IDDM(一型糖尿病)・ipocoの暮らし -12ページ目

IDDM(一型糖尿病)・ipocoの暮らし

がんばりすぎない1型糖尿病・ipocoのブログです。一型糖尿病に関する情報や、暮らしの様子を書いています。
気長に一緒にがんばりましょう!

こんにちは。ipocoです。

半年ぶりの眼底検査へ行ってきました。

今回の検査結果はとくに異常なしで、新たな問題は見つかりませんでした。

一時期症状が出て心配していた黄斑浮腫は、飲み薬の効果で症状がおさまってから視界がぼやけることはなくなり、検査の写真でも異常はないので治ってるみたいと言われました。



ただ、黄斑浮腫の起きてた場所に、低血糖になった時だけ、青い光がストロボのように点滅するようになり、もう1年ほどつづいてます。後遺症みたいなものなんでしょうかね?

そもそも青い光が点滅するのが、黄斑浮腫と関係あるのかどうかも私には良くわからないのですが、先生に聞いてもそれは治せませんといわれるだけで、関連の有無はよくわかりません。


しかしながら、昨今スマホのブルーライトの話でも言われるように、黄斑と青い光は密接に関連しているそうなので…


点滅の起きる場所から言っても、
症状から言っても、
普段の見え方に異常がなくて治ったように見えても、
おそらく何らかのダメージが残っているのではないかと個人的には思っていますが、まあどうしようもないので、そういうもんなんだと思うことにする。


罹患年数も長くなってきたので、今後いつ何が起きるか分かりませんが、とりあえず半年おきにきちんと検査していきたいと思います。




帰りは眩しいのが分かっていたので、メガネ屋さんのJINSで作っておいたサングラスをかけて帰ってきました。


実は今回、眼底検査用に初めてサングラスというものを作りました。

実は私、サングラスか全く似合わない顔で…
何をかけても、80〜90年代の香港映画みたいになるんですよ…


で、悩みましたがあんまりレンズの色が濃いと、より似合わなくて異様な感じになるので、真ん中くらいの濃さで30%という色のレンズを選びました。



検査の日はすごく晴れていて快晴だったから、やっぱり眩しかったですが、せっかく作ったのに効果ないのか?と思って外して見たら、もっともっと、ものすごく眩しくて目を開けていられないほどでした。


30%の濃さのレンズでも全く効果ないわけではないみたいですが、帽子がないとちょっと厳しいかな…
(そう言えば、このあいだの検査の時も帽子忘れた気がする…無謀やん)


次回は帽子を忘れずに、サングラス持参で試してみたいと思います。




こんにちは。ipocoです。


今日のテーマは、
習い事」です。


先日、習い事をしに行きました。

先生にやってくださいと言われて作業をしてみたのですが、ある工程で上手くできず、手元がもたつくことが出てきました。


すると先生は「ねえ、私の言った意味わかってる?」と何度も言いました。

私はその時先生が指示した「△してください」という△が何だか日本語を理解できなかったわけではなく、

「△という作業を上手くやるためには、ここを押さえてこう引っ張ると作業しやすい」とか、「ここをよく見て、このポイントがずれないようにすると正確」といった具体的なやり方がよく分からなかったので、とりあえず独創的なやり方で勝手にやってみて、結局うまくできてなかったのですが

先生にしてみたら作業指示そのものを理解していないから意味不明の行動をしているように見えたのだと思います。


ここで「先生、私にはうまくできないのでやって見せてください」とか何とか、ひれ伏して(笑)言えば良かったのかも知れませんが、その先生の言い方にムッとしたのでこっちはそのミソを習いに来てんだよ…そっちこそ自分の仕事してねー」と思いました。

作業の流れを口頭説明されるだけで何もかもできるなら、教室なんか行かないんですよ…プンプン!

幸いその場には他にも数人の先生がいたので、もうその人には反論も質問もせず放っておきましたが、他の先生に「ここはこうやるとうまくいく」と普通に教えてもらい、ちゃんと続きをやって帰ることができました。よかったよかった。




それで、習い事には先生との相性も大事だなぁと思いました。意思疎通の計りにくい人同士や、どうもお互いにムカつくような物の言い方をする人同士だと、生徒は習いたいことが習得できず、先生は教えたことも覚えてもらえないことになりそうです。




ところで、私はそのあとで何年も前に読んだ雑誌の記事をふと思い出しました。

それはある手芸作家の大家の先生が、自分の縫い物教室に来た生徒のことを書いていたもので、その先生がある生徒から「フリーアームがないミシンでは、筒物をどのように縫ったら良いか?」という質問を受け、「そんなことも知らない人がいるのか」という内容でした。


フリーアームというのは、細い筒状になったもの(洋服の袖口とかペットボトルカバーの口の部分とか)を、ミシンで縫いやすくするための装備です。

平たい台の上で、細い筒の口にミシンの針を上手に落として真っ直ぐに一周縫うにはちょっとしたコツがいるので、それを簡単にするためフリーアーム装備がついているミシンはたくさんあります。

ミシンの左手前がぱかっと取り外せるプラスチックの箱になっており、必要に応じて箱をとり外せば、ミシンの針が落ちる部分を洋服の袖が通る細さにできるので、そこに筒状のものを通して縫うと、ぐるっと一周縫うのが簡単!というものです。
{A23C2083-F255-40FE-B13A-D6A7990932B2}

不思議なことに、高いミシンにはフリーアームはついてないことが多いです。高いミシン買うくらいならフリーアームがなくても筒くらい縫えるだろってことなんだろうか?


私は「フリーアームなんか見たことも聞いたこともない」という人も、「あれがないとできない」という人も世の中にはたくさんいると思うし、

それどころかこれは縫い物教室で先生に教わるにはもってこいのテーマだと思ったので、この生徒さんの質問がコラムに書かれるほど非常識なことだとは思えませんでした。


それに、その生徒さんは縫い物がもっと上手になりたいと思って高いお金を払って順番待ちの予約を一生懸命取り、わざわざ足を運んで習いに行ったのかも知れないのに、雑誌の記事にそんなこと書かれてちょっと気の毒だとすら思いました。


まあ、あるいは逆に、その人はすげえ偉そうな生徒で、先生に向かって失礼かつ非常識なことを他にもいっぱい言ったから先生もつい一言、そこに書いたのかもしれないが、さすがにipocoもそこまでは知らんな(笑)



というわけで、私も似たような職業についているので、お客さんに教える時には、自分ができなかったり分からなかった時の気持ちを忘れずに、理解できて上達することの楽しさを、懇切丁寧に伝えられるよう心がけたいと、改めて思いました。


人のふり見て、直さなければならない我がふりって本当に沢山あるよなぁ…



おしまい。

こんにちは。
ご無沙汰しておりました。
ipocoです。



さて本日のテーマは、タイトルの通り。
自分の非を認めるのって超難しいんですよ
です。


つい先日、仕事で少し嫌な気分になる出来事があって、家に帰って来てからも、かなりイライラしていました。


私はこの事件について
「私は悪くない」「あいつ、嫌な奴」
という気分で満ち満ちており、一晩寝て、更に翌朝の午前中までも、内心はしつこく・悶々と・プリプリしていました。



そのうち…ちょっと疲れて来て、ようやく怒るのに飽き、そしてふと我にかえったのです。


ところで…
自分は本当に正しくて、
相手は本当に間違ってたのか?

と、ふと思ったんですよ…、


あなたは怒りを持った時、そんな風に考え直すこと、ありますか。ご自身の意見の正当性をを、どう分析されますか。

自分は絶対に正しくて、相手に完全に非があると思うとき、その自信に満ちた確信に対し、疑念を抱く余裕はありますか。


実際的なところ、怒りというのは「私は非難される覚えなどない」「私は正しい、相手が間違っている」という、根拠のあってないような猛烈な気持ちに端を発するものではないかと思うんです。

我々が怒るためには、相手がその罪の100%をかぶる必要があるのですが、ここが問題なんですよ…、相手が100%悪いわけじゃないことっていっぱいあるんです。自分が勘違いしてて、勝手に「酷いことされた」と思い込んでることも、結構多いんです。さらに、相手も自分も同様に落ち度があるってこともあります。まるで交通事故みたいに。


ムカつく相手はあなたや私に絶対的な悪意を持っていたと、勘違いや思い込みは決して存在しないと、断言できるなら怒っても良いかも知れませんが…その真偽を客観的に正しく判断するのは、自分のこととなると感情に邪魔されてものすごく難しい気がします。


まあ、べつに主観的に怒ってても生きていけるので良いんだろうけど、もし自分が勘違いしてたら、どうするの?謝るの?


私は、そう思うと、やはり怒りを感じた時には、
他人を大声で罵る前に、一息つき一考するということは、落ち着いた生き方をするために大変重要なことだと思いました。


人は怒りにかられると簡単に自分勝手かつ自分に有利な判断を下しますが、口に出したら言ったことはもう取り消せません。


長い話の末に冒頭に戻りますが、私は1日かけて煮えたぎる麻婆豆腐のように怒った挙句、結局自分に非があることを認めました。

私の怒っていたことは、本当は
自分の思い込みと非常識が原因だったからです。
勘違いで怒ってたなんて恥ずかしいよね?
情けないではないですか?


同時に、
相手が私の非常識を我慢してくれたこと、
相手はごく常識的な範囲で対応してくれたこと
にも気がつきました。

そのうえ嫌な奴に何かを気づかせてもらったなんて、大変ありがたいことじゃないですか?


よかったよかった。人生何事も勉強だね。


うーん…でもあいつ、まじで嫌な感じだったからなー、やっぱムカつくぜ。どうもな!



おしまい。