で「壊れてボロボロのヴァイオリンほど音が良い」と言っています。実際割れが多く見た目が痛々しいヴァイオリンでこんなの大丈夫かと思って、実際に弾いてみると音が良くてびっくりすることがよくあります。

そのような経験から「作者の意図」なんてのはあまり重要ではなく、何ならバリバリに壊れて他の人の手や補強の木材がたくさん入った楽器でちゃんといい音がすることがわかります。ニスも剥げてあとの時代の人が補修しています。天才の作者が何もかも計算づくで作っていたなんてのはファンタジーの世界です。

なので冗談で「新しい楽器をわざとバキバキに割れば音が良くなるのではないか」と言っています。

冗談はさておき、新しいヴァイオリンでは頑丈すぎるのでしょう。割れが多い楽器というのは木材が古くなり変質して脆くなっています。経年変化は年数だけでなく保管された環境にも左右されそうです。同じ年代でも割れが多いものと新品同様のものがあります。新品同様のものはコレクターには良いですが音はいまいちなものです。
割れが多い楽器はそれだけ多く使い込まれ木材のエージングも平均的な楽器よりも進んでいるとも考えられます。

だからといって割れが多いものを好んで買うのは危険です、修理が済んでいるかいないかで天国と地獄ですし、この先ますます割れが多くなるとさすがに修理不能となるでしょう。木材は脆く割れやすくなっているのでちょっとした衝撃や気候の変化ですぐに割れてしまいます。特にチェロの場合には危険です、割れ傷が多いものはたとえ音が良くても手を出してはいけません。我々も修理をすると予想より多くの作業が発生し見積もりよりも修理代がはるかに高くなります。過去に痛い目に合っているので修理を断るかもしれません。
このようなリスクがあるものの割れてもちゃんと修理をすれば大丈夫だということです。

ヴァイオリンでは頑丈すぎることが問題ですが、チェロの場合には強度不足は強い音が出ない原因となります。外骨格の構造上小さな楽器ほど頑丈すぎて、大きな楽器ほど強度が不足します。
子供用のヴァイオリンなどはカチコチで丈夫すぎます。板を薄く作るなど精密に加工すると子供用の中では特に優れたものができます。技術的には可能でもコストが高くなりすぎてしまい、子供が壊してしまうリスクも高くなるので商業ベースではそのようなものは作られません。

裏板と表板でニスの様子が違います。表板のニスは多くが剥げています。裏板は厚みのあるオレンジのニスになっています。これも不自然ですが、いわゆる量産品のラッカーではなくやたら柔らかいオイルニスのようです。

そういう意味で普通の量産品とは違う印象があり、社長も美しいと思ったのかもしれません。修理の職人が完成品や半製品を改造したのかもしれません。

この楽器にはペーター・シュルツのラベルが貼られています。これは偽造ラベルです
ペーター・シュルツは当ブログでも出たことがありますが、全く見た目が違います。どちらかと言うとアマティ的なモデルの様な感じがするので偽造ラベルを貼るならアマティモデルで作っていたその時代の作者のホモルカなどが良いでしょう。

このような楽器には工場でアマティやルジェリなどの偽造ラベルが貼られることが多いです。デルジェスやベルゴンツィなど間違ったモデルのラベルが貼られることもよくあります。

販売業者が普通だまそうとするならカッパなどアマティ的なオールドの偽造ラベルを貼るものですが、値段が高すぎると警戒するのでホモルカくらいがちょうど良いかと思います。

つまり見当違いの偽造ラベルが貼られていることが多いです。ニセモノと言いますが実際には全く的外れの偽造ラベルが貼られていることが多いです。本物そっくりに作るなんて面倒なことはしないし、できる人がそれ以前にいません。
それでも実物を見たことがない人には分からないのでイタリアのビッグネームではなく珍しい人の名前を貼るという巧妙な作戦かもしれません。

私はマルクノイキルヒェンの量産品のアマティモデルで板の厚みを薄くする改造修理がされたものだと思います。130年以上は経っており、板の割れ方からも年数以上に経年変化が進んでいると思われます。作りの甘さなどもトラブルのもとではありますが、新品のようなカチコチな硬さが取れて古い楽器のような音になる要因になるかもしれません。

それこそ量産品であることを伏せて教授に弾かせたら音が良いと言うかもしれません。

面白い試みです。


今回の話は普通はされないような本気の修理を安くて古めの楽器にしたので音がどうなのかという試みです。音が良ければ安い楽器でも音が良いという事が証明されます。しかし音は良いか悪いか判定するのが難しいです。

社長はそんなことを感じ取ってこの楽器に惚れこんだのかもしれません。しかし職人でも現役で楽器を作っている私とは目の精度が違います。楽器を作っている時期にはさらに目が研ぎ澄まされた状態が保てます。楽器の練習と同じです、何か月も離れれば甘くなります。
職人同士でも見え方が違ってきますから、営業マンにどれだけ楽器のクオリティが分かるのか疑問です。
ネット上で楽器店の説明文を読むと本当にトンチンカンな説明をしています。そういうものだと思ってください。

長年の勘か、現役の目かどちらが正しいのでしょうね?
こんにちはガリッポです。

こんなヴァイオリンがありました。値段はどれくらいでしょうか?









この作者のお値段は最大で55,000ドル(844万円)ほどになります。

作者はジュゼッペ・ペッラカーニ(1900~1995)で1958年にイタリアのモデナで造られたものです。
パッと見た瞬間に私はアマチュアの作ったものかと思いましたが、モダンイタリアの本に楽器の写真が出ているほど有名な作者ではありません。名は知られているもののイタリアの作者では有名ではないので1000万円を超えないという事でお安くなっております?

経歴を調べてみると生涯で137のヴァイオリン26のビオラ、72チェロを作ったとあります。一年間でヴァイオリンを3台チェロ2台くらい作っていたとなると仕事の粗さに納得です。

仕事の甘さもわかると思いますが、指板に対してペグボックスが太すぎます。ビオラのもの以上に横幅があります。

木材は初め大きな塊であるのをのこぎりで切断した後、ノミで削って寸法を出していきます。この時十分な幅になる前に作業を終わらせてしまったのです。
それくらい急いで仕事をしているようです。

もう少し若い頃の楽器を調べるとペグボックスが細くなっているので師匠に教わっていたころはまじめにやっていたのでしょう。師匠に教わっている時代からさらに上達する人と、たちまち手を抜く人がいます。このためヴァイオリン製作学校の生徒よりも落ちる楽器を作る職人が多くいます。

後ろ側も渦巻の部分も同様で横幅がありすぎです。

渦巻の中も最低限しか彫っていません。このようなおおよその造形的な感覚を身につけるには経験が必要なので素人か初心者の作ったものかと初めは思いました。単なる手抜きか初心者から成長していないようです。



輪郭の形もいびつです。

チェロ用の太いパフリングが入っていますが仕事のタッチも荒いです。中国製の量産品でももっとましです。

周辺の溝も彫られておりません。

この前の価値がゼロ円のマルクノイキルヒェンの量産品と同様です。

ボタンもいびつな丸です。

表板のセンターの合わせ間が開きかけています。これは面倒です。

もし作者名を見ずに楽器のクオリティだけで値段を付けたら、手作りであるという事を考えても50万円がせいぜいでしょう。ヴァイオリン製作学校の生徒の楽器の方がよほどよくできています。そう考えるとそれ以下です。

50万円位と予想した人は良い線いっています。

しかしイタリアの作者で名前が知られているので値段は楽器のクオリティを見るのではなく、取引相場を調べます。その結果844万円とわかりました。
これは外観ではわからないことなので画像だけで分かるはずがありません。
本に写真は出ていないのでTarisioのサイトで写真を調べてみると完全にタッチが一致します。この楽器が弟子が作ったなどの理由で特別クオリティが低いわけではないようです。

おそらくかなり安い値段でイギリスやアメリカに楽器を卸していたのだろうと思われます。
戦後冷戦時代には東側の国から楽器が入りませんでしたから、安い楽器は日本の鈴木バイオリンや西ドイツのブーベンロイトなどで量産されたものでした。
こちらもコストを安くするためにあらゆる手段がとられました。70~80年代に機械で作られたスクロールなどは独特なものです。鈴木バイオリンでは渦巻のところがプラスチックになっているものもありました。ニスはスプレーでラッカーが使われました。

それに比べると手抜きの方法は雑に作っただけの手作りです。

音を試してみるととても懐かしい感じがしました。私が習っていた時に使っていたチェコ製の量産品を思い出しました。
調弦のためにはじいてみると、私が言う鳴るという感じではなく重い感じがします。弾いてみるとパーンと底から鳴っていませんが、響きが多くさすがに古いせいか音離れは悪くありません。高音はとても細く鋭いものです。これでドミナントを張ればあの時のヴァイオリンと同じような音になるでしょう、25万円位のものでしたが量産品としては音が良く出るほうでした。

私は高い値段の楽器に対してはどうしても厳しめの評価になってしまいます。逆に多くの人は値段が高いと聞いた時に「これが高価な楽器の音か」と考えますので、初めてこのような音の楽器を弾いて本質的に鳴る楽器を知らなければ響きが多い点を鳴ると考えるかもしれません。

技術者から言わせると品質や作りから言ってもチェコの量産品と同程度ですから音が似ていてもおかしくありません。

そのチェコ製のヴァイオリンは響きが多くてもモヤモヤとしてはっきりした音ではなく、自分でヴァイオリンを完成させたらお役御免になりました。

板の厚みを調べると厚すぎるという事はありませんが、エッジの周辺部分に削り残しが多くあるようです。周囲に溝が掘られていないこともエッジ周辺が厚くなる原因です。画像で示した通りザクセンの量産品でも同様のものが多いです。

そのような音の質については好みの問題としか言えませんが、私は音程が取りにくく感じます。

そういうわけなのでこの楽器の魅力は値段の安さだったと思われます。ドイツや日本の低級な量産品とは手作りであるという点が違うので高級感がワンランク上という事です。
安さが魅力の楽器が844万円なら魅力はすっかり無くなりました。

アーチもペタッとして量産品と変わりません。

メイドインイタリーのハンドメイドを名乗れて、いかに最低限の労力でヴァイオリンとして売り物になるものを作るかという求めに応じるもので英米などで多く売られ、オークションなどでも取引記録があるのでしょう。文言さえそろっていれば品物はどうでもいいのが商人というものです。

今年ブログで出て来た同じ時代ではミッテンバルトのマックスホフマン

ハイニケ派のマイスター作品

こちらの方がクオリティが高くよく鳴り、上質な音がします。でも値段は180万円もしません。

身近に腕が良い職人がいない国では、日本やドイツ製の安価な量産品よりいくらか高級感のあるイタリアの楽器を買うしかなかったのに対して、ヨーロッパ本土ではいくらでも上等な楽器が買えました。このようなことがヨーロッパのローカルよりはるかにレベルが低い「国際的な評価」というものです。

英語のサイトでこの作者の説明書きを読んでいると「精密な仕事」という記述がありました。これで精密な仕事なら中国製の量産品でも精密な仕事です。

Tarisioでもガルネリモデルと書いてありますが仕事が雑だという以外に似ているところがありません。

前回は名工という言葉について取り上げました、別の作者の話ですが日本のサイトで単に急いで作ったもので、なんとかして褒めるなら荒々しいダイナミックな作風が特徴の作者に対して「繊細な仕事」と全く正反対の説明が書かれていました。単に名工というのが的外れというだけではなく、楽器を見て特徴さえもわからないようです。



言葉で情報を集めることはとても危険なことです、何も知らない方がはるかにましというわけです。

クロサワ楽器のサイトにはこの作者名のものが出ています。値段の記述はなくSold にはなっていますが、見ると質が高すぎるので明らかにニセモノです。製作地もクレモナとなっていて、偽造ラベルなのでしょうが、そのことは一切書かれておらず、作者名が見出しに書かれてしまっています。どんな言い訳を巧みに考えているか知りませんが、まあ嘘ですよね。大きな会社だから安心という事は決してないですよ。
値段がニセモノに見合ったものなら裁判を起こす値打ちは無いかもしれません。その上、本物よりも物は良いですけども、なぜ嘘をつく必要があるのでしょうか?それが大人の事情ってやつですかね。


いずれにしてもこの楽器を買って修理に職人のところに持って行くと、「こんなの買ってバカじゃないの?」と陰で笑われてしまいます。

お前は日本人だからイタリアのセンスが分からないだろと思うかもしれません。

私はイタリアのオールド楽器の大ファンですし、その真の姿を探求しているものです。さらにミケランジェロやラファエロ、ベルニーニなど偉大な芸術家に胸を躍らせます。コレルリやA・スカルラッティなどの曲に涙を流します。

イタリア的な美意識をだれよりも研究してきました。欠点の無い細部の完璧さより、このような芸術家たちはまるで天国を見て来たかのようななエレガントさを生み出します。この楽器では細部だけではなく形のバランスもおかしいです。立体造形にも何の躍動感も感じません。

イタリアのまじめな職人からしてもこのような楽器は「イタリアの恥」と考えられるでしょう。

経済状態の苦しかったイタリアでは仕事もなく、ヴァイオリンを作ればなんでもかんでもイギリスやアメリカに売ることができたので、生きていくためにせっせと楽器を作っていたのでしょう。ビジネスとして考えると仕事に何のこだわりもなく、大雑把な人が職人に向いているという事です。業者にとって安く楽器を作れる作者は天才です。どっちか言うとイギリス人やアメリカ人のセンスです。
イタリア製のものなら何でもかんでも英語ではA fine Italian violin・・・・beautiful golden orange varnish・・・などと書いてあるのですからね。


こんな情報というのは実際になじみの職人がいないと他では知ることができません。インターネットの時代でも情報とはそんなもんです。楽器を売っている業者のサイトにこんなことが書いてあるわけがないからです。
私が実物を見れば一瞬で分かることですが、スマホの小さな画面ではだれもわからないかもしれません。世界は物の価値がますますガバガバになっていきます。弦楽器の歴史が浅く物の価値のわからない国々の人々や、縁もゆかりもない投資家がこれからもどんどん売買に参入し「国際的な値段」ばかりが高騰していくことでしょう。

こんな荒唐無稽なバカげたことは身近に腕と目の良い職人がいれば起きなくて済みます。とても大きな差となります。何が大事な事か考えてください。それが文化が成熟した社会です。

高価な楽器ばかりに注目し無名な職人たちの土台がしっかりしていなければ砂上の楼閣です。