「どんな気持ちで」インタビュー | 不況になると口紅が売れる

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昨年はオリンピックもあり、アスリートへのインタビューがテレビをはじめとするマスコミを賑わした。

その際、必ずといってよいほどインタビュアーが訊ねていたのは「どんな気持ちで試合に臨みましたか?」である。

ホント、バカなんじゃないかと思う。

 

「どんな気持ち」ったって、「絶対勝つぞ」とか「落ち着いていこう」とか、そんな気持ちぐらいだろうし、そもそもそれを訊ねて何を知りたいのか、さっぱりわからない。

要するにこれは、何でもいいから喋ってくれ、というインタビューにすぎない。

多少でいいから、選手や試合の固有に事情に踏み込んだインタビューができないものか、と思う。

インタビュアーの勉強不足、経験不足という問題だけではない。

こうしたインタビュー自体が選手や視聴者を舐めている、と感じるのだ。

 

テレビ離れの理由のひとつとして、「報道の言葉が劣化している」ことも意識しなければならないと思う。

「街の人に聞きました」とか、ね。虫唾が走るんだけど…。

現にテレビ局は、「報道」と銘打つ番組を外注のプロダクションに丸投げして流しているわけだし、アナウンサーの採用基準は顔かたちとタレント性である。

記事の元ネタは通信社からの配信だし、たまに独自取材するといってもタイアップ(PR会社経由の情報提供)だったりなわけで…。

 

ネットの記事を「フェイクが多い」「ウラを取っていない」「見ている範囲が狭い」などと批判する前に、自分たちがやるべきことは山ほどある。

すべてを視聴率という「ポピュリズム」に起因させて逃げてきた体質から生じた鬼子が、この「どんな気持ちで」インタビューなのだと感じる。

 

ただしかし、テレビが報道機関として認められたのは、社としての見識からではなく、事実をそのまま伝えられる臨場感からであった。

佐藤栄作総理が「新聞社は出ていけ。テレビだけ残れ」と命じた記者会見(1972)がターニングポイントであったと指摘する人もいる。

それ以来、テレビは報道機関としての本質的な努力をしてこなかった、ということかな。

 

あ、それから以下のフレーズもついでに止めてほしいですよ(笑)。

「試合を振り返っていかがでしたか?」

「応援してくれた方に一言お願いします」