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現代パラレル蓮キョの続きをお届けいたします。
■ レース・ローズ ◇3 ■
とはいえ、もちろん顔を見た瞬間にこの子があの時の彼女だと俺が気付いた訳じゃない。教えてくれたのは椹さんだった。
「 見ての通り客は一人もいないから、どこでも好きな所に座って良いぞ、最上さん 」
「 へ?……はい、有難うございます。じゃあ私……あっちに行きますね 」
客がいない、と椹さんが言ったからだろう。じゃあこの人は誰なのか…風な顔つきでカウンターにいる俺を数秒眺めてのち、彼女は俺の後ろを通り過ぎて店の奥へ歩みを進めた。
最上さん…と呼ばれた彼女が腰を落ち着けたのは、入り口を見通すことが出来る二人席。
割と大き目なショルダーバッグを対面のイスに預けた彼女は、席につくとふわりと顔を上向かせてから、疲れた…というそれではなく、まるで感嘆したような溜息を吐き出した。
レジとカウンターの間をすり抜け、椹さんがお冷を乗せたお盆を運ぶ。
そのとき珍事が起こった。
「 あれ?敦賀くん 」
「 はい? 」
「 このボタン、もしかしなくても君のじゃないのか? 」
「 え?ボタン?いえ、俺のじゃないですよ。だって俺……すみません。俺のみたいです 」
力仕事を手伝ったとき、俺は途中でワイシャツの袖をまくった。それからずっとそのままだったから絶対自分のじゃないと思った。
だが袖を戻してみたらあるはずの物が確かにそこに無かった。
「 ははは、だろ。敦賀くんが来る前にちゃんと俺、店内を掃除したんだ。だから君以外にあり得ない 」
「 すみません。ありがとうございます。……椹さん? 」
「 いま君にこれをそのまま返すことに俺は抵抗を覚える 」
「 はい?!なんでですか。それ、俺のですけど 」
「 だって君、いま彼女とかいないんだろ。なのにこれをどうする? 」
「 どうって、あとでちゃんと自分で…… 」
「 付けるってか?本当に自分で?それはいつ?念のために聞くが、そもそも君は針と糸を持っているのか? 」
「 ……っ…いいじゃないですか、別にどうだって!そうだ。いまはクリーニングに出すとサービスでボタン付けをしてくれる所があるんですよ。そこにお願いしますから大丈夫です 」
「 はぁ?それじゃ、今日一日ボタン無しで過ごすことになるだろうが!そんなのはダメだ。どんな時でも身だしなみは整えろ。少しでもだらしない所を見せれば経営もそんな感じなんだろう…って受け取られても文句は言えないぞ 」
「 う…… 」
「 大丈夫だ、安心しろ。ちょうど今いいタイミングで最上さんがいるから、あの子にボタンを付けてもらえ。俺がいまお願いして来てやるから 」
「 は?????なに言ってるんですか 」
「 大丈夫だ、腕は確かなんだ。なにしろ俺がさっき言った、この店の布小物を手掛けてくれた手芸作家ってあの子のことなんだから 」
「 え?彼女が?…って!!!ちょっと待って下さい、椹さんっ!! 」
「 おーい、最上さん 」
「 はい、ボタン付け。大丈夫、出来ますよ。針と糸もありますし 」
「 あはは。こんな狭い店内だもんな、そりゃ聞こえているか。すまないなー、ボタンはこれなんだけど、やってくれる? 」
「 お安い御用です 」
「 やー、有難いねぇ。良かったな、やってくれるってよ、敦賀くん。じゃ、こっちに移動して来な。君のコーヒーは俺が運んでやるから。あ、最上さんは注文、どうする? 」
「 私はホットコーヒーで 」
「 OK。ミルクもたっぷり持って来てやるからな 」
「 わーい、嬉しいです。ふふ 」
「 ほら、敦賀くん 」
「 ……っ… 」
その気さくな人柄で俺の都合を無視するのはやめて欲しい。
ギャラリストとして3年目。今年一年が正念場だ。
3年目に利益を上げることが出来なければこの先この仕事を続けていくのは難しい。
商売をする上で立ちはだかる3年目の壁。
乗り越えなければと思えばこそ、俺はなるべく女性と関わり合いを持ちたくなかった。
仕事が軌道に乗るまでは他に気を移したくなかったのだ。
……けど……
「 ごめんね、突然。宜しくお願いします 」
けど、この子があのミニチュアバッグの落とし主なら話は別だと思った。
俺は、彼女に謝罪がしたかったのだ。その上で俺はあのキーホルダーを正式に譲り受けたいと思っていた。
あんなに精巧な手作り品なのだ。代金を払わなきゃ罰が当たる。
「 はい、大丈夫ですよ。その前に荷物をどかしますね。こちらにどうぞお座りください 」
「 おお、荷物は隣の席に置いちゃっていいぞー 」
「 はい、ありがとうございます。あの…ちなみにこれ、どこのボタンですか? 」
「 左手側の袖… 」
「 了解です。じゃあ献血の要領でテーブルに手を乗せちゃって、こちらに向かって手を伸ばして下さい 」
「 はい。……っ?! 」
「 ダメ!そのまま動かないで!すぐ終わりますから 」
「 ……っ…よろしくお願いします 」
「 ぷっ!……あの、もしかして凄く緊張されています?大丈夫ですよ。間違えてもブスって刺したりしませんから 」
いや、俺が緊張したのはそういう理由じゃなくて…。
テーブルに腕を置き、伸ばせと言われて伸ばした手。
その位置がひどく悪かったことに気付いたのだ。
もし彼女が少しでも前屈みになろうものなら、あの柔らかそうな膨らみが自分の指に触れてくるかもしれない。
それに気付いて少しだけ手を引こうとしたのに、彼女がそれを引き止めた。だからこそ俺の肩に力がこもった。
「 あの……最上さん? 」
「 はい 」
「 ……は、いつも針と糸を持ち歩いているの? 」
「 はい。私にとってこの道具は自分の一部なんです。だから大丈夫ですよ、そんな緊張しなくても。絶対ミスしたりしませんから 」
「 うん、ごめん。でもこんな事ってなかなか無いから… 」
彼女がボタン付けをしてくれている間に椹さんが近づいた。
同時に香ばしいコーヒーの香りも近づいて来る。
気を使ってくれたのか、コーヒーは二つとも淹れたてのものだった。
「 最上さん、敦賀くん。二人のコーヒーは隣のテーブルに置いておくぞ 」
「「 ありがとうございます 」」
「 お、芸術的だな。お礼のハーモニーだ。じゃな、ごゆっくり 」
なにがごゆっくりなんだ、何が。
「 ……敦賀さん? 」
「 うん? 」
「 ……は、今日はお客様じゃなかったんですか? 」
「 ああ、うん。今日は俺、仕事で椹さんのところに伺っただけだから 」
「 お仕事ですか?じゃあ、喫茶店関係のかた? 」
「 じゃなくて、俺、ギャラリストなんだ。椹さんはその契約アーティストで… 」
「 ギャラリスト?って??……ごめんなさい、私、無知で。えっと、それってどんなお仕事か伺っても? 」
「 うん、そうだね。知らない人は知らないよな。ギャラリストって、日本語で言うと画商なんだ。俺は絵の売買を業としている 」
「 あ!判りました。このお店に飾られている絵画の… 」
「 いや、違うよ?ここの絵は全部椹さんが描いたものだから 」
「 ええっ?!!うそぉ? 」
「 ホントだよ。知らなかった? 」
「 すごい!!聞いていなかったです。さわちゃん…椹さんの娘さんからは、お父さんの本来のお仕事は美術系だとしか聞いていなかったから。ええ~?すごい!!こんな身近な所に芸術家がいたなんて!!! 」
「 身近って……フッ… 」
自分だって凄い作品を作っているくせに、そんな事を棚に上げ、最上さんは俺の腕に手を乗せたまま夢見がちな瞳で俺を見つめた。
⇒レース・ローズ◇4 に続く
傍から見れば喫茶店で手をつなぎ合っているカップル(笑)
⇒The Lace Rose◇3・拍手
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