いつの日からか、電車の窓が空けられなくなってから、久しい。
飛行機や新幹線の窓が開けられないのは、そりゃわかる。
しかし、たかだか数十キロで走っている電車の窓が開かなくなるということは、転落防止や温度調整といった管理上のメリットはあるものの、乗客の立場からすると、なにやら自由と開放感が奪われたという敗北感が残る。
京浜東北線などで開閉式に戻した例もあるが、大きな流れとしては、やはり固定式の窓が主流となりつつあるようだ。バスやタクシーが追随しないことを祈る。
窓を少し開けて駅弁を買う、とか、見送りの人に手を振る、とかいった情緒ある風景は、いまやこの固定式窓によって物理的に不可能なものとなった。われわれは、なにか大きなものを失ったのである。それは「快適さ」といったレベルの話ではない。乗り物が、単なる運搬機器になりつつあるのだ。
オフィスビルも、最近のものは窓の開閉ができない。空調はしてやるし、悪いようにはしないから、中でおとなしく仕事してろ、といった雰囲気のオフィスは、ホントに息苦しい。
しかし「人の手では開けられない窓」に、いったい何の意味があるのか?
こうした内と外とを完全に隔絶する発想は、やっぱりつまらない。
「縁側」が魅力的なのは、それが内と外とを繋ぐ空間だったからだろう。
切り離すのは、ある意味簡単だ。
内と外との繋ぎ方を、うまい形で示すデザインが求められていると思う。