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 新聞の囲碁将棋欄だが、あれもいつ消えてなくなるかわからないと考えておいたほうがよい。

 たぶん1週間くらい休載したところで、新聞の発行部数が激減するなんてことはないだろう。

 スポーツだって、新聞紙上で報道されない領域はいくらでもあるのだ。囲碁将棋は、マイナーな趣味領域だからうちの新聞は掲載を止める、といった新聞が出てきても仕方がない。新聞社だって、経営は苦しいのである。


 囲碁将棋は、日本の立派な、尊敬すべき伝統文化だからわざわざ欄をつくって載せているのではない。あれは単に、大正から昭和にかけて、大衆に娯楽を提供してきた三文新聞の名残りで載せているだけの話だ。

 囲碁界・将棋界は、この囲碁将棋欄の存続のさせ方について、新聞社の担当者たちと一緒に、本格的に議論すべき時期だと思う。


 ひとつ提案がある。

 囲碁将棋欄には、プロの指した棋譜に加えて、観戦記というものが付記されている。

 これがまた、一部のマニアは別として、一般の人にはまるで理解できぬ、宇宙人の会話のような文章が多いのだ。

 手の解説もまるで難解だが、昼飯は天ぷらそばだとか、どうでもいいようなことが平然と記されていて、何を伝えようとしているのか理解に苦しむケースが目立つ。

 むろん、最近の若い観戦記者は問題意識を持っているようだが、やはり全体としては、良かった頃の昭和のパターンを引きずっていると思う。つまりは、マンネリなのである。


 この観戦記者の役割を、読者に提供する、というサービスはどうだろうか?

 プロの対局を一日観戦できるという経験、それをファン代表として伝えられるという経験は、何にも換えがたいと思う。応募者は殺到するだろう。

 問題は伝える技術だが、応募するだけの人なので文章はそこそこ書けるはずだし、プロの将棋は中身こそわからないけれども、素人は素人の見方で、一局を捉えることはできよう。手の解説など、新聞社が契約したプロにしてもらえればいい。


 また、一局につき1名の素人観戦記者、という形にこだわる必要もない。

 例えば10人のプロガーを観戦記者として招聘し、ブログ観戦記を書いてもらってファン層を拡げる、といったWebマーケティングの定跡を踏まえる手もあるはずだ。

 囲碁将棋界は、ファンの潜在的な力を上手く活用するマーケティングができていない。

 なぜかというと、いまだに「普及」という概念で物事を考えているからである。

 ここは難しい局面で相手に手を渡す…そう、羽生名人の「スローイン」のような考え方で乗り切ろうではないか。


 かつて川端康成が、囲碁名人戦の観戦記を書いた。これは「名人」という文学作品になっている。

 しかしそんなものは、古き良き昭和の時代の話だ。

 素人が、プロの対局を純粋に文化として鑑賞する時代は終わっている。

 逆に、素人の参加エネルギーを活用する時代である。

 「参加」したいと考えるのは、アマ向けの「大会」だけではないはずだ。

 そこんところ、マスメディアである新聞社が、実感としてどれだけわかるか…という問題はあるけどな。