昔NHKの取材でジオ・バッタ・モラッシが「ヴァイオリンは手作りでなければいけません・・」と語っていた記憶があります。逆に言えば手作りなら十分良いものだということで、量産品に比べて自分は優れたものを作っていると自負しているようでした。それを勝手に消費者があらゆる楽器の中で優れたものだと勘違いしたようです。
モラッシのものでも無名な作者のものでも手作りであれば等しく良いものであるという事ですね。実際に音について経験することは全くその通りで、よく鳴る楽器、自分の好みの音の楽器がどこの誰の作ったものに存在するかはわかりません。無名な作者のものでも音が悪いという事は確実ではなく弾いてみないことには邪険にできませんし、有名な作者でも音の良さは確実ではありません。
長い経験をされたモラッシ氏の言うことが理解できるまでになるには多くの経験と柔軟な思考が必要です。
イタリアの場合には手作りであれば何でも良いというのは一つの特徴と言えるでしょう。これはそれを買い取っていたヨーロッパ大陸の外の業者が楽器自体に興味がなく「イタリア製の手作り」なら何でも良かったからでしょう。安く買って高く売れる方が良いですから。その状況下で生計を立てていたイタリアの職人にとって手作りであることが大事だというのは経済的な話です。しかし今では職人の数が多くなりすぎて輸出できる人はごく一部でしかありません。
フランスやドイツの場合には量産品に対してクオリティの差をつけることで差別化を行いました。手作りの楽器でも腕の良い職人とそうでない職人の差も生まれ地元で愛用されました。
工業技術の発達した現代では機械の性能のように腕の良い職人は「正確に加工されているので音が良い」と説明します。大量生産品や並の職人では精度が出ないからというわけです。加工精度が高いのでストラディバリよりも優れていると豪語する人もいます。
実際に多くの楽器を見てくると不正確に作られているものに音が良いものがよくありますし、正確に作られているのに音が芳しくないものもよくあります。これも関係ないですね。
特に日本人は細かいことにこだわりやすく「0.1mmが音を決める」と思い込んでいる職人も多いでしょう。消費者の方も訳が分からなくて不安な時に自然に思いつくことで、ちょうどよくそんな職人が自信満々に語れば信じてしまいます。私も初心者の頃はわずかなミスで酷い音になるんじゃないかと不安でした。
しかし実際はわずかに寸法を変えても音にはっきりした違いは現れません。はっきり違いが無いので音が良いと思い込むこともできます。
俯瞰して物事を大局でとらえることができる人は基本的に少ないでしょう。それが必要なのは王様とか武将など支配者の家系だけです。庶民は自分の役割の中で物を考えれば良いからです。細かい決めごとで最善を尽くしていると思っています。職人などはその極みです。
同じ人が全く同じ寸法で作っても音は微妙に違うものができます。しかしながらたくさんの楽器の中では同じような傾向になります。腕の良い職人ならば注文して作ってもらってもそんなに変な音のものはできません。
一方意図的に変な音の楽器を作れと言われてもそれも難しいです。
実際には些細なことで音が激変するというよりは、なにをやっても大して変わらないものができるというそんなものです。
したがって意図的に違った音のものを作るには、0.1mmどころか天と地がひっくり返るくらいのものを作ってようやくまあちょっと違うなというくらいなのです。それに比べると過去に作られた古い楽器の音は様々です。
つまり正確に作られているからハンドメイドの楽器の音が良いというよりは、量産品があまりにもひどいという事です。そこそこであれば特別腕が良くない職人が作っても可能性はあるというわけです。量産メーカーでもグレードの高い製品はありますが値段が高ければまず売れません。そのため極限まで手抜きして作られます。
したがって嘘や迷信なのは、「腕の良い職人にのみ音が良い楽器が作れる」ということですね。音が良い楽器を必要としているのなら職人の腕前や知名度に関係なく、やたらに弾いて探すしかないというのが実情です。実際にヨーロッパの方ではそんな楽器の探し方が一般的だと思います。値段や作者名を伏せて楽器を選ぶのが正しいと考えるのが主流です。値段や産地、名前に左右されないようにすることが大事だと考えています。日本人がやっていることの逆です。これは合理的な発想で分かりやすいですね。
それに対して理解が難しいのは根底にあるヨーロッパの階級社会です。
日本の場合には役職や年功によって厳しい上下関係があります。上の者に対して無礼な態度は許されません。
西洋に来るとそれがなくて驚きます。上司とも対等に議論するので、これが合理主義なのかと思うわけです。福沢諭吉なども西洋に渡って驚いたことでしょう。
しかしそれ以上長く住んでみると、日本以上に身分の差がある世界である印象を受けます。病院で治療を受けようとしても公的健康保険では何か月も待たされるのに、民間健康保険に入っている人は即日手厚い医療が受けられます。公的保険の加入者では治療を受けることができずに死んでしまいます。日本はそこまでひどくないでしょう。
特に特徴的なのはバカンスです。
日本人は海外旅行する人は少ないですが、こちらではだれもが毎年外国に旅行に行っています。どこに行ってどう過ごしたかを話すことで身分を確認しあっているようです。みなお金持ちの自慢話を興味津々で聞いています。それが私には不思議です。日本人なら自慢話をする人は嫌われます。
お金持ちの自慢話を聞かないのは無礼なのでしょうね。
昨今の日本では炎上するような特権階級も当たり前のように受け入れられています。企業経営者の報酬も日本とはけた違いです、バッハ会長とかカルロス・ゴーン氏なども西洋なら問題にもされないという事です。
そのような社会なので持っている品物で地位を表しているようです。
考古学で遺跡から豪華な宝飾品と人骨が出て来れば王様の墓で、権威を示すためだと説明されます。
私は前のものが壊れたので前回の帰国のためにスーツケースを新調しました。サムソナイトのC-LITEというもので探した中では一番軽量なものです。当然高価です、日本の公式サイトでは80,300円となっています。私が実際に買ったのは近所のデパートでネットの最安値よりもはるかに安い5万円位で買いました。スーツケースなんて安いものは1万円もしませんから立派なものです。工具を持って帰国するので重さは重要です。他に安くて軽いものもありますが列車や自家用車での旅行用で飛行機に預けるには不安です。
それに対して有名な高級ブランドのものはもっと高くてずっと重いです。お金持ちは大変ですよ。それ以上高いものでも機能的に優れたものにはなりません。むしろ重量が重いほど高級品というイメージがあります。華奢な老婦人が高級店に行って「まあ素敵!」と重さも調べずに買うわけです。革で作られたものまであります。楽器も同様で音もろくに試さずに買います。
旅行こそ身分の違いを見せつけるチャンスなので重要なのです。
西洋の人が高いものを自慢するときにそれは身分を表すためであって、機能的に優れているというわけではないという事です。パーティでは特に重要な要素で貴族社会の時代からそうです。技術系出身の日本企業は高級ブランド品を作るのは苦手なのです。
そのような社会に受け入れられるために弦楽器もランクがあります。しかし実用的な意味で値段に見合っているわけではありません。
かつては男性は皆スーツを着ていました。スーツにはテイラー職人が採寸して作るものと工場の量産品、細かい生地のランクの違いや着用シーンの違いが周知されていました。日本のように言う事を聞かないので、高いスーツを見せつける必要があります。
今でもお偉いさんの着ているスーツはランクの高いもので、弦楽器にも同様のランクがあるということです。有名ブランドの舶来品や地元の職人の上等なものというわけです。地元に職人がいないイギリスやアメリカでは物の良し悪しが分からなかったという事です。
音楽家の世界でも自分が優位に立つために無意識的に行われていることでしょう。
このため読者の方にもいろいろな方がいるかもしれませんが、何よりも音楽に熱心であったり楽器に関心が強い人たちだとすると業界の伝統的な値段や評価はあてにならないというわけです。うちのお客さんでは服装などは何十年も新しいものも買わず音楽に関することにだけ出費を惜しまないという熱心な音楽一家は一件だけです。西洋ではそういう人は少ないです。
①楽器の道具としての機能性を最重要視
とにかくやたらに弾き比べをして理由もなく音が良いものを選ぶしかありません。はるかに安価なものも候補に加えると良いでしょう。実際プロの演奏家には作者不明の楽器を使っている人がいます。ネックが持ちにくかったり機能的に問題があったら修理して改造する必要があります。
②尊敬すべき職人が作ったものを所有したい
とはいえやっつけ仕事ではなく職人がその生涯をささげ丹精を込めて作られたものを欲しいと思う人もいるでしょう。これも知名度や値段ではありません。腕の良い職人がさらに尊敬する職人です。職人に見せて意見を聞くのが良いと思います。
逆に言うと値段はこれらとは一致していないという事です。
高価な楽器でも音が悪かったり、下手な職人がやっつけ仕事で手抜きで作った楽器かもしれません。
弦楽器の商売の世界では値段が高いか安いかだけが語られてきました。値段が高い楽器を手にして「これは良いものです」と専門家がしかめっ面でうなっていると一般の人には説得力があるわけですが、良いのは値段だけかもしれません。値段が高い楽器の個性は良い個性で、値段が安い楽器の個性は悪い個性というのはおかしいです。
そうではなくて楽器自体にどんな違いがあって、または違いがなくて音にどんな違いがあるのかないのか興味を持って楽器を見ていきたいと思っています。それが私にとっては面白い世界です。
自分が作る楽器も自分が欲しいものをつくっています。手放すのが寂しいほどです。
もし加工精度の高さが手作りの良さなら、工作機械の性能が上がるとその職人の楽器には価値がなくなるという事を意味します。果たしてそれだけなのでしょうか?

このヴァイオリンから。四角いモデルで大きなf字孔がついています。

どちらかといったらガルネリモデルなんですかね?

メーカー名が書いてあります。J.A.バッダー&Coでミッテンヴァルトの会社組織です。製作年は1944年とあります、戦時中です。
ミッテンヴァルトでは地場産業として村中で分業して部品を作り組み立てていました。冬の農閑期の仕事とも考えられます。
この楽器もノイナー・ホルンシュタイナー社のものとそっくりです。同じ人が卸していた可能性もあります。

分かりやすい特徴は、横板のロワーバウツが一続きになっていることです。それ自体はアマティやシュタイナーの頃から行われた手法ですが、近代の量産品の他の産地では珍しいです。今はこんなに長い材料を入手するのが難しいです。

アーチはフラットで近代的な楽器製作、つまりフランスの影響を受けています。ルドビヒ・ノイナーがヴィヨームの弟子でフランス式のスタイルを教えたからです。今でもミッテンヴァルトにはヴァイオリン製作学校があり、そこで学んだドイツのマイスターの楽器にはフランスの影響が残っています。
当のフランスの方で忘れられているのにです。
日本人が学んだヨーゼフ・カントゥーシャは、それとはだいぶ違う外観をしていています。東京にはある意味ミッテンヴァルトや現代のドイツらしくない外観スタイルが伝わったわけです。つまりフランスのスタイルは従来の劣ったもので改良したと考えていたことになります。結果は理屈ではなく音で試さなくてはいけません。
ネックの入れ方や角度もフランスの19世紀の感じです。

スクロールにもミッテンヴァルトの特徴があります。しかし材料はチープです。裏板も同様で、戦時中という事も関係あるのでしょうか。
量産品ということもあり板は厚めに作られています。20世紀の量産品で薄い板のものは珍しいです。機械化が進むまでは安いものほど板が厚いというそんな傾向があります。


このような非常にチープなマルクノイキルヒェンのものでは板が厚すぎてもはや売り物になりませんし、練習用にもならないとレンタル用にも使えません。
ただし安い楽器では失敗して部分的に極端に薄いという事はあります。これは製造上の欠陥です。それに対して全体的に薄く作るのは神経を使う仕事です。
音は鋭く強い音です。少なくとも耳元では板が厚めだから鳴らないという事はありません。
強い音の楽器が好まれるわけですから悪くないですね。
ただしG線で上ずったような音になることがあります。私が下手だからかなと思っていたら、プロの人や先生が弾いても同じようになって、弓の加減に注意をして弾き直しています。時々そんな楽器があってミルクールのものでもそんな楽器がありました。
音が強いことを良しとするのならハンドメイドの新作楽器ではこれにかなわないかもしれません。
何でもないものでも1944年製という事です。
よく言われてきたのは量産品は分業で複数の人が手掛けているので作者の意図がないために音が悪いというのです。
それに対して私は極端な粗悪品でなくそこそこのものになっていて、古ければ十分音が良い可能性はあると感じています。作者の意図はあっても無くても音にはそれなりのキャラクターがあり好きな人には良い音です。
むしろ作者がすべて意図して音を作るのは現実的な話とは思えません。思った通りの音の楽器が作れるなら良いですね。
つまりそのような理屈は嘘であると考えています。
このようなものをも持っていることで社会的なステータスは高まらない事は言えると思います。
木材の質も見た目の問題で音には関係がないと思います。
ノイナー・ホルンシュタイナーであれば量産メーカーとしては有名で高いものは200万円にもなります。どんなチープなものでも名前が有名なので50万円位はすると考えて良いでしょう。それに比べるとバッダーは知られておらずだいぶ安くなるでしょうね。量産品の普通の値段となるでしょう。同じ下請けの人たちが作っても商業というのはそんなものです。

修理前のニスはこんな感じです。材質はラッカーですが細かなひび割れを起こしています。これは耐用年数を過ぎてしまったようです。それに対してマルクノイキルヒェンやミッテンバルトでも戦前のニスは何ともなっていません。楽器以外でも工業製品では戦後のものにはラッカーがボロボロになっていることがよくあります。戦後の方がラッカーの質が落ちているのです。
ものの耐用年数はどんどん短くなってきているようです。

磨いてもひび割れが残っています。
ヴィヨーム工房のヴァイオリンではここまでではないものの一部に小さな穴がたくさん開いていました、それを一筆一筆埋めたのでした。この楽器では多すぎますし、安価な楽器なので修理費用も出せません。
ラッカーが乾燥してひび割れたものは寿命を迎えています。日本ではシンナーと呼ばれているラッカーの薄め液で何度も濡らせば割れが埋まる可能性はあります。しかしいずれ同じことがまた発生することでしょう。
しかし最初の写真のようにだいぶきれいになって持ち主にも感謝されました。
次はこちら

ラベルなどは無くメーカー名は分かりません。

裏板が左右で違う木材が使われているのが珍しいです。
見るからにチープなものです。
エッジの丸みからチェコのボヘミアのように見えますが、ニスがちょっと新しい感じがします。
当然ラッカーで人工染料の色です。
ボヘミアのものとは言えなくなってきました。

スクロールにはヒントがあります。

渦巻には独特の雰囲気があります。
これは機械で作られたものです。かつては渦巻だけを専門に作る職人がいました。それが技術の進歩によって機械で作られるようになりました。機械の性能も向上してきましたので時代が分かるというわけです。
つまり機械で作られるようになったころはまだ東西冷戦が続いていて、当時のチェコスロバキアでは技術は進んでいなかったと思われます。そうなると西ドイツ製ではないかと思われます。
戦前ボヘミアにいたドイツ人が終戦後西ドイツに移住してきたので作風にその名残があってもおかしくありません。
西ドイツでは安価な楽器が生産されていました。ソビエト連邦が崩壊し冷戦が終結すると、旧共産国で安価な弦楽器が西側にも輸出されるようになりました。現在は中国が最大の生産国です。一時日本でもチェコの楽器が輸入されていました。
ブーベンロイトのカール・ヘフナーは日本にも輸出していました。近年経営破綻しGEWA社に買収されたようです。賃金の上昇とともに価格競争力を失っていきます、製造業にとっては喜べないことです。通貨が高くなり賃金が上がるという事は中国製品に囲まれて暮らすという事です。

アンティーク塗装がかなりわざとらしく極端ですね、マルクノイキルヒェンのものとは違います。

ネックは極端に斜めになっています。これで良しとしてしまったのがすごいです。
ちなみにさっきのミッテンヴァルトのバッダー社のものは

逆向きです。
量産品とはこんなものです。
駒の左右の高さやネックの持った感じにも影響することでしょう。
無理やり完成させてあるという具合です。
最新の量産品です。

かなりの部分が機械で作れるようになっています。生産国は中国でしょう。
それも言わずに載せたら高価な楽器と見分けがつかないかもしれません。

機械では難しかったf字孔も並の職人よりもきれいです。コーナーも均一でパフリングにミスもありません。

裏板の材質はチープですが、作風自体は現代のクレモナの感じです。

スクロールの機械も進歩したものです。

アーチはいくらか膨らみがありミルクールやフランスの影響は薄くなっています。


もはやハンドメイドのものと何も変わらないようです。
これで20~25万円位でしょうかね。
次はもっとチープなものです。

こちらはいかにもという感じですが、卸値は数万円のものです。
昨今では楽器を買う人が少なくなりレンタルする人が多くなってきました。これもレンタル用に購入したものです。
f字孔は癖があります、手作りのような個性があります。個性などというのはお手本通りにキレイに作れなければみな出てくるものです。

それでもヴァイオリン用の木材を買うよりも安いですから、我々職人には価格面で絶対に太刀打ちできません。

これでも昔のものとは全然違います。
これ以上機械が進化していくともはやハンドメイドの楽器にメリットは無いようにも思えます。
いずれきちんときれいに作られているのが機械製の量産品で、不揃いで歪みだらけなのが手作りの味という事になってしまいます。実際にこれらよりも下手くそな職人はたくさんいます。1000万円するイタリアの楽器を売る業者なら機械で作られたものは完璧すぎて人間味が無いと都合の良いウンチクが語られるようになることでしょう。そうなるとイタリア以外にもいくらでも人間味のある楽器がありますが?素人が作ればすべて人間味にあふれたものができます。
ニスはおそらくラッカーではなくアクリルのようなものだと思います。アクリルと言っていますが、私に石油化学の専門知識はありません。それでも広く言えば合成ゴムやプラスチックのようなものです。
1900年頃でドイツで作られた量産楽器にはラッカーが使われていて、ハンドメイドの高級品にはオイルニスが使われていました。ラッカーは硬く丈夫なもので、この時代のドイツのオイルニスはとても柔らかいものが主流でした。同様のニスはイギリスの楽器でもあり当時の流行だったと考えられます。
こんな事からラッカーは硬いので振動が妨げられ音が悪く、ニスは柔らかい方が音が良いというウンチクが広まってきました。実際にはそこまではっきりと断言できません。
新しい楽器に柔らかいニスを塗ってもそんなに音は良くないし、硬いニスでも音が良い楽器があります。
そんなウンチクが知られているのに対して、現代の人工樹脂では自由に硬さを変えることが可能でしょう。この楽器でも柔らかいニスになっていますし、ケースの跡がついてしまうような問題も起きることがあります。
こうなるともはや量産楽器に何の欠点も無いように思えます。
さて音についてはどうでしょうか?
新品の低級品の方は音も出るし、当然抑える位置によって音の高さが変えられるのでヴァイオリンとしてちゃんと機能します。私が指板を削り直しました、電動サンダーで仕上げてあるのでしょう、カンナで削らないとデコボコができてしまいます。
魂柱はあっていないので新しいものに変え、ペグの軸を削り直し、駒は足を合わせ直して高さと上のカーブを整えました。オンラインショップで買うとそうはいきません。
音は好みの問題としか言えません。
マルクノイキルヒェンの戦前のものでは練習用にも難しいことでしょう。
わたしには木箱やボール紙のような無機質な音に感じます。
もう一台同じ製品のヴァイオリンがあり、そちらにはダダリオのザイエックスを張ってみました。そちらの方が明るく豊かに響いて悪くないです。(もう一方はラーセンの安価なオーロラです)
それに比べると上級品の方が響きが豊かに思いますが、どっちの音が良いと感じるかは人によるかなと思います。
悪くはない感じはしますが、何かが足りない感じもします。私にはプラスチックという素材の持っている音はマイルドで柔らかいので嫌な音ではないかもしれませんが、モノトーンで無機質に感じられます。ニスや接着剤に人工樹脂が多用されていればそんな音になるかもしれません。しかしそれとて、事前に知っているからそう思うだけで、目隠しして音だけ聞かされたら私はどの楽器の音か当てる自信が全くありません。
西ドイツの量産品はずっと楽器がこなれていて軽く音が響きます、同時に耳障りな音も混ざっています。ミッテンバルトのものとも似ています。
私が習っていた時に使っていた90年代のチェコの量産品とも音が似ています。音は響きやすいので広い場所で弾くと気持ちいいかもしれません。
前に出て来た800万円以上するペッラカーニのヴァイオリンとも音が似ています。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12944063463.html
西ドイツの量産品も、チェコの量産品も、イタリアのモダンヴァイオリンも品質が同じくらいなら音も似ていてもおかしくありません。
一方でハンドメイドの楽器には明らかにクオリティの高いものがあります。これは個人的な好みの話でしかありませんが、もっとしっとりと上質でキメの細かい音があると思います。ただ音が出るだけじゃなくて澄んでいてすっきりとぬけが良く純粋な感じがします。急激ではなくじわじわと音が立ち上がり、何でもかんでも音が出れば良いというのではなく出るべき音と出てはいけない音が選別されているものです。
そのような方向性では未だに機械で作られた量産品は追いついていないように思います。しかしそれも個人の感じ方のレベルで客観的に評価する方法がありません。
ぺラッカーニのように800万円しても量産品と変わらないような印象受けることもありますから、ハンドメイドだから自動的に音が良いという事ではないでしょう。音は強さで評価する人が大半なら、量産品の方が強く感じられることは少なくありません。人々の音の好みも年々質よりも量になっていくのがトレンドです。私が一生懸命作っても音は大人しいです。
したがって個人の好みの問題としか言えません。見分けがつかないとペッラカーニも800万円だと聞かされれば「これが名器の音か!」と思う人もいるでしょう。
量産品と上品すぎる音のハンドメイドの間くらいがちょうど良いとなれば、ちょっと下手なくらいの職人や古い上等な量産品あたりが音楽に専念して特別なこだわりのの無い多数の人には受けるのではないかと思います。
実際に現代の楽器を買って私たちが見て「下手だなあ」と思うような職人のもので力強い音が出てるものです。
新作で強い音がするのは量産品にも近い凡人の作という事です。
だから才能や心構えなどは関係なくどこの誰にでも音が良い楽器ができる可能性があるのです。
そんな作者がメディアなどで有名になれば新作が500万円とかそれ以上で売られている人もいるでしょう。それを買うのも自由です。
そのようなものはイタリアの作者や新作楽器なら高価ですが、ただの中古品なら50~100万円位のゾーンなのでいくらでもあるという感じです。今は為替の問題で100万円を超えてしまいますけども。
量産品でもやはり古いものの方が鳴りが良く、新しいものはべっとり接着剤でコーティングされているような感じです。
量産品でもそれぞれ音がバラバラで、「量産品の音」と定めることはできないと思います。
何と弾き比べるかで印象が大きく変わってしまいます。基準となる絶対的な楽器があればいいのですが…。表題に応えるどころか音をどう評価するかそれさえも確立していないというのが現状でしょう。
手作りでなければできない楽器、音を追求していくことが私のライフワークです。








































































































