東京ヒルトンホテル(赤坂)とヒルトン東京(新宿) | 人生を夫婦で楽しむ方法

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昨日の記事で、赤坂と新宿のヒルトンホテルの話題が出ましたので、

ウィキペディアの記事を参考にまとめます。

なので、コメント欄は閉じますね。


アジア地区に拠点を求めていたヒルトンホテルズ・インターナショナルと、

ホテル事業を全国展開するために国際的なホテルのノウハウを求めたい

東京急行電鉄の思惑が一致し、1958年(昭和33年)7月21日に両者の合弁会社として、

東京ヒルトンホテル株式会社が設立され、
1963年(昭和38年)6月20日に、日本初の外資系ホテル東京ヒルトンホテルが開業しました。

ホテルの規模は、地上10階建、客室数約450室だったそうです。

東京ヒルトンホテルは、当時の日本においてホテルニュージャパン、ホテルオークラ同様に数少ない

国際的なホテルで、首相官邸や国会議事堂、そして当時は銀座に次ぐ盛り場を擁していた赤坂が隣接
(ホテルニュージャパンが、国際ホテル?)

していることもあり、外国要人や外国スターの需要が高かったそうです。

1966年(昭和41年)6-7月の来日時にビートルズがこのホテルの最上階(10階)にある

プレジデンシャル・スイート(PRESIDENTIAL SUITE)1005号室に宿泊したほか、

このホテルに宿泊・利用した外国の有名人は、
カトリーヌ・スパーク、クリフ・リチャード、ザ・ウォーカー・ブラザース、ティナ・ターナー、
ツイッギー、ソフィア・ローレン、ショーン・コネリー(『007は二度死ぬ』の撮影時)、
エリック・クラプトン。
1980年代以降はフリオ・イグレシアス、マイケル・ジャクソン、デヴィッド・ボウイ、
ビル・クリントン元米国大統領(米国商工会議所主催の朝食会に出席、宿泊はしていない)などだそうです。

その後、東急とヒルトンとの間では、このホテルの運営受託契約の条件をめぐる争いが起き、

東急側により1967年4月22日に「ホテルジャパン東急(Hotel Japan Tokyu)」へ改称される事態となりました。

ヒルトン側が東京地裁へ仮処分を申請し5月12日に改称が差し止められたことで復帰したが、

その後も契約内容を巡り両者の関係は悪化していました。

このため、開業後20年と定められていた契約は更新されず、

1983年12月31日を以て東京ヒルトンホテルは閉館。
翌1984年(昭和59年)元日から「キャピトル東急ホテル」と改称し東急ホテルチェーンのフラッグシップ・ホテルとして運営されることとなりました。

一方のヒルトン側は1984年(昭和59年)9月1日に、西新宿に竣工した新宿国際ビルディングの

ホテル区画に『東京ヒルトン インターナショナル(現:ヒルトン東京)』として開業しました。

運営者の分裂に伴い、従業員は東京ヒルトン インターナショナルへ転籍する者とキャピトル東急に残留する者に分かれたそうです。

ちなみに私が結婚したのは、昭和63年です。(笑)

キャピトル東急ホテルはその後も東急ホテルズのフラッグシップとして運営されたが、

老朽化と再開発のため、2006年(平成18年)11月30日正午をもって営業を終了。

ホテルの建物は取り壊され、同地には2010年(平成22年)7月31日に地上29階地下4階建の高層複合ビル「東急キャピトルタワー」が竣工し、

同ビルにはキャピトル東急ホテルの後継となる「ザ・キャピトルホテル 東急」が核テナントとして入り、2010年10月22日に開業しました。

時代考証がよく分かりました。

と言うわけで、東京ヒルトンホテルは、日本初の外資ホテルだったと言うことですね。

沖縄ヒルトンホテルも調べてみたくなりました。(笑)