スマホ詰パラと自分自身の10年を少し振り返ってみたい。
学生時代には将棋部に所属し、見よう見まねで詰将棋創作も手がけたこともあったっけ。
1982年以降何度か、『将棋ジャーナル』誌には入選している。
多分デビューは、小泉潔さんあたりとほぼ同期であろう。
もちろん詰パラの存在は知っていたが、あの独特の身内だけで通用するようなジャーゴンが苦手(「キルケバカ詰」って何よ?)で、定期購入したいとは思わなかった。その後、広告代理店に入ってからは詰将棋どころか駒に触る機会も薄れ、20年数年の歳月が流れていた。
2008年12月にスマホ詰パラは誕生したが、この年は自分自身にとっても大きな転機であった。
25年ほど続けてきたサラリーマン生活から大学教員という立場に移ったのである。
大学教員は一見ヒマそうだが、実は初年度は講義資料を死ぬほど作成しなければならないため、えらく大変なのである。
そんな中で出会ったのが「詰パラモバイル」(当時)であった。2009年の暑い夏の日だったと思う。
最初は、あの「詰将棋パラダイス」がこのような軽薄なノリの携帯サイトを開設するわけがないのでメチャ胡散臭いと思ったのだが、試しに簡単な作品を投稿してみると、すぐに掲載され、解答者からのリアクションも心地よい。
で、いつの間にやら、毎日この胡散臭いサイトにアクセスするのが楽しみになってきた。管理人も比較的私を持ち上げてくれて、500のキリ番にこの作品を選んでくれたりもした。
▲NO.500「得意技で決めろ」 2009.11.25
そうこうするうちにわかったのだが、管理人のエモン(新井)氏は、なんと私の大学将棋部の後輩だった。
なんだそれなら先輩の言うことをちょっと聞いてもらおうじゃないかということで、いきなり「作品集を出したいんだけど…」とお願いしたところ、快く引き受けてくれた。
これは当時、詰パラモバイル普及のためのプロモーションツールとして活用される。
しかも管理人は「詰パラ」にこの作品集の広告まで掲載してくれたものだから冷や汗ものだ。
本誌に入選経験もない山川某の作品集が無用な物議(誰だこいつ?的な)を醸したかも知れない。
ともあれサイトでのデビューが2009年7月(作品NO.272)で、作品集の発行が10月だから、この間の急展開は今考えても凄まじいものがある。
なお2009年は、台湾と韓国で過去の著作が翻訳された年でもあった。
改めてコンテンツホルダーであることの大切さを思い知る。
