世界史を解りやすく(5)三位一体 | 新見一郎

新見一郎

勉学を通じて成長をナビゲートする講師。
2008年に技術士合格後、「技術士を目指す人の会」を立ち上げ、多数の技術士を輩出。自身も勉学ノウハウを活かして行政書士、世界史検定2級、電験三種に合格。

世界史に書いてあることを、理系の人にも解るように説明したいと思います。

今日は、キリスト教の三位一体についてです。

山川の世界史では、P47〜P48です。

 

三位一体について話をする前に、キリスト教について話をしたいと思います。

 

●キリストの教えについて

山川の教科書のP47に、次のような記述があります。

「イエスは、祭司やバリサイ派を形式主義として批判し、貧富の区別なくおよぼされる神の絶対愛と隣人愛を説き、神の国の到来と最後の審判を約束した

 

正直、これは分かりにくいですよね。

祭司、バリサイ派、絶対愛、隣人愛、神の国、最後の審判、これってどういう意味でしょうか。

説明したいと思います。

 

●祭司

「祭司」というのは、ユダヤ教の神殿で儀式を仕切る人です。

キリスト教で言うと神父さん、日本の神社なら神主さんです。

イエスキリストの生きていた時代の祭司は、信者に対して、自らを特権階級として扱うことを求めていたようです。

祭司は権力を誇示していたわけです。

 

●バリサイ派

「バリサイ派」というのは、ユダヤ教の中で、律法を重んじていた流派です。

律法というのは、イスラエルの民が神様から授けられた教えです。

例えば、十戒。

十戒には、神は一つであること、偶像崇拝禁止(像を作ってはいけない)が定められています。

それから、父母を敬うこと、人を殺してはならないこと、人の物を盗んではいけないこと等が定められています。

律法は道徳を教示するものなのですが、バリサイ派は、律法を守れなかった人を罪人扱いしていたそうです。

ルールや形式に囚われ過ぎていたわけです。

 

イエス・キリストは、ユダヤ教の信教自体は尊重してました。

ユダヤ教の神様のことをヤハウェと言いますが、キリストもヤハウェを信仰しています。

同じ神様を崇めているわけです。

キリストは、祭司やバリサイ派のことが気にいらなかったわけですね。

 

●絶対愛

それから、ユダヤ教では、神様の愛はユダヤ人に対して注がれものと定義していました。

ユダヤ人限定なんです。

だからこそ、名前がユダヤ教なんです。

それはそれで自由な信仰なんだと思います。

一方、イエス・キリストは、神様の愛は無差別にすべての人に注がれる、って思っていました。

人種、貧富の差もなくみんなに平等に注がれるわけです。

これが「絶対愛」です。

この辺のことろが、キリスト教とユダヤ教で大きく異なります。

 

●隣人愛

それから、先程から説明しているとおり、ユダヤ教では、律法を遵守することを重視していました。

だから、律法を守れる人間と守れない人間との間に大きな隔たりがあったようで、律法を守れない人に対して差別的な扱いが生じていました。

一方、イエスは、「隣人愛」を主張します。

「隣人愛」というのは、人にしてもらいたいことを人にしてあげなさいってことです。

誰しも差別的な扱いを受けたくないのだから、律法を守れないからといって差別的な扱いをしてはならない、それ故に、神様に許しを請うことが可能になるわけです。

 

●最後の審判と神の国

この世の中には、善なるものと悪なるものが混在しています。

「最後の審判」というのは、善と悪、どちらが存在し続けるか決定することを意味します。当然ですが、善が勝つことを望んでいます。

「神の国」は、神が支配する平和で理想的な世界を意味します。

つまり、善なる神が勝利して、「神の国」が到来することを信者は望んでいて、「最後の審判」が一日も早く訪れることを懇願しているわけです。

ちなみに、「最後の審判」という概念は、ユダヤ教、ゾロアスター教にも存在します。

一旦、リセットするという考え方を終末思想と言うらしいですが、こうした考え方は、浄土真宗にもあるので、宗教共通の概念なのかもしれません。

それから、「最後の審判」と「神の国」ですが、「最後の審判」がエンマ大王で、神の国が「天国」というコンセプトに繋がっていくのだと思いますね。

 

●三位一体について

三位一体とは、何か?

 

山川の教科書のP48に、次のような記述があります。

「父なる神、子なるキリスト及び聖霊は、三つでありながらしかも同一であるという説

 

三位とは、父、子、聖霊の3つです。

一体とは、全てが神だという考え方です。

 

ちょっと分かりにくいですね。

三位一体のポイントは、子であるイエス・キリストも神様であることです。

キリスト教は一神教です。

父なる神も、子なるイエス・キリストは、別々の神様ではなく、同じ神様なんです。

だから、神様が姿を変えて、イエス・キリストとして人間界に現れたという意味なんです。

そもそも、神様というのは、人間の目には姿が見えないはずです。子であるイエス・キリストは実存します。

だから、イエス・キリストを神として信仰する方が、わかりやすいわけです。

 

さて、三位一体のうち、残るは聖霊です。

この聖霊というのが分かりにくいです。

 

そこで、下の写真を見て下さい。

左がイエス・キリスト、右が父たる神様のイメージです。

そして、真ん中にいるシルバーの鳥、これが聖霊です。

 

「え、鳥なの?」 って思うかもしれません。

 

神様というのは、いろいろな姿で人間界に出現して、意思を表示をすると思われます。

イエス・キリストという人間の姿をしている場合もあります。

動物かもしれません。雲かもしれませんし、風かもしれません。

そして、鳥の姿で現れることもあるということです。

神様は天空にいるイメージなので、鳥が一番イメージに合うのかもしれません。

 

それから、キリスト教というのは、イエス・キリストが作ったものではありません。

イエス・キリストが亡くなった後、お弟子さんたちが、イエス・キリストを救世主だと信じ、その復活を信じ、キリストの教えを広めていった結果、それが宗教になったものです。そして、時代が流れていくと、宗教についてもいろいろな解釈ができあがっていくものです。

三位一体は、アタナシウス派が主張したものです。つまり、イエス・キリストは神様だという解釈です。

アリウス派はイエス・キリストを人間と考えていました。

ネストリウス派はイエス・キリストは人間であると同時に神様でもあると考えました。

最終的に、アタナシウス派が主張した三位一体が主流になっていったわけです。

 

 

それから、これは世界史とは関係ないことですが、

自分がいいと思うことを信じるってことは、

誰が何と言おうとも、それが何であっても、

とてもいいことだと思います。

 

※世界史を解りやすく(4)ローマ帝国については、 こちら をどうぞ。

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