歩荷と牛つなぎ石

⑴ 歩荷

読みかたは、「ボッカ」です。(ご存じのとおり!)
荷物を背負って山越えをする人や、それを職業とする人のことです。
塩の道は厳しい。
歩荷先輩がいないと、荷を運べません。

⑵ 牛や馬

運搬を頑張ってくれたのは、牛くん、馬くん。
「くん」なんて言ってますけど、歴史を背負ってくれて、ありがとうね。

⑶ 牛つなぎ石

こんな感じ。
牛殿(牛くん)をつないでいたそうです。
(くんから、殿になった!)

 
牛殿のお休み処

牛殿(牛くん)は、出発にあたって、ここで気合を入れたのでしょう。

「塩の道から降りてくる牛の足取りは、集落が近くなると軽くなって、歩荷が困るほどだった・・・」と、何かの資料に書いてあったのを思い出しました。
平坦地が近付いて、牛殿(牛くん)は、ウキウキだっだのでしょう。

さて話は変わり、次の写真は、市街地へ戻って糸魚川駅から西へ5分の場所にあるポケットパークです。
塩の道「東回り」の起点あたり、という事で、ここでも牛くんが設置してあります。
(東回りの起点から100m、塩の道の公園)

山越えの方向を向く牛くん(明日を見てるようで、かっこいい。)

⑷ 馬頭観音

馬頭観音は、六地蔵のうち、畜生道へ行った衆生(生きとし生けるもの)を救済する観音さまで、この観音さまの変化身の一つとされています。
 
運搬の手段だった牛殿や馬殿の守護神であるとともに、交通や動物の守り神とされてきたようです。
さらに、馬頭観音は、馬殿が草をむしゃむしゃと食べるように、煩悩や災いを食べてくださる。
(おおおっ、俺の煩悩も食べてちょうだい!)
 
要するに、動物や人のお守りです。

大切です。

手入れしてある。
案外、近い。
本日の位置も、このあたり。

Thank you for coming.(今日はcomingで!)
おみちよう!

 

霊源寺(靈源寺 れいげんじ)の昔話

№10の続きで、今井地域にある、曹洞宗のお寺「霊源寺」のお話です。
お借りした手作り資料によると、伝説(昔話)がありまして・・・

⑴ 伝説(昔話)

後土御門天皇の頃(第103代天皇 1464~1500)、人がなかなか通らないような、一つの小堂があった。
山中に怪しい妖魔がいて、いろいろと姿を変えて現れ、往来の里人を困らせることが、しばしばで、この近辺に来る者は無かったという。

 これを聞き徳翁祖昌は、(たぶん、長野県東御市・とうみし 興善寺4世・諸国雲水行脚の途中で)座禅して読経を重ねたところ、娘が日ごとに現れて、拝聴した。

娘はやがて立ち去る時、25条の袈裟をお礼に捧げて言われたのです。

「私はこの裏の稚児が池に棲む竜女(りゅうにょ)です。日々の苦患で悩んでいましたが、この度尊師の御教えを授かり、日々の苦患から免れることができました。その恩徳に報いるために差し上げます。どうぞお納めください。」

と、袈裟を置いて竜女は立ち去ったという。
この袈裟は寺の宝として大切に保存されている。

というお話。

※ 地元からお借りした資料
  西回り塩の道の会「西の松本街道ー古道案内ー」

霊源寺は、県道からちょっと奥へ入ります。
駐車して、左へ
登っていきます。
葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず
焼肉食った後でお参りしちゃだめだよ~。
本日の西廻り記事は、この辺り

Thank you for your visit.(またカッコつけてみた。)
では、おみちよう!

 

今井四郎兼平

⑴ 地元のお母さん曰く

地元のお母さんに聞いたら、「今井」という地名の由来は「今井四郎兼平」だよおって、事らしいんです。

 ⑵ 今井四郎兼平という方

時代は、平安末期、鎌倉幕府の1190年あたり。
今井四郎兼平は、木曽義仲(源義仲)の臣です。
 
平安末期に平氏と戦った人で、源頼朝や源義経の従兄弟なのだそうですが、いろいろあって、最後は源頼朝の軍勢によって討たれます。

⑶ 木曽義仲と乳兄弟

今井四郎兼平は、源頼朝時代の、あの「木曽義仲」と乳兄弟(ちきょうだい)であったとされていて、小さいころからのご縁で、最後を共にされています。

【歴史好きの方のブログで「木曽義仲」を調べよう!】 

⑷ 諏訪大社と関係がある人

1152年生まれ、諏訪大社下社の神官、中原兼遠の子、お名前は中原兼平、
後に、信濃の今井が兼平の領地であったことから今井兼平と呼ばれました。
 【おおっ!諏訪と関係ある人だ!】

⑸ 地元からお借りした資料では

お借りした資料によると、今井四郎兼平は、寿永2年 (1182)平家追討のため、北陸から、都に攻め上ぼる途中で築城したのが、今井城とありました。
標高約240m、独立峰、要害堅固な山城、頂上には井戸、曲輪(くるわ)が巡らされている、・・・らしい・・・
※ 曲輪(くるわ)=土塁や石垣
私は行っていませんけど・・・そうらしい・・・

姫川対岸の「大野」地域から見た、今井城跡付近
このあたり

⑹ 次回の話題に繋がってるかな?

さて、大正14年には、今井城跡に今井四郎兼平城址の石碑が建てられています。
碑文は新井石禅。
新井石禅は、曹洞宗(永平寺・総持寺)の僧で、総持寺の貫主となった人。

次回は曹洞宗のお寺の、昔話が出て参ります。

西廻りの記事は、現在このあたり。

Thanks for stopping by!
おみちよう!

 

水の神社が多い「今井」地域

⑴ 「今井」地域(旧今井村)

「今井」でピンと来られたかた、いらっしゃいます?
今井地域は、源平時代の今井四郎兼平とご縁があるようです。
(ただ今、お借りした資料を整理中!)
次号あたりに書けたらいいな。

⑵ 水神社、水にまつわる社が幾つかある地域

「ミズジンジャ」「スイジンジャ」と読むそうです。

岩木、頭山は、宝暦11年(1761年)から約80年のあいだに、20回の水田流出があったとされています。
平均して4年に1度か・・・

昔、アットホームなゴルフ練習場があった脇を通り、
「朱色」が目を引きます。
夏のこの時期にして、結構な水量。
鳥居の奥に、長い階段。

いつもなら、階段を登ってみるのですが、本日は都合があって次回にします。都合があって・・・(実は、〇〇が痛かったりして、すいません。)

水神社ですが、若宮社とあります。

専門家にお聞きしたいのですが、大きな神社の近くに建てられた「分家さん」でいいですよね?  ですよね?

そして「諏訪」橋とあります・・・

階段を、登って確認しない私が悪いのですが、従前記事の諏訪神社の分家ということで、自分の中で留保しておきます。
(ううう、情けねえ~。)
(また来ます。)

案外、きれい。

また、この近くの集落には、慶応3年(1867年)に記念碑「水神」が建立されました。
写真を撮ろうと、歩いてみたのですが、見つけられませんでした。
不審者みたいになるので、ひとまず次の場所へ参ります。
(すいません。写真無し。)

代わりに、日本海の夏の空。

菅田越え(岩木・頭山)

諏訪神社を出発します。
地元の方にお借りした「過去の区民ハイキング用の資料」によると、次は、姫川を避けるための「菅田越え」とあります。

自分への感想ですが、もうちょっと綺麗に書こうぜ。
そもそも、今時、自筆しないよね。

それだけ、姫川の暴れ方が厳しかったのだと思います。

現地の入り口が良く分からなかったので、遠くから撮影しました。
見にくいですが、薄青の矢印方向です。

 

菅田越えの道中に、「佐渡見平」があるそうです。
もちろん、晴天に佐渡が見える、新潟県内の「あるある」でございます。

河川敷(現農地)を避けて山側へ。
現在の発電施設の位置を越え、
北陸自動車道も越え、
あとは、しばらく平坦地を進みます。
長野方面へ向かいましょう。

次の地区へ参ります。
調整作業のため、数日、お時間をいただきます。

いつも、ありがとうございます。
おみちよう!

(つづく)