ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ヴァイオリン、ビオラ、チェロなど弦楽器の良し悪しを見分けるには、値段とメーカー名を伏せて試奏し、最も気に入ったものを選ぶのが最良の方法です。
しかしながら、よほどの自信家でもない限り不安になってしまいますよね?

そのため知識を集めるわけですが、我々弦楽器業界は数百年に渡って楽器を高く売りつけるため、怪しげなウンチクを広めてきてしまいました。

弦楽器の製作に人生をかけたものとして皆さんはもちろん、自分を騙すことにも納得がいきません。
そこで、クラシックの本場ヨーロッパで働いている技術者の視点で弦楽器を解明していきたいと思います。

とはいえ、あくまで一人の専門家、一人の製作者としての「哲学」ですから信じるかどうかは記事をよく読んでご自身で判断してください。


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こんにちはガリッポです。

またまたミッテンヴァルトのヴァイオリン。


写真では違いがわからずどのヴァイオリンも同じように見えてしまいます。普通のヴァイオリンに見えます。

これだけでは産地は全く分かりません。

ミッテンヴァルトと書いてあるので分かります。「手仕事」と書いてありますが機械を多用した量産品です。GEWA(ゲヴァ)ではないかと同僚は言っていました。
2000年以降GEWAは中国に生産拠点を移していますが、他の会社でも同様ですのでそれより前の製品ということが分かります。大雑把に1990年ぐらいでしょうか。
20世紀末の量産品では伝統も失われブーベンロイトでもマルクノイキルヒェンでも違いはわかりません。
ニスはラッカーのように見えますが、乾燥してひび割れを起こしています。ラッカーの耐用年数が30年くらいと言われていますからそれくらいのものでしょう。
それに対して1900年前後に作られた量産品のラッカーは今でもいい状態を維持しています。エレキギターの世界ではそのようなラッカーは高級品とされるものです。

見た目はさほど悪くありません。中を覗いてみても、戦前のような仕事の粗さは見られません。しかし厚みを測ってみるととんでもなく厚いです。チェロの厚さです。

私のように楽器があればすぐに板の厚みも測るという人は多くはありません
楽器を開けずに板の厚みを測るには特殊な道具が必要で、測っていない業者も多いと思います。昔にはそのような道具もなく、これまで言われてきた知識には含まれていないのです。板の厚みに関するウンチクには実情とは異なるものが多いのもちゃんと測ってすらおらず、想像で語って来たからでしょう。
f字孔の部分から表板の厚みを見る方法が知られていますが、極めて不正確なものです。


前回は弦楽器の音は好みの問題で、客観的に評価できないという話でした。
弦を張ってはじいて調弦してみると明らかに鳴りません。30年くらい経っているにもかかわらずです。
こういうものはまれです。
弓で弾いてみても印象は変わりません。
これなら10人中10人が音が悪いと言うかもしれません。
3/4のヴァイオリンでもこれよりましですから、1/2くらいの鳴り方です。
私もここまで音が悪い楽器はめったに出くわしません。

GEWAで販売されたおそらく中国製のとても安価なチェロも来ていました。10万円もしないようなチェロでしょう。それでも、音は大きくてやかましく聞こえます。うちの工房のスタッフにするとひどく安物の音と感じますが、音が大きいので好みの問題と言えます。むしろ安い物の方がやかましく感じるくらいです。音の大きさを優先する人はどちらかと言うと多数派です。それに対してこのヴァイオリンは重いミュートを付けたような音です。近所への騒音の心配がある人には良いかもしれません。

つまり、ミッテンヴァルト製、ドイツ製よりも中国製の方が音が良いというわけです。前回のホフマンもホルンシュタイナーもどれも全く音が違いますので、産地で音のキャラクターなどはないということが分かってもらえたでしょうか?

まとめると、板の厚みは薄すぎては壊れてしまいます、厚すぎると全く鳴りません。その間であれば、多少厚めでも薄めでもそれは楽器のキャラクターになるので、好き嫌いの問題となるのです。
作りや経年変化など他の要素もあるので厚みの数字にこだわる必要はありません。
このためこの厚みが最高という具体的な数字があるのではなく、幅があるのです。その範囲になっていれば好みの問題で大丈夫なのです。それくらい大雑把に弦楽器は理解しないといけません。試してみて好きな音のものを買わないといけません。

1900年以降は厚めの楽器が多く作られるようになったので、薄めの楽器は選択肢として少ないのが実情です。音を試せといっても楽器自体が無いのでは無理です。
それは常識として厚めのほうが良いと広まったからでしょう。しかし古い楽器では何百年も持っていますからもうちょっとギリギリまで攻めても大丈夫じゃないかと私は考えています。

以前ミッテンヴァルトの戦後の量産品を取り上げました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12861513963.html
板が薄めに作られていて、他のチェロと比べると低音の響きが圧倒的に豊かで個性の違いははっきりとわかります。しかし低音が響くことが重要かどうかは好みの問題です。

国ごとに音の違いができるには品質管理が徹底していないといけません。実際はバラバラなので音もバラバラです。弦楽器の製法が法律で定められているわけではありません。日本人に生まれた限り全員寸分たがわぬ同じ楽器を作らないといけないという決まりはありません。時代ごとに流行があり国境を超えて広まります。国名は何の意味もなさいというわけです。

それから板が厚いとサイズが小さな楽器のような音になるという例が得られました。フルサイズのヴァイオリンなのに1/2のような音になることがあるということは、楽器の大きさだけでなく板の厚さが重要だという事でもあります。大きくてもダメな楽器があるということです。

これは弦楽器全般にとって有益な知識です。4/4のヴァイオリンについて考える時も、大型や小型のモデルがあります。しかし他でカバーができるという事でもあるので必ずしも大きさの寸法にこだわる必要が無いということです。

ビオラについては特に重要です。こんなことも理解されておらず、現代では厚めのものが多く作られます。チェロでも異なるモデルがありますが、モデルがなんであるかよりもトータルでどうかという話で、結局弾いてみないと分からないということが確かになるだけです。

さらに言えば、ストラドモデル、ガルネリモデル、モンタニアーナモデルなどモデル名で音の特徴は言えないということです。

もう少し詳しく考えると、高音はそれほど弱いという感じがしませんが特に低音が全く出ません。やはり楽器ごとに音域が違うのでそれに適した厚みがあるのです。これくらい大雑把に考えるとうまく説明ができます。

板の厚みは振動する周波数と関係があり、つまり音域に関係してくるのでしょう。楽器で演奏する音域と板が振動して音が出る音域が一致している必要があります。ですから正しくは厚いから鳴らないのではなく、ヴァイオリンの音域が出ないということです。薄いほど鳴るというわけでもないでしょう。逆に極端に薄くしてヴァイオリンよりも低い音域で振動できてもエネルギーの無駄になります。ただしその低音は音色には影響があるかもしれません。



ラベルには「手仕事」と書いてあります。

世の中で様々な職種があります。
例えば事務職であれば書類やコンピュータでデータを扱う仕事が多いでしょう。
仕事場もオフィスや店舗、施設などいろいろあります。人とコミュニケーションを取ったり、言葉で説明したり段取りの仕事もあります。人に指示したり管理する仕事もあるでしょう。

その中で工場や現場で物や構築物を作る作業の仕事のことを「手仕事」と理解すれば良いと思います。日本ではガテン系とか言いますね。

同様のラベルはたまに見ることがあります。このラベルがあれば、機械で作られた大量生産品と考えて良いと思います。

それに対して、職人が一人で手作業で作ったものはマイスター作品と呼ばれるものです。前回の話でした。マイスターの楽器にはこのラベルは貼られていません。ホフマンと今回のものでは音の差が明かでしたが、必ずそうなるとは限らないでしょう。


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こんにちはガリッポです。

弦楽器の音について客観的に評価する方法がありません。電気製品なら粗悪品は電源が入らなかったり音が出なかったりして、うんともすんとも言わなくなるかもしれません。しかしアコースティックの弦楽器では、弦を張れば音が出ます。音が出さえすれば、だれにとっても音を良いとか悪いなどということはできません。音が出ない原因は弓の毛に松脂がついてないくらいです。

例えばAとBの二つのヴァイオリンがあるとします。多くの人に弾いたり聞いたりしてもらいます。その時、メーカー名や生産地、値段を言わずどちらの音が良いと思うか聞いたとします。この時10人中10人がどちらかを良いと言うことはよほどのことです。現実には意見が分かれることでしょう。
もし6対4でAの方が多数だったとしてAの方が音が良いと決めて良いでしょうか?

4の人にとっては自分が間違っていると考えを変えなくてはいけないでしょうか?
そんなことはありません、4の人にとってはBの方が音が良いのです。

8対2だったらどうでしょう?
これも同じです。2の人が間違っていてAの方が音が良いと認めるまで牢屋に閉じ込めて拷問することができるでしょうか?
2の人にとってはBの方が音が良いのです。

またホールや聞く距離によっても音が違ってきます。別の環境で試せば全く違う結果になるかもしれません。

もちろん商売であれば言いくるめてしまう方が良いかもしれません。仕入れを絞れば費用を削減できるからで、それが現実の世界です。つまり、自分で音を評価することを放棄すれば、売り手の思う壺というわけです。安く手に入りやすいものを音が良いですよと言って高く売るわけです。
日常ではそのようなことが多くあり、ファッションでは今年はこれが流行ですよとか、この曲がヒットしてますよと買うように勧めてきます。それも違法ではありません。

しかし、正しい知識ではありません。個人の自由も侵害しています。

技術者としては音が出るか出ないかは言えても、良いか悪いかは言えません。
音の良さの基準が定まっていないからです。
先生やプロの演奏者が良いと言ったとしても、別の先生は違うことを言うかもしれません。また先生と同じように演奏はできないかもしれません。

表板や裏板が合板つまりベニヤ板で作られた楽器の音が良いと感じた人がいたときに「あなたは間違っています」と指摘することはできません。私に言えることは安く作るための手法で作られているものは安い値段で買うべきということと、壊れても修理はできないということです。

ペグの具合が悪く調弦できなかったり、ビリついて異音がする楽器を売ったのなら、無料で修理などをしないといけません。買ったけど音が好きではないという場合には商品の欠陥ではなく売り手に責任はありません。
だから必ず自分で音を確かめないといけないのです。

戦後のミッテンヴァルトのヴァイオリン


この前からマティアス・ホルンシュタイナーのヴァイオリンの修理の様子をお伝えしました。持ち主の教授は楽しんで弾いているようです。
ミッテンヴァルトではオールドの時代から弦楽器製作が続いています。しかし現代のものはそれらとは何ら共通点を見出すことができません。産地で物を考えることは意味がありません。
日本人にとって特別なのは、東京でヴァイオリン製作を教えた師匠にはミッテンヴァルトで修行した人が重要な役割を果たして来ました。
無量塔 蔵六こと村田 昭一郎氏が東京バイオリン製作学校を設立し多くの職人を育成しました。そのつてで優秀な職人がミッテンヴァルトで学んで西洋の弦楽器製作を伝えたのでした。東京もミッテンヴァルトの流派ということもできます。日本には何が伝わったかということです。


このヴァイオリンは1956年にミッテンヴァルトで作られたものです。ラベルにはマックス・ホフマンという名前が書かれています。
この作者については文献を調べてもどこにも見当たりませんでした。しかし加工のクオリティが高くニスもオイルニスなので、量産品のようなものではなくマイスターの作品と考えて良いでしょう。この作者のものと考えて良いでしょう。
まず見てニスが鮮やかなオレンジ色です。オールドのミッテンヴァルトとは全く違います。20世紀の流行の色ですね。
ドイツのモダン楽器では量産品にはラッカーが使われ、高級品には柔らかいオイルニスが使われました。これは19世紀後半以降の考え方です。今でもラッカーが安物でオイルニスが高級という考え方が残っています。音については冒頭で説明したようにどちらの音が良いかは言えません。

裏板も質の高い一枚板です。ニスは実際の使用で一部剥げています。楽器自体にダメージはほとんどありません。
ミッテンヴァルトは木材の産地ですが、植林によって成長の早い木材ばかりを植えました。表板の材料はたくさんあっても、裏板のメイプルは枯渇しています。ミッテンヴァルトでもボスニアなどのバルカン半島の木材が使われています。

モデルは忠実なストラディバリモデルという事でも無いようです。オールドの時代から続くノイナー家のルドビヒが1870年頃ヴィヨームの下で修業しフランス式の楽器製作をミッテンヴァルトにもたらしました。
ミッテンヴァルトのモダン楽器といえばフランス的な作風が特徴です。しかしこの楽器ではもはやフランス的な特徴は分からなくなっています。ヴィヨームの「メシアモデル」も失われています。
今のように実物大の印刷物などもなく、当時の職人は標準化された寸法を元に自分でデザインしたり、師匠から受けついだりしたことでしょう。その意味で言うと独自のモデルとして個性もあります。
このヴァイオリンでは表板や裏板の一番上がわずかに尖っています。ちょっとコントラバスっぽい感じもします。高いポジションの演奏をするときに手の邪魔にならない効果があるかもしれません。
それを意図的に行ったのかは知る由もありません。

ヘッド部分もきれいに作られています。
渦巻の中心の丸い所が小さい感じがしますがそれも個性ですね。丸み自体はきれいに作られています。


明らかに量産楽器とはランクが違います。ペグボックスにはボヘミアの特徴があります。それ以外にはボヘミアの特徴はありません。

ピシッとして際まできちっと加工されています。

アーチも現代的です。表板や裏板の上下の中間地点ではなく、駒のところが頂上になっているようにも見えます。何かしら考えがあって理屈っぽいです。
70年近く前の楽器なのに、ネックの下がりなどは無く駒の高さは新作楽器のようです。何故かはわかりません。

教科書通りのヴァイオリン


ミッテンヴァルトではヴァイオリン製作学校があって、戦前にもすでに教育が行われていました。まさに教科書通りの楽器というそんな感じです。その中にも多少の個人差があり、それが微妙な個性となっています。

板の厚みも測ってみました。1900年頃から厚くなっているという話でしたがまさにそれです。
中でもグラーデション理論に基づいているのが分かります。グラデーションというのは板の厚みについて、中央が一番厚く周辺に行くにしたがって薄くなっていくというものです。当時はそれが何か優れたものだと考えられていたのでしょう。

長年使われていなかったようで消耗部品を交換する修理をしました。指板を削り直し、ペグ、駒、魂柱、テールピース、あご当て、弦を交換するとともに、ニスの補修を行いました。柔らかいニスだったので表面は亀裂が入り汚れが付着していました。それもピカピカになりました。アンティーク塗装ではない楽器で70年経ってこんな感じです。使っていなかった時期がかなりあるようです。

出来上がって弾いてみると、とてもよく鳴ります。音色も深みがあり高音も鋭すぎるというほどではありません。パーンとよく鳴る感じです。
新作楽器では全く敵わないでしょう。これでも作者名は知られておらず、値段も新作楽器よりも安いです。このようなものがあれば新作楽器を買う意味がありません。

無名な作者の楽器なのによく鳴るということはどういう事でしょうか?
誰も調べていないということに他なりません。このように特別知られていない作者は無数に存在し、音は決して有名な作者に劣りません。
作者は無数に存在し、音は意見が分かれるような微妙な違いがあるだけで、すべてを網羅して音を評価し値段を付けることなんてできません。見ず知らずの楽器との一生に一度の出会いにどう反応するかだけです。偏見を持っていると相手を理解することはできません。


楽器の製法も同じ時代の常識に基づいて作られているので有名な作者と差がありません。値段が大きく違っても職人から見ると同等の楽器です。

板はオールドからすると厚めになりますがよく鳴っていますので何も問題はありません。低音も楽器自体が鳴るので出ます。低音が特別他の音よりも強いということが無いだけです。

一方でホルンシュタイナーと何か共通する独自の音があるかと言えば特にないですね、「ミッテンヴァルトの音」や「ドイツの音」なんてものはありません。

オールド楽器のネチャッとした柔らかさはなく元気よく強い音がします。非力な演奏者にとっては音が良いと感じられるでしょう。上級者にはその硬さが自由な演奏を妨げ足かせになるかもしれません。

教科書通り普通に作っておけば、70年もすればよく鳴るようになっていることは珍しくもないということです。当時の教科書も間違ってはいないし、天才だとか名工だとかそんなのは関係ありません。
前回の話のように最後まで楽器を作る労力の方がとにかく重要で、天才のひらめきなどは無いのです。

特別高価なものを買わなくても音が良いものがあるということです。

ヨーゼフ・カントゥーシャについて


私たちにとってはたくさんいる現代の作者の一人でしかないカントゥーシャでしたが、どうも日本(のマニアの間)では有名人なようです。
日本人の弟子が何人もおり、尊敬する対象として伝えられたようです。しかし同じ産地の別のマックス・ホフマンでもちゃんとよく鳴るのですから、個人を崇拝する必要はないですね。
カントゥーシャは1940年代にミッテンヴァルトのヴァイオリン製作学校で学び、さらにマイスターの下で修業しています。
戦後に独自のモデルを作ると、2000年代に亡くなるまで全く同じ形の楽器を作り続けました。日本で亡くなる寸前に作られたヴァイオリンを見ましたが、晩年は弟子も後継者もおらず90歳代とは思えない驚異的なものでした。
そのため見ればすぐに本物かわかります。真贋を知りたいなら日本には弟子がいるので見てもらえば確実です。新作に特化しかなりの数を作り、日本人の弟子が作ったものも含まれていることでしょう。
ストラディバリのように毎回バラバラで違うようなものを作っていたのとは違います。


カントゥーシャもホフマンも共通の基礎があることが分かります。カントゥーシャもその時代の常識をひっくり返すようなものではありません。
カントゥーシャのモデルは独特でかなり変わっています。オールド、モダン楽器には全く興味がなく、標準的な寸法でカーブがなめらかになるように自分で設計したのでしょう。ただしミドルバウツの幅が異常に広いです。運弓の妨げになるリスクがあります。なぜそうしたか私にはわかりませんが、直線距離での幅が、アーチをまたいで測った場合の寸法くらいになっています。これらを混同したのでしょうか?

形で言うと上が平らで四角くく下が丸くなっています。この楽器の逆ですね。ビオラでは体とのフィットではどちらかと言うと不利な形になります。

もう一つ大きな特徴は周辺の溝が極端に深く彫られていることです。トレードマークと言ってもいいほどですが、オールド楽器などは全く無視した姿です。

それでも品質は高く精巧に作られているので立派なマイスターの楽器です。ホフマンや一般的なものと比べて変わっている所は個性であり好みの問題としか言えません。


なぜそのようにしたかは、私よりもその流派の方の方が詳しいでしょう。
楽器を調べてみるとよりグラデーション理論が厳密に行われていることが分かります。

模式図で示すとホフマンのヴァイオリンでは上の図のようにグラデーションがほどこされています。
真ん中が厚くて周辺に行くにしたがって薄くなる様子です。しかし一番端に向かって再び厚くなっています。
エッジ周辺は測定が難しく下の図のように寸法の品質管理が難しい所です。

Aのように内側をくりぬいて作られている楽器もあります。
それに対してカントゥーシャはBのようになっています。これで理論通り完璧なグラデーションにすることができるわけです。
これなら毎回全く同じ楽器が作れるし、弟子にも作らせることができます。

ストラディバリやアマティのようなアバウトな楽器作りとは全く正反対ですね。
オールド楽器ではCのように周辺が大きく彫ってあるのでそもそも薄くなっています。このように全体が薄いのがアマティ派の典型です。
矢印で示したようにアーチのカーブが裏側のカーブにも表れてきます。

これが改良となるためには、「中央を厚く周辺に行くにしたがって薄く作ると音が良い」というグラデーション理論が正しくなくてはいけません。

果たして「グラデーションになっていると音が良い」というのは本当でしょうか?

実際にオールド楽器やモダン楽器では厳密なグラデーションにはなっていないものが多くあります。リュポーやヴィヨームのヴァイオリンでは表板の厚さがすべて同じになっています。グラデーション理論が正しいならこれらの楽器の音が悪くなければいけません。
しかし実際には悪いどころかソリストに愛用されています。
オールド楽器でも厚みにはばらつきがあり法則性がはっきりしません。デルジェスでは表板の中央よりも周辺の方が厚いものがあり、私はコピーを作ってみましたが、ヴァイオリン教授に絶賛されて教え子が使っています。全く正反対にしても音は悪くなりませんでした。

大雑把に言えば中央を厚めにした方が壊れにくいということは言えます。昔の人はそのように考えた事でしょう。その結果300年経った今でも健康な状態を維持することで良い音を出すことができます。特に裏板の中央は薄すぎると変形してしまいます。しかし音についてはよく分かりません。壊れやすい所が厚めになっていればそれで良いのでしょう。
一方でホフマンのように良く鳴っていますから間違ってもいません。音は好みの問題で作りは何でも良いということですね。

このため改良と信じていたことも客観的にはさほど意味が無いことだったのかもしれません。

グラデーション理論に基づいて作ると、厚い部分と薄い部分、その中間の部分を作るために、全体的に板が厚めになってしまいます。広い範囲で薄く作ったものや全体を薄く作ったものより厚くなるのは当然です。ただ単に厚めの楽器というだけです。差をつけるためにカントゥーシャではホフマンよりもさらに表板の中心が厚くなっています。中古楽器なら買い取るのをためらうような厚みです。

一方周辺部の厚みは、私の経験上結構重要で、自作や量産の楽器を改造して周辺部分を薄くすると、板全体を薄くしたのと同じような効果が得られるようです。

このためカントゥーシャの楽器は中央の厚みの割には弊害が少なくなっているのではないかと思います。
結果オーライで現代の楽器としては普通の音の楽器になっています。好みの問題です。見た目でもそうですが音もオールド楽器を目指しているわけではないようです。

いずれにしても、板は多少厚めでも薄めでもグラデーションがあろうとなかろうと好みの問題で何でも良いのでしょう。細かいことを気にしてもあまり意味がないのです。

ホフマンのように改良前の楽器でも十分鳴るので音は好みの差でしかありません。ホルンシュタイナーのように全く違う音も好みの問題です。

ニスについても70年もすればそんな差はどうでもよくなるようです。厚いニスは音が良くないという人がいますが、この楽器ではニスの厚みをもろともしないくらいに鳴ります。


法則性や規則性はほとんどわからないので何も知る必要はないということを知る必要があります。職人が何を考えていようと理屈を聞く必要はありません、実際に音を試せばいいだけです。マニアのような人たちの多くは頭の方が先で、音もそう聞こえるようです。そうなると一般の人の方が音が良い楽器を選べるでしょう。
私が書いたようなことも全くの見当違いかもしれません。

とかく人が知らないことを知っていると偉いような感じがしますし、知らないと不安になります。「多く知っていることが勝ち」という知識争いになります。ネットなどで語るには揚げ足取りの神経質な指摘を受けないように武装する必要があります。武装合戦はカルチャーを間違った方向に向かわせてしまいます。

とかく細かいことを知っていると説得力が出ます。オールドの時代には何となくこんな感じと作っていたのが、0.1mmまで規則性を定めると混沌とした世界に神が降臨したように思えるでしょう。しかし実際には、その寸法から外れても十分音が良い楽器がいくらでもあります。具体的な数字ではなくオールド楽器のように「何となくこんな感じ」を知っていることが重要なのです。こうなると安い楽器と高い楽器に明確な違いが無く、教えるのも難しいです。このため数世代もすると作風は失われてしまうのです。親子でさえ伝わらないことが多くありました。

そんなのは職人の勘の話ですから、ユーザーとしては先入観を持たず、ウンチクよりも音で選ぶ方がましだということを知っていることの方が偉いのです。製造コストに関わる品質については職人のチェックを受ける必要があります

自分が作っているものは完璧だと考えると、間違いが見つかるととても恥ずかしいですね。私は音については分からないと正直に打ち明けたほうが楽になると思います。
自分を全知全能と設定すると嘘を重ねることになります。人間はみなアホだというスタンスで見たほうが真実に近いと思います。

技術的な内容は一般の人には理解は無理です。
いつものように質問などには時間が絶望的に無く答えませんので。
こんにちはガリッポです。

よく忙しいと言っていますが、現代のビジネスマンのそれではありません。オールドヴァイオリンの時代は江戸時代くらいです。さほど昔ではないですが、それでも現代とはまるで違います。

東京から京都に行こうと思えば、歩いて行っていました。どうも歩いていくと2~3週間くらいかかるそうです。しかしヴァイオリンを作るのはそんなに短い期間ではできません。
一台のヴァイオリンを昔ながらの方法で作るには山口県の下関から青森県の大間埼まで歩いていくくらいの日数がかかるでしょう。

そんなことする人は今ではほとんどいないでしょう。自動車や鉄道を使うかもしれません。それと同じことはヴァイオリン製作でも行われていて、機械で生産されているものです。飛行機や新幹線を使うなら、中国製のヴァイオリンに自分のラベルを貼って売れば同じようなことです。他の産業では当たり前のことです。

徒歩でもリレー方式にしたらどうでしょうか?それは分業による昔の大量生産です。自転車に相当する手動の機械はローマ時代からあります。弟子に回させたこともあるでしょう。

江戸時代の暮らしをしているので時間が圧倒的に足りないのです。歩いて本州縦断するような無茶なことをしようとしているので時間が足りないのです。こんなことをしようと思うのは私がまれに見る暇人だからです。暇人であり続けないと楽器は作れません。

徒歩で下関から青森まで手紙を届ける仕事を頼まれたら、みなさんはいくらだったらやるでしょうか?それが楽器の値段です。

これがチェロになると、少なくとも2往復です。150万円でチェロを作れば飛ぶように売れますが、150万円で本州縦断2往復をやるでしょうか?

例えが正確ではありませんがいくらか想像しやすくなったでしょうか?

弦楽器製作は天才的なひらめきではなく地道な作業なのです。才能などは必要なくやり遂げさえすれば誰が作っても称賛に値するのです。


仕事以外の時間で楽器を作ろうとすると一日に平均して6kmくらいずつ進めるとします。体調不良や用事があれば平日に6km進むのも簡単ではありません。映画もサッカーの試合を見ることもできません。

人に呼び止められ話しかけられてしまうと場合によっては3kmしか進めなくなってしまいます。
それを次の日に取り返すことはできません。道に迷って進めない日もあります。

このペースでは8か月あってもゴールに到達できるかもわかりません。そのもどかしさに苛立ってしまうのです。

ブログの記事を書くのに10km以上進むのを犠牲にしています。それすらとてももどかしく思います。
あくまで日々の仕事の中であったことを書くだけです。そのために何かの準備はできません。
仕事中にも写真を撮れる時は限られています。仕事中ですから。


何か記事を書くと、それについて疑問が生じます。ある程度までなら疑問が出るであろうことを予測することができますが、あえてそれは書いていません。
なぜかと言うと生じるであろう疑問について説明を書くと、今度はその説明に疑問が出てくるからです。
説明すればするほど疑問が多くなります。

そうなると文章が複雑で分かりにくくなり、素直な読者の気が散って知るべきこととが伝わらなくなります。

どっちにしろ書いてあるのに間違って理解して疑問が出てきます。私にはどうにもできません。

人それぞれ自分の暮らしをしていて自分の興味関心があります。関連する記事が出てくると思い出します。自分の関心ごとで頭が一杯になり書いてあることはそっちのけになります。それに答えるのは無理ですので。
私の内情は書きたくないこともあります。

先週は無理して日曜日の夜に記事を書いて、睡眠が上手くとれずに疲労感で先週の平日はブレーキになってしまいました。神経が図太くていつでもどこでも眠れるのならそんなことにもならないでしょうが作るものも違ってきます。音も違うかもしれません。

無謀なチャレンジをしている最中なのでそれだけで精一杯です。
それでも、私のブログでは実体験に基づいた記事を書いています。本やネットに書いてあることを写しているわけではありません
読む価値があるかどうかはご自分で判断してください。


機械ではなくノミで彫って厚みを出します。
こんにちはガリッポです。

前回の記事の最後に追記をしましたが、修理が終わって週明けにもう一度マティアス・ホルンシュタイナーのヴァイオリンを弾いてみたらずっと魅力的な音になっていました。低音もだいぶ出るようになり、反応は鋭敏でそれでいてつややかで美しい音です。
性能を犠牲にした室内楽用などと考える必要はなく、音色の美しさだけではなく性能面でも同じくらい高価な現代の名工にも負けないことでしょう。現代の職人たちの語るウンチクなんて当てにならないのです。
ドイツの音楽は重厚で物憂げなイメージですが、イタリアの音楽の天上的なエレガントさも表現できると思います。私は弾いてて思わず笑みがこぼれてしまいした。

実はこの楽器の持ち主はコレクターのヴァイオリン教授で、本人に返却すると後日、見た目が美しくなったことと音についてもとても良いと言ってしました。情報としての問題はこの人が弾くとどんな楽器でも良い音がしてしまうことです。

私は何が音の良さなのか答えは言いません。皆さんそれぞれが考えてください。他にも優れた楽器はたくさんあることでしょう。他人の感じることは予測不能なので理性によって、そのような可能性を閉じることはしません。

100人いれば100通りの音の良さがあります
このような考え方は天と地がひっくり返るくらい革命的なものです。あたかも世の中にはすべてに精通した専門家がいて彼らが価値を評価し値段に反映されているという先入観があります。
誰か専門家が名器や名工を評価してその評価に誰もが従うというものでした。しかし人生の主人公はあなたです。

権威を持った専門店が世界にはいくつかあってマフィアと揶揄されていました。それも今では単にオークションによって値段が決まるようになっているようです。無知な人でも名前を知っているような作者の値段が上がるということです。

しかし現実にオークションで楽器を買ったという人は多くないでしょう。一般のアマチュアや、学生、プロの演奏者でも全く違う世界の出来事です。証券や為替の金融市場でやり取りされているお金と、普段の生活の買い物で使っているお金くらい違う使い道です。

私もできるだけ公平にしたいとは思いますが、古典主義者であるということは隠せません。もし革新性を重んじるならそもそもクラシック音楽なんてやるなって話です。
古典を知る良さは、自分たちがどれくらいなのか知ることができるということです。過去を知らないで、自分で考えたり工夫して音が良い楽器を作れたつもりになってうぬぼれているということを私は反省しています。

希少性や珍しさという点でやはり古いものは違います。
どんなにユニークは自由な発想の持ち主でも、時代が違う人の発想まで飛躍することはできません。それが私は面白いです。

特に日本のように西洋分化の歴史の浅い国だと、ある一時期に考えが広まってしまい固定してしまう危険があります。一過性ではなく美ということにより普遍性を求めるなら先入観を捨てることです。古典はそれに役立つことでしょう。かつて国王などがあと取りに芸術文化の教育を施したのは今にとらわれて国を滅ぼさないために必要な視点を身につけさせる意味もあったことでしょう。


発想を転換することで物事の見え方はまったく変わってきます。料理を食べておいしいと思うように、「耳においしい音」という概念を持ったらどうでしょう。こうなると機械のようにスペック性能が優れているという評価はできなくなります。難しい顔をして分析の結果高得点で優れた音だというのではなく、思わず笑みがこぼれてしまうことがあります。
スペックにこだわるのは機械の分野のマニアでも初心者です。何が究極的な目標で、技術が何に役立つのかを考えないといけません。
自分たちが正しいと信じている理論とは全く違うように作られた楽器が現実に機能しているわけですから、理屈は文学のフィクションのレベルです。

アレサンドロ・ガリアーノの続報です。弓の修理が完了したので持ち主のコンサートマスターが取りに来ました。弓もちょっと何年か前なら30万円台くらいの戦後のものです。弓の値段の感覚には日本の方々とかなりギャップがあるようです。修理の間、代わりの弓を貸し出していましたが、常連さんなので、店にある弓なら何でも持って行って良いと試奏して選んでもらいました。何百万もするような弓を師匠は薦めていました。修理が出来上がると「この弓でないとダメだ」と言っていました。弓は自分の体の一部です。高価な弓も彼にとってはコレクターのアイテムにすぎません。

ガリアーノは低音が出るようになっていて、反応のシャープさがありすごい迫力で味わい深いものでした。中音から高音は相変わらず美しいですが、強さもあります。修理前とは全然違う音に変わりました。ただ柔らかいだけだったのが、しっかりした音になりました。

修理したての頃は低音が出てなかったので、修理に失敗したかと心配になりました。持ち主はいい人で気を使って満足しているように言ってるだけかとも思いました。しかしその心配は杞憂だったようです。
オールド楽器でさえ修理直後はそんな様子ですから、新作楽器ができてすぐの音は最低です。実用的に音が良い楽器が欲しい人は新作楽器はやめたほうがいいと思います。私が10年位前に作ったもので日本で使われていたものも、前回の帰国でもだいぶ良くなっていましたよ。新作楽器の場合最低から始まって右肩上がりですね。
作られてすぐよく鳴るとか音が強いと感じられるものは、将来は耳が痛くなるような鋭い音になることでしょう。実際にそうなった相談はよくあります。モダン楽器でも普段弾いていない売り物の楽器では同様です。

尖った音が低音では有利に聞こえ、高音では不快に聞こえるのではないかと思います。同じ性格の音が音域によって異なった効果をもたらすのです。チェロでは低音にスピルコア、高音にラーセンの弦を張るというコンビネーションが考えられたことでも明らかなことです。

尖った鋭い音の楽器は近代以降も現代でもいくらでもあります。でも同時に耳が痛くなるような嫌な音が伴います。ガリアーノにしてもホルンシュタイナーにしても、反応が鋭敏なのに、嫌な音がしないのがミラクルですね。深みや暖かみもあります。「耳においしい音」というわけです。
どうやってそんな楽器を作ったのか、なぜそんな現象が起きるのか興味を持っています。


それに対して鋭い音の楽器でも、その楽器にあった弾き方を身につけると何とかなります。持ち主が弾くとビックリするほど柔らかい音を出すことがあります。
学生などは現実的にそんな楽器を買って励んでいることがよくあります。
むしろよく売れる多数派の優れた楽器です。それも否定はできません。

さらに安価な楽器でも鋭い音のものがよくあります。
そのような音が好きならば高いお金を払う必要もありません。特にチェロでは古い量産品の修理なども重要な仕事です。
お金は十分にあってそのような音が好みなら、職人が見ると安価な楽器にクオリティーや作りが似た高価な楽器を買うことになるかもしれません。現実的にはお金を持っていて高い楽器だけを試奏して良いものを買ったと満足していればそれで良いでしょう。

しかし正しい知識としては安い量産品でも名工が作ったとして売っている高いものでも鋭い音のものはたくさんあり、それがよくある普通の弦楽器の音ということです。50年もすれば鳴るようになります。実際音大を出たような演奏者や先生でも、音が良いと選んだ楽器がとても安価な量産品だったことはよくあります。


こうなると私は音については「何でも良い、好みの問題」としか言えません。
それに対して修理不能なほど傷んでいるとか、高額な修理代が必要だとか、演奏上の欠陥があるとか、作者が偽られているとか、値段が高すぎるとかそういう問題を指摘しています。実物を見ないと写真などではわかりません。


19世紀に真っ平らなアーチで薄い板で作られた楽器は、凝ったものでなくてもとりあえずよく鳴ります。低音は豊かで暗い音がします。うちでは間違いなく売れるものです。現代ではそんな楽器も作られることが少ないので希少です。

人間というのは不思議なもので過去より自分たちが優れていると考え何か工夫したくなります。まっ平らで板を薄くすれば音が良い楽器ができるのに余計なことをしたくなるものです。
20世紀になると板の厚みを増す工夫をしました。

こちらは1900年過ぎのドイツのモダン楽器です。ニスの色が19世紀的です。f字孔もデルジェスのパガニーニが使ったイル・カノーネのようです。ヴィヨームがコピーを作ったことで有名です。その影響を受けたものマネのモノマネというわけです。
しかし板の厚みはかなり厚めになっています。
1900年くらいから板が厚くなっていることが多いです。

ニスは柔らかめのオイルニスでドイツやイギリスの楽器にも見られます。アンティーク塗装ではなく実際に古くなってこのようになったのでしょう。人工的に古くしたものとはだいぶ違います。柔らかい赤いニスが120年経ってこんな感じでに見えます。

ドイツの楽器の特徴は無く、時代の影響の方が大きいです。もしラベルが剥がされてしまえば、ハンガリーの楽器と鑑定されてしまうかもしれません。似ているイタリアの作者の偽造ラベルを貼ればそのようにも見えることでしょう。
この楽器についてはまた修理の様子を紹介できるかもしれません。

我々職人が正しいと信じている理屈がどうやってできて来たかもわからない所でもあります。いつ頃から出て来た考えかは楽器を調べることで分かります。


それに対した全く別の方法を試しています。高いアーチで板が薄いというものです。
高いアーチの楽器についてどんな音のイメージを持ったらいいかですけども、日本語では説明が難しく英語で言うとリジッドが良いと思います。日本語の意味は・・・

 堅くて曲がらない、硬直した、こわばった、厳格な、厳重な、厳密な、精密な、堅苦しい、融通のきかない、厳しい

だそうです。
まさに高いアーチの特徴を表現しています。
ふわふわと柔らかいぼんやりとしたものとは正反対です。

それの良い所を生かして、悪い所は少なくするのが作るうえで目指していることです。クッションが無くダイレクトですから超絶技巧のような速い曲にもあっていることでしょう。

ただいま製作中のヴァイオリンです。


今回はフルサイズのピエトロ・グァルネリモデルで今までにもいくつか作ったものと同じです。それでも微妙な違いや木材によってでどれくらい違いが出るかも興味深いです。
同じものを作っても少しずつ変わってくるものです。

何か考えを持って作っているわけではなくその場の成り行きです。頭でこねくり回して考えたようなものにあまり魅力を感じません。ガリアーノのようにザザッと作って良い音がするのが理想ですが、なかなかそうはいきません。



木材は板目板取りです。


アーチの高さは表板で19mm裏板で18mm弱となりました。表板はオリジナルよりも若干高いくらいです。オリジナルも陥没はしておらずきれいな状態を保っていますが、高いアーチの楽器ではきれいな弧を描くようになっていないと陥没してしまいます。オールド楽器では現在の状態にはとても大きな差があります。うまく作られている楽器は長持ちする分だけ音が良いというわけです。

週末も疲れて寝てしまい時間が全然ないです。返事はできません。















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こんにちはガリッポです。

マティアス・ホルンシュタイナーの修理の続きです。

おもしろいことがあります。
レッスンを受けている学生で先生が変わると楽器を買い替える人がいます。先生が変わると「音の良さ」の概念が変わるのです。生徒は小さな世界を生きています。

一見壊れていないように見えても、弦楽器専門店の店頭に並ぶ状態にするには多くの修理が必要です。それができていないものを買うと後で大きなお金がかかります。今回のホルンシュタイナーのヴァイオリンはオールド楽器にしてはかなり状態が良いです。それでも修理を始めたころの写真の日付は11月になっています。途中休暇があったとはいえ修理が終わったのが3月です。同様の価格帯の楽器が一度に10本も20本も入らないのです。また修理が終わらないことにはどんな音かもわかりません。

天才だの巨匠だのではなくても、一人の職人が修行して勉強して技術を身に着けて一人前になりまじめに作られた「普通の楽器」が傷んだり、壊れる寸前になっているものを「普通の状態」にまで直します。それでようやく「普通の音」が出るようになります。普通の楽器を上手く演奏すれば良い音が出ます。それでも音は様々で好みの問題です。普通以上の音の楽器が欲しいなら私はわかりません。もっと良い店に行ってください。・・・その結果として普通以下のものを買ってくる人が少なくないですけども。


もっとひどい状態なら断ることもあり得るということです。直しているそばから他が壊れてしまい、直しているのか壊しているのかわからない状態になります。表板を開けたら最後いつ終わるかわからないもので損しかしません。作業時間を計算したら現実離れした修理代になります、悲しむ顔や怒る顔を見たくなければ請求もできずに損するだけです。それに懲りた経験から傷が開いたら接着剤を流し込むという対処療法しかしてもらえないこともあります。

一つの楽器が店頭に並ぶまでにはどれだけ大変な事かというわけですが、楽器を買おうという人はそんな苦労は知らずに、パッと弾いては「なんかもう一つ」とか「ロクな楽器が無い」と帰って行ってしまいます。



ネックの話です。
このヴァイオリンの胴体のストップが192mmほどになっています。ストップとはf字孔にある内側の刻みで駒を立てる位置の目安になるものです。胴体の上の端(ネックの根元)からストップまでの距離を言っています。
195mmが標準ですからちょっと短いです。トータルでも弦長がちょっと短くなります。

そこで弦長を標準にするためにネックを3mm長くすることが考えられます。
一方でネックとストップの比率を重視するなら逆にネックも短くするという考え方もできます。ネックとストップの比率が2対3が標準なのでネックが128mmとなります。

弦長を正しくするのか、比率を正しくするのかどちらが良いでしょうか?


量産楽器ではネックの長さがまちまちでしたが130mmです。

私は駒を立てる位置を192.5mmとしネックの長さを130mmとしました。
これくらいだと弾いた時に「少し楽だな」と感じるくらいです。楽というのは指を伸ばさなくても良いという意味です。
これでネックまで短くすると音が外れてしまいます。

胴体のストップの方がちょっと短いのはそれほど問題にはならずむしろ楽に感じられるでしょう。逆にストップが長い楽器は困りものです。ただし手の大きさなどによって個人差があります。

192~3mmのストップはフランスのモダン楽器にはよくあります。欠陥品というほどではありません。


ネックの継ぎ目も目立たなくなりました。


ペグの穴は過去の穴の位置を尊重しています。
このオールド楽器で特徴的なのは4つの穴が均等に空いているのではなく、上の二つと下の二つが寄っています。これはなぜでしょうか?

ペグを取り付けたときに上下のペグの間隔が広くなるからです。写真では左側のD線とG線のペグの間の間隔です。

指を入りやすくするためです。このように昔の人は実用的なことを考えて楽器を作っていたということです。かと言って何もかも実用に特化したものではないというのが弦楽器のしゃれたところです。
これが現代の工業製品との違いです。
今でも実用的な製品が開発されるとそのうちデザインに差をつけ始め、実用性が無視されるというのが繰り返されています。
このようなシンプルなタイプの上質なペグの入手が難しくなってきています。

こちらは長年使用されているヴァイオリンです。使っているうちに摩耗しペグの穴が大きくなっていきます。ペグも摩耗したり曲がったりするので削り直します。ペグが摩耗してくると弦が止まりにくくなってしまいます。ギュウギュウ押すとさらに穴が大きくなるというわけです。張力の強いE線では顕著でE線のペグ穴が他よりも大きくなっていることが多いです。

そうするとどんどん中に入って行って短くなっていきます。今回新しく取り付けたペグに比べると短くなっています。次に交換するときにはもう少し太いペグを取り付けます。どんどん太くなって限界になると穴を埋めて開け直します。
少なくてもネック側の二つの穴は埋めないと継ネックができません。二つだけ埋めると新しく入れるペグの太さがまちまちになるか、せっかく埋めた穴を大きくすることになります。今回は4つ全部の穴を埋めて開け直しました。
ペグは細いほど、弦を巻き取る速度が遅くなるので微調整がしやすくなります。太くなりすぎたペグは見た目に窮屈であるばかりか実用上も理想的なものではありません。
このような音とは関係ない部分も修理にはあります。音が良いと楽器を買っても修理がされていなければ、後で相当なお金がかかります。中古楽器はこのような修理箇所があちこちにあります。足していくとすごい金額になります。


高いアーチの楽器で難しいのはネックの角度です。ネックの角度は駒の高さに影響します。指板と弦との間隔を正しくするからです。指板と弦の間隔は近すぎると振動する弦が指板に触れて異音が出ます。離れすぎると抑えるのが大変になります。ネックの角度によって付けられる駒の高さが決まるのです。
駒が低くなりすぎると弓の可動範囲が狭くなります。

駒が低くなりすぎたチェロが持ち込まれました。

弓が表板の端にぶつかって傷ついています。

演奏しやすい状態にするために駒は高さが十分にないといけません。さらに一般的に駒を高くしたことで元気よく音量が増す経験を多くしています。

ネックの角度は使用しているうちにどんどん弦に引っ張られて下がってきます。専門店として楽器を販売するには修理ができている状態で売らないといけません。個人売買で買うと買った後で修理が必要になるかもしれません。特にチェロで継ネックが必要だとなればかなりの費用になります。量産品の多くは楽器の価値よりも修理費が高くなります。

問題になるのは高いアーチの楽器です。

修理を終えたホルンシュタイナーに弦を張った状態です。
弦には駒を頂点とした角ができます。この角度が問題になります。
角度が急であるほど表板を押し付ける力が強くなります。ちょうど弓矢を射る時に、大きく弓を引いた方が強い力がかかるのと同じです。
駒の高さを標準にするために、ネックの角度だけを急にすると表板を強く押し付ける力がかかります。
200年経っても無事な楽器ならそれで壊れることはないでしょうが、音の点で疑問があります。どちらかと言うと高いアーチの楽器こそ細く窮屈な音になりやすいので弱めの圧力で豊かに鳴らしたいところです。

そこで

ネックの根元の高さを考えます。

今回は7mmほどにしました。通常は5~6.5mmです。
普通は新作楽器の製作を最初に学ぶので教えられた寸法ですべての楽器をやろうとしてしまいます。ルールのようになってしまうのです。

このようなルールはオールド楽器には当てはまりません。
理屈で考えてみると標準よりもアーチが高い分だけここの部分も高くしないといけません。前回お話ししたサドルも同じです。
フランスやイタリアの19世紀のモダン楽器ではもっと低く数ミリしかないためネックはとんでもなく斜めになっていました。フランスでは戦前までそのようなネックのものが作られていました。ミルクールの楽器を見分けるポイントにもなります。

しかし高くするのは限界があります。単純計算では高いアーチでは8mm,9mmまたはそれ以上になることもあります。見た目にも明らかに不自然だし、ネックの角度が浅いとネックが下がりやすくなります。下がったときに、指板の下に板を入れて角度を調整することもできません。既に高いのがもっと高くなるからです。

ともかく結果的に駒のところを頂点とする弦の角度を測ってみたところ158度になっていました。これは新作楽器やモダン仕様としてはごく標準的なものです。157度くらいでもOKですので、むしろ少し平らな方です。
ただし、これが本当に音にとって最善かどうかはわかりません。後でサドルを低くすることもできます。

この角度は弦を張るまでわかりません。サドルの高さやネックの取り付けに気を付けてやった結果です。予想がどんぴしゃりと当たりました。

高いアーチの楽器では、ネックの根元が低いと指板が表板すれすれになったり、サドルが低いとテールピースやアジャスターが表板に触れてしまうことがあります。
高すぎるサドルは弦の力で引っ張られて倒れやすくなります。オールド楽器のメンテナンスをするとサドルが外れかかっていることがよくあります。


コントラバスではこんなものがあります。コントラバスでは表板にすごい力がかかって変形や割れなどの故障が多いからです。木ネジで止めてあるのに倒れそうになっています。高すぎると弦の力に耐えられません。

知られていないことではありませんが、ヴァイオリンの修理で意識している人は多くありません。
ちょっとの工夫でモダン仕様のヴァイオリンとして理想的な状態にすることができました。このヴァイオリンはオールドではありますが、極端にアーチが高いというほどではないということです。ストラディバリでもこれくらいのものはざらにあります。
本当に高いアーチの楽器では困ったものです。


これは合板のコントラバスですが表板が陥没しています。

本来アーチは膨らんでいるはずです。このようなコントラバスも意外と音は悪くありませんが、再び売り物にはならない「使い捨て」の品質です。使い捨て前提で現代の工業技術で設計したほうが音が良いかもしれません。買い替え需要も生まれて他の産業分野のようになるでしょう。自動車などは実用化して100年以上なるのに未だに耐用年数が10年くらいしかないのですから。耐用年数を伸ばすような開発は行われず、たくさんの車が売れるように壊れやすい車を開発しています。

ネックの根元の高さをどうやって調整するかですが、胴体に彫りこまれた溝はV字というかハの字の逆さになっています。この左右の面を広げるとテーパー状になっているネックが下がっていきます。左右の面を削って広げることで下がっていきます。下がり過ぎたら戻せません。
また左右の傾きによってネックも傾きます。指板の高音側や低音側が高くなったりします。

ともかく理想的な状態として売りに出すことができるようになったというわけです。高いアーチの楽器ではネックが下がりやすいですが、多少下がっても直ちに音が悪くなるということではありません。むしろその方が相性が良いかもしれません。アーチと駒を含めた高さで考えることもできます。下がってもまだまだ高いのです。
その時は駒の脚の幅の狭いものを取り付けます。そうすると縦横比の関係で見た目でそんなに駒が低く見えません。それを想定してバスバーの位置を決めてあります。

修理は何十年という単位にで考えています。ゲームで言うとライフや残機、クレジットが満タンの状態です。

表板のエッジに板を張り付ける修理もしました。ニスの補修を終えればそれほど目立たなくなったことでしょう。
ネックの方も他の部分と違和感が無いようにしました。またどうせに使っているうちに手が触れる所はニスがはがれ汚れがついて行きます。


上の図のようにエッジは摩耗して厚みが薄くなります。古い楽器では薄くなっていることが多いです。
また横板との接着面は開けたり閉めたりを繰り返すうちに傷んでいきます。
傷が平らになるまで削り直したところに新しい木材を貼り付けます。
どれくらい傷んでいたか写真を撮ったつもりでしたが見つかりません。他のヴァイオリンのものです。

これは作られてまだ2回開けられただけでしょう。ホルンシュタイナーはもっとひどかったので、修理を決断しました。

厚い木材を貼り付けてから削り落として薄くします。薄い木材は水分を含むと変形してしまうため、接着するときにグニャグニャになってしまうからです。
効率が悪いようですが仕事の正確さを重視した贅沢な方法です。

最終的に加工するとこうなります。


他の部分です。

摩耗していたコーナーは

このようになりました。ニスも光沢があります。

こういうのは演奏者は気にしない人も多いです。自分の所有物なのだからぐちゃぐちゃのボロボロになっても音さえよければ良いと言えます。多数派でしょうね。そもそもコーナーなんて無ければ良いのです。そのようなものは19世紀に発明され特許も取られていますが普及しませんでした。

しかし文化遺産でもあります。大事にすることで愛着を持つことなどは楽器の機能を追求することとは違いますが、人生にとっては意味があるかもしれません。

f字孔にはシュタイナーの特徴がありドイツのオールド楽器全般の特徴でもあります。フィレンツェやベネチアなどイタリアでもいくつかの産地ではシュタイナーを真似たものが作られました。
そのため「シュタイナーモデル」の印象が強いですが、この楽器では形はシュタイナーそっくりではありません。

形はかなり独特で個性的です。ミッテンバルトの特徴でもあるし作者の特徴でもあるでしょう。ウィーンのものの方がシュタイナーに忠実なように思います。それで言うとミッテンバルトの作者にはイタリアの作者と同じように個性があります

時代が1750~1800年ころでシュタイナーやアマティなどよりはだいぶ後の時代です。すでにモダン楽器への進化の動きがあります。ミッテンバルトの楽器はすぐにストラドモデルにするのではなく、ドイツのオールド楽器の特徴を持たせたまま、新しい時代の楽器を創作しています。フランスのモダン楽器とは全く違う方法でモダン化が進んでいました。それも19世紀になると見よう見まねでフランス風になり、正式にヴィヨームの下でルドビヒ・ノイナーが修行してフランス風の楽器製作に転換しています。20世紀にヨーゼフ・カントゥーシャなどはそれさえも学ばず、ストラディバリの特徴もフランスのモダン楽器も理解していません。もちろんオールドのミッテンバルトのものとはなにも類似点がありません。
楽器製作というのは数世代も経つとすぐに忘れられるものです。他の作者はオーソドックスにストラドモデルとガルネリモデルを作っていたことでしょう。他の20世紀のミッテンバルトのヴァイオリンがあるので調べてみます。

ホルンシュタイナーに話を戻すと、古典的なシュタイナー型の南ドイツのオールド楽器よりも構造的にモダン化が起きています、1800年頃になってくるとミッテンバルトでも見た目もストラド的になってきます。それでも完全なコピーではなく、要素として織り交ぜていく感じです。それで言うとオールドとモダンの中間的なものとも言えます。創造的で個性的です。イタリアの楽器の値段が高いのは個性があるからだというのはおかしいですね。嘘ばっかりでセールスマンのレベルの理屈です。


裏板の上から3分の2の部分は黒っぽくなっていて下の方がニスが剥げ落ちて無くなり、保護のニスが塗られています。
上の黒っぽい所のほとんどは私は後の時代に塗られたものだと思います。実際にはほとんどのニスが剥げ落ち、オリジナルのニスがあるとすればミドルバウツの溝にわずかに残るだけだと思います。すべてを保護のニスだけにしていればイタリアの楽器のような黄金色になっていたことでしょう。
まるでアンティーク塗装で新作楽器を作るように黒いニスを塗ったようです。なぜそんなことをしたのかは謎です。修理人のセンスとしか言えません。

考えられるとしたら表板が汚れで黒くなっていて、他が明るい色なのはおかしいということでしょうか?
オレンジなど修理したその時代の新作楽器のニスの色に塗られているよりはマシです。

コーナーは摩耗していますがとても繊細な仕事です。

横板の黒い部分も後の時代に塗られています。
古い楽器なのに古い楽器に見せかけるような塗装をしているのが不思議ですね。

ミッテンバルトの特徴の一つは横板のロワーバウツのところが一枚の板でつながっていることです(継ぎ目がない)。クレモナも含めてオールド楽器ではよくあるものですが、ミッテンバルトでは毎度のことです。ブロックを交換するとともに横板の穴も埋めて開け直しました。位置が下になりました。表板に近い方に穴が開いているのもこの時期のミッテンバルトの楽器に見られます。修理によって横板が真ん中で切られていることもあります。表板や裏板の縁が摩耗したり乾燥して小さくなると横板が合わなくなるので切って縮める修理があります。
前回話した裏板や表板の合わせ目を削り直しても同じです。

アーチは現代の楽器ほどフラットではありませんが、そんなに高くもありません。時代がモダンに近づいています。


極端にドイツ的な四角い台地状のアーチにはなっていません。癖はそんなに強くありません。ただしミドルバウツの溝からの「えぐれ」が深いです。

ドイツのオールド楽器が過小評価されていると言ってきていますが、厄介なこともあります。魂柱を立てる(取り付け)のが難しいのです。アーチが綺麗な弧を描いていればセンターの辺りは中の空間が縦に広く、外側に来るほど狭くなっていきます。センター付近で魂柱を起こして外側に引っ張るときつくはまっていきます。魂柱の上下の面を表板と裏板の内側の面に合わせて加工していきます。
ちょっときつめに入れて隙間以外のところを削ります。そうすると面とあってきて少し緩くなります。それを繰り返して適切な位置にピッタリ合わせます。

これが台地状のドイツのアーチだと、駒の脚の下の範囲ではどこまで行ってもきつくならないのです。さらに古い楽器では変形して魂柱のところが一番空間が広くなっています。こうなると理論上不可能です。それを何とかするのが仕事ですが時間はいくらかかるかわかりません。魂柱交換くらいは価格表にのっとって代金を請求するかもしれませんが大損です。

この楽器はましな方ではありますがやはりかなり苦労しました。イタリアのものでもオールドはやはり苦労します。通常の倍くらいはかかっています。魂柱も2本目を入れて成功しました。それでも倍の料金を請求はできません。このように損していることの方が多いですね。

他にも大変なケースは表板や裏板に魂柱の角でくぼみができているものです。合わない魂柱に弦の張力がかかればくぼみができます。一度できると二度と魂柱を上手く合わせることはできません。
マニアのような演奏者が自分で魂柱を入れたり動かしたりすれば、表板や裏板にダメージがあり、二度とカッチリと魂柱を入れることができなくなります。

別の楽器ですが

魂柱の角でくぼみができています。
演奏者は魂柱調整で音が良くなって満足したり・・もう少し、もう少しとなかなか満足せず何度もやることがありますが、やればやるほど、魂柱は不安定になっていきます。ちょっと動かすだけで音が大きく変わるということは、魂柱の角だけで接地しているということです。角で接地しているということは凹みができる原因ですし、圧力がかかって凹んでいって音が変わることもあるでしょう。動かした瞬間は角で接地していて音が変わり、埋もれていくと接地面積が増えます。魂柱調整をした後はキリっとしたような音だったのが、後でいつもの音に戻ってしまうというわけです。

表板を開ければ、水を染み込ませて温めたりすると凹みは戻りますし、にかわ水を入れたりもできます。それでもわずかに残る凹みは軽く削ってなだらかにできます。
魂柱パッチのような修理では完全に直せます。

板の厚みとサイズです。ラベルも多少厚みがあるので位置を書いておきました。
ドイツのオールド楽器の特徴はセンターの合わせ目が厚めになっていて左右外側に行くにしたがって薄くなるものです。センターの接着面積を大きくする効果があるかもしれませんがそれでも合わせ目が開いていました。
表と裏が同じ厚さであることもよくありますが、この楽器では表板の方が薄くなっています。20世紀の楽器に比べるとやはり薄くなっています。
裏板の中央は3.5mmですが、魂柱に押された大きな変形のトラブルはなく無事です。表板には割れがいくつかありますが、板の厚みが原因とは言えないでしょう。これくらいの割れは厚い楽器でもいくらでもあります。

サイズはやや小型です。ミドルバウツはストラディバリと変わらないくらいあるのでそこまで窮屈ではないでしょう。ドイツの楽器は小さい割にはくびれは大きくありません。ストラドモデルからすれば上下の幅は6mmくらい小さいです。裏板の全長も354mmなのでそこまで小さくはありません。

弦を張った写真を取り忘れていましたが、弦を張ってみました。

弦にはいつものようにオブリガートを張ってみました。あとで変えることはできます。
いつも使っている弓が無かったので同じ比較にはなりませんが、現代の楽器と同じように弾くと、ギャッと当たりの鋭敏さを感じます。少し加減すればマイルドな音で嫌な音はありません。それでも音がもやっとこもっているのではなく、外に向かって飛び出てくる感じがします。高音はこの前のザクセンのオールド楽器ほど柔らかくありませんが、しっとりとして鋭さは無いです。極端に低音が強い暗い音ということもなくどの音もはっきりと出てきます。モダン楽器ならもっととがった音の楽器はありますが、耳障りさも伴います。これは嫌な音は全然ないです。
全体的にすごく個性的ではなく、ごく真っ当な感じです。印象はそれほど強くありませんが、同じ音が新しい楽器であるかと言えば難しいでしょうね。オールド楽器としてはごく普通のものです。

以前試したニコロ・ガリアーノに近い感じがしました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12842836520.html
板の厚みも似ています。同時に弾き比べたら違いが分かるかもしれませんが、明らかなイタリアの音とかドイツの音とか全くわかりません。オールド楽器はそれぞれが音が違うとしか言えません。
ましてや現代のドイツの楽器とオールドのドイツの楽器に共通する音の特徴なんてわからないし、イタリアのオールドと現代のイタリアの楽器に共通する特徴もわかりません。
それよりもオールドに共通する特徴、現代の楽器に共通する特徴の方が分かると思います。つまりオールドのイタリアとドイツの楽器が似ていて、現代のイタリアとドイツの楽器のほうが似ているのです。

国よりも時代でカテゴリーを分ける方がマシかと思います。

イタリアの楽器は華やかでドイツの楽器は地味な音がしてほしいかもしれませんが、分からないですね。見た目は黒くてそんな感じもあります。音はわからないです。これは音を職人が意図的に作ることが難しいからだと思います。バロックや古典派の時代にイタリア人とドイツ人の作曲家で曲が違うか同じかも難しい所です。ボッケーリーニとモーツァルトで違うかと言うと分かるという人もいるかもしれません。ただの個人差なのか国の違いなのかもわかりません。私はバロック音楽好きなのでテレマンとタルティーニは違う感じがします。

それに対して教会の建築や装飾、宗教画などはイタリア語とドイツ語圏とでは同じカトリック教会でもはっきり違いがあります。それに対して美意識に違いがあっても、音の違いを作り出すのは難しいのです。ヴァイオリンも見た目でははっきり違いがあるのに、音の違いはよく分かりません。音でイタリアのものかドイツのものか聞き分けるのは無理だと思います。でも値段は10倍は違います。見た目ならはっきりわかります。楽器の売買は音ではなく見た目で判断しているのです。


この楽器の値段ですけども、相場としては最大25,000ドルまたは25,000ユーロとなっています。計算が合いませんが相場は見方が複数あります。
円安の現在でおよそ400万円位と考えて良いでしょう。通常なら350万円位です。
一方イタリアの小型のオールドヴァイオリンなら4~5000万円位はするでしょう。ゼロが一個多いですね。
ホルンシュタイナーがソリスト用として最高のものとは言えないかもしれませんが、イタリアの小型のものでもそれは同じです。オーケストラ奏者や教師、もちろんアマチュアなどが使うには魅力的でしょう。

世の中の物価の上昇を考えるとドイツのオールド楽器だけが据置というのもおかしいです。オークションでは誰も興味を持たれないというだけです。全体の楽器の売買のわずかな割合を占めるオークションが値段を決めるすべてだというのもおかしいです。3万5000ユーロで売ってもイタリアの楽器に比べたら上昇率は穏やかなものですし、もともとが安すぎます。これは持ち主が決めることです。



アレサンドロ・ガリアーノでも修理してからどんどん音が良くなってきているということですから、修理したてよりも使い込んだ方がさらに良くなっていくことでしょう。低音ももうちょと出てくるかもしれません。

また変化やうまい人が弾くようなことがあれば追っていきたいと思います。

さらに週明け再び弾いてみると音がだいぶ変わっていました。
反応のシャープさは増し、低音も出るようになっていました。弾いていて思わず笑みが出るような楽しさです。これぞオールド楽器という魅力にあふれていました。それでいて滑らかでつやが出て美しいです。
ニコラ・ガリアーノとはまた違う音になりました。

もはや性能を犠牲にした趣味趣向だとか室内楽的なオールドヴァイオリンという断わりは要らないでしょう。音色が美しいだけでなく現代の楽器にも負けないと思います。




テーマ:
こんにちはガリッポです。

※操作ミスで同じ記事が2度投稿されてしまいました。
コメントももらっているので消すわけにもいきません。

はじめに、中古品のヴァイオリンの方が鳴りが良く値段も安いので新作楽器は仕事としては成立しなくなっています。何度も書いていますが、読み飛ばされるようです。これは深刻なことです。50年前の職人が今の職人に比べて劣ってることはありません。現代の物価の上昇を価格に転嫁すると新作楽器が高すぎます。
亡くなった職人はアピールができないというだけで実力では現在の職人に劣っていません。新作楽器が優れているのはプレゼンテーションだけかもしれません。音だけで選ばれたら太刀打ちできません。


A・ガリアーノの続報から。
ますます音が良くなってきているとのことですが、駒がずれていたので直しました。するとまたきれいに演奏できるようになったとのことです。
E線側の駒の脚がずれE線の弦長が長くなっていました。
なぜ起きたのかはわかりません。移動などで開けたらズレていたということもあります。
弦長だけではなく魂柱との位置関係もあります。そうでなくても音は理由が無く何かが変われば変わります。駒が少しずれるだけでも音は変わります。
その話はまた改めてするとして、音は低音の量感が増して音が暗く暖かみが増していました。高いアーチらしいダイレクトさもあります。今回は「クラシック弓」と呼んでいるバロックとモダンの間のような弓を使っていました。それも音の違いかもしれません。
ともかく修理前のやたら柔らかい音とはだいぶ違う音になってきました。オールド楽器の音は修理によっても全く変わってしまいますね。
傷んでいて柔らかい音がするのが「オールドの音」というわけでもないのです。高いアーチの表板は持ってみると強度が高くて柔軟性がありません。音も本来ならダイレクトでクッション性を感じないはずです。言ったら高級車と言うよりもレーシングカーのようなものです。それを柔らかいクラシック弓で見事に演奏するのはさすがに上級者ですね。


マティアス・ホルンシュタイナーの修理の続きです。
ホルンシュタイナー家は南ドイツのミッテンバルトを代表するメーカーです。近代まで続いて量産メーカーのノイナー&ホルンシュタイナーとしても知られています。
さらにマティアス・ホルンシュタイナーも何人もいました。

マティアスでもさらに地名などによって区別されているようです。「ミッテンバルトのホーフシュミード」と書いてありますが、これが一番有名なホルンシュタイナーです。それなのに本に写真などはわずかしかなく、私が見ても本物かはわかりません。有名なドイツの鑑定士が認めたそうです。


横板には割れがありライニングを切り取って厚みを増す修理がしてありました。

1.2mmくらいの横板に厚みを増して3mmほどになっていました。
ガリアーノでは横板を切り取って新しいものにしましたが、そこまで大破していません。

ライニングを新しくしてピンポイントで補強しました。以前よりはオリジナルの状態に近いでしょう。これくらいは音への影響はわずかでしょう。

下側のブロックはひどく傷んでいたので交換しました。エンドピンのぐらつきもエネルギーの損失となるでしょう。
こちらも横板に割れがありました。あご当ても原因の一つです。テールピースをまたぐタイプのものをお勧めします。あご当てを安価なものにしたために高額な修理代がかかります。
開いていた裏板のセンターの合わせ目も接着しなおし、木片で補強しました。


こちらは修理前

そして修理後

合わせ目が開いていて羊皮紙でつながっているだけだったので、魂柱からの力に対抗できなかったはずです。これもエネルギーのロスになるでしょう。アコースティックの楽器では動力源は人力なので、エネルギーの損失はまずいですね。
多少は音色などの個性になりますけども、割れとか剥がれなどは大きなロスです。
古い楽器なので完全に接着することは不可能です。合わせ目を削り直すと幅が小さくなってしまいます、よほど重症でない限りはやりません。しかしあからさまに隙間が空いていることは無くなりました。
またニスがはがれたところは、黄金色になっています。イタリアの楽器だけが何か特別なのではなく、ドイツの楽器でも古くなれば黄金色になります。
木材に強く着色したり、薬品などで処理すれば違ってくることもあります。着色はイタリアの作者でも行われてきました。
クレモナのオールド楽器にニスの秘密があるのではなく、特別なことを何もしなければ黄金色になるということです。

表板のコーナーは摩耗が進んでいます。

特にまずいのは右上のここです。
わかりますか?
修理で新しい木材が足されてますが、オリジナルのパフリングが無くなっていて、線を描いてあるだけです。


新しくパフリングを作っていれました。

そのあと普通のコーナーの修理です。

裏板も同様です。過去の修理で失われていました。
完成の様子は次回です。

やはり新作楽器が作れないと修理はできません。単に自分のスタイルで楽器を作るのではなく他人のやり方を学ばないといけません。ホルンシュタイナーも細かい細工が綺麗にできていて、マイスターのクオリティであることが分かります。パフリング細部の丸みについてはイタリアの楽器以上のクオリティです。このため新作楽器が下手なので修理に転向するということはできません。


ネックはモダン仕様にします。プロの演奏者でも十分使えるものとします。

穴が開いていますが今回は釘は使いません。モダン式では胴体ができたところにネックを取り付けるので釘を打つことができません。
モダン式では、彫りこんだ溝でネックの角度や長さが決まります。胴体ができてからネックを取り付けるのでより正確に取り付けることができるわけです。バロック仕様では先にネックをつけてから胴体を完成させます。この時指板の厚みで角度を調整します。駒の高さに指板を合わせるとネックの根元側が厚い傾斜した指板になります。

モダン仕様では、ネックを取り付ける溝の加工で傾きや長さが決まります。傾きは駒の高さだけではなく、3次元すべての方向があります。量産品のように作業時間を短くすることを重視して作られたものは、指板が楽器の中心を外れていたり、E線やG線のどちらかが高かったりします。ネックの長さもバラバラです。

たまたま手元にあった量産品のネックの長さを測ってみました。

指板の先端が130mmになっているのが標準です。このヴァイオリンでは133.3mmほどになっています。

別のものでは127.5mmくらいですね。指板も黒檀ではなく白い木を黒く染めたものでした。
戦前の量産楽器ではこのように低い精度で作られていました。
なぜこのような誤差が出たかはわかりません。経営者や工場のマイスターは正しい寸法を知っているはずですが、安い値段にするために目をつぶって売っていたということですね。

技術的に解説すると胴体に溝を彫る時に、深さが足りないとネックが長くなり、深すぎると短くなります。慎重に作業を進めると失敗しませんが時間がかかります。急いでやると彫りすぎてしまったり、足りなかったりします。
またネックを加工する方も同様です。ネックをのこぎりで切断するのも慎重にすると長くなり、失敗すると短くなってしまいます。時間をかけて良いなら少し長めに切って、カンナで仕上げればいでしょう。ある程度は胴体の方で調整できますがそれ以上の誤差があれば取り付けもできなくなります。
別の人が担当していたのならば、ネックを取り付ける係の人は「ネックを切断した人が悪い、私は悪くない」、ネックを加工する人は「ネックを取り付ける人が悪い、私は悪くない」と意見を主張することでしょう。
人の言う「意見」などは聞いてもしょうがないですね。私は結果しか興味がありません。

この長さは演奏上重要になってきます。2~3mm違えば複数の楽器を所有した場合に同じように使えません。長さが正しいと数学的に理想で音が良いというのではなくて、指板上の指で押さえる位置に影響してきます。弦長が長ければ抑える間隔が広くなります。
胴体の駒までの距離(ボディストップ)とネックの比率も重要です。
ネックが短いと親指をネックの根元に当てたとき、指を伸ばさないといけなくなります。
初心者などはそんな音は使いませんし、違いも分からないので滅茶苦茶なまま売られていたわけです。ネックの長さが間違っている場合、継ぎネックの修理が必要になります。継ぎネックの費用がヴァイオリンの値段よりも高くなるのでゴミということです。いくら安い値段で買っても損というわけです。我々が楽器を買い取るときは選別しますが、一般の人が中古品を買うことがいかに危険かということです。

弦楽器の場合には寸法などの重要性に優先順位があります。

初心者用の楽器で最優先されたのが「値段の安さ」でした。演奏上重要な項目さえも無視されたのです。

古い楽器を修理する場合も同様です。お客さんが高い修理代を払う覚悟があるなら継ネックを施します。初級の練習ができれば良いとなれば、目をつぶります。高額な修理をするよりも、今後も続けるとなったときにまともな楽器を買う資金にしたほうが良いからです。
チェロでは大きな問題で、200~300万円クラスの古い量産品でも問題だらけです。様々な応急処置も現実には行われています。

オールド楽器では寸法が定まっていないのでそれこそ滅茶苦茶です。ネックは継ぎ足されていることがほとんどです。言い換えれば継ぎネックの費用よりも安い楽器は使い捨てということです。初心者用の楽器とはそのような使い捨てのものです。今では中国が最大の生産国です。19世紀にはミルクール、その後ドイツやハンガリー、日本で使い捨ての初心者用の楽器が作られました。

これにも問題があって、ミルクールのものになると「フランス製」ということで値段が高くなり、使い捨てレベルの楽器として作られたものが今では結構な値段をしています。

量産品では見えない所は徹底的に手を抜いています。外見よりも中はもっと低いクオリティです。フランス製だろうと中国製だろうと同じです。むしろ機械化が進んでいない古い時代の方がひどいです。かつて安価であった楽器の修理もめちゃくちゃでした。外見がチープなものは中身はそれ以上にめちゃくちゃになっています。外見が綺麗でも板が厚すぎる楽器がよくあります。外見が上等なのは最低条件ですね。
安価な楽器では表板や裏板を作る時に薄い平らな板を曲げて作った「プレス」という製法があります。最も安価な製品ではありますが、無垢材で雑に作られて板が厚すぎるよりも音が良いということは十分あり得ます。

ネックを接着する前にすることがあります。ニスの補修です。ネックと指板がついてしまうと作業がしにくくなります。
ニスがはがれているところが分かるでしょうか?使用で手が触れる部分では先にニスがはがれてきます。白っぽくなっているところがニスが無い所です。

ニスのメンテナンスには「コーティング」と「ポリッシュ」などの手法があります。ニスに光沢があるのは、表面が滑らかになっているからで、細かい傷や凹凸、皮脂や松脂、汚れにおおわれると光が乱反射して光沢が無くなります。
新しい楽器ならニスの厚みがあり、磨き直すことでピカピカになります。
古い楽器ではニスがはがれて木材が露出したり、残っているニスも風化してボロボロになっているので磨いても光沢が出ません。
そのため上に何かニスを塗ります。失われたところだけに塗ることもできますが、新たに塗ったところだけがピカピカで差が出てしまいます。そこで楽器全体に特に無色や薄い色のニスを塗るのがコーティングです。

コーティングは大きな修理などの時にすることが多いでしょう。指板があるとできないからです。

古い楽器ではまずオリジナルのニスの表面が残っていることはなく、何かを上から塗ってあります。これはオールドだけではなく20世紀初めのモダン楽器でも少なくありません。何度もコーティングがほどこされています。

それに対してポリッシュは、アルコールで薄く溶いたアルコールニスを布につけて磨きながら塗っていくものです。私は表面にニスが無くなっていたヤコブ・シュタイナーの表板に施したことがあります。家具やギターの製造で用いられる方法でもあります。19世紀の銘木を用いたピアノの製造でも使われたことでしょう。フレンチポリッシュとも言います。
ポリッシュで塗るニスの厚みはハケで塗るのに比べるとはるかに薄いものですから、回数を多く重ねなくてはいけません。シュタイナーくらいであればコストは考えずにやってみました。5年経っても光沢は保たれていました。

しかし普通はそんなに厚くフレンチポリッシュを施すことはなく、その場しのぎのものです。次のメンテナンスの時に汚れを落とすとポリッシュの層も落ちてしまいます。また新たに施すわけですが、毎回やらないといけません。またポリッシュを施す下の層が滑らかでないと、アルコールが蒸発すると層が薄くなり光沢が無くなります。

それに対してコーティングでしっかり層を作ってあれば、ただ磨くだけで済みます。これらは別々の概念ではなく、耐用年数の問題です。ハケでニスを塗ってコーティングを施すには時間と費用がかかります。指板を外している時の方がやりやすいです。

コーティングが古くなって光沢が無い所が出てくると、フレンチポリッシュで補います。それにも限界が出てポリッシュを施しても光沢が出ません。毎度毎度やるならコーティングを施したほうが経済的です。光沢の持続時間もコーティングの方が長く、ポリッシュでピカピカなのは修理直後だけかもしれません。一生懸命やって次の日には光沢が無くなっていることもしばしばです。
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見ると楽器がピカピカなのはそのために専属の職人が直前に磨いているからです。
それを持続させるためにはしっかりした滑らかなニスの層が必要です。

裏板もオリジナルのニスが残っている部分はわずかです。過去に修理で何かしらニスが塗られています。無色透明なものだけではなく、緑っぽい暗い色のニスが塗られています。

画像中心付近の横板のコーナーの近くが黒くなっていますが、これは汚れではなくその色のニスが塗られています。よく見るとハケの跡が見えます。後の時代に塗られたものでオリジナルではありません。

同じものが裏板の上部全体に塗られています。緑がかった灰色に見えます。茶色いオリジナルニスの色とは違います。

ニスの表面には傷や凹みが無数にあります。オールドイミテーションで見るような黒い傷ではありません。

写真にとるのは難しいですが、コーナーの付近は光沢が無くなっています。フレンチポリッシュを試みても無理でした。何かを塗って磨かない限り光らせることはできません。

コーティングは新作楽器の製造時に行われることもあります。色のついたニスを塗った後で無色のニスの層を作ります。多少擦れても色が薄くならないようにするためです。より光沢を出したり、手入れがしやすいニスを表層に塗ることも考えられます。特に量産品では上から無色なニスを分厚くスプレーで塗ってあります。一番ピカピカなのはこのような量産品です。このためピカピカすぎてもかえって安っぽく見えます。
性質が違うニスを塗ったことでニスに亀裂が入る原因になるかもしれません。オリジナルのニスが多く残っているモダン楽器などではよく見られます。コーティングが原因になることもあるでしょう。

古いドイツの量産品ではニスに多くの場合ラッカーが使われています。マルクノイキルヒェンのものは今でも被膜がしっかりしていて磨くと光ります。通常ラッカーの耐用年数は2~30年で、乾燥してひび割れしてボロボロになりますから驚異的に優れたラッカーです。
ハンドメイドの楽器では天然樹脂のニスが使われ、そこまで丈夫ではありません。表面に粘着性があり汚れが付着しやすく光らなくなっているので事故などの修理の時にコーティングがほどこされていることが多いです。つまり汚れの上からコーティングされているのです。ポリッシュでも汚れの上から施され汚れも擦り込まれて行きます。

これがラッカーの場合には汚れが綺麗に取れて作られた当初のようになります。100年経っても味が出ないのです。これもラッカーを見分けるポイントです。

これでネックが取り付けられます。


ペグは穴を埋めたので開け直します。この位置も難しいものです。過去に開いていた穴と同じ位置に穴をあける方法と理想的な位置に開ける方法があります。
過去の穴を無視して穴をあけると、新しく足した木材ともともとの木材の境目に穴が来ます。そこは欠けやすくなります。硬さも差があるでしょう。
過去の穴と同じところに穴を開ければ継ぎ足した木材の中に小さな穴が開くことになります。ただし、位置がおかしいと弦が引っかかったり、手の邪魔になります。
今回は過去に埋めて穴をあけたときに、多少ズレて穴をあけてあったのでそれを埋めるので、オリジナルの穴とはずれた位置で穴埋めをしています。違う位置に2度穴埋めをしています。
昔の穴の位置と、現代の我々が理想と考える位置の中間ぐらいに開けました。

そのような妥協が必要です。
オリジナルの穴の位置が機能的におかしいなら無視して現代の理想の位置に穴を開けます。過去の穴の位置も機能的に問題なければ同じ位置に開けても大丈夫です。何もかも先輩に教わった寸法にしなくてもいいのです。それが修理です。

こちらでは「目測」という言い方をよくします。寸法はだいたいでいい加減です。日本人以外はそんなもんです。
教わる方は理不尽に感じます。それに対して日本での話を聞くと、わりと細かく定めた寸法などを先輩から教わるようです。いろいろなことを考慮し(机上の空論で)目安となるような寸法の測り方を決めるとそれが独り歩きして実際の古い楽器では当てはまらなくなります。マニュアル人間だと、部分によって矛盾する場合が出てきて、そのケースではどちらが重要か判断しなければいけません。

楽器には優先順位があり、すべて定められた通りになっていなくても「使える」ようにしなくてはいけません。はるか昔はそのように楽器が作られていましたし、ヴァイオリン以前の楽器もそのように進化してきたはずです。

耐久性、値段、演奏技術、見た目の美しさ・・・音はその一つの要素でしかありません。演奏しにくい楽器で音が良くてもダメですし、なぜか300年でも使えないといけません。製造コストも重要です。

我々が勘違いしやすいのは、何か数学的な理想があって、それから少しでも外れると音がくるったり、性能が発揮できなくなるという発想があります。特に音楽と数学は近い所がありそういう事が好きな演奏者がいます。職人が数学的な理屈を語ると飛びつきます。
実際はアバウトに楽器は作られていて、音楽家はたまたま手にした楽器ごとにコツをつかんで何とかだましだまし使っているそういうものです。

サドルも新しくします。表板の厚みを増したので古いものは合わなくなります。古いサドルにも厚みを増す改造もできないことは無いですが新しいものにしましょう。
この時、高さを限界まで高くしました。アーチが高い楽器では理屈上サドルも高くしないといけません。しかしあまり高くすると弦の張力に耐えられず倒れやすくなります。接着面の加工をやり直しすとともに、妥協点を探します。
高いものを後で低くすることはできます。
ネックも同じで高いアーチの楽器ではとても難しいです。

写真が撮れてなかったのでそれはまた次回にしましょう。
ネックは新しく足した木材ですので色が違います。うまく着色して古い木材と違和感が無いようにします。
上手くやればネックの継ぎ目もほとんどわからなくなります。安価な楽器ではフェイクの継ネックがあります。こちらは継ぎ目が目立つようになっています。

続きます。
テーマ:
こんにちはガリッポです。

はじめに、中古品のヴァイオリンの方が鳴りが良く値段も安いので新作楽器は仕事としては成立しなくなっています。何度も書いていますが、読み飛ばされるようです。これは深刻なことです。50年前の職人が今の職人に比べて劣ってることはありません。現代の物価の上昇を価格に転嫁すると新作楽器が高すぎます。
亡くなった職人はアピールができないというだけで実力では現在の職人に劣っていません。新作楽器が優れているのはプレゼンテーションだけかもしれません。音だけで選ばれたら太刀打ちできません。


A・ガリアーノの続報から。
ますます音が良くなってきているとのことですが、駒がずれていたので直しました。するとまたきれいに演奏できるようになったとのことです。
E線側の駒の脚がずれE線の弦長が長くなっていました。
なぜ起きたのかはわかりません。移動などで開けたらズレていたということもあります。
弦長だけではなく魂柱との位置関係もあります。そうでなくても音は理由が無く何かが変われば変わります。駒が少しずれるだけでも音は変わります。
その話はまた改めてするとして、音は低音の量感が増して音が暗く暖かみが増していました。高いアーチらしいダイレクトさもあります。今回は「クラシック弓」と呼んでいるバロックとモダンの間のような弓を使っていました。それも音の違いかもしれません。
ともかく修理前のやたら柔らかい音とはだいぶ違う音になってきました。オールド楽器の音は修理によっても全く変わってしまいますね。
傷んでいて柔らかい音がするのが「オールドの音」というわけでもないのです。高いアーチの表板は持ってみると強度が高くて柔軟性がありません。音も本来ならダイレクトでクッション性を感じないはずです。言ったら高級車と言うよりもレーシングカーのようなものです。それを柔らかいクラシック弓で見事に演奏するのはさすがに上級者ですね。


マティアス・ホルンシュタイナーの修理の続きです。
ホルンシュタイナー家は南ドイツのミッテンバルトを代表するメーカーです。近代まで続いて量産メーカーのノイナー&ホルンシュタイナーとしても知られています。
さらにマティアス・ホルンシュタイナーも何人もいました。

マティアスでもさらに地名などによって区別されているようです。「ミッテンバルトのホーフシュミード」と書いてありますが、これが一番有名なホルンシュタイナーです。それなのに本に写真などはわずかしかなく、私が見ても本物かはわかりません。有名なドイツの鑑定士が認めたそうです。


横板には割れがありライニングを切り取って厚みを増す修理がしてありました。

1.2mmくらいの横板に厚みを増して3mmほどになっていました。
ガリアーノでは横板を切り取って新しいものにしましたが、そこまで大破していません。

ライニングを新しくしてピンポイントで補強しました。以前よりはオリジナルの状態に近いでしょう。これくらいは音への影響はわずかでしょう。

下側のブロックはひどく傷んでいたので交換しました。エンドピンのぐらつきもエネルギーの損失となるでしょう。
こちらも横板に割れがありました。あご当ても原因の一つです。テールピースをまたぐタイプのものをお勧めします。あご当てを安価なものにしたために高額な修理代がかかります。
開いていた裏板のセンターの合わせ目も接着しなおし、木片で補強しました。


こちらは修理前

そして修理後

合わせ目が開いていて羊皮紙でつながっているだけだったので、魂柱からの力に対抗できなかったはずです。これもエネルギーのロスになるでしょう。アコースティックの楽器では動力源は人力なので、エネルギーの損失はまずいですね。
多少は音色などの個性になりますけども、割れとか剥がれなどは大きなロスです。
古い楽器なので完全に接着することは不可能です。合わせ目を削り直すと幅が小さくなってしまいます、よほど重症でない限りはやりません。しかしあからさまに隙間が空いていることは無くなりました。
またニスがはがれたところは、黄金色になっています。イタリアの楽器だけが何か特別なのではなく、ドイツの楽器でも古くなれば黄金色になります。
木材に強く着色したり、薬品などで処理すれば違ってくることもあります。着色はイタリアの作者でも行われてきました。
クレモナのオールド楽器にニスの秘密があるのではなく、特別なことを何もしなければ黄金色になるということです。

表板のコーナーは摩耗が進んでいます。

特にまずいのは右上のここです。
わかりますか?
修理で新しい木材が足されてますが、オリジナルのパフリングが無くなっていて、線を描いてあるだけです。


新しくパフリングを作っていれました。

そのあと普通のコーナーの修理です。

裏板も同様です。過去の修理で失われていました。
完成の様子は次回です。

やはり新作楽器が作れないと修理はできません。単に自分のスタイルで楽器を作るのではなく他人のやり方を学ばないといけません。ホルンシュタイナーも細かい細工が綺麗にできていて、マイスターのクオリティであることが分かります。パフリング細部の丸みについてはイタリアの楽器以上のクオリティです。このため新作楽器が下手なので修理に転向するということはできません。


ネックはモダン仕様にします。プロの演奏者でも十分使えるものとします。

穴が開いていますが今回は釘は使いません。モダン式では胴体ができたところにネックを取り付けるので釘を打つことができません。
モダン式では、彫りこんだ溝でネックの角度や長さが決まります。胴体ができてからネックを取り付けるのでより正確に取り付けることができるわけです。バロック仕様では先にネックをつけてから胴体を完成させます。この時指板の厚みで角度を調整します。駒の高さに指板を合わせるとネックの根元側が厚い傾斜した指板になります。

モダン仕様では、ネックを取り付ける溝の加工で傾きや長さが決まります。傾きは駒の高さだけではなく、3次元すべての方向があります。量産品のように作業時間を短くすることを重視して作られたものは、指板が楽器の中心を外れていたり、E線やG線のどちらかが高かったりします。ネックの長さもバラバラです。

たまたま手元にあった量産品のネックの長さを測ってみました。

指板の先端が130mmになっているのが標準です。このヴァイオリンでは133.3mmほどになっています。

別のものでは127.5mmくらいですね。指板も黒檀ではなく白い木を黒く染めたものでした。
戦前の量産楽器ではこのように低い精度で作られていました。
なぜこのような誤差が出たかはわかりません。経営者や工場のマイスターは正しい寸法を知っているはずですが、安い値段にするために目をつぶって売っていたということですね。

技術的に解説すると胴体に溝を彫る時に、深さが足りないとネックが長くなり、深すぎると短くなります。慎重に作業を進めると失敗しませんが時間がかかります。急いでやると彫りすぎてしまったり、足りなかったりします。
またネックを加工する方も同様です。ネックをのこぎりで切断するのも慎重にすると長くなり、失敗すると短くなってしまいます。時間をかけて良いなら少し長めに切って、カンナで仕上げればいでしょう。ある程度は胴体の方で調整できますがそれ以上の誤差があれば取り付けもできなくなります。
別の人が担当していたのならば、ネックを取り付ける係の人は「ネックを切断した人が悪い、私は悪くない」、ネックを加工する人は「ネックを取り付ける人が悪い、私は悪くない」と意見を主張することでしょう。
人の言う「意見」などは聞いてもしょうがないですね。私は結果しか興味がありません。

この長さは演奏上重要になってきます。2~3mm違えば複数の楽器を所有した場合に同じように使えません。長さが正しいと数学的に理想で音が良いというのではなくて、指板上の指で押さえる位置に影響してきます。弦長が長ければ抑える間隔が広くなります。
胴体の駒までの距離(ボディストップ)とネックの比率も重要です。
ネックが短いと親指をネックの根元に当てたとき、指を伸ばさないといけなくなります。
初心者などはそんな音は使いませんし、違いも分からないので滅茶苦茶なまま売られていたわけです。ネックの長さが間違っている場合、継ぎネックの修理が必要になります。継ぎネックの費用がヴァイオリンの値段よりも高くなるのでゴミということです。いくら安い値段で買っても損というわけです。我々が楽器を買い取るときは選別しますが、一般の人が中古品を買うことがいかに危険かということです。

弦楽器の場合には寸法などの重要性に優先順位があります。

初心者用の楽器で最優先されたのが「値段の安さ」でした。演奏上重要な項目さえも無視されたのです。

古い楽器を修理する場合も同様です。お客さんが高い修理代を払う覚悟があるなら継ネックを施します。初級の練習ができれば良いとなれば、目をつぶります。高額な修理をするよりも、今後も続けるとなったときにまともな楽器を買う資金にしたほうが良いからです。
チェロでは大きな問題で、200~300万円クラスの古い量産品でも問題だらけです。様々な応急処置も現実には行われています。

オールド楽器では寸法が定まっていないのでそれこそ滅茶苦茶です。ネックは継ぎ足されていることがほとんどです。言い換えれば継ぎネックの費用よりも安い楽器は使い捨てということです。初心者用の楽器とはそのような使い捨てのものです。今では中国が最大の生産国です。19世紀にはミルクール、その後ドイツやハンガリー、日本で使い捨ての初心者用の楽器が作られました。

これにも問題があって、ミルクールのものになると「フランス製」ということで値段が高くなり、使い捨てレベルの楽器として作られたものが今では結構な値段をしています。

量産品では見えない所は徹底的に手を抜いています。外見よりも中はもっと低いクオリティです。フランス製だろうと中国製だろうと同じです。むしろ機械化が進んでいない古い時代の方がひどいです。かつて安価であった楽器の修理もめちゃくちゃでした。

ネックを接着する前にすることがあります。ニスの補修です。ネックと指板がついてしまうと作業がしにくくなります。
ニスがはがれているところが分かるでしょうか?使用で手が触れる部分では先にニスがはがれてきます。白っぽくなっているところがニスが無い所です。

ニスのメンテナンスには「コーティング」と「ポリッシュ」などの手法があります。ニスに光沢があるのは、表面が滑らかになっているからで、細かい傷や凹凸、皮脂や松脂、汚れにおおわれると光が乱反射して光沢が無くなります。
新しい楽器ならニスの厚みがあり、磨き直すことでピカピカになります。
古い楽器ではニスがはがれて木材が露出したり、残っているニスも風化してボロボロになっているので磨いても光沢が出ません。
そのため上に何かニスを塗ります。失われたところだけに塗ることもできますが、新たに塗ったところだけがピカピカで差が出てしまいます。そこで楽器全体に特に無色や薄い色のニスを塗るのがコーティングです。

コーティングは大きな修理などの時にすることが多いでしょう。指板があるとできないからです。

古い楽器ではまずオリジナルのニスの表面が残っていることはなく、何かを上から塗ってあります。これはオールドだけではなく20世紀初めのモダン楽器でも少なくありません。何度もコーティングがほどこされています。

それに対してポリッシュは、アルコールで薄く溶いたアルコールニスを布につけて磨きながら塗っていくものです。私は表面にニスが無くなっていたヤコブ・シュタイナーの表板に施したことがあります。家具やギターの製造で用いられる方法でもあります。19世紀の銘木を用いたピアノの製造でも使われたことでしょう。フレンチポリッシュとも言います。
ポリッシュで塗るニスの厚みはハケで塗るのに比べるとはるかに薄いものですから、回数を多く重ねなくてはいけません。シュタイナーくらいであればコストは考えずにやってみました。5年経っても光沢は保たれていました。

しかし普通はそんなに厚くフレンチポリッシュを施すことはなく、その場しのぎのものです。次のメンテナンスの時に汚れを落とすとポリッシュの層も落ちてしまいます。また新たに施すわけですが、毎回やらないといけません。またポリッシュを施す下の層が滑らかでないと、アルコールが蒸発すると層が薄くなり光沢が無くなります。

それに対してコーティングでしっかり層を作ってあれば、ただ磨くだけで済みます。これらは別々の概念ではなく、耐用年数の問題です。ハケでニスを塗ってコーティングを施すには時間と費用がかかります。指板を外している時の方がやりやすいです。

コーティングが古くなって光沢が無い所が出てくると、フレンチポリッシュで補います。それにも限界が出てポリッシュを施しても光沢が出ません。毎度毎度やるならコーティングを施したほうが経済的です。光沢の持続時間もコーティングの方が長く、ポリッシュでピカピカなのは修理直後だけかもしれません。一生懸命やって次の日には光沢が無くなっていることもしばしばです。
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見ると楽器がピカピカなのはそのために専属の職人が直前に磨いているからです。
それを持続させるためにはしっかりした滑らかなニスの層が必要です。

裏板もオリジナルのニスが残っている部分はわずかです。過去に修理で何かしらニスが塗られています。無色透明なものだけではなく、緑っぽい暗い色のニスが塗られています。

画像中心付近の横板のコーナーの近くが黒くなっていますが、これは汚れではなくその色のニスが塗られています。よく見るとハケの跡が見えます。後の時代に塗られたものでオリジナルではありません。

同じものが裏板の上部全体に塗られています。緑がかった灰色に見えます。茶色いオリジナルニスの色とは違います。

ニスの表面には傷や凹みが無数にあります。オールドイミテーションで見るような黒い傷ではありません。

写真にとるのは難しいですが、コーナーの付近は光沢が無くなっています。フレンチポリッシュを試みても無理でした。何かを塗って磨かない限り光らせることはできません。

コーティングは新作楽器の製造時に行われることもあります。色のついたニスを塗った後で無色のニスの層を作ります。多少擦れても色が薄くならないようにするためです。特に量産品では上から無色なニスを分厚くスプレーで塗ってあります。一番ピカピカなのはこのような量産品です。このためピカピカすぎてもかえって安っぽく見えます。

古いドイツの量産品ではニスに多くの場合ラッカーが使われています。マルクノイキルヒェンのものは今でも被膜がしっかりしていて磨くと光ります。通常ラッカーの耐用年数は2~30年で、乾燥してひび割れしてボロボロになりますから驚異的に優れたラッカーです。
ハンドメイドの楽器では天然樹脂のニスが使われ、そこまで丈夫ではありません。表面に粘着性があり汚れが付着しやすく光らなくなっているので事故などの修理の時にコーティングがほどこされていることが多いです。つまり汚れの上からコーティングされているのです。ポリッシュでも汚れの上から施され汚れも擦り込まれて行きます。

これがラッカーの場合には汚れが綺麗に取れて作られた当初のようになります。100年経っても味が出ないのです。これもラッカーを見分けるポイントです。

これでネックが取り付けられます。


ペグは穴を埋めたので開け直します。この位置も難しいものです。過去に開いていた穴と同じ位置に穴をあける方法と理想的な位置に開ける方法があります。
過去の穴を無視して穴をあけると、新しく足した木材ともともとの木材の境目に穴が来ます。そこは欠けやすくなります。硬さも差があるでしょう。
過去の穴と同じところに穴を開ければ継ぎ足した木材の中に小さな穴が開くことになります。ただし、位置がおかしいと弦が引っかかったり、手の邪魔になります。
今回は過去に埋めて穴をあけたときに、多少ズレて穴をあけてあったのでそれを埋めるので、オリジナルの穴とはずれた位置で穴埋めをしています。違う位置に2度穴埋めをしています。
昔の穴の位置と、現代の我々が理想と考える位置の中間ぐらいに開けました。

そのような妥協が必要です。
オリジナルの穴の位置が機能的におかしいなら無視して現代の理想の位置に穴を開けます。過去の穴の位置も機能的に問題なければ同じ位置に開けても大丈夫です。何もかも先輩に教わった寸法にしなくてもいいのです。それが修理です。

こちらでは「目測」という言い方をよくします。寸法はだいたいでいい加減です。日本人以外はそんなもんです。
教わる方は理不尽に感じます。それに対して日本での話を聞くと、わりと細かく定めた寸法などを先輩から教わるようです。いろいろなことを考慮し(机上の空論で)目安となるような寸法の測り方を決めるとそれが独り歩きして実際の古い楽器では当てはまらなくなります。マニュアル人間だと、部分によって矛盾する場合が出てきて、そのケースではどちらが重要か判断しなければいけません。

楽器には優先順位があり、すべて定められた通りになっていなくても「使える」ようにしなくてはいけません。はるか昔はそのように楽器が作られていましたし、ヴァイオリン以前の楽器もそのように進化してきたはずです。

耐久性、値段、演奏技術、見た目の美しさ・・・音はその一つの要素でしかありません。演奏しにくい楽器で音が良くてもダメですし、なぜか300年でも使えないといけません。製造コストも重要です。

我々が勘違いしやすいのは、何か数学的な理想があって、それから少しでも外れると音がくるったり、性能が発揮できなくなるという発想があります。特に音楽と数学は近い所がありそういう事が好きな演奏者がいます。職人が数学的な理屈を語ると飛びつきます。
実際はアバウトに楽器は作られていて、音楽家はたまたま手にした楽器ごとにコツをつかんで何とかだましだまし使っているそういうものです。

サドルも新しくします。表板の厚みを増したので古いものは合わなくなります。古いサドルにも厚みを増す改造もできないことは無いですが新しいものにしましょう。
この時、高さを限界まで高くしました。アーチが高い楽器では理屈上サドルも高くしないといけません。しかしあまり高くすると弦の張力に耐えられず倒れやすくなります。接着面の加工をやり直しすとともに、妥協点を探します。
高いものを後で低くすることはできます。
ネックも同じで高いアーチの楽器ではとても難しいです。

写真が撮れてなかったのでそれはまた次回にしましょう。
ネックは新しく足した木材ですので色が違います。うまく着色して古い木材と違和感が無いようにします。
上手くやればネックの継ぎ目もほとんどわからなくなります。安価な楽器ではフェイクの継ネックがあります。こちらは継ぎ目が目立つようになっています。

続きます。
テーマ:
こんにちはガリッポです。

また仕事以外の余暇時間にもヴァイオリンを作り始めたので時間が不足します。
仕事と家事と休息を除くと一日に2時間製作時間を確保するのがやっとです。楽しいからと夜遅くまでやってしまうとダウンしてしまいます。長期戦なので無理は禁物です。コメントなどに返事できませんのでご了承ください。
なんとか作り出せる時間が2時間で、考えたり調べたりして返事などを書くと1時間くらいすぐに無くなってしまいます。

いろいろなことが進行中です。
楽器には安価なものから入念に作られたものまでランクの差があります。その違いを見分けることが大事だと当ブログでは語ってきています。
素人には難しいので信頼できる専門家が必要です。

残念なことにこの業界はお金を儲けるためにありとあらゆる努力がなされてきました。知識などは何も信用できません。

私が楽器を見ると本に書かれている職人の師弟関係が疑わしく思えることがあります。〇〇の弟子と本に書いてあるのに、楽器を見るとまるで似ていないのです。これは怪しいなと思っていて、新しい本を読むと、師弟関係が否定されていたり記述が削除されていたり、より詳しく本当の師匠が書かれていたりします。
それとて未来には変わるかもしれません。言葉で言われていることは信用できないということです。
それに対して楽器の作風やクオリティを見ることで本当の事がよくわかります。
例えば弦楽器を始めて習うには楽器の良し悪し以前に身に着けることがたくさんあります。そのため値段が安いことを最重要課題として作られてきました。それに対して何もかもきちんと作るとコストが高くなります。これが上等な楽器です。その差を見極めることが大切です。つまり平凡な楽器というのは、コストを安くするためにまじめに作られていないのです。上等な楽器は全力で作ってあります。それでも必ずしも音が良いとは限りませんので試奏して選ばないといけません。
しかし、それ以上の天才などは私にもわかりません。天才と言われている作者と同じようなものが他にいくらでもあります。作風を見ても間違った師弟関係に気付かない販売者がなぜ天才だとか評価できるのでしょうか?

少なくとも高価な楽器を職人たちが皆「これはすごい」と思って見ているわけではないということです。「なんでこんなのがそんなに高いの?」と考えていることも少なくありません。弦楽器とはそういうものだと知ってください。

そんなことでは無くてほんとうに楽器の良し悪しについて理解を深めていただきたいです。そこで安い楽器は何が違うのか調べていきます。

他にこんなこともしています。

昨年から修理をしているのがこちらのマティアス・ホルンシュタイナーです。

継ネックの様子も以前お知らせしています。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12876971851.html


もともとついていたネックはいろいろ継ぎ足されています。
過去には様々な時代に何度も修理がされています。困ったことにどれも修理のクオリティが低く雑に行われています。うまくやれば継ぎ目が見えないくらいにできるはずです。修理されているとしてもこれでは修理されていないのと同じです。


表板を開けてみると過去の修理も見られますがとても小さなバスバーがついています。

高さは8mmほどです、現在では12mmくらいです。

太さは4.6mmほど、現在では5~6mmです。

上と下の端からの距離は上が61mm下が56mmあります。
今は40mm程度です。
もしかしたらオリジナルのバスバーかもしれません。バロックヴァイオリンについて知る貴重な情報になります。そのままの状態で残っているのも珍しいですが、モダン楽器としてはめちゃくちゃのバランスになります。
この楽器をバロックヴァイオリンとするのが最も低コストな修理法です。

上部のブロックにはネックが釘で固定されています。ネックは継ぎ足されているのでオリジナルの状態ではありませんが、このネックにバロック指板を取り付ければ簡単にバロックヴァイオリンにできます。

そこで持ち主に相談するとモダン仕様にしてくれとのことでした。持ち主はこの楽器を売りたいため、売れる可能性の高いモダン仕様に改造修理することを希望しました。

ということは読者の方にもチャンスはあるかもしれません。しかしなかなか持って帰るのはタイミングが難しいです。

過去の修理では割れにうすい羊皮紙を貼っています。これは私があまり好きではありません。一つは湿度によって伸びたり縮んだりすることです。音が変わる可能性があります。また縮むことで板を変形させたり割れたりする原因となります。
かなりの強度にはなりますが、力の方向によって強度が違います。
裏板のセンターの合わせ目にも貼られていましたが、完全に開いていました。これでは裏板が折り畳み式のように羊皮紙でつながっているだけです。
これも全部やり直しです。


表板の周辺は開ける時に傷つきます。何度も修理をしているとボロボロになってきます。
アレサンドロ・ガリアーノの修理では過去に周辺に厚みを増す修理をしてありました。

これと同じ修理をします。

部分的にダメージの大きなエッジだけ直すこともありますが、全体をやってしまう方がある意味楽です。
それはカンナを使ってエッジ全体を削ることができるためです。


傷ついたエッジをカンナで削って平らにしたところに新しい木材を貼り付けます。1mmくらいはオリジナルの木材を削り取って新しい木材を足した後で加工して損傷を受ける前の状態を再現するわけです。しかし今後も修理を繰り返すことになるのでそれよりも多少厚くしました。
周辺部分は板の強度に大きな影響があります。音にも変化があるかもしれません。どちらかと言うと厚い板のような傾向になるでしょう。つまり明るい音になるということです。修理前は十分以上に暗い音だったので大丈夫でしょう。
もともと痛みが激しくネックもバスバーも正しくなかったので修理前の音がどれくらい変わるか予測もできません。
健康な状態に直してはじめてどんな音の楽器か分かるというわけです。


バスバーをモダン仕様に交換し開いている割れを接着しなおして木片で補強します。私は羊皮紙よりも振動が伝わりやすいし湿度による変化も少ないと思います。
修理の方法自体は古典的でなものです。これがガリアーノのようなイタリアの楽器ではちゃんとやってあるのに、ドイツのオールド楽器では安上がりな方法で修理されていることが多いです。これでは楽器の実力もわかりません。問題は楽器の値段です。イタリアの楽器と同じような修理を施していたらほとんど儲からなくなってしまうのがドイツのオールド楽器です。

ドイツのオールド楽器は投機対象になっていないせいか過去5~10年でも値段が全く上がっていません。もはや値段が物の良し悪しを表しているというのではなく、経済の原理で決まっているとしか考えられません。これまでも、国によって格差はありましたが鑑定士は歴史的な価値を考慮していました。今はお金の数字しかわからない金融業者のようです。

誰も興味がなくお金にならないドイツのオールド楽器に詳しい人が少なく、鑑定も難しいし、資料も白黒写真のようなものしかありません。

20世紀初めのモダン楽器なら修理も消耗部品の交換やルーティーンの修理だけで済みます。簡単な修理で同じかそれ以上の値段になるので、業者はドイツのオールド楽器を扱いたくないですね。優秀な職人を雇わなければいけませんが、職人が働きたいと思うような会社でしょうか?利益を追求するなら修理は最低限しかしないことでしょう。新作楽器でも同等以上の値段になるならその必要もありません。本人から買えば鑑定の必要もありません。

過去に酷い修理がされた楽器を直すのは、壊れたての楽器を直すよりもはるかに困難です。多くのドイツのオールド楽器は悲惨な状況になっています。チェロでは絶望的であることが大半です。そのような楽器の修理の依頼に手を出すと職人は損しかしません。痛い目に遭っているので、やってくれる職人も見つからないというわけです。そんな楽器は買ってはいけないということです。

私の感覚ではドイツのものを含めてもオールド楽器はモダン楽器の20分の1くらいしかありません。量産品も入れれば100分の1くらいです。その中の大半は当時安ものとして作られた粗悪品です。状態がひどく悪いものが多く修理代のほうが楽器の値段よりも高くなってしまいます。安上がりな方法で修理されていて直すのは困難です。
仮に上等な楽器で、修理を施したとしても音は細く窮屈な鳴り方のものが多くあります。チェロではサイズも今日のものとは違います。ビオラは作られた数が少なく自分の求めるサイズのものを手に入れるのはまず無理です。

音まで気に入るオールド楽器を探すのは困難です。モダン楽器ならとりあえず良く鳴って学生にも最適です。

そんなオールド楽器の作者名のラベルが貼られた楽器を専門店以外で入手することがあります。我々が手を出さないようなものがほとんどです。確かに専門店で買うよりも安いでしょう。大半は1900年前後に作られた量産品に偽造ラベルが貼られたものです。

我々は手を出してはいけないと痛い目に遭って厳選した楽器だけを扱っているのですが、素人が手を出せば同じ過ちをすることになります。

この楽器でも、もしも持ち主から個人売買で買うことになったらその後、修理を頼むと過去の修理のずさんさが明かになります。駒交換に持って行ったら、大修理が必要と言われるのです。この楽器は修理可能ですからやる価値があります。多くは修理する値打ちもなく応急処置に駒を交換するだけとなるでしょう。

修理はまだまだ続きます。

こんにちはガリッポです。

記事が長くなると書くのも大変なので分割すると前の記事を読んでない人も出てきてしまいまた同じことを書かないといけません。コンパクトに行きましょう。

一つ目のヴァイオリン



こちらのヴァイオリンから
いわゆるガルネリモデルですね。大きなf字孔が特徴的です。テールピースが珍しいです、作られた当時のものでしょうか。このような付属部品は楽器売買の世界では少しでも売れるようにとその時代の流行の新しいものに変えられて行くのでオリジナルのものが残っていることはめったにありません。商売の方が優先で来ました。

左右も対象でカーブの丸みもきれいですね。近代のガルネリモデルというのは、実物をそのままに型を起こしたものではなくガルネリをイメージしてデザインされたものが多いです。
例えばフランスの19世紀のものでもデルジェスとは大きさが全く違って大型に拡大されています。さらに粗い仕事や歪んだ形は修正され完成度が高くなっています。これは近代の楽器作りの考え方でイタリアでも同じです。デルジェスの問題点は近代の楽器からするとクオリティが低すぎるのでそのまま作るとただの低級品になってしまうのです。
19世紀のフランスの楽器製作ではストラディバリを改良してさらに完全にするという目標で作られていましたので、デルジェスでは全くクオリティが低すぎるというわけです。そこでデルジェスをイメージした独自のデザインの「ガルネリモデル」が作られました。
この楽器でも丸みが綺麗にできています。実際のデルジェスではあり得ません。

渦巻きもとてもきれいで丸みに歪みが無く理想的に見えます。

ラベルもついています。

C.A.ヴンダーリッヒと書いてあります。
マルクノイキルヒェンの近郊の地名が書かれています。

どれくらいの価値のあるヴァイオリンでしょうか?


私が見てすぐに思うのは楽器の雰囲気がチェコのボヘミアの流派の感じです。加工のクオリティが高く、チープな粗悪品で無いことが分かります。
一方でニスの質感は、量産品の雰囲気がします。ラッカーのようなものが分厚く塗られています。ということは量産品です。木材も上等なものではありません。

ボタンも形が整っていて少し3角形の様な感じです。これもボヘミアの特徴です。

ラベルに製作年は書いてありませんが、1943という数字が手書きで裏板に書いてあります。西暦だとすると作風に対しておかしくは無いです。だとすると楽器はほとんど使われていなかったようです。
古い楽器なのに修理の必要がほとんどありません。古い楽器の価値を見る時に特に重要なのは状態です。量産品の場合修理代が楽器の値段を超えてしまうことがよくあります。その場合1万円で買っても高すぎます。職人もよほどひまでない限り新品の楽器を仕入れたほうが楽です。欠陥だらけなので安い楽器の方が修理は大変です。

ネックの持つところは黒っぽく強く着色されています。これも量産楽器ではよく見られます。ミルクールでも現代のものでもあります。これはニスを塗る前に着色したのではなく、ニスが塗り終わってから、ネックの部分を削って木の地肌を出したところにステインで着色しています。ニスが塗ってあるところの下地はそんなに強く着色されていません。

弓とセットで未修理の中古品を1000ユーロで買ったそうです。うちで弾けるように修理を依頼されたというわけです。
弓の方はプレッチナーの分家のものでそれだけでも最低2500ユーロはするでしょうね。ヴァイオリンも量産品の上級品であることからすれば3000ユーロくらいでも全く問題ないでしょう。3000~4000くらいでしょうか。レベルからすれば弓の方が格上です。H.R.プレッチナーの工房で働いていた一族が独立して自分のイニシャルで売ったものだからです。本家のプレッチナーならプロの人が使っていてもおかしくないレベルですが、そこで弓を作っていた人です。

おかしいのはマルクノイキルヒェンのメーカー名で作風がボヘミア風のことです。このメーカーは自分で作ったのではなくて下請けから買っていたのではないかということが考えられます。ニスを塗る前の半製品として卸すこともあり得ます。またはボヘミア出身の職人が移住してきたことも考えられます。

だからラベルのメーカー名よりも作風で見るとより本当の流派や産地が推測できます。しかし一般の人にはわかりませんので販売者のマルクノイキルヒェンのメーカーのものというのが公式な見解となるでしょう。中国で製造されているiPhoneを中国メーカーの製品と考えますか?
そもそもマルクノイキルヒェンとボヘミアはフォクトランドという一つの地域で戦争が終わる前ならドイツ領だった地域もあります。

いずれにしても買い物としてはかなり得したことになりますが・・・。

音を試さずに買ったということはリスクがあります。板の厚みを測ってみるとかなり厚いですね。ボヘミアの楽器は表も裏も同じ厚みのものがよくあります。これは表は厚めで裏はさらに厚くなっていますからトータルではかなり厚い楽器です。外見を重視したものです。

弾いてみるとあの懐かしい感じがします。板の厚い楽器の響き方です。とはいえ音が出ないわけではないので好き嫌いの問題としか言えません。このように量産品として品質の高いものは量産品らしい音がすることがあるように思います。これが粗悪品なら、音も一か八かです。

「量産品らしい音」って何かとなるわけですが、様々な種類のらしさがあることでしょう。
感じ方は個人差があるでしょうし、言葉にするのは難しいですね。
音は出るけどもある種の奥ゆかしさが無いように思います。ダ・ビンチの絵なら陰影のグラデーションが微妙に施されていますが、漫画のように輪郭が直線で描かれているようなダイレクトに簡略化されたような感じです。
富士山でもイラストでは簡略化されていますが、本当の富士山を見るとはるかに情報量が多く、空気もかすんでぼんやりとして見えます。
音と無音の間、1と0の間があるということです。

また別の言い方をすれば骨があって強い音は出ますが、肉付きが無いので厚みやふくよかさが無いと言ったらどうでしょう。
厚いラッカーのニスが響きを抑えてペタッと張り付いたような感じでもあります。

3000ユーロ以上の価値があっても3000~4000ユーロのたくさんの楽器から試奏して選んだほうが音はもっと好みに合うものがあるかもしれません。弓も立派なものだとしてもしっくりくるかはわかりません。


二つ目のヴァイオリン


次のヴァイオリンです。

これも大きなf字孔ですがガルネリモデルと断言するほど特徴的とは思えません。

裏板のランクはさっきのものよりもずっと高いです。ニスも天然樹脂のような雰囲気ですので、個人の職人のハンドメイドの楽器と考えて良いでしょう。違いが分かりますか?写真ではなかなか難しいです。全体的にきれいな印象がします。
ストラドモデルがガルネリモデルかと言われればガルネリのほうが近いかもしれませんがどちらとも言えません。自分流にアレンジしたか作者独自の個性があるモデルといえるかもしれません。

ボタンはとんがったまるでボヘミアの感じです。

エッジに丸みを持たせるのはボヘミアの特徴です。1900年頃にミラノなどでも流行しました。さっきのは量産品としてはランクの高すぎるスクロールがついていました。当時はスクロールだけを専門に作る職人がいました。

手書きのラベルがついていてよく読めません。本で可能性のある作者を調べてみましたがわかりませんでした。産地はマルクノイキルヒェンと書いてあるようです。作風は明らかにボヘミアなので移住した職人でしょうか?
職人というのは自分が習った時に身に着けた作風は根強く残るものです。

現代的な常識の範囲内で作られています。

アーチの立体造形もきれいですね。フランスの楽器ではもっと表面の歪み無くすように入念にカンナで仕上げてありますが、それよりは面がグニャグニャして柔らかい感じがします。カンナという道具は台からわずかに刃が出ていて、それが当たる所だけを削り取っていきます。多用すると凹凸が無くなっていきます。形を作るというよりは凹凸をならすための道具です。

モダン楽器でボヘミアの作風はフランス的かイタリア的かと言えばイタリア的な方です。ドイツの一流のモダン楽器ではよりフランス的です。ハンガリーもそうです。
一つはかなりの速さで作っていたことが理由です。ハンドメイドではありますが、ストラディバリをさらに完璧にするという究極の理想を追求したのではなく、ハンドメイドの楽器を買いやすい値段で作っていたということです。これはイタリアでも同じです。私からするとフランスの楽器の方が完成度が高いと思います。それなのに天才とはあまり言われないですね。完ぺきではないこの楽器でもたくさん作った職人の手慣れた感じはあるし量産品との差はあります。

板は表と裏が同じような厚さになっています。ボヘミアの楽器にはよくあるばかりか、オールドのドイツ系(チェコ~オーストリア)の楽器にも見られます。実際のオールドのものに比べると全体的に少しずつ厚くなっています。持っても重いですね。

時代は書いてありませんが戦前くらいでしょうね。戦後はチェコ・スロバキアになって西側への輸出がストップし購買力が低下しハンドメイドの楽器は衰退したのかもしれませんね。

値段は無名なボヘミア出身のマイスターの楽器として8000~10,000ユーロくらいつけても良いんじゃないですかね。

弾いてみると割とよく鳴る感じがしました。高音はかなり鋭いです。元気よく鳴る現代的な音の楽器です。低音も極端に多くはありませんがちゃんと出ます。前回の説を過剰に受け止めないでください。改造の前後を比較するとそうなったというだけです。ちゃんと音は出ます。特別変わった趣味趣向が無ければ実に優れた楽器です。それが150万円位なのですから、新作楽器よりも安いですね。新作楽器の方が値段が高いのに鳴りの良さではかなわないでしょう。同じような現代的な音なら古い方を買った方が良いですね。現代人の生活にはなにかとお金が必要で、過去の職人に対して価格競争力がありません。
東京で名工や巨匠と呼ばれているものでも、これより音が良いのでしょうか?比較対象が無ければ分からないままです。
それに対して「鳴れば良いというものではない」と好きなようにウンチクを言うことができます。鳴る以上の魅力のある音なのでしょうか?

デザインには個性もあります。一人前の腕前の立派な職人の作った楽器です。不勉強な我々に知られていないというだけです。


三つ目のヴァイオリン


最後です。

明らかに雰囲気が違います。

私も聞いた事のないベネチアの作者のオールドの時代のようなラベルが貼られています。マイナーなオールドの作者のラベルを貼ると資料が無く検証のしようがありません。

これはすぐにあれだと分かります。

近代のものとは全く違うのでオールドの感じです。

アーチは平らですね。

これまでも紹介したものではホプフ家のものに似ています。ホプフ家はマルクノイキルヒェンの出身でクリンゲンタールという所に一派を築きました。同じ町で作られたものをまとめてホプフとして売っていました。それにも似ているように思います。しかしダビッド・ホプフそのものではないようです。四角いモデルにフラットなアーチ、巨大なf字孔が特徴です。f字孔は今回のものはドイツ的な特徴があまり見られません。イタリアの楽器に見せかけるために改造されたかもしれません。
しかしもともとフラットな楽器はマルクノイキルヒェンで作られていました。ホプフが最初ではありません。ストラディバリやデルジェスよりも古い時代にあったのかもしれません。むしろ、アマティ以前のヴァイオリンはフラットなアーチだったのかもしれません。ブレシア派もそうですが、マルクノイキルヒェンではアマティよりも古い特徴が残っていたのかもしれません。アマティもフラットなアーチのものを作っていて、その弟子たちの方がはるかにアーチが高いです。高いアーチの方が1600年代の流行でストラディバリ以前の一時的なことかもしれません。

マルクノイキルヒェンでは安価な楽器としてもフラットなものが作られていました。シュタイナーのような凝った造形よりも作るのが簡単ですから。

クリンゲンタールのホプフ家のものに似ていますが断定まではできません。広くはザクセン派のオールド楽器です。f字孔にドイツ的な特徴が薄くなっているのは後の時代に改造された可能性を言いましたが、もう少し近代のものである可能性もありますが、すごく大雑把に1800年前後くらいのものでしょう。ニスの損傷もオールドにしては少ないですからモダン時代への移行期かもしれません。
このヴァイオリンも一番安いとまでは言いませんが、決して最高級品ではありません。値段にしたら5~6000ユーロくらいのものでしょう。100万円もしません。

荒々しい作りのフラットなオールド楽器なのでさぞかしい力強い音がするのではないかと思って弾いてみると意外とおとなしいものです。繊細で音色は暗すぎず複雑な響きがありオールド楽器らしい雰囲気はあります。
それに対して、E線はびっくりするような柔らかく豊かな音です。弾いた瞬間に「何だこれ」という感じです。これはモダン楽器や現代の楽器では絶対にない音です。現代の名工にこれと同じものを作ってくれと言っても無理でしょう。

E線にはエヴァピラッチのセットのスチール弦ですが、金属とは思えない音です。こうなるとE線の銘柄やゲージにこだわるのがバカバカしくなるくらいです。
もし尊敬する世界的な演奏者や先生がオールド楽器を使っていて、使っているE線をマネしても全く意味がないかもしれません。

楽器が勝手に鳴るような感じではありませんが低音でもツボにはまると急に鳴り出す感じがします。その時はオールドらしい良い音がするなと思いました。これで練習したら腕も上がりそうです。

100万円もしないもので、オールド楽器の片鱗が楽しめるのは面白いですね。イタリアのモダン楽器に1000万円出してもボヘミアのマイスターの楽器と同じ系統かもしれません。

現代の職人たちはこんな楽器を自分たちの競合相手としてちゃんと認識してるでしょうか?知らないで理屈を語って自分たちは優れていると思い上がっていないでしょうか?

ドイツの(オールド)楽器がこういうものだと語られてきたものとも全く違います。アーチは平らでニスは黒くなくイタリアの楽器ならゴールデンオレンジなどと言われるでしょう。

30年くらい前にうちで大掛かりな修理を終えています。それ以降他店でネックの取り付け部の修理が行われたようです。それが外れて表板も損傷し緊急入院です。長く愛用されていますね。

総括


最初の二つはマルクノイキルヒェンのメーカー名がついていますが、流派としてはボヘミアの感じがします。木工のクオリティ以上に木材とニスの質感が大きく違います。とくにニスの印象は楽器の印象に大きな影響を与えます。始めの量産品を塗り替えたらもっと高価な楽器に見えるでしょう。ニスはそれほど大事です。
ラッカーか天然樹脂かというわけですが、見た目ではっきりわかるものとそうでないものがあります。ザクセン派のラッカーには独特の匂いがあります。

ボヘミアではランクによってクオリティの差がありましたが、イタリアのモダン楽器では、ニスはラッカーのようなものはあまり使われていませんが、木工のクオリティはかなり低いものがあります。スカランペラやガッダなどはその代表です、もし高いクオリティで作られていたらニセモノです。イタリアの楽器の場合にはクオリティではなく知名度で値段が決まっています。

このような違いによって2番目の楽器が一人前の職人による立派な楽器だと分かります。勤勉に楽器を作っていた彼をどうしてバカにすることができるでしょうか?バカにされるべきは勉強不足な我々です。個性もあります、かなりの速さで作っていたとすればこれ以上の天才とは何なんでしょうか?かと言って完成度の高いフランスの作者も天才とは言われません。そんなものはフィクションではなく実在するのでしょうか?私にはフィクションだろうと何だろうとその楽器を語る物語が定着している楽器の値段が高いと思えます。楽器そのものではなく付いている物語にお金を払っているようです。誰かの弟子だとかいう話は最新の専門書では記載が削除されていることも多いですが、コレクターなどは未だに古い知識で競り合っているのでしょうね。私は楽器を見比べて似ていないので嘘だと分かります。昔はやたらこじつけて値段の高い作者の弟子にしてたものです。最新の本を読めば良いということではありません。その本の知識もまた変わります。言葉で知るのではなく作風に共通点が無ければ師弟関係は疑わしいです。同様に他の作者と変わらないのに特定の作者を天才などと言うのは理解できません。


最後のものは決してクオリティが高いものではありません。しかし音は全然違います。クオリティが高いほど音が良いというわけでもありません。人前で弾かなくても極上の高音を独り占めして楽しんだらさぞかし気持ちがいいでしょう。ヴィオリンは高音楽器ですから曲のクライマックスでヴァイオリンの美しさが発揮されるのは高い音にあります。
もっと張りのある強い音もありますが、それでもオールド楽器の高音は明るいだけの音とは違うような気がします。それに低音が何らかの影響を与えているかもしれません。高音は研究テーマとして手掛かりさえないです。

それに対して同様のクオリティのものがイタリアのものなら今なら5000万円以上します。5000万円するからと言っても当時はマルクノイキルヒェンと同様に安くするために急いで作った今で言うと量産品のようなものでした。同じ時代の高級品例えばアマティやストラディバリに比べると確かに安価なものです。「たった5000万円?安いね」と言ってみたいものです。


今回はいずれも売り物ではありません。
買おうと思って買えるものではないです。
実際に使われている楽器は売っているものよりもよく鳴ることも多いです。同じものが店頭にあればお薦めしたいのですが…。

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こんにちはガリッポです。

日本ではかつて社会人の常識と考えられていたことが一転して許されなくなっているようです。力を持った偉い人に媚びて取り入って便宜を図ってもらうというやり方です。

弦楽器の業界は楽器の購入に絶大な影響力を持っている先生や教授に媚びて楽器を売るということが「社会人の常識」として行われています。店頭で接客するよりも楽器店の営業マンのメインの仕事です。
高校生がこれから受験する音大の教授にレッスンを受けに行き、教授に薦められる楽器を購入して受験に臨みます。普通に考えたら賄賂ですよね。一般の大学でそんなことをしていたら解雇でしょうけども。

そうでなくても小遣い稼ぎのために先生が転売をしたり、業者からリベートをもらったりしています。業者間で接待合戦もあるかもしれません。偉い立場の人がそんなせこいことをしないとやっていけないという日本の音楽業界の貧しさに切なさを感じます。これはどこの国でも起きえることで楽器店を教授が紹介することを禁止している国もあります。そこまでしないと楽器が売れないという演奏者の少なさもありますね。

このようなことは「社会人の常識」として社会人なら誰もが知っていることでしょう。皆が自分の業界で心当たりがあるということですね。恨みの代償行為としてやり玉に挙げやすい所を攻撃するのではなく、それぞれが自分の業界を改革するために尽力した方が良いと思います。私はそんな大それたことをするよりも、腐敗は悪い商品やサービスが出回る原因になるのですから、良いものを知った人だけが得すれば良いと思います。


話はそれましたが、もちろん中には本当に生徒のために良い楽器を使わせたいという本心で助言している人もいることでしょう。どこの世界でも同じです。
ただし先生が本当に良い楽器や弓と思っても、骨格などの違いもあり生徒にとっては使いづらくて嫌でしょうがないことがあります。音大の先生に薦められた弓を購入し、音大を卒業すると同時に売りに来た人がいます。情熱的な音楽家にはありがちです。
先生の中には生徒本人に選ばせるように仕向ける理解のある人もいます。ぜひ読者で先生をなさっている方、将来先生になる方には気にかけていただきたいです。


そんなこともありますが、セールスマンが「立派な社会人」として職務をしているということも話してきています。
「明るい音」という謎のワードが日本では頻繁に聞かれることでしょう。これは誤解や混乱を招く原因です。明るい音という言葉は日本の弦楽器業界を30年は停滞させていることでしょう。

ユーザーであれば誰しも経験するでしょうが、自分が売ろうとしている製品を何でもかんでも「明るい音」と紹介しています。もはやよくわからない概念となってしまって、何を形容しているのかもわかりません。
食品業界で何でもかんでも「甘い」と言って売ったらどうでしょう、塩味のせんべいで「これは甘いですよ」と売り子が言っていると明らかに嘘であるだけでなく、甘くないお菓子が欲しい人が購入を避けてしまいます。こんなのが知識なんて言うのですから知性を笑ってしまいます。一度嘘をつくとつじつまを合わせるための嘘を重ねる必要になってしまいます。何も信頼性がありません。

「明るい音=良い音ではなく・・」とそんな情報も当ブログ以外でも見識のある人たちに語られるようになってきたことでしょう。言葉から自由になると楽しみは広がると思います。

板を薄くする修理



申し訳ありませんが、時間が限られた休暇の日本滞在中に修理するということで、ブログの企画として考えていたわけではありません。何が大変かと言えば、目の前の作業をするだけでも難しいのに、それを分かりやすく見せるというのが余計な負担なのです。普段コンピュータを使う仕事はしていません。ユーチューバーなどを見ていても、毎回面白いアイデアを考えて撮影してめんどくさい編集をして、追い詰められて苦しいんじゃないかと思います。このブログでは広告はついていますがそこから私は収入は得ていません。コンピュータの知識のない私が無料でブログを作成するためのものです。

ブログに載せるなら修理を始める前にどういう楽器か写真を撮っておかないといけないのでしょうけども全然やってませんでした。
時間が限られていたので、板の厚みを計測し試しにちょっと弾いてみた後すぐに表板を開けました。

楽器はベルギーの量産品でアンリ・デリルというメーカーの2008年製のヴァイオリンです。同社のものはうちの店でも扱ったことがありある程度は知っています。工場は中国にあって塗装はベルギーでやっているようなことを聞いていたと思います。チェロのネックなどを見ると木材の感じが中国のメイプルのように見えることもありました。胴体は違う感じでした。製品のランクなどによって違うのかもしれません。

ベルギーの楽器製作というのは伝統的にはフランスの影響が強い流派と言えます。量産品にしては品質が高くその意味でフランス的な考え方が多少は残っているようにも思えます。
とはいえフランスの一流のモダン楽器のクオリティや特徴があるとまでは言えず、近代の楽器製作は皆フランスが起源ですからそれよりクオリティが劣れば、ただの普通のヴァイオリンでしかありません。

もともとある程度よくできている楽器なので、板を薄くする余地があるかと実物を手にするまでわかりませんでしたが、厚みを測ってみると1900年以降主流の普通の厚さになっていました。量産品としては現在正しいとされている厚みに正確に加工されているということです。19世紀のフランスのものとは違いますのでその意味でも別物です。

裏板を削るためには指板を外さないといけません。これも上手くいかないと指板が割れてしまうことがあります。幸いにも指板は簡単に外れました。接着面には黄色い接着剤がついていました。接着力はさほど強くないようでした。量産品の場合には木工用ボンドのようなものを使っていて全然取れないものがあります。無理やり剥がそうとして指板が壊れると指板を新しくしないといけません。もっとひどいのはネックの方が壊れることで、継ネックが必要になります。
そういうリスクがあるために修理がどれくらいの日数かかるかはあらかじめわからないのです。それが一番気にしていたことで、ブログの記事にするために用意はしていません。


表板は全体的に0.5mm程度薄くしました。隅っこの削り残しをちょっと削る程度ではなく結構ガッツリ行かないといけませんでした。

裏板は中央付近はそのままで上と下の部分を削りました。

魂柱の来るとこを帯状に残しています。また大きく削ったところと段差ができないようになだらかにしました。
小さなヴァイオリン製作用のカンナではなく、ノミでザクザク削っています。削った量が微量ではないということです。
これがカンナだけでは一度に削れる厚みがが何十分の一ミリで作業が進まず途中で嫌になってしまいます。働いた割には薄くならず薄くしたつもりでも大して薄くなっていません。ノミを使って削る時に手元が狂うことが怖いので豆カンナを多用するのです。ノミを使うのは初心者にはとても難しく、神経を使うので集中力がない人はできません。
現代の職人が豆カンナを多用することも板の厚い楽器が作られる原因の一つです。私のようにギリギリまでノミで削る人は少ないでしょう。オールド楽器ももしかしたらザクザク遠慮なく削っていたのかもしれません。その結果薄すぎる楽器もあります。

表板はバスバーの交換も必要です。


裏板の表面も仕上げた後に剥がしてあったラベルを貼ります。ラベルはうまく剥がせることもありますがそうでない時もあります。持ち主にはラベルが損傷するかもしれないと伝えたところ、無くなっても良いとのことでしたが、量産品でも製造者の真のラベルがあることは出所がはっきりするのであった方が良いと思います。量産品であっても、メーカー名がはっきりしていると後の時代にはどんなものかはっきりします。もちろんハンドメイドの楽器と偽って売るなら別ですが…。
これが高価な作者の偽造ラベルを貼ってしまうとノーラベルと同じことになりますし、メーカーにはそんなつもりは無いのに邪悪なニセモノと扱われてしまいます。

オリジナルの指板を貼り付けてから表板を付けます。ネックの角度を見るためです。指板を削り直し、駒と魂柱を新しくします。

見た目の雰囲気も量産品にしては良い感じですね。

修理後の厚みです。

修理前の厚みも計測しておけばブログのネタとしてもわかりやすかったのですが、そんなことを考える余裕がありませんでした。

気になる音は?


修理前に弾いてみましたが、まったりとしたにぶい音で覇気がなくどんよりとしていました。量産楽器によくあるような荒々しい音はせず、するどいとは正反対の音です。明るいという感じもしません。弦にはラーセンのツィガーヌとE線にピラストロNo.1が張ってありました。
付属部品にはローズウッドが使われ、音にはローズウッドの材質のイメージとも一致しています。ローズウッドは黒檀に比べると柔らかい素材です。ツゲと比べる重く暗い音のイメージです。


修理後は、すぐに低音が強くなったことが分かりました。低音のボリュームが増大しG線の一番低い音から豊かに鳴ることがはっきりわかりました。音色は全体的に暗くなりました。もともと明るいという感じではありませんでしたがさらに暗くなりました。レスポンスが向上し、キリっと切れのある音になりました。ヴァイオリンらしい音ですね。高音は特別柔らかいことはありませんが耳障りというほどではないでしょう。
修理後音色が暗くなってもこもった音にはなっていません、修理前の方がこもった音でした。音の暗さとこもりは別の現象ですね。暗くて抜けが良いということがあり得ます。

本人に楽器を渡した後に感想をいただいても、同じようなことを感じたようです。
それに加えて楽器がよく響くようになったと感じたそうです。D,G線の高いポジションの音が出やすくなったそうです。量産楽器では得にくい高いポジションで弾く意味が感じられるようになったようです。

さらに音程が分かりやすくなったということも言っていました。音程が聞きやすいということもありますし、外れているのがより分かってしまうということでもあります。

依頼主の好みの方向性に音が変わった上にそれ以上のプラスの効果があったようです。私はほっとしました。

板を薄くする効果



板が薄くなると何が変わるのでしょうか?

物理的に考えると低い周波数の振動が多くなったということだと思います。低音が強くなったことにも表れていますし、音色にも影響しています。
低音が振動することで楽器全体が振動しているような感触が得られます。歌手に例えると腹の底から声が出ているような感じです。楽器が底から響いている感じがします。
したがって音量が増したとかそういう事ではなくて、低い周波数で音圧が増したということです。一方高い方の中音域では減ったために音が暗く感じられたことでしょう。低い周波数で振動していることで弾いている人にはビリビリと振動が伝わってきます。

音が明るいとか暗いというのは私は音色のことを言っています。
弦楽器は音程の音(基音)だけでなく同時に様々な音域の音が出ています、これが音色を作ります。この時低音が勝ったバランスの音を暗い音、高音が勝った音を明るい音と普通は考えます。難しい解釈は要りません。
人によって感じられるかどうかはわかりませんが、私には音が光のように明るく聞こえたり暗く聞こえたりします。中低音に厚みがあれば暖かみを感じます。

低音が勝っているか高音が勝っているかが音色となって表れているのでそこには良いとか悪いとかはありません。ただの物理現象を人間が感じているだけです。

それを音楽として、音楽をするための道具としてどう評価するかは別の問題です。

また音色は好みの問題で、人によってどんな音色が好むかは個人の自由です。
弦楽器の音について音色を重視するかどうかも個人の自由です。

その上でうちではお客さんに「明るい音と暗い音のどちらが好みですか?」と聞くと暗い音のほうが好きと答える人が多いです。私も暗い音に魅力を感じます。
うちの師匠は日本人やアジア人は自分たちとは音の好みが全く違っていて明るい音を好むという知識を持っているようです。私のことは「暗い音を好むはじめての日本人」と言っています。暗い音を好む私は日本人ではおかしいのでしょうか?

特にオールド楽器で暗い音のものが多く、魅力的な音を感じます。

日本でも営業マンはそんな楽器を売るときには「ダークな音」と言うようです。「明るい音=良い音」という嘘をついてきたせいで、暗いという形容詞を使えないのです。ダークは暗いという意味ですから同じことです。なぜ日本語の「暗い」は悪い音で英語の「ダーク」は良い音なのでしょうか?
ファッション用語でも日本語で呼んでいたものを急に英語にすると格好よく聞こえるというのがありますが、間抜けなことに英語を勘違いしていて誤訳していて本国では通じないことがよくあります。
商業というのはそんな知的レベルです。
同じことを英語で言うとカッコいいってそれが知識と呼べるものでしょうか?


根本的に考えてみると歌の発声法についても西洋とは違います。
教会の音楽やオペラと日本の民謡や演歌と違いますが、私はポップミュージックやロックでも同様の違いが未だにあると思います。洋楽のファンの人なら欧米の一流のアーティストの歌唱力が高いと感じているでしょうが、発声法も違うと個人的には思います。英語圏の歌手ははるかに柔らかく声を出しているように聞こえます。日本人でも英語の歌を歌う時は割とそんな感じで遜色ないのに、日本語の歌になると急に硬く感じます。発声法に言語との関連性もあるのでしょうか?一方巻き舌調で日本語の歌を歌うのは全く英語圏の歌唱法とは全く違うように聞こえます。

またリラックスして自宅やお風呂で歌を歌うとうまく歌えているように思えて、人前で歌うとなるとドヘタクソになります。緊張感や恥ずかしさが身体の機能に影響して発声を妨げているようです。

お風呂で気持ちよく歌えるのは部屋の響きもあります。
教会の音楽とお寺のお坊さんでは発声法が違います。教会では音が反響するのでより響かせるような歌い方になり、日本の建物では障子やふすまで壁らしい壁もなく、床も畳で音を吸収するものばかりです。民謡や伝統芸能なども、フワッと響かせるような発声ではなく、はっきりとした声を出すというのが日本の家屋で聞こえやすいということでしょうか?

このようなことも日本人独特の「明るい音」ということになってくるのかもしれません。低音や高音など音域ののバランスではなく、響かない日本の建物で通るはっきりした声が明るい声ということになります。

これが未だに生きているとしたら音の好みは全く違うこともおかしくありません。
明るい音を良しとしている人もいるかもしれませんが、世界では珍しい変わった音の好み、・・・少なくともクラシック音楽の作られた西洋とは違う音の好みということになります。


話を板の厚みに戻すと、板を薄くした結果、楽器が底から響くような感じが得られました。私が厚い板の楽器を弾くと懐かしい感じがします。昔習っていた時に使っていた量産楽器や最初の頃に作っていた楽器を思い出すからです。楽器全体が振動するのではなくて、表板の一部だけが振動している感じがします。

厚い板の楽器ではマリオ・ガッダやその工房のものがありました。
日本の読者の方にも80年代にマリオ・ガッダを当時は80万円ほどで買った人がいて、あまりにも鳴らないので日本人の職人に板を薄くしてもらったという人がいました。A・ガリアーノを使う馴染みのコンサートマスターは同様の楽器を「弦しか振動してない」と言っていました。これは極端な例ですが薄い方が楽器全体が響いている感じがするのです。

ともかく音量があるとか無いとかというよりも、振動する周波数が厚さによって変わるということです。
これは音響工学的な考え方で音楽だけをやってきた人には思いつかない発想かもしれません。録音やオーディオとかの話です。
板を削りながらタッピングをして叩いてみると音の高さが変わっていくことはわかります。厚い時は高い音がして薄くなるほど低い音になることが分かります。しかし音楽家の発想では音程で考えてしまいます。絶対音感があるという職人では叩いた時にこれは何の高さの音か言い当てます。叩いて440HzのAの音になっていると良いと言う人もいます。ですから叩いた時に板が薄いほど低い音になることは皆経験します。

それに対して周波数ごとの音圧でとらえることを「周波数特性」と言いますが、板の厚みについてそのような説明を先輩などから聞いた事がありません。音楽家には無い発想でしょうね。

古い時代ほど録音技術が低く、低音から高音まで幅広い音域で録音することが難しく、再生することも難しかったはずです。昔の蓄音機はレコードプレーヤーの上にラッパのようなものを付けて音を聞こえやすいようにしていました。
電気を使うスピーカーで、最もシンプルなものは、一つのスピーカーユニットで作られています。それを高音用と低音用に口径の違う二つのユニットを組み合わせることでより高い音、より低い音を再生できるようになりました。口径が小さい方が高音再生能力に長け、大きい方が低音再生に長けているからです。さらに高音用中音用低音用の三つユニットを組み合わせた3ウェイスピーカーがあります。音域はさらに広くなります。さらに増やして4ウェイの巨大スピーカーもあります。ただカーオーディオや素人だましの製品ではやたらスピーカーの数を増やしますが口径の大きさに差が無ければ意味がありません。
基本的には低い音から高い音まで均等に出ることがオーディオの世界では高音質ということが言えます。

スマホやパソコンに内蔵のスピーカーで音楽を聴くと低音が出ないために聞いていて耳障りに感じます。ちょっと離れると全く低音が聞こえなくなるので他の人がスピーカーで音を出していると不快です。急に大音量で広告の動画が流れて焦ることがあります。同じようなことは町内放送や選挙カーのような拡声器でも感じます。大型のスピーカーですが、音量を重視する代わりに音域がとても狭いです。音楽を演奏するものではなく人の声が聞こえて、少ない電力でメッセージが理解できればいいからです。これがスタジアムやポピュラー音楽のライブで使われるスピーカーでは音量があるだけではなくずっと音域が広く音楽も聞きやすいだけでなく人の声でも心地良く聞こえます。アンプの出力もはるかに大きいものです。

弦楽器でも同じように広い音域を持っていれば上質で心地良く、透明感のある音に聞こえるかもしれません。拡声器のようにとにかく音量があれば何でも良いと音域が狭ければ美しい音とは違うかもしれません。弦楽器はアコースティックですから弦と弓が擦れて生じるエネルギーは同じでどの音域の音になって表れるかということですから、狭い音域に音を集中させれば音量は最大になるでしょうし、幅広い音域で音が出れば静かな感じがするでしょう。
楽器を選ぶ時に音色を重視するか音量を重視するかも人によって違います。拡声器のような音でも不満が無い人の方が多いのかもしれません。オーディオについても同じことでほとんどの人は音域が狭くても気にせず音楽を楽しんでいます。マニアだけが音域が狭いことを不満に思っています。理屈で考えればコントラバスの音が出なければ本来のオーケストラの音楽を楽しむことができないはずですが、メロディだけでも楽しめないこともないということです。

このように音域が広いことをオーディオの用語では「ワイドレンジ」と言います。しかしヴァイオリンの世界ではそんな用語はありません。何もかも一緒くたにして語っています。音について具体的なことは語らずに値段が高いとか安いとか作者が天才だとか巨匠だとかそんな話をしています。要約すると値段が高い楽器ほど明るい音がするそうです。ボキャブラリーが何も無いですね。

オーディオマニアの世界では皆に共通する「良い音」というのがあるのでしょうか?
あるカリスマスピーカーの製作者は3ウェイや4ウェイのように音域の違うスピーカーユニットを組み合わせた大手メーカーのものは自然な音がしないと言います。継ぎ目ができておかしくなるからです。一つのスピーカーユニットだけでスピーカーを作ったほうが「本当の音」が聞こえると言います。自分自身もギターを弾いていて、自作のスピーカーの音はそれに近いと熱弁します。さすがカリスマ設計者、説得力がありますね。
そのスピーカーの音を聞いた人はガラクタのような古いステレオの冴えない音のようだったと語っています。思い込みの激しいヴァイオリン職人にもありがちな性格です。

それくらい音っていうのは個人差があります。その人が異常に気にする一面についてはそのスピーカーが本物の音に近くでも、他の部分では全く似ても似つかない音になっていることがあり得ます。

またコンサートホールで音を聞く場合と部屋で脇に抱えたギターの音を聞くのでは違います。


ともかく共通理解として音域が広いか狭いかそんなことも何も語られていないのが弦楽器の世界です。共通理解になっていればワンドレンジ系の音だとかナロー系の音だとかそういう分類もできるようになるのです。エレキギターのマニアではオーディオ用語を借用してだいぶ語られる語彙が多いようです。プチオーディオマニアみたいで悪い所を取り入れている感じもします。趣味というのは下手な人がいるものです。
ギターやギターアンプもオーディオ技術とともに進化して来たのでビンテージギターの当時の雰囲気を出すにはナローな特性を持たせるとかそんなこともあるでしょう。

今ではコンピュータで音楽制作をすると作曲から録音まで手掛けることになります。音楽家でも同じようなことが録音用語として語られるようです。

厚めの板のヴァイオリンの方がナロー系で、薄い板の方がワイド系ですね。そんな言い方をするのはこれが初めてです。




板が薄いことには他にもメリットがあって軽さによってレスポンスが向上するということもあり得ます。今回はもともとがにぶい音だったので改善しました。しかし厚い板の楽器でもギャーと鋭い音の楽器がありますから、今回のように薄いものほどするどい音というわけではありません。音の鋭さにはほぼ関係が無いと考えた方が良いでしょう。薄い板でも厚い板でも鋭い音のものがあり、柔らかい音のものがあります。


ともかく物理的には板が薄くなると低い周波数での振動が大きくなるということが言えます。これを人がどう感じるか、音楽にとってどうか、音楽の道具としてどうかは、人それぞれ各自が評価することです。

板を薄くするデメリットは?


板を薄くすることを職人が嫌う理由は何でしょうか?

前回は作業の手間が増えるとか、手元が狂って失敗する恐怖感があるとかそんな話をしました。恐怖感は他にもあります。

楽器が壊れてしまうのではないかという不安です。
売った製品が製造上の欠陥で壊れてしまうと買った人と金銭トラブルになります。頑丈なものを作っておけば壊れにくくなると考えるのは普通でしょう。世の中で高級品と言うと頑丈に分厚くできています。安いものはペラペラでふにゃふにゃです。頑丈で分厚い楽器を作って見た目も美しく「高級品」と大変満足している職人もいるかもしれません。

しかし弦楽器にとっては頑丈すぎるものは音が芳しくないことが少なくありません。華奢に作られバリバリに割れた古い楽器で良い音がして驚くことがあります。このような高級品は楽器のことが何もわかっていません。

一方でハイテク弦が開発され年々強まっている弦の張力に耐えられるか不安があります。衝撃などでも簡単に壊れてしまってはいけません。特に子供用の楽器こそ板を薄く作ったほうが小ささを感じないでワンサイズ大きな楽器のような鳴り方になるでしょう。しかし、楽器の扱いが荒い子供ではすぐに壊してしまうかもしれません。そんなこともあって子供用の楽器はサイズ以上に音が犠牲になっているとも言えます。


ところで、古い楽器が何百年経っても大丈夫なのになんで新しい楽器は板を薄くしたらダメなのかも不思議ですね?
板が薄い楽器は壊れるので作ってはいけないという嘘をつくと、このような矛盾が出てきます。古い木材の方が強度が上がるという次の嘘をつかないといけません。古い木材の方が丈夫なら木造建築は無限ですね。

古い楽器でも本当に板が薄すぎてダメになっているものを研究してどこまでやったらダメなのかを学ぶ必要があると思います。


ただし、もともと弦楽器は西洋のものなので、日本の場合には高温多湿という想定外の環境があります。新しい楽器では不安定で変形などが起きやすいということもあり得ます。ヨーロッパで使うなら板を薄くしても大丈夫だけども日本ではダメということもあるかもしれません。特にネックが下がったり、表板が陥没するなどの変形が考えられます。

今回のヴァイオリンは過去にネックの下がりを直す修理を受けています。当時は板が厚かったですが、それでも起きています。もっと厚くすれば起きないでしょうか?そんなに厚くしたら楽器としての機能、つまり音が犠牲になるでしょう。


なぜ低い周波数の音が出るようになるかと言えば素材としての柔軟性が増して大きな振幅の振動が起きるようになるということです。太鼓の皮や弦の張りが緩くなると同じでしょうか?このことは演奏者の感触としても感じられるかもしれません。弓の硬さに好みがあるように、楽器の柔らかさにも好みがあるかもしれません。楽器が沈み込むような感触もあるでしょうね。チェロでははっきりとあると思います。そういう意味では初心者向きではないかもしれません。
音についても厚い板の楽器と比べると音域が広がることでエネルギーが吸い込まれるような底なし沼のような感じがするかもしれません。
薄い板のオールドやモダン楽器はアマチュアの人がいきなり弾いても鳴らなかったりします。高価な楽器なら自分の演奏が未熟だと考えるでしょうが、現代の職人が作ったものなら楽器が悪いと言われてしまいます。

今回の改造について


板の厚みは振動する周波数、つまり音域が変わると考えています。このことが道具としての使い勝手や音、音楽性にどんな影響があるかはその先のことです。

音色が暗くなるということを今回の依頼者は好ましいと感じたようです。ヨーロッパではそのような音が好まれる傾向があります。しかしこれは好みの問題であり明るい音のほうが好きという人もいるかもしれません。ヨーロッパでもインターナショナルな大都市になるほどヨーロッパ人特有の好みは薄まります。若い人でもそうかもしれません。弦の新製品ではヨーロッパから見て海の向こう(海外)向けの製品のように思えます。

それ以外にも今回の改造では2次的に多くのメリットがあったと思います。
レスポンスが向上し、楽器の響きが増大し、高いポジションが改善し、音程もわかりやすくなりました。弓の使い方を学ぶにも良いでしょう。
明るい音や暗すぎない音が好みであったとしても即座に厚めの板のものが最適というのではなく薄い板の楽器の中で明るい響きの多めのものを探しても良いのではないかと思います。音を明るくするような弦などはいくらでもあります。逆は少ないです。魂柱を駒に近づけることも有効です。しかし現実には薄い板の楽器自体が少ないです。


今回はもともとすごく明かるい音ではないヴァオリンだったのでかなり暗い音になりましたが、すごく明るい音の特徴を持ったヴァイオリンの板を薄くしてもそこまで暗くならないでしょう。暗い音にしたい場合には不十分な効果になってしまいます。

一方音を暗くしたいなら板を薄くする以外の方法では十分な効果は得られないと考えた方が良いでしょう。


最終的には厚すぎず薄すぎなければなんでも良いということです。それが具体的にどれくらいかは職人の経験によります。具体的な数字を言うと数字に固執してしまうので厚めだとか薄めと今後も私の基準で語ることも多いでしょう。

大雑把なイメージとしては板が薄いほど低い音が出やすくなるので、楽器の音域に板の厚みが合っていれば良いと考えてください。多少は音の個性になります、しかしあまりにも厚すぎるとヴァイオリンの音域の音が全く出なくなり、薄すぎてヴァイオリンの音よりも低い音域が振動しても無駄になります。1/2のビオラの弦を張ってビオラにした方が良いかもしれません。

チェロの場合には低音のボリュームが増すので板が薄ければ低音楽器としては魅力的ですが、薄すぎて強い音が出ないということがあります。音色が素敵だけども音が柔らかすぎるということがチェロでは起きます、また高音側が弱くなってしまいます、一長一短です。
小型のビオラでは薄めに作ることでワンサイズ大きなビオラのような効果が得られメリットはさらに多いことでしょう。

子供用の楽器こそ、隅々まで丁寧に薄く作るのが良いのですが、手間暇は変わらないので大人用とほぼ同じ値段になってしまいます。使う年数が限られているので私も作ったことがありません。


最後にオールド楽器の中でも暗いばかりではないものがあります。低音が極端に強い楽器も個性的で魅力的ですが、一般的にはどの音域も均等に出るほうが優秀でしょう。アーチなどの楽器の作りや楽器の健康状態も影響してきます。オールド楽器ばかりを集めた中では明るい音ということです。新作楽器はそれよりもはるかに明るい音がするものが多いです。新しい木材の硬さも低音が出にくい原因です。

オールド楽器ばかりを集めた中で明るい音というのは、新作楽器に比べるとはるかに暗い音で、新しい木材でその音を再現するには極力薄くして暗い音の新作楽器を作らないといけません。

またカーオーディオでもやたらズンズンと低音がうるさい車が通ることがあります。
低音と高音を強めた音をオーディオや録音の用語では「ドンシャリ」と言います。音楽に重要な中音域が抜けているわけですから高音質とは言えません。
度が過ぎるのは一般の人が首を傾げますが、趣味としては下手くそです。

楽器が振動する音域が広いか狭いかという見方も今回しました。板の厚みによって明るい暗いの「音色」が変わるということを説明しましたが、「音域の広さ」と見ることもできるかもしれません。

遠鳴りとの関連性もあります…話は尽きません。