ご無沙汰しておりました。
ipocoです。
さて本日のテーマは、タイトルの通り。
「自分の非を認めるのって超難しいんですよ」
です。
つい先日、仕事で少し嫌な気分になる出来事があって、家に帰って来てからも、かなりイライラしていました。
私はこの事件について
「私は悪くない」「あいつ、嫌な奴」
という気分で満ち満ちており、一晩寝て、更に翌朝の午前中までも、内心はしつこく・悶々と・プリプリしていました。
そのうち…ちょっと疲れて来て、ようやく怒るのに飽き、そしてふと我にかえったのです。
ところで…
自分は本当に正しくて、
相手は本当に間違ってたのか?
と、ふと思ったんですよ…、
あなたは怒りを持った時、そんな風に考え直すこと、ありますか。ご自身の意見の正当性をを、どう分析されますか。
自分は絶対に正しくて、相手に完全に非があると思うとき、その自信に満ちた確信に対し、疑念を抱く余裕はありますか。
実際的なところ、怒りというのは「私は非難される覚えなどない」「私は正しい、相手が間違っている」という、根拠のあってないような猛烈な気持ちに端を発するものではないかと思うんです。
我々が怒るためには、相手がその罪の100%をかぶる必要があるのですが、ここが問題なんですよ…、相手が100%悪いわけじゃないことっていっぱいあるんです。自分が勘違いしてて、勝手に「酷いことされた」と思い込んでることも、結構多いんです。さらに、相手も自分も同様に落ち度があるってこともあります。まるで交通事故みたいに。
ムカつく相手はあなたや私に絶対的な悪意を持っていたと、勘違いや思い込みは決して存在しないと、断言できるなら怒っても良いかも知れませんが…その真偽を客観的に正しく判断するのは、自分のこととなると感情に邪魔されてものすごく難しい気がします。
まあ、べつに主観的に怒ってても生きていけるので良いんだろうけど、もし自分が勘違いしてたら、どうするの?謝るの?
私は、そう思うと、やはり怒りを感じた時には、
他人を大声で罵る前に、一息つき一考するということは、落ち着いた生き方をするために大変重要なことだと思いました。
人は怒りにかられると簡単に自分勝手かつ自分に有利な判断を下しますが、口に出したら言ったことはもう取り消せません。
長い話の末に冒頭に戻りますが、私は1日かけて煮えたぎる麻婆豆腐のように怒った挙句、結局自分に非があることを認めました。
私の怒っていたことは、本当は
自分の思い込みと非常識が原因だったからです。
勘違いで怒ってたなんて恥ずかしいよね?
情けないではないですか?
同時に、
相手が私の非常識を我慢してくれたこと、
相手はごく常識的な範囲で対応してくれたこと
にも気がつきました。
そのうえ嫌な奴に何かを気づかせてもらったなんて、大変ありがたいことじゃないですか?
よかったよかった。人生何事も勉強だね。
うーん…でもあいつ、まじで嫌な感じだったからなー、やっぱムカつくぜ。どうもな!
おしまい。