【世界史人物24】オットー1世「任命権」 | 技術士を目指す人の会

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2008年に技術士合格後、「技術士を目指す人の会」を立ち上げ、多数の技術士を輩出。自身も勉学ノウハウを活かして行政書士、世界史検定2級、電験三種に合格。

世界史の人物を紹介します。

今回は、オットー1世 です

山川の教科書のP127、《分裂するフランク王国》で登場します。

 

●いつの時代?

AD962年(戴冠)

 

●どこの人?

神聖ローマ帝国、ザクセン人

(現在のドイツ)

 

●何をした人?

神聖ローマ帝国の初代皇帝

 

 

●フランク王国の分裂

フランク王国は、現在のフランスの起源です。

王朝としては、まずメロヴィング朝が興ります。

その後、カロリング朝が興ります。

カロリング朝、カール大帝の時、フランク王国は領土が最大になります

カール大帝は、ザクセン人を服従させ、アヴァール人、イスラムの後ウマイヤ朝に勝利します。

こうした功績が高く評価され、AD800年のクリスマス、カール大帝は、ローマ教会から皇帝に任命されます。

これがカールの戴冠ですね。

フランク王国の絶頂期です。

 

 

ところが、814年、カール大帝が亡くなってしまいます。

 

歴史を見ていくと多々あることですが、カリスマ的な存在の王様が亡くなると、国家は分裂します。

ソロモン王、アレクサンドロス大王が亡くなった時も、国家は分裂しました。

カリスマ的な王様を中心にできた絆は、カリスマがいなくなるとそれを維持できないわけです。

フランク王国の場合は、少し時間がかかりました。

カール大帝が亡くって、その息子のルートヴィヒ1世が皇帝を継承します。

ルートヴィヒ1世は約30年で亡くなってしまいます。

この時、ルートヴィヒ1世の3人息子が分割相続をします。

ロタール1世、ルートヴィヒ2世、シャルル2世です。

広大な領土のフランク王国は3分割されます。

ロタール1世は中部フランク、

ルートヴィヒ2世は東フランク王国、

シャルル2世は西フランク王国をゲットすることになりました。

これが、843年のヴェルダン条約です。

 

 

 

 

その後、中部フランクのロタール1世が亡くなります。

ロタール1世には3人息子がいました。

またまた分割相続です。

中部フランクは、西部、東部、南部の3つに分れてしまいます。

西部と東部の王が早々と亡くなってしまいます。

男の子がおらず、相続できる人がいませんでした。

そこで、ロタール1世の兄弟である、ルートヴィヒ2世、シャルル2世が西部と東部を相続することになります。

東部は東フランク王国のルートヴィヒ2世が取得しました。領土拡大です。

西部は西フランク王国のシャルル2世が取得しました。領土拡大です。

中部フランクの南部については、ロタール1世の息子が健在でしたのでそのままなんですが、この時から、イタリア王国と呼ばれるようになります。

これが、870年のメルセン条約です。

 

ヴェルダン条約とメルセン条約により、ドイツ、フランス、イタリアの原形が完成したわけです。

国境線というのは、河川や山脈によって形成される場合が多いです。

独仏伊の国境線については、1000年以上前の分割相続で決まってしまったわけですね。

 

●オットー一世の登場

フランク王国は、東フランク王国、西フランク王国、イタリア王国に分れましたが、その国王は全てカロリング朝の一族でした。

ところが、国王は短命で、男の子が生まれにくかったようで、瞬く間にカロリング朝の血筋は断絶していきます。

国王の権威が弱まることは、諸侯の力が強まることを意味します。

東フランク王国で力をつけたのがハインリッヒ一世でした。

ハインリッヒ一世は、ザクセン人でした。

ザクセン人は、カロリング朝のカール大帝の時代に戦いに敗れ、服従させれた民族です。

しかし、カロリング朝が断絶する時代が訪れ、支配下だったはずのザクセン人が力を伸ばていったわけです。

919年、ザクセン人であるハインリッヒ一世が、東フランク王国の国王になります。

山川の教科書では、ハインリッヒ一世以降の東フランク王国のことをドイツと呼んでいます。

国家としてドイツが成立するのは、もっと後のことですが、ザクセン人国家が成立したことで、ドイツの原形が形成されたという認識なんですね。

936年、ハインリッヒ一世は、息子に国王を承継します。

これがオットー一世です。

オットー一世は、戦う人でした。

955年、レヒフェルトの戦いで、マジャール人がドイツに侵入するこkを退けます。

さらに、スラブ人との戦いに勝利します。

マジャール人、スラブ人の脅威は、ローマカトリック教会も同じです。

つまり、オットー一世は、カール大帝と同様、教会にとっての脅威をブロックして、この時代のヒーローになったわけです。

その功績が高く評価され、962年、オットー一世は、ローマ教会から皇帝に任命されます。

この時から、ドイツのことを神聖ローマ帝国と呼ぶようになります。

世界史を勉強しはじめた頃は、ドイツのことをローマと呼ぶのは違和感がありました。

ただ、神聖ローマ帝国は1804年まで続きますので、約840年間の存続ですから、本家本元の古代ローマ帝国よりも長きに渡って存続していたわけですね。

さて、オットー一世ですが、帝国教会制を進めます。

国教会制とは、帝国が教会の司教職の人事権を握って、教会を配下におくことです。

要するに皇帝が叙任権を持つということですね。

この時代、ローマ教会は、神聖ローマ帝国内に数多く存在していました。

教会は信仰のためにあるわけですが、オットー一世は教会に役所のような機能を持たせました。

教会を便利に使ったわけです。

このため、帝国教会制は、皇帝が叙任権を有するという意味だけではなく、帝国による教会を使った行政とも言えます。

ただ、ピピンの寄進により、ローマ教会はイタリア半島に領土を持っていましたし、帝国教会制により各地の教会が発言力を有するようになり、ローマ教会が力を持つようになります。

そうなると、皇帝を任命する教会のトップの人事権を皇帝が持っていることにジレンマが生じます。

その結果、神聖ローマ帝国との対立が激化して、叙任権闘争へと繋がっていくわけです。

 

●オットー一世の名言

オットー一世について、ネットで検索しましたが、名言がヒットしません。

オットー一世は、ドイツの原形を作った人です。

ローマ教会からの戴冠され、ザクセン人初の皇帝になりました。

武力で教会を支配するのではなく、叙任権によって教会を支配・活用した点が優れています。

オットー一世は、教会から皇帝に任命され、司祭を任命することでパワーアップしたわけです。

というわけで、オットー一世を一言で表すなら、以下の言葉がフィットすると思います。

 

任命権

 

オットー一世は任命権によって影響力をもたらしたわけです。

 

さて、話は全く変わりますが、日本国憲法には、第68条において、以下のような定めがあります。

「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。」

これは、総理大臣が総務大臣や厚生労働大臣等の国務大臣を誰にするのか決定できるという意味です。

その一方で、第6条には、以下のような定めがあります。

「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する。」

これは、国会が内閣総理大臣を決定して、天皇陛下がお墨付きを与える、という意味です。

天皇陛下には総理大臣を誰にするのか決定する権利はありません。

第68条と第6条の両方で「任命」という言葉が使わないますが、その意味は異なります。

つまり、「任命」という言葉は、その前後の内容によって、決定権の有無が変わるわけです。

令和2年秋、日本学術会議の会員の任命について話題になっています。

日本学術会議が推薦した会員のうち6名について、政府が承認しなかったのです。

これに対して日本学術会議が異議を唱えました。

少し問題を整理してみます。

日本学術会議法という法律があります。

第7条に以下のような定めがあります。

「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」

第17条は、日本学術会議が会員の候補者を選考して、内閣総理大臣に推薦するという定めになっています。

これを読むと、憲法第6条のスタイルとよく似ています。

憲法を踏まえると、日本学術会議が会員を決定して、総理大臣がお墨付きを与える、という解釈もできます。

しかし、憲法第6条は「指定」ですが、日本学術会議法第17条は「推薦」ですので、ちょっと違います。

さらに、日本学術会議法の第1条第2項には、以下の定めがあります。

「日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする」

つまり、総理大臣は日本学術会議に対する絶大な権利を有するわけです。

このことから、日本学術会議法第17条の「任命」は、憲法第68条と同様、決定権が含まれると解釈できます。

 

ただし、世界史を見ると、教会の司祭の任命権を巡って紛争が発生したわけです。

こうしたことから、任命というのは慎重にやる必要がありますね。

 

●オットー1世の画像

画像参照元:ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC1%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D)

 

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